2020年5月29日金曜日

緊急事態宣言解除

緊急事態宣言が解除されたとたん、北九州市で感染の第2波が発生した。
あれほど我慢を重ねてきたのに、もう少し我慢できなかったのかと他人事だから言うけれど、この先自分が感染しないとも限らないので言わないことにする。
殆ど家から出ずにスーパーで買い物。
近所に住む姉ともよそよそしく、たまに重たい買い物があるときだけ車でスーパーまで連れて行く。
帰宅すれば、じゃあねと言ってすぐに別れる。

猫がひたすら喜んでくれた。
彼女のニャン生の大半は押し入れでひとり寂しく過ごしてきた。
抱っこすらされない。
他の猫が割り込んできて彼女は隅っこに追いやられる。
特にたまさぶろうが私を独占。
それは愛情に隔たりがあったわけではなく、押しの強い雄猫にどかされていたから。
やっと他の猫がいなくなって、もはや彼女の天下。
今まで外出ばかりしていた飼い主がコロナで家にいる。
嬉しくて嬉しくてゴロゴロ喉が鳴る。

良かったね、人生はこうして辻褄が合うのよ。
時々トイレとかパソコンに向かっているときなど、私を探して猫が鳴く。
どこにいるのー?
ここよーと答えると、安心して鳴き止む。
ベッドの枕は猫に独占されて、私は枕なし。
長い枕を探しに行ったけれど、適当なものが見つからない。
ま、いいや、枕なんかなくても。

ここ数日気温の変化が激しくて風邪をひきかけた。
気温が低い日に風呂上がりに薄着で夜ふかししたらてきめんだった。
ハックション!
耳がかすかに痛い。
鼻水がでる。
頭が痛い。
風邪だとは思ったけれど、もしやコロナ? 嫌な思いが頭をよぎる。

無症状の感染者がいると言うけれど、感染して症状が出ない場合はそのままウイルスが体内に住みつくのだろうか。
保菌者になってしまうの?
誰が保菌者か表面でわからないわけだから、この先もお隣が保菌者かもしれないという疑心暗鬼が続いてしまう。
すると生涯マスクやフェイスシールドが手放せなくなる。
うっかりひそひそ話も出来やしない。
人の悪口も大声で2メートル離れてとなると、やりにくいでしょうね。

幸い風邪は鼻風邪で大したことなく治った。
これが不思議なんだけど、以前は風邪をひくと、とことん悪くなって咳だけ残った。
それで咳喘息になったのだけれど、喘息の治療を始めたら風邪もすぐに治るようになった。
呼吸器系が弱くて、そのために風邪をひきやすかったらしい。
それと外出しないので外から拾ってくるバイキンも少ない。
後は自宅の掃除だけの問題。

毎朝テレビで見かける岡田先生という女性医師。
コロナ関連の説明役として、連日ご活躍なのだ。
可愛らしいフリルや優しい色がお好きらしい。
はじめはびっくりした。
こんな服装で出てくるのかい!
お年もそこそこいっているし、なによりも医学博士という肩書が想像もできなかった。
でもふっくらとしたお顔には相応しいかもしれない。
なによりも自分が好きで着ているならいいじゃないの。
そこにデビ夫人が噛み付いた。
あんなキャバクラ嬢みたいな服装でと。

でもデビ夫人、あなたも大統領夫人の前はそうだったでしょう。
大統領夫人になって巨額の財産を手に入れたから、今は上質のドレスや宝石を身につけられる。
きれいなものが好きな女性は、私はどんなレベルであっても可愛いと思う。
デビさんのように高価で趣味の良いものを身につけなくても、自分が着ていて楽しければそれで良し。
何よりも他人のことを悪し様に言わないのが美しい・・・と悪し様に言うのが好きな私は考える。

それで思い出したのが、団体で旅行に行った時、部屋割りの希望を訊かれたから誰でも大丈夫ですと答えたことがあった。
私の寝付きは殆ど気絶に近いくらい早いから、眠れないということはない。

初対面の同室者は、あな、恐ろしや!自分の自慢と他人の悪口しか言わない人だった。
しかも、言葉が途切れない。
次々に機関銃のように喋り続けた。
悪夢だと最初は思ったけれど、最後は彼女のほうが悪夢だったようだ。
悪口を言うとスルー、自慢もスルー、口を動かすから動作が遅いので叱咤激励。
はい、お口を閉じて手を動かしましょうねといなされる。
機関銃を発射していると、相手はとっとと眠てしまう。
これではだんだん元気がなくなるのも無理はない、アハハ。
どうやら彼女のことを知っている人は、誰も同室を拒むらしい。
それを知らない私が網にかかってやれ嬉しやと思ったのに、思った以上に手強かった。
今頃盛大に、他の誰かに私の悪口を言い続けていることでしょうね。
ハーックション!あれ、風邪をひいたかな?


































2020年5月27日水曜日

肩身が狭い神奈川県

首都圏の緊急事態宣言がなかなか解除されなかったのは、神奈川県の感染者数がなかなか減少しなかったからで、県民の一人であるnekotamaは肩身が狭かった。
病院の院内感染が発生したためだとはいえ、それも県内の感染ということになるので仕方がない。
それを考えると一般県民の感染者数は少ないのでは?

誰も彼もがマスクをして手を消毒しているけれど、日本人はこういう事が日常的だし、清潔志向が強いから、だれもが違和感なかったかもしれない。
私は原始人であまりそういうことに関心がなく、むしろテレビコマーシャルでファブリーズなどの宣伝を見ると、いやな感じがしていた。
なにもかも消毒なんて!
あれでは常在菌などの役に立つ菌もころしてしまうでしょ。
人と同じで役に立つ(もちろん人間のためだけに)菌もいれば人に悪さをする菌もいる。
悪いと思われる菌だって、他の動植物には役にたっているとかあるでしょう。

地中上のすべての現象から考えると、良い菌、悪い菌ということはなくて、すべてが存在するだけの価値はあるのかもしれない。

可愛い顔をした女子プロレスラーが亡くなった。
SNSのコメントに酷い誹謗中傷があったらしい。
今頃になってコソコソと書き込みを消す輩がいるという。
手遅れよ、あなただって彼女が好きでここに来たのでしょう。
可愛いい女の子を見るといじめたくなるガキ大将がいるけれど、あれと一緒。
ほんとに馬鹿なんだから。
一人の人間を殺したことは一生悔やんでも取り返しはつかない。

自殺した子はとっても可愛いい顔のわりには自己肯定が少かったのかなあ。
どういうことなんだろう。
あんなにかわいい顔をしていたら、私だったら自分大好きになる。
私は声を大にして地球の真ん中で宣言できるほどのブスだけど、死のうなんて思ったことはない。
私が子供の頃、母親が私を可愛いと言ってくれたから、自分は可愛いと思いこんでいた。
長じて客観的に鏡を見ると、全然美人でもべっぴんでも、並でもない。
ランクからすれば真ん中より下とわかってからも、でも母が可愛いと言えば私は可愛いのだと母の呪縛が解けなかった。
母はちゃんとわかっていたのだ。
かわいそうにこの子は、大人になったら容姿に悩むことになると。
だからせめて子供のうちは夢を見させておこうと。

