2011年6月30日木曜日

ほったらかされっこ。

ヴァイオリンを始めても、レッスンにつれていってくれたのは兄。小学校の遠足の付添は姉。中学の入学式も兄。中学受験も高校受験も全部自分で決めた。願書を出したのも自分で。ヴァイオリンの先生に付くときも、一人であいさつに行った。だからずいぶん行き届かないことが多かったと思う。発表会の時には先生が、あまりにもひどい楽器を気の毒がって、楽器屋さんからわざわざ楽器を借りてくださった。どの先生からもとても可愛がっていただけたのも、不憫だったからだと思う。袖口がボロボロのセーター着て、髪の毛もぼさぼさ、全部姉の・・・それも13歳も年上の姉のお下がりを着ていた。長姉は最初の子だから蝶よ花よと育てられ、いまだにお姫様やっている。たしかに物は良いものだったので長く使えたようで、でもそれが私のところに回ってくるころにはすでに古色蒼然、中学の制服までお下がり。かばんも13年前あるいはそれ以上前のもの。よくしたもので私はそんなことは別になんとも思わない。ぼんやりした子供だったので、普通の子が恥ずかしく思うことも気がつかない。小さいころからそうされていたので、もう、人生そんなものとあきらめていたのかもしれない。音大付属高校に入ったとき、さすがにおんぼろヴァイオリンは悲しくて、まず弓を買うことを決意した。おこずかいをケチって毎日お昼はもりそばのみ。高校の時からスタジオのアルバイトなどもあったから、それを貯めて弓を買うと言ったら、初めて母がかわいそうだと思ったのか、楽器を買ってくれた。やっと人並みの楽器を手にして、それから何台も楽器は変わったけれど、全部自分で買ったので、われながら偉い!と思っている。ほとんどの人たちは親御さんの意志でヴァイオリンを始めている人が多い。だから初めから先生も選び、楽器も良いものを与えられ、基礎訓練をみっちり受けている。それに引き替え私は、母親がヴァイオリンに反対だったので、ここでもほったらかし。好きな時に好きなだけ好きなように弾く。今こうして、ちゃんと訓練された人たちと一緒に仕事をしているのが不思議に思う。型にはまらないことを個性と言うならば、おかげで個性だけの人間が出来上がってしまった。野生のヴァイオリニストなんてキャッチフレーズはいかが?

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