2020年10月31日土曜日

雪の脅威

取り壊した食器棚の代わりに既製の食器棚を探しに佐久平のニトリまで車を走らせた。数回下見に行ってめぼしいものはあったけれど、いざ買うとなると慎重になってしまう。ノンちゃんの家は彼ら夫婦の夢がいっぱいにつまった家だから、不釣り合いなものを置いたらいけないと思うと既製品では失礼かと思う。けれど私はそんなにお金持ちではなく、とりあえず無難に収まるものとして薄型で場所を取らず目立たないものを選んだ。

その間にメールが届いた。群馬県の山間部は猛烈な吹雪の可能性があるらしいと。

ひゃー!北軽井沢は本当にいいお天気だったのに、佐久平は曇天で風が冷たい。群馬県で雪ってどのへんのことを言うのかしら。次の日帰ろうかと思っていたのに、それでは一日早く帰宅しよう。家具売り場を出て一目散に北軽井沢まで走った。お腹が空いたけど食事している暇はない。

次の日の夜明けに帰るつもりだったから、荷物はあらかたまとめてある。家具店からの帰り道に軽井沢スノーパークを見に行こうかと思っていたのも急遽変更。メール主に電話するとひどく曖昧な情報だと言うことがわかったけれど、猫とヴァイオリンと両方あるから、自分ひとりで行動するよりずっと慎重になる。万一雪で立ち往生しても自分ひとりならなんとかなる。けれど、猫を抱えてヴァイオリンを背負って、雪に埋もれる自分を想像するとゾッとする。

嫌がる猫を巣穴から引きずり出しさっさと出発した。北軽井沢と佐久平は小1時間はかかる。往復2時間すでに運転して、その後の3~4時間は結構きつい。本当は昼食を食べて昼寝をすれば楽になるけれど、夜になる前に高速を降りたい。午後3時少し前に出発した。北軽井沢は相変わらず晴天、風は冷たいけれど雪の「ゆ」の字もない。まったく曖昧な情報過ぎて信じた私が悪いのか。

途中何事もなく高速道路も順調に流れている。高崎あたりは全く雪の気配もない。そしてことは起きた。花園すぎてからの区間が工事中だと言うので、多少の渋滞が起きていた。追い越し車線を走っていたから渋滞でもかなりのスピードだったけれど、いきなり直前の車がブレーキを踏んで斜め左に進む。前はブレーキ、私はアクセルを踏んでいたからあっという間に前の車の赤いブレーキランプが目の前に。ああ、やっちゃった!そう思った瞬間に私は思い切り急ブレーキを踏んだ。後ろに車がいるかどうかの確認も出来ないほど緊急だった。バックミラーを見ると少し遅れて後続車が近づいてきたので後ろの危険はなかったようだ。衝突は回避されたけれど、 本当に危なかった。

前の車は又追い越し車線に戻って、一瞬の出来事は何もなかったかのようだったけれど、一体あの行動はなんだったのだろうか?なにか道路に落下物でもあったのだろうか。わけがわからないけれど、とにかく事故らなくてほっとした。私はいつもは慎重に車間距離をとるのに渋滞気味で速度も少しだけゆっくりだったから、車間距離が近かったかもしれない。それと朝からの長時間の運転で注意力が散漫だったかもしれない。なにが原因だったのか・・・

そういうとき瞬間的に脳みそがフル回転する。急ブレーキを踏みながら、この車は車間距離が近いときにはアクセルを踏んでもスピードが出ないシステムだったっけ、なんて考えている自分がいた。もしかしたら車の安全装置に守られたのかもしれない。

以前私が乗っていた車はちょうど10年。まだまだ調子がいいから買い換えることをためらっていたら日産マンが勝手に決めていた。「次の車はこれです」当然のように車種から色まで全部決まっていた。もう一つクラスの上のをと言ったら「お宅の駐車場は道路から段差があって、車高が低いと下を擦りますから」と断られた。自分より他人のほうがよほどしっかりしていることを知っているから、私はそういうときには逆らわない。それでたいてい上手くいく。本当にこの車にしてよかった。私のまっ黄色な愛車「パパゲーノ」は渋い北軽井沢の森の中ではやけに目立ってしまうけれど、駐車場では探しやすい。安全装置は高齢者ドライバーには必須。今回のことは年齢には関係ないかもしれないけれど、これがあったので助かったのかもしれない。さすが日産マンはプロ、私を長年見てきて運転技術も癖も全部知っている。そろそろこのへんで安全装置がないとだめだと思ったかもしれない。

以前自転車で真横から衝突されたことがあった。細い道からいきなり直角に飛び出してきたオバハン。後ろの確認。車や自転車が来ていないか確かめて、加速して右にハンドルを切った。相手の自転車は私の自転車の後輪に衝突して横倒しになった。加速しなかったらまともにサドルあたりを直撃されて私も倒れたかもしれない。その時も瞬間的に後ろの道路状況の確認と自分の自転車の前カゴに乗せてあった荷物の心配をしたのにはびっくり。一瞬なのに、とても時間が長かったような気がした。

今日も全国的に素晴らしい晴天!雪の情報はなんだったの?メールを見てその後電話をしたら、たしかNHKで見たとか言っていたけれど。

2020年10月29日木曜日

森の家の改造

 ノンちゃんの家を引き継いでから早くも2年経ってしまった。その間の私はさまざまなストレスがあって、めっきり白髪が増え足腰は最悪な状態になってしまった。ようやくじわじわと元気をとりもどしてはいるけれど、以前の元気は半減している。

コロナのせいで仕事がなくなりコンサートも全滅でかなり暇ができた。忙しいときにはゆっくりしたいとため息をつき、もう少し時間があればちゃんと練習できるのにと思っていたけれど、コロナによるストレスはそんな儚い望みをことごとく吹き飛ばしてくれた。時間はたっぷりある、練習しようと思えばいくらでも続けられる、でも聴いてくれる人のいないコンサートでは練習する甲斐もない。

コロナに無知だから一体自分はどうすればいいのかわからない。友人たちにも会えない。会って感染したらお互いに気まずい。毎日テレビの感染者数に怯える。少しでも具合が悪いと、もしかしたら感染したのかと落ち着かない。そのストレスたるや大変なものだった。当然元気はなくなって次第に沼の底に落ちていくような虚脱感を覚える。そして始まった足の痺れや痛み、歩けない、無理に運動すると夜中に足が強烈に攣る。

