2016年1月31日日曜日

猫がアンカにならなかったので

先日猫がベッドに来てくれないと嘆いていたら、電気敷き毛布を勧められて早速購入した。
使い始めてから思ったのは、なんでこんな快適な物を今まで使わなかったのかということ。

私の母が歳をとってからずっと電気毛布を使っていたけれど、乾燥して困ると言っていた。
それが頭にあって、喉の弱い私には大敵だと思った。
明け方ひどく咳き込むことが多くて、慢性の気管支炎だと思い込んでいた。
だから乾燥は禁物。
加湿器を一晩中かけて寝ていた。
薦められたときに、とにかく安いから一度使って気に入らなければやめたら?と言われ、物は試し、その気になった。

届いたのは薄い頼りなげな物で、なるほど安いからこんなものか。
たためるし洗えるというのが気に入った。
まずこわごわ一晩使ってみた。
1番弱いモードに設定してみた。
暖かいようなそうでもないような。
電源が入っていないかと思うくらいの暖かさ。

翌朝目が醒めると、不思議な気がした。
最近は夜中に何度も目が醒める。
それがなかった。
一晩通して眠るのは、よほど疲れているとき以外あまり無い。
しかも布団は、ほのかに暖かさが感じられる程度。
これなら体温で温まっているのと同じくらい。
年をとって体温調節がきかなくなると危険ではないかと考えていたけれど、この温度なら危険とはとても思えない。

その後タイマーを使うことをすすめられた。
就寝時間になったら、いつの間にか電源が入っていて、起床時には切れている。
これも大ヒットだった。
寝ようと思ってベッドに行くと、タイマーが働いて電源が入っている赤いランプが見える。
それだけで安心して、うれしくなる。

そして、これからがもっと嬉しいはなし。
猫が、夜な夜な私のベッドに潜り込むようになった。
今までどんなに懇願しても来てくれなかったのに、この毛布を敷くようになってから、毎晩潜り込んで来る。
猫を小脇に抱えて眠るのは、私の子供時代からの幸せの一つ。
大勢飼っていたころは、何匹も入ってきたのに、今残っているコチャは冷たい。
決して布団で一緒に寝てくれなかったのに。
それでも彼女も抱っこになれていなくて、すぐに出て行くけれど、又すぐに戻ってきてくれる。

よしよしと抱きしめると、満足でため息が出る。
猫をアンカにする目論みは外れ、猫もアンカが欲しかったことに気付いた。
私は布団を沢山掛けるのが好きでなく、冬でも薄い羽毛布団一枚きり。
それでも冷え性では無いので、布団に入るとすぐに足がホカホカして、すぐに眠れたので気がつかなかった。
自分では暖かく寝ていたつもりでも、実際は冷えていたのだ。
明け方の咳は冷えから来たものだった。
今日も目が醒めたら、夜一回も起きなかったことに気がついた。
咳も出なくなった。
それに、夢を沢山見るようになった。
私の夢はいつも楽しくて、笑いながら目が醒めることが多い。
安い電気毛布がもたらしてくれた健康と幸せ。























2016年1月30日土曜日

親しみのある風景

天気予報によれば、昨夜から雪。
昨日は冷たい雨の中を、246号線で厚木方面へ。

約束の時間より早く着いたので、大きなスーパーに車を停めて、町を見学に出かけた。
雪の予報にしてはかなり暖かい。
私の勘では、雪は降りそうも無いと思ったけれど、公共施設の庭に雪だまりがある。
これは先だっての雪の名残だろうか。
同じ県内でも私の家の近辺は、ほぼその日に雪は溶けてしまったのに、この辺はまだ残っているという事は、気温がそれだけ低いのかも知れない。
駅近くに行っても取り立てて賑やかにもならず、小さな駅はホームに人が少ない。
個人商店が建ち並んで、歩く人もゆったりとしている。

我が家の最寄り駅も、何年か前まではこんな具合だった。
けれど隣の駅近くは、工場跡地を再開発して高層マンションが建ち並び始め、人口が一気に数万人増えるということで、急激な発展をした。
そのあおりを食って、我が最寄り駅も、なにか落ち着きの無い町に変貌した。
関西系の飲食店が多くなり、ついにガールズバーなんてものまで出来て、あれよあれよという間に歓楽街のようになった。
それも中途半端な資本なのか貧相なお店が多く、どの飲食店も一度入っても二度目はないという程度の味。
これなら以前の個人商店の方がよほど良かった。

同じ沿線のほかの駅は高級住宅街が多いのに、うちの最寄り駅はこの沿線でも谷間のようなところで、人は多いのに買い物はつつましいといったところだった。
貸店舗では日替わりで安いバッグや下着などの出店があり、あまりの安さに私の友人達が遊びに来ると、目の色を変えて買い物をしていった。
田園調布に住んでいた友人が、野菜を仕入れて、楽器と一緒に持ち帰ったのには笑った。
その格好で田園調布の素敵なお家に帰っていくの?

傘や下駄を売っている店があまりにも流行らないので、気の毒だから傘を買ったら、折り目のところが変色していた。
ずいぶん長い間売れなかったのか、その折り目の変色は洗ってもこすっても取れない。
それでも返品するのは気の毒で、返しに行けなかった。
そのお店はいち早く他資本に飲み込まれ飲食店になったけれど、その店も駅の目と鼻の先なのに流行らない。
向かいの飲み屋も中華も同様。
頑張っているのは数十年続いている、小さなお総菜やさん。
他のお店が建つ度に、あの店はもう飲み込まれて潰れてしまうだろうと思っていると、潰れるのは新しい方の店。
素材も料理の腕も中途半端な店では、客の入りも良くないのは当たり前。
そんなつまらない町になってしまった。

それに比べて、昨日行ったのんびりとした雰囲気の駅周辺は、そこに生活している店の人達の生活感も伝わってくる。
小さいながら、必要な物は揃っているという感じで、住みやすそうな。
今は地方の主要都市は、もうこんな雰囲気ではない。

先年青森に行ったら、すっかり綺麗になってしまって、都内の駅の周辺とたいして変わらなくなっていた。
以前、駅の傍の寂れた飲食店街の一角に、ラーメンやさんがあった。
以前来た時に見つけて、とても美味しかったから行ってみたら、もうなくなっていた。
駅前の市場もなくなって、リンゴ売りのおばちゃんの笑顔を見られない。
きれいに整備された歩道に、ショッピングセンター。
どこにでもあるお店が入っている。
綺麗になるのがいけないと言うワケではないけれど、何の特色も無くなって、つまらなくなった。

そんなことを考えているうちに待ち人が来て、あっという間に大忙しの一日となった。
こんなのんびりした町で、走り回っているのは私たちだけ?
良く笑い良く食べて、今朝は雪の気配も無く気分は晴天。


















2016年1月27日水曜日

ホルンで奏でる紅白歌合戦

川崎ミューザ、ランチタイムコンサートは抱腹絶倒「ホルンで奏でる紅白歌合戦」

東京交響楽団の2人のホルン奏者とピアニストによる、コンサート。
その司会をつとめるのが、東響のホルン奏者で私の英語の先生のルースさんのご主人。
本当か嘘かは知らないけれど、大学時代にお笑いの道を志したと、プロフィールに書かれている。
管楽器奏者は、幼少から音楽家になろうという人は少なく、中学や高校のブラスバンドなどで楽器にとりつかれ、道を踏み外してこの世界に入る人が多い。ご多聞に漏れず、今日のホルン奏者2人も別世界から、迷い込んだ人達。
1人は野球少年、もう1人は教員を目指していたのに、運命の悪戯でホルン吹きになってしまったらしい。
それが良かったか悪かったかご本人たちはともかく、素晴らしいホルン吹きが日本に誕生したことについては、まことに喜ばしい。

