2011年12月31日土曜日

ADHD

今日は大晦日なのに、やはり掃除のやり残しがあって、レンジフードはまだ油で汚れている。そのほかキッチンのブラインド、きれいなピンク色だったのにベージュ系に変色。これだけは今年中にと思っていたけれど、もうめげた。それで今日はのそのそ買い物にいったり、こうしてパソコンで遊んだりを決め込んでいる。パソコンを立ち上げると真っ先にニュースのページが出てくる。そこにこんな記事が。
かたずけられないのは怠け者の性格だけではなくADHDという脳の癖である。一種の病気のうちなのかな。性格としては、待てない。注意力が持続しない等々。あら、ぴったり。私はおよそ行列に並んで待っていられない。注意力はない。すぐに次の事や目先の珍しさに目が移ってしまう。なるほど、これだったのね。病気かあ。それなら私は可哀想な人なんだ。ウフフ、よかった。ところがその対策としてこんなアドバイスがされている。

物を減らす。物が多すぎるからいけないのだから捨てなさい。
大切なものだけキープ。大事な書類などはきちんとまとめてしまっておく。
道草をしない。かたずけている最中に雑誌の記事など読まない。
置き場所を決める。用途に応じてひとまとめにして、使ったらもとに戻す。
期限を決める。かたずけを先延ばししない。
人の手を借りる。これは得意。

しかし、このアドバイスが聴けるようならとっくにうちはかたずいている。これが出来ないからゴミ箱ひっくりかえしたような部屋になるのだから。評論家という人種がいる。私はなにが嫌いってこの職業が一番きらい。ひとのやったことをあれこれ取沙汰してメシを食うなんて、一番ゆるせない。たしかに知識も豊富、弁もたつ、しかし、実際に活躍していた人ならいざ知らず、知識だけで人のことあれこれ言えるなんて、結構な商売じゃありませんか。そう思いませんか?ちょっと飛躍し過ぎた?自分ができないからってニュースに一々目くじら立てて今年もくれていくのか。本当に成長しないで一生終わるのか。来年もこの調子で息巻いて生きてゆくつもりです。
皆さんどうぞ良い年をお迎えください。

2011年12月30日金曜日

向き合わないと目に入らない。

シーツを取り替えようと思ったら、びりびり破れているのが目に入った。ん、いつからこんなにボロボロなんだろう。いつも洗濯するときに気が付かなかったのも不思議。だって、かなり大きな破れ目なんだから。そういえば、シーツもずいぶん長いこと買い換えていなかった。私の家系は奇人変人揃い。兄弟姉妹といわずご先祖さまも噂によればかなりのものだったらしい。ほとんどが身なりにかまわない。頓珍漢、注意力散漫、等々。一応普通に社会生活を送っているから危険人物はいない。兄弟集まると「うちって皆変だよね」と言って笑ってお酒を飲む。いい酒の肴になる。その奇人家系の私は家の埃もそうだけど、結局注意がそちらに向かないと気がつかないらしい。以前とても気に入ったシャツがあった。色も形も材質もすべて気に入っていたので何年もそればかり来ていて、ある日ふと袖口を見ると白いものが出ている。よく見ると、シャツの袖口が擦り切れて、中の芯が出ていた。よくよく見ると前立て部分の二重になっている裏の方はあざやかなブルーで、表は羊羹色に近く焼けている。それを着ている私を見た人は「気の毒に、きっと生活が苦しいのだ」と思ったに違いない。たしかに貧乏ではあったけれど、シャツを一枚しか持っていないわけではなく、気に入るとそればかり着てしまうのが原因なのだけれど。さすがに気が付いてしまうと着られなくなってしまった。いまだにそのシャツの事はは思い出す。仕事を始めてからお正月らしいお正月を迎えたことがなかった。うちが汚いなんて気が付かなかった。いや、気が付いていてもどうにもならなかった。いつも一番忙しい時期で、あっという間に暮れも正月もうやむやのうちに過ぎてしまった。今年初めて大掃除もお正月も普通にできそうだ。シーツも新しくしよう。掃除もしよう。惜しいことに自分は新しく出来ないから古いまま。そこんところ、なんとかならないものでしょうか。

2011年12月29日木曜日

大掃除

おお!掃除。何が嫌いって・・・掃除大嫌い。だからと言ってしないわけにいかないのが癪に障る。手は汚れ油がすっかり抜けてしまって、ヴァイオリンを弾くときに指が滑らなくなる。当然音程が悪くなる。色々な洗剤を使うから、もしそれが猫の飲み水に入ったら危険だし。おおいやだ。と思いながらも今日はせっせと大掃除。普通の人から見たら私のやった掃除などは、毎日の掃除の縮小版にしか見えないと思う。しかし、私にとっては大変な苦労なのだ。日頃汚くても苦にならないのに、掃除に面と向かうと、なんて汚いのだろう。前に地デジアンテナを取り付けてくれた人が、配線を床の周囲に沿わせるときに「汚い、くさい」って絶叫していたけれど、その時は「そう?」みたいに何も感じなかった。「うちはいつもこうなのよ」みたいな感じで。でも、いざ自分で掃除を始めると成程、汚い、くさい。長年開けていなかった浴室のランドリーワゴンのカゴ、ひっくり返してみたら「うわー」長い間なぜか台所の窓枠の上にぽつんと置かれていた缶詰。外側がさびてきたので捨てようと開けてみたら「ぎゃーっ」中身が真っ黒になっていた。缶詰は真空だから絶対腐らないのかと思っていたのが大間違い。昨日は中身をちょっと見ただけでゴミ収集に出してしまった段ボール箱。一応仕分けをしなければいけないから確認をしたけれど、必要かそうでないか考えると捨てられなくなるので、箱ごと捨ててしまった。もしかしたら大事なものが入っていたかもしれない。それにしてもなぜこうも物がたまるのか。必要だと思って買っても、使うのは最初の一、二回。物は沢山あるのにお金がないわけがようくわかりました。家がきれいになって気持ちがいいかと思ったら、これだけの努力に拘わらず、ほかのお宅のちょっと汚めの感じにとどまっている。賽の河原で石を積んでいるようなものだわ。無駄な努力をしたという不毛な感じが否めない。あ、うちは不毛ではなかった。猫の毛がどっさりあるから。

2011年12月27日火曜日

又忘年会

今年は「打ち上げ」とか「お疲れ会」とか名前を変えては何回宴会をしたことか。12月の後半は夜家にいることは少なかった。昨夜はかつて松本で仕事をした時の仲間が集まって忘年会。松本の仕事については何回も書いているけれど、その時の仲間が口を揃えて「あんなに楽しかったことはない」と言うくらい、皆の印象に残っている。ヴァイオリニストの外山滋さんを中心としたアマデウス弦楽合奏団は日本各地、特に新潟、富山、長野などでのコンサートが多かった。外山さんはソロのほか指揮もなさったけれど、松本の頃は耳の病気になられて大変な時期だった。芸大の教授も退官なさって失意のさなかだったけれど、集まったメンバーがアンサンブルの名手揃いだったために、毎日なんの支障もなく素敵なコンサートになって、大変に喜ばれていた。病気のいきさつを知っていただけに、最初のリハーサルで目があったとたん泣き出すのではないかと思われるほどの悲痛な表情をなさったのが忘れられない。しかし、練習が進み松本でのステージが始まると、外山さんも本当に楽しそうで毎日ニコニコとステージをこなされていた。病気になる前は信じられないほどの過密スケジュールをこなし、どちらかというと腕に任せて弾き飛ばしておられたような印象があったけれど、病後は一つの曲をとことん完成させて臨むような着実さで、以前にもまして正確な演奏になっていたのには心底脱帽した。元々国際的なコンクールの審査員をなさるほどの名手だったし健康にも絶大な自信があった方なので、耳を傷めた時には人生が終わったように感じられたと思う。それがこの松本でのコンサートで、かつての陽気さをとりもどされたのではないか。そして今、四国在住の外山さんも、松本の時のメンバーでコンサートが開きたいとおっしゃっているらしい。昨夜はヴァイオリンが4人ヴィオラが一人、そしてマネージャーの6人が大岡山の蕎麦屋で、語りつくせないほどの思い出話に花を咲かせた。この次は4月頃に今日は来られなかった人もさそって、鎌倉散策に出かけようと話がまとまってお開きとなった。

2011年12月26日月曜日

ウー寒すぎる。

昨日の夜の「第九」は下高井戸の住人に聴かせるためのもので、会場は地元松沢小学校の小アリーナ。半地下になっていて、窓を開けるとちょうど大人の上半身が表の地面の高さになる。その表の地面に観客用の椅子が並べられ、演奏は半地下で窓を開けて行う。この寒いのに窓をあけて・・・。想像もつかなかったけれど、昼間のクラシックパーティーが終わってから駆け付けた。すでに練習は終わりころだったので、最後の数ページだけ弾いて本番を迎えた。カジュアルなコンサートだから服装は自由、上に(しもたかフィル)のTシャツを着ることだけが条件になっている。足元はストッキングの上から分厚いソックス、腰に貼るカイロ、指の出る手袋、首にスカーフ、頭に帽子とおよそ演奏会らしからぬ装いで臨む。会場の外には開演前からダウンコートにくるまった人たちが椅子に座っている。お年寄りや子供たち、1時間近く我慢できるのだろうか。それよりも演奏するこちら側の心配は、冷えでお腹が痛くなったり、指が回らなくなったりしないだろうか。開演直前、大きな窓が全開となると、冷たい空気が流れ込む。その時点ではまだ気持ちが良いと思える。シュトラウスのポルカとワルツが終わり「第九」のソリスト、コーラスが入場、おやおや、コーラスは白いブラウスにロングスカートの正装、ソリストも長袖のイブニング。もうこの頃には私たちの指は真っ赤になっていた。となりの痩せた男性が震えているので、張っていたカイロをはがして貸してあげる。私は寒いのは嫌いではない。いつも雪山で氷点下の気温で遊んでいるのだから、このくらいの寒さはものともしないけれど、やはり楽器を弾くにはふさわしくない。でも人間は意識を集中させるとほかのことは気にならなくなるという能力がある。楽譜を追っている間は寒くない。終わってどれだけ冷えていたかが急に実感される。打ち上げでは珍しく熱燗の日本酒を飲んで、よっぱらって帰ってきた。

2011年12月25日日曜日

今日も晴天

冷え込んできた。いよいよ冬本番、寒いのは大好き。でもノラが心配。今日は日曜日だからノラの出勤が遅い。どこかの家で朝食にありついているにちがいない。クリスマスイブのローストチキンの残りをあげようと思っていたのに。どこかのお宅でも昨日のチキンかターキーかをノラにあげているのだろうか。家に上げてもらえるといいけれど。さて今日は音楽教室の弾きながら楽しむパーティー、称して「クラシックパーティー」会場のスタジオが世田谷の判り辛い住宅地にあるので、たどり着けるだろうか・・・それが心配。練習途中でも、初見でもいいから何か一曲弾いて、お茶やワインを楽しんで、ワイワイするという趣向。私はまたFUMIKOさんとしつこく「パッサカリア」、まだ花丸はもらえない出来栄えだから、しつこくリベンジする。この催しは先日亡くなった小田部ひろのさんがいつも準備をして下さっていた。でも、今はその人もなくさびしいけれど、火を絶やさないように続けていかなければならない。それが終わると下高井戸に駆けつけて「しもたかフィル」の「第九」のお手伝い。練習に出られないからぶっつけ本番。覚えてるかなあ。弾けるかなあ。それも心配。それにもっと恐ろしいのは、下高井戸商店街の人たちに強制的に「第九」を聴かせようと窓を開け放つというのだ。これは寒い、ひどい。会場の小学校の体育館が狭くて、お客さんが入りきらないと困るというのでそうなったようだけれど、今から震えがくる。レッグウオーマー、帽子、指の出る手袋、カイロ、マフラー、あらゆるものを持っていこう。一杯ひっかけてからなんて手もあるけれど・・・。

2011年12月23日金曜日

久しぶりの休日

バタバタ忙しくしていたので今日はやっと休日になった気分。生協に肉と野菜・お米を取りに行く。どんよりして寒い朝、ノラが訴えかけるように鳴く。昨日初めてノラと触れ合った。と言っても、ノラがいきなり引っ掻いてきたのだけど。私が持っている餌が食べたくて早く寄越せという意志表示。それでも、初めての近距離でのお付き合いで、ヒリヒリする傷が化膿しないかななどと考えながら、そこまで近付いてきたのはほんの少し進歩かなと思ったりする。その生協は特に肉がおいしい。ノラには少し贅沢だと思いつつ私の昼用のお肉をおすそ分け。うちの猫たちはいつでも食事制限されて、食べきれなければさっさと片付けられてしまうのに、ノラにはかわいそうでつい甘くなる。寒さを我慢しているのだから。いよいよ寒さが厳しくなってきたので、ノラの小屋を作って住まわせる計画をしている。レッスン室のベランダに細いはしごをかけて、そこに小屋を置いてあげようか・・・とか、物陰になるところに小屋を置こうかなど考えるけれど、一向に実行できない。最近なんでもふんぎりをつけるのが遅くなってきた。まず、ホームセンターに行って犬小屋をゲットしようと思うのに、休日だから混んでいると思うと、もう腰が上がらない。猫だから自分の身は自分で守れるさ、などと考えてしまう。それにはわけがあって、駐車場の物置に寝床を作ってあげたのに一向に入らないので、やたら作って無駄になっても・・・という思いもある。初めのうちは物置に寝泊まりしていたようだけれど、近所の住人に脅されたらしい。私がノラを保護し始めた途端、野良猫に餌をやるなという回覧板が回った。どうしてこの辺の住人は、こう意地が悪いのだろうか。こんな小さな動物がいてもなんの支障もないのに。
久しぶりにヴァイオリンを弾いたら、すっかりヴィオラの弾き方になっていて中々もとに戻れない。今日、明日2日かけて徐々に戻して行けるかどうか。やれやれ。

2011年12月22日木曜日

ブログ投稿する気力もない。

この7日間あまりにも沢山の出来事があったので、nekotamaの投稿が間に合いません。全く整理整頓ができないのは部屋と頭の中。小田原の3日間はとにかくエネルギッシュなロンドン人たちと愉快に過ごしてコンサートも無事(ではなかった。私がステージに出た途端メガネを取りに引っ込んだり)に終わったことにして、小田原人たちの盛大な歓迎を受けたり・・・そのあと2日間の箱根は超豪華ホテルでの生活。2人のイギリス紳士は実はものすごい茶目っ気たっぷりの坊やたちだと判明。一日中笑って過ごした。帰宅した次の日はお祝い事が昼夜あって、横浜方面から都心へ走り回る羽目になった。昼は私の長姉の誕生祝。姉は足が悪くて外出出来ないので、兄弟そろって姉の家まで出かけた。鍋にいっぱいのスープを作り、幕の内弁当で食事。そのあとはバースデイケーキにろうそくを点けて姉が吹き消す・・・はずが肺活量が無くて中々消えない。ようやく消して皆でむしゃむしゃ。昼食を食べすぎたのに、そのあとは友人の還暦祝いが待っていた。お祝い事のはしごは初めてで、それは大変おめでたいことだけれど、胃がもつかどうか心配だった。友人は今東京交響楽団で弾いているので、還暦祝いの席はたぶん知らない人もいることだろうと思ったら、なんと、感激!私の仲の良かった懐かしいひとばかり。気を利かせてメンバーを選んでくれたらしい。懐かしくうれしく話が弾み、料理もおいしくて一日美味しく過ごした。今朝鏡を見たら、なんだか顔が真ん丸で、新年からはダイエットに励まないと若い人に「ふとっ!」なんて言われそう。

2011年12月20日火曜日

ノラや。

小田原のコンサートが終わってから二日間は家にも帰らず遊びほうけていたけれど、小田原の駅前でみんなとさよならをして、家に着くとノラがさっと寄ってきた。かわいそうなノラは私がいなくなってさぞ心配したことだろう。一応姉に世話を頼んで出かけたものの、頭からノラのことが離れず遊んでいてもふっと思い出す。この2,3日、氷点下の寒気がきている。これから約一ヶ月半はひどく寒いから命がもつだろうか。もう少し馴れてくれれば医者にも診てもらえるし、中にも入れてあげられるのに。いまだに手を出してもおびえるだけ。いつになったら信頼してくれるのか。最近とんと物置の寝床に入っていないようだ。温めて入れてあるカイロにも寝た形跡がない。いつも見受けるのは、冷え冷えとしたコンクリートに寒そうに丸くなって、じっとこちらを見ている姿。しかも私が帰った時には物置のドア前に寒風をふさぐために取りつけていたベニヤ板がはずれていて、風が吹き込む状態になっていた。いつからこうだったのかしら。しかも、餌は全部食べつくされていた。早く春になってもらいたい。いつもは冬が好きで、春は体の具合が悪いうえに花粉症持ちの私は春が来るのが嫌なのに、ノラのためだけならば早く春が来てほしいと願っている。見受けたところかなり年もとっているようだから、とりわけ寒さはこたえるにちがいない。なにか手を打たないと凍えてしまう。どうしたらいいのか只今思案中。

2011年12月19日月曜日

コンサートが終わって

昨日は小田原で昼間のコンサート。トーマス キャロルの圧倒的な音量に巻き込まれ、素敵な時になった。小田原あまり外国人の音楽家は来ないというので、観客も楽しんでいたようだ。終了後市内で食事を済ませて、箱根に車を走らせる。離宮というホテルに泊まることになっているので、夜の山道をくねくねと登った。現れたホテルに思わずおお!と感嘆の声が上がる。駐車場はほぼ満杯。12月のこんな時期にこれほどの泊まり客がいるので驚いた。メンバーは地元の志帆さん以外の演奏者と、共通の友人でバイオリニストの絵美さん。今回私に声を掛けて下さって、私が演奏のお仲間に入ったという経緯がある。彼女はずっとロンドンアンサンブルのお世話をしてきたので、彼女がビオラを弾くのがいちばんいいけれど、普段ビオラは弾いていないので、私にお鉢が回ってきた。私より若いのだから、これから練習すれば来年は彼女が参加すれば私は観客席で高見の見物ができるというもの。今回本当に楽しかったけれど、いささか疲れて今日の箱根を楽しみにして弾いていたようなものだから、彼女に頑張っていただかないと。というわけで、にわかビオリストはきょう
でお役ご免、帰ったら又バイオリン弾きに戻ります。しかし本当に楽しかった!

2011年12月16日金曜日

小田原にて

最近秦野だの小田原だの神奈川県の西部に行くことが多い。東名の海老名パーキングエリア上り線にはスーパーマーケットまでできたそうで、帰りに寄ってみようと思って出かけた。空は晴れて暖かく絶好のドライブ日和。富士山は見えなかったが、大山連峰が出迎えてくれる。大山はかつては私の住んでいる東横沿線からも夕日が沈むのを見ることができたと言うと驚く人も多いでしょう。でも、いつも夕日に向かって兄弟そろってずらりと並び(6人もいたので)日が沈むまで見ていたのだった。だから、こちらの方面はいつも懐かしい気持ちがする。厚木から小田原道路に抜ける。インターを出てすぐにパーキングエリアがあって、そこでお昼ご飯。鯵天丼と言うのを頼んだ。少し待たされたけれど、出てきたのはカリッと揚がったおいしい天ぷら。いつもはダイエットの敵なので、天丼などは食べないのにどうして頼んだかと言うと、以前松田の町営公民館で食べたアジフライ定食がものすごくおいしかったのを忘れられなかったから。期待にたがわすおいしくて、たらふく食べてしまった。そして小田原市内に。目指すのは今日のリハーサルの場所である、小田原城近くの楽器屋さん。お初にお目にかかるトーマス・キャロルは今超売れっ子のチェリストで、先日は上野の芸大の旧奏楽堂では、圧倒的な演奏だったそうだ。やってきたのはチェロを軽々と担いだ大きな人。真ん丸の目が愛くるしい。いたずらっ子がそのまま大きくなってしまったような男性で、聞きしに勝るダイナミックなチェロの音は、でも、決して威圧的でなく周りを包んでくれる。陽気であるけれど、演奏の姿勢は厳しい。特にモーツァルトは下から楽々と支えられて本当に楽しい。私以外のメンバーは小田原に泊まるけれど、私はうち猫とノラの世話があるので早々に帰宅。明日もリハーサルがあるので、小田原詣では3日間続く。

2011年12月14日水曜日

ヴィオラは歌う

もう人前で弾くこともないだろうと思っていたかわいそうな私のヴィオラ。久しぶりに日の目を見ることとなったのはいいのだが、拗ねてしまったか、鳴らない。原因は絃が変わったことと、ほったらかしにしてあったこと。弦は以前ガット弦のオイドクサーを使っていた。ところがこの頃この絃は評判が悪く、扱っている楽器店が少ない。品質が極端に落ちたそうで、急に巻き(ガット弦は羊の腸に銀の細い糸が巻いてあるもの)が緩んだり、根元から切れたりするそうなので、怖くてつかえない。でも、この楽器には一番よくフィットしていたのに。それで今はドミナントを使っているが、やはり音質がいまいち。初めはオリーブを張ってみた。一番低い絃が非常に張りが強すぎて手こずっていたので、またドミナントに逆戻り。そうこうしているうちにやっと音色が替わってきて、昨日初めて楽に弾けるようになってきた。楽器が鳴り出せばもう力まなくていい。ほんの少しの力で響き始める。私のように手足が短く非力な者でも、楽器はのびやかに歌ってくれる。驚いたのはコルセットの影響だった。用心のためにほとんどコルセットを着けて生活している。腰や足の状態はそのほうが楽だし、着けていてもなんの支障もないと思っていた。ところが練習に入るとどうも体が思うように動かない。試しに取り外して弾いてみた。なんと!!!音が変わる。これほど体と楽器は関係が深い。体のどこかが固定されてしまうと、全体の動きに影響することは楽器を弾く動きにも影響するということで、どれだけ全身運動なのか良くわかるというもの。もちろん呼吸にも作用するだろうし、体調がいかに楽器にも影響するかは知れ渡ってはいるが、こんな小さなことでも違いが出るとは!本当に体は大事にしないといけないと痛感した。顔が多少難ありでも、頭が少しごめんなさいでも、体は丈夫でないと。でもその体もあまり丈夫ではないから、ほとんどいいとこなし。ああ、本当に残念!ヴィオラちゃん、ひとつ頼みますよ。あなただけが頼りなんだから。

2011年12月13日火曜日

iyoiyo

コルセット

整形外科で頼んでおいた医療用コルセットが出来上がった。それがあれば百人力と思ったけれど、とりに行ったらなんだか前のより丈が短くて、しかも曲線が変。脇がデコボコ。あら、期待外れですこしがっかり。装着してみてもなんだかしっくりこない。前に作ってもらったのは締めるととキュッとウエストが固定されて、気持ちがよかったのに。ウエスト部分が極端に短く縫製がよくないのか、体の線にフィットしない。困ったなあ。作り直してもらうには時間がないし、仕方がないこれでいくか。がっかりしていたら、一番上の姉から軽くて暖かい美津濃のダウンジャケットが送られてきた。姉は私よりも13歳年上。ほとんど母親代わりで育てられた。中学生になるまでは、この姉に抱っこされて寝ていたのだから。私の遠足の付添に行って「お母さん」と呼ばれてプリプリ怒っていたのを思い出す。いつまでたっても姉は姉なんだなあ。今日もいいことと悪いことが一つずつ、私はこうやって親兄弟友人に守られて、平穏無事に生きられるのだといつも思っている。ご先祖様も守ってくれているらしい。有名な占い師の姪御さんを持つ方が、私のことを占ってもらったところ、私には3人の貴人がついていると言われたそうな。その方は嬉しそうにわたしにそれを報告にきた。それに対して私は罰当たりにも「きじんって奇人変人の奇人ですよね」と茶花したものだから、猛烈に怒ったことがあった。冗談でもそういうことを言うものではありませんっ、と叱られて私はクシュンとなってしまった。悪いこともいいことも平均的にやってくる、それはある意味すごく幸せなことなのかもしれない。もう少し大金持ちになるとか素晴らしい才能があるとか、そんな風になってみたいとは思うけれど。

2011年12月12日月曜日

言ってみるもんだ。

先日買った小型スーツケース、デザインと色に惹かれて選んだのだが、寸法も慎重に計ったつもりだったのに少し小さい。以前持っていたのは、本体にもの入れがたくさんついていてマチも十分とってあったので、小さい割には沢山ものが入った。そのかわり、あれもこれもと入れるのでツチノコのような姿になって全国をもち歩いていた。寸法は同じくらいなのに、物入れの威力は絶大で、いくらでも詰め込んでいたために壊れてしまった。今度買ったのはデザイン重視、外側にもの入れは薄いものが一つだけ、しかも型崩れしないようにマチもなし。結局コンサートの日にドレスと靴、化粧道具、楽譜、メガネなど入れるにはとてもいい大きさだけど、旅行用としては使えない。それを先日愚痴っていたら奇特な人が現れてスーツケースを頂いてしまった。届いたのは真っ白で銀色のビーグル犬のシルエットのついたおしゃれな物。このようなものを持っているのは誰あろう、あのおしゃれなヴィオリストのFUMIKOさん以外にはみあたらない。大きさもちょうどいい。というわけでワッハッハ、言ってみるもんだわ。今度はヴァイオリンが欲しいと言ったら誰か送ってこないかしら。いいえ、古いのでいいんですよ。もう、300年くらい経って枯れきってしまったので我慢しますから。できれば頭文字がSが欲しいのですが、Gでも、もちろん結構です。弓はそうですね、PとかTなんかがいいですね。もう古いからすてようと思っていたのがあったら下さい。なーんて、夢のような話。でも言い続けたら慈悲心のある人が、もしかしたら・・・いるわけないね。

2011年12月10日土曜日

変な体質

一昨日までは5分くらい立っていると右足が痺れてきて立っていられないくらいだった。昨日は電車で東神奈川まで出かけられるまで恢復してきた。でも電車は座れたし、コンサートも座って聴いたから問題なかった。今日は横浜の画廊で弾くので立っていられないと困るけれど、最悪の場合椅子に座らせてもらうように頼んでおいた。たしかに火曜日に練習した時は長くは立っていられなくて、ほとんど座っていた。座って弾くのは弾きにくい。オーケストラやアンサンブルの時以外の練習はずっと立っている。今日になって、もしかして立てるかもしれない、ほとんど確信したので現場にいってから椅子はいらないと言うと、主催者はやはり心配だから椅子を置いておきましょうと言って、小さな椅子を用意してくれた。ふしぎなことに本番前になると足のしびれは全くなくなった。3,40分程の曲目をを2ステージ、相棒はお馴染みのヴィオラのFUMIKOさん。いまだに完璧にならないヘンデルのパッサカリアを皮きりにクラシック、ポピュラーとりまぜての楽しいプログラムだけど、お客さんは聴いていたのは初めの方だけで、あとはお仲間と絵の鑑賞とおしゃべりに花を咲かせている。それは別になんとも思わない。私たちは根っから弾くことが好きだから。今日に合わせたかのように足が治った。やはりまだ演奏するようにと神様が言っているのかしら。変な体質だね。本番があれば熱も下がる、足も治る、頭痛も飛んでいく。演奏が健康の源だとしたら、幼少のころから虚弱体質だった私が、今元気でいられるのも楽器のおかげなのかもしれない。

2011年12月9日金曜日

珍事

すでにツアーに入っているロンドンアンサンブルの今日は東神奈川かなっくホールでのコンサート。ご招待いただいて客席で聴いた。初めにアルビノー二の「アダージオ」東日本大震災の被災者に捧げる一曲目。いつ始まったかわからないくらいの超弱音で始まる。美しいハーモニー。それだけでもうウルウル。だめだ、これは、今日は泣いてしまう。でも二曲目は明るいモーツァルト「フルート四重奏」そこからはパガニーニ「モーゼ変奏曲」ラフマニノフのトリオ二曲、リチャードの尺八!で「雲井獅子」サラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」リスト「愛の夢」おしまいにムソルグスキー「展覧会の絵」アンコールにブラームス「ハンガリアンダンス1番」
事件が起きたのはタマーシュが滔々とツィゴイネルワイゼンのスローな部分を歌い上げ、繰り返しをちょっと間違えたのはご愛嬌のうち。多少集中力が揺らいだけれど、そのあとはさらに調子が上がって見事に歌い上げ、そして、待ってました!狂ったように早くなってあとひとくだりと言うところで、急に音程が外れたと思ったら、止まってしまい調弦を始めた。巻きがもどってしまったのだ。最後の最後なのに惜しい!でも慌てず騒がず彼は途中から弾きなおして拍手喝采だった。こんなこともあるから、本番はおそろしい。パガニーニの「モーゼ」は元はヴァイオリンの曲。それをチェロで弾くのだから超絶技巧なのを、古典音楽協会のチェリスト、重松さんは見事に弾いてのけた。本当に上手い。物静かな性格だから普段は淡々としているが、どうしてどうして、骨太の演奏だった。あとちょうど一週間後に私が加わる小田原の分の練習がはじまる。チェロは今イギリスで大人気だそうな、トーマス、そしてヴァイオリンはシカゴで活躍している日本人の志帆さん。この私はどこでも活躍していないし人気もない。まあいいでしょう。上手な人に挟まれてズルズルとひきずられていればいいのだから。2時間余り座席に座っていると足が少し痺れてきた。まだ完全ではないけれど、ずいぶん良くなった。

2011年12月8日木曜日

いくじなし

12月に入って車のタイヤをスタッドレスに交換したい。いつもなら物置からヨッコラショとタイヤを出して車に積み込むくらいは必死でやればできたのに、今年はお手上げ。そんなことをして足腰を痛めたら大変だから日産マンのお助けを頂くことにした。快くやってもらえてこれで今年の冬も安全・・・かどうかはわからないけれど、ひとまず安心していられる。そんなこんなで足は大分良くなって今日は渋谷まで教えに出かけられた。本当にほっとした。これから月末までしばらくは足が言うことを聞いてくれないと、悲惨なことになる。一時はロンドンアンサンブルのエキストラを頼まなければいけないかと、暗い気分になりかかった。私だって時には落ち込むこともあるのです。が、生来の楽天家なので、たいていのことは乗り切ってきた。今までは。でも、これからは、そうはいかないかもしれない。自分がいくら頑張っても肝心の体が言うことをきかなければあきらめなければいけないことが次々に出てくることだろう。そんな時に落ち込んでしまうと、自分の今までの人生なんだったのだろうと厭世的になってしまう。私は自分があまりにもしっかりしていないので、人の世話になるのは大好き。嬉々としてお世話になることにしている。ペットボトルのふたを見知らぬ人に開けてもらうのは何回やったことか。網棚の荷物は取ってもらうことにしている。駐輪場で自転車を運んでもらう。階段で荷物をもってもらう。体が小さいからけっこう頼まなくてもやってもらえることが多い。先日テレビでかつて長寿で有名だった金さん銀さん姉妹の長寿の秘訣を取り上げていた。銀さんの娘さんたちは平均年齢80歳というやはり長寿であるらしい。娘さんたちに銀さんは自分のことは自分でやれと教えたそうで、この人たちはしっかりと人の手を借りず今でもお元気で生活している。私は無理だなあ。大体今でもビンの蓋はあけられない。開ける時は中身が煮えてしまうほど温めないとダメ。猫は役にたたない。

2011年12月7日水曜日

練習不足?

