2015年7月31日金曜日

岩合さんの猫写真展

澁谷ヒカリエは、私が講師をしている音楽教室のすぐそば。
澁谷駅からヒカリエの中を抜けて、通っている。
4階まで行って真っ直ぐに抜けると、宮益坂上の交差点のすぐ近くに出る。
そこから青山通りに入って赤坂方面に。
宮益坂上信号から数軒目の黄色いビルの7階です。
1階に着物やさん、モウヤンカレーがある。

とまあ、宣伝です。
お気が向かれましたら遊びにいらして下さい。
すごく面白い教室です。
講師陣がユニーク。
受講生はもっとユニークな人が多い。
ジャズからクラシック、弦楽器、ピアノ、ヴォーカル、金管楽器、木管楽器(ファゴットまであるのです)ギターなど。
(のぞきたい方はこちらへ。03-3498-2210)

それで何を言おうとしたかというと、ヒカリエではよく岩合光昭さんの猫の写真展をする。
去年も確か開催されたと思う。
記憶がさだかでないので、というか、全く覚える気がないから、何年前とかそういうことはお許しくだされ。

今日はレッスン日だから早めに家を出て、猫展をみることにした。
あわよくば、岩合さんのトークショウに遭遇できるかもしれない。
世の中に猫好きは多いらしく、いつもすごい人気なのだ。
前回岩合さんのトークを聞こうと思ったら、人が多すぎて酔ってしまった。
それで時間もなかったし、すごすごと引き上げてきた。
チラッとお姿を遠目に見て、熱気むんむんの会場を後にした。
今度こそ。

思えば、日本でこれほど猫の写真が出回っているのも、彼のお陰かも知れない。
ずっと以前には猫の写真を見るような物好きは少なかったから、それに良い写真もなかったから、丸善などへ行って海外の上等な紙でできた立派な写真集を買うしかなかった。

そういう写真の猫は、チンチラやシャムなど高価な猫たちで、取り澄ましてこちらを見ている。
それでも、その手の本がなかった頃には大喜びで見ていた。
そういう写真はそのうち飽きがくる。

岩合さんが、何処にでもいるような普通の猫たちを可愛く撮って、本やハガキが出た時には大喜びで買ったものだった。
今でも展覧会は大入り。
表情が自然でいくら見ても、飽きがこない。










こういう風に貼り付けるのは、著作権侵害にあたりますかね。
だめだったらお知らせ下さい。
今ヒカリエで開催中です。

リンゴ農園で子猫が生まれて成長していく過程を、四季折々の風景と共に見せてくれる。
会場には女性に混じって、男性の姿もちらほら。
女性に引きずられて来たのかと思うと、そうでもないらしい。
楽しそうに鑑賞している。

流石と言うのも失礼なことだけれど、あまりにも画像の美しく構図の巧みなことに驚く。
猫たちの表情の自然さに、岩合さんの動物への愛情の深さが読み取れる。
ほんっとに!お好きなんですねえ。











2015年7月30日木曜日

夏のコンサート

今年の夏のコンサート

8月14日(金)13時より
国立さくらホールにて
 
毎年8月14日と決っているコンサートで、オーケストラの現メンバー、元メンバー(最近は元の方が多くなった)音大の教授連、元教授などが集まって、好き勝手に弾くというコンサート。
私はここ3年ほど欠席していたけれど、今年は復活。
N響、読響、日フィル、東響などのメンバーが集結。
それと音大の先生など、多士済々。

日フィルのヴィオラ奏者だった滝沢さんの声かけで始められた。
滝沢さんは残念ながら先年亡くなり、その後を若手が引き継いで、今も継続している。
滝沢さんの関係者から始まったので、ヴィオラ奏者の数が圧倒的に多いという珍しいコンサートなので、ヴィオラの曲が沢山聴ける。

私は相棒のピアニストSさんとフォーレ「ソナタ」の予定。
最近出演希望者が増えて、時間の都合でどこまで弾かせてもらえるか分からないけれど、毎年懐かしい顔に出会えて嬉しい日。

特に面白いのがコンサート後の宴会。
毎年お馴染みのお店で貸し切り状態なので、弾きたい放題。
譜面台が用意されて、少し酔っぱらった頃から延々と演奏が始まる。
次々と楽譜が出てきて、その場で組み合わせを決めて弾き始める。
酔っていてもそこはベテラン揃い、立派に演奏はしてのける。
来年は先日のクラス会で再会した、大フィルのチェリストだったHさんとブラームス「弦楽6重奏」を弾く約束が出来ている。

次は北軽井沢でのミニコンサート・・・のつもりだった。
ところがメンバーがあっという間に集まったので、「ミニ」ではなくなって、立派なコンサートになりそう。

8月25日(火)14時より
北軽井沢ルオムの森

トレッリ      「2つのヴァイオリンの協奏曲」
モーツァルト    「ヴァイオリン、ヴィオラの2重奏曲」
ディッタースドルフ 「ヴィオラ、コントラバスのためのソナタ」
シベリウス     「ロマンス」   ピアノ独奏
ドヴォルザーク   「ユーモレスク」 ヴァイオリン独奏
サンサーンス    動物の謝肉祭より「象」コントラバス独奏
シューベルト    ピアノ5重奏より「鱒」第4楽章

堂々たるプログラムになってしまった。
有り難いのは仲間達が声をかければすぐに、全面協力してくれること。
最前線で仕事をしていた人達だから、アンサンブルの名手たち。

軽井沢に避暑に来ている方々、ちょっと北軽まで足を伸ばして下さい。
別荘を持った友人が、この次は軽井沢でなんて話しも。

今年の秋には東北で弾く予定、その時にも友人が大喜びで駆けつけて弾いてくれると言うので、感謝感激。
どんな時も私の生活は、友人達の協力なしでは成り立たなかった。
長年に亘って私を助け続けてくれた彼らに、改めて御礼を言いたい。















2015年7月28日火曜日

工事現場

今朝コーヒーを切らしていて飲めず、禁断症状が出たので買いに出かけた。
暑さも昨日よりはましで、運動のためにわざわざ遠回りをして、駅近くのドトールまで歩いた。
途中、建て替えのために家を取り壊している所に差し掛かった。
何という機械なのか、大きなドリル様の物で基礎のコンクリートを破壊している。
その運転席から声がして「俺さあ素人なんだから、あんまり近寄るなよ、危ないぞ」 
見ると、そのドリルカー?の前にヘルメットをかぶった見習いみたいな、男性が立っている。
あまり広くもない敷地なので、ショベルカーとその機械が2台入ってしまうと、立っている余地がない。

言われた人は良く見るとまだ少年の面差し。
たぶん工務店に就職して、まだいくらも経っていないのかも知れない。
少し後ろに退がったものの、どうして良いか分からずボンヤリしている。
この暑さでヘルメットを被って、埃まみれになって、いつまで彼が我慢して働くことが出来るだろうか。
仕事が少ないと言っても、こういうきつい仕事なら、人手は足りないのではないかと思う。

遠回りして公園をグルッと回り、ドトールにたどり着いてコーヒーをまず1杯。
ようやく人心地ついて、豆を挽いてもらい店を出る。

帰り道は危険地帯。
最近気がついたのが、アウトレットのブティック。
古着やさんだと思っていたら全部新品で、ファッション雑誌のカタログ撮影に使ったものを売っている。
とにかく安い。
しかもけっこう奇抜な物が多い・・・となると見逃せない。
行き帰りに寄ってしまいそうな。
今日も開店早々の店の前を通ると、フラリと吸い寄せられるように入ってしまった。

カタログ撮影用だから、当然若い女性向きのものが殆どなので、私の年代の人は入らないと思うとそうでもない。
けっこう、え、あなたが?これを着るの?的な感じの人も来ている。
そして、こういう私はその中でも一番手になりそうだけれど、なにしろ超若作りの私、職場もどんな物を着ていっても誰も気にもしないという自由さだから、平気で10代の女の子風の物を試着。
お店の店員もノリノリで薦める。

今日の獲物はTシャツ1枚、ワンピース2枚。

浮き浮きと帰り道。
コーヒーと獲物をぶら下げて先程の工事現場に差し掛かった。

見習い君はすっかりバテて、道ばたに停めてある車の陰でへたっている。
他の大人の人達はガッチリした身体で、この暑さにもめげず図面を広げて会議中。
思わず「君、大丈夫?」と言いそうになった。
でも、こうやって一人前の男になっていくのだから、頑張れ!
冷たい物を持っていたら、あげてしまったかも。

時々、近所の工事の人達に、差し入れをする。
真冬の夜中、ガスもれで緊急工事をしていた人達にコーヒーを淹れてあげたら、ものすごく喜ばれた。
炎天下では、キリンサイダーを差し入れたら、工事中ずっとなにかと手伝ってくれた。

こういうお節介をするのはどうかと思うけれど、きついつらい仕事をしている人達を見ると、どうしてもなにかして上げたくなる。
私は電球一つ替えられない。
うちの玄関の電球が特殊で、間違えた形式の物を買ってきたら、表で工事をしていた人が自分の所にあった物を持ってきてつけてくれたこともあった。
こういう人達は本当に親切。