私を好きになってくれる人もいれば、なにかと突っかかってくる人もいる。
けれど、世間ってそういうものだと思っている。
これは大家族で育ったお陰かもしれない。

仕事場での私に対する風当たりはけっこうきつかった。
いい年してまだ仕事をしている。
しかもたくさん仕事がもらえている。
面と向かって、私もあの仕事したいのにと女子トイレでくって掛かられたこともあった。
nekotamaさんが早くやめれば若い美人の私に仕事がまわってくる・・という言い分らしい。
そろそろおやめになってもいいんじゃないですか、と若者が言う。
僕のお母さんと同い年でしょう?
はいはい、とスルー。
「老後のためにね」と話し始めると、もうすでに老後ですよと突っ込まれる。
あなたたち、子供は黙ってらっしゃいといなす。

彼らも必死で働いて妻子を養い家を建てる。
高い楽器も買わないといけない。
だからどいてあげたいのは山々だけど、まだそういうわけにはいかないのよ。
そうこうしているうちに私の時代は過ぎた。
さあどうぞと譲ってあげたい頃には、仕事自体がなくなった。
仕事が来たのは私が美人だからでもなく演奏が上手いからでもなく、それはときの流れだと思っている。
たまたま私のところに仕事の波が来ていただけ。

女子プロレスのお嬢さん。
あなたがもう少し自分自身を好きだったら、誹謗中傷に耐えられたと思う。
誰がなんと言おうと私は私と開き直れたかもしれない。
今では何を言ってもおそすぎるけれど。
ネットの悪口は匿名であるがゆえに、エスカレートしていく。
実名を書くのであれば、あそこまで言えない。
だから、もしかしたらコメントの半分は本音ではなかったかもしれないのだ。
人の書き込みに乗じて面白半分に書いたのかもしれないのだ。
それを真正面から浴びたら、若さゆえの敏感な感受性が耐えきれない。
なぜ近くにいた人たちがフォローしてあげなかったのか。
誰かが無条件の愛情を注いでくれていたら、他の悪口もスルーできたかも。
痛ましい悲しい事件だった。

この事件がきっかけでネットの規制をしようという動きがすでに出始めている。
これが悪い方に向かえば、政治的介入によって簡単に言動を左右できる巨大な力が出来上がる。

コロナの非常事態宣言が緩んで、神奈川県人もようやく外出できるようになった。
そろそろ新緑の美しい北軽井沢に行こうと思っているのですが・・
県外はまだダメ?
神奈川県のせいで解除が遅くなってすみません。






























2020年5月20日水曜日

ひきこもるの嫌じゃないけど

子供の頃はひきこもりだった。
母はそんな私を心配した。
近所の子供と外で遊ぶようにと連れて行かれたけれど、すぐに飽きて帰ってきてしまう。
かんけり、なわとび、おにごっこ、外の遊びは一切面白くない。
家に入るとすぐに本を読んだり、レコードを聴いたり、絵をかいたり。
小学校3年生の通信簿の先生の生活指導。
いまだに覚えている。
子供らしくなくて可哀想です・・だって。

子供だからといって活発だとは限らない。
子供だからといって鬼ごっこが好きな理由にはならない。
だれだって向き不向きがあるのだから。

だから今のコロナによる外出制限もさほど苦にはならないけれど、家にいるとつい見てしまうテレビ。
政府の政策があまりバカバカしくて腹が立つから、精神衛生上、良くない。
政治家ってこんな人でもできるんだ。
むしろアホでないと無駄に責任感が強かったら自殺しかねない。
無恥厚顔でないと務まらない職業らしい。

この騒ぎに隠れて検察官の定年延長を画策して敗れた安倍さん。
普通ならもう人前に顔が出せないのではと思うけれど、まだ出てくる。
生活物資は潤沢だから急いで買わないようにと、マスクのときだって言えたはず。
一般の人たちは器用な人なら自分で作れる。
だからすべてを医療機関に回して、一般人は手持ちでなんとかするようにと言えばいい。
買い占め騒ぎも起こるまいに。
マスクは、本当のこと言えばちゃんとしたものでないとウイルスに対抗できないのかもしれないけれど、それなら古いマスクを中に入れて芯にすればいい。
いまごろ届くであろうマスクはもう不要。
それに使った膨大なお金は税金だから、国民に返してほしい。

こんなことも見通せない。
なにも安倍さんにマスクの心配していただかなくても、自分たちでどうにかできる。
それよりもっと大事な事があるでしょうに。
税金使っておトモダチごっこして好き勝手にやっていたことを隠すために、コロナは絶好の隠れ蓑だったと思う。
でも国民はちゃんと見ている。
日本人はおとなしいから今まで見逃してもらっていただけですよ。

検察官の定年の問題。
たくさんの芸能人もツイートして話題になった中で、「そんなこと言うとほされますよ」という書き込みがあったらしい。
これを見てゾッとした。
こんなこと一般人が書きますかねえ。
なんらかの権力を持った人の書き込みではないかとも。
もしかしたらマスコミ関係者?
芸能人にとって干されるのは死活問題。
ふだん政治的発言を控えている芸能人が、このように発言するのはよほどのことと思う。
おかしいと思うことでも、周囲を慮って気を使う人たちなのに。

池上彰という日本人の良識を代表するような人がいる。
ところが黒川検事の問題についてのコメントでおや?と思った。
なぜ安倍さんは黒川さんの定年を延長したいか?
ゲストの芸人がおもねるように答えた。
きっと優秀だからなんだと思う。
それに対して池上さんはにやりとして、そうですね優秀な人には長くやってもらいたいと思いますよね・・・的なことを言って、たぶん打ち合わせ通り?
その途端、池上氏とこの芸人が大嫌いになった。
生煮えの池上氏の発言は、彼もあちらよりなのかと思わせるものだった。
うまく立ち回っているという印象だった。

以前、カール・セーガンの「コスモス」という番組が好きで見ていたことがある。
知られざる宇宙の話。
壮大なスケールの宇宙の誕生など、私は心を鷲掴みにされた。
そのカール・セーガン博士が捕鯨に反対して言った。
クジラのような知能の高い動物を捕獲するのはけしからん。
ん?知能が高いから?
ご自分の知能が高いからそのようにお考えになるのかな?