毎日起きるたびに少しずつ良くなってはいるけれど中々治らない足のしびれに、さすがの能天気な私もいささか憂鬱になりかけていた。特に土曜日にギャラリーコンサートがあり、ヴィオラとのデュエットなので本来椅子に座ってというわけにはいかない。かといって痺れを我慢して立って弾くと集中力が切れるから、一応椅子を用意していただくことになった。足の悪いパールマンのような演奏家もいるから絶対立って弾かなければいけないことはないが、普段から立って練習しているので弾きやすさはやはり立っている方がいい。今朝かなり調子が良くなったのでしばらく立って練習。府中まで出かける用事があって車で4時間ほど家を留守にして、帰ってから1時間半、おや?大丈夫だ。いままでかなりこわごわ練習にも力が入らなかったのが、思い切り弾いているうちに足のことは忘れてしまった。そして、あら治ったみたい。このところ、ロンドンアンサンブルにお付き合いしてあまり練習時間がとれなかったのと、煩雑なことが多くて、よくよく考えればろくな練習をしていなかった。足が痛くなると、それに気を取られ全身のバランスが悪くなって、風邪をひいたり頭痛がしたり体調も崩れてしまった。まもなく本番だと言うのでやっとシャキッとしてきたらしい。人間適度の緊張はいつでも必要なのだ。いつになったら釣りでもしてのんびりなんて生活が待っているのだろうか。

2011年12月6日火曜日

運動不足解消

自転車が足に影響ないと知ったので、今日から自転車で散歩することにした。少し良くなっていた足が昨日の坂道登りでまた痺れるので、これからしばらくはサイクリングにしよう。ずっと歩いていないので脚力がすっかり落ちていると思ったが、その辺は大丈夫なようだ。歩くと一万歩の距離にある多摩川沿いの等々力アリーナまで往復。曇天だけれど、午前中いっぱいは雨の心配がないという。最近自転車への風当たりが強く、傘をさして運転はできないから雨になると大変。それにしても自転車のマナーの悪さは本当に腹が立つ。特に子ずれのままチャリ。いきなり飛び出すので子連れで死にたいのかと思ってしまう。保育園や学校の送り迎え、自分の仕事と朝は超忙しいのはわかるけど、前後に子供を乗せて平然と道を突っ切って行く。どけどけ、お子様のお通り?私は交差点はかならず一時停止、左側通行、車を運転するときと同じように、交通ルールはきちんと守る。命は大切だから。今朝もいきなり塀の陰から自転車を出した人がいて、危うかった。避けられたからいいけれど、本人は知らん顔で周りを全然みていない。たぶんぶつかりそうになったのも気が付かなかったと思う。等々力アリーナには朝から様々な人が来ているが、今日は曇りの寒い日だから人影もまばら。やたらに機嫌のいいおじさんがいて、なにがそんなに嬉しいのか、顔中が笑っている。うれしいのか頭が変なのか判然としないから、目をあわせないようにして笑顔を返すことなく行き過ぎた。帰り道はカラス一家にご挨拶。昨日まで夫婦二人だったのに、今日は4羽もいる。あれ、増えちゃった。そうか、子供たち?でも、もうこんなに大きくなったのかな?みんな真っ黒でお父さん以外は区別がつかない。そのお父さんも、去年と同じかどうかはわからないけれど、艶々黒々で威風堂々としているから、たぶん同じ人だと思う。今日はいつもの徒歩ではなく自転車だから人違いするかと思ったら、ちゃんとあいさつしにきた。カラスの賢さは色を一年間もおぼえていられる実験で証明された。決まった色の容器に餌を入れ、違う容器には餌を入れない。そうやって覚えさせて一年後、カラスは色を覚えていて、餌の入った容器をすぐに選んだそうだ。私よりずっと賢いじゃないの。私だったら、実験のことすら覚えていられないと思う。毎日違った服装で帽子も取り替えても、ちゃんと私を見分ける。たいしたものだと感心しながら帰路に着いた。午後にはヴィオラのFUMIKOさんが現れてデュエット、立って弾けないから椅子に座る。足のしびれはいつ良くなるのか見当がつかないので、しばらくはお付き合い。困ってしまう。でも、ヴァイオリンが弾けるので良かった、良かった。

2011年12月5日月曜日

残響

昨日まで音が溢れていた私のレッスン室が静かになってしまった。今日は腰のためにコルセットを作る予約の日。病院に行く前に少しヴァイオリンを弾いた。なんだかまだ部屋の壁に昨日までの残響が残っているようで、弾いているとあの音がするような気がする。自分の中にイメージが浮かんでくると、不思議にそれに近い音が出る。楽器自体は2週間ほど前のとてつもない嵐の日に傘が壊れて、猛烈な雨の中を数十メートル傘なしで走ったので、その日から鳴らなくなっていた。そのあと調整に出そうと思っても、ヴィオラを弾いたり足がしびれて歩かなかったりで、楽器屋さんに行く暇がなかった。ひょっとしたら、どこかに剥がれが出来たかもしれない。とにかく立っていることができないので、もちろん歩けないから、修理にもだせない。その鳴りの悪い楽器でも、音は明らかに違う。目の当たりでものすごい音を聞いたのが作用しているにちがいない。今日は晴れわたって暖かい日差しが満ち溢れ、絶好の自転車日和。歩けないけれど自転車は大丈夫。お昼過ぎの予約だったので昼食を済ませて出かけた。少し距離はあるが、まず大丈夫だろうと鼻歌交じりにでかけた。口笛で「展覧会の絵」のプロムナードを吹いてご機嫌。病院は高台にあるので少しきつい坂を上らなければならない。一番緩やかなコースを登るつもりでいたのに、その脇を通る最短距離の一番きつい坂をみたとたん、ムラムラっと来た。あんな長い迂回路を通るよりは、きついけれど短いこの道を行った方がすぐに坂が終わるからこちらにしよう。自転車を降りて押しながら登る、かなりの勾配なので自転車は重く、足をふんばらなければならない。心臓はドキドキ息はハアハア、母が入院していた頃は早く病院に着きたくてこの道を必死で上ったことを思い出す。でもあれから十数年、それだけ年をとったのを忘れていた。息切れすると人間ドックで不整脈があると言われたのを思い出す。何回も休み休みして、これでは迂回路の方が早かったかと苦笑した。コルセットを作るには体中にラップを巻いて、その上から包帯を巻いて石膏で固める。あっという間に石膏が固まって、グロテスクな私のお腹の型がとれた。衣服の上からではあるが、なるべく正確に寸法を合わせるために、腿のところまで下着にならなければいけない。そういわれて思った。しまった!今日は勝負下着をつけてこなかった。アハハ、下品ですみません。
そしてせっかちのツケが回ってきて、足はまたしびれがひどくなってしまった。

2011年12月4日日曜日

今日も音の饗宴

練習に現れたタマーシュとジェニファは疲れた顔をしている。今日になって時差ボケが出てきたと言う。初めのうちは緊張とワクワクした気分があるからハイになっていて、時差ボケを感じなかったりする。一日たって落ち着いたところで出てきたらしい。初めはさえない顔をしていたけれど、さすがに弾き始めると楽器が唸りをあげる。裏板の底からなっているようで、あんな音は私では死んでも出ない。天性のものなのだろう。ピアニストの美智子さんが一人で現れた。しばらくして「リチャードはどうしたのかしら。私のすぐ後ろにいたのに」と気にしはじめた。我が家のすぐそばまで来ていたのが、こつ然と姿を消したようだ。「だって、すぐ後ろにいたのよ」と言う。それでは自転車で探してこようと家を出て、もっと先まで行ってしまったのかと行ってみたがいない。それではと引き返す。向こうから背の高い影が歩いてきて、逆光でも彼とわかった。もう少し手前を曲がってしまったらしい。実はうちの前まで来ていたのに、このうちじゃないと思ったそうだ。奥さんに昨日きたばかりなのにと呆れられながら入ってきた。私もしょっちゅうそんなことをするから、耳が痛い。練習は昨日よりも細かく進められて、小田原の時のために参考にさせてもらおうとメモしながら聴いていた。音にすごく幅がある。多彩な色分けが自然にできるのは、日頃そういう音に囲まれているから?最近どうして私は留学しなかったのかと、しきりに悔やまれる。現地でなければ分からない音ってあるんじゃないかと思う。いくら優れた先生について学んでも、音の色までは教えられないのではないか、また教わった記憶もない。囲まれて暮らすうちに身につくものではないか。日本にいて弾けるようになったつもりでも、それから先が学べないのでは。ちょっと、失敗したなと思っている。三年くらいでも、行っていおけばよかった。練習が終わってリチャードが騒ぎ始めた。コートがない。カードもお財布もコートのポケットだそうな。うちにはないから駅で訊いてみたらと言って別れた。しばらくして美智子さんからありましたと電話がかかってきた。お金もカードも無事でしたとのこと。日本ってこんな時にはやはり良い国だと思う。ほかの国ならたぶん出てこないでしょう。ホームに置き忘れたのをすぐに拾われて駅に預けられたらしい。寒いからすぐにとりにくるとおもってましたよと駅員。まだツアーが始まったばかりなので、美智子さんは心配なことばかり。明日のコンサートの成功を祈っている。

2011年12月3日土曜日

すごい!

我が家のレッスン室であんないい音がしたのは初めて。ハンガリー人のタマーシュの「ツィゴイネルワイゼン」はもう別世界のもの。私が弾くと「チガイネルワイゼン」になってしまうのはどうして?もちろん腕が月とすっぽんだからさ。わかっちゃいるけれど、音のすごさに圧倒されてしばし夢心地だった。2時ころ集まったロンドンアンサンブルのメンバー。まだあと一人チェロのトーマスが来ていない。月曜日からツアーが始まる。明日もう一度リハーサルがあって明後日の大宮から始まり、私が参加する小田原が千秋楽となる。昨日ウイークリーマンションに入った二人は、どうだった?と聞くと、ソファーベッドが硬くてコンクリートの上で寝ているようだとか、狭くてネズミの巣みたいだとか言いながらも、周囲の商店街を早くも探検したらしい。音楽家は旅が多いから、世界のどこへ行ってもすぐにその地になじんでしまう。ずいぶん前にウイーンに行った時は、現地に語学留学に来ていた日本人が、到着したばかりの私たちに「一緒に行ってもいいですか?」と言ってついてきたのには驚いた。しかも美術館への行き方を知らないというから、不肖この言葉もできない私が、市電の乗り方を売店のおねえさんに訊く事態に。なんのための語学留学?音楽家はどこに行ってもくつろげるという特技を持つ。要するに毎日舞台の上で恥をかいているから、言葉の出来ないくらいは恥と思わない。今回のカップルはもうすっかり伸び伸びと歩き回り、今日はこれから近くの商店街に繰り出すと言って帰っていった。私は大分足の具合も良くなったけれど、まだ途中で歩けなくなるといけないから、遠慮することにした。それにずーっと英語を使うのもしんどい・・・なんて言ってるから日本人は外国語が上手くならないのね。

2011年12月2日金曜日

出迎え

ロンドンアンサンブルのメンバーのうち、ヴァイオリンのタマーシュとヴィオラのジェニファが到着。私の家の近所に宿泊するので、駅まで出迎えを頼まれた。成田空港のサイトで調べると定刻より少し早く到着。スムーズにエクスプレスにも乗れて、順調にウイークリーマンションにチェックイン。イギリスではマンションは御殿のような建物をさす言葉だそうで、ジェニファが、あまり立派ではないホテルに入って行くときに「マンション」と口の中でつぶやいたのがおかしかった。部屋は恐ろしく狭くてベッドとソファーベッドが部屋をうめつくしている。床はほんの少し見えるだけだから、広いところに馴れた彼らにとってみれば、ものすごく狭く感じられるだろう。でも恋人同士だからいいか、とはこちらの勝手な言い分。とにかく地の利がいいからあきらめてもらうしかない。私がいつの間にか主催者側に立っているのも変な話だけれど。タマーシュは知る人ぞ知る名手だから、明日からの練習に立ち会えるのは本当に楽しみ。駅の商店街も近いので案内しようと思ったら、私たちは歩くのが好きだから自分たちで探すみたいなことを言って、やんわり断られた。お邪魔ですものね。それに私の足はいろいろやっても一向によくならず、立っているとしびれてくる。演奏には差支えないけれど、このシリーズが終わったらメンバーと2日間遊びに行く予定だから、そちらの方が心配なので治療にせいを出さねば。でも、腰でなくて本当によかった。腰だったら楽器を弾くには致命的だから。

2011年12月1日木曜日

ロンドンアンサンブル練習開始

今日からロンドンアンサンブルのメンバーが三々五々集まり始めて、第一回目の練習がはじまった。何回かのコンサートのつど少しずつメンバーが入れ替わる。私は小田原のコンサートのみの出演となるけれど、まだ日本に到着していない人もいるので、練習に参加した。きょうの練習場所は九品仏のOさんの邸宅。広いサロンがあって時々コンサートが開かれる。スタインウエイがでんと置いてあってもピアノが小さく見えるくらい広い。ピアノが我が物顔にスペースのほとんどを占めているうちのレッスン室とは大違い。でも、ここをお借りできるのは、今日だけ。あとはうちの狭い空間でひしめき合うようになる。大きな外国人が数人入ったら、さぞや窮屈なことだろう。今日の練習は全部の曲を一通り通すだけだったけれど、ピアニストの美智子さんは優れた音楽家で、ダイナミックなのに全く喧しくない。素晴らしいセンスの持ち主。夫のフルートのリチャードさんは物静かなジェントルマンで、今回のプログラムのアレンジも担当した。「展覧会の絵」を6人でやってのけようというのだから、さぞ苦労したと思う。不思議になんの違和感もないから、良く曲の特性を掴んでいるのだと思う。ヴァイオリンは同じく小田原のみの出演の志帆さん、チェロは前半出演の我らが「古典」のメンバーの重松さん。急ぎ足で練習は勧められた。曲数が多いからトロトロしているといつまでも終わらないので、重松くんが号令をかける。「はい、次」そうやっても全く休みなしで4時間を少しこぼれた。大変楽しい練習だった。座っていれば足の痛みも感じない。楽器を弾くには影響がないけれど、歩くのが困難なのでこの先どうしよう。どこの仕事にも車で行けるとは限らないので、車でいけないと地獄だなあ。ところで、足が悪いと上半身が楽になるのかしら。楽器を弾くのがすごく楽なんです。いままで踏ん張りすぎていたのかな?

2011年11月30日水曜日

病院へ

子供の頃から虚弱だったから、病院に行くのは少しも苦にならないけれど、今日はまいった。日本は高齢化社会だから年をとって部品がさび付いてきた人たちがわんさかいる。それで、整形外科はおおはやり。仕事ももうとっくにリタイアして、さして用事があるとは思えない人たちが、診察時間が遅れているといって、大騒ぎをしている。どっちみち家に帰って嫁さんから邪険にあつかわれるより、優しい看護婦さんのいるこの病院にいた方がいいんじゃないの?次から次に呼び止められ、自分の番が来ないと文句を言う人がいるので看護婦さんは大忙し。それでも一人ひとり丁寧に受け答えをしている。えらいなあ。私が看護婦だったらとっくに切れて「うるさいっ」って怒鳴っているところだが。それでも4時間もかかって薬と湿布薬をもらい、コルセット制作の予約をして薬局に向かう頃に疲れ果てた。田辺聖子の「ああ、カモカのおっちゃん」が書庫にあったから借りて読んだので、たいそう愉快に待っていられたけれど、何にもしないでボーっとしていたらたまったもんじゃない。さて診察の結果は以前と同じすべり症。レントゲンの結果を見ると大したことはないので薬とコルセットで様子を見ることになった。薬はたぶん痛み止めと胃薬。それでも足のだるさは耐えがたく、ほんの数分立っているのもつらい。それでお店の中で下の棚を見るふりや、エレヴェーターの中で自分の買い物袋を点検するふりをしてしゃがみ込んで一時しのぎにしていた。カートにもたれかかって足の負担を軽くする。昨日立ってヴァイオリンを弾いたら9分くらいの曲でも大変つらくて、気持ちが足に行くため上半身の力が抜けて、いつもより弾きやすかったのが儲けものだった。良い時にも悪い時にもいつでも、取り柄はあるものだなあ。

2011年11月29日火曜日

腰が・・・

先日から怪しかった腰がどうも言うことをきかなくなった。痛みはなくなったのに立ち上がってしばらくすると足がしびれてくる。あまりのだるさに立っていられなくなる。それでも一昨日までは少し動くと症状が軽くなって動けたのに、昨日から今日はほとんど立てない。それでどうしたらいいかと思ったけれど、良い知恵も浮かばないから、とりあえず寝ることにした。約一昼夜寝て、これでどうだと思ったけれど、立つと足が異常にだるい。5分と立っていられない。たしか以前腰痛の時に作ったコルセットがあったっけ、探すと無い。いつもそこらへんにゴロゴロあったはずが・・・思い出した・・・ゴムが劣化して使い物にならないから捨てたのを。いつも肝心な時に肝心な物が無いのが私の生活。ごみはいくらでもあるのに。立つとしびれるから四つん這いで家の中を移動していたら、今まで見たこともないところに埃がいっぱいある。四つん這いは楽だから雑巾を持って床掃除。腰痛も捨てたもんじゃない。珍しくお掃除なんかしちゃった。一か所きれいになるとほかも気になってくる。特にレッスン室は今度の週末ロンドンから有名なヴァイオリニストがやってくるから、お掃除にも熱がはいる。久しぶりに小ざっぱりした部屋はなんだか冷たい感じになって、いつものひっちらかった部屋の温かみが消えてしまった・・・ように思える。一般の人はこれが普通で気持ちいいと思うのかしら。私は少し散らかっている方が居心地がいい。いつまでも四つん這いで歩いてはいられないから、明日は病院に行ってみようとおもっている。行かれたらだけど。本当は私は猫だからこのままが自然なのかもしれない。それでも最近の動画では喧嘩をして仁王立ちになる猫なんかもいるらしい。せっかく四足で歩くなら可愛い尻尾がほしいな。

2011年11月27日日曜日

お見事

関東学院大学オーケストラの定期演奏会が7回目を迎えた。初めは人数も少なくシンフォニーなど夢だったこのオーケストラがいまや立派にベートーヴェンのシンフォニー7番・・・・おや、奇しくもラッキーセブンがならんでのコンサート。数年前からのお付き合いだが、目を見張るような上達ぶりに舌を巻く。新入生のうちでもここで初めてヴァイオリンを手にしたような学生も、立派に演奏に参加している。指導者がいいのとみんなの努力と指揮者の安東先生のお言葉。それは言える。トレーナーは私たちの古典音楽協会のメンバーのうちの2人。私はエキストラで参加。特に感心したのはシューマンのピアノコンチェルトで、先日の練習に参加した時に全体としてはいいけれど、細かい部分でどうかなと思うことがあって、それをトレーナーのN先生につたえておいたら、今日のステージリハーサルではきっちりなおっていた。なによりもこの学校の校風でしょうか、生徒がとても明るく素直なのがいい。一緒に今回エキストラで参加したヴィオラのFUMIKOさんもビックリ。あまりの礼儀正しさに仰天して、彼女の親友の大学の先生が見学にきたほどだった。来年はブラームスの1番のシンフォニーだそうで、いよいよ大曲に挑み始めている。今日感心したのは管楽器の思い切りの良さ。ベルリオーズのラコッツィーの出だしは秀逸だった。ブラームスのトロンボーンのコラールが今から楽しみ。それとヴァイオリンのソロも大いに期待している。

2011年11月26日土曜日

太りすぎ

先日受けた人間ドックの検査結果が送られてきた。てっきり胃癌が見つかるとおもっていたし、脳は梗塞と縮小が激しいと思っていたのに、なーんにも悪くない。強いていえばコレステロールと血圧がほんのわずか基準値を上回っているだけ。乳がんの検査も白。手術から7年経過。まあまあセーフかも。血圧は白衣性高血圧だと思うし、コレステロールはもう数年はずっと同じ数値。240という値は基準値(220)より高くても、この値の人が一番長生きするそうで、それならいいんじゃない?と思いませんか?善玉が多いから問題なし。ところが心臓の不整脈と腎臓に空洞?があるそうで、心臓は少し気をつけなければいけないけれど、腎臓の空洞は問題ないそうで、それはどんなことなのか。医師の説明はさっぱり要領を得ない。あってもなんら差支えないそうで、でもなぜそんなものがあるのか、はたして臓器への影響はあるのかないのか、その説明もない。あたまから素人に言ってもわからないだろうという態度見え見えでしゃくにさわる。ようするに体の中にむだな空間があるのだから、水や空気が溜まったりして圧迫することはないのだろうか。そのせいで私は太っているかもしれないのに。いつも検査の後で体重と身長のバランスが悪い、一言で言えば太っていると言われる。それなのに中性脂肪は正常。血糖値も正常。それなら別に問題なさそうな気がする。私としては少し体が重いけれど、今の体重が一番スタミナがある。もう3キロもやせると、とたんに体力がなくなる。1キロくらい痩せればベスト。それは腰、ひざへの負担が少なくなるからで、腰痛ひざ痛がなければ今のままで十分。ただすてきな洋服が似合わないのが悩みの種だけど。良いなと思って試着すると、お腹ポッコリであきらめることが多い。ヴァイオリンが弾けなくなったら猛然とダイエットして、スリムな服を着よう。服を着るためにダイエットするより、いい音を出したいから、もうしばらくは無理だなあ。

2011年11月24日木曜日

だんしがしんだ

立川談志の死去を今朝の新聞で知った。思いがけないほど悲しかった。2010年4月にこのブログで談志の悪口を書いている。当時テレビで見た彼のあまりのだらしない様子に憤慨して投稿、次の日に彼の病気が重いと知って同情していることを書いたもの。
談志を寄席に見に行ったのは学生時代。おそらく大学4年生の頃だったと思う。演しものは忘れたが、今の彼ほどは毒舌ではないが切れ味のある颯爽とした風貌が目に焼き付いている。黒い着物の多いなか、鶯色の着物が色白の顔に良く似合っていた。そして、その手の美しさが忘れられない。晩年汚いひげなんか生やしてだらしなく座っていても、手は相変わらずきれいだった。きょうテレビでお子さんたちが会見をしていたけれど、御嬢さんが手を首元にやってちょっと掻くようなしぐさをした時に、あ、お父さんに似ていると思った。うちに談志の落語全集のCDがある。去年仕事も少なくなってヒマになったので、うちでゆっくり聞こうと思って買ったのに、その後また忙しくなってきて聞かずにいたもの。志ん生、志ん朝、小さん、に続いて全集は4人目。志ん生、小さんは時々聞いているが談志はまだ1枚も聞いていない。まだ生きているから寄席で聴くこともあるかと思って、CDはもう少しヒマになってからの楽しみにと思っていたのに。かつて日比谷に飛行館というビルがあって、そこに音楽スタジオがあった。そこで仕事を終えてエレベーターに乗ったら、談志と鉢合わせしたことがあった。憮然とした表情でもう一人の男の人と黙って乗っていた。こちらも「ああ、談志だ」と思っただけだったけれど、今思えばちょっと話しかけてみればよかったと思う。たぶん、無愛想な答えが返ってきただけか、無視されるかどちらかだったと思うけれど。「落語は人間の業の肯定」本質を言い得て妙。惜しい人でも人の命のはかなさには勝てなかった。

2011年11月23日水曜日

腰痛

何年も出なかった腰痛がここ一ヶ月ほど前から起こるようになった。中国整体に行くと「あんまり体動かさないね。体硬いよ」と言われた。そういえば一昨年までは全国を飛び回っていたから、毎日今とは比較にならないほど動いていた。家を出て羽田空港へ行くまでにどのくらい歩くか。目的地に着いてバスに乗りホテルへ。ホテルから食事のために町に出てレストランを探す。面白いところがあればちょっと寄ってみる。次の日の仕事は一日中会場内だけど、控室からステージへ、休憩で控室に戻ってまたステージへを何回も繰り返す。仕事が終われば夜の街にフラフラと出てみんなでお酒を飲んで、次の朝また空港へ、羽田に着けばそこから家まで結構乗り継ぎで動く。よくもこの年であんなに動けたものだと感心する。で、なにを急に考えたかと言うと、今日は新宿御苑駅すぐの小さなスタジオで、先日亡くなった友人のご主人をしのぶ小音楽会で弾くために家を出た。初めはいつものように車で行くことを考えたけれど、音楽会のあとのフランス料理のためにやはり歩いて行くことにした。ボジョレーヌーボーを呑むことになるから、車で行って一口も飲めないのは癪に障る。お料理は絶対ワインに合うから、水やウーロン茶では悲しい。そこで気持ち良く晴れた秋空を楽しみながら、30分くらい先の湘南新宿ラインに乗れる駅まで歩くことにした。途中でそうだ、腰痛だったと思い出しながらトボトボ歩いたが腰はなんでもない。靴はスニーカーでないから少し歩きにくい。荷物も楽器もあるからしんどい。それで以前の旅行のことなども思い出して、そういえばこんな感じでよく歩いたなあなどと、懐旧の念にふけった。コンサートは友人がピアノを弾いて、ご主人のお友達が思い出話をしたり、家族の合奏があったり、終始和やかに進んだ。私はあまりお目にかからなかったけれど、こんなにいいお友達がたくさんいるのは、本人の人柄の賜物に違いない。しめっぽくならず、笑い声がしばしばあがって、まるで当人がそこにいるような雰囲気だった。きっと、一緒にいたのでしょう。帰り道、又往きと同じ道を歩いて帰った。バスも止まっていたけれど、なにか歩きたい気がして歩いてしまった。ヘトヘトになって帰りつき、そういえば今日は腰が痛くないことに気が付いた。そうだ、今日は朝から猫のトイレの掃除のためにずいぶん動いた。猫トイレの周りが汚いので、その辺の掃除もした。私にしては珍しいほど、朝から動き回った。それがよかったのかも。体は動かすためにあるのか。怠け癖のついてしまった体は中々動いてくれないが、これからはこころして動かすようにしようと、絶対に守れない決心をした。明日はどうかな?

