ノンちゃんの家を引き継いでから早くも2年経ってしまった。その間の私はさまざまなストレスがあって、めっきり白髪が増え足腰は最悪な状態になってしまった。ようやくじわじわと元気をとりもどしてはいるけれど、以前の元気は半減している。
コロナのせいで仕事がなくなりコンサートも全滅でかなり暇ができた。忙しいときにはゆっくりしたいとため息をつき、もう少し時間があればちゃんと練習できるのにと思っていたけれど、コロナによるストレスはそんな儚い望みをことごとく吹き飛ばしてくれた。時間はたっぷりある、練習しようと思えばいくらでも続けられる、でも聴いてくれる人のいないコンサートでは練習する甲斐もない。
コロナに無知だから一体自分はどうすればいいのかわからない。友人たちにも会えない。会って感染したらお互いに気まずい。毎日テレビの感染者数に怯える。少しでも具合が悪いと、もしかしたら感染したのかと落ち着かない。そのストレスたるや大変なものだった。当然元気はなくなって次第に沼の底に落ちていくような虚脱感を覚える。そして始まった足の痺れや痛み、歩けない、無理に運動すると夜中に足が強烈に攣る。
それでテレビは見ないことにした。毎日毎日コロナの話。もううんざり。右往左往する政治家たち。未だに腹の立つあの役立たずのあべのマスク。あとからウラ話を聞くとますます腹立たしい。そろそろ収束してもいいのに未だに終わりがみえない。
遠慮してしばらくは北軽井沢の森の中の一軒家にくることもなかった。けれど、考えてみれば私は森の中にいるのが一番安全なのだ。往復は車で一気にできるから誰にも会うことはない。もっとも安全な生活なのだ。ようやく緊急事態宣言が解除されて、それでもコソコソしないと白い目で見られそうだった。
気が休まるのは刻々と移りゆく森の景色。光輝く日もあれば雨にそぼ濡れてしずくが滴り落ちる寒々した光景の日もある。どれもが新鮮で二度と同じ景色は見られない。以前より足繁く通い始めると、木々の癒やしの力がどれほどのものかわかるようになった。今までは長くて2泊、今はほぼ1周間は滞在できる。ようやくノンちゃんの家が私のものになりかかってきた。
年老いてから家を買うなんてとんでもない暴挙みたいに言う人もいた。自分でもそう思った。でも最近はだんだん元気になってゆく私を見て、あの家を買ってよかったねという人が増えた。
ノンちゃんはなんでも上等なものが好き。食器も名の通った焼き物、重くて茶色の分厚い陶器。私は薄くて軽い白や淡いブルーなどの磁器。私はいつも同じメーカーのバーゲンで買うTシャツ。ノンちゃんは厚手の絹織物や木綿の藍染などを仕立てたオリジナルの服。ニュージーランドのウールのセーターなども好みだった。私は冬でも綿シャツ1枚、その上にダウンジャケットというラフなスタイル。これほど好みに差があっても仲良しだった。
あれから2年、滞在時間が増えてくると不満なところが見えてくる。確かにこの家は細部に亘りよく考えて作られている。けれど、どうしても男性目線の家なのだ。本当に台所に立って働いたことのない人、家に人を合わさせようという目線で作られている。隅々まで作ってしまうから人はそれに合わすことになる。台所と居間の間にある変に大きすぎる食器棚。不細工で鬱陶しい。そこで風の流れが滞ってしまう。来る人だれもがそういう。
以前からそう思っていたけれど、せっかくできているのだから壊すのはもったいない。この「もったいない」がそもそも進歩を阻害している。先日楽器用の乾燥機を取り付けてくれた電気屋さんに尋ねたら、さっそく工務店を紹介してくれた。この戸棚のことだけでなく腐りかかったベランダのリフォーム、庭のはずれに流ている川に向かって階段をつけるなど、私の夢を言うと、いとも簡単に全部できますと。こんなにうまく話が通じるとは思っていなかった。工事全般なんでもありのようなのだ。
まず手始めに今日は食器戸棚の撤去とエアコン設置することになった。午後車が到着する音を聞いてドアを開けるとびっくりした。車は5、6台、中から人が何人かわからないほどたくさん。電気やさんがニコニコして「他の工事の帰りなので全員で来ちゃいました」まあ、嬉しい。狭い家に男の人がひしめいてサクサクと仕事が進む。重たいテーブルを2階から下ろすのもあっという間。工務店からも3人、誰が何をしているのかはわからないけれど、エアコンの室内機を軽々と持ち上げてさっさと取り付けて帰っていった。他には家中の照明をLED電球に替えて、私が生きている間はもう電球を取り替えなくてもいいようにしてくれた。
来年春には小川の流れにわさびやクレソンを植えたいと思っている。植物好きの姉も喜ぶに違いない。その前に本気で足を治さないといけない。階段の上り下りが辛くてはせっかく作っても使えないかもしれないので。
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