2015年5月30日土曜日

アマチュアコーラス

我が「雪雀連」のメンバーの1人、本職は化学者。
もう一つの本業は、お酒を飲むこと。
ソプラノ、スキーも、鉄道マニア、と中々の才女だけれど、今日、埼玉会館のステージを見ても見当たらない。
おかしいな、今日は歌って居るはずなのにと思ってよくよく見たら、髪型が変わってなんとお化粧までしていたから分からなかったのだ。

彼女の所属するアマチュア合唱団の指導者は増田順平さんと言って御年80才だそうで、背筋が伸びた若々しいお姿からは、とても想像出来ない。
声もしっかりしていて、再来年の演奏会も大丈夫のようなことをおっしゃっていたけれど、再来年どころか未来永劫続きそうな気がする。

Chor"C・E・G"とMJ混声合唱団のジョイントコンサート。
かなりの平均年齢の高さとみたけれど、とても楽しんで生き生きと歌っている姿は、本当にすてき。
音程がぶら下がろうが何だろうが、これだけのプログラムをこなしてしまうパワーには驚嘆した。

1.祈りと賛美
2.トスティ歌曲集
3.民謡をたずねて  (男声のみ)
4.ミュージカルを歌う

仕事を定年でやめて、コーラスを始める男性が多いときく。
歌は声だけでお金もかからないけれど、それだけに声の出し方や楽譜を初めて読む人など、かなり苦労するはず。
その苦労が良いというわけなのでしょう。
男声合唱の方はけっこうはっちゃけていたけれど、女性たちは身振りをするときにちょっと照れくさげ。

さて、今日行った埼玉会館。
実はこの会場のこけら落としは、私たちのオーケストラの演奏だった。
その時、客席の最前列に1人のおばあさんがいて、オケに合わせて指揮を始めた。
当時のコンサートマスターSさんは若い男性だったけれど、無類の笑い上戸。
そのおばあさんを見て噴き出してしまった。
演し物はドヴォルザーク「新世界」だった。
コンマスの笑いが伝染して、私たち箸が転んでもおかしい年頃の新入団員たちもつられて笑い、3楽章がグチャグチャになってしまった。
おかしいのと演奏が良くなくて惨めだったのとごちゃ混ぜの記念すべきコンサートだった。
笑い上戸のコンマスは跡を濁して、さっさとアメリカへ行ってしまった。

その後もこの会場はよく行った。
松本清張「砂の器」の映画、この映画は何回も撮られたけれど、一番最初の加藤剛さん主演の時に、このホールでオーケストラを弾いていたのは私たち。
私の若い頃の映像がどこかに残っていると思う。

映画の撮影に参加したのはその時が初めてだったけれど、こんなに細切れに撮影するのかとびっくりした。
加藤さんがピアノを弾く場面の手の吹き替えは、主題曲の作曲をした、ちょっと小太りの作曲家が演奏している。
体型と同じふっくらした可愛い手で、加藤さんの手とはあまりに違うので笑った。
いつ出番があるとも分からず、楽屋で待機していないといけない。
皆退屈して、2,3日経つと楽屋に電気コンロと鍋を持ち込んで
シャブシャブやったり、ごめんなさい会館の方たち、もう時効ですから告白いたしますが。

思い出深い会館の客席に座ったのは初めてだったけれど、今日は大変に楽しませてもらった。
客席のお隣に変わった女性が来たのでびっくり。
怖いから席を変わって、その空席に座った見知らぬ男性にもたれかかってよく寝ていらした。
埼玉会館って、時々ドキドキする。

















2015年5月29日金曜日

イザイは沈没

しばらく空いてしまった例会「弾く会」
今日は久々に集まった。

これからコンサートを控えているNさんは、ラヴェル「オンディーヌ」
今日は渾身の演奏をきかせてもらった。
Sさんは私と8月に演奏する予定のフォーレ「ソナタ」
家主のOさんはバッハ「トッカータ」
ソプラノのMさんはパーセルの唯一のオペラ作品という「ディドとエネアス」よりディドのアリア。

私はフォーレのほかにもう一曲、イザイ「バラード」
この曲は以前コンサートでも演奏したけれど、難曲だから思い通りには弾けなかった。
その時は仕事が立て込んでいて練習不足で不本意だったから、今回は練習をしてもう少しましになるかと期待して臨んだのだけれど、やはり力がたりなくあえなく撃沈となった。

なにが難しいかというとまず音程。
全音階的に始まる、冒頭の部分が特に難しい。
全音階というのは平均律でなく、オクターブを6等分した音階。
ドレミファ♯ソ♯ラ♯(ド)となる。
それから4半音という指定が出て来る。
これは4分の1音、高めか低めの音程をとる。
例えば同じミの音でも指定に依って、少し高く又は低くとらないといけない。
しかも曲全体のテクニックが難しいから、そんなことかまっちゃいられないと言いたいけれど、そこは指定通りに弾くように努力しないと。

そして一番の問題はボウイングに尽きる。
完全に脱力が出来て居ないと、和音の響きが得られない。
冒頭部分で全音階的な和声が、弱音で出て来る。
ここをいかに上手く弾くかは腕の見せ所。
しかし、見せる腕を持っていないから、ただの変な音になってしまうのが悔しい。
今日は特に楽器が湿気をはらんでいて、鳴らない。
そうなると力んでしまって重音が共鳴しない。
これから梅雨の時期、弦楽器奏者には最悪の季節となる。

とまあ並べるときりがない。
それに最近指が曲がってきているので、押さえるポイントが微妙にずれる。
曲がらないうちに弾いておけばよかったと、後悔しきり。
年には勝てないけれど、その分弾く喜びが強くなっているので差し引きトントン。
人生、上手く出来ている。

難しい曲は人前で弾くのはもう無理だから、仲間内だけの会で何回も弾かせてもらおうと思っている。
迷惑を被る彼らのことを考えると、気の毒で・・・(涙)
フォーレも何か今一つパッとしない演奏になって、今日は意気の上がらない日になった。
フォーレは転調が多くて音程が決りにくく、もう少しなんとかしないと人前には出せない。
音型は単純なのにねえ。
シンプルなものほど難しいと弁解しておこう。

終ってからの楽しみは勿論「食い気」
近所の中華料理屋さんで家庭的かつ独創的な料理を頂くのが、この会の牽引力となっている。
弾くのがいいか食べるのがいいか、それは両方。
イタリア人の人生は
マンジャーレ カンターレ アモーレだそうだけれど、私たちはアモーレはさておいて、このうちの二つは条件を満たしている。

クラス会の幹事の相棒Kさんも近くに住んでいるので、今日はご近所の誼で食事会に参加。
大いに話しが盛り上がって、笑いが渦巻く楽しい夕食になった。





















2015年5月28日木曜日

どんくさい犬の画像

体調不良であまり表にも出られず、ネット中を徘徊していたら、こんなの見つけて大笑い!
                              サイトはこちらから。

ワンちゃんも失敗するとしまった!みたいな顔をするのだ。
とりわけおかしい画像が左のワンさん。
気の毒に、あたりどころが悪いと痛いだろうなあと、余計なお節介。

それにしても
キャハハハハハハ
何回見てもおかしくてお腹がよじれる。

2015年5月27日水曜日

猫の居る別荘

7月にノンちゃんの別荘に遊びに行きたいと言ったら、その頃ノンちゃんは居ないそうで、計画が潰えてしまった。
そこで閃いたのは、もう1人の軽井沢組。
オーケストラの元メンバーのKさん。
最近定年で悠々自適の生活に入った。

元々その時期に遊びに行きたいと言って来たのは、女流コントラバス奏者のHさん。
軽井沢でしか手に入らないお味噌が欲しいそうなのだ。

彼女はまだ日本で女流コントラバス弾きが珍しかった頃、イタリアから帰国後、颯爽としてオーケストラに入団してきた。
コントラバス奏者にふさわしい大らかな性格とチャーミングな笑顔で、私たちの人気を集めていた。
その後の彼女は結婚して女の子をもうけ、演奏活動もして幸せに暮らしていたけれど、ご主人の病気でその後長い看病の年月。
ご主人は残念ながら他界されて、今はお嬢さんと2人で暮らしている。
大変活動的な人で、仕事もバリバリとこなしていたけれど、時々体を壊して非常に大変な日々だったと思う。
その人が「6月末から7月頭まで休みなので、軽井沢に行きたい」と言って来た。
ノンちゃんに電話したら生憎だったので、すっかりその辺は軽井沢にいるという気分になっていた私は、もう引き下がれない。
それでは、もう1人の軽井沢組の家に泊めてもらおうと勝手に決めて電話したら、いいよと言ってくれた。