2011年11月22日火曜日

練習順位

仕事が錯綜してくると、練習の順序をまちがえるとえらいことになる。今日はこの曲を重点的に練習、そしてカレンダーを見ると、あっ、しまった。明日はこの曲の本番だと飛び上がりそうになる。とくに今回ヴィオラとヴァイオリンが重なって、上手く組み合わせないと、明日はヴァイオリンで本番、次の本番もヴァイオリン、そして次からはヴィオラでリハーサルにはいり、その途中でヴァイオリンの本番があって、またヴィオラに戻り・・・ふうー、練習順を間違えるとすっかりヴィオラの手になったところでヴァイオリンの本番が来たりすると悲惨。やはり弓の圧力や重さ、ヴィブラートの速さ、左手指の間隔など、同じようにみえてもかなりの違いがあるから、そのつもりで練習を上手く組み合わせるようにしなければならない。若いころは無謀にもヴァイオリンとヴィオラを同じコンサートで弾いたりもした。古典音楽協会のプログラムにブランデンブルグ協奏曲5番があると、ヴァイオリンが一人あまり、ヴィオラが一人たりないので、その曲だけ私がヴィオラにまわったりするけれど、普段は私のヴィオラは殆ど眠っている。今回のようにヴィオラの仕事がくるとさあ大変。寝た子を起こさないといけない。寝た子を起こすとうるさいから起こさないようにという意味かもしれないが、ヴィオラの場合は起きて大騒ぎしてくれないと困る。弾き始めは音が出ない。弦を取り替えたり弓をいろいろ試したりしているうちにようやくしぶしぶ鳴ってくる。鳴ってしまえば、ほとんど力を抜いて弾ける。それまではゴリゴリむりやりこすったり、解放絃をむやみに鳴らしたりしてご機嫌をとる。かなり体力を消耗するけれど、楽器が目を醒ますと、急に楽になる。そうなればこっちのもの。適度にさぼっても楽器が勝手に歌ってくれる。弦楽器に限らず管楽器もそうだと思うけれど、楽器対自分がシンクロしてきたときには本当にうれしいもの。いわば人馬一体といったところ。
そう言えば、ずいぶん長いこと馬に乗っていないなあ。バランスが悪くなってきたらしく馬が中々走ってくれなくなってしまった。もう一度モンゴルの大草原を馬で疾走したい。煮詰まってくるとこんな風に逃げ道に行きたくなる。

2011年11月21日月曜日

達成感って?

仕事に対する未達成が連続すると不快だと言う人がいる。仕事が達成するとはいったいなんだろう。たとえば私たちの仕事は常に未達成の連続。毎日これで良いなんてことはありえない。でも毎日のめり込んでいる幸福な人種だとおもっている。というのは演奏することそのものが面白い。パガニーニのように弾けるわけではないし、世間からもたいしたことのないヴァイオリン弾きと思われているのは重々承知。お金が稼げるといってもソリストたちのようにギャラがいいわけではないし、最近はほとんどボランティアでも頼まれれば喜んで弾かせてもらう。だれかが自分を必要としてくれているのがうれしいというより、自分が弾くのが楽しいから。達成感というものが自分が自分に対する評価だとしたら、いつも自分を甘やかして「よしよし、これでいいのだ」と言ってやるのが一番。他人の評価は気にしないでいい。徳川家康(な、なんだ、急に)が人の一生は重い荷物を持って歩いて行くようなものと言ったけれど、目標が高ければ高いほど荷物は重くなる。私は目標はたてない。昨日弾けたところが今日はまた弾けなくなっていたとしても、よしよしお疲れねえと自分を甘やかす。決して自分には意地悪しない。未達成感とは、自分に厳しく高い目標を高く持っている優れた人たちのみが持てる、要するに能力がある人ほど強く感じるものなのだから、そのように感じる人は自分が選ばれた人だと思っていいのでは?高い山があるからそこに登る人がいる。高い山を苦労して上った人は、他人の何倍もの達成感を感じるに違いない。でも、登頂に失敗したら深い挫折を感じると思う。挫折しても又登る。いつかはこの山を征服しようとして。登頂してもすぐ次の山が待っている。また挑戦、挫折の繰り返し。人が達成感をあじわうことなんてできるのかしら。たぶん、生きているうちに達成感を持てる人なんていないのではないかと思いませんか?だから未達成の連続はちっとも不快なことではないと思うけれど。達成、未達成は譬えれば右足と左足のようなもの。右が出て左が出て初めて歩くことができる。達成を右足とすれば、右足だけで歩こうとすれば失敗する。未達成の左足も可愛がってやらないと、ケンケンしているのに気が付かない人になってしまう。達成、未達成は表裏一体。両方必要。疲れたら頑張らないで休めばいい。疲れがとれたら全力疾走。いいじゃないですか、人生面白いのはこれだから。

2011年11月20日日曜日

関東学院大学オーケストラ

関東学院のオーケストラとは数年のお付き合い。今月27日、新逗子の渚ホールで定期演奏会があって、今年も演奏のお手伝いをすることになった。昨日、今日とリハーサルに参加した。昨日は車を運転していても恐ろしいほどの悪天候。雨がフロントガラスに激しく叩きつける。高速道路上も水が溜まって、排水が間に合わないほど。そのおかげで休日の渋滞がなかったのが唯一の救いだった。キャンパスに入ればいつものように、明るく可愛い生徒たち。おそらく大学の中でも屈指の礼儀正しさではないかと思われる。いつでも誰かが役に立とうとして声をかけてくれる。今どきの若者はと言って嘆く言葉はここでは通用しない。授業が終わって暗い廊下を、迎えにきてくれた学生と歩いてリハーサルの部屋へ行くと、次々に挨拶が飛んでくる。しかも、ここの学生たちは目をまっすぐに向けてくる。それが心地よい。プログラムの最難曲はシューマンの「ピアノ協奏曲」 この3楽章は特に合わせるのが難しく、プロのオーケストラでもしばしば破たんが起きる。これがはたして大丈夫だろうかと懸念していたが、思った以上に上手く合わせていたのにホッとした。合宿や日頃の長時間の練習の成果らしい。
今朝は昨日の悪天候が嘘のように晴れ渡り、台風一過を思わせる暖かい一日となった。こんな日は金沢八景にあるこのキャンパスは特に気持ちがいい。プログラムのメインであるベートーヴェンの交響曲第7番。「のだめカンタービレ」で一躍有名になったので、最近の学生、アマチュアオーケストラでは人気が高い。秦野の西湘フィルも次のコンサートはこの曲に決まった。それはさておき、関東学院のオーケストラの歴史はまだ7,8年。それでここまでこぎつけたのは指導の先生たちの実力と学生たちの努力の結果。時には10時間もすると言う驚異的な自主練習時間の量にはビックリする。それで留年なんかしている親泣かせも中にはいるのでは?早稲田や慶応の伝統あるオーケストラにはまだかなわなくても、いつか歴史を重ね肩を並べてくれることを期待している。

2011年11月19日土曜日

ヴィオラを鳴らすその2

降参!強い絃は鳴らない。もう少し・・・たった一日弾いただけなので・・・我慢して弾き込もうかと思ったけれど、ためしにナイロン弦に戻してみた。音が出る。我慢して弾き込めばちゃんと音が出てきてくれるなら一生懸命やってみるけど、最低限ナイロン弦でも良く音が出るならなにも苦労することはないさ。私の人生観が如実に出るのがこんな時。もしかしたら楽器が絃の強さに負けているのかもしれない。そうそう力のある楽器ではないから。もう少し大きな体を持っていたら、大きな楽器にしたいけれど、今の楽器の大きさはもう私にとって限界なのだ。とても柔らかく気品のある音が出る(まるでわたしそのもの、オホン)楽器ではあるが、小ぶりだから音量はいまいち。それでもいつも音は褒められる。ほかに褒めるところがないかもしれない。ヴィオラを練習しているとヴァイオリンが楽になる。これは儲けもの。芯から鳴らすためには相当な力がいるとおもうけれど、筋肉がついてくるのだろうか。毎日両方弾けばいいかもしれないが、そこまで勤勉じゃないので、このコンサートが終わったとたん、ヴィオラは押し入れで眠ることになる。この次日の目を見るのはいつのことかしら。時々ヴィオラの生徒さんがやってくるので引っ張り出してほんのちょっと弾くだけ。ヴィオラの音は本当に良い。穏やかで深みがあって優しい。こんな人に私はなりたい。何回も言っていると思うけれど、私の性格とは正反対。正反対のものにあこがれるのかもしれない。

2011年11月18日金曜日

ヴィオラを鳴らす

早いものでもう霜月半ば過ぎ。12月のロンドンアンサンブルのためにヴィオラを弾き込んでいくことにする。日頃弾いていない楽器だから、音が鳴りだすまでにかなり時間がかかる。今回いつもより強めの絃をはってみた。かなり強いガット弦をさらに張りを出すために、ワザありの張り方にしてみた。弾いてみると・・・スカーッ・・・あらま、音出ない。安物の弓が完全に負けている。腕も安物だからどうしようもない。だからと言ってヴィオラのために新しい弓を買う気もない。調整をしてくれた楽器屋さんに訊くと、チェロの弓で弾いてみたらどうですか、と言う。今、音大などでも流行っているそうで、なるほど、チェロの弓なら音はたくさん出そうだから、早速試してみた。うん、出る出る。しかし、いかにも無骨な音になる。チェロの弓は超安物だから、もう少し良い弓ならいいかもしれない。楽器が鳴ってくるまで、使ってみようか。それで色々試してみたけど、たとえヴァイオリンの弓でも値段の高い弓はちゃんとした音が出る。ふしぎだなあ。たった一本の棒に馬の毛張って、それで音がこうも違うのはどうして?ほんの少しの微妙な違いだけで、お値段倍増、音楽家は貧乏になる。しかし、ヴィオラをチェロの弓で弾くのが流行っているとはちっとも知らなかった。それはそう、なんで弾いたってその楽器に合っていていい音が出て、操作が上手くいくなら、どんなジャンルの弓だっていいわけだけど、長い間かけて完成されてきたものだから、バランスとしてはその楽器専用のを使うのがいい。でも、今日は目からうろこだった。

2011年11月17日木曜日

ノラはどこで寝ているの?

暖かいうちは毎日我が家の駐車場で過ごしていたノラがこのごろあまり姿を見せなくなった。朝早く駐車場に行ってもいない。日が高くなって気温が上がってきたころ、やっとご出勤となる。どこかで餌をもらっているらしく、最近はよほ好物でないといやいや食べる様になってきた。今日は奮発して鶏肉をあげたら、それは久しぶりに興奮状態で食べていた。寒くなったら入れるようにと、段ボールにフカフカのベッドを入れたものを物置に入れて置いたのに、そこでは暮らしていないようだ。うちに居付き始めたころ、余計なことをする人がいて、餌をやりに入ったりしたものだから、やっと警戒心を解き始めたところだったのに、驚かせてしまったようだ。一度餌をやって逃げて行くおじさんを見つけて、やめてくださいと注意してからなくなったけれど、本当に余計なことをしてくれたお蔭で、私にまで警戒するようになってしまった。もう少しで家までついてくるところだったのに。それでも、ついてこられたらそれも色々大変だと思うけれど、この寒空に震えているかと思うと、先住猫との争いもほんのひと月もすれば収まるから、我慢しようと思っていた。色々苦労したらしく、人間に対する警戒は相変わらず。でも、金網越しなどで安全だとわかっていると、じっと優しい視線を向けてくる。こんなに毎日餌をやっているのに、少し悲しくなる。もう少しこの地域の人たちが優しくて、ネコのいる生活をおおらかに受け止めてくれたら、こんなに苦労はしないだろう。トルコでは猫が可愛がられていて、道のそこここに猫が寝ていた。大きなトルコの男たちが、髭面で無骨な連中が、ネコの頭を優しくなでて通りすぎる。見ているとたくさんの人がそうしていく。イスタンブールの猫は幸せなのに、こちらのノラはかわいそう。

2011年11月16日水曜日

フランツ リスト室内管弦楽団

オペラシティーコンサートホールにて。昼間自転車に乗ってルンルンだったと思ったら、夕方になって微熱が出てきた。風邪のひき始めらしい。行くかどうか迷ったけれど、魅力的なプログラムにひかれて行ってきた。ハンガリー狂詩曲6番、ソプラノ独唱が入って、リストの歌曲、モーツァルトのディベルティメントK.136 、ソプラノ独唱ラフマニノフ、リストの歌曲で前半終了。
後半は日本人ヴァイオリニストの佐藤俊介のソロで、パガニーニのヴァイオリンコンチェルト2番、3楽章がカンパネラの名前で知られる。そしてブラームスのハンガリー舞曲を3曲、最後はリストのハンガリー狂詩曲2番。
この弦楽合奏団は(管弦楽団ではなく、今回は(?)弦楽器だけ)リストの名を冠するだけあって、さぞや腕に覚えのある人たちだろうと思ったら、まさしくその通りだった。テクニックもさることながら、音質がまるでベルベットのような響き。独特の厚みのある豊かな音色に感激する。日本人の佐藤俊介が楽器を引っ提げて(文字通り楽器をぶらぶらさせながら)出てきたときに、徳永二男を彷彿とさせた。背格好、髪型、態度がよく似ている。もしかしたらお弟子さん?空恐ろしいほどのテクニック、もう日本人のレヴェルもここまで来たかと感慨深い。もっとも今世界のコンクールの上位入賞者は日本人だらけ。みなこのくらいうまいに違いない。今日はさすがに眠くならない。最後までしっかりと聴かせていただきました。

小春日和

今日みたいな日をそう呼んでいいのかな?陰暦10月って陽暦の11月ですよね。川崎まで自転車でお出かけ。同じようなことを去年も書いたかもしれない。川崎ミューザまでは約7キロ程だと思うけれど、少し薄着だったせいか汗もかかない。このところ少し食べる量を減らし、運動を毎日少しずつやってきたので、体調は上向いてきた。この調子なら人間ドックに入らなくてもすんだのに、と思う。あの調子の悪さはやはり精神的なものだったのか。まだ結果が送られてきていないのでなんとも言えないけれど、一つ気になるのは不整脈。胃の内視鏡検査をしている時に鼓動らしい音が機械音で耳元で鳴っていた。なんとなく聞いていると、時々脈が飛ぶ。口がふさがれていたから「この音はなに?」とか聞けなくて、あとで訊いたらやはり鼓動だと言う。診察室でもダルな医師から「別にどうってことはないけど、不整脈があるってことを忘れないで」と言われた。どうってことないって・・・なぜ飛んでしまうのかの説明はなく、あとでちゃんと調べようと思ったから、それ以上追及はしなかった。たぶん睡眠時無呼吸症候群ではないかと疑っている。一度水中で呼吸ができなくて死にそうになって、ハッと目が醒めたことがあった。夢だった。でも完璧に呼吸は止めていたみたいで、しばらく息を整えるのが大変だった。不整脈と無呼吸で最近は目が醒めた時に、しっかりと疲れていることが多い。今日は珍しく睡眠が足りているようで、思わず口笛が出るほど気持ちの良い自転車小旅行だった。

2011年11月15日火曜日

ウイークりーマンション

昨日ロンドンから電話があって、12月のロンドンアンサンブルのコンサートの出演者の泊まる場所の確保についての相談だった。練習場が私のうちに決まったので、ここに近い場所としていくつか候補を見てほしいという依頼を受けた。このエリアに「ウイークリーマンションがあるのを見つけたけれど、部屋の広さが心配なので見てきてもらえないかしら。済みません、一回しか出ないのにこんなことまでお願いして」と電話の向こうで恐縮している。まあいいでしょう。乗りかかった舟ですから。ちょうど運動に良い距離。自転車で15分くらいのところにそのマンションはあった。もっとも場所がわからなくて右往左往したから、直接行けばもっと近い。駅から近い。清潔だし管理も行き届いている。コインランドリーがあって、部屋には小さな台所、バス、トイレが完備されている。一人なら十分の広さ。でも、今回はヴァイオリニストとヴィオリストが恋人同士なのでツインを頼みたい。うーん、二人だと少し狭いかな。しかもベッドは一つは普通のベッドだけれど、もう一つはソファーベッド。寝心地は当然よくないでしょう。そこにどちらが寝るかが元で喧嘩になると困る・・・なんて余計な心配。ウイークリーマンションは便利なシステム。一日でも長期間でも借りられる。長期になると少し割安になる。去年の冬、横須賀での仕事が二日間続きだったので、家に帰らず近くのウイークリーマンションに仲良し3人で泊まったことがあった。いつものように大いに飲んで食べておしゃべりをして、次の日の仕事も元気に弾くことができた。ホテルよりもアットホームで今後の旅行などにも活用できるかもしれない。

2011年11月14日月曜日

以心伝心

先月までバリバリ仕事をしていた男性が、「このところ調子が悪かったんです」と言う。生き生きと楽しそうに仕事をしていて、それでも仕事の内容はあまり教えてくれない・・・というより、聞いてもわからないから訊かないし、あちらからも言わないけれど、何があって調子が悪くなってしまったのだろうか。私も実は先月からたて続けに身近な人との悲しい別れがあって、久しぶりに個人的なことで悲哀を感じていたところで、彼の気持ちは何が原因か知らないけれど、共鳴するものがあった。気分がシンクロしていると勝手な想像をする。一人で落ち込むより、誰か落ち込んでいる人が同じ時期にいたということが心強い(というのも変だけど)。べつに連絡を取り合って一緒に落ち込んだわけではないから、お互い勝手に落ち込んでいただけの話なのに、妙に以心伝心という言葉が浮かぶ。テレパシーが飛んだかな?アハハ、まさかね。考えてみると、世界中で洪水や突然の寒さ、季節外れの雪などがたて続けに起こった時期ではなかったか。気象が体や精神に与える影響は計り知れないものがある。大津波のように直接体を襲うものはおいて、気圧や気温などにも、ひどく精神状態を左右される。特に人の生死は月の運行に左右されるのではないか。それで私の友人や親族が亡くなり、仕事を楽しんでいた人がやる気をなくし、私は悲しみ、といった連鎖があるのでは?そう説明してしまうと、これはつまらない。少しは前世からの因縁でなんていう説明ができると面白い。これは相手が私の好きなタイプだからで、もし嫌いなタイプの人が「やあ、同じ時期に一緒に落ち込むなんて、以心伝心ですなあ」なんて言ったらムッとしただろう。人間本当に勝手なものです。

2011年11月13日日曜日

集約すると

今日は弦楽アンサンブルの指導が6時に終わり、2駅先のレストランに「雪雀連」が集まっているというので合流することにした。年に1,2回、スキー用具をコーチの小川源次郎先生に選んでもらうために、この時期に集まっている。選考会が終わると先生を囲んで食事をしながら、スキーの話題で盛り上がる。今年は会長の山田さんが前立腺の手術をしてみんな心配したが、80歳の高齢にも関わらず艶々と元気そうな顔をしている。今年も夏はまたニュージーランドに行くそうな。小川先生は稀代の変人で、初めてお目にかかった時はスキーの話題以外、何一つ通じないくらい凝り固まっていた。今でもそうだけど、「雪雀連」のコーチとして毎年指導をしているうちにすっかり懐柔されて、人間的にも普通人に近ずいてきた。雪雀連の皆は、自分達が彼を世間並みに育て上げたと思っている。小川氏も自分が雪雀連を上手くしたと自負している。お互い様。ところでスキーの技術論を聞いていると、なんとヴァイオリンの演奏に通じることかと思う。なんでもそうだけれど、余分な力を入れずに自分の体重や腕の重みや、要するにその技術にとって必要なことに対してのみ、力をそこに集中すればいいのだから、当然ほかの部分の力はすっかり抜けていなければならない。ほかに力が入ると力は分散されて、肝心な部分に重みが加わらなくなる。それをするためにどれ程みんなが苦労することか。力が抜けた時、初めて必要なパワーが得られる。そこに到達するまでの道のりは遠い。スキーもヴァイオリンも、もちろんほかのなんでも、脱力が最も大切な課題として集約されている。

2011年11月12日土曜日

奏鳴曲

藤沢 俊樹 チェロ           
高橋 恭子 ピアノ

マチネーは休日の大きな楽しみ。
ロカテッリ、シューベルト、フランクの「ソナタ」 それとカサドの「親愛の言葉」という小品。
杉並公会堂小ホールにて。

藤沢さんは合奏団や仕事でながーいお付き合い。今日のロカテッリは初めの音からハイテクニックを見せつけられた。軽やかなワンボウスタッカートで始まり、アップボウのスタッカート、もっと難しいダウンボウのスタッカートがこれでもかと出てくる。いかにも易々と弾いているように見える。そう見えると言うことはとても優れたテクニックの持ち主である証拠なのだ。初めの曲は誰しも硬くなる。しかし、今日の彼の音は初めから伸び伸びと響いた。シューベルトはごめんなさい・・・・私はシューベルトを聞くと反射的に寝てしまうのです。またとない入眠剤。心地よく休ませていただきました。ステージでは緊張してずいぶん練習も重ねて演奏するのに、客席でのんきに寝るなんて。でも、良い演奏でなければ眠くならない。それは言える。休憩の後はフランクの名曲、元は名ヴァイオリニスト、イザイのために創られたヴァイオリンソナタなのに、なぜかヴィオラもチェロも弾きたがる「ソナタ」 これは本日の圧巻。ピアノもチェロも名演だった。最後のカサドの曲は初めて聴いたけれど、ここまで来るとホールがチェロに共鳴して、響きはじめる。音の美しさと曲の面白さで客席からも大きな拍手が巻き起こった。客席の奥様に「素敵だったわ」と言ったら「年の功よ」と言う。本当に年を重ねて(でも彼はまだ私より若い)毎回よくなっていく。チェロは音が良い。昨日の健診で聴力が高いほうがほんの少し聞こえにくくなっていると言われた。これからはどんどん低音嗜好になって行くと思うので、ヴィオラ、チェロのコンサートを聞くことが多くなるかもしれない。

2011年11月11日金曜日

人間ドック

今日は待ちに待った楽しい検査の日。今日の胃カメラは何味かしら。バナナ味?チョコレート味?鼻歌交じりで雨の中お出かけ・・・とはいきません。第一朝ごはん抜きというところが気に入らない。朝はわたしの一番好きな食事タイム。なにを食べてもおいしい。それを抜くなんて。病院に着いた頃には空腹で倒れそうだった。初めに受付で看護師から書類のチェックともろもろの注意事項を聞いて、医師の問診を受ける。もう一人同年代の女性が一緒に受けるようだ。私たちの世話をしてくれる看護師はいかにも真面目そうで、少しとろい。見ていると手際が悪く、それだけで血圧が上がりそう。「年齢は**才で構いませんか?」と聞かれたから「構うけど事実だから」と突っ込むと困ったように笑っている。ああ、あんまりおちょくってはいけない相手だと気が付く。もう一人の人が血圧を測ろうとしたら血圧計が作動しない。すぐに別の器械にすればいいのに、何回も同じ器械で試している。違うのがそばにあるのに。結局違う器械を使うことになった。診察室に入ると、よれっとした風貌のドクターが「お腹が太ってるね」と言う。ムッとして言い返す。「失礼ね」思わぬ反撃にドクターは少したじろいでやや丁寧な口調になる。初めはお決まりの採血、採尿、お腹のエコー検査やマンモグラフィーなど・・・そして待ってました!胃の内視鏡検査。以前受けた時にはあまりにド下手な操作にのたうちまわった。今回は鼻から通すことにしてもらって、でも鼻からも辛ければ、喉にすぐ切り替えてもらいたいとわがままを申し入れておいた。来る看護師が皆、鼻がだめならすぐにのどにしますからね、と優しく言う。この病院は全国の入りたい病院の上位にランクされる。スタッフ全員が優しい。以前の内視鏡の操作をした人を除いてだけれど。私のすごいところは喉に麻酔されてもなお、空腹感は消えないというところ。(なんの自慢?)お腹すいたなあ。きっと胃カメラもおいしいに違いない。始まってみれば前回とは雲泥の差。スルスルとカメラは胃の奥深くに潜入。しかし、内部に怪しい個所あり。組織検査を受けることになった。「限りなく100パーセントに近く大丈夫だと思う」と言われたけれど。乳がんの時もそうだったから、あまり信用はしていない。大騒ぎしたおかげで担当医は慎重に操作してくれて無事終了。あとは脳のMRIと胸のCTスキャンで終了。さっきまでと鈍くさいと思っていた担当の看護師もよく見れば中々きびきびしているし、初め好印象ではなかった同行の患者さんもきれいな人に見えてきた。そして、再び診察室に戻る。この先生だけはどう見てもやっぱりさえないなあ。白衣の前が薬品かコーヒーか知らないがしみだらけ。だらしなく椅子に腰かけ野太い声で偉そうに喋る。最近足がつったことを話すと誰かに助けてもらえというから、ネコでは何の助けにもならないと言ったら面白そうに笑った。あら、笑うとちょっといい感じじゃないの。わかってるのよ太り過ぎって。でもいきなり言われたから猫パンチを繰り出したってわけ。
最後に遅い昼食を摂る。この病院は食事もおいしい。食べ終わったら疲れたけれど、すっかりご機嫌で雨の中を帰ってきた。

2011年11月9日水曜日

ノラのガールフレンド

ノラが優しい声で鳴いている。私を呼んだのかと思って慌ててウインナーソーセージを細かく切って「はいはい」と返事をしながら餌場の駐車場にとんでいく。ところが初めのうちこそ感激に打ち震えながら食べたウインナーの臭いをちょっと嗅いで口をつけない。あら、お腹がいっぱい?部屋へ戻ると又優しい声が聞こえる。「にゃんにゃん」なにかご用ですか?急いで階段を駆け下りて見に行くと、さっきあげたソーセージを可愛い三毛猫に食べさせているではないか。赤い首輪をつけた小柄な三毛。まだ今年の春に生まれて、やっと18歳になったばかり・・・の年齢と見た。まったく男ってやつは。いつだって若くてきれいな女の子に弱いんだから。ノラはこの頃良い食事にありついて、夏以来のみすぼらしさが嘘のように消えて、立派な風采になってきた。三毛はおじさまに可愛がられる女子高生みたいなものかも。ノラは結構年を取っているように見えるのにちゃんとノラ生活をしているということは、比較的体力があるに違いない。猫の社会では体力が勝負。三毛はそこに惹かれたのかしら。とにかくノラが一人で苦労していないで、こんな可愛いガールフレンドをゲットしたのはでかしたと言いたい。
以前、うちの玄関先で毎日餌を食べていたパンダ模様のノラがいた。せっせと通ってきたのにあるとき急に来なくなった。もう死んでしまったかと思っていたら、その一年後にまた現れた。そしてまた毎日餌をやっていると近所の奥さんが「あら、この子、ずっとうちに来ていたのに急に来なくなったと思ったら、ここに来ていたのね」と言う。なーんだと大笑い。そうやって餌場を確保しながらしぶとく生き抜くノラは大したものだ。そこここにパンダそっくりの子猫がいて、父親はあの猫だとすぐにわかった。その繁殖力はすごく、本当にたくさん子孫を残していた。あれからもうずいぶん経って最近子孫らしい猫はこの界隈から消えた。そのうち、うちの(?)ノラに似た子猫が誕生するかもしれない。猫がそこら辺を歩き回れるような優しい地域ではないから、苦労したらかわいそうだけれど。

2011年11月8日火曜日

整体に行く

ヴィオラを弾いて痛めた首、腰を直すために近くの中国整体に行った。いつもの担当がいなくて今日は大男の先生。うわ、大丈夫だろうか。こんな大きなひとにボキボキやられて痛くないところまで痛くなったらどうしよう。身長180センチくらい、体重もすごく重そう。そして始まった。とても元気が良い人で背中を乱暴にぐいぐいさすって「硬いね」と言う。この調子でずっとやられたらきっと痛いにちがいないから、もう少し力を抜いてくださいと言おうとしたら、なぜかスッと眠くなる。おや、思ったよりずっとソフトになってきたぞ。そして、そのまますとんと眠ってしまった。時々目を覚ますと鼻水が垂れている。風邪をひいたらしい。又眠ってしまった。終わる頃再び力が強くなって目を覚まされた。最近こんなにぐっすり眠ったのは久しぶり。終わって立ち上がろうとしても力が抜けてフラフラする。初めて顔を見ると柔和なまん丸顔で、やさしそうな小さな目が笑っている。家に帰ってもう一度ヴィオラを弾こうとおもっていたのに、もう体中がふにゃふにゃで、このまま寝たい気分になってしまった。12月のコンサートが終わるまではせっせと通うことになりそう。結局楽器を弾くということは体つくりにもつながるから、同じ年代の人に比べて外見は元気に見えるのはそのお蔭かもしれない。中身はいろいろあるのです。胃が痛い、腸の具合が悪い、腰、ひざが痛いなど長年使ってきた部品にガタがきているのは仕方がない。でも楽器を持つと生き生きとした気分になれるのは本当に幸せなこと。歳をとって無理に動かさなくなったぶん力が向けて、むしろ以前より音を出すのが楽になったのは、すごく儲かった気分がする。捨てる神あれば拾う神、ですね。

