2022年8月22日月曜日

北軽井沢は大ブーム

 今年はとりわけ暑い夏なのに、なかなか山の家に行けない。目をつむるとボサボサと茂った森の景色が目に浮かぶ。最近野暮用が多くほんの2、3日の空きもとれない。先日やっと4日間開けることができたので邪魔が入らないうちにさっさと森に逃げ込んだ。

お盆休みは終わったはずなのに、高速道路は休日ドライバーらしい訳の分からない運転をする車が多くて走りにくい。とにかく意味不明の進路変更、追越車線のノロノロ運転、ムラのある走行速度、結局何をしたかったのかわからない追い越し等々。私はこと運転になると気持ちが落ち着いてめったにカッとならないけれど、こういう時には一人で怒りながら運転している。他人様にはお聞かせできない罵詈雑言で「*****」なんてね。伏せ字はご想像におまかせします。

初日は小雨午後から本降り。町役場に出かけて住民税やホールの使用料金など払い込む。それに頼んでおいた合鍵ができたので工務店まで取りに行く。この鍵が厄介もの、ドイツ製なので合鍵を作るにもドイツに注文しなければいけない。面倒だからドアごと取り替えてしまおうと思ったけれど、すごく頑丈な特注のドアなのでおいそれと替えることができない。それで日本製の簡単な鍵にしようとしても、ドアの脇の金属製の頑丈な枠を取り除かないといけない。どちらにしてもすごくお金がかかる。

夕方やっと落ち着いてヴァイオリンを弾いていると、窓の外にたくさんの明かりが見えるのに気がついた。今までこんなに近所中が来ていることはなかった。夏のシーズンでさえお隣さんとお向かいさんくらいで、あとの家は真っ暗だった寂しい別荘地は、今は家の前の小道を車が頻繁に通る。びっくりだなあ。今回は周りの殆どの家に人が来ていた。寂しくて人気がないのだけが取り柄だった森に人が溢れては、ここに住む意味がなくなる。もう少し辺鄙な場所を探そうにも体力は枯渇している。それでも私の相棒の老猫はここへ来ると夜泣きもなくなる。空気が良い、それは捨てがたい。

玄関ドアの真ん前に巨木が立ちはだかっている。この家の前の持ち主のノンちゃんがこよなく愛したこの木に長年に亘り巻き付いた蔦を取り払う。まず蔦の根もとを切断。そこまでは前回来たときにやっておいた。それだけで大仕事。蔦と言ったって直径5センチはあろうかという太さ。すでに100年以上前から巨木に絡みついて養分を吸い上げていたに違いない。切断されたつるは上のほうがまだ木に巻き付いているのでぶらんと垂れ下がって蛇のようで気持ちが悪い。けれどこれでようやくこの木は蔦から逃れられると思っていた。しかし今回1ヶ月ほど経って行ってみたら切断された根っこの方から緑色の瑞々しい新芽が生えていた。それも素晴らしく勢いがよくこのまま放置したら今年の秋にはもう私の背丈を超えるくらい伸びるだろう。

上を切るだけではだめなのだ。根本から掘り起こしてみると、土の中の根は大きな塊となって養分を蓄えていた。太いのとしっかり土に埋もれているので、それは大変な作業になった。前日カインズホームに行って電動のこぎりを買おうかと思ったけれど、私に扱えるかどうか心配だったので買わなかったことを悔やんだ。汗が吹き出し腰が痛くなり足はふらつく。土の中の最後のひとかたまりを残して作業を終えた。これは明日の仕事に残しておこう。土中の根の長さは細いものでも数メートルにも伸びているので太い根っこはどれほどの長さか見当もつかない。伸びられなくて固まってしまうと始末が悪い。とにかく始めたからには根こそぎにしないとこの先も大木の癌になりそう。