司会の軽妙なトークで始まり、最初の曲はモーツアルト「夜の女王のアリア」から始まった。
コロラチュラソプラノの超絶技巧で知られるこの曲を、ホルンで吹くのは想像を超える難しさだと思うのに、なんと完璧ですよ。
その音の美しいこと、本当に感動ものだった。
その後もプッチーニ「星は光ぬ」
ピアノ協奏曲に載せて、歌謡曲例えば「津軽海峡冬景色」「王将」などをオブリガートで吹いたり、構成の面白さに加えて演奏の見事なこと、ユーモアたっぷりの司会者、そしてテクニシャンのピアノ奏者。
巫山戯ていては、こんなに面白くは出来ない。

それぞれが感動ものの、技術の持ち主で、本当に面白く素敵だった。

今日はハリー・ポッター講読のレッスン。
えっ!まだ読んでいるの?と驚く方が多いと思うけれど、毎回10ページくらいノロノロと進むので、最後の7巻にたどり着いた時には、私は100歳越える。
ただ今5巻のようやく半分。

何年もかかって読み通しても、別に英会話が出来るようになる訳じゃなし、不毛の勉強だとは思うけれど、作者のローリングさんの頭の良さに毎回舌を巻いて感心するので、えらく面白い。
ま、ボケ防止のためと思えば立派に言い訳が立つ。

コンサートを聴いた後、英語のレッスンに入った。
ルースさんがレッスンの前に、是非ご主人のコンサートを聴いて欲しいというので、でかけた。

今日はモーツアルトの誕生日。
その誕生日に、毎年オーケストラのバースデイコンサートがあるのを断ったので、こちらに聴きにきた。
オーケストラの仕事は大好きなモーツアルトといえども、もうやめようと思ったので、今年はご遠慮申し上げたしだい。
本当は今頃リハーサルをしていたのにと、ちょっと複雑な思いでいたけれど、紅白歌合戦がたいそう面白かったので、葛藤を振り切って美しいホルンの音に聞き入った。

バースデイコンサートは私の好きな仕事だから、やめることはないと思うけれど、仕事に行く度に引き受けない方が良かったと思うのはしんどい。
2人でひとつの楽譜を読むから、目が悪いと相手側の方のページが良く読めない。
良く練習しておいても、見えないと怯んでしまって思い切って音が出せない。
周りは分かってくれるから甘えてしまえばすむけれど、自分としては許せないので、諦めの境地。

こうして他人の良い音を聴いて楽しめるから、もういいかなんて。
室内楽で1人で楽譜を独占できれば、まだまだいける・・・と自分では思っているけれど、勘違いかもしれない。














2016年1月26日火曜日

ダイエットなんて嘘ばっかり

今日もランチのお誘い。
北軽井沢で時々お世話になる別荘の持ち主の、OさんとFさん、その隣人の人形作家のノンちゃんが、中華料理でランチしましょうですと。

その店は以前から気になっていた。
私の散歩コースは時々気まぐれに変わるので、時々「あら、こんな所にお店が・・」とビックリすることが多い。
いつの間にか、汚い築何十年かのアパートが、イタリアンレストランらしいものに、変わっていた。

私の家の前を流れている川は見事な桜並木が川岸に続いていて、その延長にも用水が数本の分流となっている。
どれも桜並木があって、春にはずっとその辺りを歩きたい気分になる。
その中の1本の用水路脇に、そのレストランが建っているのを見つけたのは去年のこと。

まず目につくのは、ウッドデッキに小さな丸テーブルとイスが置いてある。
カラフルなパラソル。
その向こうがお店本体になっている。
その辺はあまり綺麗な景色ではなくて、それが用水路の桜並木でやっと、助けられている感じ。
お店の壁は白塗りで、窓枠などは薄いグリーン。

そしてお店のドアの前に立つと、あら?なんだかイタリアンレストランではないようなメニューが。
蛤ソバ5個限定???
どうやら中華料理らしいのに、もう少し奥を覗くと、綺麗に並んだビールなどの酒瓶。
オシャレなウエイター、ウエイトレス。

なんなのだこれは。

織物作家のOさんが、ぜひ行ってみたいので予約をしたと言うから、今日暖かい日だまりをほくほく歩いて行った。
11時半開店。
すでに3人は先に到着して、表のイスで待ち構えていた。
開店と同時に案内されて、席に着く。
ランチメニューで予約してあったけれど、主菜が蛤ソバと何か別のものだというから、もちろん蛤ソバをたのんだ。
「でも限定5食なら、私たちが食べると後1食しか残らないの?」と余計な心配を口に出すと「いいえ、あれは一品で頼んだ場合です」という。
それで安心して、4人とも蛤ソバを頼んだ。
店は開店と同時に、あっという間に満員。
外にも空席待ちの人が並んでいて、お腹の大きい妊婦さんも居るのが気になる。
寒いから、お店の中で待たせてあげればいいのに。

紹興酒を頼んで前菜の小鉢4品をつまみに、話しに花が咲く。
ノンちゃんは相当な高齢で、先日階段の最後の段を踏み外し、顔から落ちて目の周りが青あざになっていたという。
それが治ったから来られたのと涼しい顔で言う。
この方は何事にも動じない。
言葉の全くわからない東欧などにも、行きたくなるとさっさと1人で行ってしまう。
紹興酒を呑んだ後なので、帰り道が心配だったから駅まで送ると言ったら、きっぱりと断られた。

お料理はどれも手が込んでいて大変美味しかったけれど、特に蛤ソバは大きな殻付蛤が3個入っている。
滅多に汁を飲み干さない私も、全部平らげた。
器の底を物欲しげに見て、もう少し入っていればいいのにと思ったくらい、美味しかった。
もう、水分の取り過ぎで、お腹がたぷたぷしているのに。

今年も北軽井沢で3人の展覧会がある。
去年はそれに便乗して、軽い気持ちでコンサートをしたのが評判が良くて、今年は正式に依頼されてしまった。
そうなると楽しみで弾くと言うより、緊張が強くなる。
プランを練るのが楽しいけれど。







































2016年1月25日月曜日

丸々

すっかり気持ちが緩んでいるところへ持ってきて、ひっきりなしにランチや飲み会のお誘いを受ける。
しかも我が家の上の階に住んでいる人が、1日おきくらいにお総菜の差し入れをしてくれる。
去年引っ越してきてから、度々ジャコの山椒炊きとか、炒り豆腐、サンドイッチなど、お嬢さんと2人暮らしで沢山作りすぎたとか言っては、届けにきてくれる。
出来映えが素人技ではないので訊ねたら、関西の方でお番菜作りの仕事をしていたらしい。
あまり根掘り葉掘り訊いては悪いので、事情はよくわからないけれど、見事に詰め合わされて、そのまま店頭に並べて売れるような手仕事。