それでは、私は捕獲されて構わない、博士は捕獲されないということ?
どちらか一人だけ生き延びさせるとしたら当然博士が残されるとは思うけれど、私と博士の違いはなに?
牛は食べて良くてクジラはいけない根拠はどこにあるの。

なにを言いたいのかと言えば、優秀だから法律捻じ曲げていいわけないということ。
なにをもって優秀かというのであれば、時の支配者におもねることかもしれない。
優秀な人は星の数ほどいる。
しかし良識をもって真に法律(国民)を守る人でなければ、本当の優秀さとは思えない。
自分の都合で法改正をすることを恥じないおっさんたち。
見れば見るほど醜い。

家にこもっていたら、普段考えなかったことが見えてくる。
これで皆が変わっていけば、最悪のコロナも少しだけ役に立ったかも。
こういう言い方は亡くなった方には申し訳ないけれど、なにもかもときの潮流だと思うと、歴史の一部を生きた人たちも救われるのではないかと思う。

























2020年5月18日月曜日

ガレージランチ

月に1回隣町のクリニックに顔を出す。
咳喘息と足のしびれの治療のために薬をもらい、ついでに血液検査をしてもらった。
私もついに病院とお友達のお年寄りの地位に上りつめたのだ。
咳喘息はあとひと月もすれば薬がやめられそう。
足のしびれはビタミン剤で多少改善されて、薬はやめることになった。
ところが最近いやに足がつる。
夜明けに足の痛みで目が覚める。
それはそれは酷いつりようで、歯を食いしばって耐えないといけない。
しばらくすると治るから、辛抱するしか無い。
それで又ツムラの何番だかの薬が出された。
こうやってどんどん薬と縁が切れなくなるのかな、いやだな。

足のしびれは未だに原因不明。
血行障害だろうというだけで済まされていたけれど、他の原因も知りたいと思い、血液検査をすることになった。
糖尿病は無いですよねと言われ、たしか去年の検診では正常値だったけどと言ったものの、やはり数ヶ月で悪化していないとも限らないから念の為。

検査の結果はいつものことながら、コレステロール以外は正常範囲内の数値。
コレステロールはもう何年も高いけれど、薬を使うのが嫌だから数年の差の寿命だったら寿命が短くなっても結構よと言って放置してある。
今はそういうことを言ってもいざとなると弱気になって、薬をくださいと言って泣くことは予想ができる。
けれど、今は食事でなんとかしますと薬はお断りした。
キャベツとブロッコリーが良いらしい。

キャベツは毎朝スムージーにして飲んでいる。
けれどブロッコリーはあまり好きとは言えない。
味が悪いのではなくて、あのチリチリのアフロヘアみたいな形がいやなのだ。
あそこに農薬が残留されていると聞いたことがある。
あまり気にする性格では無いけれど、洗っても農薬があの中に潜んでいると思うとことさら食べようとは思わなかった。
しかしコレステロールを下げるにはブロッコリーが非常に効果があるという。
仕方がない食べようか、味は嫌ではないから助かるけれど。

コロナのステイホームのお陰でだんだん体重は増加するし不健康なのは目に見えているから、この際四の五の言ってはいられない。
ダイエットのつもりでご飯を減らしたら、風邪をひきそうになった。
これは困るから、また食べる。
風邪から気管支炎、喘息と変化するのが毎年のパターンだったけれど、今年は風邪からすぐにステロイドの吸引を始めたので、小康状態。
いつもより咳き込まなくなった。
今年はうっかり人前で咳き込んだら、白い目で見られる。

病院の帰り道、あまりいいお天気なので1駅電車に乗らずに歩くことにした。
途中に洒落た中華レストランがある。
数年前出来た頃、まさか中華のお店だとは思わなかった。
桜並木の川沿いにイタリアンかと思える店が開店。
名前の知れた女性のシェフの店だった。
ランチは女性客で連日満員。
あそこの店が開いていたら、ランチを食べようか。
糖尿病やコレステロール値の心配しているのに、もうこの辛抱のなさ。
これがデブになる原因のひとつなのだ。

お店は開いていた。
ラッキーと思ったらテイクアウトだけで店内では食べられない。
前菜のセットを2つ、1つは姉にお土産。
てくてくと歩いて足が疲れて前に出なくなった頃には、パックに詰められた前菜は斜めに傾いて、中で料理がごちゃごちゃになっていた。

我が家の駐車場は、先程の店の延長の桜並木の道路に面している。
そこは車も人も通るけれど、なに構わないさ、ここで食べよう。
こんなに気持ちのいい季節、室内でお互いに顔を見ないように横並びに、会話も少なめになんて辛気臭いから、いっそのこと外のほうがいい。
キャンプ用のテーブルとパイプ椅子に料理を並べ、ペットボトルのお茶を出して、用意をしていたら、ちょうど昼時で、近所の工事現場に来ている職人さんが大勢で通りかかった。
思わず寄ってらっしゃいと声をかけそうになった。
姉が来て桜の新緑を眺めながら食べていると、走ってきたご近所さん。
ここで食べてるって聞いたからって・・・情報網がすごい。
誰かが彼女に知らせたらしい。
その人が加わって、久しぶりに一人ぼっちのご飯でない美味しさを味わった。
楽しいものですね、数人で食べるご飯は。
私達が食べ終えた頃、またさっきの職人さんたちがぞろぞろ。

毎日あっという間に食事が終わる。
黙々と食べて後片付けをしてぼんやりテレビを見て。

昔むかし、渋谷の地下道でホームレスの宴会に招待されたことがあった。
大晦日の夕方、NHKの紅白歌合戦のリハーサルが終わり、本番までの空き時間に外出したその帰り道。
彼らは地下道に座り込んで、これから年越しの宴会が始まろうとしていた。
楽しそうだね、新年を仲間たちと飲みながら迎えるなんて。
羨ましそうな顔をしたかもしれない。
すでに陽気になった人が「おっはよ!いっぱいやっていかない?」
嬉しいご招待ではあったけれど、これから仕事なのでとお断りした。
ちょっと残念だった。
















































2020年5月13日水曜日

布団は生きもの

前回の投稿で、することがあるだけましと書いたけれど、やらなければならないことがごまんとある。
今の季節には衣替え。
今どき衣替えなんて囚われている人もいないけれど、冬用の布団をしまったり厚手の毛布、冬のコートなどしまわなければいけないものがたくさんある。
めんどくさいので厚い羽毛布団をそのままかけていたら、流石に暑くて熱中症になりそうになった。

広い家で大きなクローゼットがあれば、季節ごとに仕切ってそのままハンガーにかけておけばいい。
残念なことにうちは猫の額。
冬物しまわないと夏物がかけられない。

昔蔵王の中森ゲレンデ前にあった小さなロッジは名前をキャッツ・ブロウ、猫の額といった。
browの発音は本当はブラウなんだけど、堅いことはさておいて。
若い夫婦が家族的に経営していた。
このロッジの欠点は、夕飯。
1つずつゆっくりと料理が出てくる。
中にはお酒を飲まないでご飯が欲しい人もいるのに、ご飯は最後に料理がなくなってやっと出てくるのだ。
洋食なので漬物や梅干しもない。
白いご飯を前にして皆呆然としている。
どうやって食べるの?塩かけて?塩もない。
ご主人、なにか勘違いしていませんか?
だってフルコースだってパンは料理と同時にもらえるのに。
そこは皆優しい人達だから黙って白いご飯を黙々と食べる。
半べそかいて半笑いしながら。

