2018年6月29日金曜日

カニングハム女史

追分の友人宅に4日間居候してきた。

宿主は少し前にオーケストラを定年で辞めたヴィオラのKさん。
退職を機に飼い猫たちの健康と自身の英気を養うために、頻繁に別荘住まいをしている。
それに便乗するのがヤドカリのnekotama。
猫と見れば保護してしまうKさんは、今、5匹の猫のお母さんなのだ。
大きな車に猫用ケージを詰め込んで、高速道路を行ったり来たり。

猫たちは追分の家に来ると、東京にいるときよりも元気になるらしい。
Kさんはのらや病気の猫を放って置くことができないから、どの猫も問題持ち。
食べるものがなくてゴミ袋のビニールをなめていた子は、いまでもビニールを見つけると舐める。
飼い主からの虐待で棒で打たれていたという子は、人が急激な動作をすると未だに怯える。
固く縛られて尻尾が壊死寸前だった子は、やっと回復して普通の尻尾になったという。

今は猫たちは愛情いっぱい受けて穏やかに暮らしている。
私は午後1時頃追分に到着すると、美味しいチャーハンを作ってもらった。
夜も飼い猫たち同様私も美味しいものを沢山食べさせてもらって、日に干されてフカフカの布団に寝かされた。
でも布団があまりにもお日様の熱をもらったために、夜中じゅう暑くてバタバタ寝返りを打った。
しかも食べ過ぎで気持ちが悪い。
明け方やっと眠りについた。

私は常に眠りの達人だから、どんなに遅く寝てもちゃんと早朝目がさめる。
2日め、北軽井沢の住人と示し合わせて、お蕎麦を食べに長野原村へ出かけた。
山の中の蕎麦屋は、十割蕎麦がおいしい。
私は天せいろ、他の3人は十割蕎麦やおろし蕎麦。
昨日食べすぎなのにもう天ぷら食べて!

追分に帰ってからも夜遅くまで飲み食い、おしゃべりに、夜中にはヴァイオリンまで弾く騒ぎ。
近所の別荘にはまだ人はいない。
夜中に弾こうと朝弾こうと、誰も文句は言わない。
猫たちが迷惑するだけ。

次の日は5月に泊めていただいた軽井沢のY子さんに連絡すると、日本に、しかも軽井沢に居ると言うではないか。
彼女は最近世界を股にかけて、お正月はウイーンに、その後スペインに、そして今月はクロアチアにと飛び回っている。
以前から軽井沢でコンサートが出来ないかと模索中なので、その会場探しに協力的。
5月には、彼女が見つけたあるカフェのサロンを一緒に見に行って、只今思案中なのだ。
追分のKさんはその時いなかったので彼女にも見てもらうことにして、翌朝の朝食をそのカフェで一緒に摂ることになった。
約束の時間に行くと、愛犬のすみれこちゃんを連れたY子さんはえらく元気そう。
クロアチアは素晴らしかったそうで、その余韻がまだ冷めない様子。
日本の蒸し暑い都会での生活に疲れ切った私など、前夜は有名なビーフのお店で買ったステーキ肉を全部食べきれず、食べ残しを恨めしげに眺めたので、せっかく来たカフェの美味しいフレンチトーストに手が出ない。

このカフェの名は「エロイーズ・カフェ
カフェの隣に1軒の簡素な建物があって、表札にカニングハムとある。
おやこれはあのカニングハムさん?

カニングハム女史は戦後の日本の子どもたちに良い音楽を聞かせようと、青少年音楽協会の組織を運営。
私は中学生の時にそのコンサートを聴いて感激、その時演奏していた東京交響楽団に入団したいと思った。
まだヴァイオリンも本格的に始めていないときなのに、本当にその時の夢が叶うとは!
本人も周りも予想だにしなかった。
カニングハムさんとその後関わりができるともしらずに。
突拍子もない夢が叶って、私はその後青少年コンサートで演奏する立場になった。

チワワのすみれこちゃんを連れてそのへんを散策していたら、そこでピシャリと辻褄が合った。
「エロイーズ・カフェ」の「エロイーズ」はカニングハムさんの名前だということに気がついた。
そうか、ここに来たことがあったのだ。
はるか昔の話、どういうわけか夜にカニングハムさんの軽井沢の別荘に行って、あまりの暗さに驚いたことがあった。
足元すら見えない。
都会の明るさに馴れたものにとって、恐怖を覚えるほどの暗さ。
その時カニングハムさんと、どうして関わりがあったのかは覚えていない。

ある時、この青少年のためのコンサートで東響が演奏した。
ハチャトリアンの「剣の舞」
この曲の最後にピアノが演奏する音型があった。
その時ピアニストをわざわざ頼むほど経済的な余裕のない貧乏オーケストラは、私にピアノを弾けと言う。
たった1,2小節だから私も引き受けた。
私がピアノを弾いていると側に寄ってきたカニングハムさんが私のことをじっと見て「あなた、ピアニスト?」「はい」「本当にピアニスト?」
いつもヴァイオリンを弾いているから、なぜその人がピアノを弾いているのかとしばらく私の側を離れないのでヒヤヒヤした。