私は工事現場を見るのが好きで、ショベルカーなどが人間の手のように動くと惚れ惚れして、いつまでも見入ってしまう。
男に生まれたら、こんな仕事もありかも。




























2015年7月26日日曜日

志賀高原の蛍

今朝まで志賀高原に滞在していた。
出発したのは一昨日、車に女4人、ピーチクパーチク最初からお喋り全開。
新宿で仕事を切り上げたNさんが運転して、一路志賀高原へ。
長野を越え山路に差し掛かる頃には、東京の地獄のような暑さは嘘の様に消えて、爽やかな風が窓から入ってくる。
定宿の「石ノ湯ホテル」にチェックインをして、軽くビールで食事をとり、暗くなってきたところで蛍のお宿を訪問に出かけた。

都会ではもうお目にかかることのない暗闇を、手(足)探りで進む。
道の両脇に小さな赤い光の点っている明かりが、道しるべに置かれているけれど、その他の明かりは御法度。
携帯電話や懐中電灯の使用も禁止。
私たちの宿よりも上の方にあるロッジなどからも、三々五々人が集まってくる。

ここは蛍の北限だそうで、白樺の木と蛍が同時に見られるのはここだけと聞いた。
何故かというと、石ノ湯には温泉が湧き出ているので、川の水の温度は高い。
しかし空気は冷たい。
蛍は水温がある程度暖かくないと生息できないけれど、温泉のお陰でそれが可能らしい。

しばらく暗がりを人の気配や、所々にほんの微かに点灯している赤い光を頼りに進んでいった。
足元が心許ない。
流れに架かっている橋の上に来たとき、チラリと光る物が。
フワーッと飛んで行く。
ああ、いたいた。
それを皮切りにここでもあそこでも、目が慣れるにつれて、茂みの中や木の葉の間からも、明るい光が点滅するのが見える。
それは幻想的でもあるし、命の活動を必死にいとなんでいる健気な蛍の現実を垣間見ることでもあるし、生命に対する愛情と尊敬の念を感じる瞬間でもあった。

しばらく暗がりを更に進む。
茂みの中に多くの光を見つけ出すと、立ち止まって感嘆する。
月が雲に半ば隠れているので、蛍の光が良く見える。
ぐるりと一回りして出発地点へ戻っても、時々蛍が目の前をスーッと飛んでいく。

往きはホテルから下の川の方まで降りたので、帰りは急な上り坂。
長いドライブと、食事の時に飲んだビールがきいて、足元がふらつき、呼吸が苦しい。
ゼイゼイと言って登り、ホテルでもう一回飲み直し。
今度は白ワインにオードーブルを一皿貰って、飲みかつお喋りを楽しんだ。

皆、蛍を見る機会は中々ないので、感激していた。
ぐっすり眠った翌早朝。
冷たい澄んだ大気の中を散歩に出かけた。
半袖で表に出ると肌寒い。

驚いたことにここかしこからウグイスのさえずりが絶え間なく聞こえる。
しかも、ウグイスさんたちもすっかり歌に熟達して、素晴らしい節回しを聞かせてくれる。
こんなに沢山のウグイスのさえずりは、聞いたことがない。
歩く先々にいて、さえずっているようだ。

朝食の後、車で東館山植物園に出かけた。
スカイウオークと称して、ゴンドラ、リフトを乗り継いで山頂まで行くコースをとった。
2000メートル級の高原なので、空気の冷たさの割には、紫外線が強い。
日傘や日焼け止めクリームでガードしても、日に当たったところが見る見る赤くなっていく。
ニッコウキスゲの群生や、オタマジャクシ、サンショウウオの生息している湿地帯、ヒカリゴケの生えている洞穴などを覗いて、次のコースは昼食目的の横手山。

天気は晴朗!
山にかかる雲は白く、雷の危険もない。
次はスカイレーターとリフトを乗り継いで、横手山山頂へ。
軽い昼食を摂ってから、車で渋峠へ。
そこが日本一高い所にある国道なのだそうだ。

渋峠の長野県と群馬県の県境に建てられたロッジは、建物の半分が群馬、もう半分が長野と壁に書いてある。
そして国道に面した庭に大きなゴールデンレトリバーが2匹。
一匹はご主人に甘えてノンビリ寝て居たが、もう一匹の方がやんちゃだった。
近寄っていくといきなり両手を私の肩にかけて、帽子にガブリ!
あっと言う間に持って行かれてしまった。
離しなさーい、と言いながら引っ張っても噛む力が強く、離さない。
ようやくご主人が出てきて、取り返してもらえた。

ふざけやさんのその子は、隙あらば、帽子や鞄を狙ってくる。
後でその辺りのテーブルに書かれた注意書きを読んだら、持ち物に注意、特に帽子に注意だそうだ。
今噴火の危険のある白根山の周辺をドライブして、ホテルに戻った。

2度目の蛍観賞に出かける。
ところがその夜は月が煌々と照り、満天の星空だったので、蛍の光が見つけにくい。
土曜日というので、学校の生徒たちが沢山来ているのも関係あるのかも知れない。
事前に注意事項を先生から聞かされていると見えて、学生達は行儀良く振る舞っているけれど、やはり人の数が多いのは、虫たちにとっては、喜べることではなさそうだ。
蛍たちは前日と違い、草の茂みで光るものが多かった。

今朝ホテルをチェックアウトして長野善光寺さんへお参りに。
ご本尊さまの真下を通る御回廊巡りをした。
小さな入り口から階段を降りていくと、初めは少し明るいが、すぐに通路が曲がって、真っ暗になってしまう。
真っ暗な中を手探りで進むと、やがて、手に触れるのは金属の鍵。
それに触れると極楽往生が出来るそうで、そこを通り過ぎると間もなく辺りが明るくなって出口を出られる。

いくら前後に人が沢山いるのが分かっていても、真っ暗なのは不安で、時々前の人に衝突したり、前が動いていなくなっているのに気がつかなかったりする。
不思議な事に鍵に触った瞬間、その形がはっきり見えたことで、真っ暗な中では見えるはずがない。
誰かが、その時携帯でも出したのかしら?
それとも触ると明かりが点くとか?

長野まで降りて来た時は、暑いことは確かでも、我慢出来ない事は無かった。
ところが高速道路を東京方面へ走って、パーキングエリアで休憩した時、車を降りると、耐えがたい熱気が襲ってきた。
あ~あ、地獄に降りてきてしまったようだ。




























2015年7月24日金曜日

友人達に告ぐ

我が親愛なるピアニストの友人達よ。
この動画を見てご覧!
彼女に比べれば、貴女たちはまだひよっ子よ。
この年になるまで、是非弾いて頂戴。


貴女たちががこうなる頃には私はもう天国へ。
だって言うでしょう。美人薄命って。

ん?もう一つあるって?
憎まれっ子なんとか・・・?


2015年7月23日木曜日

良い物は身につかない

ハリー・ポッターを原書で読み始めて、幾年月。
未だに5巻の辺りをうろうろしている。
先生はイギリス人のヴァイオリニスト、ルースさん。
先日ハリー・ポッター講読のレッスンの日、その日はルースさんが私の教室に来てくれる約束だったけれど、リハーサルが長引くので30分遅い時間に替えてほしいと連絡があった。
練習場所はサントリーホール。
練習が終って30分ほどで澁谷まで来られるけれど、それでは余計な時間が1時間以上浪費されてしまう。
それで私がそちらに行きましょうか?とメールすると彼女は喜んで、そうしてくれると助かるとのこと。

サントリーホールの近くにいくつかカフェがあるから、その一角で落ち着かないけれど、レッスンを受けようと考えた。
約束の時間よりも40分ほど遅れてルースさん到着。
そして近くのホテルのロビーに行きましょうと言う。
ホテルのロビーとは全く思いつかなかったけれど、良いかもしれない。

カフェを引き上げてホテルに向かう。
ルースさんは「練習の休憩時間に、ロビーでよく本を読む」と言うから、それはいいと喜んでいた。
初めの内は片隅のイスで静かに講読していたのだけれど、その内にドヤドヤと人が増え始めた。
言葉を聞いていると、どうやら中国人の団体さん。

私たちの様子を見れば、静かに本を朗読、それを聞いてだめ出しをしているネイティブがいれば、何をやっているのか分かりそうなものだけれど、全く気にもとめずに荷物をドカンと置く。
目の前でペチャクチャ。

大声で遠くの人と話す。
子供の甲高い声で叫ぶ。
お終いにはツアーコンダクターと思しき人が、大声で説明を始める。

そもそもこんな所でレッスンをしている私たちの方がいけないけれど、あまりの煩さに彼方此方移動して、ようやく潮が退くように大群はバスに乗り込んでいった。
やっと所定のページを消化した頃には、すっかり疲れ果てていた。
それでウッカリ、イスに帽子を置き忘れてきた。
電車の中でハッと気がついた。(ハットとかけたわけではありませんよ)

その時のガッカリ感といったら・・・
その帽子はつい先日、東京駅の「KITTE」での昼食会の時に買った物。
この夏、ずっと帽子を探していた。
中々気に入ったものがなくて、澁谷で間に合わせに買った帽子がまあまあだったので、それを愛用していた。

