世界保健機構(WHO)がゲーム障害は疾病と認定したそうだ。
国際疾病分類の最新版に加えられた。
次の3つの主要な兆候
ゲームをすることへの抑止力の欠如(開始、頻度、熱中度、継続時間など)
ゲームの優先度が他の生活上の興味や日々の活動を上回る。
悪影響があるにもかかわらず、ゲームへの没頭が継続あるいは激化。
ギャンブル障害など類似の依存症と共通点があるそうだ。
これを読んで私も危ない!と思った。
朝食を終えて後片付けが済むとパソコンでメールのチェック、ルーティーンのブログ巡り、それが終わると1回だけと自分に言い聞かせてカードゲーム。
1回が2回3回となり、気がつけば1時間以上経過。
そこでやめればいいのに、次は猫のサイトへ、そこで掲示板の見出しなど見つけると次々に訪問が始まる。
やめようやめようと思っているうちに午前が終わる。
私何やってるのかしらと自己嫌悪に陥る。
人間がやわにできているので自分に思いっきり甘い。
切羽詰まらないとなにもしない。
ああ、今日も又怠けてしまったと反省は猿でもできる?
いや、猿は反省なんてしない。
猫もしない。
それでも毎日の生活に支障が出るほどではないので、かる~い依存症。
電車の中で脇目も振らず没頭している人がいるけれど、あそこまでは流石にしない。
しかし、この時間を掃除などの家事に向ければうちはもう少しきれいになるのにとか考えるけれど、元々体を動かすのが嫌いだからゲームがなくても同じかも。
以前通ってきていた生徒が「前に習っていたピアノの先生の家は階段にキャベツが置いてありましたから、この程度ではきれいな方です」と慰めてくれたから、絶望的に汚いわけではないのかもしれない。
いやいや、結構な汚れっぷりですが。
先日レッスン室の窓にかかるカーテンレールの上に、なにか丸まった紙が置いてあった。
はて、これはなんだろう誰が置いたのだろう?と良く見たら、壁紙が剥がれて丸まっていた。
この家が建って早20年、壁紙も剥がれてくる。
良く見ると、室内の壁紙も少しずつ継ぎ目が浮いてきている。
歳月は容赦なくものを劣化させる。
自分が劣化するのも無理はないと妙に納得した。
建て替える前の家は、木造だった。
玄関のドアが経年劣化で、下からスルメを焼いたときのように捲り上がってきた。
なんとも味が出てきたなと、直さず放っておいた。
ある朝2階で寝ていたら階下で突然バリバリと物音がして、驚いて起きて行ったらなんと玄関のドアがない!
職人さんが二人でドアの交換をしていた。
側に母が居て「こんなみっともないドア」などとつぶやいていた。
貧乏音楽家にふさわしいドアは、そこだけ立派なドアになってしまってなんとも不釣り合いだった。
回覧板を回しに来た近所の奥さんが「まあ、立派なドア」
生徒が「ドアが立派だなあ」
などとドアだけ褒められるのはこそばゆい。
ドアを直した職人さんの親方は、終始弟子に叱られていた。
「親方あ、これもう付けちゃったの?だめだよーまだ」などと言うのが可笑しかった。
ドアを付け替えてから数年で家ごと建て替えたから、もったいないことだったと思っている。
ボロボロのドアは、初めて来る人に自宅を説明する目印に便利だったのに。
ゲーム依存症がいつの間にかドアの話に?
はて、どこでどう道を間違えたかしら。
道は音楽家になった時点で間違えたから、いまさらどうってこともない。
実は私も、気が付くとゲームやってます。
返信削除亡兄からもらったゲームで、兄も病床でときどきやってました。
嫌なことや現実を忘れたいときって、誰にでもあります。大丈夫、普通ですよ。
最近は開き直って、「これはボケ防止にいいのだ」と思うようにしていますよ。(^ ^;)
普通ですか?よかった。
返信削除以前小学生の子からもらったファミコンで夢中になりすぎて捨てたことがあります。嫌なことを後回しにする口実としてのゲームかもしれません。
でも生き物はほとんど自分が好むことしかやりませんよね。
艱難辛苦汝を玉にす、なんて、人間だけじゃないかしら。