そんな懐かしい思い出のあるサロンで演奏できれば素敵だけれど、ピアノがあまり良くない。
管理している人に訊くと「ここにゆかりのある人の記念のピアノなので」
カニングハムさんが弾いていたピアノなのかもしれない。














2018年6月24日日曜日

やっぱりベートーヴェンは手強い

クロイツェル・ソナタ弾いてきましたよ。
結果?あんまり訊かないでください。
冒頭はやはり固くなってしまって・・・(涙)
なぜだろう。
この曲を今まで何回も弾いているのに、最近冒頭が弾けなくなってしまった。
一時期、とても力が抜けてうまくいった時期もあったのに。

聴きに来てくれた友人が「脳が覚えちゃったんじゃない」と言う。
あまり気にしすぎたためにそこに来るとどうしても体が固くなってしまう。
あっさりと何気なく弾けばどうってことないのに。
練習の準備をしていないときになんとなく弾けば上手くいく。
それなのにいざ本番となると、どうもおかしい。
毎日何回も反復練習。
ああ、それなのに。

こういうのはよくあることで、本当に面白い。
スポーツ選手にもよく見られる。
ゴルフのパターが入らなくなると、固まってしまってほんの近距離でも外すなんてことも。
サッカーは今大騒ぎ。
ゴールを外して暗殺されるという恐ろしい国もあるみたいで、私はサッカー選手でなくて本当に良かった。

今回のピアニストは私の友人のNさんのお弟子さんのMさん。
彼女は遠くから新幹線でせっせと私の家まで来てくれて、何回も練習を重ねた。
真面目に練習するから最初から見ると見違えるようになった。
始めはガチガチに緊張していたけれど、今日の本番は少し楽しめるようになったらしい。
私も楽しむことはできたけれど、冒頭がうまくいかなかったことがずっと引っかかっていて、中々抜け出せない。
いつもならさっさと気分を転換できるのに、今日はどうもうまくいかない。

このことは自分の中のことであるらしく、他の友人たちも「一体どこが問題なの?」と歯牙にもかけてくれない。
聴く方は大して問題ありとも思わないらしい。
この泥沼から足を抜け出すまで時間がかかりそうだけれど、とりあえず来年11月にもう一度この曲を弾く予定があって、それまでは少し猶予がある。
加齢による身体能力の衰えからくるものなのか、脳の誤認によるものなのか、それがわかれば打つ手はありそうな。

終わってから考えると、やはり何気なく弾けばどうってことないのにと不思議に思える。
それほど難しい音型でもないのに。
それなのにいざ本番となると・・・グチグチグチグチ・・・ああ、一体なんなの!

というわけで絶好調とは言えないここ数ヶ月。
なんだかがっかりすることが多くて、先日レッスンを受けに来た生徒と一緒に「鬱なのよねえ」と慰めあった。
他人が鬱だというと私はとてもうまく慰めることができるのに、自分のことになるとからきし元気がない。

数日前の練習のときにMさんに「コーヒー飲む?」ときいてコーヒーメーカーをセット。
電源を入れたけれど、その後気が変わって日本茶を淹れることにした。
コーヒーは後で飲もうと思ってMさんが帰ったあと、さてとサーバーを引き出したら、なんと色のついていないお湯が出てきた。
コーヒー豆を入れないで淹れたらしい。
今日その話を彼女にしたら、前にもそういうことありましたよね?と言われてしまった。
今に始まったことではないらしい。
それを覚えていないというのも中々なボケっぷり。

とりあえず明日から、ヴィオラ奏者のKさんの追分の別荘に居候することになった。
猫がうじゃうじゃいて、寝ていると枕元をスーッと通ったり鼻先でフンガフンガと匂いを嗅いでいたり。
まあ。それはもう幸せな図。
行けば少しは元気になれるかな?




















やっぱりベートーヴェンはすごい

久保田巧さんが某サロンで演奏するから聞きに来ませんか?と、サロンのオーナーからお誘いを受けた。
久保田さんのお名前は存じ上げていたけれど、演奏を聴くのは今回が初めて。
東急沿線の静かな住宅街の一角にそのサロンがある。
50人ほど入れそうなホールと続きに控室。
個人的な愛好家の家庭的なコンサートにはうってつけの場所として、仲間たちが良く集う。

久保田さんは6月30日(土)午後2時
すみだトリフォニー・小ホールにてリサイタルを行う。
そのゲネプロを兼ねて、皆さんに楽しんで貰おうと企画されたらしい。
そのコンサートのプログラム全曲は弾くわけではなくて、1時間ほどの抜粋ではあったけれど非常に楽しかった。
まずベートーヴェン:ソナタ8番の1,2楽章。
この曲は明るくて楽しくワクワクするようなG durの分散和音から始まる。

