2011年6月30日木曜日

ほったらかされっこ。

ヴァイオリンを始めても、レッスンにつれていってくれたのは兄。小学校の遠足の付添は姉。中学の入学式も兄。中学受験も高校受験も全部自分で決めた。願書を出したのも自分で。ヴァイオリンの先生に付くときも、一人であいさつに行った。だからずいぶん行き届かないことが多かったと思う。発表会の時には先生が、あまりにもひどい楽器を気の毒がって、楽器屋さんからわざわざ楽器を借りてくださった。どの先生からもとても可愛がっていただけたのも、不憫だったからだと思う。袖口がボロボロのセーター着て、髪の毛もぼさぼさ、全部姉の・・・それも13歳も年上の姉のお下がりを着ていた。長姉は最初の子だから蝶よ花よと育てられ、いまだにお姫様やっている。たしかに物は良いものだったので長く使えたようで、でもそれが私のところに回ってくるころにはすでに古色蒼然、中学の制服までお下がり。かばんも13年前あるいはそれ以上前のもの。よくしたもので私はそんなことは別になんとも思わない。ぼんやりした子供だったので、普通の子が恥ずかしく思うことも気がつかない。小さいころからそうされていたので、もう、人生そんなものとあきらめていたのかもしれない。音大付属高校に入ったとき、さすがにおんぼろヴァイオリンは悲しくて、まず弓を買うことを決意した。おこずかいをケチって毎日お昼はもりそばのみ。高校の時からスタジオのアルバイトなどもあったから、それを貯めて弓を買うと言ったら、初めて母がかわいそうだと思ったのか、楽器を買ってくれた。やっと人並みの楽器を手にして、それから何台も楽器は変わったけれど、全部自分で買ったので、われながら偉い!と思っている。ほとんどの人たちは親御さんの意志でヴァイオリンを始めている人が多い。だから初めから先生も選び、楽器も良いものを与えられ、基礎訓練をみっちり受けている。それに引き替え私は、母親がヴァイオリンに反対だったので、ここでもほったらかし。好きな時に好きなだけ好きなように弾く。今こうして、ちゃんと訓練された人たちと一緒に仕事をしているのが不思議に思う。型にはまらないことを個性と言うならば、おかげで個性だけの人間が出来上がってしまった。野生のヴァイオリニストなんてキャッチフレーズはいかが?

2011年6月29日水曜日

これ変

「たまトラ」の投稿者はユーモアのセンス抜群。変な動画をよく見つけてきます。






どうやっているのか?????

病院のコンサート

2か月前に弾かせて頂いた慶友病院での患者さんのためのコンサート。今回もヴィオラFUMIKOさんが声をかけて下さったので、二つ返事で弾きに行った。よみうりランドの高台にあるが、一流のホテルのような雰囲気。さぞかし入院費も・・・と下種の勘繰り。私にはとても入れそうもない雰囲気に、残念ながら終の棲家にはならないと実感する。私ならもう少し下のランクの病院でどんちゃん騒ぎをして、看護婦さんに叱られながら息を引き取る図が目に浮かぶ。昨夜は午前のコンサートに備えて、少し早めに就寝した。早起きしようと思っていたのに、いつもより寝過ごした。目がさめてもなんだかすっきりしない。寝すぎたのかもしれないが、最近少しずつ体調が落ちてきている。やはり、もう若くはないことを実感する。今日の日差しの強いこと!なんて暑い。暑さに弱い私はあたまがくらくらする。FUMIKOさんの親友のTさんがお世話と司会を担当。演奏が始まるとFUMIKOさんの元気がいまいち。あとで訊いたところ、始まる前に女性の患者さんがみえて「常磐津とか小唄はないの。つまらなかったら聴かないで途中で帰るからね」と脅されたそうだ。どうやら最近入院したばかりの方らしく、ここに入れられたことが不満で家に帰りたがっているようだ。そんなことくらいでへこむなんて可愛らしいこと。今日は2回同じプログラムで演奏をした。2回目はそんないじわるさんもいないのでFUMIKOさんも伸び伸びしていた。今日私は集中力に欠けていて、ミスが多かった。そこは古狸だから、ごまかすのは上手い。あまり気付かれないとは思うけれど、自分の中ではちょっとペケだなあ。2000人の大ホールで弾くのも、10人の人の前で弾くのもいつでも同じに緊張する。特に午前中というのは、調子が悪い。たいがいのコンサートは午後7時開演だから長年の習慣で、その時間にピークが来るようになっている。いいわけがつい愚痴になる。先日チェーンソウのことで助言をくださったのがTさん。この付近の女子大の先生。学校付近は森が多いので、手入れのプロにあげたら喜ぶとのこと。それで学校に寄付。よかった。お嫁いり先が見つかったチェーンちゃん。大事にしてもらいなさいね。

2011年6月28日火曜日

これおもしろい。



「たまトラ」から拝借。盗賊カモメがビデオカメラを盗んだ映像だそうです。いったいなんだってビデオカメラなんか盗んだのか?ところどころ本人(本鳥)が写っているのもおもしろい。目が真ん丸でかわいい。猫が気絶寸前みたいな鳴き声は、餌じゃなくてがっかり・・・みたいな。

ほったらかしの薦め

痛さには強いほうだ。子供のころはほったらかしにされていたので、転んだり木から落ちたり、三輪車で猛スピードで坂を下ってこけたり、まあ、いろいろやってのけていて怪我が絶えないのに、親は治療もしてくれない。気が付かないほど生活が大変だったのだと思う。6人の子供がいて、姑が寝たきりで、母はそれこそ目が回る忙しさ、今のように洗濯機もなくて、子供たちの衣類の洗濯だって重労働だったはず。その上父は遊びたがり屋で私にそっくり。いや、私が父に似ているのか。昔の男だからうちの手伝いなんて一切しない。町内のボスとして外面が良くて、しょっちゅう人を呼んで宴会をしている困った人だった。だから末っ子が多少の怪我をしても、誰も気がつくはずがない。傷口が膿んで熱を出しても一人で耐えなければならなかった。命にかかわらなければ、放っておかれた。自分で薬を塗ったり、医者にも親が付いていくなんてまずない。小学生の時から一人で病院に行っていた。今どきの親なら信じられないでしょう、こんなこと。そんなわけで、かなり痛みには耐えられる。泣いても騒いでも誰もどうかしてくれるわけじゃないから、泣かない子供だったけれど、一度だけ大泣きしたことがある。蜂に刺されてあまりの痛さに、さすがに母に慰めてもらいたくてベソをかいていたら、「いつまで泣いているの、ままっ子みたいに」と叱られた。痛みで泣くより、ままっ子に反応して、もう悲しくて悲しくて、ワッと泣き出した。末っ子はいつも兄姉のおもちゃ。よく「あんたはね、橋の下で赤いおべべを着て捨てられて泣いていたのを、かわいそうだからってひろわれたんだよ」こう言って私がベソをかくとどっと笑うひどい姉たち。だから、ままっ子は私にとって禁句だった。体の痛みは平気だけど、心の痛みには弱い。私がほいほい外国に一人で行くと皆驚くけれど、子供の頃から一人でなんでも考え実行するほうだったから、どうということはないのです。

2011年6月27日月曜日

チェーンソウその後

今日はヴィオラのFUMIKOさんとリハーサル。以前よみうりランドにある慶友病院で、患者さんのためのボランティアコンサートで弾かせてもらった。その第2弾。あさって本番。第1回目の時にお世話になったFUMIKOさんの親友Tさんは美術の先生だそうで、このnekotamaも読んでくださっているらしい。今日FUMIKOさんからTさんの伝言が届いた。Tさんは学校でのこぎりなども使うらしいが、チーェンソウは危険だからやめるようにとのこと。せっかく身支度を揃え、後は耳栓をゲットするだけになっていたけれど、やはりそうか。見るからに危険そうだし、実を言うと、昨日ちょっとスイッチを押す練習しただけで手が痛くなって、そのあとしばらくヴァイオリンが弾けなくなった。弓が持てない。今日やっと回復したところ。「たまトラ」にも普通ののこぎりが推薦されていたので、ここはおとなしく電動ノコに切り替えよう。7月に軽井沢に行く予定で、薪つくりにも役立つと思ったけれど、チェーンソウはだれかにあげてしまってもいい。Tさんが学校で使うなら備品にしてもいいし、軽井沢に持っていけば喜ぶ人がたくさんいそうだし、無駄にはならない。ただ、開けるときに箱をボロボロにしてしまったのが悔やまれる。中々開けられないから、エイッとばかりに破いてしまった。不器用でせっかちはどうしようもない。FUMIKOさん曰く。「ヴァイオリンの弓しか持ってはいけない手なのよ。」だからと言ってヴァイオリンを持っても上手くないから、猫の手よりも始末が悪い。明日あたり電動ノコが届く。今度はどうかなあ。楽しみだなあ。