それでも非常に気に入っていたワケではなくて、いつも帽子売り場があると、良い帽子がないかと探していた。
先日の昼食会の後、バーゲンが始まった「KITTE」の中をぶらついていたら、パッと目に飛び込んできたのが、その帽子。
一目見て、色も形も素材もなにもかも気に入った。
手に取ってみると、しなやかで丈夫そうで、サイズもピッタリ。
その時点で決り!のはずだった。
値段を見ると、この値段の半額かあ、少し高いけどいいか、と思ったけれど、なんと、その値段がすでに半額になった値段だという。

と言うことは元値は表示された値段の2倍の値段だったワケで、たかが帽子にしては高すぎる。
それで、どうしようかと思ったけれど、私の手がその帽子を離さない。
私ではなくて、手がですね。
どうしても手から離れないので、仕方がなく代金を払ってしまった。
それでもかぶり心地の良さは抜群。
なんと心地よいことか。
鍔の広さも丁度良い。
ちょっと高かったけれど、買って良かった。
そう思っていたら、ホテルのロビーに忘れてしまうとは。

きっと、あの後誰かが持って行ってしまったと思う。
もしかしたら、さっきの中国の団体の誰かが、持って行ったかも。
すっかり気落ちして何度も諦めようとしたけれど、諦めきれない。
家に帰って試しにホテルに電話してみた。

帽子の特徴を説明、すると気の良さそうなホテルマンが「その帽子ならたぶん届けられていると思います」と言う。
小躍りするくらい嬉しかった。

私は物欲も金銭欲もあまりなく、あるのは食欲のみという単純人間なので、物を失くした時にはすぐに諦めてしまう。
ところが今回の帽子は、すっかり気に入っていたので、失くしたと思った時は本当に目の前が真っ暗だった。

ズーッと昔の話しだけれど・・・
未だに忘れられないお財布。
スエードのきれいなお財布を買った。
それはそれはきれいな緑色。
お金は大して入っていなかったけれど、そのお財布を日比谷公会堂の楽屋で盗まれた。
私が財布のことを嘆いていたら、口の悪い人から「あなたは、良い物は身につかないのよ」と言われた。
人がガッカリしているのに、なんてことを言うのかと憤慨しながらも、本当に私はそうだなあと妙に感心した。

それからも身分不相応の物を買うと、たいてい失くす。
やはり言われたことは正しかったのだと思っている。
ブランド物などは、持つべき人が持てば良いけれど、そこまでのステイタスのない人が持つと、せっかくの本物が偽物に見えてしまう。
帽子はそれほど高級品ではないので、出てきてくれたのかな。

ホテルに行って帽子を受け取ってきた。
明日からの、志賀高原の日差しを遮ってもらわねば。
志賀高原で万一風に飛ばされでもしたら、どうしよう。




































2015年7月22日水曜日

そわそわ

ここ数日、日がワープする。
今日は水曜日、明日は木曜日なのに、すでに気持ちが金曜日に行く志賀高原の蛍に向いてしまっているので、なにをやっても上の空。
なにをやってもと言っても私のすることは限られていて、せいぜい掃除機をかける、洗濯をする、食事の支度をする、ゲームをする、散歩をする、nekotamaに投稿、そしてヴァイオリンを弾く。

明日が木曜日だというのが、そもそも気に入らない。
志賀高原に出発するのは金曜日。
明日にでも、もう出発できるのに、なんだって今週も律儀に木曜日があるのか。
たまには水曜日の次が金曜日でも悪くはないと思うけれど、そうもいかないらしい。
それで、私の中では、木曜日の予定が飛んでしまっている。

明日はどこで待ち合わせだっけ・・・予定を見ると、あら、もう1日先のことだったわ。
さっき、待ち合わせ場所の書いてあるメールを間違えて消去したと思って大慌て。
わあ!誰かに電話しなくては。

よく考えたら慌てることはない、明後日のことだったし、メールもちゃんと保存してあった。
荷物はもう詰めてあって、部屋の片隅に黄色い可愛らしい2,3泊用のキャリーバッグがまだかまだかと出発を待っている。
まだなのよ、もう少し待ってね。
それは自分に向けて言う台詞だった。

以前木曾の山の中を真夜中、車で走ったことがあった。
真っ暗な山中で不思議な光を目撃。
一体あれはなんだろうと思って車を停めて外に出た。
ふわりふわりと沢山の光が空間を漂っている。
人っ子1人居ない真っ暗な山中で、恐がりの私はいつもなら怯えると思うのに、その時は全く怖くなかった。
それよりも、その光の正体が気になって。

しばらく見ていて気がついた。
あ、蛍だ。

それ以来蛍を見ていない。

いつも冬に訪れる志賀高原。
初めて夏の志賀高原に行くことになった。
うば桜4人組。
定宿の志賀高原石ノ湯ホテルに宿泊。
そのホテルの少し奥に川があって、そこで蛍が見られると前から聞いていたけれど、忙しく働いている時には、そうそう出かけられるものではなかった。
やっと念願かなって蛍とご対面。
蛍さんたち、きっと出てきてね。
私はすごく運が良いと自負しているのだけれど、くじ運だけはどうしてもダメで、その事から考えると蛍が出てこない確率の方が高い。

会えなければ会えないで、酒豪女子のみんなとお酒を飲むという楽しみがある。
このホテルは、建物が古くて豪華ではないけれど、食事が美味しい。
小さいホテルだから、シェフも隅々まで気配りの利いた料理が出せる。

前の経営者が亡くなって、このホテルは閉鎖するはずだった。
後を継いでくれる人が現れて、私たちの定宿はやっと存続の危機を免れた。
人里離れたところにぽつんと建っているので、交通の便も悪い。
建物も古い。
内装も中々年月を感じさせるものがあるけれど、ここで長年楽しい時を重ねてきた私たちは、玄関を入ると「ただいま」と言いたくなる。

蛍に会えるかどうか・・・さあ、丁か半か!
あ、ちょっとお育ちが知れますなあ。


























イギリスから

ロンドンアンサンブルの今年の演目はエルガー「エニグマ変奏曲」
まだ先の事だと思っていたら、先程ロンドンのリチャードからメールが届いた。
添付されていたのは、楽譜。
15ページに及ぶ長い曲で、これは手強い。
私はおそらくこの曲は初めてではないかと思う。
日本ではイギリスの曲はあまり演奏されないので、知られていない曲も多い。
あるときハンガリー人のヴァイオリンの名手であるタマーシュに「チゴイネルワイゼン」のリクエストが来た。
彼は今までその曲を弾いたことがなかったそうで、私たちはハンガリー人なら誰でもがあの曲は十八番だと思っていた。
ヨーロッパではあまり演奏されないというので、びっくりした。

タマーシュはさすがに素晴らしい演奏をしたけれど、本番でペグが緩んだり、楽器が拒否反応?

国によって演奏する曲に差があるのは、国民性の違いや伝統の差。
日本は最初にお手本にした西洋音楽がドイツだったので、どうしてもバッハ、ベートーヴェン、ブラームスの3大B。

先年、イギリスのアルバートホールで聴いたのは、エルガーを初めとして全部イギリスの曲だった。
とても充実した演奏で感激したものの、日本ではあまり演奏されることがないのが残念な気がした。

エニグマは謎という意味だそうで、映画にも「イミテーションゲーム・エニグマ」という作品がある。
あるブログ(クリックするとリンクします)」で見つけて早速見にいったけれど、非常に感動した。
ナチスドイツの暗号をとくために集められた天才数学者の苦悩を描いた作品。
普段あまり映画を見ないので何ともいえないけれど、最近の映画の中でもとりわけ秀逸な作品ではないかと思う。

ちょっと横道に逸れてしまったけれど、メールに添付された楽譜を自宅で印刷できる、この便利さを知ってしまうと原始時代には後戻り出来ない。
文明は発達しすぎて困ったことも起きるけれど、ありがたく享受させて貰っている。

新しい楽譜を解読していくのが好きで、譜読みには努力を惜しまない。
というより譜読みが終るとがっかりして興味がなくなる。
そこが私が一流にも二流にもなれない所以。
そこからが出発点なのに。
今年初めに弾いたストラビンスキーの「兵士の物語」も、謎解きの脳トレを楽しんだ。
それにしては、いつまでも頭が良くならないのはどうして?
不思議と譜面を見ると、テンポが思い浮かぶ。
この形ならこれくらいの早さと決めると、たいてい当たっている。

で、そうやって自分を過信したばかりにかいた恥じがある。
オーケストラの練習場で、初めて弾く曲を1人で練習していた。
指揮台では指揮者の秋山和慶さんが、スコアを見ていた。
その目の前で、その日弾く曲をすごい早さでバリバリ弾いていたら、始まってみれば、その数倍も遅いテンポ。
イスから転がり落ちそうになった。
秋山さんもお人が悪い。
早く教えてくれればいいものを。
内心「あんなに早く弾いて、後でびっくりするなよ、アハハ」なんて思っていたかも。













2015年7月20日月曜日

アンサンブルライン コンサート

東京文化会館小ホール

ハイドン    「弦楽四重奏曲『夢』」
モーツァルト  「弦楽四重奏曲 ニ短調」
八代秋雄    「弦楽四重奏曲」
ブラームス   「ピアノ五重奏曲」  ピアノ 服部真理子

  ヴァイオリン  手島志保
          平岡陽子
  ヴィオラ    東 義直
  チェロ     和田夢人

アンサンブルラインは1997年にスタートしたというから、息の合いかたも並ではない。
最初のハイドンの弦楽四重奏曲は、非常に難しい曲だった・・・ような記憶があって、見事な出来映えに感心した。
弦楽四重奏はおそらくどんなアンサンブルよりも完成されていて、それだけにほんの少しの音程や音の乱れが、とても目立つ。
ヴァイオリンの手島さんの音色は明るく伸びやか。
彼女の人柄そのものなのではないかと思われる。
音色も和声も長年培ってこなければ、しっくりとはいかない。
本当に熟成するまでに、長い年月がかかる。
見事にハモった豊かな音をきかせてもらった。

モーツァルトは、彼の作曲した弦楽四重奏曲の中の唯一の短調であるKV421。
奥さんの出産を控えて、落ち着かない時に作曲したと言われている。
本当かどうかは知らないけれど、心配と言うより、苦悩と言った方がピンとくる。
彼は神童時代からずっと幸せだったとは言いがたい。(これも憶測)
神の子として、人間社会との軋轢が苦悩の原因では?