彼女は無類の猫好きで、いわば猫友達。
今私が飼っているコチャは、彼女の猫の名前の一部を頂戴した。彼女はうちの猫の名付け親。
今回は、彼女の飼い猫を連れての軽井沢行となった。
うちの猫はお留守番。

嬉しいな。猫と一緒なんだ。

ノンちゃんは8月後半に軽井沢のレジャー施設で、お隣さんの2人と3人展を開くから、その時に来てと言う。
お隣は織物作家と絵描きさん。
それならそれに便乗してなにかコンサートが出来そうな。
私の頭の中で悪だくみが渦巻き始めた。

あなたは何者ですか?というサイトでテストしたら、私の頭は淫らな考えで100%一杯だと出たけれど、時々はこうして建設的なことも考えるのですよ。
淫らさんには少しどいてもらって、猫別荘の人に相談してみよう。

その淫らな頭の中には今、ベートーヴェンの「大公トリオ」の3楽章の、あの崇高なメロディーが絶え間なく鳴っている。
6月に演奏する。
その前に勉強会でフォーレとイザイを弾こうとおもっているのに、大公が頑としてどかない。
これは力の差でしょうか。

淫らと崇高が同居しているので、頭の中はグチャグチャ。
淫らを昇華させて芸術に・・・どうかな?
ベートーヴェンが勝つかフォーレが勝つか。
淫らが勝つか崇高が勝つか・・・う~ん。


















2015年5月26日火曜日

蛸のように

最近病院通いが続く。
子供の時から病気はお友達だった。
余り丈夫でなく、腎臓を悪くして1ヶ月学校を休み、変な熱病にかかったり、よくお尻にペニシリンの注射をされた。
お爺ちゃんの岸田先生。
よく名前を覚えているもので、若い頃の脳みそはどれほど新鮮だったことか。

それでお友達の病気は、今回は気管支炎?
私はマイコプラズマ肺炎と自己診断していたけれど、若い女医さんにそう言ったら鼻先でふんと笑われた。
もっともその肺炎は若年層に多いそうだから。

前回鼻の奥が化膿してえらい目にあい、小田原での飲み会の参加を諦めた時に治療してくれた女医さん。
見た目女子高生くらいの感じだけれど、中々しっかりしていて、私のあれこれ言う世迷い言にも平然と対応する。
今日も鼻から管を通して中を見られてしまった。
かなり奥まで管が入っていくから、ついでに胃の痒いところを掻いてと言おうとしたけれど、冗談は通じそうもないからやめた。
病名は胃痒いよう。あはは。
あれ、受けてるの自分だけ?

鼻の消毒が終って薬の吸引をした。
ペットボトルの口を平たくしたくらいの厚さの、ノズルのついた吸引器が並んでいて、それを咥えてしゅうしゅうやっているうちにふと思い出した。
これも何回もここでしゃべっているけれど、以前人間ドックで肺活量検査をしたときのはなし。

やはり今回と同じくらいの大きさのノズルのついた検査機。
看護師が私にそれを咥えさせて「はい、それでは蛸のような口をして吸い付いて下さい」
それを聞いたとたん、ブホッと噴き出してしまったので、ノズルその他全部吹き飛んでしまった。
その後笑いが止まらず、困り果てた看護師が立ち尽くしていた。

しかし、言うに事欠いて、蛸のような口とは。
私の顔を見て蛸を連想したのかどうか、訊いてみればよかった。
吸引しながらそのことを思い出したら、無性におかしくなって1人で笑っていた。
看護師に気付かれないように密かに笑っていたけれど、狸のようなお腹が揺れているのを見られなかったかしら。
吸引器を咥えてお腹ゆらして笑っている自分を想像したら、益々おかしくて笑いが止まらない。
咳が出たふりをしてごまかす。

病気で気分が悪くても、おかしいことに充分反応出来るのは元気な証拠。
食欲もちゃんとあるし、全快は間もない・・・なら良いけれど。
横になって眠れなかったのに案外元気なのは、座ったままでも熟睡出来たのだろうか。

小学校に入った年の学芸会で踊ったのが「蛸の八ちゃん」という曲だった。
色々急に思い出すものですね。
咳のしすぎで胸が痛い。





















2015年5月25日月曜日

カルテット

一昨日クラス会の案内状を送ったら、もう参加の電話をもらった。
でもそれなのに、声が出なくて話しも出来やしない。
相手も私の声を聞いてびっくり、しきりに電話したことを謝られた。
とんでもない、うれしい電話ですよ。

カルテットを組んで練習しているグループがある。
その内の1人から電話があった。
急なんだけど明日・・・と言いかけて、私の声を聞いてなにかためらっている。
メンバーの1人が風邪を引いたというので、私を引っ張り出そうと思ったらしい。
私が電話に出たらすぐにこの声ではダメだとわかったらしく、笑いながら諦めた。
声は2日前よりはずっと出るようになった。
最初は空気が漏れる音しかしなかった。

その内にカルテットにも来てねと言われる。
すごく有り難いし、私もカルテットは大好きなので行きたいのはやまやまだけど、今以上色々首を突っ込むと自分の首を絞めることになる。
私はカルテットになると目の色が変わる。
普段自分の曲はゆっくりやっているのに、カルテットになると気が狂ったように練習の虫になる。
曲を一から構築していくのは本当に面白い。
だから練習にはとても時間が必要になる。

しかし今で目一杯なのだ。
最近時間がゆっくりとれて、好きな曲にじっくりと向かえる様になった。
納得がいくまで練習できる。
忙しく仕事をしていた頃は全てが高速回転で、とにかくステージをこなすのに精一杯。
考えるひまもなかった。
今は曲の構造や音色に対する技術なども、ゆっくり考えられる。
これは本当に幸せな時間。
以前は派手に聴き映え良く弾くのが良い演奏だと思っていたけれど、今は作曲家の心の襞に入り込んで、共感することが務めだと思う様になった。
チャラチャラと賑やかに仕事をしていた頃はそれなりに楽しかったし、人が沢山集まってくるのが自分の世界を広くすると思っていたけれど、今は静かに深みのある音楽をしたいと願う様になった。
若さがなくなったと言えばそうなのかもしれない。
以前よりもずっと深いところで音を感じられるようになった。

年をとるのは良いことなのだ。
今カルテットを組むと、私は相手をつぶしてしまいそうで怖い。
これ以上もっとその上を目指すと、どうしても前に進めないことがある。
何回も何回も同じところを練習して、一種の偏執狂にならないといけない。

かつて何十年も一緒にカルテットを組んでいたチェリストに逃げ出されたことがあって、せっかく良い音になってもう少し上をめざそうとする私の要求が彼には重荷だったようだ。
大雪の降った日、最後に弾いたのはシューベルト「死と乙女」
交通がマヒしていたのに、お客さんは新幹線で岡山から来てくれるはずだった人を除いて、あらかた予定通り来てくれて、心に残る演奏会となった。

その後はお互いに他の人と組んで活動して、10年ほどしてからチェリストと再会したら、心底喜んでくれたのが嬉しかった。
確執があったのは演奏の部分だけだったから、彼も彼の奥さんも彼の友人も、皆が嬉しそうに歓迎してくれた。
又一緒にどうかな?なんて彼の友人には言われたけれど、それはもうダメでしょう。
たぶん進む方向が違ってしまっているから。
又私が鬼になったら、今度は完全に決裂しかねない。

ハイドンやドヴォルザークの後期の作品はとても難しくて大変だけれど、素晴らしい曲が多い。
それと、ベートーヴェンの後期の作品、もう一度弾きたい。
今なら若い頃より、もっと理解できると思う。

とかなんとかつぶやいていたら、咳が酷いことになってきた。
横になって眠れない。
昨夜はイスに座って夜を明かした。
ついに病院に行くことにした。


































2015年5月24日日曜日

マイコプラズマ肺炎

私がひどい咳をしていたときに、なんじゃらかんじゃら肺炎じゃないの?と言われたので覚えておこうと思ったけれど、家に帰ったら忘れてしまった。
なんたって、IQ182だから覚えていられないのよ。
それでも怪しい記憶を頼りにサイコ?プラズマ?だったかしらなどと検索していたら、あった!
マイコプラズマ肺炎でした。

この肺炎の事はリンク先で読んで頂くことにして、今日もまだ声がかすかにしか出ない。
これは周りの人達にはラッキーなことかもしれないけれど、私はお喋りだから辛い。
友人から北軽井沢のノンちゃんのところへ遊びに行きたいと連絡があって、気軽に電話しとくねと言ってあったのが、電話が出来ない。
のんちゃんもメールをしない人だから。
ノンちゃんは少し耳が遠いから、声が出ないと話しが通じそうもない。
それでも夏の遊びの計画は着々と進んでいて、ノンちゃんに良いと言ってもらえれば6月最後か7月頭に軽井沢へ。
そして7月末に志賀高原に蛍を見に行くことになっている。