ちなみにFUMIKOさんのブログはこちらから。愛犬との生活が赤裸々に?(うそ)すてきなページです。そこに出てくる親友NがTさんです。
http://ameblo.jp/f-crescente/

美容師

かかりつけの美容師のKさんは一時期、飛ぶ鳥を落とす勢いのカリスマ美容師だった。原宿の一等地に大きなお店を構え、女優さんや音楽関係者が目白押し、いつ行っても繁盛していたのに、ある日ふっとお店がたたまれて所在が分からなくなってしまった。当時の相棒だったもう一人の美容師さんに訊いても行方を教えてもらえなくて、結局その人ににお願いすることになったのに、やはりセンスが違う。私にとってはカットするときの思い切りの良さが忘れがたい。それから10年後くらいにひょんなことから電話番号がわかったので電話してみた。電話の向こうでは少しとまどって明らかに覚えていないらしい。でも、それ以来またカットしてもらっている。いろいろいきさつを聞くと、聞くも涙、語るも涙・・・奥さんが無類の動物好きで捨て犬、捨て猫を保護すること約100匹、お金を貯めてもう老後は安泰のはずだったのが、1年で全部犬猫の餌代と治療費に使われてしまって、ほとんどなくなっていたという。なんて豪快な奥さん!おこったKさんは離婚を決意、うちを飛び出してマンションを借りて一人暮らしを始めた。以前のお客さんも来てくれたけれど、また奥さんが同居を始め、そこに性懲りもなく捨て猫を数匹連れてきた。私が再会したのがその頃で、美容室にはよぼよぼの猫がいて、窓からは外猫が覗き込み、美容室にあるまじき汚さ。結局お客さんの半分に逃げられ、そこも居られなくなって、よその美容室の椅子を一つ借りて自分のお客さんだけとっている。ブツブツぼやく。「女房のやつ、金を全部使ってしまって、今頃は仕事せずにのんびりしているはずだったのに」「でも、仕事やめてなにするの」「なにって・・・」「仕事すきでしょう?まだ仕事ができるのは幸せじゃない?」「うーん、そうだね」ほらね、やめるなってことなのよ。今私の髪の毛は3センチくらいに潔くカットされ、大好きなベリーショート。こんなに思いっきり切ってくれる人はあまりいない。これで顔の形が卵型だったらどんんなに良いか。ぷっくらほっぺがうらめしい。

2011年6月26日日曜日

歯磨きの効用

散歩用のパンツを履こうとして気が付いた。ウエストがゆるい!よくテレビでダイエットの使用前使用後を見せる。これが以前はいていたもの、今こんなにブカブカなんて。そんな感じで、前にかなり隙間ができる。ワオ!私もしかしたら痩せたかも。鏡を見ると相変わらずポッチャリとしたほっぺがうつるけれど。・・・最近歯科医に通っている。歯茎に炎症がおきて中々なおらないからブツブツぼやいていたら、歯科医を紹介してくれる人がいて只今治療中。毎日の歯磨きが大変。まず、オレンジ色のドロドロの液体を歯ブラシにつけ、上2分、下2分、歯茎に万遍なく行き渡らせる。そのあと、水歯磨きで5分、普通に磨く。そして最後に口全体をプールの消毒に使う液体でうがい消毒。これが30秒。トータル9分30秒。それを食後毎回、となると、面倒で間食もできなくなる。前には食事の合間にチョコレートやケーキなどもちょこっとつまみ食いしていたものが、歯磨きのことを考えるとできなくなってしまった。これで治療はすまない。この後薬を投与され、経過を見ることになる。疲れると歯茎が腫れることがあったけれど、こんなに長く治らないのは初めて。歳をとって免疫力が落ちてきたか、あるいは、今まで忙しくて気が付かなかったのか、とにかく徹底的に治してしまおうと決意した。歯磨きのせいだけでなく、歩き方にもダイエット効果があったかもしれない。以前私を担当していた整体師から教わったモデル歩き。一直線を歩く。結果としてお腹が斜めに動く。それを散歩のときにやっている。妙に腰を振って歩くので若いころだったら恥ずかしくてできなかったと思う。いまや、人がなんと思うかなんて気にしないから、平気でそのスタイルでカラスに会いに行く。シャナリシャナリと歩いて行くとカラスが寄ってくるのです。カラスが好きな人はおためしあれ。

廣戸道場2

原宿の廣戸道場に月一回通っている。なにをするのかというと、自分の体の使い方を見つけるために。たとえば体の重心といっても、様々なタイプの人がいて、それぞれ足のどこで重心をとれば一番安定するのかを見極める。廣戸先生はそれを4ッつのタイプにわけて、各々A1タイプB1タイプなどとわけ、その重心のひとたちにもっとも適した体の使い方を指導している。私はB1タイプで、肩の上げ下げにしても、脇の下からあげていくと楽に上がる。ところが真反対の人もいて、肩から上げないとつらいという。物を握るとき、人差し指と親指が近い状態で握るか、薬指と親指が近い状態で握るかだけでも、重心が変わるなんて信じられます?でも本当に全く変わるのでビックリ!私は人差し指形だから薬指で握ると、全く重心がとれなくてふらふらしてしまう。最初に行った時にそれを教えられて、本当に驚いてしまった。家に帰ってヴァイオリンを様々に姿勢を変えて弾いてみた。私の場合、左足に乗り込んで鳩尾、胸、首を一直線にそろえると、音が変わる。なるほど。弾いている時はなにも考えないで、たぶん自然にやってはいるのだと思う。でも、時々どうにもならないくらい調子の悪い日がある。その時はどこかずれてきているに違いない。野球やゴルフの選手などはほんの少しのぶれが命取りになりかねない。だからスポーツ選手がたくさん通ってきているというのも納得できる。廣戸先生はちょっとジャッキーチェーン似の男性としては小柄な方だけれど、穏やかで体育会系というタイプではないのがいい。いつもユーモアを交えて楽しく1時間。もっとも私たち高齢(妙齢でないのが残念)の女性たちでは、そうハードに訓練するわけにはいかないと思うけれど、全員楽器奏者なので、それに合わせてプログラムが進んでいく。スポーツ選手ならまた別のやり方になるのだと思うけれど、一度見学してみたい。スキーのためのエクササイズなどもいつか教えていただこうと思っている。

軍手

チェーンソウを使うための準備。まず、軍手。滑り止めのついたもの。商店街をぶらぶらしていたら、横道を入ったところに小さな間口の古いお店があった。私が生まれ育ったこの町は、10年くらい前までは古いお店が軒を連ねていた。その後新しいチェーン店が入り込み始めると、アッという間に様変わりして、今はわずかに取り残された古いお店が横道に並んでいる。おじいさんが一人で店番をしている一番道路際に軍手を発見。見れば捜していた滑り止めつき。でも、束になっている。こんなにはいらない。ばらで売っていただけますか、と聞くとオーケーだった。「一足40円」軍手は一足ってかぞえるの?訊いても返事はない。足に履くものではないから、一足とはいわないでしょう。一手というのもおかしい。ご存知の方いらっしゃるかな?一対というのも大げさ。はて。手袋の数え方なんて考えたこともなかった。今度、デパートの手袋売り場に行ったらきいてみよう。その次に耳栓探し。いったいどこで買えるのかしら。ちょっとためしにのこぎりのスイッチを入れてみたら、ものすごい音がして、これは我慢できる範囲をこえている。うっかりすると耳をやられてしまうから、絶対に必要。百円ショップ?・・・ない。眼鏡屋さん?通り越して来てしまったので、戻るのは面倒。
月曜日になったら耳鼻科のお医者さんに訊いてみよう。ヘルメットは乗馬用、スキー用いろいろそろっている。靴はスニーカーでいい。だんだん面白くなってきた。普通の住宅地で細い枝を切るのにヘルメット、ゴーグル、軍手の重装備で木を切っている変なおばさんを見かけたら、お立ち寄りください。たぶん、それは私ですから。ついでに作業服も買おうかしらなんて。