このご主人のもう一つの癖は、熱狂的なラグビーファン。
ラグビーの実況が始まると夕飯の支度はそっちのけ。
果たして今日は夕食にありつけるのだろうかと、宿泊客たちは心配する。
大抵はありつけるけれど、中には食べられなかった客もいるのではないかと思っている。

そこには巨大なセントバーナード犬がいて、名前を千代丸(だったかな?)
こんな名前でも女の子だった。
私は大型犬になつかれるので、いつも後ろから飛びつかれてひっくり返りそうになった。
ちょっとトレモロがかかった声で、バウ!
しまった、千代丸だ。
気がついたときには手遅れで両足を後ろから羽交い締めされるともういけません、一歩も前に進めなくなる。
それでくんずほぐれつじゃれあって遊んでいたけれど、ある時スキーに行ったら千代丸がいない。
どうしたの?と訊くと、毒殺されたと聞かされた。

ああいう大きな犬がいると怖いという人が多くて、町の連中が毒を盛ったという。
大ショックだった。
自然豊かな蔵王の山には似つかない、肝っ玉の小さい住人たち。
千代丸は本当に穏やかでフレンドリーだった。
犬を怖がる人がいるけれど、私には信じられない。
大型犬ほど人を助けられるのに。
その後その宿は廃業してしまった。

猫の額で思い出して脇道に逸れてしまったが、衣替えのシーズンは頭が痛い。
最近、冬物、夏物と区別することもあまりやらない。
それでも厚手のコートやセーターなどは場所をとられるから、シーズンが終わればしまう。
セーターなどは1年に1回着ればいい方で、何年も出したりしまったりしても全然着ないものがある。
特にカシミヤのセーターは暖房の効いた場所では無用のもの。
暑くて汗をかいて逆に風邪をひきそうになる。

スキー場でも綿のTシャツとベスト、ダウンジャケットしか着ないので、ヒートテックなんて着たら煮えそうになる。
煮えて美味しいなら煮えてやってもいいけれど、自分で考えても不味そうだからやめておくことに。
薄着し過ぎでたぶん体に悪いとは思うものの、重ね着するとなんとも心地悪い。
顔は冬でも露出していられるのだから、それの延長の体も慣れれば出しておけるかもしれない。
出すのは構わないが、すぐに通報されて捕獲されてはかなわない。
挙句の果て、可愛そうなのはこの子でございますなんて、見世物小屋に陳列されるのもいやだからおとなしく着ておくことにしている。

それで話を元へ。
去年暮れにテレビショッピングで買った羽毛布団。
届いたのを見たら羽毛の量がはんぱでない。
フカフカのモコモコ。
掛けると真冬でも暑い!
南極じゃあるまいし、こんな厚い布団は大げさ。
私の家はごく普通に暖房が設置されているけれど、特に猫という暖かいものがいる。
その猫が布団に潜り込んできてはすぐに呆れ顔で出ていってしまう。
私はしばらく猫をぎゅっと抱っこして安らかに眠ろうと思っているのに、入った途端回れ右。
むりやり引き戻して抱きしめて出られないように頑張るのだけれど、猫は液体らしい。
ぬるりと私の腕から抜け出ていってしまう。
そのくせ布団の外では流石に寒いから、何回も鼻面を突っ込んでくる。
そのたびに私の顔近くにフガフガと鼻息がかかる。
これは幸せではあるけれど、衛生上に問題ありだわ。

この厚手の布団をしまうのが面倒で先延ばしにしていたけれど、ついにたまりかねしまうことにしたら、これがなんとも始末が悪い。
羽毛布団の空気を抜いて丸めて圧縮袋に押し込む。
やっと1つの角が押し込まれたと思ったら、ほかが空気で膨らんでそこの空気を抜いているうちに元の角が袋からするりと抜け出る。
全体重を使って上から空気抜き。
それでも袋の中になかなか入っていかない。
ファスナーがなかなか閉まらない。
圧縮袋に入れる前に布団を圧縮できる方法ってないものか。
疲れたから、今日の衣替えは布団ひとつでおしまい。

大きめの袋に入れてあとから掃除機で空気を吸引できるものもあるとは思うけれど、このすったもんだを面白がる性格がじゃましている。
勝手にしろって言われそうだけれど。























2020年5月11日月曜日

見込み違い

今朝の散歩の途中、ガソリンスタンドの脇を通りかかったら、ガソリンが安い。
つい数日前、最初の外出禁止令が終わったら北軽井沢に行くつもりだった。
衣類もスーツケースに詰め込んで、猫の餌もトイレの砂も買い込んで、ガソリンを満タンにした。
レギュラーガソリンがリッター120円。
ヤッホー!と思ったのに、今日は117円。
たった3円というなかれ。
120円が安いっと思ったのに、数日でもっと安くなるとは。

それだけ原油の価格が下がったのはありがたいけれど、産油国には大変なショックだと思う。
このガソリンスタンドの持ち主もこんなに下がって大変だなあ。
5月の連休を当て込んで大量に備蓄していたのではないかと思う。
それがコロナショックで帰省するのも遠出するひとも居なく、ガソリンはさっぱり売れなかったのでは?
どこもかしこも気の毒。
もちろん私も大いに気の毒。
コンサートもレッスンもキャンセル続き。
数ヶ月先の仕事も、万一の場合はキャンセルがあるかもしれないから、と釘を刺されている。
これからの貧乏生活のために好きなブランドの服も買えない、靴も買えない。
蟄居してヴァイオリンを弾くだけの生活が続く。
することがあるだけマシ。

しかし、考えてみると、日本人は他人との距離を取るのが近すぎたり、歩くときも絶対避けなかったり、それが最近は急激に変わってきたのがうれしい。
私は知らない人とはふれあいたくないのに、平気で近寄る人が多かった。
彼らは私の身長が低いから脅威を感じないらしい。
満員電車に乗り慣れている人たちから、電車が空いているのにピタリと近くに立たれるとじわじわと殺意が湧いてくる。
好きな人ならいくらでも近くに居たいとは思うけれど。
それがコロナで皆距離を保つようになったのが喜ばしい。
ほーんとに良かった。

海外に行くといつも思うのは、現地人の歩き方や人との距離感が日本よりずっと感じが良いこと。
多分日本人の意識は国民皆家族で家の中と同じ行動を取りやすいけれど、大陸の人たちは警戒心が強く、めったに他人とぶつかるような行動はとらない。
けれど親しい人とはハグやキスをする。
日本人は恥ずかしがり屋でそういうことはあまりしない代わりに、誰とでも家族的な距離になってしまうのがどうも私は苦手だった。

