2013年11月29日金曜日

数学と音楽

先日のnekotamaの「かけ算の順序」にコメントをいただいたサイトに行ってみた。
読んでみるとなるほど、図で説明されると納得!
割算について考えれば、順序が重要なのが良くわかる。
いやー、今までそんなこと考えてみたこともなかったから、とても興味深く拝見した。

数学は畑違いのように見えて、実は音楽とは深い関連がある。
先日うちのピアノの調律に見えた山田宏さんからも、深遠なお話を伺った。
どんな事かというと間違えるといけないから、後ほどちゃんと聞いてまとめてお話しますが、音の唸りについて非常に精密な計算が必要であるということ。
サイン、コサインが必要になると言われてびっくり。
単に経験からくる耳での調律かと思ったら、とんでもない。
きちんと計算をするのだそうだ。
私たちヴァイオリン弾きは純正調と言って、その調特有の音の関係で動いてゆく。
ところが一つの純正調でピアノを調律すると、どうしても余ってしまう音?が出てくる。(この辺が曖昧で、ではヴァイオリンはといわれると???)要するに唸りが生じてしまう(らしい)
だから私たちヴァイオリン族はピアノの音階については、なんとなく曖昧に聞こえてしまう。
このへんの説明も後で山田さんに詳しく聞いておきますが、それでピアノの場合オクターブを12等分してその余った音(唸り)を吸収してしまわないといけない。
と、まあ、こんなことで、サイン・コサインが必要になるらしい。
長年のお付き合いだけれど、山田さんの口から数学が出て来るとは思っていなかったから、ほんとに驚いた。
純正調のヴァイオリンと平均律のピアノはほんとうはハモらないはずなのだが、双方の歩み寄りで美しい響きが得られる。
ところが「音程の悪いヴァイオリン」そして「音程の悪いピアノ」が一緒に弾くと耐えがたい事になる。
ピアノの音程が悪いなんてと思われるかも知れないが、音程の悪いピアニストっているんですよ。
調律は合っていてもとんでもなく叩きまくって音を殺してしまうようなピアニストは、どうやっても響きを作ることが出来ない。
私はそういうピアニストを「音程が悪い」と言う。

学生時代、私の1番得意な科目は数学だった。
今はもう数学分野は全く忘れ果ててしまっているけれど、時々自分の脳みそが数学の時と同じ働きをしていると思う事がある。
それは楽譜の初見の時とか、どんなやり方でこの曲を弾き続けていくかと考える時。
いままでの経験から得た知識を弾きながら次々と繰り出して、それをどのようにつないで行くか、もの凄いスピードで考えているときには「ああ、数学もどきやってる」と思う。
弾いているところよりも少し先の音符を見ながら、曲の構成を次々に組み立てていくのは、ものすごく愉しい。
















ノラさまご入居

今日は冷え込んだ日本列島。
朝餌を持って行くとのそりと物置からノラが現れた。
そろそろ寒くなるのでと準備して、物置にヒーター付きの新居をご用意してさしあげたのに、一向に入る様子をみせなかったノラも、ついにあまりの寒さに音を上げたと見える。
うちの駐車場では不埒な輩が時々悪戯をするのと、ノラのために半開きになった物置からものが消えるので、カメラをつけてもらった。
ノラの様子と物盗りの現場が見えればと思っていたけれど、物置の中身はあらかたなくなっているので専らノラ専用になった。
盗みのためか猫の様子を見たいためかはわからないが、時々物置が人に覗かれているのがわかる。
ドアがいつもと違う幅で開いていたり、閉まらないようにしているのに閉まっていたり、中の物が動いていたり。
もっとも我が家では楽譜が歩く、鍵が家出するなどの物が移動するのは日常茶飯事。
だから物置のなかでの移動は物自身の意思かもしれない。
そのようなことが多いので、先日監視カメラをつけるついでに半開きのドアにもチェーンの鍵をとりつけてもらった。
その後この物置に誰かが触った形跡はないから、効果があったと思える。
それからは毎日しょっちゅうカメラの画像を覗いていたが、ノラが寝ているのは見たことが無かった。
夜中や明け方にたいそう冷えるから、さすがにノラも暖かい寝床に入っているかと期待して見ているのに、いない。
赤外線カメラだから暗くてもはっきり写るし、むしろ暗い時の方が見えやすい。
あまりにも汚れて居るからと言って、掃除をしたのがいけなかったのかも知れない。
ちょうど良いくらいに雑然としている方が、猫には(私も)居心地いいのかも。
むだなことになったかと思ったけれど、やっと今朝中から出てきた。

ノラさま、ようこそ。マンション・シェッドに。
お気楽に一冬お過ごしくださいませ。














2013年11月28日木曜日

かわいい!


    表彰される警察犬が緊張の余り調教師さんに
取りすがっている画像見つけました。
調教師の顔とこのワンさんの顔似ていませんか?