今日はなんとおでん!
大きな器にドッサリ。
とても有り難いけれど、つい食べ過ぎて間もなく体重が許容量を超える所まで来てしまった。

それで本当は今日からダイエットを始める予定だった。
しかし、昨日は友人が来てヴァイオリン2本で合わせたあと、ついワインを開けて、しかも美味しい御菓子がどっさり。
今朝も残ったアップルパイやチョコレートがやたら目について、ついつい手が伸びる。
このままだと糖尿病予備群になってしまう。
その上、ドレスが入らなくなる恐れも。

そろそろ苦労し始めないと、このまま雪だるまになってしまう。
というわけで、明日からダイエット、明日の予定は?・・・ん! カレンダーにはランチの約束が。
明日は我が家の近所の中華でランチ。
この状態はまだまだ続く。
2月に入ってからも、飲み会の予定が目白押し。
一体いつどうやってダイエットしたものか。

鏡を見たら頬がぷっくりしてきて、最近ベリーショートにした髪のせいか、某国の将軍様を彷彿とさせる。
嫌だ嫌だ、たすけて~。

you tubeで時々映画を見ている。
昨日「博士の愛した数式」という映画を見たら、これが非常に面白くて、今日又もう一度見てしまった。

外にも出ないで猫と日の当たる部屋でぬくぬく映画を見て、そして、食べ歩き。
こうなったらもう、メタボは時間の問題。
冬場は少し太っていた方が寒くないので、春になったらダイエットしよう。
春になると花粉症で表に出なくなるから、運動不足で又太る。
夏は暑いから外に出ない。
秋は果物も野菜も美味しい季節でモリモリ食べる。
冬は・・・しつこいなあ、もう。

結局太るのだから言い訳はするまい。














2016年1月22日金曜日

久々の例会「弾く会」

「弾く会or弾き合い」は、ピアニスト達の家を順に会場にしての、おけいこの会。
好きな曲を持ち寄って、仕上がっていようがいまいが、人前で弾いてしまおうという趣旨。
昨年末は皆殊の外忙しく、私は結局2回ほど続けて欠席。
今年に入ってやっと気持ちが落ち着いて、久し振りに出席することになった。

ピアニストSさんとは、ずーっとフォーレの「ソナタ」を合わせている。
その合わせも何ヶ月か飛んだり、他の仕事のために中断したりと、捗らない。
フォーレは何回か演奏しているはずなのに、回を重ねる毎に難しくなっていくという難物。
フォーレに限らず、初めて弾く時にはわりと気楽に出来る。
ところが回数が増えるにつれて、だんだん神経質になってしまう。
これは隅々まで曲が分かってきて、そうするとあれこれ考え始め、どんどん自分からジレンマに陥ってしまうから。

これかあれか、コンピューターのように明快に決められれば良いけれど、そうはいかない。
これで満足と思ったものが、日が経つと、いやそうではない、となる。

フランス音楽は多彩な音が求められる。
多彩な音はすぐれたボウイングから。
楽器や自分が調子の悪い日や、会場の響きが良くないと、悲惨な気持ちになる。
それと複雑な転調。
左指が動くのを拒否する。
その音をこの指でとるの?いやだなあ、とかなんとか文句を言う。
しかたがないでしょう、さあ、動きなさいと命令して、やっと動かす。

この例会に参加させてもらうようになって、どんな状態であっても一応曲を仕上げないといけないので、なんとか技術の現状維持ができている。
そうでなかったら、あっと言う間に弾けなくなってしまう。
技術力の低下は瞬時だけれど、維持と進歩は努力を必要とする。
そういう意味ですごく有り難い。
私たちの年齢で、技術を維持するのは本当に大変。

3月の古典音楽協会の定期演奏会では、トレッリ「2つのヴァイオリンの協奏曲」のソロを弾かせてもらう。
その時だけ練習したのでは間にあわない。
日頃からの訓練が全て出てしまう。
沢山の聴衆の前での演奏は、いつも緊張で震えるけれどすごく幸せなことなのだ。

今年は仕事を整理した分、勉強しないと・・・と思うけれど、易きに流れる性格が悪魔の甘い言葉を囁く。
もう楽したら?もっと楽しいこといっぱいあるでしょう。
うーん、でもヴァイオリンを弾くのは本当に楽しい。

さて、今日は、レギュラーメンバーが勢揃いした今年初めての例会。
忙しかったとか、指がどうとか、眼鏡が合わないとか、色々口実を見つけてはブツブツ、いかに練習が足りていないかと言い訳するけれど、ピアニストというのは一種偏執狂の集団で、ものすごく良く練習してあるから油断も隙もない。
全くどうしてこんなに生真面目なのかしら。

私はこのところ、ちっとも身を入れて練習していない。
少し譜読みをするとお茶、又しばらくすると昼食、その後散歩。
これではね。
それでこういう集まりが刺激となって、追いまくられて有り難いことに渋々練習するはめになる。
今のメンバーは得がたい友人で師匠でもある。

今日はソプラノで、ラヴェルの歌曲を聴かせてもらった。
バッハ、ショパン、フォーレ、ヒンデミットなど、相変わらず多彩なプログラムで、大いに演奏を楽しんだ。




















2016年1月21日木曜日

電気イス

暖房の不調と猫の冷たい仕打ちを嘆いていたら、電気敷毛布なるものを薦められた。
安価(行火ではない)で、洗える電気毛布。
Amazonにたのんだら、あっという間に届いた。

早速試してみた。
スイッチを入れると即温まり、1番低温だとほんの僅かのぬくもりが感じられる程度の温度設定。
今までこの手の電気毛布をどうして使わなかったかというと、母が使っていて乾燥すると嘆いていたからで、一晩使ったらバリバリの乾燥肌になっていないかと、疑っていたから。
これ以上シワが増えては困る。

エステでインド式エステなるものを受けたとき、身体中を厚いマットでくるまれ、蒸気をビュウビュウ出されて、終ったらビニールシートを敷いたマットの上にビックリするほど汗が溜っていた。
あんな風になってしまったらどうしよう。
人一倍汗っかきの暑がりやなので、眠ってしまってそんな状態になったら、おねしょをしたみたいにならないかと心配していた。
それで今まで敬遠していたけれど、まあ、一度だけ使ってみよう。

いつもは眠ってから2時間おきくらいに目が醒めるのに、今朝までぐっすり眠ってしまった。
しかも夢を沢山見た。
以前とても好きだった人の夢。
夕べ眠る前にyou tubeで映画を見ていた。
イヴ・サンローランの映画だった。
細身で眼鏡をかけた神経の細やかそうな印象が、昔の片思いの君に似ているようで、久し振りに思い出したせいかもしれない。
多情多感の乙女心が蘇ったらしい。

しかし、眠りすぎたせいか、暖かさに身体がたるんでしまったか、どうも全身だるい。
贅沢なもので、文明の器具があわない原始人。
時々切れるようにタイマーを使うことにして、Amazonに注文しておいた。

電気**と言えば、父は晩年足が弱って電動車いすで外出していた。
あるとき、車を運転していて妙に前の車が遅いと思っていたら、私の父が車いすで車道の真ん中を悠々と走って居るではないか。
クラクションも鳴らさずゆっくり走ってくれた車に、感謝。

