2016年1月22日金曜日

久々の例会「弾く会」

「弾く会or弾き合い」は、ピアニスト達の家を順に会場にしての、おけいこの会。
好きな曲を持ち寄って、仕上がっていようがいまいが、人前で弾いてしまおうという趣旨。
昨年末は皆殊の外忙しく、私は結局2回ほど続けて欠席。
今年に入ってやっと気持ちが落ち着いて、久し振りに出席することになった。

ピアニストSさんとは、ずーっとフォーレの「ソナタ」を合わせている。
その合わせも何ヶ月か飛んだり、他の仕事のために中断したりと、捗らない。
フォーレは何回か演奏しているはずなのに、回を重ねる毎に難しくなっていくという難物。
フォーレに限らず、初めて弾く時にはわりと気楽に出来る。
ところが回数が増えるにつれて、だんだん神経質になってしまう。
これは隅々まで曲が分かってきて、そうするとあれこれ考え始め、どんどん自分からジレンマに陥ってしまうから。

これかあれか、コンピューターのように明快に決められれば良いけれど、そうはいかない。
これで満足と思ったものが、日が経つと、いやそうではない、となる。

フランス音楽は多彩な音が求められる。
多彩な音はすぐれたボウイングから。
楽器や自分が調子の悪い日や、会場の響きが良くないと、悲惨な気持ちになる。
それと複雑な転調。
左指が動くのを拒否する。
その音をこの指でとるの?いやだなあ、とかなんとか文句を言う。
しかたがないでしょう、さあ、動きなさいと命令して、やっと動かす。

この例会に参加させてもらうようになって、どんな状態であっても一応曲を仕上げないといけないので、なんとか技術の現状維持ができている。
そうでなかったら、あっと言う間に弾けなくなってしまう。
技術力の低下は瞬時だけれど、維持と進歩は努力を必要とする。
そういう意味ですごく有り難い。
私たちの年齢で、技術を維持するのは本当に大変。

3月の古典音楽協会の定期演奏会では、トレッリ「2つのヴァイオリンの協奏曲」のソロを弾かせてもらう。
その時だけ練習したのでは間にあわない。
日頃からの訓練が全て出てしまう。
沢山の聴衆の前での演奏は、いつも緊張で震えるけれどすごく幸せなことなのだ。

今年は仕事を整理した分、勉強しないと・・・と思うけれど、易きに流れる性格が悪魔の甘い言葉を囁く。
もう楽したら?もっと楽しいこといっぱいあるでしょう。
うーん、でもヴァイオリンを弾くのは本当に楽しい。

さて、今日は、レギュラーメンバーが勢揃いした今年初めての例会。
忙しかったとか、指がどうとか、眼鏡が合わないとか、色々口実を見つけてはブツブツ、いかに練習が足りていないかと言い訳するけれど、ピアニストというのは一種偏執狂の集団で、ものすごく良く練習してあるから油断も隙もない。
全くどうしてこんなに生真面目なのかしら。

私はこのところ、ちっとも身を入れて練習していない。
少し譜読みをするとお茶、又しばらくすると昼食、その後散歩。
これではね。
それでこういう集まりが刺激となって、追いまくられて有り難いことに渋々練習するはめになる。
今のメンバーは得がたい友人で師匠でもある。

今日はソプラノで、ラヴェルの歌曲を聴かせてもらった。
バッハ、ショパン、フォーレ、ヒンデミットなど、相変わらず多彩なプログラムで、大いに演奏を楽しんだ。




















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