2013年11月27日水曜日

閑古鳥

日本橋の画廊で開催している「雪雀連」のアート展。当番で午前中画廊で待機。
一人お客様が見えて、入って来るなり私の絵を見て笑っている。
「あら、これ自画像ですって」
なぜ笑ったのかが知りたかったら見に来てください。
私は意図していた反応をもらって満足。
その方はもう1人のお当番Iさんのお知り合いだそうで、もう77才になるそうだがスタスタと元気に歩かれる。
聞けば護身術や水泳をたしなまれるとか。
特に水泳は50才ころから始めて、今でも毎週4日間くらいは泳いでいるそうで、お顔の色もつやつや。
生き生きと話す様は、少女の様な雰囲気を持っている。
護身術を習った時の話をきいた。
刃物を持った人が自分をめがけて来たら、相手の肩を見る。
刺す寸前に肩が動くからそれを見たら、相手の正面を外れて横を向く。すると刃物男は的が居なくなってしまうので勢いでたたらを踏むから、その後ろに回って相手の膝の後ろを蹴る。
膝関節を後ろから蹴られると転ぶ。
倒れた相手の腕に全体重をかけてのれば50㎏くらいの重さになるので、いくら力持ちでも手が上がらなくなるので、そこで刃物を蹴飛ばし助けを求める・・・
とこんな事を身振り手振りを交えて説明された。
こんな小柄で痩せた人が果してそんなに上手く出来るものかとは思うけれど、絶対ただでは済まさないという気迫があって、とても頼もしい。
私なら「にゃあ~」と言ってうずくまるか固まるかして、刺す対象を失った男が転んで怪我をする幸運を祈るしか無い。
その方が帰ってしまい、もう1人のお当番のIさんも急ぎの用事で居なくなってしまうと後は1人でお留守番。
退屈だから外を見ていたら表の看板を眺めている男性がいた。
精一杯可愛らしくクビを傾けてニコッと笑いかけたら、ギョッとしたらしくとっとと逃げられた。
若かりし頃ならこれで呼び込めたのに、交通違反して白バイに捕まっても許してもらえ、普通券でグリーン車に乗っていても叱られなかったのに・・・隣の席の人からコーヒーやミカンがもらえたのに・・・
さっきの男性はとって食われると思ったのだろう。
それにしてもヒマだな~

ごらんになりたい方は11月20日のnekotamaにご案内が載っていますのでどうぞ。























2013年11月26日火曜日

左側通行右ハンドル・右側通行左ハンドル

時々ヨーロッパでもレンタカーを借りて運転する。
一昨年はイギリスだったので日本と同じ右ハンドル左側通行、その前はドイツ・オーストリア・イタリアなどで左ハンドル・右側通行で運転してきた。

今ユーロトラックのゲームを大画面で楽しんでいるが、これも右側通行・左ハンドル、しかも本物と同じように車体が重く発進がのろい。良く出来たゲームが楽しめる。
そこで前回投稿の「かけ算」のことに戻るが、通行とハンドルが逆になっているのも「日本人の脳」と関係あるのだろうか。
もっとも日本はイギリスをまねしたのかもしれないから、イギリスとヨーロッパのハンドルの違いはどうしてなのか、今度ロンドンアンサンブルの人達に会ったら聴いてみようと思う。
イギリスがそうなので元イギリス領のオーストラリア、ニュージーランドも左側通行らしい。
イギリスから出た人たちなのにアメリカは右側通行。
移住した頃には自動車がなかった(?)から?
それでも人種は同じなのになぜ違ってしまったのか。
とすると脳には関係なくどのような条件で左右別れたのかは謎。
アメリカから返還された頃の沖縄に行ったら、バスのドライバーがぼやいていた。
ついこの間まで右側通行だったのに、日本国になったら左側通行になって、事故が多発している、と。
世界で統一してくれれば日本から遊びに行った人達が気軽に運転できるのに。
私はふだんから何事にもこだわらないから、右でも左でも一向にかまわない。
その国に行ってしまえばハンドルを握った直後に馴れてしまう。
だからヴィオラもヴァイオリンも楽器さえ持ってしまえば、なんのことなくその楽器の頭に切り替わる。
次の日目が醒めたら猫になっていたとしても、すぐに猫になりきれると思う。
でも蛇だったらどうしよう。気持ち悪くて自分の姿が見える度にきゃあきゃあ騒ぐにちがいない。












2013年11月25日月曜日

かけ算の順序

なにかと世間をお騒がせの週刊文春の中に福岡伸一博士の連載記事があって毎週面白く拝読してるが、今週号は「かけ算の順序」について。

小学校で「6人に4個ずつミカンを配ると、ミカンは何個必要ですか」という問題に「6×4」=24個と回答すると、答えは○だが、式は×にされる。
かけ算とは「ひとつ分の数」(例題の場合、一人当たりのミカンの数)×「いくつ分」(人数)によって「全部の数」を求める操作であり、この順序をきちんと理解させることが必要である。
日本の「教師用指導書」にはかけ算の順序を教えるように明記されている。矢野健太郎、森毅なども順序重視派。

とまあこういうことなのです。

ところが福岡博士は現在ロックフェラー大学に赴任中。
同僚のアメリカ人とのディスカッションの中で、日本では
3×6とすべき計算を彼は6×3と書いたのであれ?と思った。
そこで「どうして3×6」としないのか聞いたところ「だって3つずつ6班なら six groups of three 6×3、6つずつ3班なら3×6、three groups of sixだもの」

かけ算の順序とは、結局言語の問題に過ぎなかったことに福岡博士は気が付いた。
ひとつぶんの数(X)が何個(Y)あるか考えるのが日本流。
英語では Y groups of X の順序で書く。ただそれだけの事である と。