父は居住区域のご先祖様からの先住民だったから、なにごとも許されると思っていたようだ。
そして悠然と角を曲がっていった。
その父の電動イスのことを兄弟が「おじいちゃんの電気イスが・・・」と言いかけて、皆に聞きとがめられた。
「あなたねえ、電気イスって!」





















2016年1月19日火曜日

猫アンカが欲しい

寒い日が続くと、布団を温めてあっても明け方寒いことがある。
そんな時、以前飼っていた猫たちなら、皆私の布団に潜り込んできて一緒に寝てくれたのに、今一匹だけ残ったコチャは絶対に布団に入ってこない。

以前は時々潜り込んできていたのに、多分私の寝相の悪さに辟易したのでしょう。
最近はどれほどお願いしても入ってくれない。
タマサブロウなんて、私にひしとしがみつくように寝てくれたのに。
3匹の猫が両脇と足元に入ってくると、真冬でも汗をかいてしまうほど暖かい。
困ったことに朝になると、身体のあちらこちらに引っ掻き傷が出来ていたことで、たぶん相当ひどくのたうち回って、彼らを怒らせていたようだ。
その貴重な猫あんかたちがいなくなってしまったので、今はしかたなく寂しく独り寝の毎日。
明け方が寒い。

冬になるとずっと床暖房をつけっぱなしで、お猫様のためにどれほど不経済なことか。

その床暖房、温度調節パネルが不調になったので、先日交換してもらった。
温度調節のボタンの反応がすごく鈍くなってしまい、温度の上げ下げが出来ない。
昼間は日が当たって暑くなるし、明け方は冷えるから少し高めにしたい。
温度の設定をしておいても、やはり外気の影響を受けてしまう。
ヒーターを付けてからもう19年も経って、そろそろメンテナンスもと思ったけれど、費用の事を考えて、調節パネル交換だけにした。

業者が帰って、やれやれ、これで又快適と思っていたら、明け方猫が喧しく鳴いている。
どうしたのかと思って起きて見ると、なんだかやたらに寒い。
見ると暖房が切れていた。
あれ、おかしいな、どうしてかしら。
パネルを見ると、タイマーが設定されていた。
きっと夜は切って寝ると思った業者さんが、親切に設定してくれたのだろうと思うけれど、余計なお世話。
大体夜0時に寝るなんて誰が言った。
0時から朝の7時まで切れるようになっていたのだ。

1番苦手の取説を引っ張り出して読む。
それで、タイマーは時間の入力をしてから決定ボタンを押さなければ、機能しないと書いてある。
それなら、決定ボタンを押さないで、ただ入/切スイッチを入れればいいだけじゃない。
これでオッケー!

ところが、いつの間にかとんでもない時間に部屋が寒くなってくることがあって、見ると又切れている。
それでタイマーの切ボタンを8時に、入ボタンを8時5分に設定してみた。
これなら朝8時に切れて、又すぐ5分後に入る、どうだ、参ったか。
しかし、混乱した器械はとんでもない時間に突然切れてしまう。

それなら奥の手。
最初の時計の時間設定をしなければ、タイマーは効かないのだから、しなければいい。
しかし、いつの間にか自動的に時間が設定されていて、寒くなって猫大騒ぎ。

仕方がないから時々理由もなく切って、又スイッチを入れるを繰り返している。
そのうち最初の時間設定を器械が忘れてくれるのを祈っているけれど、私と違って器械は賢くて勤勉だから、中々思うようにはいかない。
もしかすると設定温度が高すぎて、温度調節機能が働いてしまうのかも知れないと考えて、設定温度を低くしてみたら、今の所連続運転している・・・と思う。
この先本格的な寒さで、この薄暖かさが耐えられるかどうか。
古い方のパネルでは時間設定をしないで、タイマーが効かないようにしてあった。
それが今回のパネルでは出来ないので、こんな騒ぎ。
賢すぎる器械も考えものだわ。

やはり、猫がアンカになってくれればお互いに暖かく、暖房を切れるのに。
お金もかからない、幸せな気分になる、一挙両得なのに。















2016年1月18日月曜日

ミッケの行く末

もう10年くらいにはなると思うけれど、ノラ猫ミッケがうちにご飯を食べに来るようになって、毎日欠かさず通ってくる。
どこに住んでいるのかはわからない。
きれいな毛並みとちゃっかりした性格で、生き延びてきたようだ。

元々飼い主はいたのに、なにが気に喰わないのか家出をして、気儘に過ごしている。
元飼い主は諦めきれずに、うちの駐車場の周りをうろうろしていたけれど、やっと諦めたようで、最近姿を見せない。
考えればもう相当な年齢になると思う。
時々、ああ、老いたなと感じる瞬間もあって、今後どうするのか最近しきりと気になる。

飼い主を捨ててきただけあって気性は激しく、毎日これだけ餌をやっているのに、未だに私を見るとシャーッと言って威嚇する。
時々お情けで頭を撫でさせて頂けることもあるけれど、普段は中々近づいてくれない。

今朝は目が醒めてカーテンを開けたら、一面真っ白。
初雪だった。
うちの猫を抱いて窓の外を見せたら、目をまん丸くしていた。
すごくトロい猫だから、何を考えたか分からないけれど、「にゃにゃ、にゃんなのだ、これは」位の反応だったと思う。
このとろい猫のお相手にと一時期、ミッケを家に入れてやりたいと思うこともあったけれど、どうしても捕獲出来そうもないし、家に入ってもうちの子がやられてしまいそうで、いまのところそっとしてある。

物置に段ボールと猫ベッドにあんかを入れてあって、ミッケはそこで寝て居る。
それでもボス猫シロリンがベッドを占拠していることがあって、その間冷たいコンクリートの上で、じっとご飯がくるのを待っている。
それが不憫でならない。

こんな雪の日に、ミッケはどうやってうちの駐車場まできたのかしら。
ずっとアンカで暖かくしていたかしら。
もう相当な年のおばあさん。
寒さはこれからも続く。
今年の冬を乗り切ってくれれば、ノラ猫天国となるけれど、なんとか生き延びてほしい。
毎日猫なで声で「ねえ、うちに来ない?うちの子にならない?」とささやいているのだが反応は「シャーッ!
















2016年1月16日土曜日

音と味の協演

今日はあるお宅での小さなコンサート。
コンサートは口実で、その後のご馳走が楽しみでというわけ。
ニンジンで釣られる馬?いや猫です。

今日はシェフの小暮 剛氏(クリックするとホームページへいきます)のお料理がメイン。
この方はフランスで修行したけれど、日本人にはクリームやバターたっぷりのあちらの料理は合わないと考え、その代わりに上質のオリーブオイルを使うことで、こくを出すようにアレンジ。
味噌や醤油にもエクストラバージンオイルはとても合うと言う。
そのオリーブオイルの美味しい事と言ったら。
フランスパンにつけたら余りの美味しさに、ついいつもより食べ過ぎてしまった。

さてコンサートの曲目は

 エルガー   「愛の挨拶」
 ベートーヴェン「スプリングソナタ1楽章」
 バッハ    「無伴奏チェロ組曲より ブーレ」
 バッハ    「無伴奏ソナタより ガボットとロンド」
 ショパン   「ノクターン」
        「マズルカ」
 シューマン  「トロイメライ」
 フォーレ   「ベルシューズ」
 ヘンデル   「ラルゴ」   
 エックレス  「ソナタ」 etc.