それでテレビは見ないことにした。毎日毎日コロナの話。もううんざり。右往左往する政治家たち。未だに腹の立つあの役立たずのあべのマスク。あとからウラ話を聞くとますます腹立たしい。そろそろ収束してもいいのに未だに終わりがみえない。

遠慮してしばらくは北軽井沢の森の中の一軒家にくることもなかった。けれど、考えてみれば私は森の中にいるのが一番安全なのだ。往復は車で一気にできるから誰にも会うことはない。もっとも安全な生活なのだ。ようやく緊急事態宣言が解除されて、それでもコソコソしないと白い目で見られそうだった。

気が休まるのは刻々と移りゆく森の景色。光輝く日もあれば雨にそぼ濡れてしずくが滴り落ちる寒々した光景の日もある。どれもが新鮮で二度と同じ景色は見られない。以前より足繁く通い始めると、木々の癒やしの力がどれほどのものかわかるようになった。今までは長くて2泊、今はほぼ1周間は滞在できる。ようやくノンちゃんの家が私のものになりかかってきた。

年老いてから家を買うなんてとんでもない暴挙みたいに言う人もいた。自分でもそう思った。でも最近はだんだん元気になってゆく私を見て、あの家を買ってよかったねという人が増えた。

ノンちゃんはなんでも上等なものが好き。食器も名の通った焼き物、重くて茶色の分厚い陶器。私は薄くて軽い白や淡いブルーなどの磁器。私はいつも同じメーカーのバーゲンで買うTシャツ。ノンちゃんは厚手の絹織物や木綿の藍染などを仕立てたオリジナルの服。ニュージーランドのウールのセーターなども好みだった。私は冬でも綿シャツ1枚、その上にダウンジャケットというラフなスタイル。これほど好みに差があっても仲良しだった。

あれから2年、滞在時間が増えてくると不満なところが見えてくる。確かにこの家は細部に亘りよく考えて作られている。けれど、どうしても男性目線の家なのだ。本当に台所に立って働いたことのない人、家に人を合わさせようという目線で作られている。隅々まで作ってしまうから人はそれに合わすことになる。台所と居間の間にある変に大きすぎる食器棚。不細工で鬱陶しい。そこで風の流れが滞ってしまう。来る人だれもがそういう。

以前からそう思っていたけれど、せっかくできているのだから壊すのはもったいない。この「もったいない」がそもそも進歩を阻害している。先日楽器用の乾燥機を取り付けてくれた電気屋さんに尋ねたら、さっそく工務店を紹介してくれた。この戸棚のことだけでなく腐りかかったベランダのリフォーム、庭のはずれに流ている川に向かって階段をつけるなど、私の夢を言うと、いとも簡単に全部できますと。こんなにうまく話が通じるとは思っていなかった。工事全般なんでもありのようなのだ。

まず手始めに今日は食器戸棚の撤去とエアコン設置することになった。午後車が到着する音を聞いてドアを開けるとびっくりした。車は5、6台、中から人が何人かわからないほどたくさん。電気やさんがニコニコして「他の工事の帰りなので全員で来ちゃいました」まあ、嬉しい。狭い家に男の人がひしめいてサクサクと仕事が進む。重たいテーブルを2階から下ろすのもあっという間。工務店からも3人、誰が何をしているのかはわからないけれど、エアコンの室内機を軽々と持ち上げてさっさと取り付けて帰っていった。他には家中の照明をLED電球に替えて、私が生きている間はもう電球を取り替えなくてもいいようにしてくれた。

来年春には小川の流れにわさびやクレソンを植えたいと思っている。植物好きの姉も喜ぶに違いない。その前に本気で足を治さないといけない。階段の上り下りが辛くてはせっかく作っても使えないかもしれないので。















私の仲間たち

 「マス」の仲間はパールマンをはじめとする世界的な演奏家たち。私の仲間は飲兵衛のAちゃん、酒豪のHさんとほぼ下戸の同じくHさん。「マス」よりも大きい「サケ」をこよなく愛する人達。

酒豪のHさんは珍しく飲みすぎたと言って今朝は朝食をほとんど食べなかった。この珍しくというのは飲み過ぎのことではない。いつも彼女は飲み過ぎだから。飲んだ挙げ句に食欲がないというのが珍しい。コロナの引きこもりで家でもあまりお酒を飲まなかったため、腕(喉?)が落ちたらしい。朝食は昨日の余り物の筑前煮、卵焼き、焼海苔、味噌汁と和風に仕立てた。

昨日の昼過ぎ食料をたくさん積んだ車到着。高速を出てから地元の市場やスーパーマーケットに寄ってなにか買い込んできたらしい。そのときに昼食用にと言って、北軽井沢の名物の花豆を使ったおこわと下戸のHさんが煮てくれた筑前煮を持参。それから楽しい話が繰り広げられて久しぶりの再会を喜んだ。思えば今年はじめにコロナの感染が始まってから、ほとんどの人と会わなくなってしまった。時々電話で話をしても皆なんだかぼんやりしていて覇気が感じられない。あんなに冗談が好きで陽気だった人たちとは思えないほどだった。面白いことに、この中で一番頭の切れる酒豪のHさんが一番落差が激しい。他の人たちは普段から能天気で、それがコロナのせいか天然なのかよくわからないので。

昼食後は散歩がてら夕暮れの浅間牧場を訪れた。浅間山は頭の上に雲を乗せて、その雲と同じようなかすかな噴煙を上げていた。どちらが雲でどちらが噴煙かわからない。夕日が山や牧場を柔らかく包んで、ずっと昔子供の頃に見たような風景が広がる。懐かしいような寂しいような美しい景色だった。牧場から下って北軽井沢の交差点近くの武蔵川温泉でお風呂に入った。レトロな格子戸のある風情あるホテルで、湯上がりにくつろげるロビーは手入れの行き届いた庭園に面している。そこでしばし湯上がりのほてりをさまし、ビールが待っている我が家に戻った。

最初のうちはいつものペースにもどれなかったけれど、こうして集まると徐々に調子が上がってきて夜中まで話題は尽きない。酒豪のHさんはコロナ謹慎中は家ではほとんど飲まなかったそうで、飲むにつれピッチが上がっていく。すっかりへべれけになって寝てしまった。それで今朝の朝食が食べられなかったというわけ。