八代秋雄氏の作品は、現代音楽でありながら、日本人の心に郷愁を呼ぶような魅力をたたえていた。

ここまで3曲、素晴らしいアンサンブルを堪能した。
そしてブラームス。
今まで4人で呼吸をピッタリ合わせていたために、すっかり4人の世界が出来上がっていた。
そこへピアノが入る。
1楽章は弦楽器奏者たちの呼吸とピアニストの呼吸の僅かな差が、気になった。
ピアニストの方が少しだけ、浅い呼吸になっている。
しかし、それも初めの内だけで、2楽章になると素晴らしいことに5人が同じ深さで息をするようになった。

ピアノの服部真理子さんは、素晴らしいピアニストだった。
音に艶があって、弦楽器と調和する。
ピアニシモからフォルテまでの音の幅が広い。
どんなに強い音でも、決してアンサンブルを壊さない。
5人が一体となって、力強い終曲を弾き終えた。
アンコールはモーツァルト「ピアノ協奏曲より2楽章」

本来なら今日このステージは、池本純子さんのピアノ協奏曲が鳴っているはずだった。
ところが池本さんの体調が少しすぐれず、急遽、アンサンブルラインのコンサートに変更されたという経緯がある。
そして伴奏するはずだった私たち「古典音楽協会」のメンバーは、客席で聴衆の1人として、今日のコンサートを聴くこととなった。
唯一「古典」のメンバーであるヴィオラの東さんは、ステージで演奏していたというわけ。

東さんのヴィオラは深みのある音で、ブラームスで何回もソロが出てくる度に、うまいなあと改めて感心した。
こんな上手いヴィオラ弾きに「古典」では刻みばかり弾かせて伴奏して貰っているのは、大変申し訳ないし、もったいない。
彼の協奏曲のソロを聴きたい。


















教師はドキドキ

うちに熱心に通ってきている生徒が、今日は荒川区での発表会に出るというので聴きに行った。
私は音楽教室の生徒以外は、自宅の方はこの生徒が1人。
あとはたまに単発のレッスンに来る人が少し。

この人は以前は他の先生の所に通っていたらしい。
そしてアマチュアのオーケストラに入ってシンフォニーなどを弾いていたけれど、もっと上を目指そうとレッスンを受けに来た。
私よりは若いけれど、20代とは言えないお年頃の女性。

初めて音を聴かせてもらったら、ヴァイオリンって・・・金管楽器だったかしら?と一瞬とまどった。
金気の多い音がする。
それは弓を必要以上に弦にこすりつけるからで、最初の構える姿勢からして、敵討ちに臨む侍の様。

アゴでギュッと楽器を挟み、斜め前方に身体を倒し、上目遣いに楽譜を睨む・・・おお、こわ!
アゴは二重顎になって、せっかくのスリムな小顔が台無し。
左手は剥がそうとしても剥がれないくらいの力で、指板を押さえている。
そんなに叩くと指板に穴があくよと、何回も注意した。

楽器は鎖骨の上にストンと置いて、左手の親指と人差し指の三角になったところに載せて、鎖骨と左手のバランスで持てば良い。
木の枝が二股に分かれたところに、板を載せるような感じで。
その板は木がギュッと締め付けて来なければ楽に移動ができる。
それと同じで、左手の指はきつく締めるとポジション移動の時に滑らないから、締め付けない。
それで移動がスムーズに行く。
顎も楽。

今どきそんな教え方をする人も少ないと思うけれど、私が子供の頃習った先生方は、ずいぶん変な教え方をしていた。
親が無関心だったから、良い先生を探してくれるなどという事もなく、適当に近所の先生の所へ放り込まれた。
楽器は顎でしっかりと挟んで、両手を離していられないといけない、とか、左手は指板を強くしっかりと上から叩くように、とか、弓は強い音を出すときは強くこするようにとか。
とにかく力を入れるという風に教わった。

思えば日本のクラシック音楽の初期は、外国人の見様見真似。
右手が柔らかくて指が自由自在に動くのを見て、それは外側から指を動かしているのだと勘違いしても無理はなかった。
私たちも、それで、指弓なるものを教わった。
弓の元から返す時、指の準備を先にしてから返しなさい、と。
要するに弓を返す時に、雑音が出ないようにと言う。
でも、そのために音の返りが遅れたり、音の立ち上がりがぼやけたりしたものだった。

それが出来ないからと言って、私の所に泣きついてきた人も居た。
その人に、それは指でするのではなくて、手首、指全体が柔らかく脱力出来れば自然に出来るから、と言ったことがある。
右手の指が全部独立していれば、それぞれの指の動きが自然に役割を果たすように動く。
とにかく脱力さえできれば、どんな動きもできるのだから、まずは脱力を勧めた。
しかし、レッスンの最初の頃は脱力と言っても、信用してもらえない。
力を入れなければ、音は大きくならない。
音の大小は、こする力に比例するという意識から抜けられない。
圧力をかければかけるほど大きな音がすると思っている。
潰れて遠くに飛ばない音になってしまうのに。

それから何年目になるかしら、今日演奏する生徒が、やっと脱力の大切さを分かってくれたのは。
いかにムダな力を入れていたかを納得してくれたので、見違えるように音が良くなってきた。
それでも長年の習慣が抜けるのは、これから先、気が遠くなるような時間がかかると思う。
私自身もそうだった。
今でも緊張すると、力が抜けてくるのに時間がかかる。
アレクサンダー氏の提唱したテクニックがある。
その本の中で「何をしなければならないかではなく、なにをしなくて良いかを知る」という項目があって、それを見つけたときには目から鱗だった。

少し会場が遠いのでどうしようかと思ったけれど、夕方、結局出かけた先は、船堀タワーホール。
車で走ってみると、交通渋滞はなくてあっという間に会場に到着した。
生徒の演奏はというと、レッスンで仕上がったものとほぼ同じくらいのものは出し切ったと思う。
ただピアノ伴奏がつくと本人が脆弱だものだから、そちらに引っ張られてしまう。
曲はチャイコフスキー「瞑想曲」
伴奏が元気過ぎて、瞑想には中々入れそうもない。
こういう曲はピアノは少し重ためで弾いてくれればいいのに。
あんなに騒がしい瞑想曲になるはずではなかったと、少々恨めしい。
もう少し本人がしっかりしていれば、これほど引きずられないし、伴奏者もヴァイオリンがどう弾きたいのか分かってくれるのではないかと、そのへんを今後の反省点にしたい。

それから、ステージ上の立ち位置が、まるでなっていない。
ヴァイオリンの胴体の上板が客席を向かなくてはならないのに、反対に向いてしまったのも敗因の一つ。
これは譜面台をセットする時のミス。
そのミスを本人は緊張しているものだから、そのまま位置を直しもせずに弾き始めた。
もう何回も発表会に出ているから大丈夫と油断したのが、間違いのもとだった。
けっきょく客席にヴァイオリンの背中の方が向いてしまった。
たったこれだけのことでも、ヴァイオリンのようなステージの音響に激しく左右される楽器には命取り。

ステージのリハーサルに立ち会えば良かった。
こちらも反省させられることしきり。























2015年7月18日土曜日

おばんざい

上の階の人から時々お総菜をいただく。

ジップロックのビニール袋にキッチリと詰めて、お主、ただ者ではないなと言いたくなる出来映え。
先日、近所に住む私の姉の家にバラを見に行った時に同行して、姉の淹れたコーヒーを一緒に飲んだ。
コーヒーの御礼と言って、うちと同じようにお総菜をいただいた時、姉は「素人の腕じゃないわね。プロだったのではない?」と言った。

今日、上からトントンと降りてきて、お裾分けを頂戴する。
今日はジャコの炊いたもの、野沢菜の炒め物。
その時に姉の「プロだったのでは?」という言葉を伝えたら「以前少しだけお番菜をやっていました」と言う。
関西系のひとなのだ。
腕前を認められたのが嬉しかったのか、もう一度、更にお味噌汁を鍋に入れてきた。
ジャガイモ、蕪、お揚げ、シメジなど具だくさんで、少し甘めの白味噌仕立て。