軽井沢ではコンサートの話しが地元の人達の間で持ち上がっていて、今年はどうかわからないけれど、その内にねと言いながら、私は億劫だから先延ばし。
それでもやる気がない訳じゃないから、又誰かがその気になってお助け下さるのを待っている次第。
早く誰か引っかからないかなあ。
実はオーケストラを退団したばかりの友人が軽井沢にいて、先日もその話が出たばかり。
そして軽井沢でレジャー施設を経営している方たちと、去年からなんとなく話しをしている。

演奏する人はあっという間に集まる。
私の仲間はすぐアンサンブルが組めて気持ちの良い人達ばかりだから、素敵なコンサートになると思う。
やれやれ、やっぱり私が音頭とらないといけなくなるのかしら。
となると面倒だから、林の中の素敵に可愛いノンちゃんの家で昼寝していた方が良さそうだわい。

軽井沢でレジャー施設をやっている人にお目にかかってそんな話が出たのに、次の年再会したとき私がその方のお顔を覚えていなかったという大失態をやらかしたので、気を悪くしたのではとちょっと心配している。
なんたってIQ182ですから。あはは、しつこい。

声が出ないのに追い打ちかけるように、昨日は鰺フライの小骨が喉に引っかかってしまった。
唾を飲み込むとちくりと痛む。
長年他人に悪態をついてきた、その因果でしょうか。

そう言えば「あなたは何者ですか?」でサイコパステストをやってみたら、私はサイコパスではないと判断された。
おかしいな、かなり変だと他人から言われるし、自分でもそう思う。
私の家系は奇人変人揃いなのに。
それから私の異常に高いIQはどうやらなにかの間違いだったようで、その後何回もテストしてみたら、出る数値がグチャグチャ。
同じ答えなのに高かったり低かったり。
とにかく182なんて言うのは世界でも数人しかいないでしょう。
このテのテストは面白がってやってみるけれど、信じるほどバカではないといったあたりが私のIQ.

そして、あなたの頭の中はどのくらい淫らなのでしょうか?というテストは100%と出てしまった。
これはホントか嘘か、ご想像にお任せです。



















2015年5月23日土曜日

声が出ない

馴れないことはする物じゃないと深く反省したのは、クラス会の幹事を迂闊にもひきうけてしまったこと。
全く事務能力に欠けていて、書類一枚満足に書けないのに、なんで私がこんなことをしなければいけないのかと泣きたくなる毎日。
それでも一旦始めるとこう言っちゃなんだけど、責任感は強い方だから、なにがなんでも成功させないといけないと思う。
それが疲れとなって、昨日全部の人にクラス会の案内を送り終ったとたん、激しい咳に襲われた。
それでも仕事を夜遅くまでやって、家に帰ったのは11時近くだったから、咳止めを飲んで寝た。
薬のお陰か、咳は今小康状態。
時々空咳が出るくらいで、熱もない。

最近変な肺炎が流行っているとか。
熱は出ない、咳だけ。
その咳が激しく、命取りになる場合もあるそうなのだ。
その肺炎はふつうの肺炎の治療薬が効かないそうで、点滴をしても治らない。
おかしいと思って検査をすると、その肺炎だという。
一家で罹った人がいて、その人と赤ちゃん、最後にご主人に感染して悲惨な状態だったらしい。
治ってからも咳が続くと言うのが怖い。

それではないかと人に言われたけれど、その肺炎の名前が出なくて調べようもない。
病院に行くほどの症状ではないから、今日は予定をキャンセルして家でめずらしく昼寝をした。
電話をしなければならない人がいるのだが、声が全く出ないから電話も出来ない。
だいたい今どきメールをしない人がいると、はた迷惑。
メールなら声が出なくても出来るし、時間を気にせずに送れる。
私も新しい物になれるには時間がかかるけれど、今どきこんな便利な物を利用しないなんて。
と言っても人それぞれ好き好きだから、こちらがどうのこうの言うことではないけれど。

普段は口数が多くて六口(むくち)今日は声が出なくて正真正銘の無口になってしまった。
気管支の辺りがモヤモヤムズムズ、咳が出そうで出ない。
朝起きて猫に話しかけようとしたら、声が出なくてびっくりした。
どうしても発音しないで空気だけが漏れる。
今日一日そんな具合で、たっぷり昼寝したから元気ではあるけれど、これでは買い物にも行かれない。
仲間達といるのも好きだけど、1人でいても退屈しない質だから、しばらくおとなしくしていようと思っている。

それで先程からパソコンで遊んでいる。  
あなたは何者ですか?」というサイトに遊びに出かけた。
これによると私のIQは182、大天才だそうで笑ってしまった。
182のIQで一日中鍵を探し回り、取説が読めず、計算も出来ず、そんな天才がいるものかしらねえ。


















2015年5月22日金曜日

クラス会下見

東京駅にクラス会の会場設定したのは、地方から出て来る人にも便利だと思ったから。
最近北陸方面の新幹線も出来て、金沢、富山などからもすぐに来られる。
関西方面はもとより、東北からもあっという間。
本当に便利になったものだ。

今日はお店の紹介者のU子さんとランチを兼ねて、部屋の下見をさせてもらいに行った。
U子さんはなんの関係もないのに、私のためにわざわざ高いランチを食べるはめになった。
これも前世からの因縁とあきらめてもらうしかない。

今日は高い所からの景観にうってつけの、超絶晴天!
暑いのなんのって、おい、まだ5月だぜ。
着ていく物がないと言いながらクローゼットをひっかきまわしていると、見つけた。
これは何年も着ているけれど、最近どこかへ隠れていたブラウス。
気にいっているスペインの女性デザイナーの作品で、すごく変わった素材とデザインが特徴。
面白がり屋の私は服を買うと言うより、美術作品を買うつもりで買ってしまうので、着るととても変なのだ。
もとよりモデル体型にはほど遠く、こういう奇抜なものは似合うワケがないと知りながら、買ってしまう。
買ってから一回も袖を通していないマントがある。
それに合わせて真っ赤な長手袋を買ったのに、2人ともクローゼットで大あくび。
私たちの出番はいつ?と訊いてくる。
そのうちにね、と応えて又しまい込む。
それでも捨てられない。
最近流行の、ときめかないものは捨てなさいという事から言えば、絶対にすてられない。
なんの役にも立たないのに、すごくときめくのだ。

まあ、服はともかく東京駅に出かけた。

会場は最上階の素晴らしい眺望で、今日は晴天につき、遠くに山並みまで見渡せる。
東京はこんなに山に近かったかしら?

約束の時間に現れたU子さんと飲茶ランチをオーダー。
ふつうのランチだと量が多すぎるのでは?と思ったので。
でも、2人とも並外れて食い意地が張っているのを忘れていた。
一つ一つとても美味しくてペロリとコースを平らげ、なんとなく物欲しげに周りを見回して、チャーハンを追加オーダーする。

今回のクラス会の準備について色々話しをしていると、U子さんが、沢山の協力者が出てきたので、私がいかにも上手くいって「してやったり」とほくそ笑んでいる様子がブログからうかがえると言うではないか。
私もそうやって操られた口かなあと、ご満悦・・・え、違うの?ご不満?・・・どうして。
こうやって美味しい物食べてるじゃありませんか。
その機会が出来たと思えば、悪くないのでは?

私はもしかしたら腹黒なのかも。
そうか、自分でも分からない自分の性格の一面を指摘されたかもしれない。
ふ~ん、面白い。
そうやって、ホイホイと世渡りをしているように見えるらしいのは、昔から他人に指摘されている。
自分では無邪気なつもりでも中々腹黒いとなると、私はもう少し偉くなっていてもよさそうなものだけどなあ。
まあ、いいさ、これが猫の処世術。
猫は自分のやりたいことが分かっていて、一見弱々しげに見えるから皆に保護されるけど、実は獰猛だったりする。
まあ、なんて良い性格なんでしょう。
だから猫大好き!