2011年6月25日土曜日

チェーンソウ

いつものこぎりを演奏しているけれど、本物はあまり使ったことがない。生えてしまった木が繁茂しすぎていよいよ手に負えなくなってきた。いままでは枝切り鋏でなんとかしていたけれど、もう太さも中々のものとなって、これはちゃんとしたのこぎりが必要だわいと思い、電動ノコを買うことにした。
「たまトラ」というサイトに電動ノコのおすすめを選んでもらって、アマゾンに注文したものが届いた。「たまトラ」にはチェーンソウと普通の電動ノコがピックアップされていたが、ろくすっぽ説明も読まず、デザインがかわいいからチェーンソウをたのんだ。たしかに黄色いかわいらしいのこぎりが届いたけれど、操作説明書を読んだらさすがにちょっとビビッている。歯を見るとチェーン状の恐ろしげなもので、手で引っ張ってゆるみが2~4ミリと書いてある。引っ張ってみたが、私のゆるーい引っ張り方でもいいのかしら。もっと力のある男の人ならもっと引っ張れそう。それから安全ボタンを押さないとスイッチが入らない仕組み。これは必要だけど、握りが太くて安全ボタンを押しながらスイッチを入れるのは、私の手の大きさでは至難の業。もうそれだけで指がつりそうになる。しかも、作業に際しての注意事項、服装はヘルメット、ゴーグル、軍手、作業靴(滑り止めのついているもの)長袖着用などと書かれ、いかに危険であるかを思わせる。その上耳栓、よほど音が大きいらしい。わーん、女性にも優しい電動ノコはないのかしら。「たまトラ」を後でちゃんと読んだら、家庭用なら普通の電動ノコのほうがいいでしょうとなっていた。電動チェーンソウを使ったら手が震えて、のこぎり(ヴァイオリン)がひけなくなったらどうしよう。

ゴンべさん

巨大猫だったゴンべは唯一さん付けで呼ばれていた。あまりにも大きいので、はじめてみた人はぎょっとするらしい。遊びに来たギター弾きが「うわー、でかい!バス三味線ができるなあ」と叫んだほど。自分も猫好きなのにひどいことを言うものだ。ゴンべがうちに入ってきたころ、先住民はニブ、トッポ、ナオコ、そのナオコが脳腫瘍で死んで空きができたので、入ってきた。初めはおとなしくしていたのに、しばらくするとトッポをいじめるようになり、トッポはおびえて家に入れなくなってしまった。見かねてゴンべを叱りつけ、優先順位をわからせようと努力した結果、いじめてはいけないということは理解したらしい。でも、本能が表に現れジーッと睨んでしまう。その視線に気が付くと新聞紙を丸めて、バシッと近くの床を叩いてわからせる。もう忙しいのなんのって。ねこにしてみれば猫社会の掟があって当然のことをしているに過ぎない。ゴンべはあきらかに体力があって、優位に立てるはずなのに、私のおせっかいで第三猫に成り下がっている。悔しかったにちがいない。その体の大きさからも体力からもずば抜けていたゴンべが唯一尊敬していたのが、ニブ。ニブは体が小さくて病気の猫だった。でも、眼光は炯々としていて、落ち着きはらい、すべての猫を受け入れ、新人いじめを全くしない。それでいて、うちの猫たちを外敵から身を挺して守る。まさに男の中の男。ニブが食事をしている間ゴンべは決して口をつけない。ちゃんとしっぽを体に巻きつけて、じっと見守っている。ニブが終わるとやっと自分が食べる。それは驚嘆に値する光景だった。それに引き替えトッポはお構いなしに食べる。ゴンべにしてみれば、本当に苦々しくてトッポを益々いじめたくなっただろう。ちなみにトッポと私は体型も性格もそっくり。私を見るとイライラするひとの気持がよくわかるから、こちらは気にしないことにしている。それが益々イライラのもとかにゃ?

ノラは再び屋根に

今朝物置の屋根に見慣れない三毛猫発見。三毛だからメスに違いないが、優しげで毛艶もいいところを見ると近所の飼い猫だと思う。呼びかけるとびっくりして逃げて行った。昨日は白黒ツートーンカラーの猫がうちのガレージに現れた。ご近所に猫好きは多いけれど嫌う人もいるので、なるべく外に出さないようにしている家が多い。それでも、この暑さのせいかうちに来るノラのせいか、やたらとねこを見かける。そしてうちの(?)ノラは物置の屋根をすっかり自分のテリトリーにしたみたい。いずれはうちで飼ってあげないといけなくなったが、全く近寄れないので、さて、どうしたものか。自由を謳歌しているノラには迷惑な話だけれど、放っておくと毒にやられるか虐待されるかだから保護したい。しなかったせいで今まで何匹もの猫が死んでいるのだから。ノラが野垂れ死にするのは野良猫の本来かもしれない。それより自由が欲しい、そういうかもしれない。でも、最後はいつも私のところに来て、お別れを言ってくれるノラたち。本当はうちに入りたかったのかな、といつも思う。表現の方法がわからなくて、それまで、さんざんいじめられたせいで上手く意志が伝えられなくて、うちの子になりそこなってしまったのかもしれない。一番心に残っているのはトラ次郎と名ずけたノラ。大きな立派なトラねこで、飼い猫が迷ってきたらしい。性格が良くてゴンべと名ずけたもう一匹のトラ猫とコンビで餌を食べに通ってきたいた。寒くなるとしきりに家に入りたがり、ホットカーペットの上で気持ちよさそうにゴロンゴロンと寝返りを打って喜んだ。でも、すでにうちには4匹猫がいて、もう限界。だから外で暮らしてね、と物置にゴンべと一緒に住まわせていた。ある日がギャーっと絶叫が聞こえ、それっきりトラ次郎は姿を消した。その頃も相次いで猫が死んでいった時期。その後ゴンべは運よく空きができたうちの猫となり、私に抱かれながらあの世に旅立っていった。返す返すも、トラ次郎を入れてあげなかったのを悔やんでいる。トラ次郎、本当にごめんね。

2011年6月24日金曜日

可哀想なノラ

お向かいの屋根からうちの物置の屋根に移動して、毎日玉三郎以下3匹とご対面していたノラ。めっきり姿を見せないと思ったら、よほどいじめられたらしい。前には私を見ると優しげに「にゃんにゃん」と声を出していたのが、もう一声も鳴かない。近ずくとふーっと言って威嚇する。それでもうちは安全だとわかっているらしく、まいにち物置の屋根で過ごしているようだ。でも、絶対にお向かいのうちの屋根を歩かなくなったのは、よほど怖い目に合わされたに違いない。とにかく度を越した意地悪さでねこをいじめる。以前そこの奥さんがうちに子猫を連れてきた。「息子がひろってきちゃったの、奥さんどうにかしてよ。」おしつけて帰って行った。子猫は顔に真っ赤にマジックペンで落書きされて、手を出すとおびえて唸る。本当にひどいこと。ふつう子猫を人に飼ってもらうには、昔から鰹節をつけるのが礼儀。今なら猫カンの5個くらいはつけてお願いしますというのが当たり前。いきなりポイと押し付けて帰るなんて、礼儀知らずもいいとこ。怒りながらもトッポちゃんと命名してかわいがっているうちに、手を出すとその手に顔を擦り付けるようになった。なにかの時にその猫のことをお向かいさんに話すと「あら、まだ生きてるの」すごい言葉が返ってきた。なにか虫けらのように考えているらしい。ねこを虐待するくらいだから、人間も平気でひどい目に合わせそうな気がする。早朝から怒鳴り声が聞こえて、私が思わず「すみません」と言いそうになる。ノラは今日も物置の屋根にいて、窓から見るとじっとこちらを見る。ついこの間までは私の1メートル圏内までは安心して来ていて、もうすぐナデナデできそうだったのに。冬が来たらうちにいれてやろうかと考えていたのに。もう、人間不信になってしまったこの子は野垂れ死にするかも・・・いやなことだけど、一度いじめられてからは信用回復はなかなか難しい。あいている物置に小屋をつくってもいいなとおもっていたけれど、ああ、かわいそうに、もうだめかもしれない。