面白いですね。こんなところにも言語の違いが反映するとは。
日本人の脳はしばしば欧米人の脳と反対に作用することが多いようだ。たとえば虫の声を聞くのは世界中でも日本人だけ、それは日本人が母音にたいして特殊な反応をするから。(だそうだ)
他の国ではこういう事が無いのは、日本人が母音に対し特殊な反応ををする。
日本では母音が単独で意味を持つが、他の言語では子音主体、母音だけで意味を持つことはない・・・とか。(角田忠信「日本人の脳」より)
なるほど。
吾、医、卯、絵、尾など母音だけで意味を持つことは多い。

このことを今の日本の指導者達がどう受け止めるのかきいてみたい。すべて言語の違いで片付けるのも無理があるかも知れないが、少なくとも計算の順序がどうので×をつけるのはいかがなものかしら。
こんな些細な事で子供達が数学嫌いにならないものだろうか。
アメリカへ行った日本人の子供達は戸惑うに違いない。
ところで言語の違いがどうして生まれたか。日本語だけなぜ特殊なのか。それが日本人の脳の特殊性から発したのか。
日本人の脳だけどうして違うのか。
日本人の脳が特殊なので他に類を見ない日本語ができあがったのか
鶏と卵になりそう。

問題を作るとき「6人に4個ずつ」と書かないで、「4個ずつのミカンを6人に」と書いてあげれば分かり易いのにと思いますが。


















2013年11月24日日曜日

アントワン・タメスティ ~ ヴィオラの魅力

ヴィオラ奏者のタメスティは1979年生まれ。
ユーリ・バシュメットの次世代ソリストで、トッパンホールの響きに良く似合うと思って聴きに行った。
トッパンホールは、私がとてもお世話になったチェリストの塚原翠さんが設計の段階から関わっていて、開館する前から会場を見せてもらったりコンサートが始まるとご招待頂いたりしていたので親近感を覚えるのと、会場内の作りや響きが抜群なので特に好きなホールなのだ。
ピアノはマルクス・ハドゥラ。

シューベルト 「アルペジオーネソナタ」
シューマン  「おとぎの絵本」
ドビュッシー 「亜麻色の髪の乙女」
武満徹    「鳥が道に降りてきた」
ヒンデミット 「ヴィオラソナタ」

ヴィオラ好きにはたまらないプログラムで、今日もピアニストのSさん姉妹と一緒。
アルペジオーネソナタの始まりはピアノから。
これが鳥肌ものの弱音から始まった。
繊細で決して出しゃばらず、それでいて大きな存在感のある素晴らしいピアニストだった。
始めのうちは例によって弦楽器は響かない。
コンサート直前の会場練習はお客さんが入っていないので残響が沢山あるけれど、本番になって人が入ると響きは少なくなる。
ピアノの場合楽器自体が響くのでさほど差はないと思うが、弦楽器の場合会場の助けを借りないと音が伸びない。
それで会場の残響が変わるだけで、始めのうちは四苦八苦する。
今日も最弱音で出たヴィオラは耳をそばだてないと聞こえないくらいだった。
どうしてもヴァシュメットと比べてしまうので不利だとは思うが、彼の音色はヴァシュメットのように甘くは無い。
まるで新しいヴァイオリンを弾いているようだと思っていたが、ストラディバリウスだそうだ。
休憩後はさすがに良く鳴ってきて、聴衆も熱狂的に拍手をおくっていた。
音色は好き好きだが、音楽性としてはバシュメットに匹敵するのではないかと思われる。独特のリズム感。
シューベルトの前奏部分のピアノが鳴りはじめるやいなや、弾いていない彼も内心で歌っているのがよくわかった。
ヴィオラを構えると、ピアノと渾然一体となって溶け合って作り出す音楽の艶やさ!

ヴィオラはいいなあ。
私はずっとヴィオラ弾きになりたくて、一時期ヴィオラでの仕事の方が多かった。
ある年、本邦初演を頼まれて引き受けた新曲がめっぽう難しく、来る日も来る日も猛練習して腰を痛めてしまった。
人一倍小柄な私が大きな楽器を弾くのだから猛烈に体に負担がかかって、その時点でヴィオラ奏者になるのは諦めたという経緯がある。
それでも去年・一昨年とロンドンアンサンブルと共演させてもらって、時々はヴィオラを弾く事を楽しんでいる。
ヴィオラの音は独特の深みがあって、弾いても聴いても気持ちが良い。
ヒンデミットのソナタを聴いていたら弾きたくなったので、楽譜を取り寄せてみようと思った。