コロナ騒ぎで他人との距離を取っても、相手が気を悪くしないので助かるのだ。
電車でも空いているのに、やたらにそばに寄ってくる人が多かった。
信越線の列車内で車両に乗客がたった二人というときがあって、私は知らない人は苦手だから寝たふりをしていたのに、気がついたら隣に座っていたというぞっとする経験をしたので、それ以来、ますます人との距離が気になっていた。
しかもその後、コーヒーを買ってくれたり帰りの列車の時間を訊いてきて一緒に帰ろうだの何だの。
冗談じゃない、気持ち悪い。
今ならコロナウイルスが怖くて近寄る人は当分出現しないだろうと安心している。

ガソリン満タン、猫は元気になった、荷物も出来ている、私もまだ感染はしていないと思うけれど、北軽井沢に行けないのが悲しい。
もうすぐ木々が芽吹いて最高に美しい時期になる。
良い子ぶっているわけでは無いけれど、あちらの人達も来てほしいとは思わないだろうと考えると気持ちが沈んでいってしまう。
もう2ヶ月も前から行くつもりでいたのに。

ところで去年暮に買った黄色い車は素敵な走り方をする。
そのうえ、昨日届いた税金の請求書を見たら、なんと前の車の3分の1の金額。
ハイブリッド、安全装置つきだから、買うときも大きな値引きがあった。
今までお金のことはあまり気にしなかったのに、この先のコロナショックのことを考えるとすごく助かるという気持ちになる。

でもね、私もだてに年取ったわけではない。
オーケストラ再建のために頑張っていた若き日のことを考えると、多少の貧乏は屁でもない(あら、失礼)
お金は大事、でもお金に気を取られすぎると彼らは逃げていくものよ。
だから知らんふりしてじっと我慢の子ね。

マスクがだぶついてきて値崩れが始まったそうだ。
今朝商店街で売れ残っているマスク発見。
洗えるもので450円。
ほんの少し前だったらこの値段でも人が殺到したかも。
ほら見なさい、転売目的で買い占めに走って損をした人も居るでしょう。
あべのマスクはまだ来ないけれど、もういらない。
こんなときにあんな変なマスクが届いても少しも有り難くない。
それよりそのための予算がどこかに消えていってしまわないか恐れている。

マスクは少し器用な人なら自分でできる。
姪が自作のマスクを送ってくれた。
実に上手く出来ていたから褒めてやったら、初めて褒められたとかなんとか言う。
手先の器用な人からも、必要ならお届けしますとはがきを頂いた。

マスクでご機嫌とって様々な疑惑から目を逸らさせようとしても、無理ですよ、安倍さん。
みんな怒ってます。


















2020年5月10日日曜日

肥ったワケ

体重が増加したのはどうしてかと原因を考えた。
それほど食べる量が増えたわけではない。
運動量も減ってはいるものの、こんなに急に肥るのはほかに浮腫みとか腎機能の低下とか考えられないだろうか。
昨日軽い蕁麻疹が出たのは、なにか悪いものを食べたからだろうか。
とにかく体重を減らすのが、足首のためにも良いのはわかっている。
他に痛む原因があったとしても、体重を減らせば多少の効果はあるはず。

最近とても簡単で美味しくできる料理のレシピ本を買った。
私は忙しい生活をしていたから料理は手早く作らないと寝る時間がとれなかった。
それで、レシピなど見ている暇はないから、手抜きや下準備であっという間にできる方法をいつも考えていた。
例えば同じ素材を2つの料理に使うときには、事前に2種類の切り方をしておく。
こちらを作ってさてあちらにというのは2度手間。
できれば仕事に出る前に準備して、帰宅したらすぐにできるようにする。
電子レンジも大いに活用した。
それと同じようなのにもっと手抜き(失礼)でできる料理がずらりと並んでいるこの本を見つけたときには、してやったりと思った。
敵はプロの料理研究家。
さすがに出来栄えが良く、調味料も少なくて経済的、見た目も良い。

テレビの料理の時間は良く見ていたけれど、最高の料亭の手間のかかる素晴らしい料理を見ても、同じようにはできない。
ある料理人Dさんは厳しい修行を積んできた人らしく、他人にも厳しい。
両脇に女性のアシスタントが二人いた。
すると片方のアシスタントが気に触ったらしく、全く無視した態度。
無視された方は、気の毒に半べそかいて、いたたまれない感じだった。
なにも公共の放送でそんなことしなくてもいいのにと思ったけれど、放送局としては偉い先生の気に障るといけないから注意をしなかったのかもしれない。
あんな人の作る料理はいくら芸術的でも、冷たい味がするのだろうなと、その時思った。

最近買ったその手抜きレシピ本は実に豪快。
ちょっとくらい失敗しても気にしないと。
家庭料理なんてそんなもの。
専業主婦なら手間をかけられるかもしれないけれど、共働きの子育て中の女性には本当に役にたつと思う。

昔、若い男性が昼メシ食べさせてくださいと電話してきたことがあった。
あいよ!あそこからここまで30分、それだけあれば。
出来上がったのは焼き魚、味噌汁、ひじきの煮つけ、きんぴらごぼう、香の物などずらりと8品、彼はこれ今作ったんですか?と驚いている。
まあね、ふふん。
でもあの時この本があったなら、もっと出来たかもしれない。
今はすることなすことスローなオオナマケモノに近いので、無理だけれど。

料理は頭脳プレー、頭の中で組み立てて冷たいものから順に食べられるようにする。
家庭でレストランと同じに出来なくてもいいけれど、今の世の中でさえ女性にそういうものを求める男性がいるようだ。
ネットの掲示板など読んでいると、とんでもない勘違い男ー多分少し知能が低いか育ちが悪いーが自分の奥さんの料理にケチをつける。
あなた何様?作ってもらえるだけ幸せなのに、自分でも出来ないことを共働きの奥さんに要求するわけ?
ある書き込みで、自分の彼女が冷蔵庫にあるもので作った食パンにカレーと溶けるチーズを載せてトーストしたものを出されて激怒したという。
びっくりね、こういう男は。
食べて美味しくなかったわけ?それとも食べずに怒ったの?
これ私の好物というか、私はいろいろなものをパンに載せて溶けるチーズと一緒に焼くのは、いつものこと。
カレーもだけど、ホワイトシチューはもっと好き。

のせるものはなんでも。
りんごの煮たものや野菜炒め、時には食べきれなかった焼きそばなんかも。
キムチやひじきの煮物、切り干し大根も美味しいの知ってますか?
要はおかずになるものはなんでも載せられる。
こうして冷蔵庫は空っぽになり、私はどんどん太っていく。
これが悩みのもと。