最近私は料理も億劫で、今日自分で作ったのはゴーヤーチャンプル。
葱、ゴーヤー、なす、シメジ、豚肉、卵の炒め物。
それにトマトやキュウリがあればと思っていたけれど、思いがけずじゃこや野沢菜が届いたので、急ににぎやかな食卓になった。
ジャコがあれば、やはり白いご飯。
いつも夕食はおかずを少々食べて済ますのだが、今日はご飯を食べることにした。
熱いご飯にジャコと野沢菜を盛って、ハフハフと食べると、日本のご飯ってなんて美味しいのかと思う。
これだけで済まそうと思えば後はいらないと思ったけれど、せっかく作った炒め物を食べないともったいないので、少しつまむ。

相手がプロとあれば・・・ちょっと悪だくみが浮かぶ。

最近私は、食事を作るのが面倒になってきた。
以前は激しく仕事をしていたけれど、その合間を縫って買い物も食事の用意もしていた。
一種の頭脳プレイだから、それも楽しかった。
スケジュールに合わせて買い物の予定を立て、休みの日に保存食を作り冷凍した。
仕事から帰ると、寒い季節はまずお湯を沸かす。
グラスに3分の1くらいウイスキーを入れて、お湯を注ぐ。
ホットウイスキーを一口飲むとホカホカしてきて、飲みながら鼻うた歌って食事の用意をするのは、少しも苦痛ではなかった。
むしろ、仕事の激しいストレスがそこで解消できた。

熱い夏には冷蔵庫で、ビールやワインをキリキリと冷やしておく。
夏のおつまみはまずキュウリ。
縦半分に切ってから、横3等分。
すこし大雑把だけれど、これに自家製の味噌を添える。
切りながらちょっと一切れつまむ。
冷たいビールを飲むと背中に羽が生えて、空高く舞い上がれそうな気分!
それから食事の支度。
冷えたトマト、豆腐や魚。

料理は好きで、食べるのはもっと好きで、大勢の人が押しかけて来てもいくらでも作れたのに、最近は本当に面倒くさい。
かと言って食べないかというと、相変わらず旺盛な食欲に忠実に沢山食べる。
しかも一品料理は好きではなくて、食卓に何皿も並ばないと気がすまない。

そこで考えた。
上の階の人が家族2人分作るのなら、少し多めに作って貰って買い取る、なんて事は出来ないかしら。
同じメニューで良いし、手間は殆ど変わらない。
うちに専用のお総菜やさんが居ることになったら、随分楽になるのではないか。

あまり近所付き合いはしない、他人の生活に深入りしないようにしているので、それも又面倒になるかも知れないけれど、一考の余地ありではないかしら?
近所付き合いは難しい。
親しくなりすぎて万一こじれでもしたら、近くにいるだけに具合が悪い。
その辺が上手く出来るかどうか。
















2015年7月16日木曜日

母の命日

明日は母の命日。
平成8年に亡くなった母は、享年86才。
兄弟が集まって、今日は昼食会を開くことになった。
兄はお中元に戴いた素麺が沢山あるから、素麺パーティーをと言う。
なんだ、うちにも頂き物の麺類が山のようにあって、それを兄弟達に持って行って貰おうと画策していたのに、これはこまった。
山のようなうどんやお蕎麦は、これからせっせとお腹に入れないといけない。
腐る物ではないにしても、古くなったら劣化するかもしれない。

乾麺類はたいてい束になっている。
70グラムとか100グラムで、ひと束。
私にはその量は多すぎる。
スパゲティーのように、バラしておいてくれれば良いのに。
と言っても細い麺は束ねておかないと、折れたりするのだろう。

生まれて初めてざるそばを食べたとき、なんて不味い物かと思った。
こんな物を食べる人の気がしれない。
茹でた蕎麦につゆをつけて食べるだけ。
しかも葱などの薬味は生。
子供の味覚には殆ど受け入れられない。
今は時々無性に食べたくなる味なのに。
大人と子供の味覚の違いは成長過程にある?らしい。

今日は近くに住んでいる姉2人と私が、兄の家に集まった。
兄は電子工学が専門で、かつて花形だった半導体の研究をしていた。
音楽が好きで学生時代にヴァイオリンやフルート、トランペットなどを楽しんでいた。
母校の高校の吹奏楽部を作ったのも兄だそうだ。

兄弟の中でも母の寵愛を独り占めしていたので、皆の恨みを買っていた。
学校から帰ってくると「ただ今、お母ちゃまお腹が空いた」と言うのが毎度の事。
意地悪な姉妹たちに「あんな大きくなっても、お母ちゃまだって、ブフフ」と嗤われていた。
母の介護の時は兄弟でローテーションを組んで当たっていたけれど、土日は兄に押しつけた。
「あなたは一番可愛がられたのだから」と皆から言われて膨れていたけれど、元々優しい性格で手先も器用だから、母は大事な総領息子に介護されるのが一番嬉しかったのではないかと思う。
兄だけ名前に「さん」を付けて呼ばれていた。
「本当に***さんはなにをやっても器用で」「***さんはヴァイオリンが上手だねえ、そこいくとあんたは下手」私は11才も年上の兄と比較されて傷ついた。

兄弟は親から平等に愛される訳ではないと、その時知った。
それぞれの立場があって、一番上の姉は溺愛、蝶よ花よと育てられた。
長兄は大事な跡取り息子として育てられ、次兄は成績優秀につき、自慢の息子。
後の3人の娘は本当はいらなかったらしい。
それで放置されて、自由気ままに育ったのが良かったのかどうか。
好き放題やらせてもらって、幸せだった。

兄は手先が器用な上、理科系の緻密な頭脳の持ち主だから、料理をやってもすごく上手い。
漬け物などもぬか床の熟成を、気温、塩の割合、湿度などに合わせて微妙に調節するのだという。
それで、すごく美味しい漬け物がいつも食べられる。
会社を辞めてから、静岡の大学で教えるので単身赴任していた。
その間、独り暮らしの住居に人が沢山集まるので、料理の腕前が磨かれたらしい。

狸に餌つけをしていたら、ある日狸が車にひかれてしまって、悲しかったと話す顔は、そう言えば狸顔。
狸に親近感を抱いていたらしい。
兄弟揃って動物好き。

今日は兄自慢の25年ものの梅酒で乾杯。
メインの麺は、少し茹ですぎたと言っていたけれど、すごく美味しかった。
兄弟揃って食卓を囲むのは毎年1回か2回。
次兄だけ離れた所に住んでいるけれど、後は近所にすんでいるので、こうして集まれる。
きっと母が見ていて「本当に***さんはいいお兄さんだねえ。それに比べて下の女の子達は出来が悪い。***さんに素麺を茹でさせるなんて」と怒っているかもしれない。
長男いのちの母が、愛情込めて育ててくれたので兄は優しい。
それで私たちも得している面もある。
結局、愛情のお裾分けをして貰っているのかもしれない。



















2015年7月15日水曜日

うつろい

右手にバナナ、トマト、左手にお豆腐をぶら下げての帰り道。
私の家のすぐ傍まで来ると、川沿いの桜並木の途中でおじさん1人。
西の方の空を見あげている人がいる。
つられてそちらを眺めると、まあ、なんて素敵な夕焼け。
しばらく私も見物。
家に戻ってから、そうだ!写真を撮っておこうと思い立った。
すぐにスマフォを手にして川沿いの道に出る。
その間ほんの5分ほど、いや、もう少し短かったかもしれない。

しかし、真っ青な空に輝いていたバラ色の雲は、すでに暮れかかっていた。
こんなに早く消えてしまうとは。
撮れていればここに掲載できたのに。
みなさんにお見せしたかった。
今日1日、本当にきれいな日だった。

246号線を神奈川側から東京方面へ向かって走っていたら、陸橋の上に夏の雲が大きく広がっていた。
夏の空は雲も力強い。
子供の頃は夏は蝉とり、海水浴、花火大会、お祭りなど、それは楽しかったけれど、いつの間にかそんなことも忘れるようになった。
雲を見て、一瞬夏の楽しさを思い出した。
最近は熱中症の危険ばかり考えて、夏が嫌になっていたけれど、今日の日はいかにも懐かしい感じのする夏日。

昨日のクラス会の参加者から、メールが届く。
楽しかったと言ってもらえるのは、やはり嬉しい。
私たちを1日の時間に例えれば、夕方から夜に差し掛かっている年齢になった。
元気に生活出来ているのはすごく幸せ。
今の私の人生の黄昏時は、ちょうど今日の夕焼けのような日差しだと思っている。
優しい人達に囲まれて音楽を楽しんで、猫も1匹だけになってしまったけれど、飼っていられる。

最近、世界がざわざわしている。
殺戮に明け暮れている国でも、夕焼けは同じようにきれいだと思う。
その美しい風景の下で、人が人を攻撃することの愚かさに、気がついてほしいと、心から願っている。
狂った心が不幸を呼び込む。
それでも人類が増えすぎれば自然淘汰で、流行病や戦争が起きるのは必然とか?
いえ、絶対そんなことはない。
なぜ憎しみでしか他の国とつきあえない人達がいるのか、どうしても理解できない。
彼らも必ず、誰かに愛されていると思うのに。

自然も最近狂っているらしく、大きな災害が巻き起こっている。
でも、それが本来の姿なのかもしれない。
私たちが文明の力に頼って安楽に暮していくのが、そもそも間違っているのかも。

