2020年10月22日木曜日

病院へ

右足のムズムズ感と痛みなど、関節自体よりも血流とか神経とかに依るものだと思われたので、新しい病院に行った。かかりつけの内科の医師に紹介状を書いてもらって、午前中に訪れたのは某医療センター。いつもは近所の整形外科で診てもらう。しかし、いつ行っても同じ処方で痛み止めの湿布と足首のサポーターなどくれるだけ。それで別の整形外科にも診てもらうことにした。

友人が非常に良かったという病院で、彼女の推薦があって行ったのは良いけれど、恐ろしく混み合っていて、10時の受付から約2時間半待たされ、お腹は空くし病院がそもそも嫌いなので居心地が悪い。これなら近所の総合病院へ行けばよかったと思った。やっと初診の部屋に通されお決まりのレントゲン撮影。しかし、所見は前の病院と同じで特に新しいことは言われない。おまけに処方されたのはかかりつけの内科医と同じ薬。紹介状に書いてあった処方を見て、この薬は効きましたかと聞かれた結果。これなら近所でもらったほうがいい。

次の予約と言われてももう来る気はしないから、断ったら必死で迫られてつい予約したけれど、これはもうキャンセルだなあとすごすご帰って来た。帰りがけに楽器屋さんに寄って絃を買うために渋谷へ出た。渋谷は音楽教室に勤めていたころ毎週通った場所だけれど、相変わらずあまり好きにはなれない。それにコロナの流行っている今、こういうゴミゴミした場所に居るのは危険だから用事が済むと一目散に帰ってきた。今日は足の状態が非常に良くて歩くのも大丈夫だったけれど、人混みで疲れたら又足が痛み始めた。

ネットで調べたら足の血流を専門にしている医師が居ることがわかったので、次はそこに行こうと思う。今日の医師は、痛み止めとビタミン剤でとにかく他に手の施しようが無いという。そんな馬鹿な!私がこれから何年生きるか知らないけれど、生きている間中、足の痛みや痺れと付き合えとでも言うのか。信じられない。

絶対なにか方法はあるはずなのだ。これから足が健康でいるならなんでもする。加齢だから仕方が無いなんて馬鹿な。生き生きと生きるためには足の健康は一番大事なのだ。もっとも反省材料は自分にあって、運動不足、長時間の運転、パソコン操作、過食、体重の増加など。これはずっと以前からの問題なのに放置してきた自分が悪い。まずはダイエットと思ったけれど、コロナ時代で仕事はなく、家から出られず、食べることしか楽しみはない。

家にいることで中々良かったこともあるけれど、人はやはり仕事をやめてはいけないとつくづく思った。女性であっても老人であっても、自分が生きていることが意味のあることでないといけない・・・とぼんやりと考えた。待合室で待たされている間、瞑想でもしようかと始めてみた。すっかりご無沙汰の瞑想だったけれど、やり方は自然に思い出せるのが不思議。私の最近の記憶力の退化では絶対の思い出せないはずなのに、何十年も本当に良く覚えているものだと我ながら感心した。こんなふうに数年に一度しかしないのでは効果は望めないものの、待たされているイライラは少し軽くなる。

本当なら北軽井沢の森の中は最も瞑想に適しているけれど、あちらに行くとやることがたくさんあって働きすぎる。来週はキッチンとリビングの間にある不細工な食器棚を取り払う予定。この食器棚は例えて言えば、不器用で体ばかり大きい人がでんと座り込んで交通の邪魔をしているようなもの。材質が良くてよく考えて作ったらしいことは認めるけれど、女性だったら決してこんな作りにしないだろうと・・・これは私の周囲の女性たちの意見で「男ってほんとに全く」と鼻息荒く息巻く。自分で家事をしない人が家の設計したらしい。ノンちゃん、悪いけどこれは撤去ね。ごめんなさい。

浅間に冠雪と聞いて震え上がった。本当に北軽井沢は寒い。早くも管理者から水道などの水抜きの案内が来た。とりあえず来週に間に合うように燃料タンクを満タンにするように頼んだ。今年はコロナの自粛ムードで夏に行かれなかった。田舎暮らしは足が命。早くなんとかしないとスキーにも差し支える。







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