U子さんにも諦めてもらって、これからもよろしく。
大きな猫を一匹飼っていると思えばいいのだからにゃ~。
大変美味しゅうございました。

今日、クラス会のお知らせを全員に発送した。
あとはこれで何人参加者があるか心配ではあるが、一安心。

















2015年5月19日火曜日

さようなら、お恭さん

美しくて優しくてお茶目で飲んべえで、私がオーケストラに入団してすぐになついたのは、少し先輩のハープ奏者の張谷恭子さん。
私は末っ子で甘え上手だから、すぐに親しくなって旅もよく一緒にした。

よく思い出すのは、長野県の善光寺さんのすぐ傍の旅館に泊まったときのこと。
朝、目が醒めると、屋根からパタパタと無数の音がする。
隣のお恭さんに、アレは何の音?と訊くと、しばらく考えてから、あれは鳩の足音よと応えた。
そう言われればそうだ、ここはお寺さんのすぐ傍で鳩が沢山いる。
なんでそんな事がお恭さんと結びついたのかは分からないけれど、今でもふと思い出す。
訊かれてじっと考えて、優しく笑いながら返事をする・・・そんな感じの人だった。

今日はかつてのオーケストラの練習場での「偲ぶ会」
沢山の人が集まってお恭さんを偲んだ。

私がオーケストラに居た頃、ここ大久保で練習が終ると中野の小汚い飲み屋に入って、よく一緒にお酒を楽しんだ。
私はあまり強くはなかったけれどお恭さんはいける口で、おじいさんと口うるさいおばあさんがやっているその飲み屋にはよく行った。

ある日壁の品書きを見ていたら「エンヤトット」というのをみつけた。
エンヤトットってなにかしらねえ、するとお恭さんが「おじさん、エンヤトットってなに?」と気さくに訊いてくれた。
もともとすごく品が良いのに時々はすっぱな口のききかたをすることもあって、そう言うときのお恭さんはそれが又魅力的だった。
「それはねえ、エンヤトットじゃなくてエシャーロットだよ」おじさんが長年大酒飲んで、回らなくなった口で言った。
「エシャーロット?」
初めて聞いた名前にとまどっていると「ほら、これだよ」ラッキョウみたいな野蒜みたいなものを見せてくれた。
あまりに達筆な品書きで、どう見てもエンヤトット。
大笑いしながら食べたエシャーロットは大人の味。

それ以来なにかにつけてエンヤトットの話しで笑った。

新宿の交差点で大の字に寝たとかなんとか、いろいろ武勇伝はあるらしい。
いつも美味しそうに口元に盃を持って行く形も決っていて、何をしても優雅だった。

今日の会にお恭さんの従姉妹さんがみえて、お恭さんの亡くなった時のことを語った。

膵臓ガンの手術をして1度は快方に向かったものの、再発転移のためにやせ細ってドアのチェーンを開けることも出来ないほどだった。
それでも助けを求めずジッと我慢していた。
布団を掛けると重いからコタツの中で寝て居たら、そこから出る力も無くなっていて、従姉妹さんが行った時にようやく引き出すことが出来たとか。
従姉妹さんの持って行った煮魚を美味しそうに食べて、でもそれが、最後の食事だった。
救急車で運ばれ、入院した時にはすでに余命は幾ばくも無く、あっという間に亡くなってしまった。
お恭さんらしく、人に頼らず、騒がず、泣き言を言わず、綺麗に散ってしまった。
つい最近まで、年に1,2回は会って飲んで居たのに、ここ2年ほど飲み会に現れなくなった。
お宅が遠いので、それで億劫になってしまったとばかり思っていたのに、誰にも病気のことを言わないので皆知らなかった。

昔の写真を持ってきて見せてくれた人がいた。
若く勇ましい頃のお恭さんはカーリーヘア、そしてその脇に私が張り付いている。
大好きなお姉さんだったお恭さん。
                     
ご冥福を祈ります。































2015年5月18日月曜日

強力な助っ人

クラス会の幹事を引き受けてしまったために、ここしばらく憂鬱な日々だったけれど、沢山の協力者のお陰で、最後の詰めに入ることが出来た。
毎回嫌だ嫌だとこのブログでぼやいていたら、心配して会場を紹介してくれた人、出欠の返信用ハガキを作成してくれた人、封書の宛名書きをしてくれた人。
最後に残ったのは、返信用ハガキの作成。
うちのコピー機でハガキに印刷が出来るのかどうか、又はスキャンしてから印刷するものなのか、良く分からない。
まずはスキャンをしてみようと思って取掛かったら、前回にも書いたとおり機種の違うコピー機がセットされていて・・・と言うより・・・セットされていたコピー機に接続されていなかったので大騒ぎ。
サポートセンターに問い合わせて何とかクリア。
途中でインクがなくなってカートリッジをセットしたら、インク違い。
インクを注文してインク待ち。
ハガキを入れていざコピーと思ったら、ハガキが途中ではじかれる、等々。
私の力量ではお手上げの事態が続いた。

それをジタバタとブログに書いていたら、やれやれと不肖の弟子のためにわざわざ来てくれたのがいつものHさんだった。
私のパソコン歴はもう10数年に亘る。
その間どれだけお世話になったか分からないし、出来るだけ自分でしないといつまで経ってもオンブに抱っこ。
多少は反省していたので今回はなんとか自力でと思ったけれど、ハガキが確か印刷できるはずなのに紙が途中で跳ね返される。
おかしいな。
紙をセットするトレイにハガキとあるから、まさか出来ない事は書かないはず。

Hさんが来てまずしたことは、お掃除。
コピー機内に紙を送るローラーの様なものがいくつかある。
それを濡れた布で拭いてから、乾いた布で水分をとる。
それが終ってコピーしたら、あら不思議、ハガキは拒否されずに立派にコピーが出来た。

たったこれだけの事に忙しい時間を縫ってきてくれて、結果は私の不精のたまもの。
たまものという言葉は良いことなので、こういう使い方はおかしいけれど、私にとってはおかげさまでと言う意味になる。
とにかく大変な故障だと思って飛んでくると大抵このテの結果。
いい加減ウンザリしていても、責任感で毎回騙されてくれる。

さて、こんな犠牲者が山のようにいて、私のクラス会幹事の下準備は出来た。
後は返信用ハガキに切手を貼って、封筒の糊付けをして・・・。

前回幹事から封筒は糊が付いていてそのまま貼れるものをという注意を受けたけれど、もう1人の幹事のKさんが気に入った封筒にはそれがなくて、ひたすら面倒でごめんなさいと謝られた。
私はむくれて「当日の仕事はぜーんぶ貴女がするのよ。私は飲むだけだからね」と喚いたけれど、結局糊付けするのは私。
だいたい人一倍不器用な私が一番苦手なのが、この糊付け。
折り返しが曲がったり、上手く貼れなくてシワがよったり、糊が足りなくてかぱかぱしたり、いつも泣きたくなるくらい上手くいかない。

Kさんの書いた宛名は、彼女の性格そのもの、暖かく大らかで、この手紙をもらった人が嬉しくなるような綺麗な字だったので、私の苦労も癒やされてしまった。
私から糊の付いていない封筒のことなどで責められて、可哀相だったのは彼女の方かも知れない。
結局ハガキの印刷はスキャンなどしなくても出来たので、連日のあの騒ぎはなんだったの?
掃除の行き届いたコピー機なら、ちゃんと印刷できたのだ。
面目ない!

あとはハガキに切手を貼って封筒に入れるだけ。
印刷が出来てうれしさの余り、できあがったハガキを封筒にあらかた詰め終わったところで、切手を貼っていないことに気が付いた。
官製ハガキで作れば良かったけれど、郵便番号が微妙にマス目に入らなかったりするのはいやなので、私製ハガキにした。

気が付いてよかった!自分で切手を貼らせるのは申し訳ないけれど「あの人のことだから」で皆我慢してくれないかな。
私なら我慢しないから、皆も我慢できないでしょうね。
周りを巻き込んでの幹事騒ぎはひとまず、終了。

読んでくださった方もほっとなさったことでしょう。
ん、何も心配してない!って、貴方そりゃないでしょう。













2015年5月15日金曜日

いよいよ印刷に取掛かる

嫌でなんとか先延ばしをしていたけれど、いよいよクラス会の案内状の印刷にとりかかる。
パソコンで下書きしたものを印刷して、そこまでは上手く行った。
少し小さめにして、A4の紙に2枚並べて貼り付けて、それをコピーすれば半分の手間ですむ。
ここまでは私の頭脳は天才的だと自負していたけれど、うまくしたもので、天は一物も与えてくれなかったことに、嫌と言うほど気づかされた。

一枚のA4のコピー紙に並べて貼った同じ2枚の案内状。
片方に影が出ているので修正ペンで消す。
もう一度コピーし直す。
修正ペンで消えたはずの影が又出る。
それではと、影の出ていない方のコピーを2枚貼り付けてみた。
これで両方完璧に影はなくなる・・・と思っていたら・・・
完全に消したはずの影が又浮かび上がってくる。
この辺でお化けの怖い私は少しビビって、これはなにかの兆かしら?などと鳥肌もの。

何回も何回もやっても影は消えない。
気が狂ったように修正ペンで厚く白塗り。
ええい、これでどうだ!
消えているはずの影が元の形のまま現れる。
どうしよう。
足元に死屍累々とコピー紙の残骸が溜っていく。
待てよ!もしやコピー機のガラスが汚れている?