2011年6月23日木曜日

職人さんは親切

買い物から帰るとうちの横に工事の車が止まっている。近所の家の改築工事に来た人たちの車。今日は塗装工事らしい。車に沢山ペンキが積んである。ずいぶん前、我が家の駐車場の白い柱に黒いスプレーで木村と名前が書かれてしまった。うちは木村じゃないから、書いた人の名字かもしれない。私は割と気にしないたちだからずっと放っておいた。でも塗装屋さんの車を見てふっと思った。もしかして白いペンキを少々いただけないかしら。覗いていると職人さんが「迷惑駐車ですみませんね」という。いやなにも文句を言うつもりではないので、「白いペンキはありませんか、」と尋ねると、どうするの、何かぬりたいの、と。それで、この落書きを消したいというと、それならぬってあげるよ、迷惑駐車のお詫び、と言ってきれいにぬってくれた。本当に気がいいなあ。ありがとう。近所の新築や改築の時に、ついでに電球変えてくれたりカーペットを干すのを手伝ってくれたり、職人さんたちはよく体が動く。うちとはぜんぜん関係がないほかの工事の時も、あまり暑そうだからサイダーを差し入れたりすると、今度は私が重いものを持ち上げたりしていると手伝ってくれる。老人ホームに入るとおばあさんに一番もてるのは、元職人さんだと聞く。元お偉いさんは体を動かそうともしないで威張るばかり。そこへ行くと大工さんなどは、棚をつってよ、ハイよ、とばかり役に立つ。絶大な人気だそうだ。なるほど、もてるのも無理はない。だって、きびきびと働いている人は美しいもの。

2011年6月22日水曜日

生い茂る木

いつの間にかうちの塀の際に木がはえて、すごく元気に伸びはじめた。初めはお隣で植えたと思っていたら、ある日、塀のこちら側にあることを発見した。その内沢山花をつけて種をばら蒔き始め、お隣との塀の10センチほどの排水用の隙間で、数本がのびのび繁茂している。うちには庭がないので、可哀想に今に枯れると思っていたが、毎年益々元気に枝をのばしていく。ついにお隣から自転車の出し入れがしにくいので少し枝を切ってもいいでしょうかと、言われるほどになった。木を切るのはとても辛い。のこぎりを持って近づくと、木が悲鳴をあげそうな気がする。平気で木を切る人がいる。樹齢何十年もの見事な木が薙ぎ倒されていくのを見ることがある。私の友人は自宅を相続したとき、そこを建て直して集合住宅にしようとした弟たちに頑として木を切らないように譲らず,トラブルになっている人がいる。その家の庭には大きな木があって、今時都内で贅沢過ぎると言われるのけれど、それを守るのは素晴らしい事だと思う。がんばって欲しい。

2011年6月21日火曜日

アハハハ

http://youtu.be/w0ffwDYo00Q

http://youtu.be/6Gknp-8ltmE

本当にこんな感じ。私も玉三郎にこうやって起こされています。それでいつも寝不足。

気が付けば

昨日はせっかく箱根まで行ってあじさいにありつけなかったので、今朝散歩道でやたらとあじさいに気が付く。なんだこんなにきれいに咲いていたのか。灯台下暗しとはよく言ったものだわ。でもあじさい電車の両側はそれはそれは見事に群生している。標高によって咲く時期が異なるので、全部が同時に満開とはいかないけれど、それぞれ趣があってよろしい。花を目的に行くとときどき肩すかしされることがある。もう、ずーっと前のことだけど、札幌で友人のコンサートに賛助出演したあと、10日間フリーにしてレンタカーで北海道を回るという計画をたてたことがある。もちろん一人で。友人のお勧めの道南から始まる予定だった。ところが、そのコンサートに来ていたヤマハ楽器の人が「今なら富良野のラベンダーが咲いていますよ。道の両側にラベンダー畑が広がって、それは見事です。ぜひ行ってごらんなさい」と熱く薦めるから急きょホテルをキャンセルして、富良野のプリンスホテルを予約した。その時期6月の半ば。富良野が近ずいても道の両側にはまだそれらしき風景は現れない。場所が違うのかと思ってとりあえずホテルにチェックイン。荷物を運んでくれたポーターにさてラベンダーは?と尋ねると、困惑した表情で「ラベンダーの季節は7月です。今頃芽が出たころでしょうか」気の毒そうに答える。なにっ、わざわざ進路変更してきたのに、ヤマハマンのうそつきー」それではなにか見どころは?と聞くと「この辺はなにもありません。テレビロケでつかった丸木小屋があるくらいです」その当時「北の国から」という評判の良いテレビドラマがあったけれど、私は見ていないので何の感慨もわかない。でも、散歩がてら行ってみるか。思ったより小さな丸木小屋で「うーん、これが」そのていどの感想。富良野はやはり雪の頃来るべきだった。その時借りた車は当時発売されたばかりのアスカ。たいそう評判が良くてレンタカーの店員が胸をはって「アスカですよ。」と何度も念を押すように言う。でも、走り始めるとレンタカーで乱暴に乗られていたせいか、乗り心地も信頼性もいまいち。その車で十勝岳に登り、車を止めて窓を開けると、聞こえるのは風の音と鳥の声ばかり。なあんて素敵なの!シートをたおしてその声を聴いていると、突然道路パトロールの黄色い車が現れ、じろじろこちらをうかがっている様子。女ひとりこんな山の中で自殺でも・・・なんて考えたのかもしれない。まったく、こんな山の中まで人目を気にしなくてはならないなんて。日本は狭い。そのあと下ってゆくと突然キタキツネがあらわれた。人馴れしていて車をおりて近付いても逃げようともしない。いけないこととは知っていたが、つい、手持ちの食料をおすそ分けする。犬と同じね。犬は可愛がられるのに狐はいつも悪者扱い。どこで線引きされてしまうのだろう。あてもなくそこいら辺を旅して歩いたけれど、ついに4日目に退屈して帰路についてしまった。なぜなら、どんなにきれいな景色を見ても感動を分かち合う人がだれもいない。一人でつぶやく。「なんてきれいなんでしょう」でも、反応はない。仕事の旅は一人に限る。いつも一人で目的地に行くけれど、観光はお話する人がいないとつまらない。

2011年6月20日月曜日

あじさい

なんだかはっきりしない天気が続いて、多少気持ちがくさくさとする上に、ヴァイオリンも湿った音がする。絃が伸びてしょっちゅう調弦ばかりしなければならない。こんな時は丁度今咲いているあじさいを見に行こう。思い立って、さて誰が一緒に・・・せっかくだから若くて生きのいいハンサムボーイを・・・ボーイといえる歳ではないが、運転も替わってもらえるし、なんたって話が面白い。一人お願いというより脅迫して一緒に行ってもらうことにした。ちょうどうちと箱根の中間点に住んでいるので、箱根のあじさい電車を見に行くことにして、途中でピックアップして、さて走り出すと、ところでどんなコースですか?え、決めてない。カーナビはつかわないのですか?矢継ぎ早のジャブが飛んでくる。大体いつもいい加減に走り出してから考えるものだから、そうそう質問されても困ってしまう。苦々しげに、また、野生のカンですか。いままであたったことがないですよね、そこまで言われても私はエヘラエヘラと笑う。耳に心地よく聞き流していく。せっかくドライバーもお願いしようとしたら、もう運転はしません、車みたいな時代遅れの乗り物はとっくにやめました。それで仕方なく箱根の山道をえっさかほいっさっさと上る。いっそのこと駕籠だったらお気に召すみたい。全然調べていないわけではなくて、登山鉄道の箱根湯本駅に咲いているというのだが、その湯本駅がみあたらない。そうこうするうちに強羅まで来てしまったので、箱根美術館の美しい苔のお庭を拝見。さすがにここでは文句も言われずに済んだ。あじさいはあきらめて帰路につく。ぐるっと芦ノ湖を回って帰る計画だったのに、、どういうわけか芦ノ湖は姿をみせない。月曜日休館(湖)らしい。あっという間のドライヴ。ただただ笑っていただけで、それでも気持ちのよい緑と風に触れて、肝心のあじさいがなくても100点満点。いやー、面白かった。

2011年6月19日日曜日

ノラが戻ってきた!