泥だらけの手を洗い温泉に向かう。前日はガラガラだった旅館の庭に車がぎっしりと停車している。おや珍しい。玄関に入ると靴が大きいのや小さいのやずらりと並んでいる。女将さんが出てきたので「今日はいっぱい?」と訊くと「そうなの珍しく混んでるの」「それじゃうちのおふろで我慢するわ」「悪いわねえ、ごめんね」というわけで自宅に戻った。珍しく混んでるじゃないでしょう。笑った。この宿は大正ロマンの風情のある静かなお宿。ここが好きな知人は定宿にしていた。

自宅の周りにある家にこんなに明かりが灯っているのは、私がここに住むようになってから初めてのこと。明るくて安心感はあるけれど、せっかくこの森に住む物の怪たちと仲良くなりたいと思っていたのに、彼らはもっと森の奥深くに逃げ込んでしまう。コロナのせいでこんな辺鄙なところまで人々が来るようになった。私がここを買ったときには周りの人たちはきっと思ったに違いない。「あんな不便で寂しいところ買ってどうするの」でも今は建築ラッシュで毎日のように新しい住人に出会うのだ。

昨今の北軽井沢は急激に変化している。私がここを好きなのはなんにもないところと人々の優しさ。なるべくひと目から隠しておきたかった。浅間山も足元に人があふれるとくすぐったいに違いない。思わずくしゃみをした途端に噴火したりするかもしれない。

最後の日は「美味しいもの案内人」のY子さんと、小諸の懐古園そばの蕎麦屋へ。「そばの」と書いたら変換が「蕎麦の」と出た。懐古園蕎麦の蕎麦屋、ナンノコッチャ。午前中木の根っこと戦ったからうまくお腹も空いた。お盆過ぎの木曜日の昼過ぎ、閑古鳥状態かと思ったらここにも行列が。バイクが次々と乗り込んでくる。人で溢れかえっていて怖いから店内に入らず表のテラス席に座った。初めてきたので、そこの名物を頼んだ。冷たいそばの上に大葉、とろろ、わかめ、山菜、野菜かき揚げ、りんごの天ぷらなど十種類くらいの具が載っている。観光用と馬鹿にする人もいるらしいが、それぞれの具もそばも美味しい。

帰り道に立ち寄ったカフェのコーヒーもしっかりと苦くおいしい。それを鳥の声を聞きながら飲むのは至福のとき。午前中木の根っこと戦った疲れが癒やされた。森に帰ると昨日までいなかった家にまた一人、私を見ると軽く会釈をしてくれた。これであと一軒住民が来ればうちの周辺は全員揃う。こんなことは初めてだった。

そろそろ用事が溜まっているであろう自宅に戻らねば。早朝4時過ぎに出る予定が寝坊して6時になってしまった。木の根っこを掘り返した重労働が堪えているらしい。高速道路は空いていたけれど、都内は渋滞。なぜかというと陸橋の下で警察官が違反の取締をしているから。郷里で楽しく過ごして気が緩んでいる人達を取り締まってお小遣いを稼ぐ魂胆と見た。ここで捕まったらふるさとの思い出が台無しになる。気の毒に。私も捕まったばかりだからイヤーな気分はよく分かる。違反をするのが悪いのだけれど、でも同情する。

帰宅は午前10時ころ、ねっとりとまとわりつくような暑さには参った。野良が飛び出して迎えに来てくれる。家に入れば大量の留守電!あ~あ!




2022年8月14日日曜日

野良はつらい

 猫が泣きわめくので目が覚めた。ひどく汗をかいている。気分が悪い。しまった!前の晩寝る前に冷房を切っていた。部屋が暑い!

毎年2,3回は熱中症にかかるのだから気をつけないといけないのに、昨晩はあまり暑くなかったので風邪をひいてはいけないと思って冷房を切った。大抵は途中で暑くて目が覚めるのに熟睡してしまった。慌てて起きて水やらお茶やら飲んで見たけれど頭痛がする。若いときには暑さに強かったのにいつの頃からかめっきりと弱くなってしまった。