今朝散歩の途中でハッと気がついた。
レシピ本の分量は全部2人前。
それを作っては全部平らげていた事に。
ああ、これが原因!
この本は売れまくっていて、注文してから1ヶ月待たされて届いた。
届いたのが2週間ほど前。
肥満の原因はその頃からの蓄積なのだ。
説明をいい加減に読むからいけないのだ。
多少知能に難ありだからね。



























ジワリと肥る

夜中に目が覚めて体重計に乗ったらぎゃ~と叫びそうになった。
せっかく500グラムほど減らした体重が、バリアを破ってそれを簡単に乗り越えてしまった。

夕食の最後に食べたチーズトーストがいけなかった。
野菜とチキンだけにしておこうと思ったのに、野菜が思いの外美味しくて、これを食パンに載せてピザチーズと一緒にトーストしたらさぞ美味しかろう。
ここが我慢のしどころ、いやコロナに感染していつ死ぬかもわからない、この世に未練を残してはいけない、いや今後の健康にはこの一口が仇となる、いやいや・・・
押し問答が延々と(たったの30秒くらい)続いたけれど、自分に甘いnekotamaはすぐに易きに流れる。
たっぷり野菜とチーズを載せたトーストは、罪の意識を脳みその片隅に追いやってしまった。
ぺろりと平らげて幸せに眠ったら、この始末。
いつも後悔先に立たず。
どうせ実行するならヴァイオリンを1日5時間練習するとかなら良いのに。

チーズトーストだけが悪いのではない。
昼食に食べた煮穴子、大きなものが3枚入っているパックを買ってきてしまった。
これをご飯に乗せると、あとは味噌汁だけでも至福の境地。
朝食は近所のパン屋さんで買った洋梨のタルトとコーヒー。
キャベツとバナナのスムージーにオムレツ。

書き出してみると随分よく食べる人だなあ、と体重増加も納得。
特にいけなかったのは、朝目が覚めたら気分が悪かったので、二度寝をしたこと。
いつもならあまり寝ないのに、時々こうして寝溜めをする。
二度寝しても気分が悪く、はて、これはコロナでは?と真っ先にその事が頭に浮かぶ。
でも熱もなく咳も出ない、鼻水もでない、ただ手の平が真っ赤なのだ。
肝臓系の症状?そう言えば蕁麻疹が出たし。
なにをもってコロナと考えたかと言えば、流行しているからだけで。
それで毎日のウオーキングもヴァイオリンの練習も一切やめてゴロゴロしていたら、夕方ころになってようやく元気になってきた。
一番いけないのは、そういう時でも食欲がなくなることはめったにないこと。

気分が悪いからお粥だけにしようと思うのは、相当悪いか熱でもあるとき。
こんなに外出もせず誰とも会わず家にこもっているのに、普段と同じ量を食べるのがいけない。
気分が悪かったのはどうやら軽い熱中症。
ここ数日、咳喘息の吸入を続けているにもかかわらず、軽い咳が時々出始めた。
もしや!またもコロナの恐怖。
湿度がたりないと喉に悪いからと、加湿機を盛大に動かして寝ていたら蒸し暑くて汗をかいた。
自分が暑さに弱いのをすっかり忘れていた。
去年は何回も熱中症になったので、症状はよくわかっているのにコロナ騒ぎで忘れていた。
咳は薬の吸引の仕方がいい加減になっていたかららしい。
慣れてきてちゃんと吸い込んでいなかったようなので、深く反省ししたら改善された。

最近人と口をきいたのは、喘息の薬をもらいにクリニックに行った時先生とほんの一言二言。
都会に住んでいるのに世捨て人のように猫と暮らしている。
その猫に最近枕をとられた。
猫は長い間多頭飼いのお陰ですっかり拗ねていた。
やっと1匹になって私を独占できるようになると、見る見る甘えん坊に変身。
最初のうちはベッドの足元で寝ていたのが段々頭の方に上がってきた。
そして今、彼女は私の枕を我が物顔に占拠している。
寝ようと思うと枕には猫が乗っていて、私の頭を乗せる余地はない。
もう一つ枕がほしいけれど、近所のデパートの売り場はコロナで閉鎖。
スーパーの家具売り場も閉鎖。

通販でと思うけれど、枕だけは手にとって確かめないと自分に合うかどうかわからない。
北軽井沢の家は、友人たちが宿泊することを予想して枕を数個買っておいた。
種類がいろいろあって、硬さや高さなどすべて満足できる物は少ないと感じた。
以前は私は羽根枕の大きいものを2個重ねて使っていた。
肩まで載せられるし、高いと思ったら1個どければいい。
長年使っていて、たくさんの猫達が乗って傷んでしまったので捨てた。
新しいものは今の猫が乗ることを考えなかったので、小さめに。
そうしたら、猫がたくさんいた時と同じようになってしまった。
今の猫は自分のポジションが空くのを、じっと我慢していたらしい。

彼女が幸せな老後を過ごしてくれれば私は我慢できるけれど、店が開きしだい新しい枕を探そう。
コロナ開けの当面の目的は枕。
早く開けてくれないと私の肥満度は加速、枕も買えやしない。






























2020年5月5日火曜日

鯉のぼりの謎

近所の小高い丘の上にある公園まで散歩した。
丘に登る少し手前に小さな和菓子屋さんが、ひっそりと佇んでいる。
こんな場所で商売が成り立つのかしらと思っていたけれど、一向に潰れる気配もなく、ある日どんなものかと入ってみた。
それがなんと、上品で甘さ控えめで、こんな美味しい和菓子は久しぶりに食べた。
見た目もきれい。

最寄り駅近くに有名な和菓子店があるけれど、高いばかりで味はすぐ飽きてしまう。
きっちりと作られていて隙がないので菓子が可愛くない。
進物には見栄えもいいしブランドではあるけれど、毎日食べたいとは思わない。
それに引きかえ公園そばのお菓子は、いつも家に置いて時々つまみたくなるような優しい味がする。
これはこれは!