終演後はそば屋で日本酒という「通」のSさん姉妹と、私はノンアルコールビールを飲みながら愉しく夕飯を食べて帰宅した。

























2013年11月20日水曜日

第2回アートで遊ぼう展

スキーの仲間は多士済々、職業はまちまちでもアート系が多い。
人形作家、絵本作家、織物作家、映画制作者等々。
そこに怪しげな音楽家もちらほら混じっているので、年末近くなるとコンサートや展覧会を催す。
自己顕示欲が強いというよりもお巫山戯が過ぎるとでも言うか、とにかくおもしろがって不真面目に生きるのがグループの目的である。
私の育った家もそうだったけれど、なにか真面目になってことを進めると脇からちょっかいを出されて全部冗談になってしまう。
それでクソ真面目な人がこのグループに入ってきても、腹を立てて出ていってしまう。
かと思うと生涯の殆どを石部金吉さんで来た人が、急にグレてすっかりメンバーに溶け込んでしまったりもする。
超の付くほど堅物だったNさんは初めてこのグループの山スキーに参加した時、初っぱなで切り株に衝突して脇腹を怪我した。
すると会長の山田さんは「Nさん、痛いのは脇腹だけですね?手足は大丈夫?じゃあ運転して下さい」
情け容赦も無く運転手にしてしまった。
山スキーではリフトも無いところを滑るので、一人が犠牲になって頂上まで皆を運び、そのまま車を下まで回して滑り降りてくる人達を拾い、又頂上へ・・・と言うことを繰り返す。
そのため、運転をする人は滑らないで我慢しなければならない。
幸運(?)にも怪我が脇腹だったNさんは滑れないから、運転手の仕事をさせられた。
初回からひどい目にあって、もうこの人はこのグループには来ないと思っていたら、とんでもない。愉しそうに運転手に甘んじて、その後は最も熱心なメンバーとなった。
落語の世界みたいなグループだから、アート展と言ってもロクでもないものが多い。
あるジャンルで一流の人もいるから、まともな作品もあるけれど、私の様に絵を描くのは小学校以来という猛者(?)もいけしゃあしゃあと出品する。
去年は絵の先生に絵の具も筆も全部貸してもらって、半日かけて書き上げたのが猫の絵。
今年は先生が忙しくて見てもらえないので、絵の具も何も無いから画用紙に鉛筆で「自画像」を描き上げた。
譜面台を二つ並べ、片方は楽譜を、もう片方には画用紙を載せてヴァイオリンを弾く。
飽きるとすらすらと鉛筆を走らせて絵を描く。
又ヴァイオリンに戻る。又絵を描く。
あっという間に一丁上がりで、私としては去年のより傑作だと思っている。
今まで授業以外で絵は描いたことが無いので、これが私にとっては二作目となる。    
生涯に二作しかないから、私の死後値段がぐんと上がるに違いない。

どうですか、どなたか。今買えば投資になりますよ。
とりあえず気が向いたらご覧下さい。
巫山戯てばかりでは無くて有名な人形作家の作品や絵本の原画などもありますので銀ぶらのついでにお立ち寄り下さい。



           







































2013年11月19日火曜日

思考回路

我が家はもの凄く散らかっている。
だからきれいに整頓したいのだが、一体どうやったら良いのかがわからない。
時々パソコン師匠のHさんがメンテナンスの時に道具類をかたづけているのに、しばらくするとグチャグチャ。
それを見ると彼は猛烈に腹が立つらしい。
全部すぐに取り出せるようにきちんと整理していっても、次に来たら何が何処にあるかさっぱりわからない。
「あれはどこへしまいましたか」と聞かれると生意気な生徒は「私はさわっていないわ」などとほざくので、それでは誰がやったかと言うことになる。
そりゃあ私に決まっているのだけど、認めるのは癪だから多少は反抗してみるがムダな抵抗。
今日もノラ猫の部屋である物置のドアに鍵をつけたり、ノラの様子を見るためのカメラの配線を直したり、パソコンの部屋の照明を変えたり八面六臂の活躍をするH氏の傍らで、ボーっと見ていたら悪いと思ってちょっと手を出すと、逆に叱られる。
私がやるとなんでもグチャグチャになるし、不器用で何をやってもきちんといかない。
だいたい頭の中でなにをどうするという見取り図が描けない。
Hさんは仕事は前もって頭の中できっちり設計が出来てくるから、その手際の良いこと、休み無く体も手も動く。
ついでに口も動くから私はビシバシ叱られる。
時々泣きたくなる。にゃうーん!
理系の人の頭の中はきっとパソコンの配線のようになっているのだと思う。
私の頭の配線は所々途切れていたり、混線したり。
手順を頭の中だけで描けるのはすごい。
私は昔から実際にやってみないとわからない。
H氏は今日も私がグチャグチャにした道具箱の中身をあっという間にきちんと整理して帰って行った。
子供の頃からの性格かと思ったらそうでは無いというので驚いた。コンピュータを始めてからだという。
コンピュータが普及し始める前から先駆者的に扱っていたがその頃の器械は今ほど簡単では無く、ほんの少しのミスが致命的になることも多く些細なこともゆるがせに出来なかったそうで、それが今の几帳面さにつながったらしい。
そのお陰で私もいっぱしのパソコンマニアみたいに立派な器械と快適な空間を与えられている。
それでこの程度の文章を書いているのでは申し訳ない。