数年前、個人のお宅で演奏することになっていた。その日、目がさめると天井が回っていて世の中が黄色かった。ふらふらしながら会場へと向かった。なんの気なしにコンビニに寄ってポカリスエットの大きなボトルを買って持参した。それをひっきりなしに飲んでいたら気分が良くなって無事演奏することができた。自分が熱中症にかかっているとは思わなかったので、それは知識から出た行為というより本能的なものだった。それ以来そのお宅で演奏する日は、気の利いた家政婦さんが私のために色々水分補給のための飲料を用意してくれたものだった。お客さんの中に医療関係の人がいて「あなたは熱中症です」と言われて初めて気がついた次第。

それ以来気をつけていると同じような症状が出るので熱中症とわかる。ほとんどは軽い頭痛やふらつきなどですんでいるけれど、今回は大量の汗をかいた。シーツだけでなく掛け布団までじっとりと冷たくなっていた。台風が近づいているというその日は、久しぶりの仕事。寝てはいられない。

たいてい低気圧が近づくと体調が悪くなる。あるときには新聞を読んでいたら目の端にギラギラと万華鏡のような光が見えてびっくり仰天。慌てて病院へ走った。これは重大な病気のサインに違いないと思っていたら医師は少しも驚かず「これは片頭痛の一種で低気圧が近づくと起こることがあります」

そのことはすっかり忘れていて最近同じことが起きたから病院へ。すると医師は「5年前にも同じ症状で来ていますね。心配ありません、すぐに治りますから」なーあんだ、それなら眼科よりも認知機能障害の病院へ行ったほうが良かったかも。同じ症状があったことを忘れていたなんて。

そんなわけで台風が東海、関東地方に上陸するという日は日テレの24時間テレビの音録り。毎年楽しく仕事をさせてもらっていたけれど、コロナのことや自分の老朽化でなかなか難しくなってきた。それでも年に一回同じメンバーに会えるのは嬉しい。熱中症でふらついてはいたけれど、雷鳴轟く土砂降りの雨の中車を走らせる。都内に入ると雨は少し小降りになった。果たしてスタジオまでの道を覚えているだろうかと心配だった。頭の中で何回か反芻して道を確かめる。ある時心配だからカーナビを使ったらとんでもないことになって、狭い道をぐるぐる回らされた。このカーナビは本当にお馬鹿さんで、いつも踏切のあるコースを走らされた。ある時羽田空港に行くのでたまには違うコースを行ってみようとナビを使った。すると蒲田付近で踏切を2つも横切ることになってうんざり、ナビを使わなければずっと早く行けたのに。自分で考えるなら踏切は極力避けるのに。

仕事が終わる時間はまさしく台風の接近するときだったけれど、雨はそれほどひどくなく無事帰宅。駐車場に車を入れると、かすかな猫の鳴き声が聞こえる。うちの野良が心細げに泣いていた。最近野良は家猫が威嚇するので部屋に入って来られない。寒いときなら部屋を閉めて隔離できるけれど、この暑さでは開け放さないと冷房のない私の部屋は蒸し風呂になる。開け放せば悪魔のような声でうちの猫に脅される。いやはや野良は辛い!

幸い気温が低いので、家猫に見つからないように野良を部屋に入れることができた。嬉しくて嬉しくて有頂天になる野良。おしとやかで行儀の良い野良が喜びのあまり私のスネに噛みつくので参った。餌代だけでも大変なのに本当のスネまでかじられるとは!夜中に外を見ると雲が切れて空が明るくなっていた。どうやら台風は行ってしまったようだ。すると野良は開けた窓からスッと黙って出ていった。ちゃんと自分の進退を心得ている。そんな野良がたまらなく可哀想でならない。よく見るとこの子もだいぶ年取った。なんとなく体調も良くないらしい。家猫との共存の道は険しい。

家の猫にとって、長年の多頭飼いで隅っこに追いやられていた自分がやっと飼い主を独占できた幸せを離してなるものかという気持ちだと思うし・・・ここにて中断。只今午前3時、表で野良が他の猫に威嚇されているらしいので救助に向かいます。駄文拙文お許しを。😺