今朝聞き覚えのあるにゃんにゃんとかすかな声がした。飛びだした。毎日うちに来ていたあのノラが物置の屋根からこちらを見ていた。ああよかった、無事だったか。てっきり毒殺されたものだと思っていた。近所にねこを毒殺するうちがあるようだ。うちの猫も表に出していた頃は、何匹もやられた。近所の猫好きがどうもおかしいと疑ってはいたけれど、確証はないが毒殺らしい。かかりつけの獣医さんも言っていた。様子からすると毒殺だね、と。うちの猫が2匹同時に口から血をはいて道路わきで死んでいた。初めは車ではねられたかと思ったけれど、外傷もなく目が飛び出したりもしていない。それから次はご近所の三毛ちゃん。奥さんがワーワー泣きながら、うちに報告しに来て、これは毒ではないかと話していたところ、もう一軒の猫もやられた。早朝飼い猫が外で啼いていたそうで、その時は眠いから放っておいたら、その一時間後に口から血を吐いて死んでいたらしい。そこの奥さんも涙をボロボロ流して話してくれた。なぜ、あの時見てあげなかったのかと、とても悔やんでいた。それがあったから、先日のノラちゃんの絶叫も、毒を盛られて苦しかったのかと思っていた。やつれてはいたけれど、生きていた。でも、態度が変。無邪気に人懐こかった様子が一変して、私に対しても警戒心をあらわにする。おやおや、どこかで・・・というより近所でいじめられたに違いない。お隣の奥さんは猫嫌い。考えられないくらい邪険にするので、一度大声で叫んだことがある。「小さい弱いものをいじめると仏罰があたるから」って。そこのうちは熱心な某教団の信者。仏を信じる人が弱い可哀想な動物をいじめるなんて。本当の仏教者なの?

2011年6月18日土曜日

金銭感覚

昨日のFUMIKOさんが大きいヴィオラがほしくて迷った挙句断念した。いい音のするものがあるけれど、聞いてほしいという。でも大分大きくて弾き終わると首が痛くなるそうだ。即座に体に合わないものはやめたほうがいいよとアドバイス。気持ちはわかる。少しでもいい音いい音と求めていくのは、当然のこと。手に取った楽器がよく鳴ったらもうほしくてたまらなくなる。特に重音がよく響くという。そりゃあ欲しいよね、でも、体に合わなければ結局いい音は出ないから、というと、そうですね、でも安かったの。へえ、いくら?だって100万円よ、だからスペア楽器にしてもいいと思って、うわー、それは安い、でもやめときなさい、てな会話。普通の感覚で100万円は安いとは言わない。でも、弦楽器奏者は狂っています。この世界とびぬけて楽器が高い。ピアノが何台も買えるくらいの額が普通で、弓も合わせるとひと財産チャチなケースにいれて持ち運んでいるのは、考えると恐ろしい。のんびりした人はそれを電車の網棚に忘れたり、トイレの壁に立てかけてそのまま帰ってきたりする。私も一度飲み屋に忘れてきて、深夜の高速道路を疾走して取りに帰ったことがあった。最近家の屋根の防水工事をして140万円ほどかかったけれど、その代金はとても高くて支払うのが大変だった。でも、楽器に関するとやすい!となる。このへんが変だなあ。楽器にはいくらお金がかかっても惜しいと思わない。でも、ほかのものはバーゲンでしか買わないとか、けっこうケチだと思うのに、やっぱり私たちの世界は狂っている。

2011年6月17日金曜日

ヴァイオリン、ヴィオラ

二つの楽器は外見はそっくり、大きさが少しヴィオラのほうが大きい。ところが・・・性格がまるで違うのが面白い。今日はヴィオラのFUMIKOさんが大きな楽器を背中にしょってやってきた。背が高いからあまり大きく見えないけれど、私だったらヴィオラに抱っこされているように見えるくらい、大きな角ケース。金髪にめ組のシャツ(なんだかわからないでしょう)鯔背なお姐さん。おねえさんもいなせというのかどうか?まあ、いい。さんざん弾いた後ヴァイオリンとヴィオラの違いについて話して笑い転げた。彼女は中学生ですでに自らヴィオラという楽器を選んだそうだ。よくあるのは音大に入るときヴァイオリンでは少し無理だけどヴィオラなら入れると言われ、しぶしぶヴィオラに転向するケース。こういう人はなにか屈折したものがあって、しかもオーケストラなどに入ると真ん中の声部なので、ヴァイオリンとチェロの狭間で苦労する。弓の使い方なども両サイドに合わせるため、自分では決められない。それでだんだん沈んでくるという。だから、彼女のようにヴィオラ大好き、絶対ヴィオラが良くて楽しんでいるというのは幸せ。でも、かくいう私もヴィオラ大好き。なんとも言えないあの音色。女性のアルトの声がする。しかも男性のテナーのようでもある。深い音色。たまらなくセクシーでもある。一時期ヴィオラに凝って、仕事もヴァイオリンとヴィオラで売れていた時期があった。でも悲しいことに私はミニサイズ。体に無理が来て腰を痛めあきらめたことがある。今でも時々ヴィオラを弾くと、なぜかヴァイオリンを弾くより受けるのが悔しい。ずいぶん以前だけれど、神奈川県出身または在住の音楽家を集め、オーケストラを編成してコンサートをしたことがあった。神奈川県の主催だったと思う。その頃まだヴィオラも弾いていたので、ヴィオラで参加した。錚々たる面々がそろい、故山田一雄(ヤマカズ)指揮で横浜県民ホールで新世界などを演奏した。偉い人たちがそろっているので気を使った主催者は、トップや座る席順などもその曲ごとに変えてセットした。ほかのパートは律儀に決められた席にその都度替わるのに、ヴィオラだけはトップ以外誰も動こうとしない。最初に座った席に腰かけて「ここでいいよね」などと言ってのんびりしている。本当にヴィオラ弾きは無精者。そこが私は性に合っていて、好きなんだなあ。

私を泣かせないで

http://youtu.be/HIQ63_WoKwg

今日も泣きました。世界のトロンボーン奏者が日本のために演奏しています。

2011年6月15日水曜日

五嶋みどり、オズガー・アイディン デュオ

みなとみらいホールにて。
モーツァルト「ソナタK526」ブラームスの「ソナタ1番」ヴェーベルン「4つの小品」ベートーヴェンの「ソナタ第9番クロイツェル」
静まり返った会場に最初の音が流れると、もうそこは異空間。不思議な世界に入り込んでいく。聴こえるか聴こえないかくらいのかそけき音なのに、しっかりと楽器にはりついた弓が充実した音を送り出す。恐ろしいほどのテクニック。客席のすべての人がみどりの世界に引き込まれ吸収されていく。そこは人間の感情を超越した深層意識の世界と言ってもよい。色も消えてあるのは音波の振動だけ。瞑想状態に入り込んだ私は早速眠りに入った。2曲目のブラームスも眠った。ヴェーベルンはやはりピアニッシモで無機質な、でもそれが反対にはじめて人間の感情らしいものを感じられる曲となった。最後にベートーヴェン。ヴァイオリンソナタの最高峰ともいえるこの曲を、猛スピードで弾きとばす。うーん、これは少し私の意に反するなあ。
彼女のすごいところは弓の使い方。ほんの少量の弓使いで、信じられないような内容の濃い音を出す。不思議なことに人の感情が入り込めない何かがある。それは彼女が無意識に心を閉ざしているのではないか。決して彼女自身が現れてこない。なにかおそろしく寂寞としている。音楽を聴いて味わう幸せ感が全くない。あるのは無彩色の莫大なエネルギー、天才少女がどのように大人になっていったのか、そこを知ってみたい。不思議なコンサートだった。