2013年11月17日日曜日

関東学院大学管弦楽部第9回定期演奏会

関東学院大学のオーケストラが発足したのが2003年、初めはシンフォニーが出来るのかしらと思えるような少人数だったのに、あっという間に大オーケストラとなった。
毎年のようにお手伝いに行っているが、今年はもう私たちの出る幕は無いのではと思える程のプルト数が揃っていた。
ファーストヴァイオリンが10プルト、私はエキストラだから最後列の10プルトに座ったが、指揮者は遙かかなた、大きな学生達が前に居るので小柄な安東先生は時々雲隠れ。
管楽器も良く吹いていたけれど、弦楽器も去年よりも一段と音程が良くなって、ハーモニーが出来るようになっている。
これは指導する先生達と生徒達の努力が実を結んだといえる。今日のプログラムは全部チャイコフスキーで、「白鳥の湖」から「ワルツ」「ピアノ協奏曲第1番」「交響曲第5番」アンコールは「くるみ割り人形」から「トレパック」
チャイコフスキーは曲も良く知られているし、オーケストレーションが上手いから管楽器も弦楽器も弾いていて愉しい。
学生やアマチュアオケはともするとマニアックな一部メンバーが小難しい曲を演奏したがるが、本当のところ、こういう選曲の方が賢いと思う。
演奏する方も聴く方も愉しいし、やたら難しい曲を未消化のままステージに出すのは聴いて下さる人達に失礼であると思う。
チャイコフスキーはその点非常に弾きやすく、人の心をとらえるツボを心得ている。
学生オケはメンバーが毎年入れ替わるので、1年生などは楽器の持ち方から始める人も多い。そんなわけで今年のプログラムは秀逸だったとも言える。
それにしてもこの学校の生徒達の礼儀正しさ、明るさには毎度感心させられる。
就職率が非常に高いと聞いて、さもありなんと思う。
4年生達は最後の定期演奏会を終えて涙をこぼしている。
ああ、青春だねえ。
















2013年11月16日土曜日

泣いたり笑ったり

姉の葬儀があって兄弟が皆集まった。
家族葬だから姉の3人の子供達とそのいとこ達、姉の娘婿のお母さんとその家族。
ほんとうにわずかな人数で簡素だったが、和やかに(葬式にふさわしい言葉では無いが)執り行われた。
姉もかなり高齢まで生きたし、最後まで元気で人の手を煩わせる事無く生きられたのは幸せだったと思う。
私の家系はどちらかというと陽気なうちだから、兄弟が揃うと冗談ばかり言い合う。
たとえ葬式でも女どもはおしゃべりに余念が無い。
それでも姉の死は悲しいので、泣くかと思うと笑ったり、笑っているうちに涙がこぼれたりでたいそう忙しい。
今日は午後から仕事も入っていたのでヴァイオリンを持って出かけた。
昨日まで全くそんな気持ちはなかったのに、姉には子供の頃へたくそな練習をさんざん聞かせたのだから、今日は罪滅ぼしに少しはいい音をきかせたい・・・急に思いついた。
楽器も持って行くことだから一曲だけ姉のために弾こう。
時間より少し前に着いたのでヴァイオリンを出して皆が来る前に祭壇の前で「タイースの瞑想曲」を弾いていたら、急にこみ上げるものがあって涙がこぼれた。
式場の人が「タイースの瞑想曲ですね。実はBGMでその曲をかけようと思っていたのです。お花を入れるときに弾いて頂けないでしょうか」と訊いてきてので、もう一度弾く事にした。
納棺の時に私だけ先にお花を入れてヴァイオリンを弾く。
「瞑想曲」とヘンデルの「ラルゴ」
終ってから姉の子供達に感謝された。
次兄が言うには、私が背中にヴァイオリンを背負って合掌していたら、ヴァイオリンのケースからさあっと光が迸ったのを見たらしい。
皆が「きっと姉が感謝してくれたのだ」と言うから、子供の時より少しはましな音を聴いて喜んでもらえたのだろうか。
次兄は数学者だから理屈に合わないことは信じない方で、その兄が見たというのは不思議な気がする。
とにかく順番だから、この先兄や姉達が逝った時にも私はヴァイオリンを弾かないと不公平になる。
私の時は誰が演奏してくれるのかしら。
姉の死は悲しいけれど兄弟が集まって賑やかにしているとマーラーの「巨人」を思い出す。
巨人が死んで森の動物たちが集まって嘆き悲しんでいるが、その内に愉しくなってワイワイ騒ぎ出すというあの音楽。
葬送行進曲から突然田舎の楽隊風になって・・・私が大好きなあの場面が重なり合ってしまった。




















2013年11月14日木曜日

賢い馬さん



自分だけで無く他の馬小屋の鍵も開けてあげる。
頭良いですね。
でもお隣の馬小屋だけ開けてあげないのはなぜ?