数年前、樫本大進のリサイタルで1曲めに持ってきたのがこの曲だった。
樫本は見事に最後のG音を外したので笑った。
あんな上手い人でもコンサートの初っ端は緊張するらしい。
久保田さんは冷静に音は外さない。
そして2楽章。
彼女が深く深くベートーヴェンの懐に入り込む姿を見た。
見事な2楽章だった。
感銘した。
この2楽章は本当に音の動きは単純で、なんの飾りもないけれど、今日改めてすごい曲であると思った。
骨格のしっかりとした格調ある演奏だった。
彼女はこの曲が本当に好きなのだなあと思った。

非常に張りのある音は小さなホールで聴くのはやや辛い。
大きなホールで聴きたかったけれど、あいにくリサイタル当日は予定があって聴きにいかれないのが残念。

ベートヴェンと言えば、私はオーケストラの入団テストにベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を弾いた。
そしてテスト翌日、当時のコンサートマスターのお二人から非常にお褒めの言葉を頂いた。
でも当時は私はキャピキャピギャル(この言葉古い?)だったから、おじさんたちのお世辞と聞き流していた。
でもつい先日、その時テストに立ち会った団員の一人から思いがけなくきいたのは「今まで沢山のベートーヴェンをきいたけど、あんなに人の心に寄り添うような演奏は初めてだった」と言われた。

もう半世紀以上前のことなのに、そこまで覚えていてくれる人が居るとは思わなかった。
それでは当時褒めていただいたのもお世辞ではなかたのかしらと、嬉しかった。
私は人よりも遅くヴァイオリンを始めて、まさかヴァイオリン弾きになるとは夢にも思わなかった。
なぜか運命の導くままにいつの間にか音楽を志し、基礎的な素養にも乏しくただがむしゃらに演奏を続けてこんにちに至っている。

結局道は最初から敷かれていたようだ。
そうと知っていたらもっとちゃんと基礎的なことを勉強するのだったと、後悔しきり。
家族は全員理系で、電子工学や理論物理学、機械、医学、薬学など、全く無縁な分野の人ばかり。
其の中で音楽を生業とすることなど夢にも思わなかった。
私は今でも、もし2度生きられるなら、次は数学か物理だなあなんて考えている。

でも子供のときに見た将来の夢は、絵描きか小説家。
結局芸術方面から離れられないようだ。
身体能力も低い、手先は不器用、なんで楽器の中でも特に繊細なヴァイオリンを、人の中でも特に不器用な私がやっているのだろうか。
不思議でならない。
来世はもう少しマシなヴァイオリン弾きになりたい。
おや?まだヴァイオリンから離れないつもり?
いい加減おやめになったら、nekotamaさん。

ずっと母に言われ続けてきた。
いい加減ヴァイオリンなんてやめなさいと。

明日はクロイツェル・ソナタ。
冒頭部分がうまく行けば良いけれど、心配ばかりしている。
とにかくベートーヴァンの心に寄り添うような演奏だったら・・・・。
そして明後日はベートーヴェンの呪縛から逃れて、追分へ。
木々の精気をもらってきます。
いつ来るの~と北軽井沢の住人から電話が来たから、そちらにも顔を出して。




























2018年6月20日水曜日

ゲーム依存症

世界保健機構(WHO)がゲーム障害は疾病と認定したそうだ。
国際疾病分類の最新版に加えられた。

次の3つの主要な兆候

ゲームをすることへの抑止力の欠如(開始、頻度、熱中度、継続時間など)
ゲームの優先度が他の生活上の興味や日々の活動を上回る。
悪影響があるにもかかわらず、ゲームへの没頭が継続あるいは激化。

ギャンブル障害など類似の依存症と共通点があるそうだ。
これを読んで私も危ない!と思った。
朝食を終えて後片付けが済むとパソコンでメールのチェック、ルーティーンのブログ巡り、それが終わると1回だけと自分に言い聞かせてカードゲーム。
1回が2回3回となり、気がつけば1時間以上経過。
そこでやめればいいのに、次は猫のサイトへ、そこで掲示板の見出しなど見つけると次々に訪問が始まる。

やめようやめようと思っているうちに午前が終わる。
私何やってるのかしらと自己嫌悪に陥る。
人間がやわにできているので自分に思いっきり甘い。
切羽詰まらないとなにもしない。
ああ、今日も又怠けてしまったと反省は猿でもできる?
いや、猿は反省なんてしない。
猫もしない。

それでも毎日の生活に支障が出るほどではないので、かる~い依存症。
電車の中で脇目も振らず没頭している人がいるけれど、あそこまでは流石にしない。
しかし、この時間を掃除などの家事に向ければうちはもう少しきれいになるのにとか考えるけれど、元々体を動かすのが嫌いだからゲームがなくても同じかも。