2011年6月14日火曜日

東京文化会館にて。

北川暁子、靖子姉妹のソナタの夕べ。さすがに息のあったアンサンブルを今日も堪能してきた。暁子さんはいつもゆるぎない堂々とした演奏。靖子さんはいつもは淡々とした態度なのに、今日はうちに秘めた情熱を迸らせる好演。モーツァルト、ベートーヴェン、グリーク、レスピーギ。特にレスピーギは初めて聴いたが、大変情熱的な素敵な曲だった。ヴァイオリンの音が特にG線が素晴らしい。益々音が豊かになってきている。みんなすごい!私が友人と一緒に客席に入って行くと、あら、という声。こちらも思わず、あら、なんとその辺一帯知り合いがうじゃうじゃいる。みんな一番いい席を知っているから集まってしまう。開演前から花が咲いたように盛り上がってしまった。私の席の前には10歳ほど年上のTさん。相変わらず若々しく華やかな人。以前彼女から電話をもらった。彼女は山形交響楽団のコンサートミストレスをやっていて、自分の後継者に私を推薦したいという。でも、当時売れっ子でお金儲けがうれしかったわたしはお断りしてしまった。お金にはならない、苦労が多い、寒い、スキー場が近いのだけが魅力だけど、苦労するのはいや。そのあと別の仕事で山形に行った時、彼女のお宅で「住吉」というおいしいお酒をご馳走になりながら、再三口説かれたけれど、ついに首を縦に振らなかった。あの時苦労をしていたら、もっと深みのある人間になっていたことと今なら思える。でも楽しさばかりを求めていた私は運命の女神様の前髪を掴み損ねた。私の女神様には前も後ろも髪の毛がない。掴んだらウィッグですっぽり抜けたりしかねない。今頃になって留学もしておけばよかった、もう少し頑張ればよかったなんて言ってももう遅い。穏やかないい人生ではあったが・・・これが私という人間の限界なのでしょうね。

ノラの叫び

毎日来るねこがいた。近くの飼い猫風なので、たぶんうちの一番下の(元)メス猫が目当てで来ているのだと思っていた。毎朝「にゃんにゃん」と可愛い声がして、それを聞くとうちの末っ子ねこがベランダにすっ飛んで行く。ベランダは蚊避けとねこの家出防止のために網がはってあり、その網越しに二匹が顔を突き合わせ、なにやらおしゃべりをしたり見つめあったりしている。そのうちほかのねことも顔なじみになって、気難しい玉三郎もだんだんでていくようになった。うちの4匹がずらりと並んでご対面している姿がなんとものどかで、そのうち私も出て行って並んでご対面。鳴き声がかわいらしいけど、たぶん雄猫がお相手を求めてきているのだと思っていたが、だんだん私に向かって何か訴えるようになった。でも、さすがねこ好きの私も何を言っているのかわからない。最近気が付くと少しやせた?いや、大分やせたみたい。ひょうっとするとノラだろうか?旭に行く前日、声がするので出て見ると、その子がしきりに私に向かって鳴く声がなにか切迫している。なんだろう、何を言っているのだろう。突然大声で一声、絶叫すると行ってしまった。今の声は…絶望?ずっと気になって旭から帰ってきて捜しているけれど、あんなに毎日来ていたのにバッタリ姿を見せなくなってしまった。そうか、うちに来たかったのね。4匹のねこが仲良く暮らしているのがうらやましくて、入りたかったのね。飼い猫だとばかり思っていたけど、ノラだったんだ。かわいそうでかわいそうでたまらない。なんで、早く気が付いてあげなかったのか。今朝も早くから家のまわりを捜している。いない。ごめんね。ノラさん。

2011年6月13日月曜日

話す犬

http://www.youtube.com/watch?v=gRw-lfXy_tQ&feature=player_embedded

人様のブログからちょっと失敬したきました。
いつも盗ませていただいてます。

旭のコンサート

昨日は地元の畠山先生のお弟子さんたちのコンチェルトの伴奏をした。優秀なお弟子さんがそろっていて、音大生や音大を出て活躍している人も多いときく。まず、音がいい。柔らかくうまく会場の響きを捉え、音楽が停滞しないで淀みない。突っ走る人もいないし、すべてが安定している。どうやったらこのようにそだてあげられるのか知りたい。先生にお話を聞くと、全くお休みなしです、と物柔らかな答えが返ってきた。教えるだけでなくコンサートの準備、市長さんや、教育委員会とのコンタクトをとるなどの外側から固めていくこともしなければならない。都心から離れ、決して交通の便がいいとは言えないこのような場所で、これだけの人数とレヴェルの高さを維持するのは並大抵ではないと思う。今から十数年前にも一度コンサートのお手伝いをして、その時からずっと私たちのコンサートを聴きに来てくださっている。それ以来今度の旭訪問は大変楽しみであったので、お弟子さんたちが全員立派に弾き終えて、私たちもとてもうれしい。泊まりは犬吠崎のホテル。にぎやかに打ち上げをして、お開きとなった。あいにくの雨。残念だが景色がよう見えない。晴れていれば日本一早い日の出が見られるそうだけれど、今朝目が覚めると猛烈な雨で、これは大変、すぐに出発。あらあら、海も山もかすみ、何よりも道路にあふれる水が怖い。その大雨の中を走り抜ける。「こんな状況も決して嫌いじゃないんだな、私は」なんて怪しからん事を思いながら。家まで2時間20分。もう帰ってきてしまった。お天気が良ければゆっくりと景色を楽しんで走るつもりだったのに。雨のおかげで一目散となってしまった。

2011年6月12日日曜日

旭市

昨日午後1時家を出て、一路千葉県旭市へ向かった。渋滞情報を見ると羽田インターからの路は順調に流れているようなので、そこから入る事にした。それでも西から大雨が近づいているというので、時間に余裕をもって出かけた。リハーサルは夕方6時から。ナビによれば2時間40分の行程。約倍の時間をとれば、いくら豪雨でも事故があっても着くに違いない。小雨の中をのんびりと走る。土曜日の高速が渋滞なしはあり得ないと思う。でも、羽田までの一般道はほとんど信号にも止められず走り抜けた。しかも、高速に入っても渋滞はなく、おそろしく速いペースで目的地に近づいて行く。現地にあまり早く着いても会場に入れないかもしれない。サービスエリアでゆっくりコーヒーを飲んでも時間は中々過ぎない。到着したのは3時30分。電車で来る他のメンバーが乗車する頃には、会場の駐車場に入っていた。さて、どうやって時間をつぶそうか。見回すと会場の向かいにイタリアンレストランが見えた。時間が中途半端なので、ティータイムだという。丁度いい。紅茶とサラダを頼んだ。楽器のケースに古い週刊誌がはいっているのを見つけ、それを読んでヒマをつぶす。いつも読み飛ばしてしまう記事もヒマだから丁寧に読むと、気がつかないでいたことも理解出来て大変おもしろい。いつもアクセクして本も速く読むけれど、こうしてゆっくり読むものだなあと反省する。書く側としては推敲を重ねていると思う。しかし、読む側はそんな努力には関係なく、斜め読み。ゆっくりの時間の貴重さをありがたく味わって、美味しい紅茶をいただいた。ようやく時間が過ぎて楽屋口を入ろうとして気が付いた。階段の下の地面が陥没して、最初の段だけやけに高い。東北大震災の爪痕に違いない。旭市は被害が大きくて大変だったに違いないけれど、今は静かに落ち着いている。のどかな風景はここ何年も変わりはないようだ。リハーサルが終わりホテルに着いてメンバー全員でいっしょの食事。仲がいいわりにはこんな機会はめったにない。楽しく会話をしていると気がつけばもう遅く、レストランのスタッフの手持ち無沙汰な様子に気が付いて、ようやくお開きとなった。こんなに食べたら明日朝は全員豚になってるね、と言いながらそれぞれの部屋に別れて行った。