2022年8月3日水曜日

悪運強し

 先日の交通違反のお陰で運転免許センターまででかけた。この暑いのになんの因果か認知機能検査を受ける羽目になったのだ。もう検査には慣れっこになってはいるけれど、もしやこの検査で認知機能が怪しいと診断されたら大変なので、結構緊張した。

すでに何回か受けているけれど、16通りの絵が一組になっている。それがA.B.C.Dと4パターンあって、その中の1組が出題される。それを見せられて記憶するテストで今までは毎回同じAパターンが出題された。他の絵は出たことが無いから、今回も同じとたかをくくっていた。それにしても暑すぎる。試験場は高台にあって歩くのは大変だからバスに乗る。

昔このあたりに私の長姉が住んでいた。私より13歳年上だったので姉というより母親代理みたいな存在だった。母は6人もの子育てで忙しく、末っ子の私の学校行事等はこの姉に任せていた。遠足に付き添ってくれた姉がプンプン怒っていたことがあった。周りの人に「お母さん」と呼ばれたのだと。私のお母さんにしてはずいぶん年若いけれど、付き添ってきたから多分お母さんだと周りでは考えたのだと思う。大変美人だったから若くてきれいなお母さんと思われたのだと私は嬉しかったけれど。

私はこの姉には中学校に入るまで毎日抱っこされて同じ布団で寝ていた。私の方は構わなかったけれど、姉は中学になった私を持て余したらしく、入学と同時に私は一人で寝かされることになった。それは私も異存はなく、なぜなら異常に地震に敏感な姉は、ほんの少しの揺れにも飛び起きて私を外に連れ出そうとする。私はあまり物事に驚かないのでかなり強い地震でも布団から出たくはないのだ。お互い、その時から擬似母子を脱却、初めて独立した気分だった。

姉の家は試験場に近く高台にあって風の吹き抜ける気持ちの良い家だったけれど、名のある建築士によって建て直されてからおかしくなった。姉は少し猜疑心が強くなり近所付き合いもやめてしまった。思えば更年期障害だったのかもと今なら対処できるけれど、私はかなり歳が離れていたので途方にくれた。それでも人前に出ると姉はすごくちゃんとしているので、あれはなんだったのだろうか。新築の家は風の通らない気密性の高い家で、家の中に池があったり実験的な感じで作られたのかもしれない。シンとして物音がしないから外部とは遮断されたような感じが姉の心を狭くしたのかもしれない。

バスがカーブを曲がるとき、ああ、ここで姉の家には反対側に登っていったのだと懐かしく思い出した。曲がったところに豆腐やさんがあったっけ。

センター到着、相変わらず年寄りばかり!中には手が震えて字がかけないという人や、トイレに行ったら自分がいた部屋がわからなくなったと職員に訴えている人やら。明日は我が身、でも免許ないと私生きていけないから頑張る!

試験が始まると他の出題はほとんど同じ、でも絵が違った。今日もAパターンと自分で決めていたけれど、出たのはBパターンだった。オットット。ここで慌てたかというと私は慌てなかった。出かける直前、Bパターンを眺めて頭に叩き込んできたのだ。本当になに気無しに・・・

何気なくやったことで助かった。最近とてもストレスが多くて気分は低迷、なのにこういうときに誰かが助けてくれるようだ。実は私には3人の貴人がついているのだと占い師から言われたことがあった。私の知人の姪御さんが有名な占い師で、その知人が私の生年月日を教えて彼女に占ってもらったらしい。その結果「あんまり良い運勢なので興奮しましたよ」というから「どうせ変人奇人の奇人でしょう」と言ったらたいそう叱られた。「こういうことは冗談に言うものではありません」と。

悪運強し。最後の一瞥が功を奏して全部書けたから他のことと合わせても認知症ではないとお墨付きをもらったけれど、生まれつきの性格が認知症に近い。要するにそれよりも悪化していない?というだけ。教科書持たずにからのランドセルで小学校に通うことは日常茶飯事、宿題を全くやらずに夏休みが終わってしまったり、今はせっせとメガネを探す毎日。頭の上にかけているのに。冷蔵庫に入っているのは食料だけではない。思いがけないものがでてくることも。洗濯機で鍵をあらうことも。なぜかトイレットペーパーの芯に鍵がはいっていたり。これって自慢しているように聞こえます?そう、最近友人たちとボケ自慢しあっているのですよ。