2013年11月13日水曜日

ノラの部屋を覗く

ノラのチャアは毎日三回餌を食べに来る。
ノラの分際で贅沢者なのだ。最近はすっかり太ってお腹がタポンとしてきた。そのくせ一向に警戒心を解かない。
人差し指を出すとクンクンと少しだけ匂いを嗅ぐが、決して触れさせようとはしない。
いよいよ寒くなってきたから寝床の心配をし始めた。
去年はうちの駐車場にある壊れた物置の戸を少しだけ開けて、通り道を作って奥に寝床をこしらえた。
そこでなんとか一冬無事に過ごしたのだが、物置を覗いて中の物を盗んでいく輩がいて脅かされるらしく、時々寒風に凍えながらどこかで寝ていたようだ。
今年は先月から物置に新しいベッドを入れて置いたのに、一向に入る様子が無い。
どこかに新しい寝床が見つかったのか、親切な人が家に入れてくれているのかわからないが、餌は毎回モリモリと食べるから飼い猫に昇格したとは考えられない。
駐車場は時々怪しからぬいたずらをする人がいて、先だっては自転車の空気が抜かれてネジが盗まれていた。
そんなわけでノラにとって安住の地とはいかないようだ。
それでも朝ごはんを持って行くと、ノソリと物置から出てくることもあるので、たまには使っているようなので、一体誰が侵入してくるのか知りたいと思った。
そこで監視カメラをつけてみることにした。
幸いそういうことに興味を持ってくれる友人H氏がいる。
お願いしてみると、早速安いカメラを探して取り付けてもらえることになった。
設置場所は物置の中。ノラの様子と泥棒が入った時に顔が写る。
この物置は近所の商店街の人に貸していたのだが、その人が引っ越して行った後覗いたら、荷物がまだ残っていた。
ゴルフセット等だから下手に棄てられない。
それでももう2年以上経ったので、中身を引っ張り出してゴミとして出すことにした。
中は砂利や埃がたまって惨憺たる有様だった。
それを雑巾で拭いてなんとか上っ面だけきれいにした。
段ボールに猫ベッドを入れて置いたので、きれいになった部屋にいそいそとノラが入ると思ったらそうはいかない。
さっきから度々覗くのにまだ入った形跡はない。
ノラにしてみればいつも汚くて居心地が良かったのに、なんで急にきれいに片づいたのか納得がいかず、警戒心をつのらせているにちがいない。しかも棚の上に変な黒い物が置いてある。
これは怪しいと思ったかどうか。
掃除が全くダメなこの私が、せっせと雑巾がけしたのになんてことなの。
カメラはパソコンにつながっているからゲームの途中などで手を休めて、ノラ小屋の様子がわかる。
赤外線(?)カメラだから暗くても驚くほど鮮明に見える。
ただ一つ・・・このカメラも盗まれるのではないかと心配している。
ひとの家に入り込んで物をかすめ取る様な人だったら、カメラなんて上等の獲物にちがいない。
盗んで居る最中には電源も切られているだろうから、カメラも写らないというわけで、そうならないことを切に祈っている。
せめてノラが冬を越すまではカメラも無事でありますように。



























2013年11月10日日曜日

館野泉フェスティバル

ピアノ 館野泉
指揮 野津如弘 コンサートマスター ヤンネ館野
管弦楽 ラ・テンペスタ室内管弦楽団
東京オペラシティー コンサートホール

ノルドグレン:左手のためのピアノ協奏曲
池辺晋一郎:ピアノ協奏曲~左手のために
グリーグ:ホルベアの時代から
吉松隆:左手のためのピアノ協奏曲

館野泉さんは病気で右手にマヒが残ったけれど、動く方の左手を使って演奏活動をしている。
彼のために多くの作曲家が左手だけで弾けるピアノ曲を作曲した。演奏を聴くと両手で弾くのと遜色ないほど、豊かな表現力に圧倒される。
管弦楽はフィンランドの弦楽器奏者と日本の管楽器奏者の共演で、弦楽器の音は独特の透明感を持ち、決して派手な表現に走らず知性的な演奏となっている。
弦楽器の音は不思議に国によって違う。北には北の、西には西の音がする。特にヨーロッパが東西に別れていた頃の東の弦楽器は落ち着いた渋さがあった。
今はそれほどの目立った差は少なくなったが、以前(東西ベルリンがあった頃の)聞いた東ベルリン歌劇場オーケストラのシューベルト「グレート」は未だに耳に残っているほどの素晴らしい響きがした。
ラ・テンペスタの響きはそういった北ヨーロッパの景色を彷彿させるような落ち着きと、内に秘めた強さが感じられる。
音は非常にピュアで、特にヴィオラが素晴らしかった。
その中に溶け込んでピアニスト館野泉さんの音は、あるときは溶け込み、あるときは浮上し自由に駆け巡る。
なんと左手の自在な動きであることか!
右手が不自由なことも忘れてしまうほどの圧倒的な音量。
お若い頃は神経質そうな感じがしたけれど、今は音の世界で遊んでいるかのような自由さと明るさを感じる。
年を重ね、病気を克服されて得た境地であるのかもしれない。
美智子皇后のご来席があって、遠くからであったけれどお元気なお姿を拝見して嬉しかった。










2013年11月9日土曜日

姉の訃報

姉が亡くなった。
私の13歳上の長姉は、6人の兄弟の中でも母親がわりに私の面倒をみてくれていた。子育てで忙しい母に代わって遠足の付き添いや学校行事などにも行ってくれたし、中学校に入るまでは添い寝されていた。
姉は初めての子供というので両親から蝶よ花よと育てられ、家族のアルバムには姉の写真が圧倒的に多い。
私の写真は集合写真がたった一枚、それも母に抱かれて反っくり返っていたので、顔半分が兄弟の陰になっているものだけ。
それに引きかえ姉は、お宮参り、小学校入学、就職時など節目毎に写真やさんが撮ったと思える写真が沢山あった。
しかも若い頃は女優さんのようにきれいだったので、撮るほうもさぞ張り合いがあったことだろう。
私はこの姉の影響が強く、読書家だった姉の本を片っ端から読んで、小学生のうちに世界の名作と呼ばれるような作品を大量に読破していた。
姉からのクリスマスや誕生日のプレゼントはいつも本だった。
その姉が結婚したハンサムで優しい義兄は、酔っ払うと「べサメムーチョ」や「愛の賛歌」などを歌って姉に捧げていた。
すごく仲の良い夫婦だったが、義兄は10年ほど前に他界して、姉は息子と暮らしていた。
更年期には精神が不安定になり兄弟で心配していたが、それもようやく落ち着いてきた頃心臓を痛めて入院、外出も運動もせず美味しい物に目がなかったことが原因のようだ。
不摂生のため晩年は美貌が失われ魔女みたいになったけれど、生涯誰からもお姫様状態で扱われたので大人になっても我儘ぶりは目に余るほどで、治療した医師も手を焼いていた。
それでも心根の優しい頭の良い姉だから、兄弟たちからはおねえちゃまと呼ばれ慕われていた。
なんでもおねえちゃまが1番、次が長兄、その次が末っ子の私で、間にいる兄弟達は狭間にいる悲哀を嘆いていたけれど、本当に仲の良い6人兄弟だった。
両親からも夫からも惜しみない愛情を受けて育ち、子供にも恵まれて幸せな生涯を閉じた姉。
贅沢な人だったから、犬も血統書付きの秋田犬などを飼って甘やかし過ぎてダメ犬にして、次の犬もダメにして・・・・たぶん自分が両親から甘やかされたようにして、次々とダメ犬を製造する名人だった。(そのわりには、子供達はまともに育っている)
きっと今頃はあの犬たちが尻尾を振って迎えてくれているし、義兄は姉に会えるのがうれしくて『ベサメムーチョ』を熱唱していると思う。