今日も暖かく晴天でほとんど無風。それで去年は完成したばかりでまだ貯水のできていなかった八ッ場ダムを見に行くことにした。去年完成後すぐに台風が来て、全国にとんでもない水害を起こし信濃川が反乱した。その台風のときに八ッ場ダムは一気に満水になった。去年はまだ水没していない街と鉄道の線路が見えた。これらがすっかり水の中に沈んでしまった。そしてその周囲は紅葉の名所。両方見られる。北軽井沢からはさほど遠くなく、山の中を進んでいく。酒豪のHさんはこのへんから従来の切れ味を発揮し始めた。めっぽう方角に強い。方向音痴の私は一回角を曲がるともう西も東もわからなくなるというのに、彼女は常に自分の居場所を心得ている。

八ッ場ダムは去年とは打って変わった景色になっていた。満々と水をたたえて紅葉の山を背景に静かに佇むダム湖。この下に一つの街がすっぽりと埋まっているのだ。

もう一度北軽井沢に戻って私だけ自分の車に乗り換え、そこから御代田にある地粉やというお蕎麦屋さんに行くことにした。もう昼食時間をだいぶ回っている。お店に到着したときにはすでに本日の分の粉は終了していた。お蕎麦が食べられないのでは意味がないから、少し戻って浅間サンラインの入り口そばの「きこりや」という蕎麦屋へ行った。「地粉や」のお蕎麦がぜひ食べたいという下戸のHさんのたっての希望だったけれど、「木こり」も十分美味しい。そこで食事の後、私は山を登って帰宅、客人たちは東京までの長いドライブ。道中の無事を祈った。

今夜はまた一人ぼっち。みんなが残していったおせんべいをかじったり、チョコレートをつまんだり。これがいけない。体重が増えると膝や足首が痛くなる。

せっかく来てくれたのに一泊しかできないのは残念、友人たちまだまだ現役で頑張っているから仕事の都合で仕方がない。私は彼らが早く失業しないかと密かに願っているのだ。誰かが一緒にいる、それはそれで煩わしいかもしれないけれど、でも幸せなことなのだ。でも尊敬する我らが同士は皆さん生涯現役を貫き通すだろうと思う。頭も体も超丈夫な人たちだから。何だかんだ言いながら私は一人でいるのが好き。でも自分よりももっと好きな人ならずっと一緒にいられるのだろうな。今は猫が我が友。その同居人(にゃん)は北軽井沢に来る前は風邪気味で調子が悪かった。けれどこちらに来ると自宅にいるより食欲が進むらしい。今はすっかり元気になった。












2020年10月26日月曜日

鱒シューベルト 仲間たち


面白い動画みつけ「ます」た。
音楽仲間たちと時々面白いと思うヴィデオを回してみたりしていた。とくにコメディアンのダニー・ケイがニューヨークフィルハーモニーと共演した抱腹絶倒のヴィデオは回しているうちに消滅、今頃は誰かの家の棚でホコリまみれになっているかも。その中の一つがこれ。シューベルトの「ます」は何回弾いても難しい。今までどれほど弾いたかわからないけれど、一回として満足できた試しがない。特に4楽章のヴァイオリンのオブリガートは音程が難しい。でもこの動画ではパールマンがお構いなしに音をはずしている。
私が持っていたCDは、外国のあまり名の知られていない演奏家たちのものだった。その難しい音程のところで驚いたことに1オクターブ音を下げて弾いていて仰天したことがある。こんなのあり~?
たぶん録音のディレクターが何回駄目だししてもうまくいかずの苦肉の策だったのではと思うけれど、これでは赤っ恥、多少外れても、元の音域で弾くべきでしょう。
そもそもここは多少の音程など気にしないで弾いたほうがいいのかもしれない。パールマンでさえも外しているからこれでいいのだ!
ヴァイオリンのハイポジションの半音階は特に難しい。なぜなら半音の幅は指の幅より小さい。だからどれほど気をつけても瞬間的に外れる。特に外国人の太い指では指をずらさないと音程が高くなってしまう。彼らは指をずらしながら早いパッセージも弾くのだから神業。
次回この曲をひくときにはのびのびと弾こう。
私の友人が言ったことは、シューベルトは神経質になってはいけない、と。

パールマン、ズッカーマン、デュプレ、メータ、バレンボイムのメンバーでは怖いものなし、特に私はデュプレの才能が素晴らしいと思った。彼女の伝記映画を見て「見なきゃよかった」と暗い気持ちで帰ってきたことがあったけれど、神様は才能を与えると同時に苦難もおまけに付けるらしい。
だいぶ前だけれど、私はメータ率いる「世界オーケストラ」のオファーがきたことがあった。これは世界中のオケマンたちが国境や所属を超えて一緒に演奏する。せっかくのチャンスなのにどうしても外せない仕事があって、涙を飲んだ。曲目はマーラーの5番。未だに悔しくてたまらない。私の演奏経験に花を添えられたのにと歯ぎしり。

それにしてもこの動画のなんと生き生きしていることか。日本人どうしでこんな弾き方したら、叩かれる。これが私のイライラのもと。
でも次回私と「ます」を共演してくれるメンバーはツワモノ揃い。今度こそうまく弾けそうな気がする。





紅葉する山々

今朝7時頃出発して10時半頃北軽井沢に到着した。途中休みを多く入れて足や腰に負担がかからないようにと思っていたけれど、結局自販機で水を買っただけで走り続けてしまった。

その代わりと言っちゃあなんだけど、高速以外の道路で信号待ちの間は盛大に貧乏ゆすりをすることにした。これが意外と効果的かもしれない。今日は車を降りたときに足が重くなくすっと前に出た。いつもなら地面に足をつけてやおら立ち上がり、数歩ゆっくりと歩かないとちゃんと歩けないけれど、今日は調子がいい。やはりくるぶしの血流の問題かもしれない。貧乏ゆすりが癖にならないように気をつけないと、知らない間に人前でやっていたりしたらみっともない。

高速道路を降りて山道を軽井沢方面へと車を走らせていると、見事な紅葉が見られる。特に軽井沢付近はよく手入れがされているので美しい。中軽井沢を過ぎて山道に差し掛かると少し色合いが地味になって、上の方が紅葉が早いかと思ったらまだそれほど色づいていない。気温は上の方が低いはずなのに、これも人の手入れが行き届いている軽井沢とあまり手を加えない北軽井沢のちがいかもしれない。