新春らしい優雅な曲を取りそろえてみた。

ピアノはいつものSさんが弾いてくれることになった。
私はここ1週間ばかり風邪をひき込んで、ゴホゴホやっていたけれど、やはり人前で弾くとなるとシャンとするもので、今朝は咳も出ない。
終るとぐったりかもしれないけれど、今日はなんとかなりそう。

昨日、風邪をひくなんて家でぐたぐたしているからなので、せっせと仕事したら?なんて人から言われたばかり。
こうも現金に体調が違うと、本当に私は死ぬまで弾いていないといけないのかしらと、考えてしまう。
少しは楽に遊びたかったのだけれど。

最近生徒がスプリングソナタを始めた。
それでガミガミと「ベートーヴェンは音階がちゃんとしていないとダメよ、ほら、又、指がもつれた」なんて言っていたけれど、自分が弾いたら音程が定まらない。
情け無い。
この曲は、今まで何回弾いたかわからないくらい良く弾いているのにがっかり、もう一度音階からさらい直さないといけないようだ。

エックレスのヴァイオリンソナを去年、リサイタルの最初に弾いた人がいて、とても素敵だったので見直した曲。
演奏自体は難しくないけれど、こんな素敵な曲だったとはと、それ以来時々弾いている。

さて、今日の小暮シェフのお料理

 季節野菜、ホタテ、才巻きエビのテリーヌ
 自家製スモークチキンと天然エビの和風サラダ切り干し大根添え
 沢山の海の幸からとったダシの和風もずくのスープ
 和牛の煮こみリヨン風クネル仕立て 赤味噌入りカレーソース
 バイヨンヌ産チョコレートと小豆のムースと 
 ジェイソンウインターズティーで煮た有機プルーン添え

それに世界ナンバーワンというオリーブオイルのラヴィダ・クラシックレーベルが食卓に出された。
このオイルが素晴らしく、どの料理にかけても美味しくなる。
味を言葉で表現するのは難しく、よくグルメ番組などで、まろやかでコクがあって、うーん、シャキシャキした食感などと言っても、さっぱりわからない。
今日のお料理はとにかく、美味しく、気品があり、特に牛肉の煮込みは驚くほどの柔らかさだった。
どの素材の味もまわりと溶け込んで、音楽で言うなら素敵なハーモニーとでもいうか、集合した素材同士が新しい味の集合を生み出している。
弦楽器四重奏を聴いているような味とでも・・・

小暮さんという方はお店を持たず、出張してお料理をしてくれる。
お願いするには大きな設備の完備したキッチンが必要だから、私の家には来てもらえない。
たとえ来てもらうとしても、何日もかけてお掃除しないといけないから、不可能。
ああ、残念!










 
















2016年1月15日金曜日

ショートケーキ

ドトールコーヒーのショートケーキを食べた。
意外にも美味しくてビックリ。
と言ってはドトールさんに失礼ですが。
シンプルで柔らかく、口溶けが良い。
特に上等ではないけれど、サイズも大き過ぎない。

ショートケーキで思い出したけれど、私の教えていた生徒がケーキやさんでアルバイトをしていると言う。
どんな仕事をするの?と訊いたら、古くなったケーキのイチゴを取り替えるのだと言うので、あらまあ、びっくり。
なるほどイチゴは傷むとすぐわかるからねえ。
だけど、ケーキの台やクリームだって古くなるのに。

最近の日本の洋菓子は異常に美味しい。
世界中でもこんなに美味しく手の込んだケーキを作る職人は、あまり居ないのでは、と思うくらい。
海外の有名なケーキを食べると、それなりに歴史のあるずっしりとした食べ心地なのだけれど、日本人の作った御菓子は軽く柔らかく、甘さもほどよい。

アメリカのケーキは大きく甘すぎて手に負えない。
いや、口に負えない。
飼い葉桶みたいなサラダとビーフステーキなど食べた後で、もう限界を超えているのに、巨大ケーキのひどく甘い物を持ってこられ、死ぬ思いだったことを思い出す。
断ってもウエイトレスは後に引かない。
断固として持ってくる。
アメリカに一ヶ月半滞在したら、体重が4キロも増えた。
ドイツやオーストリアのいかにも中身の濃いものは、食べきれない。
残念ながらフランスに行ったことがないので、多分フランスのケーキはとても美味しいのだろうと想像するしかないけれど、たぶん今の日本でも同じくらい美味しい物があるのではと思う。

そうそう、フランスに行ったことがないというのは間違い。
イタリアに行く時に飛行機の乗り継ぎで、ドゴール空港近くのホテルに一泊したことはある。
そのホテルでビール代が自己申告なのを知らず、踏み倒して逃げたのは女4人組の私たち。
そこの朝食の素晴らしかったこと!
さすがフランスと感心した。
絶対フランスに行くつりでいたのに、その後機会がなく、残念ながらまだ行っていない。
どなたかフランスに行く時には、是非ケージに入れて連れて行って下さい。
あちらに着くまでは猫のふりをしますから。

子供の頃は自由が丘の「モンブラン」のケーキは私たちには、垂涎の的。
クッキーは泉屋。懐かしい名前。
そのうちにどんどん新しい御菓子が出てきて、どれも驚きの美味しさ。
その後はもう数えれば切りがないほど、美味しい御菓子がどんどん出てきたので「モンブラン」はもう珍しくもなくなった。
それでも先日久し振りに行ったら、メニューが充実していてとても懐かしかった。

東急沿線は、各駅に美味しいお店が並んでいる。
我が家に隣接したデパ地下ではいつでも高級な御菓子が買えるけど、あまりにも身近になったものだから、美味しさも段々くどく感じるようになってきた。

そこにシンプルなショートケーキ登場。
それに親しい人との会話があれば、それも美味しさ倍増の要因。
人との和があるところでは、一杯のご飯と漬け物だけでも満足する。
これは日本人的考えかな?





















2016年1月14日木曜日

健康法のやりすぎ

1日一万歩のウオーキングを盛んに薦めるけれど、私はホンの一時それをやってみて、すぐにやめた。
これは身体に良くないと、すぐに感じたから。

私たちの仕事は忙しいときとヒマなときがあって、忙しい時には1日何本か重なるけれど、ヒマなときは閑古鳥が鳴く。
たまたま閑古鳥さんの時に、世間で言う一万歩のウオーキングをやってみようと思い立った。
そして1週間を過ぎた頃には、身体に異変が起きた。

疲れ果て、顔はカサカサになり、膝を痛めた。
ウオーキングから帰ると、疲れて何もできない。
かといって、昼寝の習慣がないから、眠れない。
そのうち、夜も熟睡出来なくなった。
それで、これはとんでもないと思い、すぐにやめたけれど、自分はなんて根性が無いのかと、自責の念にかられた。

ところが最近では、一万歩のウオーキングは身体に悪いという説が、しきりと流れている。
今朝ネットで見つけた記事。

これまで健康に良いと信じてきた歩きかたが、実は健康に悪いものだったという。
運動のしすぎは健康効果がないどころか健康を害するもので、免疫力の低下を招くらしい。

例としてある男性の話
メタボ対策として40才からウオーキングを始め、ランニングに移行、ついにはトライアスロンを始めた。
身体は引き締まり、見た目いかにも健康そうになった。
ところがしばらくして、身体に異変が生じた。
手足がしびれ、太ももの裏側やふくらはぎに痛みがでるようになった。