今朝は開店時間に合わせて出発。
公園のてっぺんに着くまでが20分くらい。
そこで5分休憩、下り始めてから5分弱だから30分前に出よう。
今日のおやつは道明寺かな、柏餅かな?
ちゃんと計算して出たのに開店時間が早かったらしく、私が丘に登り始める前に店開きしていた。
驚いたことにお客さんが数人、もう並んで待っている。
こんな事は初めてだった。
私が商売は大丈夫かと心配するくらい、いつもお客さんを見たことがなかったので。

緑色の幟がはためいている。
ああ、そうか今日はこどもの日。
柏餅を買うためにならんでいるのだと、やっと気がついた。
子供がいないと、毎日が変化に乏しい。
ときには曜日がわからなくなる。
和菓子店で柏餅を売っているのは知っていたけれど、今日がこどもの日という認識が飛んでいた。
今日にかぎらず物事すべて飛んでいってしまって、何曜日かわかるのはゴミ収集日だけ。

私には2人の兄と3人の姉がいるけれど、我が家の力関係は女子が圧倒的に強い。
女の子の節句にはお雛様が盛大に飾られた。
子供が乗っても大丈夫なくらい頑丈な雛壇。
男雛の刀まで抜けるような細工の細かさ。
目は描いたのではなく、ガラスのようなもので出来ていて光があった。
当時はどこの家にもネズミがいて、人形はネズミに齧られないように丁寧に顔を和紙などで保護してしまわれていた。

それに対し、端午の節句はほとんどお祝いされなかったのはどうしてなのか。
昔の古い家なので、長い廊下があった。
その廊下が鉤の手に曲がった離れの奥には、子どもたちはあまり近づかなかった。
なぜかと言うと、戦後まもなく家を失った人がそこに住んでいたから。
座敷でなく廊下に大きな荷物と布団が置いてあった。
いつの間にかその人が居なくなった後も、そこは少し近寄りがたい場所だった。
そこに端午の節句用の鎧兜と鍾馗様の人形がいて、私はその人形が怖くてたまらなかった。

見知らぬ人と髭面の鍾馗様は、私には不気味に見えた。
その代わり鯉のぼりが大好きなのに家に鯉のぼりがなかったのが不思議で、私は紙を貼って鱗を書いて自作鯉のぼりを作った。
派手好きな父が鯉のぼりを買わなかったのはどうしてか。
今でもそれが不思議で仕方がない。
男の子が二人いて、しかもふたりとも優秀で自慢の息子たちだったのに。

数年前長兄が奥さんに先立たれ、時々妹の私達を昼食に招いてくれる。
兄の手料理はとても美味しく家の中はきちんと整頓されていて、主夫の鑑。
これが私の本当の兄弟なのかと訝しくなる。
そのときに、昔話を兄から聞かされるようになった。
それでわかったのは、父と兄はあまり気が合う方ではなかったということ。
というか、父からのプレッシャーがきつかったのかもしれない。
兄は父から「お前は謂わば皇太子なんだからしっかりしろ」といつも言われて、それがとても嫌だったようだ。
もちろん我が家は皇族でもなんでもない、どこの猫の骨かわからない庶民なのに。
そのへんは子供だった私にはわからない。
父と息子というのはそんなものかもしれない。
それで鯉のぼりがなかったにしては、鍾馗様の人形、鎧兜は大きくて立派だったから、すべて謎。

両親は長姉を溺愛していた。
その姉は甘やかされ大事にされすぎて、亡くなるまでお姫様気質だった。
姉の写真がアルバムの大半を占めていた。
お宮参りや小学校の入学のときなどの節目に、プロが撮ったと思われる素敵な写真。
それに姉は女優のように美人だった。
私の写真?殆ど見当たらない。
家族の集合写真の中で、母に抱かれているのが一枚だけ。
それもシャッターがおりた瞬間のけぞったらしく、顔が半分だけ父の陰に隠れている。
姉に美貌の大半を持っていかれたので、私は残り物で出来ているです。




































2020年5月4日月曜日

みんなイライラ

最近郵便受けにネットの回線を変更するとお得であるとチラシが入っている日が多くなった。
私はずぶの素人だから、きちんと整備された環境で毎日楽しくゲームとブログに没頭。
他のことは一切わからないからそれはプロの凄腕さんにおまかせしてある。
こんなに多様なネット環境が私にわかるわけはない。
わかるようなら、私もプロになっているわい。

so-netから電話がかかってきた。
つんけんした女性が早口でまくしたてる。
建物は何階建て?集合住宅なのか戸建てか?パソコンと電話回線はいっしょですね?等。
それでは合格でーす!毎月の料金がやすくなります!
よくテレビのクイズ番組でやるような、チャラチャラした感じで。

はあ、何が?
チラシにあるプランに入ればお宅の今の回線よりもこれだけ安くなるからというので、私にはそのようなことはわからないと言った。
管理は任せてあるので、自分ではなにも考えてはいない。
以前so-netを使っていたけれど、それを今の回線に変更したのはなにかわけがあるからであって、わけもわからず私が決められないので訊いてみなければわかりません、と言ったとたん、激昂された。

それでは良いです。説明しても無駄ですからときた。
なにが良いですなのか。
お宅がso-netに変わる気がないなら、時間の無駄です、と言い放たれた。
お客様の大事なお時間を無駄にしてはいけませんから・・・って。

唖然として怒りがこみ上げてきた。
勝手にむこうから電話をかけてきて、脈がないと思った途端の豹変ぶり。
本来豹変というのは良い方に変わることを言うけれど、今は良くも悪くも突然変わることを言うらしいから使わせていただく。

それまで穏やかな老婆を装っていた私が、今度は狼に豹変した。
狼に豹変はおかしいかな。狼変ーろうへんとでも?
なんなのその言い方は!失礼で不愉快です。
だいたい勝手に電話してきて、こちらから頼んだわけでもないのに滔々と説明して、挙句の果て無駄なお時間ときた。

それじゃあ、なにかい?しっぽを振ってよくお電話くださった(涙)
こんなチャンスはまたとない。
貴女は命の恩人ですとでも言えばよかったかい?

断ると激昂する人が時々いる。
私はほしければ自分で求めるし、関心がなければ人に頼んでやってもらう。
それは私のスタイルだから他人からつべこべ言われたくはない。
もう一度お名前は?と訊いた。そう、あなたSさん、とても不愉快です。

コロナの影響でみんなイライラしている。
この女性もたぶんすごく不安定な気持ちでいるのだとは思うけれど、他人にそれをぶつけてはいけない。
特に仕事の場でこんなでは、この人は成功しない。
思いがけない反撃を受けて、電話の向こうでアワアワしている気配がした。
誰もがほいほい自分の言うことを聞くと思ったら大間違い。
しかも私は無下に断ったというのではなくて、訊かなければわからないと答えたのだから。
それならご一考ください、又お電話しますと言えば熱心な人と認められて、もしかしたら契約がとれたかもしれないのに。
これでは、so-netはもう絶対に入らないと思うではないですか。
断られたら、お時間取らせて申し訳なかったくらいのことが言えれば、仕事人としては合格。
プロとしての意識が低すぎる。
でも猛反撃するとは、私のほうもだいぶストレス溜まっていたのかと驚いた。
なんかすごく嫌な気持ちになった。

近所中で甲高い子供の声がする。
両隣、私道の反対側と沢山子供がいる。
学校が休みで元気が余っている。
親もわかっていて、午前、午後の1時間くらいだけ外に出している。
御近所は良識ある人達だけれど、それでも在宅勤務の上の階の人はイライラしている。
仕事をしていれば、あの甲高い声はちょっと堪える。