あっという間に外は真っ暗。
今日一日の幸せを感謝。
いつもはあまり宗教的でも哲学的でもない自分が、こんな風に物事を考えるのは久しぶりのことだった。

私らしくもない文章を恥じて、おかしい話しをひとつ。

友人のご主人Tさん。
あるとき九州に行って蕎麦屋に入った。
Tさんは親族のお葬式だったので、黒服、日差しが強い時だったのでサングラス着用。
なにやら辺りが騒然としていて、黒服の人がたくさんいる。
どうやらその辺りのやあさんの親分が、抗争でなくなったらしい。

蕎麦をたべていると、やあさんの子分さんが話しかけてきた。
「本当につらい、かなしい」と。
それでTさんは自分も、やあさんの身内の1人と思われていることに、気が付いた。
さて、どうしようかと考えた。
なにか言ってまずいことになってはいけない。
抗争の内容も知らないので、コメントも出来ない。
それで「明けない夜はない」と言ったそうだ。

Tさんはどっしりとした風貌で声も太く、黒服とサングラスをかけていれば相当貫禄があるから、子分もいかにも感に入ったに違いない。
その子分さんの将来を明るくしてあげたのではないかと思う。
暮れない昼もないけれど、明けない夜もない。
すべて輪廻転生。
おや、私今日はなんだか哲学的では?















2015年7月14日火曜日

高校クラス会

もう何ヶ月も前から大騒ぎしていたクラス会。
今回幹事となってしまって、馴れない作業にてんてこ舞いだった。
もう1人の幹事が昨日になって急に身内のお葬式が出て、1人で対応しなければならない。
幸い前回の幹事のIさんが協力してくれるというので、心強いけれど。

こんなに暑い最中に決行する気はなかった。
もう少し前、梅雨入り前に、はとバスに乗って遊ぶ計画を立てていたけれど、前回の幹事のIさんから、それは大変だから止めた方が良いと助言をされた。
申し込んでおいてもキャンセルが出ると、その手続きが大変なのだそうだ。

前回は一関のホテルに泊まって東北の紅葉を愛でたのだが、バスの手配のことなども、キャンセルで赤字がでたとか。
それで、面倒な事は止めた方が良いと言われ、それもそうだと納得。
食事だけにしたのが、正解だった。
18人申し込みがあって、体調を崩したり家庭の事情などで3人キャンセルがあって、最終的には15人。
初めに予約したときに、当日のキャンセルも大丈夫ですよとお店のマネージャーから言ってもらえたお陰で安心はしていたけれど、何回もキャンセルの電話を入れるのは心苦しい。
マネージャーは長年の経験でたぶん、そのくらいのことになるとわかっていたのかもしれない。
はじめは15人から20人と言っておいたけれど15人出席、予想通りの人数がクリア出来た。
周りに色々協力してもらって今日になった。

一番苦手なのが事務的なこと。
まず案内状、返信用ハガキの作成。
案内状を作る前に返信用ハガキはできあがった。
荻窪の中華料理店で幹事が集まって打ち合わせをした時に、そのお店の傍に住んでいるピアニストのOさんが、自宅のパソコンでチャチャっと作ってくれた。
幹事でもないのに、お付き合いで一緒にいただけなのに。
そのOさんがひどい風邪をひいたとかで欠席。
ハガキ作らされて欠席では、本当に気の毒。

案内状の作成印刷、コピーは私。
案内状を送る封筒の宛名書きは、もう1人の幹事Nさん。
糊のついていない封筒だったので、私が糊付けをしなければならなかったのが大変だった。
それでも、テープ糊というのがあって、これがとても優れもの。
私の様に不器用でも、手がべとべとにならずに済んだ。
でも一番大変だったのが糊付け。

クラス会名簿を作ってくれたのは、前回幹事のIさんのお嬢さん。
こういうことは一番面倒で間違えられないことなので、本当に助かった。

返信用ハガキが送られてきて、出席と欠席を間違えないように確認。
出席に○を付けてと言っているのに、チェックが入っている人がいる。
ウッカリ欠席と勘違えそうだったけれど、本人と会ったので出席の確認がとれた。

1ヶ月前にお店に出席者の人数を報告。
その時点では18人。
1週間前にお店から確認のファックスがきて、それからキャンセルが出る毎に電話をかける。

もう今日はキャンセルがこないと思っていても、遅刻する人やうっかりして忘れる人もいるかもしれない。
2,3日前から確認の電話をかけていたけれど、途中までやって、ばからしくなってやめた。
皆を信用しよう。
それが間違いの元でないといいけれど。
私の血液型はO型。
O型は大雑把なのに心配性という、一番効率の悪い型なのだ。

今日は心配していた台風もどこかへ出かけているようで、快晴の暑い1日となった。
会場に着くともう10人ほどの人がたむろしていて、ホッと安心。
残りの数人も程なく到着。
みんな忘れずに来てくれた。
大きな窓からは真っ青な空の元、皇居の美しい佇まいが一望できる。
しばらく眺めていた人達も、お喋りに火が点くと風景はどうでも良くなってしまった。

2次会は近くのKITTEのオープンスペースでコーヒーを飲みながら、又しゃべり続ける。
徐々に帰り始めて最後に残った弦楽器奏者4人で、今度は新丸ビルのビアレストランへ移ってビールを飲みながら談笑した。

どれだけ時間が経っても、すぐに同級生に戻ってしまう。
それぞれが大変な時期も病気も越えて、今こうして再会を果たし、来年は一緒に演奏しようと約束して解散した。
曲はブラームス弦楽6重奏曲。
また、楽しみが待っていると思うとわくわくする。
嬉しい、早く弾きたい。


































2015年7月13日月曜日

良く笑う人達

音楽教室の弦楽アンサンブルの練習の後、よく皆で飲みに行く。
昨日の練習でも誘われたけれど、ちょっとこのところ宴会続きでと、断った。
彼らとは9月初めに新潟に合宿に行くから、その時は心置きなくつきあえる。
石打丸山のスキー場にある大きなマンション。
そこの住人が音楽教室の会員で、このアンサンブルのチェロのメンバー、N氏。
N氏はスキーの名手。
スキーに専念するために早々と仕事をリタイアして、冬場はこのスキー場に籠もりっきりになる。
そのマンションにはステージのあるホールがあって、そこで練習できる。
ゲストルームは広いリビングルームと、数部屋の寝室があって、そこで寝泊まりしながら練習に励み、夜通し宴会。
発表会が近いので、各々の練習も好きに出来る。
N氏のお陰で、じっくりと最後の仕上げが出来る。

一昨日は古典のランチ。
今日は松本のコンサートの余韻を引きずっている、その時のメンバーの集まり。
もうこのnekotamaには何回も書いたけれど、ずっとお付き合いが続いている。
今回も我が家の近所のイタリアンが会場になった。
そして明日も高校のクラス会。
胃袋が悲鳴を上げている。

クラス会のもう1人の幹事Nさん。
急に身内の不幸で欠席となった。
当日がお葬式と重なってしまったのでと、昨夜電話があった。
よりによって当日とは運が悪い。
明日になっても熱中症でとかなんとか、都合が悪くなる人が出てくるのではと、ヒヤヒヤしている。

さて、今日の松本組は6人集まった。
このメンバーはとにかく良く食べる。
皆、それなりに苦労も大病もしているのに、全然めげない。
なにがあっても周章狼狽することがない。
あることを除いては。

私たちは普段肝っ魂が座っている割には、楽器を手にすると急に神経質になるという弱点を持っている。
これさえなければ天下太平なのに、うまくしたもので、やはりどこか弱点があるものだと思う。
大舞台でも、いつも堂々としているKさん。
彼女の落ち着きぶりに、あるとき「貴女って全然上がらないでしょう」と言ったら、怒ってしばらく口を利いてもらえなくなった。
ちっともそうは見えないのに、やはり彼女もナーバスになっているのだ。

私もよくそう言われるのは、緊張するとテンポが遅くなる。
どうしてかというと、手が硬直するので早く弾くとこけるから。
しばらくしてステージになれると、ようやくテンポを早くできる。
ゆっくり目で弾くと落ち着いて聞こえるようだ。
それでいつも落ち着いているわねと言われるけれど、とんでもない。
内心ガクガクしているのに。
上がるとテンポが速くなる人も居る。
そうなると収集がつかなくなってしまうので、それを避けるために慎重に弾き始めるというのが事の真相なのですよ。
こういうことを考えただけで、身体に震えがくる。

松本でのステージのプログラムに、サンサーンス「白鳥」があった。
その時のチェロのソリストはTさん。
いつもちょっと威張った風で、態度がでかい。
ステージマナーも人を喰った様子で、あまりお行儀は良くない。
ソロを弾くために、いつもはステージ上手側にいるのに、その時だけヴァイオリンの傍に来て待機していた。
突然、彼がこちらを向いて「断頭台に上る気分だよね」とつぶやいた。
あのいつもの傲岸不遜な彼が、そんな弱音を吐くなんて信じられなかったけれど、勿論演奏は素晴らしかった。