サイズが合わない

今年12月にロンドンアンサンブルの演奏会に一日だけヴィオラで参加することになった。若いころはヴィオラもヴァイオリンも両方で仕事をしていたけれど、やはりヴィオラは私には大きするので、泣く泣くヴァイオリンだけで仕事をするようになった。ヴィオラの音もヴィオリストの性格も好きだったから、と言うより私自身がヴィオリスト的性格(マイペース、ひがみっぽい、大雑把、無精、ものぐさ、表に出ることを嫌う等々)だから、非常に楽器との相性も良くて、ほんとうならヴィオラ一本でいきたいところだった。ところがヴィオラ弾きに必要な体の大きさがない。日本人の中でも特に小柄だから、ヴィオラを弾くと必ず腰が痛くなる。今回の演しものは「展覧会の絵」をアレンジしたもので、初めはピアノ用に、あとでオーケストラに書き直された。音が厚く多彩なオーケストレーションなので、ピアノ、フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの5人で弾くのは各々の受け持ちが多くなるということ。かなり一人一人の負担が大きい。そしてふつうヴィオラではめったに弾くことのないハイポジションがやたらに出てくる。もう一本ヴァイオリンがいればセカンドヴァイオリンが受け持つ音域をヴィオラが弾かなければならない。短い腕をいっぱいに伸ばすと体は捻じれ、腰や首がギリリと痛む。でもこんな面白いチャンスを人に譲る気はさらさらなく、この一ヶ月それに耐えるように訓練していかなくてはならない。サイズが合わないと言えば、飛行機のビジネスクラス。一度乗ってみたいと思っていたので、ある時思い切って乗ってみた。さて椅子に腰かけると、これが私には途方もなく大きく、体は沈んで立ち上がることもできない。足載せに足を乗せようとしても届かない。体が宙に浮いた状態のままの状態で本当に疲れた。身の丈に合った生活をするものだと痛感した次第。ヴィオラもサイズが合わないからこの先もう弾くこともないとは思うけれど、あの何とも言えない魅力のある音を捨てがたく、来世は大きな人に生まれ変わろうと思う。さっきヴィオラ弾きの性格を悪く言ったようにとられるけれど、裏を返せば中庸を知る落ち着いた控えめな教養人の姿が浮かんできませんか?そういう人に私はなりたい。あまりにもおっちょこちょいなので。

2011年11月7日月曜日

ジェットコースター

先月今月と感情の起伏はまるでジェットコースターに乗っているように上がり下がりする。コンサートの楽しみと人が亡くなる悲しみとが交互にやってくる。今日は親戚の私より若い男性が亡くなって、奥さんと娘さんの悲しみに付き合ってきた。先日はたくさんの人と一緒に演奏ができてとても楽しかった。
禍福は糾える縄のごとしと言うけれど、こんなに短時間のうちに両方がどっと押し寄せてくることはめったにないから、気持ちのコントロールが大変。かわいそうだったり幸せだったり、本当に忙しい。今年は3月11日の大震災を境に、日本中の人の気持ちや人生観が変わった年でもあった。私も非常に影響を受けやすいほうだから、あれからしばらくはふさぎ込むことも多かった。しかも夏の節電騒ぎで、蒸し暑さを我慢したために、秋口からなんとなく体調もすぐれない。その上ジェットコースターのように変わる悲喜こもごも。年をとったせいか、少しは衝撃も柔らかく受け止められるようにはなったけれど、それでも時々ひどく応えることがあって、本当に今年は疲れました。先日睡眠中に、いきなり足がつって目がさめた。その痛さったら、我慢強い私でも唸ってしまうほど。次の日友人4人と会った時にその話をしたら、そんな重大なことなのに皆しれっとしている。何のことはない、足がつるのは日常茶飯事だそうなのだ。私は軽くつるのは時々あったが、そんなに痛いのは初めてだったので、重大なことが体に起きていて救急車ものだと思っていたのに、皆そんなことはよくあるらしくて、ビックリして損をしたような気持ち。歳とればいろいろあるさって、軽く受け流さないといけない。それでもし命にかかわるようでも、人の命は結局消えるのだから心配しても同じこと。それなら心配しないでおおらかに生きたい。おおらかさとだらしないのは紙一重で、私はどちらかと言うと・・・だらしなく生きている方かな?

2011年11月6日日曜日

珍しくヒマな日曜日

土曜日は怒涛のような一日で、しもたかフィルというアマチュアのオーケストラのお手伝い。なんだか最近プロのオケからお呼びがかからなくなり、アマチュアのオケを彷徨している。オケマンが地元で自分の弟子や地域の人たちを集めてオーケストラを始めることが多い。それは自分の楽しみでもあるし、弟子にオーケストラの楽しみを知ってもらいたいからでもある。しもたかフィルはヴィオラの名手である東氏とその奥さん、ヴァイオリンとヴィオラで大活躍する手島さんの二人が作り上げた。東さんとはいつも古典音楽協会で一緒に演奏する仲であり、手島さんとは仕事でご一緒する。しもたかフィルは手島さんの名マネージメントで成り立っている。優秀なヴァイオリニストでカルテットなどでも引っ張りだこの売れっ子の彼女が、ここのオケでは完璧に裏方に回っている。もったいないとは思うけれど、彼女の裏の働きがないとやっていけないので、仕方のないこと。東さんから「ねえ、弾きに来てよお」と言う甘ったれた言葉に誘われてもう5,6年にはなると思う。初めはがっちゃがちゃだったオケも次第に体裁が整ってきて、今年なぞは結構な出来栄えだった。私はいつも一回しか練習に出ないから、シンフォニーなど弾くと結構緊張する。やっと思い出したころ本番が終わる。今年は会場練習ができなくて、下高井戸の小学校で練習してから会場に移動するという煩わしいことになった。大体下高井戸みたいに道の狭い商店街にコインパーキングがあるのかどうかがまず心配だった。うちのひどいカーナビに振り回されて、世田谷のわかりにくい道をやっとのことで小学校近くまで行くと、なんとラッキーなことか。コインパーキングに一台分空きがあった。ほかのパーキングはすべて満車で、日頃の行いが良いと幸運は向こうから来るものだわと自賛する。狭い教室でひしめき合って自分の音もわからないくらいの騒ぎの中で練習が終わると、ほとんど茫然自失、耳が疲れる。今度は会場へ向かう。井の頭通りを行くとカーナビが大騒ぎをしてなにやら変な方向に導こうとする。一応カーナビさんにお伺いは立てたものの、勝手知ったるNHK周辺。さっさと自分の道を行く。ほら着いたじゃないの。このカーナビは本当におかしい。オリンピック記念青少年センター。とても響きのいいホールで本番は楽しいが、今年は後ろにやたら威勢のいいお姉さんがいて、テンポがかならず速すぎる。それを抑え込もうと必死に努力するも、若くて生きのいい音がバンバンと迫ってくる。なんせ、一泊休止符があっても絶対に休まない。だから人が休んでいる時にはもう弾いている。そうされるとこれから弾こうと思っている人はもう弾けなくなってしまうのだ。殆ど半分後ろを向いてそれをけん制しながら弾いたのでもうヘトヘト。終わってから来ていると思った友人たちがだれも現れないし、雨は降ってくるし、盛り上がらないでしょんぼり帰ってきた。その疲れで今日は一日どんより、空模様もどんより。いつも一番忙しいはずの日曜日が休みになった。

2011年11月4日金曜日

月例弾く会

あっという間に一ヶ月は経ってしまう。「弾く会」も初めは気楽に参加していたけれど、これが中々のくせもの。一曲終わってほっとすると、あっという間に次の会がきてしまう。追いまくられているようだ。そしてピアニストと言う人種は超真面目なので、必ずと言っていいほど毎月大曲を新しく出してくる。弦楽器のFUMIKOさんと私はなんだかいつまでもヘンデルのパッサカリア。今日はFUMIKOさんはシューベルトの「アルペジオーネソナタ」私はベートーヴェン「ロマンス」とバッハ「G線上のアリア」。でも来月は「パッサカリア」を弾く本番があるので、次回も練習代わりに例会で弾くことにする。譜読みはできているのであとは練り上げていくばかりだが、奥が深くてスケールの大きなこの曲はいつまでたっても様にならない。作曲家の器の大きさをひしひしと感じる。ピアニストに言わせれば「ヴァイオリンは音がピアノに比べて少ないから譜読みが楽よね」とくる。いえいえ、とんでもない。まずあのつるっとした指板のことを思い出してほしい。あの指板の上のある一点を違えずに押さえるのがどれだけ大変なことか。譬えれば、なんの目印もない原っぱでゴルフの名人がどの地点でも必ず同じポイントに球を落とせるとは限らない。左右にぶれたり、距離が違ったりするでしょう。ヴァイオリンはそれの縮小版、短くなった分誤差はもっとひどい。ほんの0コンマ何ミリの差で音程は変わってしまう。指一本が半音違う。指を寝かせて押さえるか、立たせて押さえるかで、音程も音質もガラッと変わる。そして指板の高音域のほうは、なぜかどんどん音域の差が狭くなってきて、ひどい時は指をいちいちずらしながら押さえなくてはいけなくなる。ピアノのように音が決まっていて、そこを叩けば猫でも犬でも同じ音程が出る楽器とはわけが違う。毎日毎日音程との戦いで終始する。もっと厄介なのは右手のボウイング。弓の遣い方によってどれほど音質の差が出ることか。毎日弾いていても音がガサガサの時もあるし、めったにないけれどやたらに調子のいい時もある。訓練である程度の水準は確保していても、調子が悪いと音そのものがちゃんとでない。ピアノは音はとりあえず出るし、音程も決まっている楽器だから、弦楽器はその前段階で苦労しなくてはならない、とても損な楽器なのだ。時々子供にヴァイオリンを習わせにくる親御さんに泣かれる。「こんなに大変だとは思っていませんでした」と。ピアノの悪口を言っているのではありません。なぜなら私は途中までヴァイオリンにするかピアノにするか迷ったくらいピアノが好きだったから。ピアノにはピアノの苦労がある。だからほかの楽器が自分の楽器よりも易しいなんて、露ほども思わない。それぞれ大変なんだから。

2011年11月3日木曜日

手にいつ頃からかシミができて、目に入るたびに嫌な思いをしていた。顔は鏡さえ見なければ本人は見えないからいいけれど、手はすぐに目に入る。先日北里研究所に行って手のシミ取りをしてきた。レーザーをバシッ、バシッと照射して行く。あとが真っ黒になってシミよりずっと汚い黒い斑点になったけれど、2週間後には全部のかさぶたが取れて、シミは消滅した。久しぶりに見るシミのない手。うれしいけれど今度はしわが目立つ。この手で何十年もヴァイオリンを弾いてきたのかと思うと、しわがあろうと、関節が節くれだっていようと、いとおしい。何十匹もの猫の頭を撫でてきたことか。怪我もせずここまで来られたことに感謝する。今更ながら人間の手の素晴らしさに驚嘆する。こんなに精巧にできている手をもったからこそ人間はこれほどの文明を築きあげられたのだと思う。二本足歩行を始めたからそうなったのか、手が素晴らしく器用なので足から分離できたのか、その辺はわからないけれど、そのお蔭で私は素敵に楽しい人生を過ごしてきた。大事な大事な私の手。関節炎で指が曲がり、一時はヴァイオリンを弾くことをやめなければならないかと思うほどの痛みに悩まされ、音程が悪くなって周りにもずいぶん迷惑をかけたと思う。でも私の唯一の自慢は幅広で親指が内側を向いていること。見てくれは悪いけれど、この手がヴァイオリンを弾くことに向いていたから、ろくな才能もなく努力も中途半端でもやってこられた。あるとき右手のボウイングを習いに行った時、初めてお目にかかる先生が私の手を見ておっしゃった。「あなたの手はそのまま弓をもてるよね」本当に初めからなんの苦もなく弓が持て左手も苦労なし。だからといってろくな音楽的才能は持ち合わせていないから、大成はしなかったけれど、そこそこ仕事も出来て、時々はコンサートも聞いて頂けて幸せだった。あともう少し手が長ければ申し分なかったと思う。でも私は身長が低くて、これで手だけ長ければオランウータン。オランウータンでもいいな。森に棲んで木の天辺で昼寝も悪くはない。

2011年11月2日水曜日

カレーランチ

昨日は友人2人と待ち合わせて私の地元のカレーやさんでランチ。インドかスリランカか、とにかく本場の人の作るカレーはたくさんの種類があって、しかも、ナンの大きさと言ったら、初めて見た時はほんとにビックリした。しかもおいしい。それでアンサンブルの練習する前にこのカレーを食べて気合を入れるのが、FUMIKOさんと私の習慣になってしまった。彼女は無類のカレー好き。ここのカレーはどうやらお口に召したようで、いつも付き合ってもらえる。そして、今回は同級生のピアニストのSさんが一緒。今度の「弾く会」に一緒に演奏するための練習にわざわざ私の地元まで来てもらった。3人で楽しく会話しながら食べていると、隣の席に2人の女性が座った。初めて来たらしく名物のナンの大きさに仰天している。こちらを見て「大きくてびっくり、食べられるかしら」と言って笑う。こちらからも「大きいでしょう。おいしいのよ。食べきれなければ残した分を包んで持って帰れますよ」と言ってニコニコする。女性同士はこうやってあっという間に打ち解けるけれど、男性の場合そうはいかないらしい。猫を見ていてもわかるけど、雄同士はすぐに縄張り争いを始める。メスはどこ吹く風。気の毒だなあ雄は、いや、失礼、男性は。さて、昼食が終わると練習。まずFUMIKOさんがシューベルトの「アルペジオーネソナタ」を合わせ始めた。もともとアルペジオーネというギターの親戚のような楽器のために作曲された。アルペジオーネ自体はすぐにすたれて演奏されなくなったけれど、その無類に美しい曲は今、チェロやヴィオラで演奏され愛されている。隣の部屋でパソコンの写真のチェックをしながら聞いていると、ステキな音が聞こえて来る。でも、ある人から送られてきた自分の写真があまりにもお化けなので、少し悲しい。ああ、美人に生まれてくれば写真見るのもうれしいのになあ。

2011年10月31日月曜日

寝坊

いつも早起きの私が珍しく寝坊をした。目がさめたら11時近くになっていた。このところの様々な悲しみ、喜びに振り回され、ブログもままならずの状態だった。やっと気持ちが落ちついてきて日常にもどりつつある。どうやら疲れがどっと出たらしい。昨日日曜日は合奏団の仲間の東さんご夫妻が主宰する「しもたかフィル」のお手伝い。下高井戸商店街の「しもたか音楽祭」に出演した。「しもたかフィル」は「西湘フィル」と同じくアマチュアのオーケストラで、下高井戸を拠点に毎年この「しもたか音楽祭」に出演の後、代々木の青少年オリンピック記念会館で定期演奏会を行っている。いつの頃からかこのオーケストラの公演にエキストラとしていまや常連になってしまった。一回だけ練習に付き合って本番を迎える。メンバーは年齢の幅が広く、小学生から高齢者まで。毎年来ると、小学生の低学年だった坊やがすっかり大人びて、いっぱしの青年に変わって行く過程が見られる。だから向こうからするとおばさんがおばあさんに変わる過程を見ることになる。それが残念。今年はブラームス「大学祝典序曲」ドヴォルザークの交響曲「新世界より」シュトラウスのワルツ、ポルカなど。やはり継続は力、毎年上手くなっていく。それともこちらが毎年下手になっていくのかしら?「しもたか音楽祭」のあとは11月5日代々木での定期公演を迎える。今年一緒に並んで弾くのは吉本興業の芸人さん。今は漫才を組んでいるそうだが、以前はヴァイオリンを弾きながら漫談をやっていたそうで、さすが勘が良くて周りの気配を非常によくつかむ。オーケストラやアンサンブルを演奏するときにこの勘がないと、どれほど上手な人でも使い物にはならない。彼はこんなところでオーケストラなんか弾いているところを見ると、まだあまり売れているとは言えないかもしれない。でも、いつか有名になったら私の自慢になるかもしれないなんて、ちょっぴり期待しているのですが・・・「ほらほら、あの人。一緒に新世界弾いたのよ」なんてね。

2011年10月29日土曜日

雪雀連はご長寿

会長の山田宏さんとメンバーの田畑精一さん。二人揃って傘寿を迎えられた。一方でなくなる人もいれば、こうして長寿を祝ってもらえる人もいる。人生山あり谷あり。私もずっとふさぎ込んでいたけれど、そうもしてはいられない。会場は時々ここにも登場する松本記念音楽迎賓館。小高い丘の上にあって、木立に囲まれた豪邸で、よくドラマの撮影にも使われるらしい。
会長の山田さんはピアノの調律士界の大ベテラン。もちろん現役で今でもあちらこちらのコンサート会場や著名なピアニスト御用達。それでも私のような著名でなくピアニストでもない音楽家のうちにも来てくれる。
もうお一方の田畑さんは有名な絵本作家、先日古典音楽協会のコンサートを聴きに来た人の中に幼児教育関係の人がいて、私のお客様の田畑夫人を紹介すると、目を輝かして「田畑さんの御本は子供の頃に読みました。現場でも使っています」と言って感激していた。
さて、この二人。80歳と言っても世の中の80歳を想像してはいけない。目の輝きが違う、姿勢がちがう。まったくボケる気配もない。会長は先日前立腺がんの手術を終えたばかりなのにおそろしく元気で、もう来年のスキーの計画を発表している。田畑さんはものすごくハンサムでいまだに沢山の女性の憧れの的。どうしたらこんなに素晴らしい人生が遅れるのだろうか。
祝賀会に集まったのは40名を超える人々。音楽ホールで私たちの演奏や田畑夫人の人形劇、数名の祝辞のあと、トリをとったのは山田会長のお孫さんの翔君。着物を来て急ごしらえの高座に上って落語を一隻。まだ小学生なのに、恐るべき才能を発揮して会場を沸かせる。演しものが終わってからはレセプションルームに移動して宴会となり、ケーキカット、花束贈呈でお開き。静かな住宅街に楽しい帰り道の会話のさざめきが消えてゆき、三々五々家路についた。人生を思うがままに生きたお二人、ご苦労はもちろんさまざまにあったとは思うけれど、人生を愛し、どんなに困難な時にでもその中に楽しみを見つける。なにごともしゃれのめし、笑いに変えられる稀有な才能。ずっと年上で恐れ多いがあえて言わせていただこう。私のかけがえのない友人たちと。

2011年10月28日金曜日

小田部ひろのさん





この写真はルフォスタ創立当時にみんなで横浜の動物園に行ったときのものです。



ルフォスタには多士済々、いろいろな職業の人が来ています。中でも、金沢八景の動物園の飼育係の方は口笛の名人で、発表会に口笛を吹いて出演した。あるとき、コアラに触らせてもらえると聞いて動物好きな私たちは小躍りして喜んだ。集合写真で数えてみたら19人、撮影者をいれて20人。



早朝にも関わらず(と言うのは混まないうちにという飼育係さんの配慮から)勇んで動物園へ。初めて見たコアラは本当にぬいぐるみの様だった。コアラの飼育係さんは口笛の人とは別の人だったけれど、親切にコアラを左手で持ち上げて一人ずつ触らせてくださった。小田部先生のうれしそうな顔が上の写真。



写真を見て気が付いたのは、初めのうちは飼育係のお兄さんも嬉しそうに抱き上げてくれていたけれど、お終いの方の人になると、明らかに疲れてもう限界って顔をしている。重たいのによく長い間捧げ持ってくれていたと思う。このころは小田部先生と私の間柄は非常に良好で、毎日笑ってばかり。面白いことを次々と考えて実行に移し、発表会はおじさんたちの汗やため息と笑いで、もうひっちゃかめっちゃか、打ち上げは止めどもなく盛り上がり、ジャズの教師とクラシックの教師も仲良く一緒に演奏していた。それを一番楽しんでいたのが小田部さん。みんなが楽しむのを本当にうれしそうに見ていた。そのうち、大きくなった教室は外部からスタッフが入ってきて急に規制が増え、そのことで私とはずいぶん喧嘩もした。喧嘩をして彼女が反撃に移る前に必ず、負けないもん!と言わんばかりに口を一文字に結ぶことが思い出される。しばらく冷戦状態が続いたあと、やはりこのままではいけないからと和解して、それからは以前と変わりなく仲良く一緒に歩いてきた。普通の会社などと同じような厳しい規制はそのうちにユルユルになった。私の突き崩しと、小田部先生の元々優しい人柄がそうさせたようだ。一度教師たちのためのコンサートが開かれ、ほとんどの教師が出演した。その時聴きに来た人が、小田部さんの吹いたクラリネット五重奏が一番良かったと言っていた。クラリネットの音が暖かく素晴らしかったそうだ。最後まで人のことしか考えなかった小田部さん。激しい痛みをおくびにも出さず、私を含めた数人以外にはほとんどの人が彼女の病状の深刻さに全く気がつかなかった。痛む足をかばいながら、オーケストラの団員のために椅子を運んだりしているので、もうやめてくださいと何度もお願いしたけれど、決して手伝うのをやめなかった。モルヒネで朦朧としていないときにはメールの返事もすぐ来たのに、ある時ばったりとそれもなくなって、ああ、もうだめなんだとわかっていても、まだ希望は捨てきれなかった。そして、危篤の知らせを受けて、病院へ息せき切って駆け付けた時、まだ苦しい息をしていて、私の呼びかけにウンウンと頷いて、そして待っていてくれたかのようにスッと息を引きとってしまった。ひどいじゃないですか。私より若い貴女が私を飛び越して行ってしまうなんて。ちょっと鼻にかかった可愛らしい声で「ねえ、先生、旅行に行きません?」っていつも聞いてきたのに、今度は一人で行ってしまった。思えば人の何倍もの濃い人生だったのかもしれない。最後に作り上げた西湘フィルは彼女の命の結晶となって、発展していってほしい。夢を実現してルフォスタの信念を貫いた小田部さん。やすらかにお休みください。



2011年10月22日土曜日

慟哭

私の仕事場の音楽教室「ルフォスタ」のオーナーであり教師である小田部ひろのさんが亡くなった。10月21日午後3時、ご家族に囲まれ眠りについた。まだ50代、まだ若すぎる。彼女はクラリネット奏者で、その人目を引くエキゾチックな美貌と頭の良さ、そして何よりも心の豊かさで人々から愛された。どんな人でも彼女にひきつけられる。それは彼女が誰のことも楽しくさせてあげたいと、いつでも願っていたから。よく訊かれた。「どうしたらみんなが楽しめるかしら?」
今から17.8年前になるのだろうか。心優しい小田部さんは「大人のためのオアシス」のような音楽教室を作りたいと考え、それに賛同した教師5人ほど、生徒はわずか数名で渋谷の小さなマンションに教室を開いた。その教室を立ち上げる前に、やはり渋谷で教えていた彼女は経営者の拝金主義に嫌気がさして、本当に音楽を楽しませてあげられることを理想に、仕事に疲れたおじさんたちがここへくればホッとできるような空間を作りたいと言って、自ら教室を経営する決心をした。そして、その教室は初めのうちは理想通りのものとなった。毎日が愉快で希望と笑いにあふれていた。しばらくして人気の出た教室はいつしか生徒も教師も増え、手狭になったため青山通りに面した大きなマンションに移転した。しかし、その頃から教室の雰囲気は以前のような自由な雰囲気は消えてしまった。一般社会の規則が教室に入り込んでくるにつれて、私と小田部さんの間で軋轢が起きた。あくまでもオアシスを目指す私と経営者としての彼女とは、ことごとく対立してもう修復不可能かと思ったけれど、どちらからも離れようという言葉は出なかった。文句を言いあいながら、それでもお互い信頼しあい、旅行にもよく一緒に出掛けた。今から数年前、乳がんの手術をした後血液にも骨にも、そしてついに肺にまで転移して、苦痛に耐えながら仕事をしている彼女を、私は全力でサポートすることにした。本当にいい音を出せるアマチュアオーケストラを作りたいというので、秦野まで通ってトレーナーとしてプレーヤーとして協力してきた。そして第一回目の素晴らしいコンサートのあと一部の人に造反され、どれほど悔しい思いをしたことだろうか。そのことも彼女の命を縮める一因となったに違いない。そして分裂の後の新オーケストラ「西湘フィルハーモニー」も非常に良い演奏ができた。そのことがせめてもの慰めとなったと思うけれど、すでに体は蝕まれて命は消えようとしていた。激しい痛みに耐えながら最後まで人に尽くすことを貫き通し、天に昇ってしまった小田部さん。教室の名称「ルフォスタ」は「ルック フォー スター」を短くしたもの。星を見上げて願いをかなえようという理想を掲げ、教室の太陽だった彼女は、今自ら星になって人々を照らしている。今の私は泣くことしかできない。

2011年10月19日水曜日

洗濯日和のはずだったのに

テレビのお洗濯情報は丸だったのに、どんどん天候が悪くなっている。情報を信じて洗濯物を干して出かけたけれど、少しも乾かない。曇天で頭が重い。こんな日はゆっくりとお風呂でも入って整体に行ったらいいのだけれど、少しは練習をしないといけないという強迫観念があるから、そうもいかない。だからと言ってすぐに練習に入るわけでなく、だらだらと引き伸ばしているうちに夕方になり、ほんの少し練習してお茶をにごす。それならさっさと整体に行けばよかった。あとで必ず後悔する。いつも即断即決のように友人たちからは思われている。ところが、その実態は、優柔不断、有言不実行。いやになるくらい物事が進まない。それでいて興味本位で色々手を出すから、結局自分で自分の首を絞めて、なにもかも中途半端。ああ、何十年もこうやって生きてきたのか。ヴァイオリン一筋に生きてくれば、もう少しマシな音楽家になれたものを・・・・。天気が悪いと鬱症状になる、私は本当の意味のお天気や。子供の頃は体操の授業や運動会が大嫌いで、降ると中止になるので雨は好きだった。朝起きて雨になるとラッキーと思ったものだった。考えてみると小学校の体育の授業って、飛んだり跳ねたりを要求されるものが多くないですか?跳び箱、逆上がり、水泳など瞬発力が必要。100m走なんてのも。私はどちらかというとバランス型。スキーやボートでバランスをとるものが好き。乗馬も。逆上がりは学年ただ一人できなかった劣等生で、ほかの科目の成績まあまあだったから、先生が悔しがって必死でサポートしてくれたけど、ついにできなかった。それを悔しいとは思わないから本気が出ない。子供の頃からおっそろしいマイペースだったんだなあと、自分でもおかしくなる。面白くもないことを熱心にやる気には到底なれない。いまだに面白いと思えないことはたとえ必要でもやりたくはない。だからまがりなりにもこうやってパソコンに向かっているのは、面白いから。上手になる意欲は低いけれど、毎日向わないと気が済まない。きょうのどんよりした天気みたいにまとまりのない文章になりました。だから何を言いたいのかが明確にでてこない。私の脳内が曇天なのです。

2011年10月18日火曜日

あれっ・・・・・

あじさいはあきらめてはずいぶん前に投稿したもの。なぜこんなところに顔を出したのかしら。そういえば箱根美術館の庭園もそろそろ紅葉が見ごろになる。11月頃はさぞや見事なお庭になることでしょう。
さてノラは益々図に乗って贅沢になり、猫カンは見向きもしない。今はソーセージ類がお好みで、ついに私の手から50センチくらいまで近寄るようになってきた。それも好物のソーセージの時だけ。あとは相変わらず2メートルほどの距離を置いて、それ以上近付くと逃げて行く。扉の壊れた物置を猫小屋にしようと、その中に段ボールの箱を置いた。猫ベッドを段ボールの中にいれて、扉が閉まってしまわないように煉瓦で押さえて、さあ入ってくれるかなと思っていたら、今日はのそりとそこから出てきた。これから寒くなるから暖房がないとかわいそう。よくよく見ると、もう歯も抜けて腰が曲がって、相当な高齢猫のようだ。どんな事情でノラになってしまったのだろうか。食べ物の嗜好から見ると元は飼い猫だったと思う。もっとも、人間のホームレスさんたちは、私たちよりずっとグルメだそうだから、そのへんは共通するかどうかどうか。一時期、飼い主に引っ越しの時、おいて行かれた黒猫の面倒を見ていたことがある。可愛そうにイライラして攻撃的になっていたのが、優しい近所の人に引き取ってもらえて、すっかりおっとりした猫に戻っていた。そのうちでは私のうちから貰われていった小雪ちゃんという真っ黒な猫も飼っていた。よほど黒猫が好きとみえる。日本では真っ黒な猫は幸運を運んでくると言われる。西洋では魔女の手先になる。この文化の違いを見ても日本は仏教の国、優しい国民だと思う。でも、うちの隣人は恐ろしく獰猛…あっ、これ読まれたら大変!