2013年11月6日水曜日

ホワイトライオン

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すごくきれいなライオンさんの画像みつけました。
真っ白だと危険な動物だと思えなくなりますね。

同窓会

今までほとんど出たことのない同窓会に出席しようと思ったのは、中学から一緒のМさんからの誘いだった。
私が入学した中学はいわゆる良妻賢母を育てることをモットーとした女子高だった。
そんな規格にはまったくはまらない私は入学した途端しまった!と思った。校風にまったく合わせられない、礼儀作法、裁縫などの授業があって、それはまったく退屈でこんな学校にはいられないと思っていた。
そのまま大学まで行くのは苦痛だけれど、ほかになんの考えもなかったから仕方無く登校していたようなものだった。
その時別のクラスだったけれど、私がヴァイオリンをやっていると聞きつけてやってきたのがМさん。国立音大に付属高校があるので受けてみない?と言われてなんの考えもなく一緒に受験したら合格してしまった。
親はあわてたけれど私はつまらない中学校とおさらばできるので大喜び。それからの高校生活はまさに水を得た魚、今までの暗い学校生活から打って変わって、世の中が急に明るくなって、それ以来私はすっかりネアカになった。
そのМさんから今回の同窓会に誘われたので、たまには行ってみるかと腰を上げたが、言いだしっぺのМさんは出られなくなってしまった。
今日一関の駅に集合した一行はバスで中尊寺に向かう。そこで管主さまのご講話を聴くことができた。
次は毛越寺。紅葉は毎年今頃が見どころだそうで、楓もだけれど、満天星つつじの葉の紅葉は燃えるように赤く、目を楽しませてくれた。
なぜ一関でクラス会になったかというと、声楽科のT子さんが今回宿泊するホテルの経営者だという。
いろいろ書類はもらったのに、取説と一緒で私は読んでこなかった。
みんなを駅で待っている間やっと目を通してみると、なるほどそういうことだったのかと納得した。駅前にももう一つ彼女のホテルがあるが、今回は中尊寺に近いほうの立派なホテルに泊まることになった。
彼女がお付き合いのあるのおかげで管主さまのお話も聞けたし、特別のエリアにも入れたし、夕食も信じられないほどの料理が出て、二次会もホテルのロビーわきの一室を占拠させてもらった。
総勢15人の私たちに沢山のホテルマンがついてくれて、なんだかもったいないような気がする。
こんな世界もあるんだなあと日頃の貧しい生活と比べて夢見る気持ちだったが、ここまでになるまでの彼女の努力たるや並大抵ではなかったようだと、言葉の端々から感じられた。
事業に成功してウイーンフィルの演奏家を招いて中尊寺の能楽堂でコンサートを開くなど、様々な音楽活動をしているという。
東日本大震災の時にホテルの調度品や食器類などに多額の被害を受けたので、大変だったとのこと。
町中でも商店のガラスが大きくひび割れて、傾いている家がまだ見受けられた。こんなことが昔話になるのはいつのことだろうか。
まだまだ東北は大変な荷物を背負って生きていかねばならない。
私たちはそれを決して忘れはしない。