診断は動脈硬化。
その男性にとって、トライアスロンは激しすぎる運動だった。
激しい運動をしている間、人は心臓から大量の血液を送り出す。
年をとって流れにくくなった血管を通ろうとすればするほど、血管は詰っていく。

ほどほどの運動こそが健康に良い。
ほどほどと言うのは1日24時間の歩行数が8000歩。
そのうち中程度の運動を行う時間が20分。
中程度とは、歩きながらなんとか会話ができる程の運動量、これがほどほどの運動強度だそうだ。
そしてもっとも適した時間帯は夕方。
早朝の歩行は身体の準備ができていなくて、かえって危険らしい。

その最も適した時間の夕方、散歩に出かけた。
会話がやっと出来る早さって?
私は元々ものすごく足が速い。
だから会話がやっとの早さというと、走らなければならなくなる。

途中、近所の家の前に、そのうちの奥さんが立っていた。
「空みてごらんなさい」と言う。
「ほら、月がきれい」
なるほど、夕焼けの残照の中に鋭くかかる上弦の月。
ゆったりとした彼女の声で、我に返った。
ああ、又乗せられた。
健康記事は次々と新説、珍説が現れる。

1日何歩歩いて、何時間眠って、何を食べて・・・
あれやこれや、やっていたら切りが無い。

以前NHKテレビで、高齢の男性に健康法を尋ねていた。
リポーターは、なんとかして男性に健康の秘訣を聞き出そうとしていたけれど男性は「なんにもやりません。秘訣はなんにもやらないことです」とノンビリ答えていたので、噴き出した。
「例えば歩いたり?」「いや、あまり歩きません」
「食事は?」「特にないです」
面白かった。

これが長寿の秘訣。
人に惑わされず、マイペースで気にしないこと。





























2016年1月13日水曜日

眠り姫

眠った眠った!
一体何時間眠ったのかしら。
一昨日の午後8時半就寝、それから次の日の午前7時半目醒、病院に行って午前11時頃帰宅、昼食に1時間、それから又ぐっすり、夕方6時半目覚めて夕食、又すぐ就寝、今朝までトータル30時間越え。
うん十年の疲れがいっぺんに出たらしい。
白馬に乗った王子様が起しに来てくれないから、しかたなく自分で起きることにした。
それでもまだ眠れそう。

寝過ぎて骨が溶けてしまったと言ったら、昨日合わせる予定だったピアニストのSさんが「骨が溶けたご老人が気の毒だから」と言って、今日我が家に来てくれるそうで、午後から合わせることにした。
同い年なのに、なにを言うか。

遅々としてすすまないフォーレ「ソナタ」と、今週土曜日、ミニコンサートで弾く曲の合わせ。
まだ何を弾くか決めていないので、楽譜を色々取り出している。

全身の筋肉が弛緩してしまっているので、蛸のようにグニャグニャしている。
せっかく髪の毛を三毛に染めて、頭の天辺をツンツンさせるように短くしてもらったのに、ボサボサになって見苦しい。
まるでホームレス・・・と言ったらホームレスさんに悪い。

昨日免疫力がついてきたようなと書いたけれど、本当にそうらしく、今朝は寝過ぎてボンヤリしているけれど、風邪はほとんど快癒したらしい。
耳鼻科の病院を変え、薬が変わったせいかもしれない。
それと睡眠の力が大きいかも。
やはり、眠ることが最大の薬。
いつも眠りたくなくて、夜中まではしゃいでいるのはそろそろ身体に堪えるようで、やめた方がいいかもしれない。
と言っても、今更習慣を変えるのは大変。

そのうち永遠の眠りにつけるのだから、今はあまり寝なくてもいいさと開き治っている。



















2016年1月12日火曜日

免疫力

風邪をひいた。
昨日夜から咳がひどくなって、市販の咳止めを飲んで寝た。
原因はこのところの夜更かしと湯冷めと、新年会で澁谷へ行って人混みに混じったこと等々。

夜更かしは日常茶飯事だけれど、お風呂から上がってから遊び出すと、寒くてガタガタしながらもやめられない。
まるで子供で、欲望の赴くままに生きる原始的性格は、終生変わらないと思う。
お風呂から上がって1時間くらいで眠るのが、良い睡眠のコツ。
いつもは遅めのお風呂で、快眠。
しかし先日音楽教室の新年会があって、もう講師でもないのに参加。
花束をもらって帰って来た。

それでちょっと嬉しく、軽くお酒も入っていたので夜更けまで自室ではしゃいでいたら、次の日は鼻水が出てきた。
そして昨日はもっと症状は悪化。
咳がひどい。
今日はピアニストと合わせの約束をしていたけれど、夜中に目が醒めるとひどく咳き込んだ。
これはいかん・・・それでメールを打って約束のキャンセルをした。
こういうことはめったにない。
よほどのことがなければ、約束を反故にすることはまずないけれど、一度喉に炎症が起きると一気に気管支炎に突入するので、大事をとって明日に延期してもらった。

それでも朝目が醒めると、喉の痛みは軽減していた。
それで約束通り合わせに行こうかと思ったけれど、一度病院で薬をもらっておいた方が良いから、やはり明日に延期してもらった。

東京でも初雪の知らせがあって急に寒くなったから、病院は赤ちゃんを抱っこした女性で満杯。
赤ちゃんは泣きわめく、幼児は暴れる。
阿鼻叫喚の地獄図。
その中でジッと待つこと1時間、これなら咳止め呑んであったかくして寝ていた方が良かった。

最近気分がゆったりしたせいか、風邪をひいても大事に至らず、腸の不調も起こらない。
ひどいストレスに晒されていた現役時代には、突発性大腸症候群や、激しい気管支炎、あげく狭心症、ちょっと下の方の炎症とか、色々ありまして、弾くことだけでなく、それらの症状との戦いだった。

やはりストレスは免疫力を低下させるようだ。
私はストレスのある状態は決して嫌いではない。
むしろストレスがなくなると、それがストレスになる。
それも年齢が高くなると、やはりストレスは堪えるようになった。

時間に余裕が出来たのでお風呂にゆっくりと浸かって、身体を充分温めることが出来る。
今回は今までの風邪よりも、早く治りそうな気がする。
とにかく身体を温めて眠るのが、最高の治療法だから、今日は1日ぬくぬく猫を抱いて眠りたい。

ところが今、一匹だけ残った猫ときたら、一緒に寝てくれない。
猫は湯たんぽの代りの他に、なんの役にもたたないのに。
無為無策に過ごしているのだから、たまには私の役に立って欲しいにゃあ。
























2016年1月11日月曜日

ソワソワするおじさん

商店街を歩いていたら、足元に白黒ツートンカラーの子猫が蹲っていた。
こちらを見ているし、逃げないからそっと頭を撫でると、ニャーといってすり寄ってくる。
最近こういう猫を見かけると、今我が家にたった一匹しか猫がいないので、ノラなら連れて帰ろうかと考える。
うちのコチャビは愛想が悪く、抱っこしてもすぐに逃げる。
もう少し猫らしく、スリスリして欲しい。
もう一匹飼えば、そうしてくれるかもしれない。