2011年10月17日月曜日

あじさいはあきらめて

箱根美術館の美しいお庭です。

箱根美術館

この庭園は季節毎に素晴らしい景色が眺められます。今は緑滴る季節、秋には美しい紅葉が見事です。

箱根美術館

この庭園は季節毎に素晴らしい景色が眺められます。今は緑滴る季節、秋には紅葉が見事です。

折り畳み式自転車

nekotamaで自転車が無くなった記事を読んだ方から、もう使わなくなった折り畳み式の自転車をあげましょうという申し出をいただいた。結局、無くなったと思った自転車は出てきたけれど、友人の軽井沢の別荘に行った時や小淵沢に遊びに行った時など、折り畳み式が車のトランクに入っていれば役にたつので、ありがたく頂戴することにした。近くの大きなスーパーの駐車場で待っていると、やってきたのは銀色に光るすごくいい自転車。こんないいものを頂いては申し訳ないけれど「震災の時に役に立つかと思ったけど、地震が来たら家の中にこもりますから」と言って惜しげもなく下さった。うれしくてトランポリンに乗った気分。早速駐車場で乗り回してみると、車輪が小さい割にはシッカリ安定している。ハンドルもちょうど真上から掌で押さえるようにしているととても楽で、変速機までついているからきっと坂道も苦にならないと思う。ただ折り畳む時、セットするとき、かなり力がいるので一人では無理かもしれない。おかげで軽井沢や小淵沢の通りすがりのおじさんたちは、駆り出されこき使われることになりそう。それから私がやたらに鍵を捜すことについても、鍵に付ける小さな携帯を教えられた。なるほど、これに発信すればたとえ上で猫が寝ていても、すぐありかがわかる。わたしの携帯の料金プランは信じられないほど安く設定されていて、一つ増えても料金は変わらないらしい。どんなマジックなのかよくわからないが最強のブレーンがついているから、網の目のようにキャンペーンを様々に利用しているらしい。そこで手の平でスッポリくるめるくらい小さくて、しかもウオークマンになる可愛い携帯をストラップで付けることにした。すでにかばんやバッグなどに取り付けられるように、鍵用の小さなベルトをFUMIKOさんから頂いて重宝しているけれど、この間そのベルトごとベッドの上に置いた鍵が見当たらなくなって大騒ぎした。結局上で寝ていた猫の下敷きになっていたのを見逃していたのだ。これからは携帯の番号に発信すれば、音がして猫もビックリ、すぐどいてくれると思う。そんなこんなで皆さんには些細な生活のことまで面倒見ていただいて感謝感激です。

2011年10月16日日曜日

西湘フィル活躍

分裂以来20数人から再出発した西湘フィルは、今その傷も癒えて順調にコンサートを重ねている。今日は二宮の町あげての音楽祭に参加。ビゼーの「アルルの女」を熱演した。地元のケーブルテレビのカメラも入って、放送されるという。管楽器に実力のあるメンバーがいて、フルートのソロ、それに絡むオーボエのソロ、サクソフォーンなども上出来だった。ステージでのリハが10時半、本番が11時という慌ただしさだったので、ろくに音合わせもできないまま本番へ。照明やセッティングに時間をとられるのがもったいない。メンバーの中に二宮町の人がいて、彼らがあいさつをするためのリハーサルも行われた。時間の都合でそれも途中で打ち切られいざ本番となったら、第一声がおそろしく上ずっていて心配してしまった。すぐに落ち着きを取り戻したものの、不慣れなトークにろれつが回らず可愛らしい。初めは男性。次のトークは女性二人。女性は本当に堂々としている。二人ともジョークを交えながら、会場を沸かせる。たいしたもんだなあ。女は強い!昨日の悪天候が嘘のような秋晴れになった。秦野へ行き始めてから初めて往復ガラガラの東名高速を走った。往きは雨雲が少しずつ晴れてゆき、山の稜線が雲の合間から青く見え始めていた。帰りは抜けるような青空で、気温は29度。ひえー、夏だあ。後戻りして大山あたりまでドライブしたい気分だったけれど、夕方の上りの混雑を考えたらすぐめげて、さっさと帰ってきた。特に休日のドライブで嫌なのは、追い越し車線に走行車線より遅い車が走っていたり、意味もなくブレーキを踏む人がいること。かと思うと気が狂ったかのように縦横無尽に3車線横切る人がいる。私も免許取り立ての頃はああだったに違いない。それを見てつぶやく「お若いですなあ。」

2011年10月15日土曜日

アマデウス

ウイーンフィルメンバーによるチャリティーコンサートを聴きに行った。勝どきの第一生命ホール。プログラムは全部モーツァルト。カルテットで「狩り」「プロイセン王」クラリネットを加えて「クラリネット五重奏」モーツァルトだけのプログラムなんて幸せこの上ない。いつも前半ぐっすり寝てしまうはずの私が、しっかりと起きて耳を澄ました。初めの音から、それはウイーンの音以外の何物でもない。なぜこんないい音なのだろうか。世界中でもウイーンの音はずば抜けている。会場の第一生命ホールは、できたときに内覧会で見せてもらった。このホールはステージも客席もいいけれど、楽屋が素晴らしい。この楽屋を使うだけのために、このホールを借りたいと思うくらい。ただ、地の利が良くない。どこの駅からも歩くには遠すぎる。大江戸線勝どき駅で降りると海風が感じられてそれはなかなかいいけれど、動く歩道を使っても優に10分強。雨が降ったら少し憂鬱だと思う。それはともかく、これぞモーツァルトという演奏に酔いしれての前半、しかし、クラリネットが入ると、どうしても思い出すことがある。今、私の大事な友人ががんに侵され苦しんでいる。彼女は美しいクラリネット吹き。乳がんの手術の時にクラリネットが吹けなくなるのは嫌だと言って、転移しているリンパ節をとるのを拒んだ。数年前から骨に転移し痛みに苦しみながら、それでも私たちと東欧やエジプトに旅行して楽しく過ごしていた。なにかを始めようというときにはいつも私に協力を求めてくる。私もズケズケものを言いながら、なんでも協力を惜しまなかった。一時は大ゲンカをして周りをハラハラさせたこともあったけれど、彼女の病気が進行してから私は一切文句を言わず、すべて彼女の思いを実現させるべく奔走していた。しかし、今病気に打ち勝つべく療養に専念している、その人のことが脳裏から離れない。クラリネットを聞いてハラハラ涙をこぼしてしまった。願わくばアマデウス、あの人をあなたの音楽で包んでほしい。この音を彼女のもとに届けてほしい。少しでも痛みや苦しみがやわらぐように。

2011年10月13日木曜日

ノラのおうち

ノラはうちのベランダに来て入りたくてしかたがないようだ。網戸が張ってあるのでベランダからは出入りができないようになっている。その網を外からカリカリする。そこへたまさぶろう登場。ラッパのような甲高い大声で脅しをかける。それでもノラは羨望の眼差しで中の猫たちを見ている。たま以外の猫たちはおおむね好意的で、対面してニャンニャンなど可愛らしく鳴く。ノラが冬場に住む家を作らないといけない。駐車場に物置が6個。ここに駐車している人たちが使っている。そのなかで一台空いている物置があって、前に使っていた人が車をぶつけて扉がひしゃげている。そこに段ボールに猫ベッドを入れて暮らせないかと考えた。扉が閉まってしまわないように煉瓦でおさえて、出入り口に斜めに板を置いてみた。これなら多少寒さはしのげる。意地悪な人も他人のうちの物置には手が出せない。冬になって、ノラがその頃までに馴れてくれれば家に入れてもいい。そのかわり、たまさぶろうとの壮絶なバトルは覚悟しないといけない。いつも新しい猫を入れる時に、ウンザリするほど時間がかかる。初めに連れていければ獣医さんに診てもらう。ダニ、ノミを退治し、予防注射をしなければならないようならしてもらう。のらが雄なら去勢、メスなら不妊手術をする。うちに入れたらまずお風呂場に隠し、それから徐々にケージにいれて馴れさせ、最後にご対面。一ヶ月くらいはあちらこちらでフーフー、ウーウーとかしましい。それが済むとようやく受け入れられて、一緒に餌を食べ始める。その間のこちらの気の遣いようったら大変なもので、うちに帰るとまず古参猫の頭を撫で、それから新参者にただいまを言う。新参者はほかの猫がいるところでは可愛がってもらえないから、トイレにまで付いてきて甘える。そのうち皆どうでもよくなって、初めて平和が訪れる。ああ大変!

2011年10月12日水曜日

帰ってきた自転車

自転車がなくなった。すっかり諦めて又新しい自転車を買うつもりでいたら、ずいぶん経ってから一葉のはがきが届いた。見てムッとする。保管してあるから取りに来いと。失くなってすぐあきらめていつもの自転車屋さんに行ってみたら、店が閉まっていた。そのあともずっと・・・・。このブログで私が心配していることを知った方が、自転車屋さんに電話して事情を聞いてくださった。ご主人の具合が悪く、しばらくお休みとのことだった。2日ほどまえにお店の前を通ったら、ご夫婦でお店の奥に小鳥のつがいのようにちょこんと仲良く腰をかけていた。ガラス戸越しに会釈をすると、ニコニコ会釈を返された。急いでいたので通り過ぎてきてしまったけれど、元気になってもらえてよかった。
自転車は歩いて30分くらいのところに保管されていて、散歩するのに丁度いい。今日は穏やかな暖かい日なので、歩いて行くことにした。電車の駅にして2駅ほどの距離をトボトボ歩くと、かすかに汗ばんで気持ちがいい。はがきが届くのが遅いから諦めて又買うつもりだったのが、お店のご主人の病気で買いそびれ、結果としては自転車も戻ってきたので、無駄遣いせずに済んだ絶妙のタイミング。病み上がりの自転車屋さんに商売をさせてあげたかったけれど、うちだってそんなに裕福ではない。2500円也の手数料だけで済んだのは、結果的にはどちらも丸く収まった感じ。今日はひざも痛くないし、明日からは自転車に乗れるし、あまりにも小さな幸運だけど、このくらいが私にはちょうどいい。

病院へ

ずっと調子が悪い。妙に背筋がぞくぞくするような、嫌な感じがある。右足のひざが痛いので整形外科でヒアルロン酸の注射を5週連続でしてもらったのに、一向によくならない。いつもなら3週目くらいで痛みがすっかり取れるのに。使うと痛いのなら話はわかるけれど、座って居る時の方が痛い。レントゲンを撮ってもひざ関節は異常がない。とすると、関節以外のなにか?この春以来続いている腸の違和感、胃の痛み、手足のしびれ、元気な私にもいよいよ忍び寄る華麗な・・・いや、加齢の足音。これはもはや精密検査を必要とする事態になった。今朝病院へ行って人間ドック(ドッグではない・私は猫だから)すみません、つまらないこと言って。とにかく全身調べてもらうことにして、手続きをしてきた。11月11日、一日かけて検査をすることになった。その日の予定は朝8時半開始。終了が午後2時半。そのあとお食事が出ます。おや、食事つきなの?おいしいといいな。どんな献立かしら。そのあと担当医から説明があります。万一すごい物が見つかったらどうしよう。脳の検査が一番興味深い。最近の物忘れの激しさから考えると、相当脳細胞は死滅しているはず。でも、脳は蘇ることもあるそうだから、せっせと使わなくては。楽器の訓練は激しく脳を使う。そのおかげでこの程度で済んでいるのかもしれない。パソコンやスマートフォンを使うとき、絶対にマニュアルを読まないのもいけない。でも、それらの書類は私にとって、とうてい日本語とは思えないから読まないというより、読めない。もし脳に損傷があったら、苦手なマニュアルも読むようにしよう。(ほんとかな?)以前人間ドックにかかった時は、なんの異常もなかったけれど、そのお蔭でいままでためらっていた婦人科系の検査もできて、そのお蔭でその数年後に乳がんが初期で見つかって、今こうして生きていられる。今度待ち受けているのはなんだろう。ちょっと楽しみでもある変な性格の持ち主なのです。

2011年10月11日火曜日

松本の思い出

かつて松本で一緒に仕事をした仲間たちが同窓会を開いた。今から約25年以上前のこと、ヴァイオリニスト外山滋氏を中心にして集まった当時の仲間たちは異口同音に言う。あんなに楽しい仕事はなかった。メンバーはいずれ劣らぬアンサンブルの名手たち。ステージの上は毎回生き生きと音楽が演奏された。そして仕事が終わると車を連ねて、上高地や美ヶ原などにドライブ。夜も和気あいあいとお酒を酌み交わし、まるでボエームの世界のようだった。みな若くはつらつとして、前に前に進んでいた時期だった。今日集まったのはヴァイオリンとヴィオラの6人。都合の悪い人や、連絡先がわからない人もいて、チェロ、コントラバスは声をかけなかったから、これだけ集まれたのは上出来。まだまだ、みなさん現役で演奏しているから、いつの間にか松本のメンバーで外山氏を指揮者にいただいて、コンサートをやりたいねという話になった。実現できたらどんなにうれしいことか。チャイコフスキーの弦楽セレナーデという具体的な案も浮かんできている。古典音楽協会もいいけれど、曲が古典に限られてしまう。時にはこうした現代に近い曲も弾いてみたい。澁谷のイタリアンレストランで飲み、食べ、語り、笑い、マジックを楽しんだ素敵な一夜となった。こうして集まれば一気に一昔前にタイムスリップして、なんの違和感もない。本当に音楽をやっていてよかった。これで楽器を持てばもう時間は松本のステージに逆戻りする。皆で見た南アルプス、上高地の帝国ホテルで飲んだコーヒーも鮮やかによみがえる。免許取り立てで狭い山道を健気に走った、あのコントラバス奏者はなんという名前だったかしら。別れる時に忘年会をやりましょうという話になって、皆一斉に私の顔を見る。冗談じゃない幹事は嫌よ。でもニコニコして見られると弱い。ああ、面倒な。

2011年10月10日月曜日

グルメのら

始めのうちこそどんな餌でも涙をこぼさんばかりにガツガツ食べていたノラが、最近は毛艶もよくなってくると共に贅沢になってきた。うちの猫たちがいやいや食べる缶詰めを出そうものならちょっと臭いをかいで、えっ、これ食べろって言うの?みたいに人の顔を見上げる。そうよ、食べるのよ。それしかないんだから。たまに大好物のウィンナーソーセージをやると、最初は唸りながら襲われるのではないかと思うほどの勢いで飛んできたのに、昨日などは丸ごとでなく切ってよね、みたいにヨイショと容器から取り出して、さて食べようかどうしようかなと臭いをかぐ。寂しいだろうと思って、何回も餌をやってお話をしていたのが仇となったようだ。でも、艶々して目に力が宿りはじめて、これからの冬を乗り越える準備は出来たようだ。あとは、住居の問題。ホームセンターに物置を見にいったらすごく高いのでビックリした。そのわきに犬小屋がおいてあって、それは数千円で買える。ただ入り口が一つだと、寝ていて襲われた時に逃げ場がないといけない。本当ならうちに入れたいのに、一向に警戒心が解けなくてさわれない。もし入れてもうちの猫たちと壮絶なバトルになると思うから、それも困る、しかも私は猫アレルギーではないけれど、しょっちゅうカラ咳がでるのはネコの毛のせいだと思うので、これ以上猫が増えるのは健康上もよろしくない。自由に外を歩き回れるのが幸せか、暖かい家で食っちゃねするのが幸せか、それぞれの性格にもよるけれど、私は食っちゃね派なのに時々自由に歩きたくなる。根本はノラだと言える。

高速道路は低速で

日曜日に時々西湘フィルのトレーニングに行くけれど、行きはよいよい帰りはこわい。日祭日、東名の下りを夕方走るのは最低25キロの渋滞を覚悟しなければならない。だから帰りは秦野から246号線をチンタラエッサカ川崎まで走って帰る。特に大和のあたりにはよほど磁力の強い人が住んでいるらしく、必ずここを頭に混みだす。今日は珍しく練習が夜になったため、終了したのは22時近かった。この時間ならいくらなんでも混雑はしないだろうと勝手に決めて、東名に向かった。混まないと決めたから混まないと、勝手な理屈で渋滞情報も見ずに乗ったのが間違いのもと。こんな時間までみなさん何をしていたのですか?と聞きたくなるような渋滞に突入してしまった。高速道路と銘打ったからには、30キロで走らせるな。一般道を走るよりも信号が無いぶんだけ楽ではあるが、一般道と違うところはお金を払わされるところ。料金を払って高速で走れないなら、返金するべきだ、などと腹を立てる。今日も秦野から大和トンネル付近まで、大渋滞だった。そして、そこを過ぎるとあら不思議・・・・スルッと渋滞が解消される。流体の理論で説明できるのではないかと思うけれど、いつも不思議でたまらない。ほんの一瞬ブレーキを踏むだけで、渋滞が発生する原因になるらしい。それなら理屈で考えて、渋滞を発生させないような走り方があるはず。私が免許取りたてのころ諸先輩方から厳しく言われたのは、一定の速度で走れということ。下り道は早く、上りになると遅くなるのはいけない。つねに同じ速度で走るようにせよ。速度が保てないようなら、遅い車は追い越せ。要するに早く走れと言われたと解釈して、のりのりですっ飛んで走っていた。やはり運転もリズム感が必要だと思う。一定の速度で走れれば、渋滞は発生しないと思うのですが、さて、どうかな。

2011年10月9日日曜日

栗ごはんはできたけど。

体調いまいち。先月末からの微熱が中々とれない。時々治ったふうなのに、又ゾクゾクじてくる。これは足の痛みと関係あるかな。それだとリュウマチなどのこわーい病気も考えないと。腎機能が弱っているとしたら、休養あるのみ。子供の時から様々な病気とお付き合いしたので、ちょっとした体の変化に敏感になっている。今のところ、そうたいした病気ではなさそうだけど、軽い咳が抜けないところをみると、風邪をこじらせたかもしれない。健康診断を受けに行こう。どちらかというと、気軽に病院に行く。そのおかげで何事もたいしたことなく済んでいる。いままでも命に係わるほどの大病も何回かしているけれど、いずれものんきにやり過ごせた。心臓、腎臓、肝臓、ガン、ぜーんぶ体験済。こう聞くと青白い顔の美しい人を想像なさるかもしれない。して、その実態はというと、とても病気にかかりそうもないように丸々したドラ猫風のおばさんが表れて、がっかりなさるといけないから見ない方がいいでしょう。食欲は衰えていないから、実際はそんなに悪くないと思うけれど、ガンの手術の時に手術台の上でお腹が空いた、と言って周りを呆れさせた。だから死ぬ間際まで食欲はなくならないと思う。栗ごはんは栗はすごく新鮮で粒が大きいので大変おいしかった。ただ、もち米を入れたのにご飯に粘りがなくてちょっと残念な結果となった。ぜんぶもち米でおこわに挑戦しようと思っている。数を間違えて一袋余計に買ってしまったので。

2011年10月8日土曜日

栗ごはん

こっそりFUMIKOさんのブログを覗いたら、栗料理に挑戦するらしい。一晩水に漬ける。あ、そうか、皮が硬くて剥きにくいから柔らかくするんだ。さっき剥いてしまったけれど、ものすごく硬くて大変だった。パソコンで調べたら、栗ごはんの作り方がいろいろ見つかった。今は便利だなあ。フムフムなるほど、水に漬けるって書いてある。さすが年下なのに、お主やるのう。もち米がいるらしい。今日お米屋さんで買ってこよう。だったら、栗おこわの方がいいかな。今朝はこの食いしん坊な私が朝ごはんを忘れて栗の渋皮を剥いた。ああ、お腹すいた。コンサートと次のコンサートの間の、このゆったりとした空間が好き。一つ山を登って、次の仕事に取り掛かるまでの僅かな余裕がいい。気が付くとあらあら、次のハリー・ポッターのレッスンが迫っていて、まだ予習をしていない。また言い訳しながらレッスンに行くのか。とっても忙しくって・・・とかなんとか。こうやってみると、子供の頃からなにも変わらない。小学校の時は宿題を忘れる筆頭が私。ランドセルに一切教科書が入っていなかったことも。音大でもオーケストラの授業に出るのに、お弁当だけ持って楽器を忘れていったり・・・。よくぞ、今日まで仕事ができたと思う。さすがに仕事ではあまり忘れ物はしなかったけれど、またこうしてヒマができると子供の頃のように、宇宙人に逆戻り。いいじゃないの、そんな細かいことは。お星さまを見てごらん、シャープの一つ二つ落としたって、音を半音間違えたからといって、あの空の広さに比べれば、どうってことないさ。今日は栗ごはんが上手くできるかどうかの方が大切なんだ。

2011年10月7日金曜日

五日市街道を車で走っていたら、普通の民家の門に「栗あります」の看板がかかっていた。朝とれたての文字もあり、ふうーん、普通の家で栗がとれるなんて・・・、少し時間があったので、通り過ぎてからわざわざUターンをして見に行くことにした。石の門を入ると思っていたよりずっと奥が深い。敷石を踏んで庭木の間を抜けても家が見えないほど広いのには驚いた。いまどき東京(杉並区松庵)にこんな広い敷地の家があるとは。さらに奥まったところに家とまたその奥に栗の加工場があった。どこに栗の木があるの?と聞くと、そのまたさらに奥の隣の敷地に栗林があって、そこでとれるという。おじさんが3人、栗の皮むきや選別をして売っている。ピカピカの取れたての栗を一袋買って、まてよ、今日は定例の「弾く会」みんなにあげたら喜ぶかも。人数分買って車に積んだ。今日も又3人のピアニストの演奏を楽しんだ。ショパンのマズルカ27番は秋のこの日にふさわしい、心にしみいるような曲。弾いたのはアキさん。語呂合わせになるなあ。シューベルトのソナタ、バッハのカンタータ「主よ人の心の喜びを」そして、FUMIKOさんと私は昨日練習したモーツァルトの「デュオ」とヘンデルの「パッサカリア」。パッサカリアはこれでもう3回目。ようやくきょう△をもらった。◎がもらえるのはいつ?まだまだ、点数は低い。
「秋の日のヴィオロンのため息の 身にしみてひたぶるにうら悲し」(ヴェルレーヌ)のような演奏ができるようになるのはいつの日か。帰ってきて栗の皮むきにウンザリ。ああ、もらった人たちも、もてあましているかな。みなさん勉強に介護にいそがしいのに、こんな手のかかるものをうかつにあげるものではないと、反省しきり。さて、栗ごはんってどうやって作ったかなあ。もう忘れてしまった。どうしよう、焼くかな、煮るかな。困った!

2011年10月6日木曜日

松本記念音楽迎賓館

ヴィオラのFUMIKOさんにお付き合いいただいて、リハーサルにつかわせていただいた。二子玉川からスルスルと丘を登って行くと、木立に囲まれた立派なお屋敷がそれ。中に入るとまず玄関ホールから螺旋階段をのぼり、音楽ホールへと通じている。ステンドグラスの美しい小さなホールは壁が木なので、ステキな音がする。オルガンやチェンバロもあり、ピアノはベーゼンドルファー。明日の例会「弾く会」にモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのためのデュエットを弾くので、そのリハーサルを私のうちではなく、いつもとは違うところでやってみたかったのと、今月末に知り合いの方の傘寿のお祝いのための会場の下見として行ってみた。木のホールの響きを堪能・・・と言いたかったけれど、私がコンサートの後の疲れを引きずっていて、いまいち集中できない。弾きながらいろいろなことを考えてしまう。「そういえばあの日はあいているのかなあ」とか「明日はどこで待ち合わせたらいいかなあ」等々。それでうっかりすると指を間違え、ポジションを間違えひっちゃかめっちゃか。今朝、なにか体が重いとおもったら、ジワリと体重がふえていた。ストレスを感じると私は食に走るほうだから、すぐに太る。正反対にFUMIKOさんは食べられなくなるそうだから、いつもすっきりしている。ようやく文化会館小ホールでのソロが終わってヤレヤレと思ったら、今頃疲れが出てきたようだ。食欲のツケもお腹周りにたっぷりとまとわりついている。リハーサルを終えて館内を案内していただいた。庭続きに茶室や和室があって、池には鯉が泳いでいる。間もなくすると紅葉が楽しめそうだ。一階の広い部屋は、明日嵐の桜井翔がきて撮影するというので、もうセットが置かれていたので、その椅子に座ってみた。翔君温めておきました。きっと「うおっ、気色わるっ」なんていうでしょうね。11月3日に爆笑問題の番組で館内が映るという。この会場は交通の便が悪いので借りる人が少ないという割にはブームになっているようです。

2011年10月4日火曜日

イグノーベル賞 わさび警報装置

去年の受賞者もたしか日本人だった。nekotamaに投稿したと思う。粘菌(年金ではない)の研究に対してだったはず。自信がないなら去年の記事をさがせばいいのに、そこは稀代の不精猫だから、あとで探してみよう。今年は「わさび警報装置」わさびの臭いのする気体を噴射して聴覚障害者に火災を知らせる装置らしい。「火災など緊急時に眠っている人を起こすのに適切な空気中のわさびの濃度発見と、これを利用したわさび警報装置の開発」が受賞対象になった。
イグノーベル賞とはノーベル賞のパロディーでアメリカの科学ユーモア雑誌が1991年に創設し、「人を笑わせ考えさせる」ユニークな研究にたいして贈られる。毎年日本人が受賞しているという。カラオケの発明した井上大祐さん、パンダのフンを利用して生ごみの量をへらす研究をした田口文章北里大名誉教授など。今年の受賞者は田島幸信・香りマーケティング協会理事長ほか7人が共同受賞した。日本人はとかくクソまじめと思われるけれど、これを見るとユーモアの感覚は非常に豊かであるらしい。ユーモアというのは人間の持つ素晴らしい能力。才能や頭脳に恵まれた人のみが持てる最高の能力であると思う。日本には昔から狂言、落語という見事な笑いの文化があった。どんなに悲惨な状態に置かれようと、それを笑いのめすことが出来れば、そこから脱却できると思う。ユーモアがあるとないとでは、その人の人生の豊かさがどれほど違うことか。テレビなどのバカ騒ぎをユーモアというなかれ。
ところで、今年の受賞対象は悲しいことに私には役に立たない。私は臭いのわからない嗅覚障害だから。ぜんぜんダメというわけではないけれど、眠っている時にわさびの臭いくらいでは起きないと思う。よく化粧品を買いに行って、売り場の人にわからないというのに、何回も臭いをかがされることがある。何回もわからないと断っているのに。こういう人は言語理解障害とでも呼べばいいのか。

猫の情報網

ノラに餌をやり続けていたら、なんだか家の周りのカラスが喧しい。ノラが食べ終わるとさっと食器をかたずけるようにしているけれど、上空からじっと見ているのだろう。最近はレッスン室のベランダの柵に止まってうちを覗き込む。私はカラスが平気だからいいけれど、嫌いな人は怖気をふるうに違いない。最近ノラが餌の時間になっても来ないことが多い。なぜかというと、ほかの強そうな白黒の猫が待ち構えていることがある。それと、いかにも育ちのよさそうな三毛が2匹、私を見ると逃げていく。おや、うちの近所にこんなにたくさん猫がいるとは思わなかった。お隣は大の猫嫌い。某宗教の熱心な信者なのに憐みの心が皆無で、それが子供を産んだばかりの猫であっても、ものすごい剣幕で追い払う。本当に仏教徒なのだろうかと疑念がわく。しかし、毎日餌は食べきれるだけしか置かないし、食器も食べ終わるのを待って即かたずけるのに、ほかの猫がどうして来るのだろうか?妙に羽振りの良くなったノラを見て、なにかあると勘付いたのか。ノラが言いふらしたのか。あそこへ行くと餌もらえるよ、とかなんとか。故人になってしまったけれど、かかりつけの獣医のヒゲ先生がよく言っていた。猫の社会には情報網があるんだよ、と。よく夜中に駐車場などに猫が何匹も屯しているのを見かける。あれは、ねこの地域社会のコミュニケーション。あそこで問い詰められたノラがうっかりしゃべってしまったのかもしれない。実は自宅の飼い猫よりもノラには良いものを食べさせている。これから寒さに向かって生き延びるためには、栄養が必要になるから。もし、ノラが家に入れるようになったら、粗食に耐えてもらわないといけない。暖かく運動量も減る部屋飼い猫なら、必要最小限でいいから。ノラはそれならこのままの方がいいと言うかも。ねこはなんたってグルメだから。