以前通ってきていた生徒が「前に習っていたピアノの先生の家は階段にキャベツが置いてありましたから、この程度ではきれいな方です」と慰めてくれたから、絶望的に汚いわけではないのかもしれない。
いやいや、結構な汚れっぷりですが。
先日レッスン室の窓にかかるカーテンレールの上に、なにか丸まった紙が置いてあった。
はて、これはなんだろう誰が置いたのだろう?と良く見たら、壁紙が剥がれて丸まっていた。
この家が建って早20年、壁紙も剥がれてくる。
良く見ると、室内の壁紙も少しずつ継ぎ目が浮いてきている。
歳月は容赦なくものを劣化させる。
自分が劣化するのも無理はないと妙に納得した。

建て替える前の家は、木造だった。
玄関のドアが経年劣化で、下からスルメを焼いたときのように捲り上がってきた。
なんとも味が出てきたなと、直さず放っておいた。
ある朝2階で寝ていたら階下で突然バリバリと物音がして、驚いて起きて行ったらなんと玄関のドアがない!
職人さんが二人でドアの交換をしていた。
側に母が居て「こんなみっともないドア」などとつぶやいていた。
貧乏音楽家にふさわしいドアは、そこだけ立派なドアになってしまってなんとも不釣り合いだった。
回覧板を回しに来た近所の奥さんが「まあ、立派なドア」
生徒が「ドアが立派だなあ」
などとドアだけ褒められるのはこそばゆい。

ドアを直した職人さんの親方は、終始弟子に叱られていた。
「親方あ、これもう付けちゃったの?だめだよーまだ」などと言うのが可笑しかった。
ドアを付け替えてから数年で家ごと建て替えたから、もったいないことだったと思っている。
ボロボロのドアは、初めて来る人に自宅を説明する目印に便利だったのに。

ゲーム依存症がいつの間にかドアの話に?
はて、どこでどう道を間違えたかしら。
道は音楽家になった時点で間違えたから、いまさらどうってこともない。















2018年6月19日火曜日

音合わせ最終日

来週立川でクロイツェル・ソナタの本番。
今日は最後のピアノ合わせ。
約3時間、ほとんど休まず練習した。

昨日は思ったよりもずっと沢山白ワインを飲んでしまった。
夜お酒を飲むとたいてい指がむくんでしまうので、自宅での飲酒はほとんどしない。
この献立だとビールをちょっと飲むとおいしいとか、赤ワインを一口飲みたいとか願望はあるけれど、次の日に指がむくんで動きが悪くなることが多いので、めったに飲まない。
昨日飲んだ白ワインは余程良いものだったとみえて、今朝はスッキリ目がさめて胃がむかつくようなこともないし指もむくんでいない。
しかもとても美味しかったから、ワインはいつもグラス半分でお手上げの私が、いくらでも飲めたのが恐ろしい。
病みつきになったらキッチンドリンカー街道まっしぐら。

もう何十年も同じ輸入業者からワインを届けてもらっている。
日本でワインブームが起きるよりも前だから、数は少なくても年数が半端なく、お得意様と言えるかも。
毎回見計らった頃に電話がかかってくる。
キャリアウーマンのAさん。
この人がとても商売上手で、今買わないと世の中終わるみたいな気分にさせられてしまう。

私は毎回ワインに合うような料理を作るわけではなく、お惣菜風や和風のことが多い。
イカ納豆にワインはちとつらい!
タコの天ぷらならいける。
イワシの酢の物にはやはり日本酒。
生のホヤなどはあの独特の風味が、やはり日本酒か焼酎。
ウドの酢味噌和えなんかもワインではねえ。
味噌はやはり日本酒と仲良し。

ワインはなんにでも合うようでいて個性が強いから、日本酒のようにいつの間にか料理に添い寝するようなわけにはいかない。
しかも私は赤ワインのフルボディが好きで、軽い食事だとワインが重すぎておいしくない。
わかったようなことを言っているけれど、ほんとのところあまり銘柄や味にも詳しくはない。

かつてはドイツの白ワインがお気に入りで、あの独特の甘さが好きだった。
そのうち日本でも赤ワインブームが巻き起こり、皆が赤ワインと騒ぐので私も赤ワインを飲むようになった。
いつも電話をしてくるAさんは、電話口で薀蓄を傾ける。
ワインの輸入業者だから当然詳しい、ついでに私が詳しいかのように当たり前に話すから一言もわからないとは言わずフンフンと聞いておく。
それでも長年の耳学問で、ああ、美味しそうとか見当が付くようになった。

この「見当」というのがなんのことか生まれて初めて知った。
版画を刷るときに何枚もの色を重ねていくから少しでも紙がズレると色がうまく重ならない。
それで紙の四隅に見当という三角形の目印を置いて、そこに次に色を入れる紙の角と合わせてずれないようにするのだそうだ。

赤ワインは重ための濃い味が好きで、最近ペルーやアフリカ産などの美味しくて安いワインが出回っているけれど、やはりフランスのワインが好き。
ペルー、アフリカ、ニュージーランドなどのワインはたしかに美味しい割に値段もお手頃でなんの料理にでも合う万能型。
それに比べてフランスのワインは・・・どう言ったら良いか・・・往年の名優、ジャン・ギャバンみたいな。
Aさんに訊いたら製法が違うのですよとのこと。
そうそう、先日ジョージア(以前はグルジアと呼ばれていた)の素焼きの瓶に入ったワインを頂いた。
これがもの凄く美味しかった。
これもだいぶ製法が違うらしい。