いざというときはやってのけるけれど、その前は皆緊張しまくっている。

待ち合わせ場所の駅改札口。
早い早い、まだ約束の時間の10分前だというのに、皆集まっていた。
さりげなく近づく。
呼びかけると笑顔がはじけて、再会を喜んだ。

皆気軽に出かけてくる。
良く飲みよく食べ、良く笑い、次回を約束して解散。
幸せそうに帰る背中を見送って、私もほっこりしながら、家へ。

明日はクラス会。




















2015年7月11日土曜日

暑気払い

「古典音楽協会」のメンバーが東京丸の内に集まった。
今日は京のおばんざいの店「菜な」で、「菜なの特選膳」をいただく。
こういうことのセッティングは、いつも古典の面倒見ナンバーワンのNさん。
彼女の食べ物の嗅覚は並外れていて、従いていけば必ず美味しい物にありつける。
東京駅の東京中央郵便局跡。
そこの「KITTE」5階。

丸の内界隈には来週の火曜日、高校のクラス会でもう一度出かけるので、2次会会場の下見もしておこうかと、少し早めに出かけた。
クラス会幹事の私としてはどきどき、台風が来るのでは、だれか病気でこられないのでは、忘れている人はいないかと、やきもき。
明日にでも、みんなに1度電話で確認しておこう。

ところでクラス会には何を着ていこうかと、それも悩みの種。
幹事だからあまりラフでもいけないし、そうかと言って気合いを入れすぎるのも馬鹿らしい。
いつも綿パンツ、Tシャツのいでたちで、肝心のきちんとした服は持っていない。
夏用のスーツとかキチン感のあるジャケットも、ワンピースもない。
フォーマルと言えば喪服と、ステージドレスのみ。
初めて見る人は、私の普段着とステージとのギャップにびっくりする。
ステージドレスは私の仕事着だから、驚くことはない。
汗をかけばネットに入れて、洗濯機で洗濯してしまうのだから。
KITTEは今バーゲン真っ最中。
思わず無駄遣いをしてしまった。
お店を覗くと「今日から半額です」
すかさず、スタッフが声をかけてくる。
「その半額というのは殺し文句ね」と言いながら乗せられて買い物。
あーあ、又コットンのカジュアルな服ばかり買ってしまった。
クラス会はどうするの。

それはさておいて、今日コンサートマスターの角道さんを中心に集まったのは、全部で8人。
古典のメンバーも年をとって、いつまで出来るかは保証できないけれど、とにかく角道さんが77才でとてもお元気なので、私たちももう少し頑張らないといけない。
角道さんの自己管理力はずば抜けていて、体型が若い頃から全く変わらない、毎日必ず練習を欠かさない、ゴルフも毎月数回、スクワット、ぶら下がり健康法も欠かさず。
特に人間コンピュータと言われた頭脳が全く衰えていないことが驚異なのだ。
今でもNHKのラジオ番組のレギュラーとして、週一回出演している。

そんなわけで、一番年上の角道さんが頑張っている以上、私たちもなんとか腕を落とさないように練習に励むしかない。
一時期私は随分落ち込んで、もうダメだと諦めかけた時期もあった。
それは視力の衰えによる、集中力の低下。
反射神経までもが視力のせいで、落ち込んだ。
活動を止めようかと思っていたけれど、年上の人達が頑張っているので、やめられない。
そんなこんなしていたら、又最近やる気が復活してきたようだ。
できる範囲でやればいい。
少し無理かなと思う程度に目標を設定すると、案外クリアできる。
コツコツ毎日。
だって、他にやることないし、ただ生きているだけではしょうない。

今年の後半も楽しい企画がいっぱいで、ありがたいことに色々な人が協力してくれる。
背中を押されながら、ヨロヨロと歩いていこう・・・と言いながら、真っ先に走り出す自分のおっちょこちょいさ加減に呆れている。
雀百まで踊り忘れず。
なんたって「雪雀連」のメンバーなのだから。














2015年7月10日金曜日

まったく、猫って

うちの駐車場に毎朝来るノラ2匹(時々3匹)
近所のボス猫シロリンと三毛猫のミッケ。(時々チャイロンも)
ミッケは世渡り上手で、必ずその時々のうちのノラ猫についてくる。
2代前のノラからの常連さん。

最初のノラは不細工で愛嬌があって、私はとても可愛がっていた。
それなのにある日パッタリと姿を現さなくなった。
ミッケもそのノラが本当に好きそうで、仲良く一緒にエサを食べていた。
居なくなったときは1人でぽつんと寂しそうにしていた。

次のノラは、電信柱に「探しています」と言うチラシが貼ってあった猫とそっくりだった。
それで書いてあった電話番号に連絡すると、探し主が現れた。
そして怯えて車の陰から出てこない猫を、コンクリートの床に膝をついて覗き込む。
確認出来ないので、次の日も。
又次の日も。
とうとうご主人まで同伴してきたけれど、確認出来ない。
でも元飼い主だったら、どんなに怯えていても返事くらいはしそうなものなので、やはり違う猫ではないかと冷静なご主人の言葉に、奥さんはようやく諦めた。
その猫は気が強く、ミッケは威嚇されていたけれど、しぶとくエサは一緒に食べる。
それから3年、ようやく私にだけ姿を見せるようになった矢先、突然姿を消した。

三代目ノラは、元々この辺のボス猫だった。
それがうちのノラのせいで私から追い払われていたのが、最近ノラがいなくなって、ようやく3代目昇格。
ものすごく凶悪そうな傷だらけの面構え。
甲高い声。
それが最近は甘えた声で、にゃ~と鳴く。
見れば中々愛嬌のある顔で、性格もおっとりしているようだ。
ボスだけあって、腕っ節は強そうだけど。

うちノラに昇格した最初の頃は、出されたエサを涙を流さんばかりに、うにゃうにゃ言いながら、全部平らげていった。
ところが最近・・・どこか他の家でもエサを貰っているのだろうか。

安物の缶詰を出そうものなら、「え!これを食べろと言うの」みたいにこちらを見る。
今朝も「嘘でしょう、こんなまずいの。他の銘柄にしてよ」とばかり、尻尾を立てて、すり寄ってきた。

あのねえ、私は猫のために仕事しているようなものなの。アナタたちがいなければ、もう少し人間も美味しい物が食べられるの。
いいかげんにしなさい!
放っておく。
お腹が空けば何だって美味しい。
ミッケをご覧。何を出しても美味しそうにムシャムシャ食べる。

ミッケの元飼い主が、時々我が家の駐車場の脇を通る。
「この猫うちの猫だったんですよ。それがね、仲の良い猫が出来て家から出て行ってしまって。最初は時々帰って来たので家から出さないようにしていたんですが、仲良しが外で呼ぶと大騒ぎするので出していたら、そのうち帰ってこなくなって」
仲良しは1代目ノラ。ほんとうに仲が良かった。
飼い主は物欲しそうにミッケを見て、寂しそうに帰っていく。
気の毒だけれど、この飼い主と居ても面白くは無さそうなんて、失礼なことを考えてしまう。

外で自由を謳歌しているミッケも、大分年をとってきた。
寒い日には窓から家を覗いてにゃあと鳴く。
頑張っていないで、そろそろうちの子になったら?

食欲旺盛なノラのために、缶詰をあれこれ買ってくる。
大量に届けて貰う。
それを不味いなんて言わせないからね、ノラや。

内田百閒の「ノラや」読んだことありますか?
大の大人が、居なくなったノラ(という名の飼い猫)を探して大泣きする、百閒先生、可愛い過ぎる。

















2015年7月8日水曜日

ご飯を待つ警察犬

ご飯を待つ警察犬たちが可愛い。
http://labaq.com/archives/51851583.html 
なんてお利口さん達なんでしょう。



2015年7月6日月曜日

今日も雨

子供の頃は雨が降ると嬉しかった。
体育の授業がなくなるからで、今みたいに体育館のある小学校なんて滅多に無かった頃の話し。
今なら充分問題児になっていたレベルの性格の子だった。
特に運動会などは、悪夢の内に入った。

他人と同じ事を揃ってするということが出来ない。
マスゲームやダンスなどは虫酸が走る。
行進するなんて軍隊みたいでいや。
歯を食いしばって走っている子を見ると、バカみたいと思う。

こう並べていくと、本当に可愛くない子供だったことが分かる。
3年生の時の担任の教師が大嫌いで、その先生に通信簿の通信欄に「子供らしくなくて可哀相です」と書かれたのを未だに根に持っている。

なぜその先生が嫌いだったかというと、まず体つきが超むちむち。
胸とお尻が大きくて、セクシー。
それを本人も自覚していて、真っ赤な口紅と体つきを強調するような服を着てくる。
教室で授業中に口紅を塗る。
それが不潔に見えて許せなかったのに、こともあろうかその先生に私は目をかけられていたようだ。

運動会の行進の時は先頭を歩かされる。
学芸会の開始の言葉を言わされる。
長期に休むと補講をしてくれる。
補講をしてくれると言われたときは大泣きに泣いて拒否したけれど、それでも親切に教えてくれた。