2011年10月3日月曜日

カラスはえらい

今日の東京新聞の夕刊に載っていた記事。カラス、数の大小認識の見出しがあって、宇都宮大学農学部の杉田教授の研究が動物行動学の国際誌に掲載されたという。ハシフトカラス8羽を使い、容器のふたにマークを2個のものと5個のものを用意する。5個のマークがついた容器にだけ餌を入れて、正解率70パーセントになるまで訓練してから、マークの模様や位置、面積などかえた20パターンを用意して実験した。この後マークの数を2~8個と変えても、数の多いほうの容器を選択したという。個体差はあっても平均70~90パーセントの高水準で正解した。杉田教授の研究室では、カラスが人間の男女の顔を見分けられることも発表している。まだ知られていない知能を発見していきたいと、杉田教授は話している。ところで、私のカラスの友人たちはそんなこととっくにわかっている。初めにお近付きになった時は、夏だったので私は帽子をかぶっていた。次に会ったときは違う帽子をかぶっていたので、上から見下ろすと私だということがわからないだろうと思っていたら、あにはからんや、さーっと飛んできてカーと鳴いた。どんなに違った服装をしていっても、必ず飛んでくる。帽子をかぶっていなくても来る。日傘をさしていてもわかるらしい。ただ、デジカメはすごく嫌がって、写真を撮りたくても逃げてしまう。私が立ち止まってカラスと話をしていると、ニコニコしてよってくる人がいる。本当にカラスは賢くきれいでかわいい。真近で羽を見たことありますか?七色に見えるほど光を反射して輝く艶々した羽は、えも言われないほど美しい。目もかわいい。くちばしをカチカチいわせるのは、お母さんに餌をおねだりする言葉とみたけれど、あたっているでしょうか。杉田先生。

あれっ、

先日からgoogleと私のホームグラウンドのijkのメールアドレスが交錯していて、私がわかりもしない癖になんやかや、パスワードを変えたりしたものだから、ぐっちゃぐちゃになってしまい、ついにnekotamaに投稿できない状態になっていた。今朝までそうだったのに、今するりと入れた。と言うことはいつもの名人がなんとかしてくれたのね。まあ、ありがたい!もう、しばらくnekotamaには入れないものだと思っていたので、とてもうれしい。ということで張り切って投稿しようとしても出てくる言葉は「疲れた」のみ。
9月30日東京文化会館小ホールで、古典音楽協会の144回目の定期演奏会が開催された。3月に開催する予定が大震災で流れ、秋に延期することになった。プログラムはそっくりそのまま持ち越しとなった。私はヴィヴァルディのヴァイオリンコンチェルト「愛」と言う曲のソロをひくことになっていたので、3月のコンサート予定日を目指して体調や仕上がりをコントロールしていたのに肩すかしされて、この夏の暑さを乗り越えてから再構成しなおしで、けっこう辛いものがあった。その間も何回かのコンサートで別の曲を弾いたりするので、なかなか集中することが難しくなる。間際まで気持ちが落ち着かなくて、自分の思いが音に出なかったり、体調も崩しかけたりしたけれど、当日、超満員の聴衆の前に出て行った時には、本当に幸せなひと時になった。緊張でもう少しで震えそうになっても、訊いていただける喜びはそれを上回っている。ソロの出だし、何百回、さらったことか。これと思える音が本番で出せなかったのがくやしい。プログラムの第一曲目で思い通りの音を出すということは至難の業。ぎっしりと客席が埋まっている大勢の人の前で、落ち着けと言われても中々そうはいかない。今を去る何十年もの昔、故レオニード・コーガンの演奏会で、最初の音に鳥肌が立ったことがあった。まだ子供だった私にも、天上から流れてきたような素晴らしい音色は一生耳に残るものとなった。あんな音が出したい、常にそう思っていても名人と迷人の差は埋められるものではない。一生に一度だけでいいから、出してみたいものだわ。

2011年9月29日木曜日

ノラは駐車場ねこ

毎日現れるノラはいまだに人に心を開かず、でも、しっかりとご飯は食べていく。1メートル圏内に寄ろうものなら、フーっと言って威嚇していたのがなくなったのが唯一の進歩。食べるのを見ていても大丈夫になったけれど、目の隅で私の動向を把握していて、立ち上がろうとすると斜に身構える。かわいそうに今までどれほど苛められてきたのだろう。体もがりがりだったのが少し毛艶もよくなってきた。さて、この冬をどうやって乗り越えさせるかが問題。駐車場の物置の裏にわずかなスペースがあるので、そこに小さい物置を置いてねこ小屋にしてあげようと思っているが、果たして入るかどうか。入ってもほかの猫が来た時に逃げ口がないといけないから、裏にも出入りの穴をあけておこうなんて、いろいろ心配事だらけ。一番いいのは捕まえて綺麗にして、貰い手を探すこと。でも、この様子では、手を出したら引っかかれてギザギザに傷ができそうだから、とうてい無理な話のようだ。長年ノラをやってしまうと、人間が思っている以上に野生化していることが多い。うちのなっちゃんはノラのお母さんにそだてられたのに、すごく社交的で人に可愛がられる。でも、ご飯を食べているときには、ノラ丸出しになる。食器から食べ物を持ち出してかくれて食べたりするので、周りが汚れてこまっている。もう、うちに来てから10年以上もたつというのに。駐車場ノラは一度だけ私の後をついてきて、玄関下の階段まで来たことがあるけれど、決してそれ以上は上ってこなかった。いつになったら、私が怖いおばさんでないとわかってくれるのだろう。人間には怖くても、猫にはこの上なく優しいとわかってくれるのはいつの日になるか。

2011年9月28日水曜日

自転車やさんはどうしたの・

これでもう何日になるのかしら。自転車屋さんのシャッターは閉まったまま。病気であれば治るからいいけれど、もしや、暗い影が心をよぎる。ご夫婦お二人ともめっきり老けてしまったなあ。最後に会った時の印象だった。おそらく私が買った自転車があそこのうちで売れた最後の自転車だったでしょう。でも、ご主人は「いつでも空気を入れてあげるから来てくださいね」と言っていたのだから、その時点ではお元気だったはず。きれいなおくさんの方が具合がわるいのかな。毎日今日は開いているかと店の前を通るのだが、今日は見慣れぬ人が2人、店の横の入り口の鍵を取り出していたようだ。やはり、なにかあったのね。商店街から少し外れた横道にあって、古いままの店舗は私が知っている限りでは、改築することもなく、商品もまばらでは、どうしても駅のメインストリートにある大きな自転車屋さんや量販店にはかなわない。私みたいな物好きがふらりとママチャリを買うくらいで、本当にこじんまりとやっていた。まだ新しい自転車を買うのはよそう。再開したら一番最初のお客になってあげたいから。でも、不便だから一ヶ月が限度。早くよくなってください。

秋ばて

明後日のコンサートを控えて体調が悪く、どうやら風邪をひいてしまったらしい。いつもはコンサートに向けて緊張が高まるので、体調を崩すことはまずない。今年は珍しいなと思っていたら、今朝のテレビで、今年夏の節電のせいで、秋になってから体調を崩す人が続出しているという。私は特に節電と言うわけでもなく、もいつも通りあまりクーラーに頼らず過ごしていたけれど、知らず知らずのうちに疲れていたようだ。仕事が減ってきたと思ったら、同じ世代が皆ヒマになってきて、楽しく遊ぶことが多くなった。それも楽器で遊ぶのだから、やはりかなりの体力は使う。忙しくしているうちに、自分の年を忘れて没頭してしまう。体力は明らかに落ちているのに、さほど体を休めていなかったのが、疲れの原因かもしれない。先週あたりから、睡眠時間が必要以上に長くなってきた。私の場合、緊張すると眠くなる。しなくても眠くなる。やっかいな体質なのに、ふだんは眠りたくないばっかりに、理由をつけて起きている。睡眠をおもちゃにしているふうがある。今、逆襲されているようだ。昨日は医者にもらった薬、のどが腫れているので炎症を抑える薬、胃が荒れるのを防ぐ薬、咳止めを呑む。そして今朝まで約11時間、グッスリ寝てしまった。年をとると眠れなくなるのは、眠れるだけの体力がなくなるせいらしい。どこにそんな体力があったのかと思えるほどの長時間の睡眠。これも秋ばてのせい?そのうち永遠に眠れるのだから生きているうちに寝なくったっていいじゃない、という不埒な考えはそろそろおしまいにして規則正しい生活を・・・と思っただけでいや。毎日同じことの連続は退屈で。いつも何か変わったことが起きないかと期待している。但し、未曾有の大災害などはご遠慮したい。災害に遭った方たちがいまだに日常生活に戻れないことを考えると、なんとアホンダラな能天気者かと、お叱りをうけそうだけど。なにも起きない平和な日々が、どんなに幸せなことか、いい年して考えなさいよと、今天から母の声が聞こえてきたようだ。

2011年9月25日日曜日

エアコンがこわれた。

昨日生徒のレッスンをしていたら、なんだかやたら暑い。大きなおじさん生徒だったから、この人はすごい熱量なんだと思って我慢していた。耐えかねてエアコンの温度設定を下げにいくと、動いていないことに気が付いた。その生徒さんは石油関連の企業にお勤めらしく、器械の扱になれている。時々我が家のエアコンフィルターをお掃除してくださる。今回もたぶんフィルターが汚れているのかとお掃除をしてもらったけれど、何回リセットしてもクーラーは効かなくなっていた。本体の表示に0と6の数字が表れる。これはトラブルの原因を表示しているものと思われる。メーカーの故障受付に電話すると、どうやら室外機のトラブルらしいので、点検に来てもらうことにした。点検料がかかるというが、直るかもしれないから了解した。そして今朝メーカーから人が来て、ほとんど1分とかからないうちに診察結果が出た。室外機のコンプレッサーの故障です。0と6が出るのはそういうことで、直すと7万円かかります。では、点検料金3150円いただきます。ちょっと待って!なんだか判らないから点検にきてもらったのに、すでにそちらでわかっているなら点検する前に電話でそういってくれればいいのに。私のようにおバカさんが誤操作していないかどうか見にきたのかもしれないけれど、もうすでに何回もこれと思われることをやってから電話したのだから、いくら私でもこれは故障だと気がついている。それなら昨日のうちに家電店に行って、新しいものを届けてもらえば一日無駄にしないでいられたのに。点検料金も払わないでよかったのに。なんだか腑におちない。しかし、今年のあの暑いさなかの故障でなくて良かった。それにしても、今年はたて続けの故障続き。地震で家の外壁が落ちたのを筆頭に、テレビ、湯沸かし器、布団乾燥機、エアコン、その上自転車を2台盗まれ踏んだり蹴ったりだけど、ものが無くなることなどなんでもない。自分を失くすことの方がよほど心配で、そろそろ危ないぞ。

2011年9月24日土曜日

いよいよ危なくなってきた。

いちおう人並みの脳みそは持ち合わせているはずだった。ところが先日、次回のハリーポッターを読むレッスンの日がわからなくなった。携帯に予定を入れたはずが・・・ない。カレンダーにも書き込んで・・・ない。ノートの端に書いてあるかな?・・・ない。どうしよう。先生のルースさんにメールを送った。次回はいつでしたっけ?すると、なんだ、カレンダーに5日って書いてあるじゃない。どうして見逃したのかしら。さっそっくもう一度メールをする。5日でしたね?不審そうな返信が来た。あなたは5日のほうがいいの?確か11日に約束したはずだけど。5日は私は都合悪いからほかの日にしてください。あれ、よく見たら先月のカレンダー見ていた。もう終わったレッスンだった。11日?そうでしたっけ。それにしても最近携帯に入れても最後の確定をしないで、あとで見ても入っていないことがある。ほんとに危ないなあ。これからは、なにか方法を考えないといけない。少しパソコン周りのがらくたをかたずけるか。あれ、これはなに?折りたたんだ紙が一枚。開くと自分のカレンダーをコピーした物が出てきた。なんと、11日のところにちゃんと英語のレッスンが書き込んである。あまりにも忘れっぽいので前回のレッスンに、カレンダーごとコピーして持って行って書き込んだものだった。これなら大丈夫と思ったのに、それを忘れてしまうとは。これでルースさんの私に対する評価はずいぶん下落しちゃったなあ。ものすごく困ったような返信の次に断固とした返信。11日!
たとえパソコンでスケジュール管理をしたとしても、本人の脳みそがこれでは危うい。脳みそをパソコンと入れ替えられないものかしら。さっきニュースでニュートリノが光速より早く進むことが発見され、特殊相対性理論が危うくなってきているそうだけれど、そんなことより私の頭が危うくなってきている方がよほど重大な問題です。私にとっては。

2011年9月23日金曜日

眠りの森の・・・なに?

眠い。毎日いくらでも眠れる。さっき起きたばかりで、ご飯を食べて・・・もう、眠い。横になる。もう、寝てる。
私は元々はショートスリパー。日頃は4時間からせいぜい5時間くらいしか寝ない。寝るのがもったいなくて、どうせいつか永遠の眠りにつくのだから、今寝なくったていいじゃない、という屁理屈つけて起きている。なにをするのでもなく、起きているのが楽しいから。昼寝もめったにしたことがない。それなのに、この2,3日は起きている時間の方が少ない。かといって、病的なものでもないみたい。病気ならどんなときにも眠ってしまいそうだけど、起きていなくてはいけないときには、結構シャンとしていられるから、大丈夫そうだ。鏡を見ると、や、やばい!ただでさえぽっちゃり系の顔がむくんで、かぼちゃみたいになっている。この顔では王子様が来て、キスをしようとしてもひるんでしまいそう。結局起こしてもらえなかったりするかもしれない。むくんでいなければ大丈夫かと聞かれると返答にこまるけれど、世の中には「蓼食う虫も好き好き」ということもある。むくんでいなければ、もしかしたらド近眼の王子が勘違いする確率はないとは言えない。でも、今のブクブク状態ではいくら目が悪くてもねえ・・・。今年の夏は暑かった。それも湿気の多いいやな暑さで、そうとう体が参っていたようだ。少し涼しくなってこの体たらく。いつまで眠気が続くのか。今月末のコンサートまでに改善するのか。眠いままでフラフラ本番突入となるのか。いや、それもいいかもしれない。緊張しないうちに済んでしまったら、どんなにいいことか。でも、そんなことはありえないと思う。どんな本番でも緊張しなかったためしはない。だから今のうちに眠っておこうと体が勝手に決めたようだ。それなら思う存分寝てしまおう。かぼちゃがスイカになっても。

2011年9月21日水曜日

折り畳み自転車

私がブツブツ自転車について書いていたら、別のブログから折り畳み自転車のお勧めがあった。以前から折り畳み自転車を買おうとは思っていた。友人の別荘に一つ置かせてもらえば行った時に何かと便利だし、車のトランクに入れておけば旅先で乗れる。ルノーのとてもよさそうなものがあるので、10月になったらショップに行って試乗させてもらおう。ただ、買い物をして荷物を載せるなどの実用性はないから、もう一つそれ用と少しスポーティーなのも・・・あれやこれや、考えると3台はひつようになる。それは贅沢すぎるから、やはりママチャリになってしまうのかなあ。小さな50ccのバイクもいいなあ。などと言いながら結局実用性が先に立つ。今乗っている車を選ぶ時もそうだった。可愛いスポーティーなタイプを買うつもりでショップに行ったけれど、結局試乗しているうちに、もっとも無難な車になってしまった。先日友人のご主人が亡くなって、彼の車がぽつんとさびしげに車庫に残されていた。アルファロメオの二人乗りの素敵な車。彼が生前言っていたそうで、この車はとても癖があって乗りにくい。だけど、走らせていると気持ちがわくわくするんだよ、と。なるほど、そういうものなのか。この次車を買うとしたら、おそらく私にとっては最後の車になると思う。その時にはわくわくするような車にしよう。人もそう。少し扱いにくい人の方がいい。なんでも思い通りになるよりは、少し手こずる人の方が面白い。子供の頃ヴァイオリンとピアノを弾いていた。ピアノの先生がやっきになって私をピアニストにしたがったけれど、結局楽器のなかでも特に気難しいヴァイオリンを選んでしまったのは、そんな理由だったのかもしれない。

2011年9月20日火曜日

心配

古い自転車屋さん。先日自転車を盗まれて買ったばかりの自転車もすぐ盗まれた。いつも買っている小さな自転車やさんに行ってもう一度買おうと思っていたけれど、毎日見に行っているのにシャッターが閉まっている。たしか水曜日が定休日だから明日の水曜日にかけて連休しているのかもしれない。でも、シャッターには休業の張り紙もない。いくらお客さんが少ない店でも、定休日以外で休む時は、お知らせが書いてあると思うのに。つい先日私が新しい自転車を買った時、店にはほとんど商品らしいものもなく、ご主人も奥さんもずいぶん老けてしまったなと思っていた。もっとも、あちらも私を見てそう思ったかどうか、それはお互い様かもしれない。いつでも空気入れますから遠慮しないで来てください・・と言っていたから、閉店するわけはないと思う。よけいなお世話だけど、中で倒れていないかなどと心配している。駅のそばには立派な自転車屋さんがあって、前から欲しいと思っている格好のいいものもあるけれど、なんだかこの店で買わないと悪いような気がして、もうしばらく様子をみていようと思っている。この一ヶ月ほど、ひざの痛みがあって歩くのがつらい。買い物にも病院に行くにも、自転車はすごく行動範囲が広がって便利に使っている。川崎駅まで8キロくらいは楽器を背負って自転車で行ってしまう。危ない!しーんじられない・・・なんて言われてしまうのに。

2011年9月19日月曜日

悪夢が現実に

9月14日の記事「悪夢」投稿したとたんに現実となった。今朝カレンダーで確かめると今日は休み。やれやれ一日中グダグダして夕方には整体にでも行って、昨日の疲れを癒してもらおう。ベッドの上で施術されながら眠るのは至福の時。昼食を終えて、さて少しヴァイオリンを弾こうとしていたら、電話のベルが鳴った。どうせまたセールスだと思ったけれど、聞こえるのは聞き覚えのあるNさんの声。「ねえ、どうしたの?」えっ、今日?今日は何があったかしら。一瞬頭が真っ白になった。仕事に穴をあけたか。ああ、やってしまったか。「今日は開港記念館に行く日よ」あらま、でも、私のカレンダーには書いてない。「この間あなた携帯に入れたじゃない」し、しまったー。コンサートは2時からだから、その前に待ち合わせてお昼ご飯を一緒に食べる約束をしていたのだ。顔も洗っていないしパジャマのまんま。急いで行けばコンサートには間に合う。疑り深い私はなおも自分が間違えていないことを確かめようとカレンダーを探すと、確かに開港記念館という項目が10月10日に書いてある。もしやNさんのミスでは?でも、絶対にミスをしない人だから、やはり私が悪いのだろう。なおも、ホームページで調べたらやはり、今日だった。急いで顔をあらって出かける用意。こんな時化粧をしないですむのがありがたい。開演10分前頃会場に着くと、まあ、懐かしい顔、顔。私たちのいる一角がひと際華やいでいる。席はちゃんととっておいてくれたので、やれやれ。今日は古楽器のチェロとコントラバス、チェンバロの組み合わせで、なんとも心地よい音域と音色に、ぐっすり寝込んでしまって、周りの人をあきれさせた。だって、昨日の疲れが残っていたし、すごく気分のいい音なんだもの。それは悪夢とは程遠い、すてきな心地よさだった。

2011年9月18日日曜日

ハンサムな女性たち

午前中、今年音大に入った生徒がやってきた。チャイコフスキーのコンチェルトのさわりを聞いたら、受験前より着実に上手くなっていてうれしくなった。そして、受験時期のファッションと比べて一段とセンスがよくなって、顔もきれいになっている。いよいよ花開くときになったかと、うれしく思った。私が彼女くらいのとしごろには全くおシャレらしいおシャレもしなかった。いつもレインコートにゴム長はいていたような・・・実際はそうではなかったけれど、そんな感じのださい女子大生だった。学校は付属高校から、ものすごく派手な校風で、アイシャドウ、つけまつげなんていうすごいのもいた。大体声楽科の人だったけれど。スカートは当時の流行で目いっぱいペチコートでふくらませ、ヒールの高い靴を履く。そんな学生がいるかと思えば、私たちのようになんでもいいから着てりゃいいんでしょ・・みたいな生徒もいたし、それをだれも気にもしない自由な校風だったから、伸び伸び楽しい学生生活を送った。そして今日は母校の教授だった友人の門下生のコンサートに賛助出演した。曲は相変わらずベートーヴェン。卒業してそれぞれ社会に出て活躍している人たちの自由闊達なこと。生き生きと演奏している。全員本当に素晴らしいのね、と言ったら「先生が怖かったですから」と返事がかえってきた。へー、いつも私とへらへらしながら合わせているあの人が?そうか。先生としての顔はちゃんとしてるんだ。打ち上げに参加したけれど、美しい女性たちの飲みっぷりのいいこと。乱れず騒がず、楽しげにぐいぐい飲んでいる姿は、ほれぼれするほど恰好良い。しつけの良いうちに生まれるのは、それだけで人生の勝ち組になれると、つくずく思う。こんなきりっとしたハンサムな女性たちを沢山生徒に持っている友人がうらやましい。

2011年9月17日土曜日

今度はこれにしよう



昨日朝駅の駐輪場に行ったら満車。離れた駐輪場まで行く時間がない。それで駐輪場のわきの道に自転車を置いて電車に乗った。撤収の警告もないし大丈夫だと思っていたけれど、帰ってきたら新しく買ったばかりの自転車は消えていた。そのへんにはよく時間に間に合わなくておいて行ってしまう自転車があるから大丈夫だと思っていた。ほかの自転車は警告の張り紙だけなのに、私の自転車は持っていかれてしまったらしい。そりゃあ、おいて行った私が悪い。でも、ほかの自転車は警告だけなのに、どうして私のだけ持っていくの?ここの駐輪場はうまくとめればもっととめられるのに、うるさい管理人がいて皆いやな思いをしている。特に女性を見るとねちねちからんでくる典型的な小役人根性の男だから、新しくてきれいな自転車をねらったに違いない。早速近くの自転車やさんに行ったらお休み。今日から困るのに。今度はこんな楽しそうな自転車にしようかな。

2011年9月16日金曜日

訂正

昨日の記事で、送られてきたファイルが私のパソコンでは開けないと書きましたが、開けるそうです。ただ、私にやらせると何をしでかすかわからないので、手を貸してくださったようです。印刷するのも大騒ぎで失敗の連続。紙が3倍ほど無駄になりました。ああだこうだやっているうちに、なんだこんなことかとわかった時には、紙屍累々・・・いや・・・死紙累々、紙の山が足元にできていました。ヴァイオリンを弾くのは大変ではないけれど、こと器械類には全く手も足もでない。大体、あのマニュアルってやつが大の苦手。書いてある文字は日本語に見えるけれど、読んでもちんぷんかんぷんで、最後にはこれは日本語ではないということに気が付く。それとも私が日本人ではないのかもしれない。なに人かと言われれば、宇宙人、または宇宙猫人、ネコにとって器械類はじゃれて遊ぶ道具にすぎないのと一緒で、私にとってもただの箱だったりする。今涼しい顔してあたかもパソコンを自由に操っているように見えるのは、陰で苦労している人がいるからなのですよ。昨日ハリー・ポッターを読みに行って、イギリス人の先生にロンドンからのメールの返信を書いてもらった。それに対してまたロンドンからの返信があったけれど、先生がいないから返信できないでいる。最初の返信で私が英語ペラペラだと思われてしまっていたらどうしよう。本当にできないのです。困った!私ができることと言ったらなんだろうと考えた。食べる、楽器を弾く、愛する・・・なんだイタリア人と同じ。そのほかは、拗ねる、怒る、ひっかく、ああ、やっぱり猫なのだ。

2011年9月15日木曜日

ロンドンアンサンブル

去年聴きに行って感心しまくってこのブログにのせた、そのロンドンアンサンブルと共演できるとは、夢にも思わなかった。ツアー最後の小田原公演は、仕事の都合でヴァイオリン、ヴィオラが帰ってしまうので、そのエキストラというわけ。去年の印象は、楽器でこれほど対話のできるグループはいないと思って、本当にアンサンブルを楽しんで帰ってきた。しかも、あの難しい「ロメオとジュリエット」(プロコフィエフ)の戦いの場面の曲をヴァイオリンが神業のように弾いたのが忘れられない。オーケストラで大勢で弾いても恐ろしいパッセージを、一人で完璧に弾きおおせた。チェロは若き名手で、テクニックもさることながら、音の素晴らしさに魅了された。ほとほと感心していたら、ヴィオラでいかが?と問い合わせがあって、それはもう、二つ三つ返事で食らいついた。なんといっても自分よりはるかに上手い人たちと弾けるのは僥倖で、絶対引っ張っていってもらえると思うから、もう本当に楽しみに待っている。フルートのリチャード・スタッグ氏が編曲した「展覧会の絵」(ラヴェル・ムソルグスキー)がメインだそうで、今朝楽譜がメールに添付されて届いた。
ところが、ファイルの形式が違うため私のパソコンでは印刷できないことが判明、大慌てで陰のブレインのミスターパソコンにファイルをかえてもらって、やっと印刷終了。それも時々サイズがまちまちになって、そのままでは用紙からはみ出してしまうのを、サイズを変えるという、私にとってはほとんど不可能なことをやり遂げて足元を見たら、印刷を失敗した紙の山ができていた。それでも音符の大きさはまちまちながら一応楽譜は出来上がった。これでなんだかひと安心してしまった。いかんいかん、これからちゃんと練習しなければ。

2011年9月14日水曜日

悪夢

よく演奏会が始まっているのに会場に入れない・・とか、楽譜がない・・とか、電車が遅れている・・とか、いまだに悪夢をみる。でも、この頃は現実になってきた。あまり先のことは覚えていられないから、カレンダーは次の日の予定しか見ない。ところが下準備にたっぷり時間がかかることだと、前の日では間に合わないことがある。さすがにコンサートの予定は絶えず頭の隅にあるけれど、そのほかの、例えばカルテットの練習とか、生徒に楽譜を作ってあげなければいけないことなどは、前日気が付いてギャーとなる。明日はハリー・ポッターを読む日だったのに全く予習ができていないことに気が付いたのは昨日。しかし、昨日は来年の西湘フィルの演奏会に向けて指揮者、トレーナー、メンバーの会合があって本厚木まででかけなければならない。帰ってきたのは夜中。眠い。そして今朝は弓の毛の張替の予約があって、でかけなければならない。そんなこんなで、今日は午後からずっと辞書をひいていました。何回出てきても覚えられない単語だらけで、無駄な労力を使っている。子供向けの本と侮るなかれ。難しい。特に私は英語が好きだったわけでもないので、学生時代はテストで最低限の合格点をもらえるくらいの勉強しかしなかった。単語はほとんど辞書に頼ることになる。しかも会話部分のむずかしさと言ったら、ほんと手こずっている。今朝弓の毛替えをして、見違えるほど状態が良くなったので、上機嫌ではあるけれど、コンサートが一つ来週頭にあることに気がついてぎょっとした。もう少し余裕があるつもりだったのに、すぐじゃないの。最近は現実と悪夢の区別がつかなくなってきた。とにかく明日の英語の準備はなんとか間に合った。こうやっているうちに「あら、今日コンサートの本番だわ」なんて慌てふためくことがないように祈るばかり。そのうち「あら、昨日だったわ」なんてなったらもうお終いだね。それもそう遠くはないかも・・・。