浅間の初冠雪は先週だった。今朝見たらところどころ斑に白いものが残っていたけれど、ほぼ消えていた。昨日追分から帰った友人があまりの寒さに震え上がったと言っていたけれど、ほとんど寒くはない。薄着の私は普通の綿シャツに薄いジャケットで事足りた。明日来る人たちに寒いからダウンジャケットを用意するように伝えたけれど、暑すぎて汗だくになるかもしれない。寒くて風邪引くよりはいいかと思って、そのままにしてある。

森の中に入ると薄い黄色や赤く色づいた木々が煙るように見える。軽井沢近辺のいかにも造園業者の手で作られた紅葉の配置は輪郭がはっきりしていてお見事!でも私はあまり手入れがされていないほうが好き。ドングリの実が沢山落ちている。森のくまさんたちの冬眠の用意はできたかな?今年はコロナの影響で北軽井沢に来てくれる人は少なかった。来年は毎日沢山来てくれるように祈っている。ここを拠点に志賀高原や白根山や草津にも行けるから、来年こそは沢山の人が来てくれますように。

先日北軽井沢に小さなスキー場があることを発見した。いつもピクニックに行く浅間牧場の近くらしい。と言うことは、我が家からは10分たらずでいけるようだ。それだったら毎日1,2時間ほど軽く滑って、いい運動になる。今回滞在中にスキー場探索にでかけよう。ゲレンデは初心者向きであるらしい。けれど、もう初心者用で十分!好んでコブに挑んだり、凍った急斜面に喜んだ日は過ぎ去った。しかし、まるで自宅の庭にゲレンデがあるみたいではないですか。これは嬉しい。

一つ問題は、私は今までちらっとでも雪が降ったら車は運転しなかった。だから、とても怖い。だれか雪道が運転できる人に乗せていってもらわないと走れないかも。それとも若い頃のような無鉄砲さで雪道挑戦してみようかしら、なんて。やってみたら案外とできるかも。それは年寄りの冷水ならぬ年寄の冷雪といわれるかもしれない。

なぜためらっているかというと、手の力が極端に衰えていて、車が雪に埋もれたりしたら自分では出せないから。なんせ、ペットボトルの蓋も開けられないこの頃なんだから。

一番いいのは地元でスキー友達を見つけること。毎日車で迎えに来てもらって少し滑ったら帰る。これはいい。パートで送迎してくれる人を探してもいい。タクシーでもいいし。






2020年10月24日土曜日

嬉しい訪問客

以前の生徒たちが全くヴァイオリンをやめてしまってもなお、私に会いに来てくれるのが嬉しい。夏の合宿と称して9月はじめにも数人が、昨日は大学に勤務している一人暮らしの女性が訪ねてきてくれた。近所のイタリアンレストランでランチを食べて、近況の報告を受けて、しっかりと生きていることが確認できた。女性が生きていくのが難しい日本の社会で、独り立ちして慎ましくも穏やかに生活しているようだった。

男性の元生徒からはお話がしたいですと連絡がきた。コロナが下火になったらねと言っておいたけれど、いったいいつ頃になることやら。それに私はいつからヴァイオリン教師ではなく、カウンセラーになったのか。大人の生徒は面白い。皆社会人として立派に活動している。建築士の元生徒はどうしているだろうか。彼女はあまりにも仕事が忙しく中々レッスンに来られない。夕方近く、たまにはおいでと言おうと思って電話したら、まだ昼寝の延長、ガラガラ声ですみません寝てましたと。それ以来、彼女に電話しないようにした。現場でヘルメットをかぶって男性に混じって働いていると言うからなんて格好いいと感心していた。彼女は15年以上に亘り月謝を払い続けて、私の生活を支えてくれたのにレッスンの回数はほんの僅か。気がとがめて仕方がない。その後会ったときに自分の事務所を持ったと言うからすごい!

私が最近足腰が弱り髪の毛も白くなったので、自分たちが保護しないといけないと思う人達が増えた。先日私とほぼ同年代の人たちのコンサートを聽きに行ったら、ステージのひな壇を降りる足元がおぼつかない。共演者と手を差し伸べあいながらゆっくりと降りているのを見て、自分もはたから見るとああなんだろうなと思う。北軽井沢に来週友人たちが来てくれる。何もしないでいいよと彼らは言う。客人になにもするなと言われてもそういうわけにはいかない。でも、あれもこれも作っていくからと言うので、家主をやめて客になろうと思う。

以前から自宅の駐車場に喫茶店を作ったらいいじゃない?と言われてきた。そう、私は話し好きだし沢山友人がいるから、もしかしたら天職かもしれない。ただ一つ重大な欠点がある。嫌いな人はすぐに顔に感情が出てしまう。目の前は桜並木、人通りも多い。なにより駅から7.8分なので、自宅と駅が少し遠い人には中間点の休憩所になる。私の姉も駅まで買い物に行くと帰りがけに、うちの駐車場においてある椅子に腰掛けて足休めをしていく。野良猫も集まって天然の猫カフェにもなる。

ここ数日の足の悩みの原因はたぶん食べすぎ。

体重があるレベルを超えるとたちまち痛みに襲われる。だからダイエットしないといけないのに今は運動不足がたたって、体重が減りにくい。更に代謝も落ちているから同じだけ食べると以前よりも太ることになる。食べる量を減らすのは悲しい。

古典音楽協会の仲間から、なにかの手続きに必要なので数年前の定期演奏会のチラシが欲しいけどある?と言ってきた。私は過去の資料はほとんど捨ててしまう。だから持っていないので他のメンバーに電話やメールで問い合わせてみた。今年の3月、9月、来年の3月のコンサートが中止になって、最近会っていないので懐かしい。嬉しそうに元気な声が聞こえてきて、皆大丈夫なことが確認された。皆に会えて一緒に演奏できるのはいつのことか。






2020年10月22日木曜日

病院へ

右足のムズムズ感と痛みなど、関節自体よりも血流とか神経とかに依るものだと思われたので、新しい病院に行った。かかりつけの内科の医師に紹介状を書いてもらって、午前中に訪れたのは某医療センター。いつもは近所の整形外科で診てもらう。しかし、いつ行っても同じ処方で痛み止めの湿布と足首のサポーターなどくれるだけ。それで別の整形外科にも診てもらうことにした。