見かけた子猫を抱き上げると、大人しく抱っこされたまま。
このまま連れ帰れるかどうか考えていたら、目の前の店の戸が開いておじさんが1人、ぬっと現れた。
こちらを嫌な目つきで見ているから、ノラに構うなとでも言われるかと身構えた。
しかし、なにも言わないからそのまま暫く抱っこしていた。
ノミやダニがいるといけないから、家に連れ帰ったら病院でケアしてもらおう。
今日は休日だから明日になるかな・・・と考えていた。

一度地面に猫を降ろして、頭を撫でながら「お名前はなんていうの?」と訊いたけど、猫はにゃあと言うだけ。
「お名前は?お名前は?」と繰り返していたら、又店の中からおじさんが出てきた。
「クロっていうんだよ」
あら、失礼、おじさんの猫でしたか。

あやうく誘拐するところだった。
さっきこちらを嫌そうに見たのは、自分の猫がやたらと愛想良く、他の人に抱っこされていたのが気に喰わなかったのか。
又は、誘拐されないか警戒していたのか。

気が気じゃなかったのだ。

私は黒猫が好きで、一度飼ってみたいと思っていた。
あるとき、全身真っ黒な子猫を拾って、当時4匹の猫がいたけれど、家に連れ帰って飼うことにした。
その子は雌猫だったけれど気が荒く、私は引っ掻かれ、他の猫にも果敢に立ち向かう。
他の猫は大人だったから、相手にもされなかったけれど。
1週間ほど経って、駐車場の隅で遊んでいるのを見たのが、最後だった。
忽然と姿を消してしまった。

心配でたまらず、家の近所中に尋ね猫の張り紙をした。
黒猫のイラストも添えた。
そして数日、おじいさんが訪ねてきた。
「もしかすると今うちに居るのがお宅の猫かも知れません。孫が拾ってきたので」
すぐ近所のその家に行くと、あの黒猫が赤いリボンを首に巻いて、我が家にいた時とは大違い。
ゆったりと幸せそうにくつろいでいた。
小雪ちゃんと呼ばれていた。
おじいさんは心配そうに「孫が可愛がっているので、この子をいただけないでしょうか」と言う。
様子を見ると孫は口実で、本当はおじいさん自身が最大級の猫なで声を出している。
猫の幸せそうな様子と、我が家にひしめいている猫4匹を考えて、手放すことにした。

その後も黒猫には縁がなく、今日見かけた猫も飼い主持ち。
黒猫は幸運を呼ぶと言うから、宝くじに当たらないのも、黒猫に見放されている私の運そのものかも。
もっとも、宝くじはたった一回しか買ったことがないから、今後せっせと買えば黒猫が舞い込んでこないとも限らない。

















2016年1月9日土曜日

英国王のスピーチ

今年は大方の仕事もやめて、ゆっくりと自分に向き合うことにした。
忘れかけていた瞑想も始め、リラックスした日々が過ぎていく。
ところが静かすぎて物足りない。

夜中、youtubeで映画を見た。
リモコンで色々選択できるけれど、面白そうな物が見付からない。
諦めかけた頃見つけた。

以前見たかったけれど、見逃してしまった「英国王のスピーチ」
イギリスの後のジョージ6世、アルバート王子は、兄がいるために王になるはずではなかった。
その兄がシンプトン夫人という離婚歴のある女性と結婚するために、即位1年で王位を捨ててしまった。
それで思いがけず王位を継承することとなった。
しかし彼は幼少の頃、家庭内の不遇から吃音になってしまった。

王位に就けば必ず国民の前で演説をしなければならない。
大英博覧会の閉会式のスピーチで失敗して、国民を失望させてしまう。
あらゆる治療を受けても芳しくない。
そして見つけたのはオーストラリア人の言語療法士のローグ。
ローグは治療に当たり、国王としてではなく友人として対等の立場をとることをアルバートに要求する。
ローグの不作法に反発しながらも、必死の訓練を続け、自らの戴冠式の宣誓を成功させる。

イギリスは、当時台頭してきたナチスに宣戦布告をし、第二次世界大戦が始まった。
ローグの助けを受けて国王は、戦場に臨む兵士達や国民を鼓舞するためのラジオでの演説を、立派に成し遂げる。

重厚な俳優達の演技に引き込まれ、胸の奥にズシリと応えた。

それを見た後に順送りにサンプルを見ていると、あった。
イミテーション・ゲーム」リンク先のブログに詳しく載っていますので、ご覧ください。
この映画は劇場で見て、感動で席を立ち上がれないほどだったけれど、もう一度見ることにした。

原作の本も買ってあるけれど、遅々として読み進まない。
色々な本をネズミのように、あちらを囓りこちらを囓り。

しばらく静かな日々を満喫して、気が向いたら新たな活動を始めたい。
でも、今の状態があまりにも気分が良いので、このまま沈没ということになりかねない。
それも良いけれど、この沈静の時期にじっくりと力を溜めていくのが、いつものパターン。
浮かび上がった時に頭を押さえつけられて沈められないように、又スキューバダイビングを始めようか。(なんか関係ある?)
ドライスーツまで作っているのだから。

世間では年をとっても元気で前向きな人が、賞賛される。
私は子供の頃から前向きでも努力家でもなかった。
水の流れに逆らわず、細かい事にとらわれず、生きてきた。
努力らしい努力もしなかったけれど、周りにいつでも支えられて、傍から見ると上手くやっているように見えたらしい。
多分吃音者だったら、そのままどもりながらしゃべるタイプ。
別にいいじゃないと思いながら。

立場が国王だったらそうもいかないけれど、幸いにして平民中の平民。
これが幸運の元。
お金持ちでも天才でも無い。
まして国を傾けるほどの美女でもない。
他人の卓越した才能や技術を賞賛しながら、自分では何一つ成し遂げられない。
平凡に生まれて良かったと最近心底思う。






















2016年1月5日火曜日

志賀高原は晴天

毎年お正月は志賀高原で過ごしている。
「雪雀連」のお正月スキーは、全盛期には40名以上の出席数を誇ったけれど、最近は10人以内となり、今年はたったの5人になってしまった。
会員が年をとったのと、今年は特に暖冬で雪が無いことで、二の足を踏んだ人達が多かったからと思える。
実際定宿の石ノ湯ホテルには、お正月なのに宿泊客は少ない。
スキー場全体が閑散としていた。

ところが私たち5人は悪運強いとみえて、素晴らしい晴天とまあまあの雪に恵まれた。
長野市発の急行バスで志賀高原に向かうと、毎年見る風景とはあまりにも違う景色にびっくり。
白樺林のクマザサが完全に露出している。
いつもの年なら雪に埋もれ葉がほんの少し顔を出しているのが、今回は根の部分から見えて居る。
まるで春スキーに来たかのように、暖かい。
上天気で今にも蕗の薹が顔を出しそうな雰囲気。

初日は正月2日の昼頃ホテル着、軽く腹ごしらえして午後ゲレンデへ。
向かったのは横手ゲレンデ。
中間部にたいそうなだらかな部分があって、毎年そこでスキーの講習を受けている。
お正月には鬼教官はいないから、そこをのんびり滑る。
足慣らしにはもってこいの緩斜面なのだ。
それにしても暖かい。
暖かい割に横手のゲレンデの雪は、まあまあ。