日本のワインもとても美味しくなった。
私がワインを取り寄せ始めた頃には、山梨産のワインは不味ーくて飲めたものではなかった。
旅のついでにワイナリーに行っても買わずに帰ってきた。
偏見があったからずっと国産は飲まなかったら、しばらくして美味しくなったのにびっくり。
今は中国がパクリの最先端だけれど、かつては日本が世界から非難を浴びた。
その御蔭で、国産のスグレモノが出てきておおいに国民が助かったのだから、今の中国を笑っていると旧悪を指摘されかねない。

今夜も昨日の白ワインの残りを飲もう。
今から喉が鳴る。
これがキッカケでとんだ大酒飲みになるかも。

えっと!クロイツェル・ソナタの練習はどうしたかというと、まあ、あとは野となれ山となれ、矢でも鉄砲でも持ってこーいとでも言っておきましょう。















北大阪大地震

ああ、なんということ!
やっと東北の大地震の復興が始まったばかりなのに、今度は関西で。
神戸の地震のあと10年目に仕事で神戸を訪れたら、まだ仮設住宅にたくさんの人が入っていてショックを受けた。

神戸の地震がおきたときは石打にスキーに行っていた。
朝スキー宿のテレビで神戸に大きな揺れがと報道していたけれど、その時点では死者1名。
大きな揺れの割には少ない被害でホッとしたのに、その後の報道は次々に死者も道路の陥没や建物の崩壊や火事も増えて行って、結果的には大惨事となった。

今回もどんどん被害が広まっていくと思う。
特に朝はやく学校の当番で出かけた女の子が、崩れた塀の下敷きになってなくなったのは胸が痛む。
私みたいにもう先が見えている人ではなくて、まだこれから前途洋々、あらゆる可能性を秘めたこんな幼い子が・・・(涙)

今夜は珍しくお酒を飲んでいる。
私はよく宴会に参加する。
でもお酒は特に飲みたい訳でなくて、自宅ではほとんど飲まない。
宴会の雰囲気や人と楽しく集うのが好きなだけで、お酒自体を飲む習慣はない。
でも今日は無性に飲みたい。
幸い冷蔵庫にはキリリと冷えた上等な白ワインがある。
なれない手付きでオープナーをキコキコ回して、口を開けた。
今日は飲まずにいられない。

女の子のご冥福を祈る。

最近女の子が事件や事故で亡くなるケースが多い。
先日継父に虐待されて死んだ女の子。
報道された日から3日間ほど泣いてしまった。
たった5歳の女の子が「ゆるしてください」なんて、可哀想過ぎる。
私は5歳のときにはそんな言葉しらなかった。
可哀想でたまらない。
思い出したらワインをグイグイ飲んでしまった。
明日は二日酔いかも。

子供は幸せでなくてはいけない。
小さな手、柔らかな髪の毛、澄んだお目々、何から何までかわいい。
但し、猿のように泣きわめかなければ。

先日小田原駅の喫茶店に入ったら、猿が一匹泣きわめいていた。
親は人間なのに。
キイーッと言ってそこらじゅう走り回る。
親はそれをとめないから、それが不愉快。
思わずシーッと言ったら、向かい側の席に居た御婦人が「元気でいいわ」と曰わった。
私が神経質すぎると言いたかったらしい。
けれど、子供は大人が思っている以上に物事を弁えている。
言い聞かせれば納得して、たとえ5歳でも3歳でもちゃんとできるものなのだ。
それを子供は言ってもわからないと思うのは、子供に対して失礼ではないかと思う。

親はと見れば、キイキイ叫ぶ子供を見て放ったらかし。
我が家では沢山の姪や甥の面倒を見てきた。
私が中学生の時にすでに同居の姉の子供=姪が生まれていたので、子育てには参加してきた。
親族の子供が特に出来が良いとは思わないけれど、少なくともあんなに人前で騒ぐ子供は居なかった。
電車で座らせることもしなかった。
疲れた大人が居るのになんで元気な子供を座らせるのか。
運賃半額もしくは無料なのに。

話がそれてしまったが、大阪の被害が最小限であってほしい。
日本は地震帯の上にできている国だから避けられないけれど、じわじわと大地震の可能性が迫ってくるのがわかる。
東北、九州、関西と来て、関東に大地震が起きないわけはない。
もうすぐ自分も遭遇するのではないかと思うとそら恐ろしいけれど、地震国に生まれた以上避けられない運命だと思う。

地震に遭遇したら大事なヴァイオリンと猫は両方抱えて逃げられるのかしら。
猫は背負って運べるキャリーケースを用意してある。
しかし、私にとってヴァイオリンは、命の次に大事。
猫とヴァイオリンの両方は背負いきれない。
さて、どうしたものか・・・