後で考えると先生も、若くて一生懸命だった。
ちょっと変わった子供がいて、それが気になっていたのかとも。
すぐに学校を休むし、しかも中々登校しない。
それで、なんとかしなければと考えたのかも知れない。
こちらは余計なお世話と思っていた。
勉強は兄弟から教え込まれて、学校で教わるような事はとうに知っている。
学校に行くと子供と遊ばないといけない。
ゴム跳び、縄跳び、缶蹴り、鬼ごっこ、全部嫌い。
うちに居れば末っ子でちやほやされて、熱でも出れば大好きな桃を食べさせてもらえる。
本が好きなだけ読める。
これは天国じゃよ。

それで3年生の時は殆ど休んでばかり。

それが長じてからは、人と一緒に居るのが好きになって、こんなに友達がいて、運動もスキーだ、乗馬だ、スキューバダイビングだとかけまわり、他人と同じ事をするのが嫌だと言いながら、オーケストラで揃って弾くのは少しも苦じゃない。
必要なときには歯をくいしばって頑張る。
これは一体どうしたわけ。

どこで運命が変わったのか、不思議に思っている。
歳をとると子供に戻るというけれど、私は今の所、子供の頃のように気難しくならない。
陽気で気楽で、こんな大人になるとは自分でも思ってもいなかった。
今の私は、そう、これは周りの友人達のお陰かな。





























2015年7月5日日曜日

Lazy cat



こんな不精者見た事ない。
なんて言いたいところだけれど、実は今の私そっくり。
毎日雨模様でくさくさするので、動くのも嫌になっている。
しぶしぶ仕事には出て行くものの、終ればさっさと家に帰ってゴロゴロ。
早く梅雨が上がってくれないかなあと思っていても、その後の暑さを考えるとぞっとする。
ヴァイオリンもお義理に決めた時間だけ弾くと、さっさとケースをしめてお茶を飲む。
なんだか身体がだるいから、どこか悪いところがあるのではと思って検査すれば大抵は異常なし。
人間は贅沢で、寒ければ暖房、暑ければ冷房と気儘に気温に逆らっているようで、実は逆らえないでいる。
ちゃんと季候の影響を受けてしまって、ただ今私もLazy girl・・・
おや誰?言いすぎだって言うのは。
なにが?girlが?図々しいって、そんな。
それではgをbにしてbirl(バール)ではいかが?

毎日重ったるい湿気の多い空気の中にいると、水の中で生活しているような気がする。
それでも私はこんな季候が好き。
草木が思い切り湿気を帯びて、その後の生命力に溢れた夏を迎える。
暑さにはからきし弱いけれど、夏が過ぎれば大好きな冬の到来が近くなるというもの。
夏場はじっと我慢。

雪国の人達には申し訳ないが、早く雪の季節がこないかと・・・ちょっと気が早すぎ?
今年はスキーブーツを新しくしたので、それを履くのも楽しみで。
足首が悪く、最近は歩くと後で腫れてしまうのだけれど、スキー靴は足首が固定されるので、そうはならない。
但し、着脱は非常につらい。
特に脱ぐときは悲鳴を上げたくなる。

足首を傷めてからは、ハイヒールが履けなくなった。
私はとても小柄なので、ステージでは非常に高いヒールを履く。
でないと、ドレスの裾を引きずってしまう。
せっかく素敵なドレスを買っても、裾をバッサリ切らなくてはならない。
それでハイヒールが履けなくなると、もっと切らなければならないから、ステージの時は我慢して痛みを堪え、顔で笑って心で泣いて、いや、泣かない。
ステージに立つと、痛くなくなる、咳もくしゃみも出なくなる。
これはいつも不思議に思うけれど、どうしてなのかしら。

1度だけ、どうしてもダメだったのは花粉症の鼻水。
リハーサルが終ってうっかり外に出てしまったあと、本番で鼻水が止まらなくなって、往生した。
しかもマーラー「交響曲5番」の、あの有名なアダージオで。
あまりにも静かで鼻水をすする事もできないし、鼻をかむことも出来ない。
ほんの数秒の休止符でハンカチで抑える。
今までのステージで、あれが一番辛かった。












2015年7月2日木曜日

コンサート会場下見

8月25日北軽井沢の「ルオムの森」という施設での、ミニコンサートが決った。
人形作家のノンちゃんこと田畑さんは、私のスキーの仲間。
人形制作で、ニッセイバックステージ賞を受賞した。
この賞は、ステージの裏方で功労のあった人を対象とする名誉ある賞で、我が「雪雀連」から二人の受賞者が出ているのは、本当に目出度い。
もう一人の受賞者は調律界の大御所、雪雀連会長の山田氏。

福間さんは映画のプロデュースをする傍ら絵を描く。
森の中で遊ぶ生き物たちがテーマとなっている、大変愉快な絵が特徴。

小形さんは元雑誌の編集長。リタイアしてから織物を始め、持ち前の几帳面さで、コツコツと織り上げる。

その3人が、北軽井沢の庭続きの別荘に住んでいる。
そこへ時々私が遊びに行っては、ご飯を食べさせてもらう。
このご飯は、そんじょそこらのレストランのシェフをしのぐ素晴らしい腕前の3人が、腕によりをかけて作ってくれる。

いつもお世話になっているし、今回この3人が「ルオムの森で」展示会と人形劇を開催するというので、お祝いに駆けつけることにした。
今回はヴァイオリン2人、ヴィオラ、コントラバス、ピアノとメンバーが揃った。
これが全部「雪雀連」のメンバーなので、この会の人材の多彩さに改めて感心する。
まずコントラバスのHさんが「雪雀連」に私を誘い、そこからヴィオラのKさん、ピアノのOさん、ヴァイオリンのIさん・・と芋蔓式にメンバーになり、今回のコンサートの実現に続がった。
懐の大きな山田会長のお陰で、人脈の多彩さは類を見ないほどの広がりとなっている。
ほとんど同じ職種の人がいないのも驚き。
会長の専門の調律士はさすがに数人いるけれど、あとは全く畑違いだったり、年齢もバラバラ。
そのバラバラさ加減も下は10歳くらいから上は85歳くらいまで。
驚きの年齢差。

その中でもノンちゃんは最高齢なのに、いつまでも童女のように素敵な笑顔で魅了される。
私は今回この3人展の話しがあった時に、1人でお祝いの演奏をするつもりだったけれど、せっかくだからと声をかけてみたら、あっという間にこれだけの人数が揃ってしまった。

今回ヴィオラのKさんの別荘に遊びに行くついでに、コンサートの会場であるルオムの森に行ってみた。
広い森の中にこの土地の有力者の迎賓館だったという、由緒ありげな建物があって、そこにストーブやハンモックなど、別荘生活に欠かせない品物が展示販売されている。
レストランやアウトストレッチなどの遊具、樹上ハウスなど、様々な設備が点在している。
そこの洋館の広間が今回の会場となる。

古い木造の天井の高い広間は窓から木々のそよぎが見え、いかにも古き良き時代を彷彿とさせるような造り。
高名な建築家の設計らしいが、とんと無知なので名前を訊いたけれど、もう忘れてしまった。
窓の枠が鳥居の形をしている。
今の技術ではこの形の窓枠を作るのは難しいと、オーナーの解説。
ピアノは、アップライトの音の狂った酒場のピアノみたいなので我慢するしかないけれど、調律はちゃんとしてくれると約束したので、当日に期待している。

今回泊めててもらった家には3匹のきれいな猫が居て、私には天国だった。
寝て居ると布団の傍をスーッと通るものがいる。
手を伸ばすと柔らかい毛皮に触れる。
この瞬間に、幸せ感がドッと押し寄せてくる。

コントラバスのHさんと私は3日前に車で軽井沢到着、Kさんと合流して夕飯を作った。
3人とも忙しい仕事をしていたお陰で、何をするのも素早い。
あっという間に沢山の料理がテーブルに並んだ。

ご主人を若くして失くし、2人の男の子を育てたKさんは本当に苦労したらしいけれど、今こうしてゆったりと生活を楽しんでいる姿を見ると、苦労した甲斐があったというもの。
友人の幸せそうな笑顔を見るのは、心底嬉しい。
話しをしていると、経済能力に優れ、頭脳明晰、こうでなければ別荘なんて持てない。
私の様なザル脳みそでは、お金は貯まらない。

次の日は朝からコンサートのための練習開始、と言っても初見での合わせだから、あっち行ったりこっち行ったり。
これも又楽しい。
午後からは温泉に行って、露天風呂を楽しんだ。
風呂上がりにピザを2種類注文した。
しばらくしたら、頼んだ物と違うピザが来た。
私はそう言うとき全く気が付かずに食べてしまうけれど、あとの2人はちゃんと気が付く。
そしてKさんがスッと立ち上がって食券売り場で値段を確かめ、払った値段より安いものが来ているといってクレームを付けてくれた。

そう言うときにちゃんと対応出来るのが偉い。
私は殆どボンヤリしていて、おそらく何をされても分からないと思う。
値段を確かめると言う事にも気が付かない。
2人ともたいそう苦労したのに、明るくて大らかで太陽のよう。
私だったらすっかりふてくされて、鬱状態になっていたと思う。
活き活きと生活している力強い友人達を見ていると、パワーを授けられる。
私が子供も居なくて寂しいと言ったら「私たちが居るじゃない、ちゃんと面倒見るから心配しないで」とニッコリされた。
嬉しいなあ。
だけど、猫のように私は可愛くないから・・・
今から猫力を磨いておかないと。