友人が非常に良かったという病院で、彼女の推薦があって行ったのは良いけれど、恐ろしく混み合っていて、10時の受付から約2時間半待たされ、お腹は空くし病院がそもそも嫌いなので居心地が悪い。これなら近所の総合病院へ行けばよかったと思った。やっと初診の部屋に通されお決まりのレントゲン撮影。しかし、所見は前の病院と同じで特に新しいことは言われない。おまけに処方されたのはかかりつけの内科医と同じ薬。紹介状に書いてあった処方を見て、この薬は効きましたかと聞かれた結果。これなら近所でもらったほうがいい。

次の予約と言われてももう来る気はしないから、断ったら必死で迫られてつい予約したけれど、これはもうキャンセルだなあとすごすご帰って来た。帰りがけに楽器屋さんに寄って絃を買うために渋谷へ出た。渋谷は音楽教室に勤めていたころ毎週通った場所だけれど、相変わらずあまり好きにはなれない。それにコロナの流行っている今、こういうゴミゴミした場所に居るのは危険だから用事が済むと一目散に帰ってきた。今日は足の状態が非常に良くて歩くのも大丈夫だったけれど、人混みで疲れたら又足が痛み始めた。

ネットで調べたら足の血流を専門にしている医師が居ることがわかったので、次はそこに行こうと思う。今日の医師は、痛み止めとビタミン剤でとにかく他に手の施しようが無いという。そんな馬鹿な!私がこれから何年生きるか知らないけれど、生きている間中、足の痛みや痺れと付き合えとでも言うのか。信じられない。

絶対なにか方法はあるはずなのだ。これから足が健康でいるならなんでもする。加齢だから仕方が無いなんて馬鹿な。生き生きと生きるためには足の健康は一番大事なのだ。もっとも反省材料は自分にあって、運動不足、長時間の運転、パソコン操作、過食、体重の増加など。これはずっと以前からの問題なのに放置してきた自分が悪い。まずはダイエットと思ったけれど、コロナ時代で仕事はなく、家から出られず、食べることしか楽しみはない。

家にいることで中々良かったこともあるけれど、人はやはり仕事をやめてはいけないとつくづく思った。女性であっても老人であっても、自分が生きていることが意味のあることでないといけない・・・とぼんやりと考えた。待合室で待たされている間、瞑想でもしようかと始めてみた。すっかりご無沙汰の瞑想だったけれど、やり方は自然に思い出せるのが不思議。私の最近の記憶力の退化では絶対の思い出せないはずなのに、何十年も本当に良く覚えているものだと我ながら感心した。こんなふうに数年に一度しかしないのでは効果は望めないものの、待たされているイライラは少し軽くなる。

本当なら北軽井沢の森の中は最も瞑想に適しているけれど、あちらに行くとやることがたくさんあって働きすぎる。来週はキッチンとリビングの間にある不細工な食器棚を取り払う予定。この食器棚は例えて言えば、不器用で体ばかり大きい人がでんと座り込んで交通の邪魔をしているようなもの。材質が良くてよく考えて作ったらしいことは認めるけれど、女性だったら決してこんな作りにしないだろうと・・・これは私の周囲の女性たちの意見で「男ってほんとに全く」と鼻息荒く息巻く。自分で家事をしない人が家の設計したらしい。ノンちゃん、悪いけどこれは撤去ね。ごめんなさい。

浅間に冠雪と聞いて震え上がった。本当に北軽井沢は寒い。早くも管理者から水道などの水抜きの案内が来た。とりあえず来週に間に合うように燃料タンクを満タンにするように頼んだ。今年はコロナの自粛ムードで夏に行かれなかった。田舎暮らしは足が命。早くなんとかしないとスキーにも差し支える。







2020年10月18日日曜日

運転しすぎ

足の痛みはどうして起きるのか考えた。最近1週間おきくらい に北軽井沢まで通っている。このとき休憩を入れずに一人で運転しすぎるのではないかと。車の運転は本当に好きで、長時間していてもほとんど疲れない。ハンドルを握ると心が落ち着く。普段イライラせっかちなのに、運転するときは急に穏やかになる。けれど、これがいけない。カーナビが途中で「そろそろ休憩しませんか?」とうるさく言うので次回からはそれに従うようにしようと思う。

カーナビに支配されるのは癪だけど、いつまでも若くはないという自覚はあるのだから、老いては車に従えを実行。昨日は腰痛用のコルセットを着けて鎮痛剤を飲んで寝たら、今朝はもうほとんど痛みは消えていた。このようにいきなり悪くなったりあっという間に良くなったりを繰り返して、だましだまし体を使っている。コルセットで笑えたのは、10年ほど前に作ったものが、その当時より体重は減っているのにウエストがきつい、重力に意地悪されてすべて下に落ちてきたということ?

腰が痛かったり田舎暮らしのときには車は本当に便利。けれどこれが腰には良くないのだから、このへんはどこまで許容するかのせめぎ合いとなる。特にコロナ感染が起きてからは電車に乗るのも怖いから、今まで電車で移動していたところも車で行くことが多い。

突然友人から電話がかかってきて、私が歩けないという噂が野火のように広がっているらしい。「明日からは休みだから自分が運転手になるから車がほしいときはどうぞ」というありがたい申し出があった。涙が出ますねえ、こういうのって。ちょっと一人に愚痴をこぼしたら、もう人助けの輪が広がっている。みなさん本当に親切。であるけれど、私はほとんど人様に親切にしたことがないから、こんなご厚意を受ける資格は無い。むしろ意地悪することのほうが多いと思っているけれど、その意地悪を意に介さないほどの太っ腹の友人たち。うん、本当に皆さんお腹が太・・・なんて、罰当たりだねえ。

とにかく明後日あたりから病院へ行くことにした。もう痛みはなくてごく普通なんだけれど、この際検査しておくいい機会だと思っている。北軽井沢に行き始めてから、嗅覚障害が治ってきたような気がする。先日の車の中での猫の粗相も以前なら気がつかなかったかもしれない。そして匂いがわかるようになったら、世の中にこんなにも匂いが充満しているとは。敏感な人はたまらないと思う。最近電車の中で、衣類の洗剤や柔軟剤がミックスした匂いで具合が悪くなる人が多いと聞いた。それで電車に乗れなくなったりするらしい。

