立川談志の死去を今朝の新聞で知った。思いがけないほど悲しかった。2010年4月にこのブログで談志の悪口を書いている。当時テレビで見た彼のあまりのだらしない様子に憤慨して投稿、次の日に彼の病気が重いと知って同情していることを書いたもの。
談志を寄席に見に行ったのは学生時代。おそらく大学4年生の頃だったと思う。演しものは忘れたが、今の彼ほどは毒舌ではないが切れ味のある颯爽とした風貌が目に焼き付いている。黒い着物の多いなか、鶯色の着物が色白の顔に良く似合っていた。そして、その手の美しさが忘れられない。晩年汚いひげなんか生やしてだらしなく座っていても、手は相変わらずきれいだった。きょうテレビでお子さんたちが会見をしていたけれど、御嬢さんが手を首元にやってちょっと掻くようなしぐさをした時に、あ、お父さんに似ていると思った。うちに談志の落語全集のCDがある。去年仕事も少なくなってヒマになったので、うちでゆっくり聞こうと思って買ったのに、その後また忙しくなってきて聞かずにいたもの。志ん生、志ん朝、小さん、に続いて全集は4人目。志ん生、小さんは時々聞いているが談志はまだ1枚も聞いていない。まだ生きているから寄席で聴くこともあるかと思って、CDはもう少しヒマになってからの楽しみにと思っていたのに。かつて日比谷に飛行館というビルがあって、そこに音楽スタジオがあった。そこで仕事を終えてエレベーターに乗ったら、談志と鉢合わせしたことがあった。憮然とした表情でもう一人の男の人と黙って乗っていた。こちらも「ああ、談志だ」と思っただけだったけれど、今思えばちょっと話しかけてみればよかったと思う。たぶん、無愛想な答えが返ってきただけか、無視されるかどちらかだったと思うけれど。「落語は人間の業の肯定」本質を言い得て妙。惜しい人でも人の命のはかなさには勝てなかった。
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