2013年11月6日水曜日

同窓会

今までほとんど出たことのない同窓会に出席しようと思ったのは、中学から一緒のМさんからの誘いだった。
私が入学した中学はいわゆる良妻賢母を育てることをモットーとした女子高だった。
そんな規格にはまったくはまらない私は入学した途端しまった!と思った。校風にまったく合わせられない、礼儀作法、裁縫などの授業があって、それはまったく退屈でこんな学校にはいられないと思っていた。
そのまま大学まで行くのは苦痛だけれど、ほかになんの考えもなかったから仕方無く登校していたようなものだった。
その時別のクラスだったけれど、私がヴァイオリンをやっていると聞きつけてやってきたのがМさん。国立音大に付属高校があるので受けてみない?と言われてなんの考えもなく一緒に受験したら合格してしまった。
親はあわてたけれど私はつまらない中学校とおさらばできるので大喜び。それからの高校生活はまさに水を得た魚、今までの暗い学校生活から打って変わって、世の中が急に明るくなって、それ以来私はすっかりネアカになった。
そのМさんから今回の同窓会に誘われたので、たまには行ってみるかと腰を上げたが、言いだしっぺのМさんは出られなくなってしまった。
今日一関の駅に集合した一行はバスで中尊寺に向かう。そこで管主さまのご講話を聴くことができた。
次は毛越寺。紅葉は毎年今頃が見どころだそうで、楓もだけれど、満天星つつじの葉の紅葉は燃えるように赤く、目を楽しませてくれた。
なぜ一関でクラス会になったかというと、声楽科のT子さんが今回宿泊するホテルの経営者だという。
いろいろ書類はもらったのに、取説と一緒で私は読んでこなかった。
みんなを駅で待っている間やっと目を通してみると、なるほどそういうことだったのかと納得した。駅前にももう一つ彼女のホテルがあるが、今回は中尊寺に近いほうの立派なホテルに泊まることになった。
彼女がお付き合いのあるのおかげで管主さまのお話も聞けたし、特別のエリアにも入れたし、夕食も信じられないほどの料理が出て、二次会もホテルのロビーわきの一室を占拠させてもらった。
総勢15人の私たちに沢山のホテルマンがついてくれて、なんだかもったいないような気がする。
こんな世界もあるんだなあと日頃の貧しい生活と比べて夢見る気持ちだったが、ここまでになるまでの彼女の努力たるや並大抵ではなかったようだと、言葉の端々から感じられた。
事業に成功してウイーンフィルの演奏家を招いて中尊寺の能楽堂でコンサートを開くなど、様々な音楽活動をしているという。
東日本大震災の時にホテルの調度品や食器類などに多額の被害を受けたので、大変だったとのこと。
町中でも商店のガラスが大きくひび割れて、傾いている家がまだ見受けられた。こんなことが昔話になるのはいつのことだろうか。
まだまだ東北は大変な荷物を背負って生きていかねばならない。
私たちはそれを決して忘れはしない。










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