匂いもそうだし音も避けられない。コロナで今までの場所が使えなくて、今日は英語のレッスンをファミレスで受けていた。最初に自分が行ってテーブルを決めた。明るくて静かな場所を選んだつもりだったけれど、突然子供を3人連れた人たちがドカドカと隣のテーブルに現れて、そこからは修羅場。泣きわめく子供と声を一段と大きくして叱る母親に、私がボソボソと読む声が聞こえず、いつもより大きな声で読むので疲れた。見るのは目をつぶればいい。けれど、匂いや音は避けられない。

車提供の友人の電話で、浅間に雪が降ったとの情報も舞い込んできた。そろそろ雪の季節。いつもならスキーシーズン間近とワクワクするところだが、スキー場のホテルはコロナのクラスター発生の危険地帯とも言われる。そうかと言ってゲレンデにテントを張って寝るわけにもいかない。次のシーズンは、はたしてどうなることか。半世紀以上の私のスキーのキャリアもここでおしまいとなるかどうか。今年はなにもかもなくなって、でも再開の喜びもあって、トータルでそれほど悪いことばかりじゃない。






2020年10月17日土曜日

着々と

北軽井沢から帰ってきました。

猫を連れての移動はなかなか大変、週明けの月曜日出発したので道路が混み合っていて 、高速に入るまで時間がかかった。その後は順調に走ったけれど、途中で車の中に異臭が。私は嗅覚障害があって普通なら匂いがわからないけれど、その私でさえわかるくらいの匂い。猫のものは素敵に臭い!出発する前に猫トイレの点検したらほんの少し汚れていたので、今日はそんなものかと思ったのが甘かった。

北軽井沢の家に到着して大わらわでケージの掃除洗濯、猫はしれっとしている。猫の小間使いは大変なのだ。ただでさえ到着後は忙しい。家の換気から食器洗い、寝具の用意、冷蔵庫の点検、食材の買い出し・・・など。特に森の中は湿度が高くカビが生えていないかどうか、心配の種がわんさかある。今回は水曜日から友人のピアニストのSさんが泊まりに来るので、カビだらけの部屋なんてことがないように気を使う。この家を使い始めてからいままでカビが生えたことは一度もなく、この湿度では上出来。だから帰り際の後始末には特に神経を使う。風呂場は前夜から換気扇を回しっぱなし、夜でも寒すぎない程度に小窓を開けておく。今回もこざっぱりとした顔で家が迎えてくれた。

そろそろ寒さが厳しくなるからベッドに電気敷き毛布を敷いて、なるべく掛ふとんは重くならないようにする。北軽井沢用にと厚手の羽毛布団を通販で買ったら、もう暑すぎてまいったので、下からやんわりと温めることにした。最弱の温度に設定すると敷毛布を使っているのかどうかもわからないくらいの低温だけど、ほんのり温かい。猫と共有できるように長枕を用意。これで朝目が覚めたとき、猫に枕を占領されて私はまくら無しで寝ている事態が回避される。

2年経ってやっと自分のものになったようなノンちゃんの家は、あと少しだけやることがある。まずキッチンとリビングの間に立ちはだかる、ごっつい備え付けの食器棚の撤去をする。設計者が何もかも設計しすぎて、人間の動きが阻害されている。特にこの食器棚は来る人毎に不評なのだ。キッチンとリビングが分断されて風が通り抜けない。食器棚の扉は両開きでそれを開けると人が通れなくなる。一人で調理しているときはいいけれど、複数で働いているとその扉に邪魔されて、料理や冷蔵庫の出し入れなどがスムーズにいかなくなる。悪評サクサクのものが今月中にはなくなると思う。そこに少し小さめの出来合いの食器棚を入れる。材質も立派な食器棚だけれど、女性たちの「男は馬鹿よねえ」という悪評をさんざん受けたもので、見るからにセンス悪い。(設計者は男性)

他にテラスの拡張や庭の下を流れる小川に向かう道に階段をつけるとか、色々工務店に頼んであるけれど、今年中にできるのは食器棚の撤去だけかもしれない。この撤去が終わればいよいよ電子ピアノを運び込んで、ここでミニコンサートができるようになる。エアコンは今月末には設置できるので、楽器が喜ぶ。電子ピアノの置き場が決まらず、そのために少し階段を削らないといけないかもしれない。やれやれ、自分好みにするなら、最初から自分で作ったほうが早いかもしれないけれど、ノンちゃんの家は本当に素敵な家。ただし、男性目線の設計でなんともはや、肝心の台所がだめとは!

このようにせっせと改造が進む中、私の足に異変が。いままでも痺れや痛みがあってだましだまし使ってきたけれど、今回は特に歩けなくなるほどの状態になった。椅子から立ち上がるとあるけるようになるまで10秒ほどかかる。体制を整えてようやく一歩を踏み出す。電車の座席から立ち上がったときに、前の席の男性が心配そうにこちらを見ていたこともある。見ていないでお姫様抱っこしておろして頂戴と言いたくなったわ。散歩の途中であるきにくくなったとき、小雨模様だったので持っていた傘を杖代わりにしたら具合がいい。生まれてはじめて杖をつきました。生まれたときは4本足、その後は2本足、最後は3本足のものなあに?ってスフィンクスの難題。

ついに我慢できないほどの痛みになって、大嫌いな病院へいくことにした。友人Mさんが紹介をしてくれたのは東邦大学病院。彼女はそこで手術の日程が決まっていたのに、ある先生の大英断があって手術が回避できて今はすっかり治ったと言うから、そいつは素晴らしいと思った。それで同じように診てもらうために、かかりつけ医に診断書を書いてもらった。

今年3月に足の違和感を訴えて、足梗塞の検査をしてもらった。足にも脳梗塞のような血管の疾患があるという。しかし、検査の結果は、血管年齢50代と出た。カルテを見て「あら、50代?」と言ったら、医師が「そうなんだよ、良すぎるんだよ」と。良すぎるということはなかろうに。それなら足梗塞の心配はないかと思う。

紹介状を書いてもらって病院を出たら歩けない。足のどこということもなく痛い。それでも食い意地が張っているから、新しいお店を見つけてお昼ごはんを食べることにした。どうやら飲み屋のランチらしい。さんざ飲んだあとに締めに食べるご飯物、量は多くなくてとてもいい。ちらし丼を頼んだら、具沢山の豚汁とサラダがついて700円。いい店を見つけた。