今ワインを4分の1ボトル飲んで、へべれけ。
もともとあまり沢山飲めないのに、今日は特別飲んだほうなので。
友人たちと一緒なら会話や笑いで発散してしまうところだが、一人酒はじわりと効く。
明日二日酔いでないことを祈る。





































2018年6月14日木曜日

新幹線

新幹線の中で斧を持った人に切りつけられ、死傷者が出たという恐ろしいニュース。
関西方面へ行くときには、私はいつも新横浜から乗る。
この次新横浜で乗ったら、隣に怪しい人がいないかどうか確かめてから座らないと。
例えば赤ちゃんと一緒のお母さんとか高齢の女性とかだったら、まあ大丈夫。
でもわからない。
高齢でも、私のように獰猛な人種もいるから。

先日博多行の新幹線で起きたのは、外国人女性に炭酸水がかけられるという事件。
通路を挟んだ座席から女性めがけてシュワッと炭酸水を発射!
女性の右半身が濡れてしまった。
新横浜から乗り込んだ犯人は座席に座るなり、持ってきた炭酸水の蓋をプシュッとなんの考えもなく開けた。
手に持って揺らされた発泡性の中身は、いきなり開けられたために勢いよく発射して、通路の向こうまで飛んでいった。
この事件の犯人はnekotamaというおっちょこちょいなオバハンだったというオチがつく。

考えることをしないから、このような失敗は数限りない。
その外国人は、まだ若いきれいな人だった。
突然の攻撃にびっくりしたようだったけれど、慌てふためいた猫が謝りながらハンカチで拭いたりしたため、悪気はなかったものとみなされて事なきを得た。
これで怒りっぽい某国の人だったりすると、わざとだなんのと騒がれたかもしれない。
その人は床に溢れた水を拭き取ってくれた。
これをきっかけに話をしようかと思ったけれど、ど下手な英語を周囲に聞かれるのもしんどいからやめておいた。

その人は降りるときにこちらを見てにっこり、そしてバイバイをして別れたから日本に対する悪感情は芽生えなかったものと安堵した。

まだ新幹線のできる前の信越線で、いやな目に会った。
昼過ぎの車両はガラガラで、私の座席のずっと向こうに一人だけ男性が乗っていた。
そしてこちらをチラチラ見る。
嫌な感じだと思ったから寝たふりをしていたら、突然隣の席にドンという衝撃が。
目を開けるとコーヒーを差し出す中年男性。
きゃあ!いつの間に。
お断りしても「いいからいいから」

そして自分のことを話し始めた。
「弟が亡くなってこれから葬式に行くので悲しい」などと。
その割にはサバサバした顔つきだし、知らない女性に馴れ馴れしくするなんて。
なるべく同情した様子を見せないで「ふん」とか「へえ」とか冷たく返事をしているのにしつこい。
何処へ行くのか帰りはいつなのかと訊かれて、本当に腹がたった。
適当にはぐらかしていたら、明日待ち合わせて帰りの列車を同じにしようと言い出して、思わず「ご自分の席にお帰りください」と追い出した。
最初は弟さんを失くしてさぞ悲しいことだろうと思っていたけれど、これはもう我慢がならない。
「いいじゃないか、そんなに怒らなくても」と言っていたけれど、車両にたった二人だから密着されたら大変。
車掌さんもガラガラの列車を見回るふうもない。
とにかく帰ってもらった。
降りるときにみかんを投げつけてきたのでもう怒り心頭。
キッと睨むとやっとすごすご降りていった。

あとで考えればか弱い女性の身で危険なことだったかもしれないけれど、怒りがすごくて撃退できたから良かった。
列車や飛行機などの閉ざされた空間での防ぎようのない事件は、本当に怖い。
怖いと言いながら出かけるのがすきな私は、ワクワクと乗り物を利用する。















2018年6月9日土曜日

傍若無人

車を走らせていたら後ろから来た車が追い抜いていった。
そして私の車の前へ。
それは別にどうでもいいけれど、その入り方の横柄なこと!
その次、交差点を左折、私も続いて左折、左側から自転車がくるのはすでに確認していたけれど、前の車は気がつかなかったらしく強引に左折して自転車の前を塞ぐ。
自転車は慌てて止まった。
後ろでハラハラした。

某高級車なのに、往々にして行儀が悪いのはこの車種のドライバーなのだ。
単に運転が下手なだけかもしれないけれど、こんないい車に乗れる人ならもう少し品よく乗って欲しい。
ドライバーの性格が「ぼう・・・・」
その先の4文字熟語が出てこない。
ぼう・・ぼう・・・ぼう・・・ぼう・・・
出てきたのは暴飲暴食。
いやいやそうではない「ぼう・・・?」
その後30分くらいして思い出した。
「傍若無人」
思い出せてよかった。