私たちがホテルを出発しようとしたときに戻ってきた人に訊いたら、ブッシュが出ていて大変だと言っていたから覚悟してきたけれど、そのゲレンデはそうひどくはない。
すっかりご機嫌で気持ち良く滑った。

それにしてもお正月の志賀高原で、こんな上天気に恵まれたのは初めてだった。
ほとんど毎年、初日はひどく吹雪いたり強風に悩まされたり、初日が良くても次の日は凍える寒さだったり。
そんな事がずっと続いていた。
今年は4日間全く晴天続きだった。

横手を滑った次の日は熊ノ湯ゲレンデへ。
ここも雪は全く問題が無く、夕方クワッドリフトの天辺から滑った時には、気温が下がって雪がしまって最高に気持ちが良かった。
思い切りスピードを上げると、風音が耳をかすめていく。

3日目は私はスキーには行かず、ホテルでぐうたらすることにした。
日頃運動不足なので、いきなり激しい運動をすると、心臓があたふたする。
そのせいで、寝て居るときに咳が激しくなって、体力を消耗する。
毎度のことなので、自分で体調を整えるために、1日必ずお休みを入れることにしている。
他の人達は張り切って西館に向けて出発、しかし帰って来た時にはぐったり消耗していて、行かない方が良かったとの報告だった。
あちらの方は雪が悪く土が露出していて、滑れる範囲がひどく狭かったそうなのだ。
各ゲレンデを繋ぐ廊下の部分に雪が無く、難儀したという。
それでも高天原ゲレンデはとても良かったらしい。

一方、ぐうたらの私はまず持っていった本を読んで午前中過ごし、昼食は石ノ湯ホテルの素晴らしいコックさんが作ってくれたうどんを食べ、お三時はやはりコックさんの作るミルフィーユとコーヒーを頂き、ジグゾーパズルなどをして、楽しく過ごした。
午後散歩に出かけた。
ホテルの出口でまず、すってんころりん、雪に滑って転ぶ。
その後は足元に気をつけて歩き始めた。
青空が広がり風も無く、暖かい日差しの中で思い切り伸びをすると、身体の隅々まできれいな空気に満たされるようで、久し振りの静寂を心ゆくまで味わった。

4日目の今日の明け方に太陽が雲で隠れていたから、もしや雪?と思ったけれど、時間が経つとやはり晴れ間が広がってきた。
前日充分に休んだので身体は軽い。
前日でかけた人達は、だいぶ消耗したらしく、午前中ほんの数回滑っただけで、今回のスキーは終了。
帰りの長野行のバスに乗り込むときに、チラッと雪が舞い始めた。
私たちが帰るのを見送ってくれたのかも。

改装した長野駅は土産店も充実して、見違えるほど明るくなっていた。
「雪雀連」の1月末のサホロスキー場へのツアーは、17名ほどが参加予定らしい。
83才の会長を初めとして、滑っている姿は本当に若々しいのに驚く。
若者もビックリなほどスピードも速い。
「雪雀連」は怪物の巣窟と言える。

自分で驚いたのは、決して良い滑り方をしていないのに、筋肉痛にならないことで、鬼教官のレッスンを毎年受けていることで、力まないで滑る事が出来るようになっているのかもしれない。




















2016年1月1日金曜日

今年もよろしくお願いします。

明けましておめでとうございます。

年によって運の良い年と悪い年とあるけれど、私は概ね運は良い方だと思っている。
なぜかと言えば、周りの人達がとても良い人ばかりで、ほとんど嫌な思いはしたことが無い。
時々腹の立つことがあっても兄弟げんかみたいなもので、大抵のことは次に会ったときにはケロリと忘れている。

人生は所詮トータルで考えるもので、悪いことが続くと落ち込むのは仕方がないけれど、良いこともあるのだから、たいていの人は平均的な所で落ち着く。
とてつもなく美人に生まれたり、天才的頭脳だったりすると、素晴らしい人生かと思うとそうでもなかったり。
このところが面白い。
私はとても容姿端麗とは言いがたく、頭は残念、性格もかなり変な生まれつきなのに、健康と友人に恵まれて幸せに暮している。
しかも犬に好かれる。

今日も散歩の途中でシェルティーの群れに出会った。
4匹のきれいなシェトランドシープドッグたち。
一匹が寄ってきたから頭を撫でると、飼い主が「あれっ、吠えない」と言う。
昨日もビーグルに出会って、顔を見たら寄ってきた。
少しも吠えないので、やはり飼い主がビックリしていた。
飼い主以外の人には、必ず吠える犬らしい。
犬に吠えられることは滅多に無いけれど、人間に怒られることはしょっちゅうで、やはり自分は動物の方に近いのかもしれない。

シェルティーと言えば、私の家の建て替えの間、他のマンションに住んでいた頃の話し。

近くに自動車会社の大きな工場があって、その辺りを散歩していたとき、犬のか細い鳴き声が聞えた。
辺りを見回すと工場の敷地内の池に、犬が入っている。
半分水の中に浸かって、そこから出られなくなっていた。

工場の長い金網のフェンスに沿って全速力で走って、守衛さんのブースに駆け寄った。
息を切らしながら「犬が池に落ちているので助けて」と言うと、守衛さんは訝しげに「犬?」と言いながら、それでも工場の敷地内に入るのを許してくれて、一緒に池までついてきた。
池は浅く、それでも年をとった犬には飛び上がれないようだった。
よく見れば目は白濁して、毛並みはボロボロ。
年老いたシェルティーだった。
首輪はしているけれど、リードはついていない。

守衛さんと一緒にヨイショと引き上げて、その辺にあった綱をもらってリードにして、仮住まいのマンションに連れ帰った。
少しでも私の姿が見えなくなると大鳴きに鳴くので、傍をはなれられない。
その日は近所の公園に連れて行って、犬を連れている人達に飼い主の情報が得られないかどうか、訪ね歩いた。
けれど、誰もその犬を知らない。
地元の動物保護センターに電話をして、保護の依頼が来ていないか確かめたけれど、それも来ていない。
猫たちのかかりつけの動物病院に連れて行くと、かなりの高齢の老犬・・・たぶん15才位と言われ、それなら私が最後まで飼ってあげよう。
犬を飼うのは私の夢だったので、とても嬉しかった。
たぶんもう命は長くはないけれど、最後を幸せに穏やかに暮してもらいたい。

その夜は玄関に犬を寝かせ、私はキッチンの床に布団を敷いて、顔をつきあわせて寝た。
顔が近くにないと寂しがって鳴き止まないので。
次の日も飼い主捜し。
手がかりはない。
そしてふと思ったのは、私の家は隣の市との境目に近い。
地元の保護センターには訊ねたけれど、隣の市の方には電話していない。
そして隣の市の保護センターに、捜索願いが出ていた。
全ての特徴がピッタリと合った。
私の犬を飼う夢は実現することなく終った。
急にしぼんだ夢と、家族が大勢乗った車で迎えに来られた犬の安心した様子と、うれしいのとがっかりしたのと複雑な気持ちだった。

途中で話しが逸れて、なにを言いたいのか忘れてしまったけれど、今年も動物たちが幸せでありますように。
うちのノラ猫たちが病気や怪我をしないように。
そして勿論皆様が健康でいられますように。
殺伐としたニュースが続く。
その中でも、子供達が精一杯生きていくことが出来ますように、祈らずにはいられない。