隣町の病院からはいつもなら自宅まで歩いて帰る。ちょうど30分くらいの距離だからいい運動になる。けれど、今日は歩けない。やっとこさ駅まで行って一駅電車に乗って帰ってきた。自宅最寄り駅で降りても足が痛くて歩けないから、駅そばのドトールで一休みする。ようやく自宅にたどり着いて、生まれてはじめて痛み止めを飲んで眠った。痛みには強く今まで一切飲んだことがなかったのに。起きたら少し楽になっていた。

私は検診の結果、いつも異常に数値が良い。たいていの数値は15才から20才くらい若い。数値は若いけれどちゃんと年はとっているから、今回のようなことがしばしば起きる。人生のフィナーレに最後まで健康でいられるように、病院嫌いはなおさないといけない。今まで放置していた足の治療を始めることにした。足の機能が20才若いと言われるようになれるかどうか、乞うご期待!








2020年10月10日土曜日

鬼が笑う

 来年のことを言うと・・・さあ、皆さん笑って笑って!

来年のことでまだ先の話だけれどあるコンサートの企画を任されて、楽しいったらありゃしない。私は弾くのもすきだけど、こういうことが大好きなのだ。特にコロナでコンサートが中止になって皆さん暇を持て余している。業界の売れっ子たちはいつもならスケジュールが一杯で中々つかまらないのに、ほいほいと引き受けてくれる。いいメンバーが揃いました。

私は卒業してオーケストラに入ってすぐに、当時のコンマスの鳩山寛さんにスカウト?された。私が入団テストに彈いたベートーヴェンの協奏曲がお気に召したらしい。当時彼はハイドンのカルテットの全曲演奏を目指して、コンサートを重ねていた。そのセカンドヴァイオリンを彈かせてもらい、そこから次々と別の企画にも参加させてもらった。とんでもなく幸運だったとしか言いようがない。

彼はアメリカのタングルウッドの音楽祭に参加して、当時はミルシュテインなどとも共演したらしい。ただあちらでの生活が長かったから、あまりにもアメリカナイズされて自己主張が強く、帰国してからは昭和初期の日本人には評判が悪かった。徹底した個人主義で権利の主張もはっきりしていたので、浪花節的心情に合わず、随分悪口を言う人が多かった。それでまるでヴァイオリンまでいけないように言いふらされて、孤立無援だったようだ。

そこにふらりと私が現れて、弾けるものなら何でも彈きたいというスタンスだったから随分重宝された。おかげで下手くそな新人がめったに経験できないほど沢山の演奏をさせてもらった。それが今の私を作ってくれたのだった。

ハトカンさんのすごいところは、アンサンブルの力。私は時々彼のセカンドヴァイオリンでファーストヴァイオリンを弾かせてもらった。内声はメロディーを彈かないから大抵はファーストヴァイオリンより地味な人が受け持つけれど、彼が内声を弾くと私は思うままになんの心配もなく歌うことができる、というより、歌わされてしまう。これはすごい。セカンドヴァイオリンというものはこうやって弾くものだと教えられた。歌のオブリガートなどは絶品だった。ある時スペイン人だったと思うけれど、女性歌手が来て歌ったことがあった。その時のハトカンさんのオブリガートは皆を唸らせた。その歌手も大喜びだった。

うまいヴァイオリン弾きはその後続々と現れて、日本人も海外のコンクールで上位入賞することが多くなった。けれど、あれ程のオブリガートを弾ける人はめったにいない。彼のことを悪く言う人が多いけれど、私は自分の恩人だと思っている。出発点が良かったから、その後私は次々と素晴らしい共演者と弾くチャンスが舞い込んだ。経験を沢山したので知識も豊富になったのが、今回の企画を任されたことにつながっている。

コンサートの初っ端はたいていモーツァルト。ひたすら好きなので途中もモーツァルト。ややモーツァルト過剰のきらいはあっても、全体のバランスの中に上手くちらせば、上品な味わいになる。一家に一台モーツァルト、ご家庭の味にはアマデウス印のだしの素をどうぞと言うわけ。アマデウスくん、君に逢いたかった。

ずっと演奏会がなくて、もう年も年だから「引退」の文字が脳裏に浮かんだ。でもこんな楽しいことを手放してなるものかと、心境が変わった。サボりまくっていた練習を始めると、やや衰えてはいたけれど、今後の鍛え方で変わってくれる・・と信じている。いや、信じないとやっていけない。久しぶりのステージ、怖いだろうなあ、ブルブル。

でも来年の話なので、いまから心配してもどうしようもない。この楽天的なところが私の取り柄でもあるけれど、一番あぶない落とし穴になるときも。演奏が終わったら拍手じゃなくて客席が大笑いだったらどうしよう。そうなったら落語家に転身かな。









2020年10月6日火曜日

用心深すぎて

 コロナ型肺炎が蔓延し始めてから毎日気の休まることがなかった。日本人のコロナに対する恐怖は世界的にも異常に高いそうで、ヨーロッパ人などの40%に比べると70%ほどだという。テレビが恐怖を煽っているというけれど、やはりこの感染拡大の状況を見ると、とても安心なんてしていられない。

それ見たことかとは言わないけれど、あのトランプ大統領も感染して彼はさぞヤキモキしていることと思う。大事な大統領選の最終段階だと言うのに。アメリカではマスクをしない自由というのがあるという。自由であっても、しないのはお馬鹿さん。していれば随分感染率が下がると思えばマスクをするくらいなんでもない。自己主張がすぎるのもなさすぎるのも良くないけれど、やった方が良いというならすればいいじゃない。心が狭い。

コロナを大げさに考えすぎている、熱中症のほうがよほど怖いという人もいるけれど、そもそも感染症と感染しない熱中症を比べること自体間違っている。熱中症は自己管理できる。室内の温度を下げ水分を摂り、過激な運動をしない。自分がかかっても他人にうつすことはない。死亡者数が多いと言っても、それは感染したからではない。だからコロナと比べることはできない。

私は熱中症になりやすく、その上コロナ感染までしたら大変だから極端に用心している。最近は自宅と北軽井沢の往復と食品を買いに近くのスーパーに行くだけの生活。最近外出したことはピアノ合わせで友人宅へいったことと、パヴァロッティの映画を見に行ったことくらい。北軽井沢でも林の中を一人で散歩している。いつもにぎやかに暮らしていた頃が随分昔だったような気がする。しかし、これも中々いいものだと思うようになってきた。

私の人生はトータルすると運がいい。それなりに山あり谷ありだったけれど、希望したことはたいてい叶った。だからコロナに避けて通っていただきたいのだけれど、こればかりはあちらの都合次第。社会に与える影響は凄まじいらしく、今までのつけが経済界にも大損害を与えているという。だから怖い怖いとばかり言っていると活動が妨げられる。それでもGo toキャンペーンは感染拡大の原因になるのではないか、それならもっとゆっくり活動を回復したほうが良いのではないかと思うのは生ぬるい?