最近はそんなことばかり。
まわりも「ほら、あの、ヴァイオリンを弾くひとで30歳くらいの・・だれだっけ」
なんて会話が増えてきた。

その中で、今年88歳になった東京交響楽団の元パーカッショニストの芹澤さんは、いまだに頭脳は健在。
ガクタイの中でも教養も学歴も記憶も飛び抜けていた。

今日は芹澤さんの米寿を祝って、元の仲間たちが小田原に集まった。
彼は実家が薬局だったので薬剤師の資格を、次に音大を出て打楽器奏者としてオーケストラへ、次に会計士?計理士?かなんかの資格を取って、金色のバッジを上着の襟に付けていた。

普通の人なら生涯一種類しかできない仕事を、複数やってのけた。
並の頭脳ではないけれど、思い上がらず穏やかで知識をひけらかすことなくニコニコしている。
気持ちに余裕があるのだと思う。

小田原のライオンに集まったのは10人余り。
オケマンたちが集まれば冗談しか言わない。
世間からは規格外れでお金もないし地位もない。
けれど、こんなに幸せな人達がいるだろうかというほど、人生を楽しんできた。

話に必ず出るのは指揮者のエピソード。
枚挙に暇はないけれど、ヤマカズと愛情をもって呼ばれる故山田一男さん。
指揮台や舞台から落ちるのはしょっちゅう、ヒラリと指揮台に飛び乗ったら勢い余って向こう側のチェロの前まで落ちてしまったヤマカズさん。
慌てず騒がず、チェロのトップと握手をして悠々と指揮台に戻って何食わぬ顔。

指揮者協会という組織ができたときの初めての集まりで、指揮者が楽器を演奏することになった。
もともと指揮者は楽器の演奏家から病膏肓、指揮者になる例が多い。
それぞれ、自分の楽器を持ってきてオーケストラを演奏しようではないかと言ったときに岩城宏之さんが「指揮者は皆俺が俺がなのに、うまくいくわけない」と言ったらしい。
それでも集まったメンバーで演奏が始まると、果たして途中で合わなくなる。
フルートを吹いていた森正さん「今どこ~」
でも、ハープを弾いていたヤマカズさんはその上をいった。
「今なんの曲をひいてるの~」

今どき、これらの指揮者たちを知っている人たちも少なくなったと思う。
私がオーケストラに入ったときにはまだ、海軍軍楽隊あがりのバリバリの猛者がたくさんいた。
その中でも中木十郎さんというトランペッターがいた。
例えば往年の映画スターのアドルフ・マンジュウを彷彿とさせる、日本人離れしたハンサムな男性だった。
アドルフ・マンジュウはチャップリン監督の「巴里の女性」スタインバーグ監督の「モロッコ」それから「オーケストラの少女」にも出演していた。
写真は興味があったらネットで見つけてください。

十郎さんはおしゃれで、普通の人が着こなせないような真っ白なバックスキンのコートなんかを着て、当時の男性がまだ履くことも考えなかったような刺繍のついたブーツを履いて・・・トランペットを新聞紙にくるんで抱えて来た。
なにを抱えているのかと思ったら「ケースが重くてかなわないから」と言って。
海軍あがりだから横須賀住い。
遠いから仕方ないけど新聞紙とは!

ある時指揮の石丸寛さんがペトルーシュカの冒頭部分、トランペットのソロに指示を出した。
「十郎さん、そこ”昔々おじいさんがいました”みたいな感じで吹いてください」
するとすっくと立ち上がった十郎さん。
「おじいさんとはなんだ!おじいさんとは!」
指揮者はあわててなにやら弁解。

急病人が出て急遽呼び出された中木さん、下から見た人が燕尾のズボンの裾からパジャマのズボンを発見したとか。
たぶんパジャマまでおしゃれだったので、そのまま電車に乗ってきてしまったのかも。

























2018年6月3日日曜日

ダイエット初日は

昨日の朝体重計に乗ったらグヌッと喉の奥から変な声が漏れた。
見事に1キロ増加。
通販で取り寄せたドレスが届いて着てみたら、いつもと同じサイズなのにウエストのファスナーが途中でストップ。
背中が大きく開いているデザインなので、これがとまらないともろ背中丸出し。
さて困った。
バーゲン品で返品不能。
こういうときに長年サイズと戦ってきた経験が生きる。

裾上げは面倒だから専門家にやってもらう。
他の部分、例えば袖や襟のあき具合などは、自分で工夫して直すことが多い。
裾上げのときに切り取った布をもらってきて、それを首の周りにつけたり、袖にして二の腕のブルルンと揺れるところを隠すように縫い付けるなどは朝飯前。
ドレスの場合、ステージは客席から遠い。
多少の手荒な縫製でも遠目に見れば目立たない。
一晩ステージが終わるまで、無事に袖がとれなければ良いのだから。

とにかく背中のファスナーはどうしようもないから、ダイエットをすることにした。
1キロ痩せれば、多分だいじょうぶ。
私達のスキークラブの「雪雀連」の中で絵を描く人たちがいる。
その人たちが毎年京橋の画廊で展覧会を開く、昨日はその初日でお祝いに駆けつけた。
「雪雀連」の連中と一緒ではダイエットは無理に決まっているから、さんざん飲んで食べて、一夜明けて今日からダイエットに入った。