2011年6月11日土曜日

旭までいってまいります。

今夜旭でリハーサル。明日本番なので今日は旭に泊まります。大雨注意報が出ているので少し心配だけど、車で行くことにした。旭の本番が終わってから、犬吠崎のホテルに宿泊予定。なんたって仲良しの古典音楽協会のメンバーと一緒なので、すんなり帰るわけがない。夜はたぶん話しに花が咲き、あさっては寝不足でご帰還となるでしょう。このメンバーで旅すると本当に楽しい。毎年上越でメサイアの仕事をしていた時などは、帰りはレンタカーで妙高や野尻湖などを回って長野まで出て、列車でかえったりしたものだった。一度長野のリンゴ畑の間をはしっていたら、ちょうどリンゴの収穫期、おじさんたちが(その頃は私たちも若かったので・・・いまならお兄さんと言わないと)収穫に汗をながしていた。車を止めて少しだけ譲っていただけないかと聞くと「これ持っていきな」と7個をビニールに入れていただいた。ただでいいと言う。なぜかというと、鳥がつついて穴があいているから。「とりはよく知っていて、一番うまいのをつつくから、うまいよ」なるほど。でも申し訳ないからおいくらでしょうか?というと、「じゃ、百円」その場でかぶりつくとそのおいしいのなんのって!妙高では観光用のケーブルに乗りたいと思って車を止めた。係りの人にどのくらい時間がかかるのか聞くと、「あんたたち、どうせ上でおしゃべりして中々降りてこないだろう」と見透かされ、大笑い。レンタカーを借りるときに、明日朝早く借りたいというと、「そんなに早く起きられないだろう。どうせ今夜はおしゃべりして寝ないだろうから」と、これも図星。ぜんぶお見通し。ある時は日本海のしぶきを浴びて海岸を、また雪のちらつく青木湖のあたりを走ったり、このメンバーでいて笑いが絶えたことがない。旭はほんのひとっ走りだから、一人でのんびり行くことにした。さてそろそろ、でかけないと・・・

2011年6月10日金曜日

私より上手い

http://youtu.be/EzjkBwZtxp4

今朝ハイフェッツの動画を見ていたら、なぜか一緒にリストにでていたもの。
今の人たちはハイフェッツよりもこちらのほうに興味があるのではないか。

2011年6月9日木曜日

あまりの可愛さに

http://youtu.be/Vw4KVoEVcr0

ねこがいかん!からちょっと拝借してきました。

2011年6月8日水曜日

歯だけは

若いときには自慢できるものは、目、歯、胃、だけよとよく言っていた。目はすでに老眼、乱視、丈夫な胃も最近こころもとない。歯はどこの歯科医にいっても最大級ほめられる。33歳まで虫歯知らず。虫歯になったのはひどい気管支炎を患って、咳止めの飴をなめすぎたため。それでも治療が早かったから完治した。その後は虫歯は一本もない。そのかわり歯茎が怪しい。2週間ほどまえから歯茎が腫れて、歯磨きの度に血が出る。これはもう立派な歯周病にちがいない。今まで歯のケアはかなりきちんとしてきた。友人から紹介された歯科医はとても腕がよく、そこで治療していた内はとても良好な状態だったのが、医師がかわってなんとなく手ぬるい治療になってから、どうもすっきりしない。今度は病院を変えてみた。ますます信頼性がなくなった。今度で私にとっては5回目の転院となる。歯周病は今まで外科的治療が主流だったのを、内科的に薬の服用と、歯垢の掃除で治すという。ほぼ90%の治療率というので、試してみることにした。まず、歯のレントゲン。これは今までと同じ。そのあと歯垢を採取して顕微鏡で歯周病菌の有無を調べる。パソコンンも画面に自分の口内菌がうつしだされた。歯周病菌はわずかだが、悪玉菌がたくさんいる。そして白血球がいる。大きな白いかたまりで見える。これが今私の口を守ってくれている。でも白血球がいるということは悪い菌が多いとも言える。それが証拠には健康な人の口の中には白血球はみえない。そして海藻のように一塊になった組織、これがカビらしい。どの人にもカビはいるけれど、健康だと絡まっていないのが、私のはかなり絡まりあって増殖しているようだ。これからの治療は薬の服用、歯みがきのときにも薬を使って歯周病菌をなくすというもの。歯周病菌はどんなヤツかと思ったら、蛇のように細くくねくね動くいやなヤツ。いまに見ておれ、やっつけてくれる。

2011年6月7日火曜日

まつ毛のエクステ

今日はヴィオラのFUMIKOさんとデュオの練習をする日。お昼ご飯を食べてから始めようというので、駅で待ち合わせた。辛くておいしいカレーが食べたいというので、インド人がやっているお店に案内することにした。彼女が駅に現れた時、ふといつもと何か違うと思った。なんだろう。目の隅からじろじろ眺める。新しい靴、グレーのハイヒール、ステキ、また買ったのね。短めのパンツにデニムのジャケット、相変わらずおしゃれ。でも、服装はいつもファッショナブルで決まっている。それよりも顔、目元が涼しげ。なにかいいことがあったのかしら。  カレー屋さんはメインの通りからちょっと横に入ったところにあるのに、いつもお昼時は超満員。運よく席がとれて、大きなナンと辛いカレーに満足して我が家に向かった。今日の練習はヘンデルのパッサカリア、シャコンヌ、そのほかいろいろ、次々にためし弾きをしていった。夢中で何曲か終わると小休止をしましょうか。そこでやっと気がついた。あら、もしかしてまつ毛のエクステした?きゃー、先を越されてしまった。どおりで目元が華やいでいると思った。私は子供の頃から目の大きさに比べてまつ毛が短いのが不満だった。先日エステに行ってまつ毛のエクステをしたいと言ったら、それよりもアイラインを入れませんか、と言われて今一本目のライン引きが終わったところ。これから日を置きながら、2本、3本と入れていく。でも、カールしたふさふさまつ毛は私の夢。今、全くのノーメイクで化粧水すら使わない日々。物足りない。やはり女性のお化粧は本能かもしれない。ラインがおわったら、ふさふさまつ毛にしよう。演奏よりもおしゃれに気が向いた、けしからぬヴァイオリン弾きでした。

2011年6月6日月曜日

松本コンサート同窓会

少し前に投稿した松本でのコンサートの思い出。参加した人たちのほとんどが「あんなに楽しかったことはない」というくらい皆の心に残っているようだ。当時のコンサートミストレスの北川靖子さんから、昨日深夜に電話がかかってきた。彼女は今月14日に東京文化会館小ホールで、お姉さんの北川暁子さんとのジョイントリサイタルを予定している。しばらく話をした。その時の指揮者でソリストだった外山滋さんも、もう一度あのメンバーで演奏したいと言っておられるとか。外山さんは天才ヴァイオリニストとして史上最年少でN響のコンサートマスターになられ、その後東京芸大で教えていらっしゃったけれど、突然耳の疾患にみまわれて失意のリタイアから復活された。松本のコンサートはその復活の初期の頃で、ご本人も痛々しいばかり心が痛んでおられるのが手にとるように感じられた。ご病気前のはつらつとしたお元気な様子を見ていただけに、なおさらどんなに辛い思いをなさったことだろうかと慮ってはいたけれど、メンバーは皆陽気な人ばかり。毎日が笑いの連続で、外山さんもそれにずいぶん救われたと思う。驚いたことにヴァイオリンの演奏もより確実になっておられた。以前は腕にまかせて軽々と弾き飛ばされていたようなところも正確さを増して音程も安定し、底力を見せつけられた。ただ楽しかっただけではなく、外山さんを中心に真剣に演奏に取り組んだそのことが今でも私たちを結びつけていて、北川さんのコンサートが終わったら同窓会をしようと只今計画中。ところがあの時のメンバーは誰でしたっけ、あの人がいたでしょう?いなかったわよ。それじゃ誰がいたっけ?顔は思い出すのに名前がでない・・・ほら、あのお父さんと二人暮らしだった、ほら、あの人、え、誰?  途中であきらめて、北川姉妹のコンサートの成功を祈って電話を切った。