あはは、面目ない。コピー機の汚れでした。
そこまでご丁寧に、コピーしなくてもいいじゃないの。
なにもねえ、意地悪なんだから。

やっとコピーが人数分できあがった。
次は返信用ハガキに取掛かる。
コピー機のマニュアルをしばらく眺めていたら、ハガキに印刷という項目があって、ハガキに直接コピーが出来るかどうかやってみた。
ハガキサイズの紙をセットして動かしてみると、あっという間に器械に文句を言われた。
紙をすげなくはねのけられて終了。

それではハガキをスキャンしてから印刷したら?
スキャンの画面をだしてハガキ裏面の印刷をと思ったら、せっかくスキャンしたハガキがどこかへいってしまった。
たいていスキャンした物が入っている場所を覗いても見当たらない。
探していたらとんでもないところで見付かった上に、巨大サイズになっていた。
私はいつこんな所にしまったのかしら。

それでもあまり驚くことはない。
時々冷蔵庫で鍵が冷えていたり、洗濯されていたり、普段よくあることじゃないの。

まな板の上に手袋が置いてあるような家だから。
誰が?って、猫がやるんですね。
悪いやつらだ。













2015年5月14日木曜日

放り出す神あれば拾う神あり

クラス会の出欠の返事用ハガキをコピーしようとしたらインクがなくなった。
コピーより、友人が作ってくれた返信用ハガキをスキャンして、印刷した方が早そうな気がする。
パソコンに取り込んでおこうと思ったら、設定が他機種になっていて、それを今使っている機種に変更する方法が分からない。
マニュアル読むのはしんどいから、コピー機のサポートセンターに電話することにした。
電話がつながるまで、いやというほど時間がかかった。
以前電話口で親切に説明してもらった事があったので、今回もそうしてもらえるかと思ったら、ファックスで手順が送られてきた。
仕方が無いから渋々読んでいたら、案外簡単に登録ができた。
やれば出来るじゃない。

今朝届くと思っていたインクは、明日の予定だったことに気が付いた。
明日インクがこなければ始まらない。
そうこうしていたら、1本の電話がかかってきた。
(どうして電話の通話数の単位は本というのかしら。)

私の愚痴ブログを読んだ人からだった。

「余りにも嫌々ながらやっているようで、余計なことかも知れませんが」と言って、評判の良い中華レストランを教えてくれた。
その方のお父様のお馴染みのお店。
丸ビル内にあって、その方の同級生が最近会食に使って、非常に皆さんに喜んでもらったと言う。
袋小路でウロウロしていた私は、一も二も無く飛びついた。

丸ビル最上階にあって、皇居の見える側の個室を用意してもらえるとのこと。
わお!最高。
しかも人数の増減にも理解を示してくれて、3日位前、場合によっては当日に連絡しても良いという。
願ったり叶ったりじゃないの。
話しをつけてくれたのは電話の主。

たぶん私がいきなり交渉しても、こんなに親切にはしてもらえなかったと思う。
その方のお父様のお顔が利いているのでは、と思う。
今まで何軒も電話したけれど、あまり期待出来そうもなかったのに、ここで一気に解決。

こうやって自分には何の実力もないのに、いつでも誰かが助けてくれて物事が上手くいくのは、何故かと不思議に思う。
これで明日インクが届いて、コピーがうまくいけば御の字。
ハガキの中身と宛名を逆さにコピーしないようにと注意をうけたけれど、それ、私が一番しでかしそうなこと。
全部終ってみたら、裏表逆だったりしてね。
でも、受け取った人は「あの人のやることだから」と驚きもしないと思う。
もう、こういう境地に達しているのだよ、私は。
もし私が出来なければ電話主さんがやってくれるそうだから、最初から丸投げした方が上手くいくかも。ぐふふ。

ところで、コピー機のサポートセンターの人、私がWindows8を使っていると言ったら、すごく嬉しそうだった。
なぜかしらね。




















2015年5月13日水曜日

もう嫌だ

やっとやる気になってハガキをコピーしようと思ったら、警告音が鳴り始めた。
インクの残量不足。
それでもこちらは余裕綽々、買い置きがあるもんね。
包装を破ってインクカートリッジを取り出す。
今まで何回もやっていたから、手慣れたものだわ。
残量不足のカートリッジを取り出して新しいカートリッジを差し込むが・・・入らない。
しかも取り出そうとすると、出てこない。
押しても引いても途中で止まってしまう。
困ったなあ。
指に力を込めて、ようやく引っ張り出した。
もう一度入れてみる。
又二進も三進もいかなくなる。

最後には私の力では出てこなくなったので、ペンチを使って思いっきり引いて、やっと出てきた。
その間、器械からはピーピーと文句が出る。
よくよく見たらなんだかカートリッジの形が違う。
あらまあ、べつの機種のカートリッジを買ってしまったのだ。
というわけで、これからインクを注文して、それが届かないと印刷ができないことになってしまった。

さっきまでレストラン選びで四苦八苦。
めぼしいところへ電話をかけて、仮押さえ。
これから案内状を出して返事が来るまで人数がわからないから、個室が使えるかどうか、その前にレストランが満杯になってしまったら予約出来ないなど、心配事が山のようにあって、溜息が出る。
今までの人生、人の尻馬に乗って安楽に暮らしていたのに、今頃になって馴れないことをさせられて、やはりクラス会なんか出るものじゃないと反省している。

私には懐かしいという感情が希薄で、クラス会に行っても、殆ど覚えていない人ばかり。
ああ、そういえばあんな人も居たっけ、くらいの気持ちしか湧かない。
今の友人達が大切で、過去を懐かしんでもしかたないという可愛げの無さだから、人望がない。
その人望がない人を幹事にするなんて、ぶうぶうぶうぶう。

極端に事務能力に欠けていて、書類を書かされると住所欄に名前を書いてしまったり、ハイフン無しでというのにハイフン付けてしまったり、まあ、色々やりますなあ。
ある時、コンサートに招待された。
お祝いのカードにメッセージを書こうと思ったらボールペンの持ち合わせがなくて、鳩居堂に「急遽」飛び込んでペンを買った。
色の確認をしないで買ったら赤だったけれど、時間に間に合わないから赤字で書いて「ごめんなさい、色を間違えて買ったので気にしないでね」と書いておいたら、後でメールが来た。
「ほんとに貴女らしいわ、家族で笑ってたの」ですって。
インクの間違えもきっとこんな事からなのでしょう。
早く届くかどうか心配!

しかし今の世の中で、一々案内状を出して返事を待つなどという悠長な事をしなくても、メールの一斉送信であっという間に片がつくのに、形式を重んじないといけないのが不思議だけど。

午前中にインクは届くはずだけど、ああ、めんどくさい!!!



























2015年5月12日火曜日

放り出される

昨夜、高校の同窓会の相談をするために、幹事の相棒kさんと前回幹事のIさん、それに会議場のレストラン近くに住んでいるピアニストのOさんも集まってもらった。
中華レストランでの、ミニクラス会。
私は前日、はとバスツアーの良さげなものをうんうん言って、ネットから大量にコピーしたのに、あっさりと却下された。
なぜなら、参加人数が決っていないので予約を取るのが難しい。
間際にキャンセルが出たり、急に参加を言い出す人が居るので、その場合バスの座席に空きがないと困る・・・等々。

それなら、気の合った友人数名と行ったほうがよさそうなので、私も渋々同意した。
最初のどんちゃん騒ぎの計画から大分縮小されて、ごく普通のランチでと言うことになってしまった。

場所はと言えば東京駅が最適。
どこに住んでいても東京駅には新幹線でやって来られる。
今は新潟、金沢などからも一直線。
東北、長野方面、大阪、名古屋、博多など、どこからでも便利な上に、足腰の弱ってきた私たちは雨風に晒されないのが、ありがたい。
そのレストラン選びを任されてしまった。
予約をしなくてはいけない。
友人達との会食はしょっちゅうなので、予約をとるのは馴れて居るけれど、こういう責任のあることは不慣れ。
だいたい私にこんな事をさせるなんて、人を見る目がないにも程がある。
その上、案内状の原稿も作らなくてはいけないし、返信用ハガキも。
結局前回幹事のお手伝いは、住所録を渡してくれただけ。
大海原に放り出された気分だわ。

