2011年11月21日月曜日

達成感って?

仕事に対する未達成が連続すると不快だと言う人がいる。仕事が達成するとはいったいなんだろう。たとえば私たちの仕事は常に未達成の連続。毎日これで良いなんてことはありえない。でも毎日のめり込んでいる幸福な人種だとおもっている。というのは演奏することそのものが面白い。パガニーニのように弾けるわけではないし、世間からもたいしたことのないヴァイオリン弾きと思われているのは重々承知。お金が稼げるといってもソリストたちのようにギャラがいいわけではないし、最近はほとんどボランティアでも頼まれれば喜んで弾かせてもらう。だれかが自分を必要としてくれているのがうれしいというより、自分が弾くのが楽しいから。達成感というものが自分が自分に対する評価だとしたら、いつも自分を甘やかして「よしよし、これでいいのだ」と言ってやるのが一番。他人の評価は気にしないでいい。徳川家康(な、なんだ、急に)が人の一生は重い荷物を持って歩いて行くようなものと言ったけれど、目標が高ければ高いほど荷物は重くなる。私は目標はたてない。昨日弾けたところが今日はまた弾けなくなっていたとしても、よしよしお疲れねえと自分を甘やかす。決して自分には意地悪しない。未達成感とは、自分に厳しく高い目標を高く持っている優れた人たちのみが持てる、要するに能力がある人ほど強く感じるものなのだから、そのように感じる人は自分が選ばれた人だと思っていいのでは?高い山があるからそこに登る人がいる。高い山を苦労して上った人は、他人の何倍もの達成感を感じるに違いない。でも、登頂に失敗したら深い挫折を感じると思う。挫折しても又登る。いつかはこの山を征服しようとして。登頂してもすぐ次の山が待っている。また挑戦、挫折の繰り返し。人が達成感をあじわうことなんてできるのかしら。たぶん、生きているうちに達成感を持てる人なんていないのではないかと思いませんか?だから未達成の連続はちっとも不快なことではないと思うけれど。達成、未達成は譬えれば右足と左足のようなもの。右が出て左が出て初めて歩くことができる。達成を右足とすれば、右足だけで歩こうとすれば失敗する。未達成の左足も可愛がってやらないと、ケンケンしているのに気が付かない人になってしまう。達成、未達成は表裏一体。両方必要。疲れたら頑張らないで休めばいい。疲れがとれたら全力疾走。いいじゃないですか、人生面白いのはこれだから。

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