今の私は半分引退している状態だけれど、それでも仕事が復活し始めている。お声がかかるとやはりしっぽを振って家から飛び出していく。これもはたから見れば、あんなに用心していたのに元も子も無いではないかとお叱りを受けそうだけれど、とにかくうれしい。本当に仕事が好きなのだと改めて認識した次第。急に生活が生き生きしてきた。

やっと涼しくなって熱中症の危険が少なくなったのが、私にとっては救いとなっている。眠っている間に気分が悪くなって、目が覚めるといつも足が攣って、これも熱中症の症状だと聞いた。始めはコロナにかかってしまったと毎朝思って心配ばかりしていた。マスクをして人との距離を保ち換気をすればある程度防げるなら、そのとおりすればいい。それさえわかれば、それほど怖がらなくてもいいと、最近は開き直れるようになった。今はウイルスと共存しないと仕事もできないなら、トランプさんみたいに頑なに拒否しないで一生涯でもマスクをつけていられる。マスクは顔半分隠れるから、化粧なしでも外が歩ける。といってもお化粧はほとんどしないので変わりはないけれど、少なくともあまり美しくないものを露出しないですむし表情が見られないので助かる。すぐに顔や態度に心が出てしまうので。

人と違って、犬は人が自分のことを好きか嫌いか匂いで分かるらしい。私が犬に好かれるのは、好きだという匂いを出しているから。犬に噛まれる人は、犬が怖いという匂いを出すらしい。人も自分が好きなら向こうも好きだと思ってくれるかと言うと、そうはいかない。人は複雑で匂いだけではすまない。これが人生をややこしくしている。そこが面白いところでもある。


2020年10月1日木曜日

大慌て

北軽井沢での生活はのんびり温かい日差しの毎日、コロナ禍を忘れさせてくれる貴重な時間だった。今週半ばからの所用のため帰宅する予定の日、その日の朝帰るか夕方帰るか考えていた。Y子さんと2日ほど前、美味しいプリンの店を見つけ、そこでランチもやっているというのでランチを食べてからでも 遅くはないと、出発は夕方からあとにすることにした。

待ち合わせの時間、先に店に行ったY子さんから電話が入った。店は定休日だったと。それから忙しくあたりのレストランを探したけれど、どうやら北軽井沢では水曜日定休の店が多いようだ。めぼしいお店はどこも休み。そこで毎度おなじみ、浅間牧場へコンビニのお弁当を買ってピクニック。このところずっとピクニック日和が続いている。晴天、微風、浅間が美しい姿を青空に伸びやかに見せている。毎日見ても見飽きない景色の中で食べるのは、コンビニ弁当でも最高のごちそうとなる。

のんびりと過ごして、さて、少し昼寝をしてゆっくり帰ろうかと思っていた。午後3時ころ、携帯に着信があって、相手は救急隊。私の義理の妹が路上で転んで頭を打ったので、すぐに立川の救急医療センターにくるようにと。

この妹は義理の弟の奥さんで、義弟もなくなっていて子供もいない。救急隊は、彼女は一人暮らしで誰に連絡していいかわからないから、携帯のアドレス帳にあった私の番号にかけたという。私にかけられても私は北軽井沢にいるので、そこから帰宅してから病院へ行くとなると5~6時間かかると言うと、とにかく親戚などの承認がないと緊急手術などの治療ができないから来てほしいと言う。ほとほと困った。

帰宅するつもりで荷物はまとめてあったけれど、なんせ猫がいるので病院へ直接行くことはできない。猫を自宅に戻してから病院へ向かうと家からは1時間半以上はかかる。しかし、行くしかないかも。他の親戚は老人ばかり。その子どもたちのことはよく知らないし、連絡先もわからない。とりあえず義理の兄に連絡すると運良く電話がつながって、自分が行くから大丈夫だと請け合ってくれた。しかし、もう80歳を数年超えた義兄が出かけるのは大変なので、私も帰宅次第駆けつけますと言ってとりあえず車を出した。

気がせくときはスピードを抑えて、いつもより慎重を心がける。私は常におっちょこちょいでせっかちなのに、なぜかハンドルを握るとゆったりした気分になって人格が変わる。うしろから追い越しをかけてくる車には進路妨害しないように道を譲る。追い越してから他の車の前に入るときは、後車のライトがバックミラーに写ってからはいる、とまあ、優良運転手の鑑となる。これが実生活ではぜんぜんだめで、怒る、すねる、悪口を言う・・・だから毎日車のハンドルを手にぶら下げていればいいのではないかと思う。ヴァイオリンとハンドルと両手にぶら下げて歩くのは中々見ものではある。ハンドルは精神安定剤。

途中義兄から連絡があって、義妹は集中治療室に入ってしまって会えない状態でなにも出来ないから、来なくてもいい、自分ももう帰るからと言う。

行ってあげたいのは山々だけれど、ホッとした。3時間超えの運転のあとで、これ以上運転するのはいささかきつい。かと言って電車に乗って病院へ行くのも夜になると辛い。命に別状はないらしく、ホッとしたのでドット疲れが出た。猫も私も爆睡して今日は少しぼんやりしている。

考えたのは老人の一人暮らし。今回のことは他人事ではない。私は検診の結果の数値は極めて良好、それでも人並みに膝や足が痛む、頭の中はぐちゃぐちゃ、自分もいつどうなるのかわからない。保険証の裏側に緊急連絡先が書いてあるけれど、近所を歩くときまで保険証を持っているわけではない。そのへんもちゃんとしないといけない。歳を取ると思いがけないことが起きる。自分は大丈夫と思っている事自体があぶないのかもしれない。