2013年11月4日月曜日

東北の秋

明日から高校の同窓会で平泉などをバスで旅行する予定なのだが、私は一足お先に一関に来てしまった。
それというのも今日、奥州市文化会館で新潟と奥州市のアマチュアチェリストたちの合同演奏会がある。
指導者は舘野英司さん。私の古い知り合いで、今年松原湖のコンサートでドボルザークのピアノ五重奏曲を一緒に演奏した。
そしてメンバーの中に私の教え子のkさんのご主人がいて、私が指導している弦楽アンサンブルのメンバーでもある。kさんも一緒にこちらに来ている。そんなわけで牛にひかれて・・・じゃないけど水沢江刺までのこのこ来てしまったというわけ。
前日kさんから東北は寒いですとメールがきたので、さあ大変。
荷物は前の日に送ってしまって、薄いダウンジャケットがスーツケースに入っているが、それでは駄目かなあ。
厚手のジャケットを取り出した。でも、これでは東北に着く前に汗びっしょりになりそうだ。寒かったら重ね着すればいいと思い、厚手のジャケットはおいていくことにした。
それで正解だった。到着した水沢江刺は上天気で、駅前はすでに紅葉した木々が迎えてくれたが暖かい。会場にはバスで向かう。
20名弱のメンバーだが、チェロのように大きな楽器だとかなりの存在感があるが、始まった時にはなにやら頼りなげな音がした。
これだけたくさんのチェロなのに、音はこれだけ?みたいな。
無理もない、いつも一緒に弾いているわけではなく、ほんの2日くらいの練習だったらしい。
ところが進むにつれてどんどん響きが充実してきた。
すごいすごい!小川が集合して大きな川になるように皆が一体となって、思わず涙ぐみそうになった。
東北がんばれ!楽天も優勝して東北はどんどん回復していく。
終わって皆さんとお別れして私は一人一関に向かった。
タクシーで水沢駅に行くと東北本線が事故で止まっていたので、すぐに新幹線の方に回ってもらった。乗車券だけで振替輸送をしてもらい一関に着いたのは夕方5時頃。
夕食を食べようと街に出てもお店はあまりなく、町は閑散としている。
震災のせいかまたは元々静かな町なのかはわからないが、ちょっとお酒が飲めて美味しい魚が食べられるようなところが中々みつからない。何回も駅前をぐるぐる回ってやっと見つけたのは静かな小料理屋さん。
ウニとサンマの刺身を頼んで熱燗を頼んだ。
やはり夜になると少し肌寒いので温かいお酒がすごくおいしい。
ご飯とイカ納豆、キムチ、お吸い物、ウフフ美味しそうでしょう?
本当においしかった。特にウニはたっぷりあって、750円!
サンマも東京ではこんな新鮮なものにはお目にかかれない。
しっかりとした身で味も濃い。これだから旅はやめられない。
明日から高校の同窓生と合流して中尊寺や毛越寺を巡ることになっている。大勢も良し、一人旅も良し。
















2013年11月3日日曜日

退役軍用犬子猫にメロメロ



そのうち猫の下僕にされるのに。気をつけて、ワンちゃん。
        犬はお人(犬)良しだから。
 でもこんな可愛い子猫を見たら、私もメロメロだなあ。

2013年11月1日金曜日

自転車こわい

「そんなことすると警察に捕まっちゃうよ」「なんで?」「無灯火はいけないんだからね」自転車に乗った母親と息子の会話。
そう言いながらおかあさんはスイスイと一時停止を停まらずに横切って、優先道路の自転車とあやうく接触するところだった。

先日自宅付近でのこと。
車を運転していたら、横道から目の前をかなりのスピードで自転車が飛び出してきた。
急ブレーキを踏んで停まったけれど、助手席に乗せてあった買い物が床にころがって惨憺たる有様となった。
にも関わらず前と後ろに子供を乗せたママチャリは平然と車の前を横切ろうとする。思わず怒鳴ってしまった。
「あなた、子供を殺す気!」
(私子供居るし~いそがしいし~だから~そちらが停まってくれるのはあたりまえじゃない)内心の声が聞こえる。
子供を乗せた自転車の無神経さ、殆ど信じられない。母親は時間に追われてというけれど、なんでも5分くらい余裕をみればいいことなのだから。
私は自分でも自転車に乗るが、車の運転もするので必ず交通法規は守る事にしている。
一時停止も左側通行も守る。無灯火は絶対しない。
これは前にも書いたけれど、数年前に飛び出し事故をもらってしまった。
私は広い道を自転車で走っていた。と、急に見通しの悪い細い路地から自転車が飛び出してきた。しかも大きな道に対して真横に出てきたものだから、私の自転車とぶつかることは必至。
そのとき私の脳みそはものすごい勢いで働いた。
ぶつかるまでのほんの一瞬で、後ろから車の来ないことを確認。だから私はどちらに倒れても大丈夫。
だけど前かごにある荷物がこわれないようにするには、左に倒れるっきゃ無い。
しかもこの自転車に真横からやられたらすっ飛んでしまう。
スピードを上げて前に出よう。
そして鈍いおばさんの乗った自転車は、私の自転車の後輪にぶつかって転倒した。
私は猫のように自転車だけ倒れて、無事に着地したので怪我はなかった。
その人は地面に転がって呻いていたけれど、情け容赦も無い私は「なんで飛び出すの。もし私が車だったらあなた死んでたわよ」ビシバシ叱責する。
動けないおばさんは私が起こした自転車につかまって立とうとする。自転車がぐらつくから立てるわけないじゃないの。
「危ないから端に寄って」と、ガミガミ言う。
ズルズル体を引きずっておばさんは端に寄り、情けない声で足が痛いというので、家を訊くと近所だという。
携帯で家族に電話して迎えにきてもらうことにした。
その人の飛び出してきた道路は人がすれ違うのがやっとと言うほどの狭い道で、大きな道に出る手前には止まれという文字と、靴跡の絵が描いてある小学校の通学路。
周りに家と大きな木があって、見通しが悪い。
そこをすごい勢いで飛び出すなんて、命知らずにも程がある。
「いいわね、迎えが来るまでじっとしていらしゃいね」言い捨てて返ってきたけれど、腹が立つ。
もし自分が車を運転していたらと思うとぞっとする。
特に子供を乗せたおかあさんが雨の日に傘を差して、携帯片手にかっ飛ばしているのを見ると、目が・・・になる。