2011年9月11日日曜日

カルテット

荻窪に知り合いが多くて、このところ頻繁に通っている。それで、毎週のように環八をドライブする。今日は歯科医師のH先生のお宅へ。先生は今年82歳。アマチュアながらチェロの名手で、その筋の有名人。名器ゴフリラと名弓ペガットを所有している。楽器は先生の師匠でもある某国際的チェリストも羨むほどで、火事が起きたらうちはほっといて楽器だけ持って逃げると宣言している。奥さんもこんなわがままな人と結婚して、大変だったと思うけれど仲はとても良い。私が最近ヒマだと聞きつけて、早速カルテットのお誘いを受けた。元東フィルのメンバーがセカンドヴァイオリン、元音大教授がヴィオラ、私がファーストヴァイオリンで、毎月一回集まる。驚くことにH先生の腕はお歳にも関わらず、衰えていない。聞けばご自分の師匠のところへ足繁くレッスンに通っていて、その師匠も熱心にみてくださるそうなのだ。若い音大生に見られながら受けるレッスンは気恥ずかしくていやだと言いながら、師匠が2時間余りも教えてくださることに大変感謝している。私たちのカルテットの曲目は、小手調べにハイドン、メインはドヴォルザークの作品105。もう何回も合わせているのに、とても難しくて、なかなかうまくいかない。本番でもあればその日を目指すが、なにもなければやはりのんびりやってしまう。月一でも何回か弾いていると、楽器の組み合わせや和音の響きなどが良くわかってくる。私はアマチュアの方たちのおさそいでも、ある程度の水準以上なら気軽に応じることにしている。曲を知る上のもってこいのチャンスだから。しかもアマチュアの中でも飛びぬけて上手いこの方なら、こちらの知らないことまでご存じで逆に教えられることも多い。いざ仕事で同じ曲を頼まれたらラッキー。隅々までわかっていると、本番の怖さは半減する。知らない曲をハラハラしながら手探りで弾く恐怖は、知らない道を猛スピードでドライブするようなもの。知っていれば、どこに障害物があり、どこに急カーブがあるとわかって運転しているのと同じだから、その手前で減速するとか、迂回するとか手だてを講じられる。そんなことでH先生にはずいぶんお世話になりました。「この頃やっと音が良く出るようになったよ」とおっしゃる。いやはや、本当に恐れ入りました。

発表会

昨日は音楽教室の発表会だった。護国寺の同仁教会で、今年は例年より少なめのだったけれど、それでも個人、グループ合わせて40組余りの参加者があった。それをピアノ2名、弦楽器の教師4名で伴奏をつけていく。圧巻はチャイコフスキー、メンデルスゾーンの協奏曲を弾いた男女二人の生徒。オーケストラは無理だけど、弦楽器、フルート、クラリネット、ピアノの先生たちで豪華に伴奏して、大喝采を受けていた。この二人は非常に仲がいい。大学のスキークラブで競い合っていたという。それがそのまま、今度はヴァイオリンで張り合って、お互いによきライバルとして認めあっている。ヴァイオリンの教師が3人いるので、私はヴィオラで伴奏に回った。今年はじめ、私の生徒を友人に預け、私は引退して猫を釣って暮らそうと思っていたら、もう一人の先生が体調を崩し、私はその人が戻るまで生徒を預かることになった。それでまだ発表会もお付き合いしている。ヴィオラが好きでヴィオラ弾きになりたかったので、時々ヴィオラを弾くのは悪くない。ただ、毎日弾くとなると、体への負担が多すぎて腰をいためてしまう。昨日は一日でも二日分くらい長時間だったから、ひどく疲れた。打ち上げが終わって帰る頃には、声がかすれてしまった。発表会は様々な人が出る。ほとんどが大人の一般社会の人だから、土日しか練習ができない人が多い。しかも大人になってから新しい技術を習得するのは、並大抵ではない。子供の頃からやっていて何かの事情で中断して、もう一度再チャレンジと言う人にはかなわない。だからレヴェルは種々雑多。それでも一歩ずつ上手くなっていくのを見るのは感動する。でも中にはレヴェルの低い人がどうしてもと言って身に余る曲を弾きたがることもある。そんなとき私は止めないで弾かせてみることにしている。たとえどんなに上手くなくても、かける情熱が違うから。たいてい本番は上手くいかないけれど、それで本人は少しずつ上手くなっていく。ところが、そのやり方を批判する人がいる。子供の頃から弾いているので自分は弾ける。基礎練習もちゃんとやっている。だから、他人もそうすべきである・・・。なにをかいわんや。自分だけさっさとおやりなさい。他人のことはほっときなさい。この教室はの最初の理想は「おじさんたちのオアシス」だったはず。仕事に疲れた人たちが、ここへきてホッとできる空間を作ろうというのがねらいだった。がつがつしない人がいたっていいじゃないの。どのような姿勢でも受け入れたい。むしろ、ゆったりと音楽を楽しむ風潮がなくなって、私はとても残念に思っている。上手くなるひとは偉い。でも上手くなくてもいいじゃないですか。そう思いませんか?

2011年9月10日土曜日

拍手



ああ、やっととれた。

2011年9月9日金曜日

今日もよれよれ

ピアニストの集まり「弾く会」例会。今日も大曲がそろって、フランク、バッハ、ショパン、3人のピアニストの華々しい協演を堪能させてもらった。今日は府中市にある、とある豪邸。持ち主の私の同級生のNさんは、それは数奇な運命の持ち主で、大変な苦労をしたのに顔に少しも現さず、いつも美貌を誇っている。今日私とデュエットを付き合ってくれたのは、お馴染みFUMIKOさん。彼女はいつも飛びぬけてファッショナブルなので、美容の話に花が咲く。とくにNさんは美しいうえにもっと美しくなりたいという人だから、熱心にFUMIKOさんに質問している。まつ毛の美容液が流行っていて、それをつけたFUMIKOさんのまつ毛がどんどん濃くなって、目の大きさまで違って見えるので、皆興味深々。私も初めのうちこそ毎日塗っていたけれど、生来の無精者、飽きてしまって中々まつ毛は伸びない。美しくなるためには性格から改善しないといけない。歳のせいだと思ってあきらめていたら、Nさんは一ヶ月で長くなってきたという。努力する人は強い!そう、その努力する性格こそが良い音楽家の第一条件。あー、私は失格だあ。今日も弾きながら、朝起きてからまだ一度も弾いていないことを悔いていた。場所がうちからは遠いので、早く出なければならない。それで気忙しくて練習もせずに出てしまう。朝一急に弾くと自分はもとより、楽器も起きていない。「な、な、なんだよう。いきなり」ってなことを言って・・・言わないか、持ち主と違って品のいい楽器だから・・・すべてが空回り。ピアニストの批評は「時々、アッとか、エヘへとか言わないで弾きなさい」

2011年9月8日木曜日

白目が青い人は

子供の頃から目の白い部分が青みがかっていた。その上縮毛で色が白い(かつては)と聞くと西洋人ではないかと思われるでしょうが、れっきとしたモンゴロイド。鼻が低い、手足が短い、胴が長い。ほらね、やっぱり。白目の部分が青いのはべつにこの年まで(自慢じゃないけど、尻尾が7本になるくらい生きている)気にしたこともなかった。ところが先日ネットで見つけた。青いのは病気ではないかと心配する人がいるらしい。私は今まで無事に視力もよかったから、青いのは病気ではないでしょう。赤ちゃんの目は青いじゃないですか。病気なら赤ちゃんは皆病気ということになる。調べてみたら、白目の部分を強膜といって、その膜が薄いと下の血管が透けて青く見えるらしい。ふーん、顔(面)の皮は厚いのに、と今チッラと思ったあなた、・・メッ!その上余計なことに、強膜が青い人は性格が子供っぽいと書いてある。ふん、子供っぽくて悪かったわねえ。ぽいじゃなくて子供なの。こどもから一歩も成長していないのよ。本当に小学校まではどちらかと言うと「おませ」で、6年生までには世界の名作と言われる小説はバリバリ読破していた。その後停滞気味。ドストエーフスキーの「罪と罰」なんかもその頃読んで、えらく感激した。30歳くらいの時に、子供にあんな難しい小説がわかるわけはない、なにかの勘違いだったに違いないと思って読み返してみたら、その時の感動がそのまま蘇って、ああ、やはりわかっていたのだと我ながら驚愕した。面の皮が厚いで思い出した。前にも書いたけれど、私のヴァイオリンの先生が「私は指の皮が薄くて」と嘆くから「ぜーんぶ顔に引っ張られていっちゃったんですね」と言ったらすごく怒られた。すみません先生、数々の暴言を吐いて。本当にかわいがってくださっているのに。ゆるしてください、まだ子供なんですから。

2011年9月6日火曜日

PASSACAGLIA by HANDEL

ヴァイオリンとヴィオラのためのパッサカリア。台風の余波が少し残っている午後、美女が一人棺桶を背負って・・・あわわ・・・そんなこと言ったら烈火のごとく怒るでしょう。でも、ネットで見つけられるヴィオラジョークにはこう書いてある。
棺桶とヴィオラの違いは?
棺桶は中に死んだ人が入っている。(その程度の違いしかないという意味?)
ヴィオラジョークはヴィオリストが自虐的にヴィオラとヴィオラ奏者をジョークにしている。もっともヴィオラだけでなくヴァイオリンもチェロもコントラバスも金管、木管、ハープなどほかの楽器のジョークもある。こんなのもある。
ヴァイオリンとヴィオラの違いは?
ヴィオラのほうが長く燃える。ヴィオラケースにはビールがたくさん入る等々。
およそ楽器を弾く人なら怖気をふるうジョークの数々。これ書いているときりがないからこの辺で。あとはネットで見つけてください。
今日はFUMIKOさんとパッサカリアその他を合わせる日。金曜日に毎月ある「弾く会」ピアニストの集まりにちゃっかりと入れてもらって、弾いている。FUMIKOさんはこの夏、八面六臂の活躍で、ついに左手の腱をいためてしまったらしい。テープでグルグル巻きにされた左腕が痛々しい。ところが弾き始めたら故障もなんのその、この一ヶ月の充実した演奏活動によって培われた技術がさく裂。思わずたじたじとなる。うーむ、お主やるのお。しかし、私はあまりにもさらわなければいけない曲が多すぎて、この難しいパッサカリアはいまだ未完成。シューベルトでもないのに。あはは、ジョークジョーク。

台風の置き土産

以前我が家の前を流れる川は毎年のように氾濫して、この辺の住宅は床上浸水で、台風一過の次の日はそこここに畳が干されていた。私の生家は今のうちから3分くらいのところにあって、先祖代々この辺のボスだった関係で、一段と高くなっていた。そのため、水害が起きるとボートで避難してくる人がいるくらいで、我が家は避難所として使われていた。災害に遭った方たちには申し訳ないけれど、そういう時、なんて礼儀知らずな人たちだろうと思ったことがある。我が物顔に人のうちを覗きまわる。差し入れられた毛布を一人一枚の制限にもかかわらず、何枚も持って行ってしまう人や、炊き出しに文句つける人もいたらしい。その頃私は学齢前か小学校低学年だったから、陰で近所の人たちがひそひそ言っているのを聞いていただけのことで、実際自分が立ち会ってはいなかったけれど、戦後のまだ貧しいころだったから、今の人たちとはずいぶん違うようだった。物も食料も今のように潤沢ではなかったから、そんなことがあっても仕方がなかったと今なら思える。私の父は超お人よしだった。雨が降って川の水かさが増すと隣近所から電話がかかってきて、見回りに合羽を着て飛び出していく。うちは消防署じゃないって断ればいいのにと、いつも子供心に思っていた。その後川は大きな大きな土管が下を通って雨水を流すようになったため、ピタリと氾濫しなくなった。それも「想定外」の雨量があったらどこまで役に立つかはわからない。その貯められた雨水がマンホールから噴水のように噴出さないように祈るばかり。昨日東横線の窓から多摩川を見たら、ずいぶん水位があがっていた。河原で暮らしている人たちは大丈夫だろうか。そんなとき彼らはどうするのだろうか。避難させてくれる施設があるのだろうか。

2011年9月5日月曜日

大型台風

ノロノロとジョギングくらいの速さで北上する台風。和歌山は水浸し。気の毒に、何人もの人たちが亡くなったり行方不明だったりしている。風光明媚なところは山あり谷あり川が流れ、自然がいっぱい。そのぶん危険もいっぱい。裏山が突然崩れ落ちるような危険であるからこそ、美しく静かなのだろう。東は地震でやられ、西は台風が居座って大きな災害をもたらす。今年の日本はなにかに憑りつかれたかのように災害が続く。すべてが記録破りの災害が。台風の進路を示す地図がテレビに映し出されると、ほっそりした列島のなんと弱々しげな姿。災害と経済のダブルパンチを受けて、いまにも海中に沈むのではないかと思ってしまう。かわいそうな日本人は健気に「負けないもん」と頑張っているけれど、あんまり頑張らなくてもいいのではないかしら?頑張ると隣国などと争いが起きる。争いを避けるのがはたしていいことかどうかはさて置き、今の段階で争いは絶対に起きない方が良い。今は根本から日本の体力作りに全力を注ぐのが、最優先でないと。ドジョウが出てきてどのくらい変わるかわからないけれど、民主党さんに頑張ってもらわないと。民主党が好きなわけではない。でも、15年も続いた自民党が滅茶苦茶にした日本を、何とかしてほしいだけ。滅茶苦茶にしておいて民主党の悪口言うなら、さっさと政権取り戻して、とっとと働いてください、自民さん。絶対に期待できないけれど。庶民はその働きに一票を投じるのだから。

2011年9月4日日曜日

ヴィオラ弾きになる

音楽教室の発表会を今週末に控えて、リハーサルを行った。この教室はピアノ伴奏だけでなく、希望すれば弦楽器や管楽器のミニオーケストラ伴奏もできるように、教師陣は現役の演奏家がそろっている。今日の一番の花形はチャイコフスキーとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾く二人の生徒。二人とも頑張って去年よりも数段上手くなってくれた。贅沢に弦楽器と木管楽器、それに足りないパートはピアノで補うという変則的なオーケストラではあるけれど、一応オーケストラらしい音で伴奏できた。やはり相当緊張するらしく、いつもとても上手い男性の生徒が、珍しく音をはずす。それに比べてメンデルスゾーンを弾く女性は伸び伸びとしている。本番でどうでるかはわからないけれど、女性は強いのかな。教師である私の方がドキドキして伴奏していた。今回私はヴィオラを担当する。ヴァイオリンの教師が3人いるので、一人がヴィオラに回れば、エキストラを頼む費用が浮くので、経費節約のため。と言っても、小柄な私には大きいヴィオラはこたえる。いつもはヴァイオリンを弾いているので、楽器自体が中々鳴ってこない。毎年ヴィオラは外部から来てもらっていたけれど、諸般の事情で今年は私が弾く羽目になった。それでも、年末に毎年イギリスから日本公演にやってくる「ロンドンアンサンブル」にヴィオラで賛助出演することになったので、これは大変助かるというもの。楽器にさわっていられるし、アルト記号に馴れなければいけないし、チャンスだと思っている。ヴァイオリンはト音記号、ヴィオラはハ音記号とト音記号が両方出てくる楽譜を見るから、馴れないととんでもないことになる。でも、ヴィオラが好きだから私にはそういうことは苦にならない。普段思いっきり無精な癖に、そういう面倒なことを面白がってできる。これが肝心なところで、面白くないことは一切したくないのに、面白いと夢中になる。私が半猫人間たる所以である。

2011年9月3日土曜日

誕生日の贈り物

今朝誕生祝がどっさり届いた。でも、私は4月生まれ。お祝いしてくれたのは美智子さん。プレゼント用意しておいたのにどこにしまったのか忘れて・・・・と連絡が入ったのが数か月前。そして今朝思いがけなく、見つかりましたと言って、まあ、出てくるは、出てくるは、沢山のプレゼント。その中にあったのがこの「猫の教科書」だった。これは猫の視点から見た猫の魅力を書いたもので、本当に猫好きでないと書けないし、猫を飼ったことがなければ、こうまでよくわかるものではないと思う。非常に皮肉な人間批判もあって、一味違う猫もの、終始ネコがいかに快適に生活できるかを猫の目からとらえている。出だしから意表を衝くのは、これが猫の手によってタイプライターで書かれているという設定。わけのわからない原稿を手にいれた編集者がポール・ギャリコに相談して、その暗号のような文章を解き明かしていくと、驚くべきことにそれは猫が書いたものでだった。ホフマンの「雄猫ムルの人生観」とか漱石の「吾輩は猫である」とかあるけれど、それらは猫から見た人間社会または文明批判などだけれど、これは猫がいかに立ち回って快適な生活をゲットするか、という徹底的に猫中心、ネコの立場にしか立っていない。人間は虚栄心に弱い。そこを攻めれば上手く飼ってもらえて、しかも猫の言いなりに人間を教育することができるなど、納得のいくことが多い。ふーむ、こうやってうちの猫共も私を丸め込んだのか。

バリトン・バス

今日は仕事でよく一緒に旅をしていたコーラスのY子さんのお誘いで、浜離宮朝日ホールへ出かけた。長月シンフォニエッタというアマチュアの室内オーケストラの第一回目のコンサート。そこにゲストとして日本の代表的なバリトンバス歌手、鹿野 由之氏がゲストで歌うというので、オペラ大好きな私は楽しみにしていた。「フィガロ」の序曲が始まった。中々の出来栄え。プロオーケストラにありがちな手馴れた演奏ではなく、みずみずしくいかにもうれしげに弾くメンバーに好意を持った。そして、鹿野氏のバルトロのアリア、フィガロのアリアと続いた。声量も押し出しも立派でオペラ歌手としての貫録は生まれながらのものとみた。そして、大好きな魔笛のザラストロのアリア、これは本当に低い声で歌うので、たぶんバス歌手泣かせのものだと思う。歌い終わったところで隣のY子さんに「低くて大変でしょうね」と言ったら、「男性は年をとると低い声が出にくくなるんですって。女性は高い声が出にくくなるから、中性化していくのね」なるほど。そこで笑ったら、思いがけないほど会場に響いてビックリ。音響の良い会場だけれど、客席までこんなに響くとは。後半のベートーヴェンのシンフォニー1番も大好きなので、今日は好物を片っ端から食べたみたいに満足。最近のアマチュアオーケストラはとてもレベルが高くなってきている。ただ、歌と合わせた時に微妙なバランスが取れないのは気になった。もっとも、そこまでやられると、私たちプロの出る幕がなくなるから、このくらいで十分にしておいていただきたい。

2011年9月2日金曜日

クロイツェルソナタ

大型台風が西日本を、じりじりする位遅い速度で北上している。ここ2日間何となくドヨーンとした空気が体にまとわりつくようで気持ちが悪い。クーラーの効いた室内から外へ出るとネバッとした大気に取り囲まれる。日本はすでに亜熱帯になったらしい。この分では、暑さに弱い私は、遠からずして北に引っ越さないとダメになるかもしれない。とにかく、夏中使い物にならないほどだるい。だのに、このところ私の楽器はよく鳴る。日本の風土になれたのか、あまりに遠い昔のことだから、生まれ故郷のイタリアをわすれてしまったのか。楽器が鳴ってくれるから、人間の方はあまり力まないで毎日ひたすら練習している。昨日はヴィオラのFUMIKOさんとみっちりDUOを、今日は「弾く会」のメンバーであり、長年お付き合いいただいているピアニストが来てくれて、又もやベートーヴェンの「ソナタ8番」を合わせた。もう、何回めになるかわからないほど合わせていて、本番もやっているのに、いまだに合わせている。あと2回、人前で弾く予定。これだけ時間をかけると、テンポッも緩急自在、相手の言いたいこともわかってきて、どんなに回を重ねても飽きることはない。この「8番」は短い中にも内容がぎっしり詰まっていて、しかもベートーヴェンにしては明るく優雅である。私などはスケールが小さい人間だから、このくらいの曲が限界と思っているけれど、次はなにを合わせる?と訊いたら「クロイツェル」と言う。ゲゲッ大曲!何回か弾いているが「クロイツェル」はいつも体力を消耗する。それでも本当に名曲だからみっちりとやりたい。2、3、4、5、8番、そして9番の「クロイツェル」を弾けば半分以上弾いたことになる。あと少し。一歩ずつゆっくりと楽しむつもりで、10月からの楽しみがまた一つ増えた。早く秋が深まって寒い季節になってほしい。トルストイの小説に「クロイツェルソナタ」というのがあったけ。読書の秋にまた読み直してみよう。

2011年8月31日水曜日

ただいまメンテナンス中

自分のブログにコメントが付けられない事態となりまして、先ほど頂いたコメントに返事をしようと思ったら、それも不可能になりました。みなさん、ごめんなさい。只今、陰で悪戦苦闘しているかわいそうな人がいるはずで、昨日は「いったい何をしたんですか。」と詰問されましたが、私にわかるわけはない。いつの間にかこうなってしまったので。「本当に天才だなあ」と言うから「天才を弟子に持ったご感想は?」と聞いたらむっとされたようです。あちこちにご苦労をかけています。そのうち上達すると思っていたパソコンは才能がないみたいで、一向に埒があかずに今日のこの日をむかえています。「たくさんの人の面倒みていますけど、こんなことをする人はほかにいません」とまで言われたって、ねえ。それが私の取り柄?そんなに褒められてもこまるう。あ、褒めてるんじゃないんだ。あはは。困ったなあ。

2011年8月30日火曜日

先生をかこんで。

同じ先生のもとで勉強した門下生が先生を囲んでの昼食会。恵比寿ガーデンプレイスの38階に集まったのは8人。良く晴れた今日はスカイツリーも東京タワーも並んでくっきりと見える。少し首を伸ばせば海まで見渡せて本当にきれいだった。毎年のように集まっているけれど、今年の話題は大震災に伴う福島原発の話題に終始して、外の晴々した様子とは裏腹の暗い話題が続いた。悲憤慷慨している幹事役のMさんは、いかに東電と政治家がつるんで汚いことをやっているかについて、滔々と話を展開していく。私はたまたま昨日YouTubeで、世界のトロンボーン奏者が日本のために演奏している動画を見ていた。以前見た時もそうだったけれど、あれから5か月後の今見ても、どっと涙が溢れて嗚咽がもれそうになる。あれ以来いまだに本当に心が安らかになっていないと痛感していた。そして今日も又、その話題で持ちきりになってしまった。先生は喜寿を迎えられておめでたいことだけど、今一つ原発のことが小骨がのどに刺さっているように感じられて、皆一様に心が騒いでいるようだ。風化させてはいけないと思いつつも、日々の生活の中で記憶が薄れるようなことがあってはならない。今後永久に記憶に残さなければ、また同じ轍を踏んでしまいそうで、恐ろしい。被爆国の日本がなんで自分から原子力を呼び込むのか。いくらお金のためとはいえ、東電も政治家も道を外してほしくない。彼らは全く自分たちは悪くないと思っているに違いない。え、どうしていけないの?もうかるのに、なんて思うだけ。ゴマメの歯ぎしりで悔しいけれど、ゆるすまじ、原発にたかる亡者ども。

2011年8月29日月曜日

片付けられないのは

病気だそうで、だから私を憐れんでください。最近nekotamaを見てくれた人が、コメントつけたつもりだけど・・・でもついてないでしょ?メールが来た。持ち主の私でさえ入れなくなっているこの部屋。あまりのことに保護者に助けを求めた。そもそもの原因は、私が大事なパスワードを記録したものを失くしたことが原因。忘れないようにプリンタのふたにはりつけておいたものを、なにかの拍子に捨ててしまったらしい。それから私の転落人生が始まった。ああでもない、こうでもないやっていったら、今や手が付けられないところまで行ってしまったらしい。さすがのパソコンの師匠もSkypeの向こうで唸っていた。おや、いつの間にあの方はドラ猫になってしまったのだろうか。しばらくすると、とてもひどくてかなり時間かかりますので、数日お待ちくださいといって、その後寝てしまったか飽きてしまったか、様子はわからない。その代りすごく面白い置き土産。(http://neko.ijk.com/)の動画のページ、「やっつけ」というタイトルで、この動画は数日前に私が盗んできたものと同じだけれど、音声を聞いてみてください。吹き出すから。お茶目ですね。

2011年8月28日日曜日

毎年恒例

8月の最後の日曜日はマンドリンの早苗さんの家で大パーティーが開かれる。毎年マンドリンアンサンブルのコンサートが6月の最初の日曜日に日本青年館で、そして8月の今日は飲み会と決まっている。業界から大勢の人が三々五々集まってくる。我々演奏家たち、作曲家、放送局、舞台の関係者、等々。入れ代わり立ち代わり現れてはご馳走に舌鼓をうつ。お料理上手な早苗さんと息子のKANTA君が腕を振るって、よくもまあ、こんなにおいしいものを沢山揃えるものだといつも感心する。いつもと言っても私はずいぶん久しぶり。毎年24時間テレビともう一つ、筑波での仕事が同じ時期にあったので、どちらかを引き受けると重なってこられないことが多かった。というわけで、今年はどちらも上手くクリアできた。久々の屋上バーベキューは相変わらず盛況で、涼風を受けながらのノンアルコールビールは最高。そう、アルコールを飲むのはここしばらくやめている。なんだか次の日にだるくなるのと、車の運転があるのと2つの理由から。それに、ダイエットの敵でもあるし・・・ダイエットと言えば腹筋ベルト、効果はいまだ現れず。どうしてかというと、巨大なチョコレートを頂いて、他人にあげればいいものを、ぶつぶつ言いながらも毎日食べ続けているからなのだ。あげてしまおうと思った時もあったけれど、どうしてだか忘れて持っていかなかった。フロイトの深層心理分析で言えば、あげたくなかった。つまり、自分が食べたかった、ということで、さて、本当のところはどうなんでしょうか?