2022年8月1日月曜日

続ひやみず

冷水は続く。五重奏の合宿のあと、ピアノのMさんからせっかくだから本番をということでお仕事いただいた。10月に三鷹での本番決定! うれしい。

今回驚いたのは若くはない私達が意外と丈夫だということ。早朝都内や都内近県から4時間ほど車を運転して集合。すぐに練習、つぎの日は一日中練習、最終日は午前いっぱい練習。ほとんど休み無しなのにケロッとしている。私はケロッとはいかないけれど、それでも集中して正気を保っていた。帰りの運転も楽しんでいられた。

帰宅したら姉の娘の一家が北海道でコロナ感染したという。姉が娘に送る食料を買いにいくというのでスーパーまで同行して買い物に付き合った。重い荷物を高齢の姉に持たすわけにはいかない。帰宅した私に今夜食べるお惣菜を買ってくれるというから、食べられないと断った。食欲はない。パウンドケーキを一切れ食べて眠った。

流石に今日は一日中眠った。途中で起きても食欲なし。やっと夕飯時になって少し食事をとった。野良たちは喜んでお出迎え、でも今日は相手をしていられずひたすら休息。ブラッシングがお望みの野良たちだけれど、今日はナデナデで我慢してね。レストランに行って食事をしようと思ったけれど、それすら面倒で、まして自分であれこれ作る気にもなれず、残り物の野菜とカニカマ入のチャーハンを作って今日一日の食事はそれのみ。一人ぐらしのいいところはそこ。だれにも気兼ねなく手が抜ける。家人がいた頃は留守にした穴埋めに、疲れていてもせっせと料理をしたり大変だった。女は大変!今はもう気にする相手はいないから眠りたいだけ眠れる。食べたくなければ食べないですむ。楽だけど、これはこれで寂しいかも。

相変わらずコロナ関係の情報ばかり。同じ芸人が毎日顔をだすテレビは面白くない。youtubeで見つけたのはやすきよの漫才。この二人面白かった。今聞くだけで面白い漫才ができる芸人はいないのではないかと思う。ウクライナの戦争はいまだ終わらなく心が痛む。楽器の演奏で年取っても楽しめる私達のなんと幸せなことか。集まると皆そのことを話す。

流石に疲労はすぐに解消できず背中が痛い。最近通い始めた治療院の予約をとった。高周波の機械で骨の周りの筋膜をほぐすという。膝や腰が痛いというのは骨のせいではないという。骨には神経がないので骨が劣化しようがすり減ろうが痛みは感じないはず。痛みは筋肉の周りを包んでいる筋膜というものが固くなって動きが悪くなり結果痛みが生じるというのでその筋膜に刺激を与えてほぐす。

友人が膝を痛めて杖をついて歩くようになった。しかしその治療院に行ったらその日から杖無しで歩けるようになったというので私も半信半疑行ってみた。足の故障で私もまもなく杖が必要かと思えた頃の話。結果は上々、治療が終わると軽い疲労感のようなものがあって眠くなる。家に帰ってぐっすり眠るとあとは快調、私達のように体を酷使するものは自分に合った治療が必要になる。私は長年中国整体を受けていてそれはとても良かったけれど、最近筋肉が固くなって押されるのが苦痛になってきた。静かな振動で筋膜がほぐされて体への負担の少ない高周波治療はとても心地よい。

整体もまだ捨てがたいので併用することにした。出費は少々かさむけれど、この先も演奏ができるなら仕方がない。金は浮世の紙くずだ~!とある宗教の教祖様が叫んでいた。紙くずが健康のためなら惜しくはない。けれど信者から紙くずを巻き上げて家庭を崩壊させ、その結果元総理大臣が亡くなった。そういう宗教になんでハマるのか私には理解不能。紙くずと叫んだ宗教は統一なんとやらとは別の宗派ですが。