2011年6月5日日曜日

マンドリンコンサート

NHKで仕事をしていた頃親しくして頂いていたマンドリンの早苗さん。ご主人は作曲家の髙島先生。毎年6月の最初の日曜日に日本青年館でマンドリンアンサンブルのコンサートが開かれる。早苗さんとは旅の仕事の時には、いつもおいしいものを食べに連れて行ってもらい、あくる日は体重が1キロくらいは増えているお付き合い。時には髙嶋先生とご子息のKANTAと一緒になる。ご子息と丁寧に言った割にはKANTAとよびすても変だけど。かんた君にしておこう。お母さんもいつもは早苗ちゃんと呼んでいる。変わった一家で、というと「あんたに(だけは)言われたくない」と返ってきそうだけど、髙島先生は山本直純さんのお弟子さん。ドリフターズの音楽を担当していて、幼稚園児の格好をして出てきたり、それが実によく似合うような、かわいいお顔。今は素敵なロマンスグレーだけど。早苗さんはすごいお嬢様で、なにやら超有力者や超有名歌手などとお友達。かんたくんは京都大学、東大大学院で哲学?なんだかしらないけれど、音楽ではない学問を究めたにも関わらず、音楽の道に入ってしまったという変わり種。もっとも両親が音楽やっていて影響されないはずはないか。でもその妹さんは地道に「まっとうな」お勤めをしている。音楽をやっているお3人はNHKの「BSにっぽんの歌」という番組でよく一緒に仕事をさせていただいた。このお父さんと息子さんがとても仲が良い。大体父と息子はあまり仲が良くないのが一般的だけど、この二人は一緒にいると、お互いにすごく嬉しそうで話がはずむ。むしろお母さんのほうが、あっさりと私たちと一緒にいることが多いくらい。一緒にコンサートが開ける幸せな一家で、今日も3人ステージで楽しそうに演奏していた。髙島先生が編曲指揮、早苗さんがマンドーラというマンドリンより少し大きい楽器、かんたは何でも屋さんで、その時々で様々な楽器を弾いている。いいなあ、こういうのは。

あはは

http://youtu.be/upry-daUvoU

2011年6月4日土曜日

地デジ化終了

うちは小さな集合住宅、3世帯がひっそりと暮らしている。以前にも書いたが、テレビの地デジ化にあたまを悩ましてきた。強欲な不動産屋が地デジ化の工事について高額の工事費を吹っかけてきた。その額なんと50万円。なぜかというと3階建てで屋上がないから、アンテナを屋根にたてるのに、足場をくまなければいけないからという理由で。なにもわからない私はもうパニック状態。なんでそんな高額の工事費を払わなければいけないのか。そこでいつものミスターパソコンに助けを求めた。そして先日まず手始めに私のうちのベランダにアンテナを設置。見事に地デジ化成功。そして3階の店子さんのところも今日全部完了。電気工事専門でもないのに、むしろアンテナの設計開発に携わってきたエンジニアなのに、文字通り真っ黒になって働いてくださった。ありがたくて後光がさして見えるけれど、うちがものすごく汚れているので本当に真っ黒になってしまった。コードを通すので冷蔵庫の後ろをあけたとたん、うわー、きったない!と、絶叫が聞こえてきた。それに、くさーい。動物の臭いだ。とまた絶叫。飛んで行ってみると、なるほど、冷蔵庫の裏なんて見たこともなかったけれど、埃とねこの毛と、ねこが爪を研いで剥がれ落ちた壁紙が混然一体となって固まって、見るだにおぞましい。これが以前排水溝につまって逆流したもとになった、あの埃。先日やり残した配線にカバーを取り付けて、めでたく終了。アンテナ工事だけでなくお掃除もついでに手伝ってもらって、今部屋がなんとなくきれいになった。結構気持ちが良いものだから、今年は少しお掃除に目覚めようと思う。一度専門のお掃除屋さんに入ってもらおう。いままではあまりにもちらかっているから、そういう人に来てもらうのも恥ずかしいと思っていたけれど、こんなにほかの人に迷惑をかけるようなら、恥ずかしいなんて言っていられない。一か所きれいになると、ほかが気になってくる。今年は家にものすごくお金がかかって、もうこれ以上は無理となっても、お金は使うべきときに使わないと、くさってしまうような気がする。よく私の母が言っていた。お金は使うためにあるのよ。

わお!

先日来まともに入れなくなっていたnekotamaに、いつの間にかすんなり入れるように画面が整備されていた。これは、これは。私の保護者のしわざだな。すっかり複雑な状態になってしまっていたので、多少投稿意欲が薄れていたのが、また張り切ってできそう。しかしこれは保護過剰。スポイルされているなあ。だからと言って保護してもらわないと、手も足も出ない。エキスパートが保護者でいてくれるという、又とない幸運を頂いていることに感謝しなければ。さて、そんなわけで昨日は月例「弾く会」荻窪の素晴らしい調度品、骨董品に囲まれたお宅に集まった。みなさん本番を終えたり、これから本番を控えていたり、相変わらず活躍している。今や私が一番のんびりしているかもしれない。ショパンのエチュード3曲、ベートーヴェンの後期のソナタ、バッハと続き、それに私がベートーヴェンの4番のソナタ。このソナタは小さくまとまっているが、内容的にはなかなかの充実。今、ベートーヴェンを続けて弾いている。震災以来心も震え続けてきたけれど、その事が思いもかけず音楽に反映されてきた。聞くことも弾くこともより真剣になったと思う。音の一つ一つがいとおしくて、生きていること、生かされていることに感謝。悲しみや喜びがもっと深く感じられるようになった。今私は、全生涯のなかで一番幸せな時期ではないかと思われる。まだ楽器が弾ける、聴くことも弾くことも、以前より深くなってきた。本当に自分の手に合う弓も手に入れることができた。楽器と弓の相性が良いので、ほしいと思う音を出してくれる。「弾く会」のメンバーもいよいよ輝きを増して、それぞれ肉親の介護に追われながらも、意欲がおとろえていない。こんなグループに入れてもらえたことも幸せの一つ。うかうかしていて「やる気のない人はだめねえ」といわれないように、ヨロヨロお後に付いていきますから、これからもよろしく。

2011年6月2日木曜日

なんでこの時期に

自民党の谷垣総裁が国会で管総理に迫っている。あなたが辞めればすべてうまくいく、みたいに。では、谷垣さんあなたならできるの?この未曾有の大災害の後始末を最優先にしなければならない時期に、なんだってちまちまと椅子取り合戦をしているのか。総理なんていまのところ誰だっていいから、とにかく原発事故をきちんと収束させ、被災者救済にあたるべき時に。このどさくさにつけこんで政権交代を図ろうとする日本の政治家のなんとスケールの小さいことか。でもそれは日本国民がこのような人たちを選んだということで、民意の低さを見せつけられているような気がする。本当に情けなくて泣けてくる。政治家は誰一人被災者のことなんか考えていないのではと、疑ってしまう。いつも不思議に思うのは、例えば、裁判で有罪判決を受けたような人が次の選挙で返り咲くこと。私なら二度と票は入れないと思う。反省すればいいってものじゃない。政治家たる者、絶対に高潔でいてほしい。たとえ、その時期だけでもいいから。品格のない政治家を頂点に頂いては、世界中のひとから日本人の品性を疑われる。実際そうなのかもしれない。選ぶ側の私たちがしっかりしないとだめ。選挙結果を見て毎回、またこの人が選ばれて・・とため息をつくような人が当選している。結婚式でよく言われるスピーチに「結婚前は両目で、結婚してからは片目でおたがいに見るように」というのがあるけれど、選挙前も選挙後も両目、両耳でしっかりとみていきたい。最近、悲憤慷慨の毎日。国民よ、怒れ!ゴマメの歯ぎしり、聞こえるかしら。キリキリキリキリ・・・etc.