昨日集まったレストラン近くの住人のOさんが、食後「うちにいらっしゃいよ」と誘ってくれたので、お邪魔することにした。
そこでOさんが返信用のハガキの見本を作ってくれた。
私が傍で見ていると筆まめ君というソフトを使って、すいすいとできあがった。
それを前回幹事のIさんに見せたところ、だめ出しが出た。
宛名の位置が高すぎて切手を貼るところが窮屈。
それに返信用だから宛名は私宛になっているのに、なぜか名前の後に様がついている。
普通は行(ゆき)でしょう。
偉そうだと笑われた。
作ったIさんは自分の名前でないから、つい様を付けてしまった。こんなハガキが届いたら、あの人偉そうにと思われるよと皆に茶化される。
自分の名前に様を付けて返信させるなんて、上から目線、私の性格がそうなのだなどと騒いでいるうちに、可愛らしいリボンの絵柄の付いた返信用ハガキが完成。
これをコピーして案内状と一緒に出す。
さてうちのコピー機はハガキにコピー出来るのかしら。
取扱説明書を読むのを一寸伸ばしにしながら、これを書いている。
分からなかったら、近所の印刷屋さんで頼むことにして、とりあえず朝飯。

Iさんから最後のダメだし。
ずっと同窓会って言ってるけど、クラス会だからね。???
え、それってどう違うの。
同窓会は学校全体、クラス会は同級生の集まりでしょ。

そんなことが分からないやつに幹事なんかさせるか?普通。


























2015年5月10日日曜日

もう一つの頭痛

音大附属高校の同窓会に顔を出したら、次回の幹事にさせられた。
今まで同窓会と言うところには顔を出さないことにしていたのに、中学から大学、オーケストラまで一緒だった友人が同窓会に出ようと言い出した。
私が出るなら彼女も出ると言うのだ。
そういう言葉が私は大嫌いで、人に半ば選択を委ねるのは卑怯だ思うのだが、長年の友誼に応えてつい出ると言ってしまった。
幹事さんに出席の旨を伝えて暫くすると、その友人は仕事が入ったからやめたと電話してきた。

人を誘っておいて、無責任にもほどがある。
幹事をすると本当に大変なのはよく知っている。
いい加減な返事をして、土壇場キャンセルを平気でする人がいるけれど、とても失礼なことだと思う。
しかもその時は東北地方の旅だったから、ホテルやバスの手配など、人数が決らないと色々な所に迷惑がかかる。
それで私は本意ではなかったけれど、仕方なく出席した。

紅葉の美しい季節で、同窓生の中に大きなホテルのオーナーがいて、彼女のホテルに泊めてもらったから、それはそれはサービスが良くて楽しかった。
メンバーの中に私と同じ先生に師事をしたKさんがいて、2人とも初参加。
他の人達から「私たちは今までさんざんやったから、今度は貴方たちで幹事をやってね」といきなり振ってこられた。
おいおい、冗談じゃない。
こんな頼りない人を幹事なんかにしないでよ、と断っていたら、Kさんが「やりましょう、やりましょう」と言う。
すごくやる気が見えたので、つい押し切られた。
ふにゃふにゃ言っているうちに、幹事になってしまった。

その時はまだ先の事と思っていたけれど、アッというまに季節が変わり、もう今やらないでどうするという土壇場まで追い込まれた。
それでも放っておいたら、去年の幹事から「そろそろ計画して」と矢の催促。
Kさんにも電話が行ったとみえて、そろそろやりましょうと言う。
いつも一緒に勉強会をしているピアニストたちも同級生だから、どんなところへ行きたい?と聞いたら「はとバスに乗りたい」という意見が出た。
それいいね、都内1周して夜のスポットでお酒飲んで、高級ホテル泊まって、次の朝解散。
一晩中どんちゃん騒ぎをと目論んだら、前回の幹事からあっさりと拒否された。
今まで都内ではランチのみだったので、そんな派手に遊ぶのはどうかと思うそうだ。

それで色々調べたら良さそうなはとバスツアーがあって、朝東京駅出発、国会議事堂や東京駅の普段は入れない構内を見学、ランチはフレンチ、その後デザートはクルージングで。
解散は早めの夕方。

これなら主婦層もダンナに気兼ねなしでいけそう。
ところで相棒幹事のKさんは、何も考えていないことが発覚した。
私が何か提案すると「やりましょう、そうしましょう」他の提案も「そうしましょう、そうしましょう」何を言っても「そうしましょう、お任せするわ」
なんじやこれは、幹事を引き受けたときにもそう言ったわね貴女は。
これって口癖に過ぎなかったのね。
やる気は殆どなかったのね。
騙された~!

前回の幹事も私たちに幹事を押しつけるときに「なんでも協力するから」と言うから引き受けたのに、今頃になって「それは幹事が決めることでしょう」と冷たい。
名簿を見て郵便物を出してくれるだけは、やってくれるそうだ。
Kさんは悠々と出身地の高知県に帰っていて、前回の幹事と相談して決めてと宣う。
2度と幹事なんかやらないぞ。
大体口車に乗って同窓会などに出席した所から、私の人生は狂ったのだ。

明日やっとKさんと前回の幹事さんと私と、オブザーバーとして近所のピアニストの友人が集まって会議を開く。
会議というと聞こえは良いけれど、要するに会食と言った方が話しは早い。
食べるのに夢中で結論はでないかもしれない。
頭が痛い。























2015年5月9日土曜日

MRIで昼寝

頭痛が続くので検査を受けることにした。
もう1ヶ月くらい軽ーい頭痛がして、治らない。
元々頭痛持ちではないから、この変化はなんなのか知りたい。
あまり危険ではなさそうだけど、ロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さんも数年前に脳出血で倒れているし、最近もそういう人がいたので用心するに越したことはないと思う。

原因の一つに、1ヶ月余り前にピアノの蓋の角で、いやというほど左眉の上を打った。
ピアノの下にあるものをゴソゴソ探していて、立ち上がろうとした時に目から火花!
しばらく蹲っていて、その後打った場所を触ったら、大きなたんこぶが出来て居た。

コブが出来れば大丈夫とかなんとか、親から言われて子供の頃は信じていたけれど、今考えるとどうも怪しい。
コブが出来ると内出血していないなんて、どういう科学的な根拠があるのか。
それとも本当のことなのかしら。
原因として思い当たるのはそれだけ。
年と共に血管が弱くなって血液が上手く行き渡らないとか、そういうことなら納得がいくけれど、今までなかったことが現れるのはちょっと面白くはない。

それでも若い頃は偏頭痛があった。
この原因は非常に緊張してストレスが強かったせいで、年と共に自然に消えていった。
今は全く起こらない。

先日も書いたけれど、器械に入る前に入れ墨はないかと聞かれた。
アートメイクをしていると言ったら、強力な磁気を浴びるので、火傷のようになったり色が赤茶けることもあると言われた。
火傷はいやだけれど、色が落ちるくらいはかまわない。
落ちたら今度は、別のデザインで描いてもらう楽しみが増える。

音がひどいからと言ってヘッドフォンを渡される。
オルゴールの音が流れている。
そこに工事現場みたいなドリルのような音、ハンマーで叩くような音など、もの凄くうるさい。
オルゴールでかき消される様な音ではないから、それだけ余計。
どうして余計な音を入れるのか理解に苦しむ。
五月蠅いからオルゴールを切ってほしいと頼もうかと思ったけれど、他人様がせっかく親切心でやってくれているのだから、受け入れることにした。
耳は選択機能がついていて、喧噪の中でも必要な音を聞き取る能力がある。
喧しい機械音の中でオルゴールを聴き取ろうとすると、機械音が気にならなくなるとでも?
どちらにしても只でさえうるさいのに、その上オルゴール音などは聞きたくない。

こういう器械に入るとき、音と閉所恐怖とで耐えられないという人がいる。
現に私の友人にも、あれだけはダメなのと言うひとがいる。
なんでもそうだが、現象は受け入れてしまえばそれほど苦痛ではない。

はい、終りましたよ、お疲れ様でしたという技師の声がした。
確か20分かかるといわれたけれど、あれ、もう?
あのもの凄い音の中でも、ぐっすり眠っていたらしい。
横になって暗くなったら眠るというのは、私の反射的行動。
だから枕に頭をつけ電気を消せば眠ってしまう。
プラネタリウムでも、日が落ちるとぐっすり、夜明けがくると目が醒める。
今まで一回もちゃんと見た事は無いのが自慢?
他に自慢することがないからね。
ちなみに眉毛はまだ燃えていない。


























2015年5月8日金曜日

女性は元気

今朝、姉から電話。
庭に咲いたバラが綺麗だから見においでと言うので行ってみたら、今を盛りと咲き誇る色とりどりのバラたち。
この家にはノラ猫も集まるから、猫も見られるかも知れない。

猫を連れた店子さんが我が家の階上の貸部屋に来て、今日でまだ3日しか経っていない。
初めての土地で不安なのではないかと、バラ観のおさそいをしてみた。
引っ越しの片付けをしているだけでは、退屈ではなかろうかとの老婆心。
「バラを見にいきませんか」と声をかけると、誘いに乗ってきた。
店子さんを連れて行くと言ったら、姉がコーヒーを淹れておくからと待っていてくれた。