2011年8月27日土曜日

又盗んできました。


FUMIKOさんのブログにのっていたので、さっそく失敬しました。
いつもすいません。えへへ。

2011年8月26日金曜日

ゲホーベンハウス弦楽合奏団

ゲバントハウスをもじってつけられたこの名前。国立音大時代に私たちが結成した弦楽アンサンブルで、私たちが卒業後も数年間は続いていたらしい。たぶん2009年・・・たぶんというのは最近記憶が定かでないので・・・1月、同窓会コンサートをやろうということで、幹事を任された。会場は東京交響楽団の古い練習場が今貸しスタジオになっているので、そこを借りた。大久保駅から30秒。ちゃんとしたコンサート会場ではないけれど、値段が安く新宿から一駅。遠くから来る人にも足場がいいし、終わったらロビーで飲んでもいいということで決めた。約15名が懐かしい顔をそろえて、練習はチェロの後輩が自宅を提供してくれて、そこで前夜祭までしてくれた。当日は知り合いだけのアットホームなコンサートになった。そして再会を約束して別れたのに・・・コンサートマスターをやってくれたY君。同級生で東京都交響楽団でセカンドヴァイオリンのトップを長年勤め上げ、退職をしたばかりだった彼が、ガンでこの世を去ってしまった。次回コンサートもあると思っていたので、経費の余った分は積み立てておくつもりでメンバーの一人に預けた。しかし、Y君が亡くなって、次をやる気が失せてしまった。預かってくれた人と、これは東北の震災の義捐金にしようと相談がまとまった。事後承諾で悪いけれど、昨日郵便局に行って、さっさと福島に送ってしまった。これからメンバーにメールを送るが、まず怒る人はいいないと思うけれど、次回がなくて残念と思う人はほぼ全員だと思う。Y君が生きているうちにやっておいてよかった。本人も当日自分はガンで余命がないけれど、頑張ると言っていたのに、あまりにも早く病気が進んであっという間に先に逝ってしまった。次回は天国で、ですね。でも私は天国にいけるかどうか?Y君も天国にいったかどうか、怪しい。

2011年8月24日水曜日

ノラは外猫に

物置の屋根からうちのベランダを羨ましそうに見ていたノラ。毎日朝起きていくと、じっとこちらを見ている。うちの猫たちとはすっかりおなじみで、口やかましい玉三郎も最近は怒らなくなった。餌を与えるようになって、2ヶ月ほどになる。近所に猫嫌いが多いから、なるべく見つからないようにコッソリやっているけれど、もう絶対ばれていると思う。よくもあんなに人のこと見ていると思うほど観察されているから。特に私のところは角地で開けているから、なにもかもよく見えるらしい。こっそり足音忍ばせて、ガレージの車の後ろでコソコソ餌をやっているのは2階以上の人には丸見えだから、あれで隠れているつもりかね・・などと笑っているにちがいない。でも、この子のおかげで長い旅行に出かけられなくなってしまう。長いこと餌をもらえなければ、どこかでよその家に入ったり、ごみを漁って、腐ったものでお腹こわしたりするでしょう。いじめられたり追いかけられたりするでしょう。それが不憫。こんなに餌をやっているのに、まだ手を伸ばすと恐れて寄ってこなくなる。よほどつらい目にあっていたらしく、体はやせ細っているのにお腹が大きくて・・・もしや、ご懐妊?そうなると不妊手術をしないといけない。でも、どうやって捕まえたらいいのだろうか。ものすごく警戒しているのに、網戸越しだと安心してじっときれいな目で見つめてくる。やさしくにゃあと鳴く。うちの猫たちは太って毛艶もよく、おっとりとしている。いかにも可愛がられた猫たちなのに、外の子はいつもオドオドしている。網戸越しではとても甘えた表情をするのに、いざ餌をやるので近付くと警戒心丸出しで、近付きすぎると逃げてしまう。それにしても私が猫好きだとどうして知ったのだろうか。初めから私に向かって訴えかけるような態度をとっていた。うちの猫たちが情報を流したのか。それとも、亡くなった獣医のヒゲ先生が言っていたように、ネコの社会には情報網があるのだろうか。あそこに行けば餌もらえるよなんて。

2011年8月23日火曜日

新しい自転車

今朝出かけようとして自転車置き場に行ったら自転車は盗まれていた。自分の昨日の行動をつぶさに思い出しながら、どこかへ置き忘れてきたのかと考えたけれど、絶対うちまで乗ってきたのは確かなこと。もしかしたら鍵を抜くのは忘れていたかもしれない。タイヤは空気が不足しているし、ベルのふたが無くなっていて(これもどうやら盗まれたらしい)鳴らない。実は昨日チラッと自転車やさんを覗いてこれがかわいいなと思っていたところ。古い自転車は私の心を察知して、家出をしたのだろうか。とにかく自転車がないと行動範囲がグッと狭くなるので、帰り道に早速購入した。古い小さな自転車屋さん。私が子供の頃からあったから、ほんとに古い。ご夫婦が二人だけでお店には自転車も5.6台しか置いていない。今はやりのスポーツタイプや電動ものもおいていない。ごく安いママチャリだけ。あとはパンクの修理や部品の販売で細々と営業を続けている。体の弱いご主人にとてもきれいな奥さんが献身的に手助けをしている。だから自転車は流行りの素敵なものがほしいのに、どうしてもここで買ってあげたくなるので、当分ママチャリで我慢しよう。

ところでさっきGALAXYで撮影して、いろいろ手順を踏むのが面倒でいきなりこのブログにメールで送りつけたら編集も削除もできなくなったのが前の写真。いやはやどうやってこの後始末をつけたらいいのかしら。自転車の写真なんて大きくしてみてもしょうがないので、前の写真はあけないでください。

misao yamamoto さんの写真をご覧ください

misao yamamoto さんからのメッセージ:
今朝出かけようと
このメールが正しく表示されない場合は、下のリンクをコピーしてブラウザに貼り付けてください。
https://picasaweb.google.com/lh/photo/WI_rD_4Lp_yRwpjZHp4OIo3u_CbYwtcRlq9te0uN7aA?feat=email
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2011年8月22日月曜日

雨の一日

昨日の華やかな舞台や喧噪が嘘のように静かな一日。雨が暑さを消し去ってくれて、なんか落ち着いた幸せな気分。買い物をしたり友人と会ったりした後、整体院で体をほぐしてもらったら、もう爆睡!60分のうちの55分くらいは寝てました。そもそも暑さにはからっきし弱く、寒いのならいくらでも耐えられる。今までで一番寒かったのは、たぶん旭川での-16度。それでもあまり寒いのがいやだとは思わなかった。ところが今年の夏の暑さは湿気が多く、最悪の状態だった。湿気があると楽器が鳴らないのが一番こたえる、ならそうとしてむきになるのがストレスの元。結局首肩バリバリで頭まで痛くなる。この睡眠名人の私がさすがに暑さで目が醒めてしまう。目が醒めれば汗びっしょりで気持ち悪いことこの上ない。節電節電というけれど、たいていの家はそんなに無駄に電気を消費していないと思う。日頃からちゃんと節電対策はしてる。結局今年のピークと言われた真夏日でも消費電力は供給電力を下まわっている。その陰には涙ぐましい努力があったにしても、やればできるのではないか。いままで、どんどん供給されていたから使ったまでの話で、なければないで、工夫して乗り越えられる。原発の必要性はいったい本当にあるのだろうか?クリーンエネルギーで地球温暖化対策と言われればグウの音もでないけれど、それだっていろいろやり方がありそうな気がしてきた。人間世界が便利になりすぎて、ほしいと思うものはなんでも手にいれようと思うのがそもそもの間違い。手に入るのも間違い。野生の動物たちは身を削って食べ物を探し、生きているではないか。人間だけは楽々となんでも手に入る。そして上を見たらきりがない。これでは地球温暖化はもう止めようがない。今中国は際限なく空気や水を汚し金儲けに走っている。かつての日本がそうだったように。この先第2第の中国が必ず出てくる。これ以上クリーンになるはずがない。だから遠からずして地球は、熱風ふきあれて水浸しの人の住めないところになるに違いない。今だって竜巻や大洪水が頻発しているもの。と・・・ここまで考えたら自分がすっかり贅沢にはまっていることに気付く。共犯者は自分だ!

2011年8月21日日曜日

24時間テレビ

音楽全部が生演奏というわけではなく、先日リハーサルの時に録音してしまった曲もあるので、今日は午後ゆっくりでかければいい。徳光さんがはたして走りきれるかで終わりの長さが決まってくる。予定よりオーバーすることも。午前中はのんびりと雨の風景を窓越しに眺めていた。すると、一羽のハト。先日枝おろしをした元気な木が実をつけはじめている。それを食べにやってきたようだ。ほそい枝にユラユラと上手にバランスをとって、実をついばんでいる。しばらく眺めていたけれど、なんというハトなのかきれいな羽なので、そうだ写真を撮ろうと思いついてGALAXYをとりに行った。窓辺に戻ってみるとハトが2羽になっている。つがいなのかしら。脅かさないように窓を開けられるかどうか、考えていたけれど一羽のハトと目が合ってしまったら、ちょっと食べ残して惜しそうだったけれど、飛び去ってしまった。GALAXYで撮ったら、雨に濡れた緑ときれいなハトの羽模様が素敵に撮れたのに。残念!
先日GALAXYの操作方法を説明を受けながら撮ったビデオがあった。とても素晴らしい器械を私が少しも使いこなせていないので、説明してくれた人のセリフ  「器械はすごいのに・・・教える人もまあまあなのに・・・・結果はざんねん!」と言われてしまった。それがYouTubeに残っていて時々引っ張り出して来て一人で大笑いをしていたのに、それがどこに行ったか思い出せない。本当に「残念」

2011年8月20日土曜日

24時間テレビリハーサル

なんだかんだ言われながらも続いている24時間テレビ。初っ端からの付き合いで、途中が抜けてお付き合いできなかった時期もあったけれど、ここ数年続いている。今日はリハーサル。九段下の武道館の観客席にはまだ、だれも座っていない。何曲かの録音はスタジオで済んでいるので、生で音を出す曲数は少ない。ピンクレディーの二人が明日は生で歌うので、その音合わせ。二人とももう、けっこうなお歳と思われるのに、あの体型の変わらなさはどうやって維持するのか。顔もしわ一つなく綺麗。どれほどのお金と努力の賜物かと思う。私と言えば、先日プログラム用の写真が必要になって、渋谷の写真スタジオに撮りに行った。タレントさんやイベントなどに使うための芸能関係っぽい写真館なので、ポーズの決め方や照明の具合など手馴れていて、なかなかきれいに撮ってくれた。でも、それをパソコンに入れて再生すると、あなおそろしや・・・やはり、リアルにしわなどが見えてしまう。年相応というべきか。ところが女優や歌手などは、本当にきれい。いくら塗っているとは言え、普通の人にはあれほどの美貌を維持できるわけがない。涙ぐましい努力をしているのだと思うと、まあ、こんなところで妥協できる職業でよかったかなと思う。たとえばNHKの「思い出のメロディー」という番組がある。あれなどもずいぶん昔の歌手が出てくるけれど、みなさんかなりきちんとシェイプアップしていて、体型がさほど変わらない人が多い。毎年出演依頼がくるとは限らないから、このためにというわけではなくても、ちゃんといつ見られてもおかしくないようの努力をしているのだろう。一曲しかヒット曲がなくても依頼がくるかもしれない。大変だなあ。私たちが楽器の練習をするように、体を整えるのだろうか。そちらの趣味はほとんどないから、退屈そうだなあと思ってしまう。それでも、あれほど若くきれいでいられるなら、退屈も我慢できるというもの。少しは見習わないと汚いおばあさんになってしまう。もう手遅れかもしれないけど。

2011年8月19日金曜日

体中が痛い

暑さのせいかパソコンが不調で、一昨日作成したものが投稿できなくて保留になっていました。

昨日の樵仕事のおかげで、目がさめたら体の節々が悲鳴を上げていた。昨日は切った木を30センチほどの長さに揃え束ね、ごみ出しに間に合うように必死に働いた。働いている最中にゴミ収集車が来てしまった。お願いの目をすると優しい収集士さんは「また来ますからね」と言って、本当に来てくれたらしい。いつの間にか束は消えていた。普段お掃除や片付けの類は殆どしないのに、時々こうして気が狂ったように働くと、さあ、次の日が大変。エンジンがかかり始めると止まらなくなるので、体力の限界越しても、働いてしまう。樵の後は段ボールの整理。ちょうど通りかかった段ボールを集めて生活している人に持って行ってもらう。資源ごみはその人たちも手を付けてはいけないそうで、このおじさんはもう何年も段ボールを集めて生計うを立てていたのに、条例が発令した日に警察官につかまっていた。思わずしゃしゃり出て、弱い者いじめするな!と叫ぼうと思ったけれど、今までの経験から、私が出ると丸く収まるものまで収まらなくなるということを知っていたので、黙ってみていた。しばらくは姿を消していたけれど、最近又自転車にわずかばかりの段ボールをつんでいる。以前はリヤカーいっぱいに積んでいたのに。ずいぶん生活にも困窮しているのだろう。たぶん、家もないに違いない。いつも汚れた頭によれよれの作業着。あまりにも無口なので口のきけない人だと思っていたけれど、昨日はじめて口をきいた。自転車につめないから、あとでリヤカーで来るというようなことを、意外にもきちんとした口調で言うのに驚いた。顔はとみれば目元も穏やかで顔だちも品がある。少なくとも私よりは育ちがよさそうだ。私のように放ったらかされて、自由に裏庭で猫と走り回っていた野生児とは、ちょっと立ち居振る舞いが違う。ホームレスさんの中にはあっと驚くほどの経歴の人がいるそうだからもしや?  
以前某国の大統領の晩さん会に演奏しに行った時、会場の中から「ぎゃははは」と甲高く下品な笑い声が聞こえて驚いたことがあった。な、なんと、某宮様のお妃さま。その前に私が少しどうかと思う振る舞いをした時に「ここは迎賓館だからね。下品館じゃないんだよ」とたしなめられたばかりだった。ほら、やんごとなきお姫様がああだから、わたしなんかもう少し落ちてもしかたないじゃない?と、その時思ったけれど。

2011年8月16日火曜日

木を切る

気のすすまない仕事。暑いからということもあるけれど、一番の理由は木を切りたくないから。葉を茂らせ酸素を提供し、涼しい木陰を作ってくれる、いわば人類の恩人である木の枝をバッサリするのは、なんとも気が重い。うちには庭もないのに隣家との狭いコンクリートの隙間に生えた一本の木。ほっそりとしていたのが、いつの間にか立派になって、繁殖力が強く、そこいらじゅうに種をまきちらし、どんどん子孫を殖やしている。私は葉っぱが秋になって散ったりしても、さほど気にしない性質だけど、お隣の2軒はひどくきれいずき。でも、前を流れている川の桜並木の落ち葉は絶対に掃かない。自分の家が隣の葉っぱで散らかるのは業腹だが、公道は自分のものではないから掃除するのは損。私が早朝、そのお宅の前も掃き清めておいても、知らん顔。つい、意地悪おばさんの本音が言いたくなる。さて、以前電動ノコを買ったことは投稿しました。今日もノコの出番。せっかく生い茂っているのにかわいそうになあと思うけれど、結構植物は曲者だから、切られるとなお元気になるに違いない。よくも切ったな!などと毒ずきながら、またにょきにょきと伸びるに違いない。もう一軒のお隣はうちの庭に伸びた分だけでも、切っていいですか?切ってくれる人がいるので。でも、もちろんお金は払うのですけど。 と微妙な言い回し。なら、うちで切るさと思い立ったけれど、暑くて、しかも木を切るなんて気の滅入ること。のこぎりを持って近付いたら、木が悲鳴をあげないかしら・・・なんて思う。

2011年8月15日月曜日

環八

最近よく杉並方面に出没している。一週間に2.3日環八を走る。今日は帰省のUターンラッシュが始まるとあって、環八上り方面が混むに違いないとにらんだ。南荻窪にカルテットの練習に行って、終わってからのお茶を楽しむヒマもなく、帰りを急いだ。ほかの3人はゆっくり楽しんでいるというのに、私は帰りの心配ばかりしている。それというのも連休の最後の日などは環八の混み方は異常だから。中央道、関越道から都内へ入った車が列をなし、じりじりと進むのがたまらないので、その前に帰ってしまおう。おいしそうなケーキを横目で眺めて、そそくさと帰り支度をすると、まだ、大丈夫だよとの声もあったが、それでもラッシュに会いたくない一心で出発。4時ころはまだすいていて、1時間もかからず帰れた。ほれご覧と言われそうだが、もう混雑が始まっているに違いない。環八にはえらくひどい目にあわされている。まだ環状線が開通する前に和光へ行った時などは、瀬田からもう渋滞で、たっぷり時間をとっていたにもかかわらず、会場に着いたのは始まる10分前。直進なのに左折車線を走って信号で前にでたり、いつもなら恥ずかしくてできないような悪いことを次々とやって、やっと間に合った。楽屋口で音楽事務所の社長に会って「おはようございます」と普通に言ったつもりだったのに、1時間後に社長から「もう口きいてもいいかな」と言われてしまった。とうてい話しかけられないような恐ろしい顔をしていたらしい。私たちの仕事は音が出る時に絶対現場にいなくてはならないから、遅刻などもってのほか。一度したら、もう馘は覚悟した方がいい。一度だけ本番に遅刻したことがある。井の頭線で人身事故が発生して電車が動かない。すぐにタクシーで下北沢まで行ったら、その日はお祭りで駅の周りに車が入れない。チェリストと一緒だったけれど、かわいそうに彼女は重たいチェロを抱えて走った走った。私たちは無事ついたけれど、メンバーの一人が電車内で缶詰め。結局カルテットの一人がいないと成り立たないので出番を遅らせてもらったことがあった。どんなことがあるかわからないから、特に環八を使うときには1時間半ほど余計に時間の計算をする。現場近くにいってから喫茶店などで時間調整をする。その習慣が染み付いているから、遊ぶ時もみなさん時間厳守。習慣となっているから、別に苦痛とは思わない。スキーにいって約束の時間になると一斉に、四方からサーアッとゲレンデを滑り降りてくる。それは見事なものです。

2011年8月14日日曜日

くにたちの会

毎年8月14日と決まっている。
始まってから何年になるのか。私たちより3年くらい上の世代のヴィオラ科の卒業生が中心になって始めた同窓コンサート。お声をかけていただいて参加するようになった。まず、それぞれが自分の弾きたい曲を持ち寄ってコンサートをする。それが終わると国立駅近くの天政という料理やさんで宴会。コンサートを終えて一通り食事が過ぎてからが楽しい。楽譜が次々と出てきて、無差別にどんな曲でも弾かされる。酔っ払いといっても容赦なく引きずり出されて、一曲弾き終わらないと席に帰れない。そうやって延々と二次会コンサートが続く。いったい何時間弾いていたのだろうか。真面目な方のコンサートではベートーヴェンの8番のソナタ。このところずっと弾いているのに、一向に上手くはならない。ベートーヴェンは私にとっては鬼門で、本当に好きだったり、上手く弾けたりしたことは一度もない。やはり内容が重くて持て余す。自分の中にそれに匹敵するだけのパワーは存在しない。今ピアニストのSさんと組んで連続して練習をしているが、心から楽しめる曲はまだ見つからない。でも、よくしたもので、何曲も取り組んでいくうちに、彼の心が見えてくる。なんと優しい崇高な人なのかと思える瞬間がある。その時には喜びが込み上げてくるけれど、次の日には元の木阿弥、すっかり迷子になって一からやり直し。自分か相手かどちらかが調子悪くても、上手くいかない。ソナタは二人で作り出すものだから、私が調子悪い時には申し訳ない気持ちになるのがつらい。久々に緊張。くにたちの卒業生はあまり優秀ではなくても、それに代えがたい優しさがある。故有馬大五郎先生かわが子のように育んだ生徒たちは、あまりにもおっとりしていて世間の荒波を浴びても気が付かない。だから、くにたちボケと言われるけれど、このボケは最高なのです。

2011年8月13日土曜日

中国整体

暑さや疲れから来る体の不調で、肩こり首こりがひどくなってきた。こうなるとヴァイオリンは良い音を出してくれなくなる。体のコンディションが音に直結する、ある意味では声楽家と共通している。5年間ほど通っていたマッサージのお店があって、何代も施術士が替わっても、どの人も熱心で気に入っていた。特に最近やめてしまったが、今までで一番才能があると思えた若いスポーツトレーナーは、技術も勉強する意欲も抜群だった。そのため才能を見込まれたらしくすぐに本部に抜擢され、ほんのわずかな期間で当地を去ってしまった。次に入った人は、初めての時にはまだ環境に馴れず戸惑っているのかと思ったが、2回目で、もうこれはいけないと思った。技術、やる気、ともに貧弱。思わず「あなたはこのお仕事すきですか?」と聞いてしまった。とまどいながら彼は「あ、はい、好きですよ」と答えたが、ほとんどマニュアルをやっとこなしているといった状態。プロならば、その人の筋肉の状態からどのくらいの力で押せばいいかはわかるはず。人それぞれ好みはあるから、一概には言えなくても、力加減はプロとしての自負があるはず。それが全くない。それでもう、そのお店は行くのをやめてしまった。ところがさて、困った。いつも体調は整えておかなくてはいけないから、上手くて料金がそれほど高くないお店…、しばらく考えて、以前よく通っていた中国整体に舞い戻ることにした。そこも一度素晴らしい施術士がやめて、いかなくなってしまったお店。さあ、どうかな?久しぶりに中国人の技術に接すると、やはり何千年もの歴史ある?技術。とてもうまい。それと中国人の体質なのか、指がよく反って強くても痛くない。丁寧にもみほぐされて、後半はぐっすり眠ってしまった。今、すっきり。さて、明日の本番上手くいくかな。体調が良いからと言って上手くいくとは限らないのが本番の怖さ。もうヘトヘトで音なんか出ないと思っても意外とうまくいったり、今日は爽やかだなあと思っていたら大失敗をしたり、本当に怖い。こんな怖いこと早くやめたいと思っても、やめるとさびしい。「雀百まで踊り忘れず」とは良く言ったものだわ。

2011年8月11日木曜日

ロサンジェルスから

メールが届いた。ロスから。やはりかつての教え子。彼女の飼い犬が11歳の誕生日を迎えた報告と写真。Hさんはずっとアメリカで働いている。一時期日本に半年ほど転勤で戻ってきていたほんのわずかな時期に、私がヴァイオリンを教えていただけなのに、いつもメールや、時には日本に来ると連絡をくれて、教室に会いに来てくれたりする。日本よりアメリカの方が性格に合っているらしく、日本では働きたくないらしい。少し戻ってきていた時も早くアメリカに戻りたいと言っていた。頑張って半年でユーモレスクを発表会で弾いて、そして、アメリカの会社に戻って行った。引っ越しやメールアドレスの変更も、こまめに知らせてくる。一時期は郊外の家を買って、そこで犬を飼って暮らしていたけれど、またロスに戻ってきている。いつか遊びに行こうと思いながら、もう何年も経ってしまった。私がロスに行ったのは・・・・もう40年くらい前。当時は日本では見られなかったような立体交差の道路や高速道路に車が猛スピードで走っていた。そのラッシュアワーのすごさ。それから何年かして日本もそうなったけれど、目を丸くして眺めたものだった。そうそう、ディズニーランドにも行った。こんなすごい遊園地が日本にもできるとは、その当時は考えられなかった。その後日本も今の中国のように頑張って立派になったけれど、日本はそんなに頑張らなくてもよかったのでは?と今思う。原発の事故を見ると、頑張らないでゆっくり歩いて来れば、こんなことにはならなかったと思うけれど、もう遅い。それが悲しい。

札幌から

電話がかかってきた。聞き覚えのある声だが、はて、どなた?以前の教え子のN君だった。大学を卒業して、某大手電機メーカーで営業の仕事をしている。「今札幌にいます。こちらも暑いです」涼しくていいわねと言おうと思ったら、出鼻をくじかれた。そうか、勤務地は札幌なんだ。非常に落ち着いた頑張り屋さんで、高校時代、学内のオーケストラでラロの「スペイン交響曲」のソロを弾いた。音楽学校ではないのに、コンクール入賞者がゴロゴロいるような非常にレベルの高いオーケストラだったから、普通なら彼はとうていソロが弾けるような立場ではない。でも、たまたまその学年は彼が一番うまいというレベルだったので、抜擢された。それからの頑張りがすごかった。私も今より少し元気だったから夢中で教えて、彼は立派にその任を果たした。真面目、几帳面を絵にかいたような性格で、卒業して就職した時もきちんと挨拶にみえた。今度お盆で実家に帰るのでレッスンお願いしますとのこと、どんな曲を弾きたいの?と聞いたら、曲は弾いていないので基礎練習をしたいという。札幌の市民オーケストラで弾いているそうで、まだヴァイオリンは続けていてくれる。それが一番うれしい。電話がかかってきたときに、もしかしたら結婚の報告?と期待したけれど、そうではなかったので少しがっかり。どんな仕事をやっても全力で努力するような性格だから、仕事も家庭も着実に築き上げていくと思う。私とは正反対なのに、いつまでも忘れずに会いに来てくれるのが、本当にうれしい。

2011年8月9日火曜日

夏バテ

もうすぐ本番があるので、今日はピアノ合わせに出かけた。その前にハリー・ポッターを読むための英語のレッスンを済ませ、午後ピアニストの家に到着。そのころにはめまいがしそうなほど暑く、ペットボトルの水を飲んで暑さ対策。練習を始めると、なんだかリズムがとれない。指が鈍くて動かない。昨日の夜はわりと早寝(私にしては)で、夜中も目が覚めず、グッスリ寝たはず。もしかして寝過ぎ?ひどく汗をかいて目が覚めたときには、パジャマもシーツもぐっしょり濡れて、全部洗濯したうえに布団乾燥機まで使うほどだった。それで体が冷えたかもしれない。お腹もこわしてしまったようだ。私は野蛮人だから、多少お腹をこわしても遠慮なく食べることにしている。でも、さすがに食欲がない。こんなことは1年のうち3日あるかないか。何回弾いてもリズムはおろか、音程まではずす。もちろん音質は良い訳がない。相棒のピアニストからも「変ね」と言われる。変だな、ヴァイオリンを弾けば、どんなときでも多少元気になってくるのに・・・。なにか身体の回りに目に見えないゴムマットのようなものが巻きついているようだ。脳梗塞のはじまり?実は数日で治ったけれど、ひと月ほど前、頭痛が続いたことがあった。私はこのん十年、およそ頭痛というものを感じたことがなかったから、人並みに頭が痛むようになったか・・・とその程度の感触。でも、パソコンでゲームをしようと思ったら、マウスでまっすぐな線が引けない。とんでもない動きが起こって、手が自分の手でないような動きをしたことがあった。負けてたまるかと数日間むきになってリハビリした結果、正常に戻った。そのときでもヴァイオリンは普通に弾けたので、それさえ大丈夫ならかまわないと思っていた。でも、今日は少しショックで、これが年をとっていくということなのかと実感した。そのうち、毎日がこんな状態になるのでしょうね。お腹をこわしているのに、アイスクリームを買ってきた。これでどうなるかと思ったが、何事もなくお腹は小康状態。自分を甘やかしてもお腹を甘やかすな・・・そんなことわざはないけど。やはり夏バテですか。

2011年8月8日月曜日

消えたランチ

美容院で座っている椅子の足元を見たら、よくもこんなに切ったものだと思える位の沢山の髪の毛が落ちていた。つい先日ベリーショートにしたばかりなのに。すっかり涼しくなった髪に満足して、友人との待ち合わせ場所に行った。今日は近くに住むヴァイオリンの仕事仲間と一緒に、ランチをとる予定だった。ところが姿が見当たらず、かわりに携帯に何回もの着信履歴が残っていた。必死で連絡しようとしていたみたい。こちらからかけると、すぐ行くと言って現れたのは真っ赤なボルボ。車でどこかのレストランに行くのかと思ったら、必死の面持ちで「主人が今朝倒れて入院しているの。せっかくのときに悪いけど今日は行かれない。ごめんね」おやおや、それは大変、それならわざわざここまで来てくれなくても、電話だけでよかったのに。律儀に来てくれて、せっかくだからお茶でも飲む?と言うから、いかにも人間関係を大事にする彼女らしいなと思った。初めて会ったときはズケズケとした物言いをする人だなあと、あまり好印象はもたなかったが、付き合って見ると気配りのできる姉御肌の人で、長い間業界のリーダーとして活躍していた。サバサバした性格で、まっすぐに向かい合えばいいから、私のように無作為で生きる人間には、ありがたいお付き合いだった。着ているものも乗っている車も、住んでいるところも高級品。ご主人も某テレビ局の名の知れた方。いつもクリーニングから戻ったばかりのように、アイロンがビシッときいた衣類を身に付け、車はピカピカ。暇だから毎週ゴルフにいってるの、と言って、筋肉質の日に焼けた贅肉のない体つき。セレブは違うなあといつも感心している。すべてがヨレヨレの私は、どうしたらあのようになれるのか想像もつかない。ずいぶんこまめに動かないと、いつもあんなに身奇麗にはしていられないだろう。「せめて顔だけでも見に来たのよ」と言う。はいはい、こんな顔でよかったらどうぞご覧ください。私は美人じゃないけれど面白い顔ではあるから、ご期待に沿えるでしょう。でも、ご主人は結構年上だから、なんだか心配。やはり熱中症かな。お気をつけて、お大事に!

2011年8月7日日曜日

原爆のこと

この時期避けて通れないのが広島、長崎のこと。特に今年は福島の原発事故もあって、日本中がピリピリしているように思える。世界で唯一の被爆国が、自国民を被爆させてどうする。東電や原子力委員会や政府の対応がまったく信頼できないと思ったら、原爆投下当時の日本の政府の対応も、まったく同じようだったと初めて知った。すでに5時間前には原爆投下のための飛行機の飛来はわかっていたのだと言う。それなのに全く避難警報も出さなかった。もし、警告が出ていて物陰や防空壕に入っていれば、沢山の人が助かったかもしれない。私の父は戦時中、帝国発明協会というところで仕事をしていた。うちのアルバムには、高松宮さまが顕微鏡を覗いておられる写真があった。戦時中ならこんな写真をアルバムに貼ることなど許されなかったと思うから、これは戦後になってから撮った写真と思われる。それから、新聞の切抜きには、若くてなかなかハンサムだった父の写真があって、見出しには「発明おじさんはかういいひました」とある。子供の発明コンテストの審査員だったらしく、それについてのコメントが載っていた。旧かな使いだから、戦時中の記事かもしれない。そして、別のページには見るもおぞましい写真。原爆で死んだ人の写真がなぜか混じっていた。一度だけそれを見てから、二度とあけなかったアルバム。今両親も亡くなり、いったいどこにあるのか。たぶん処分されてしまったと思うけれど、ほんの小さな子供だったのに、いまだに目に焼きついている。なぜあんな写真がアルバムに入っていたのか。それを見てしまった時には、学齢前の子供だったにもかかわらず、本当にショックを受けた。発明協会というのは、政府関係の仕事ではなかったのか。それで、あのような写真をいち早く入手したのではないか。それにしても・・・・今でも鳥肌がたつ。父は全く戦時中のことは話さない。兵役は免れて国内での任務だったのか。発明などというのも、なにか胡散臭い気がする。戦後は自宅の廊下で電気洗濯機の実験なんかやって平和だったけれど・・・身の毛のよだつ写真が、福島の原発と重なって見える。