朝食はいつもと変わらず、昼食はヨーグルトにバナナ、夕方買い物に出た。
猫さんたちのご飯を両手にいっぱい抱えての帰り道。
はちみつが切れたのを思い出して、最近できた蜂蜜店に立ち寄った。
豊富な種類を味見ができるので、蜂蜜はここで買っている。
今日も数種類味見をして、みかんの花の蜂蜜を買う。
ここはソフトクリームも美味しい。
今日からダイエットだから絶対ソフトクリームは食べないと誓っていたのに、店員とおしゃべりをしているうちに私の口から「ソフトクリームください」
あれ、私、そんな事言いました?
「チョコレートにしてください」え!勝手に口が動く。
「カップでなくコーンでお願いします」おいおい、ダイエットはどうした。
カップのほうがカロリー少なめでしょうに。
結局今日からのダイエットはいつもと殆ど変わりないカロリー量で、失敗に終わった。

そうさ、明日を信じて生きよう。
明日がだめなら明後日から・・・・
未来を信じられなくては生きられない。
少し信じすぎることが多いけれど、夜お酒でも飲めばファスナーが閉まらないなんてことも気にならなくなる。
こうやって刻々と時が過ぎて、性懲りもなく通販で服を買い、頭を悩ます。
これも又楽しみの1つ。














2018年6月1日金曜日

ようやく元気の兆し

ひどい眠気に悩まされたここ最近。
どうやっても起きていられない、なにかしていてもいつの間にか眠ってしまう、脳みそが休日を謳歌、足元ふらつき目は見えない。
と、数々の老化現象、あるいは劣化の徴候が現れていた。
今日6月に入ったらやっと治りかけてきたような気がする。

いよいよ迫ってきたクロイツェル・ソナタの本番が今月6月ということで、昨日は急に慌てふためいて楽器ケースを開いた。
ケースは毎日開いているけれど、中身を取り出して弾くのはほんの少し。
それでも足元に火がついて、やっと本気になった。

この曲はなぜか注文が多くて、何回も弾いているから譜読みはできているはず。
しかしベートーヴェンのソナタのみならず、すべてのヴァイオリン・ソナタの頂点に立つ曲だから生半可な練習では済まされない。

ベートーヴェン自身はこの曲はヴァイオリンオブリガート付きのピアノ・ソナタと位置付けているようだけれど、ヴァイオリンだって生易しいものではない。
特に冒頭部分でヴァイオリンが悠々とソロを弾かなければならない。
この部分が非常につらい。
ここを気分良く弾ければあとは、怒涛のごとく進められる。
2楽章はヴァイオリンの早いソロがあって、その部分をクライスラーが素晴らしく軽々と弾いているのを聞いたことがある。
もちろん本物ではなくて古いレコードの復刻版CD。
クライスラーの弓は宙を舞うようにヒラヒラと弦の上を遊ぶ。
私の弓はドタドタと長靴で泥を跳ね飛ばす。
間もなく梅雨入りだそうですが・・・

それで昨日は久しぶりに少し長めの練習。
ここ数日早めに寝るように心がけた。
といっても毎晩12時ころになってしまうのだが、昨日は9時過ぎにギブアップしてベッドへ。
こんな早く寝てしまうと夜中に目がさめるからと思って、夜中の仕事を持ち込んでいたけれど、結局朝まで寝てしまった。
おかげで今朝はかなりすっきり目が覚めた。

運動不足、緊張感のなさが重なっているのかもしれない。

人は年をとるとゆっくり穏やかに暮らすほうが良いと思われているけれど、私の最近の体たらくでは、死ぬまでハードに行動したほうが良いのではないかと思える。
ライオンなら、年をとっても自分の獲物は自分で追いかけないと食べていけない。
仕事をやめて楽しく暮らそうなんて思っていた自分がアホだったかも。
働いて働いてある日ばったりと動かなくなる。
それが理想的な人生かもね。

私は猫の性格だからどこか醒めた部分があって、懸命に生きることを鼻で笑っているけれど、一生このまま終わって良いのかい?と自問することもままある。
人生の最後の10年をこんなノンシャランと生きていくのか?とも。
後10年というのは、インドに行ったときに占い師から聞いた私の寿命。
厳密に言えば後12年。
12年後に私は潔く昇天するか、泥の中を這い回って生に執着しているか・・・

12年後に介護ロボットに囲まれて楽しく暮らしていることも予想される。
ロボットはなるべく動物の形がいいなあ。
猫の大きさのロボットでは役にたたないでしょうねえ。
本当に猫ってやつは、どこまでも役立たず。

少し回復してきたと思ったら又やりすぎるといけないから、そろそろと進むことに。
自分で思っているよりもずっと体力も落ちていることに気が付かされた。
周りから年齢よりも若いとおだてられ、いい気になっていませんか?nekotamaさん。
うひょー、バレたか!