植物好きな姉の庭は、狭いのに沢山の草花や植木で溢れかえっていて、夏は蚊が出るので私はあまり行かない。
一番良いのは今の季節。
新緑とバラが咲き誇って、雑然としていても、すごく綺麗。
鬱蒼としているから森の中に居るみたいなのだ。
庭に続く上がりかまちに腰をかけて、コーヒーを飲みながらお喋りをした。

年齢は私たち世代とみたけれど、センスの良い身ぎれいな方で、全く物怖じしない。
食べる事が好きだと言うから、駅傍のイタリアンが美味しいと言ったら「ええ、そこはもう昨日行きました」
引っ越して何日目?と姉が笑い転げていた。

「私はそのお店を知らないわ」と姉が言うと「今度ぜひ」と話しが盛り上がる。
私だって先日、友人達が我が家の最寄り駅に押しかけてくるというから、あわててネットで調べて初めて知ったのに。
たった二日でこの情報通。
これが高齢男性だったら、こんなに早く周囲に溶け込めないのではと思った。
女性・・特に中年以後の女性はパワフルで、テリトリー意識がないから周囲にすぐ馴染む。
これ長寿の秘訣。
ちょっとお喋りをして、お互いに長居をせずにあっさりとお開き。

うちの駐車場にテーブルとイスを置いて、お茶したら楽しいなどと提案してくる。
以前はよくやっていた。
お茶ではなくてビールなど。
全く知らない人が引っかかって、その後挨拶する仲になった。
近所付き合いも最近はあまりしなくなったから、そんなことから又楽しみが増えるかも知れない。

随分前だけれど、ウイーンで路面電車待ちをしていた時のこと。
美術館に行くにはどの線に乗ったら良いのかわからず迷っていたら、語学留学で滞在しているという若い女性に話しかけられた。
「どこへいらっしゃいますか?」
教えてくれるのかと思って「美術館へ行きたい」と答えると、自分も一緒に行っても良いかと訊いてきた。
「勿論いいですよ、でもどの行き先にのればいいの?」と言うとわからないと言う。
語学留学に来ているのだから彼女が訊けば良いのに、結局私が売店のおねえさんに訊ねに行った。
こんな時は語学を身につける絶好のチャンスなのに。
ウイーンに来て何ヶ月にもなるのに、どこへも行っていないと聞いて呆れた。
一緒に行った友人と「私たちだったら1週間もあったら、ウイーン中を歩くわよねえ」と悪口を言った。
うちの店子さんだったら3日で制覇かな。



























2015年5月7日木曜日

隠匿ブランデー

夏みかんが手に入ったのでと、夏みかんピールを作って持ってきてくれたお料理上手の生徒。
「こんな事ばかりしていて練習しないから、だからダメなんです」と、まさに私の口から出そうになった文句を先取りされてしまった。
「これは甘いけどお酒にも合います」と言うから「どういうお酒?」と訊ねると、「ブランデーとか」
急に思い出した。
すごく上等なお酒が隠してあったことを。
今まで見た事も無いような豪華な瓶に入っていて、さぞや高価な物と思われるが、勿論頂き物。
こんなお酒はとても手が出ない。

下さった方は競争馬を2頭飼っていて、その費用が年間2千万円かかるそうなのだ。
2千万って、馬にそれだけかけられるなら、飼い主様の生活はそれ以上ってこと?
想像もつかないけれど、世の中にはお金持ちがゴロゴロいるものだ。
私も競走馬以下の生活から脱却したい。

金銭欲、物欲共にあまり持ち合わせてはいないけれど、もう少し上手く世渡りをすれば、もう少しマシな生活になったかな?
性格上全くそのチャンスはなさそうで、それでも安穏として人生過ごせる事に満足しないと。

ところで、件のブランデーの所在が思い出せない。
うちは狭いけれど整理整頓がまったくなっていないので、1年ほど前にチラッとブラ様にお目にかかって、忘れないようにとどこかにしまったまでは覚えている。
その後の記憶が定かで無い。
おやおや、せっかくの上等なブランデーは日の目を見ないで、このまま眠りに就いてしまうかもしれない。

なんでも宝の持ち腐れ。
宝と言うほどの物はもっていないけど、私の宝は小汚い猫2匹。
たまさぶろうが居なくなったら、今まで遠慮していた2匹が元気を取り戻した。
たまさぶろうは私には甘えん坊だったけれど、さすがに男だから専横的だった。
特にモヤは私のお気に入りだったのが、たまの気に障っていた。
とりたてていじめるわけでは無いけれど、なんとなく「あっち行け」みたいな風で、モヤは真冬の寒い日に私の布団に入ってくることもかなわず、独りぼっちで猫ベッドで寝て居た。

このしょうもない宝はさておいて馬主さんからは、柄に七宝で馬の顔がはめ込まれている銀のスプーンとフォークのセットも頂いた。
私との関係はと言えば、海外ツアーで一緒に旅行したと言うだけで。
そんな希薄なご縁だったけれど、私が馬好きと言うのが嬉しかったのかも知れない。
厳密に言えば馬主さんは、その方のご主人。

勿体なくて飲めなかったブランデーもそろそろ口を開けないと、それこそ宝の持ち腐れ。
家捜しが大変!考えるだけで疲れる。

さっきふと思った。
最近海外旅行にここ暫く行っていない。
ブランデー捜すのは面倒だから、海外逃亡したい。
とまあ、何でも遊びの口実になりますね。






















2015年5月6日水曜日

巨匠ギトリス

イヴリー・ギトリス リサイタル
紀尾井ホール

御年軽く90才を越えてなお、矍鑠として演奏を続ける驚異的なヴァイオリニスト。
普通ヴァイオリニストの演奏寿命は長くはない。
まず聴力の問題、自分で音程と音色を作るのだから耳が悪くなったらそこでお終い。
姿勢の問題、しっかりと姿勢が保てなくなったら、音は出なくなる。
そして指の形が変わってしまうと音程が取り辛い上に、狭い弦の間隔が災いして場所が定まらなくなる。
0コンマ何ミリ単位の動きが要求される・・・例えば左手の指をちょっと立てるか寝かせるかで音程も音色も変わってしまう。
関節の柔らかさを特に要求される楽器だから、硬くなるとボウイングに影響は勿論、ビブラートがかけにくくなり音色が硬くなる等々。
それで皆段々演奏から遠ざかってしまう。

なにがギトリス氏を演奏長寿者としているかというと、そのたぐいまれな自由さ。
小鳥の様に自由で枠にはまらない。
たぶん心も本当に自由で、純真でとらわれないのだと思う。
それはメチャクチャという意味ではなく、決められた空間を伸び伸びと浮遊しているように見える(聞こえる)
心の自由さが体の柔らかさにもつながって・・たぶんこれは相互効果だと思うけれど・・今でも現役で世界を飛び回っている。

演奏スタイルはやはり今の人達から見れば旧い。
今、世界的な傾向は端正で正確なことが要求される。
きちんと纏められているから、誰が弾いてもアカデミックで特徴がない。
ギトリスはいわゆる巨匠スタイル、ハイフェッツ、ティボー、クライスラーなどに近い。
だからクライスラーの曲を弾くと、独特な得も言われない味わいがある。
極上のブランデーに最高級のチョコレートを同時に味わったような気がする。

ピアニストに腕を借りて、背中が曲がったコッペリウスみたいな頭髪で現れた彼は、お顔を見れば鋭く、口を開けばユーモアに溢れ、時々話しをしながら自宅の居間でくつろいで居るかのように淡々と弾く。
最高だったのは彼のビブラート。
左手の柔軟さが年齢によって少しも損なわれていないことに驚いた。
往年の音は失われているのかと思ったけれど、まだまだ。
随所に輝きと艶のある音色、そしてしみじみと心の奥まで入り込む歌い回し。
懐かしく美しきよき時代の名残を見せて、聴衆の心を奪った。

万雷の拍手が止まない。
誰もが席を立てずに涙した。

曲目は
モーツァルト「ソナタ」ホ短調
ブラームス「ソナタ」3番ニ短調
ピアニストのソロで
モーツァルト「幻想曲」ハ短調K.475
この後は小品をいくつか
お話をしながら気分に任せて弾いていく。
クライスラー「愛の悲しみ」「美しきロスマリン」「シンコペーション」
ベートーヴェン「ソナタ春」よりスケルツオ 
マスネー「瞑想曲」日本の「浜辺の歌」など。

最後にピアニストにも拍手!
素晴らしかった。














2015年5月5日火曜日

カヤレイ氏によるマスタークラス

スイスのカヤレイヴァイオリンアカデミーの日本支部は、音楽教室「ルフォスタ」のヴァイオリン講師細野京子さんが支部長として、毎年5月に講習会を行っている。

細野さんはスイスでカヤレイ先生に師事、その優れた教授法を日本にも広めたいというので奮闘。
最初は生徒が集まるかしらと不安そうにしていたけれど、最近は優秀な生徒がこの講習を受けるようになって、しっかりと根付いてきたようだ。