スーパーのエレベーターに後から乗り込んできた家族連れ。
おばあさん、お母さん、小学生くらいの女の子。
そのお婆ちゃんが狭い個室の中で大声で無駄口を叩く。
ただでさえコロナ怖いのに、ほんの1分やそこいら黙っていられないのか。
そこでイライラ。
お母さんと娘さんは黙っている。
おばあさんに注意して良いものかどうか迷っているうちに、目的階に到着した。
やはり注意したほうが良かったのかな。
それでもそのお婆さんが(自分のことは棚に上げる)文句をブウブウ言って豚変(とんへん)しないとも限らないから、君子危うきに近寄らず。
君子豹変す、と言うから、君子でない我々は豹変はできないはずだなあと思った。













2020年5月3日日曜日

盛岡よいとこ

私の生存確認の電話が毎日のようにかかってくる。
パチンコ好きの男性に「パチンコ店に行ってはだめよ」と釘を刺したら「やってないよ、店があいてないもの」
次にかかってきた男性にその話をしたら「おれもそうなんだよ、その人によろしく。俺なんかパチンコしかすることがないからどうしようかと思って」
情けない、ふたりとも頭が禿げるくらい長生きしているのに、パチンコしか能がない?

2番めの男性が言うには「盛岡って良いところだよね。八幡平に行った帰りに列車の時間待ちでパチンコ屋に入ったら、出るは出るは10万円以上になってね、そうしたら店中の人たちが頑張れ頑張れって言うんだよ。もうやめようかと思ったけど皆が頑張れって言うからしかたなく続けたけど」
最後には13万円になったらしい。
彼の連れの女性は資金が足りなくなって、スキー場のホテル代を彼に借りていたけれど、その店で儲かったので、その場で借金を返したそうなのだ。
盛岡の人は本当にいい人たちだよな、と。
これで負けたらガラッと評価は変るでしょうけれどね。
そういえば盛岡では一度も嫌な思いをしたことがない。

毎年この時期、盛岡に集結するひとたちがいた。
盛岡に一泊して次の朝レンタカーで八幡平目指して走る。
初めて行ったときには、梅と桃と桜が一度に見られるので驚いた。
ひたすら走って定宿のホテルに到着。
そこからゲレンデまでひとっ走り。
毎年雪があるわけではないから、少ないときはゲレンデにまだらに残る雪を肩身の狭い思いをして滑る。
ところどころ切り倒された大木の切り株があったり、雷鳴が轟いたり、グズグズに溶け始めている残雪の間に蕗の薹が顔を出していたり、普段の整備されたゲレンデとは違う。

私達のスキーの仲間「雪雀連」はベテラン揃いだから、悪雪はそれなりに楽しんでいた。
その中に初めて参加したNさんがいた。
彼は切り株が好きだったらしく、滑り始めたとたん切り株に寄っていってひっくり返って脇腹を傷めた。
皆、息を呑んだ。
せっかく参加してくれたのに、初めて来てくれたのに、これでもう彼は二度とこないのではないか。

車で診療所に運んだ。
私の他に男性2名が付き添った。
Nさんは意外と元気そうで、痛みはするもののそれほど重大な怪我ではなかったようだ。
診察の間、私は心配で待合室にいたけれど、他の二人の男どもは不埒にもどこかへ出かけてしまった。
Nさんは私の友人のご主人。
監督不行き届きで怪我をさせ、奥さんになんと言おうかと心配していたのに。
彼はあまりにも堅物で、定年後楽しみがないと困ると言う奥さんからの依頼で、ここに連れてきたのだから。

やっと診察が終わってそれほど重症ではないというので、本当にホッとした。
帰ろうと思うのに、他の二人の連れが行方知れず。
周りを探し回ったけれど、どこにも姿がない。
しばらく探していたら、診療所のすぐ隣の家から聞き覚えのある大きな笑い声がする。
なんと、そこで二人はその家の住人とすっかり仲が良くなっておもてなしを受けていたようだ。
この人達は呆れるほどコミュニケーション能力が高い。
どこでも誰でもすぐに仲良しになってしまう。

Nさんは傷が痛むのでスキーはできないけれど、あとは普通にしていられる。
すると雪雀連の血も涙も持ち合わせのない会長が言う。
それも嬉しそうに。
「Nさん、スキーはだめでも運転できるよね?」
八幡平の山を滑るにはリフトなどないから、一人が犠牲になって車で皆を頂上に連れて行く。
皆が滑り始めたら、山を下って出発点で待ち受けて、又頂上まで連れていかなければならない。
普段なら交代で運転するけれど、滑れない人がいる以上その人に運転してもらえば皆スキーが楽しめるというわけ。
その日からNさんはお抱え運転手となって、皆さんに貢献した。

八幡平では雄大な山の横っ腹を一列になって斜めに滑り降りる。
下から風が吹き上げて、ゲレンデでは味わえない醍醐味。
下に降りると車道にでるけれど、段差があるからスキーを脱いで板を道に落とす。
そのあと人間が飛び降りる。
車が来るし、積雪の多いときには私の身長以上の高さがあって、それが怖い。
道の両側はやっと道が開通した頃なので、雪の壁が立ちはだかっている。

毎年通ったけれど、雪が少ないときは秋田側の八幡平まで行っても雪がなくて、ゲレンデで蕗の薹を摘んで帰ってくる。
それをホテルの玄関前でコッヘルとバーナーで天ぷらにしていたら怒られた。
次の年からはホテルの厨房で天ぷらにしてもらうようになった。
天ぷらにしたのはパチンコで儲けて借金を返した、某都立高校の女性教師。
教師たるもの、生徒たちのお手本にならなくてもいいの?
しかしお手本になるような人なら、雪雀連のメンバーとしてはやっていけない。

怪我をしたNさんは、あまりのひどい扱いに耐えきれずもう来ない・・・と思いきや、その時からすっかりメンバーに溶け込んでしまった。
下手に気を使われないのが心地よかったようだ。
八幡平から山を下って盛岡に戻る。
かならず寄る寿司やがあって、のっけからウニ、いくら、アワビなど、どんどん注文して恐怖に震えながらのお会計。
不思議なことにどれだけ食べても、3000円。
盛岡良いとこ一度はおいでと歌いたくなる。

遊びだけでなく、仕事でもよく行った。
仕事が終わって皆で飲みに行って、お品書きにどんこの唐揚げというのを見つけた。
どんこというのは私はしいたけの大きいのとおもっていたら、魚の名前だった。
しかも値段は時価だって。
貧乏音楽家は頼む勇気がない。
だいぶ酔ってから、皆気が大きくなったところで注文した。
出てきたのは大きな魚、しかも値段は高くなかった。
美味しかったなあ。
楽しかったし。
盛岡には随分久しく行ってない。
もう山スキーができる状態ではなく八幡平もご無沙汰だから、もう一度行く機会はないかもしれない。

こうして思い出の中に沈むしかないのは、少し癪だなあ。
今朝の陣中見舞いの電話で思い出したこと、まだまだ色々あるけれど。