毎年聴きに行くけれど、まあ、日本の音大生達の上手いこと!
すごく達者に弾く。
けれど、何かが足りない。
すごく良く練習をして指も回る、弓さばきもきれい。
それでもいつも思うのは、自分の意志があるのかしら?
ここをこう弾きたいという意志が感じられない。
優等生であるほど、先生のおっしゃるとおり。
先生の言うとおり弾ければ点数も上がる。
それで学校卒業して先生がいなくなると、いつまでも学生時代の弾き方をするしかない。
むしろ学生時代少しはみ出ていた人の方が、社会に出てから役に立つ。
これはどの社会でも同じ。

カヤレイ先生はそんな講習生達に、熱意をもって当たる。
みるみる内に弾き方が変わって、血が通い脈が戻るような音楽になるのが素晴らしい。

私の教え方はどちらかというと冷たい。
レッスンの間に言うべきことは言うけど、それを実行するのは貴方しだいよ、とつっぱねる。
しかし、カヤレイ先生はとことん生徒が変わるまでネバリ強く、何回でも繰り返し弾かせる。
良い先生というのはこうあるべきかと思う。

今日は3人の受講生が来て何れ劣らず優秀ではあったけれど、それでも先生がお手本で演奏するとその違いに愕然とする。
音の本質が違うようだ。
最後に弾いた女性は素晴らしく、自分の世界をしっかり持っていて、先生もご満悦だった。
内面から求める音が技術を超えて、弓をどう使うなどというレベルではなく、しっかりと自分の求める音が分かっている、そんな感じだった。

教師は外側からサポートするだけで、本当のところは生徒自身の要求がないとどう説明しても、良い音は出ない。
それでも四苦八苦してわかる様に説明したり弾いて聴かせたり。
何事もそうだけど、求める気持ちが大事。
だから良い演奏を沢山聴いて、自分の中に理想の音を持たないといけない。
それもCDなどでなく、生音を聴くのが大切になる。
会場に響く音は録音の音とは別物だから。

毎年カヤレイ先生の講習会を聴かせてもらっているけれど、反省を籠めて我が身を振り返っている。
















2015年5月4日月曜日

頭痛

若い頃は緊張性の偏頭痛がひどかったけれど、その後殆ど頭痛というものを忘れていた。
ところがここひと月ばかり、ずっと頭痛が続いているので病院に行ってみた。
最近も脳出血で倒れた人の話を聞いていたから、もしやと思う。

去年人間ドックで脳のMRI検査をした時は、なにも見付からなかった。
少しは脳が縮んでいるかと思っていたけれど、全然萎縮もみられない。
変だな、それなのにこのもの忘れのひどさはなぜ?

結局、MRI検査を受けることになった。
検査の注意事項を看護士から受けた。
当日金気のものは御法度。
「体に入れ墨はありませんね?例えば眉毛を入れているとか」
眉毛はファインメークで描いているからそのことを告げると、ものすごく心配そうに、それこそ眉をしかめられた。
私の眉をじっと見て、あまりに自然な感じなので半分疑っているようだった。
この眉を描いた人はとても上手で、私のボサボサ眉の感じを残しつつ、見苦しくない程度に整えてくれた。
いかにも描いてますという感じではないので、人には気づかれない。
去年の検査の時にもそのことを言って恐る恐る器械に入ったけれど、何のことはなかったから、その旨を告げると疑わしそうにカルテを見て「前にも検査していますね。では大丈夫でしょう」と言う。

こんな細い眉毛だけでも大騒ぎするなら、背中中入れ墨を入れている人は気の毒に、検査が受けられないのか。
本人の意志で入れるのだから気の毒という事はないけれど、それのお陰で大病になってもMRI検査は出来ない。

川崎駅近くのゴミ焼却場に温水プールがあって、他のプールがお休みの時には時々泳ぎに行っていた。
あるときプールに入っていくと、妙に人の群れにムラがある。
よく見ると、背中中牡丹の模様の粋なおねえさんがいた。
そのまわりだけ何となく遠巻きみたいになっている。
しかし、プールの職員はこんな背中の人をよく入れたものだ。
バスタオルかなにかで隠して入ったのか、脅して入ったのか知らないけれど、堂々と背中見せているのに退去させられないところを見ると、お知り合い?
今は色々な形の水着があって、露出の少ない水着なら首まで隠れる。
それを着ればなんの問題も無いのに、こうやって平気で背中を出すということは、日常的に通って来ているのかも知れない。
さすが川崎!と妙に感心した。

頭痛は毎日続いている。
泳ぎに行けば治るかしら。
あまり暑いので久しぶりに游ぎたくなってきた。















2015年5月3日日曜日

別荘

生徒がレッスンを受けに来た。
大きなトランクと膨らんだバッグに、ヴァイオリンを背負って、いかにも休日モード。
今日これから別荘に行くらしい。

こんな楽しい日に、なにも私にグチグチ言われに来なくてもいいのにと思う。
別荘を持たない身としては大層羨ましい。
ただ、私は極めつけの無精者で、もし別荘を持てたとしても荒れ放題にしてしまうと思うから、友人達の別荘を渡り歩かせてもらうほうが分相応。

いまや軽井沢に2軒、清里に1軒、泊めてもらえる家がある。
だからなにも苦労はしないで、別荘生活を満喫できるのだ。

もう20年程前乗馬に夢中だったとき、山を一つ買って木曽駒を飼おうという計画を立てた。
木曽駒は丈夫で賢い、足が強く山路を登っても疲れない。
側対歩という歩き方で、サラブレッドの様に揺れが大きくないので、乗りやすい。
それでなるべく近場で地価が安く、人の少ない場所を狙って、栃木県、群馬県、茨城県などを探し歩いた。
あるとき東北自動車道で仙台からの帰り道、あまりの渋滞に飽き飽きして常磐道に進路を変えた。
途中の一般道で、とても雰囲気の良い場所を見つけた。
こんな所に住みたいなあと思って、それから間もなくその辺を探索してみた。
そこは栃木県の馬頭町、名前も気に入った。

その前に東北の方も探していたけれど、やはり少し遠すぎるのと、人が良いと思っていた東北の人が狡猾で、かなり足元を見られたのがショックでやめてしまった。
休耕地で荒れ果てているような所の値段が高すぎたり、水が出やすかったり、良いと思うとお墓があったりで、これと言って適当な所が見付からない。
東北には親戚がいて、平、浪江などの辺りに住んでいた。
原発のそばに散歩に行ったこともある。
その後の大震災で、亡くなった人はいないけれど、今は分散してしまった。
あの辺で気に入った土地を見つけていたら、私と私の馬が被災したかもしれない。

馬頭町を何回も訪れて、かなり気に入った土地が見付かったのでそこに決めるつもりでいたけれど、姉やその家族と見に行ったとき、私と姉以外は皆乗り気でない。
緩やかな傾斜地で眼下に那珂川が見える、ロケーションは抜群だけれど、狭い山道を車でかなり上る。
それに傾斜地だと言うので反対された。
傾斜地はむしろ広く使えるし、面白い建物が出来ると思ったのに。
それでもう一回、今度は家族でなく友人にお願いして同行してもらった。
町に入って、不動産屋に電話をしても出ない。
約束してあったのに、何回もかけても出ない。

途中の山道で会った人に道を訊ねると、もう、呆れるばかりのスローリズムで、地図を見せてもボンヤリとしていて、今ここが地図上のどこであるかも分からないらしい。
私がその内切れると思った友人が後ろで「怒っちゃダメよ」と何回もささやく。
場所は大体分かっているから車を走らせてみても、同じような山路でどうしても到着しない。
その頃はカーナビも持っていなかったし。
それでしおしおと帰って来たけれど、次の日不動産屋に電話すると、子供の運動会だったので出かけていましたと言う。
そこでプッツンと何かが切れて、そこはご縁がなかったものと諦めた。
馬を飼う計画も頓挫して残念!

ところがその数年後新しい美術館が出来て、そこで我が「雪雀連」の絵本作家、田畑精一さんの絵本の原画展が開かれたので見に行くと・・・なんと、景色に見覚えが。
紛れもなくそこは私の土地(になるはずだった)ではないか。
こんな良いところだったのだと、歯ぎしりをした。

その後、私は仕事に追われ、考えてみれば馬を飼えるほどヒマではなく、結局これはこれで正解だったと思う。
もし馬を飼っていたら仕事は出来なかった。
うまくしたものだ。とダジャレで締めくくり。