2015年5月19日火曜日

さようなら、お恭さん

美しくて優しくてお茶目で飲んべえで、私がオーケストラに入団してすぐになついたのは、少し先輩のハープ奏者の張谷恭子さん。
私は末っ子で甘え上手だから、すぐに親しくなって旅もよく一緒にした。

よく思い出すのは、長野県の善光寺さんのすぐ傍の旅館に泊まったときのこと。
朝、目が醒めると、屋根からパタパタと無数の音がする。
隣のお恭さんに、アレは何の音?と訊くと、しばらく考えてから、あれは鳩の足音よと応えた。
そう言われればそうだ、ここはお寺さんのすぐ傍で鳩が沢山いる。
なんでそんな事がお恭さんと結びついたのかは分からないけれど、今でもふと思い出す。
訊かれてじっと考えて、優しく笑いながら返事をする・・・そんな感じの人だった。

今日はかつてのオーケストラの練習場での「偲ぶ会」
沢山の人が集まってお恭さんを偲んだ。

私がオーケストラに居た頃、ここ大久保で練習が終ると中野の小汚い飲み屋に入って、よく一緒にお酒を楽しんだ。
私はあまり強くはなかったけれどお恭さんはいける口で、おじいさんと口うるさいおばあさんがやっているその飲み屋にはよく行った。

ある日壁の品書きを見ていたら「エンヤトット」というのをみつけた。
エンヤトットってなにかしらねえ、するとお恭さんが「おじさん、エンヤトットってなに?」と気さくに訊いてくれた。
もともとすごく品が良いのに時々はすっぱな口のききかたをすることもあって、そう言うときのお恭さんはそれが又魅力的だった。
「それはねえ、エンヤトットじゃなくてエシャーロットだよ」おじさんが長年大酒飲んで、回らなくなった口で言った。
「エシャーロット?」
初めて聞いた名前にとまどっていると「ほら、これだよ」ラッキョウみたいな野蒜みたいなものを見せてくれた。
あまりに達筆な品書きで、どう見てもエンヤトット。
大笑いしながら食べたエシャーロットは大人の味。

それ以来なにかにつけてエンヤトットの話しで笑った。

新宿の交差点で大の字に寝たとかなんとか、いろいろ武勇伝はあるらしい。
いつも美味しそうに口元に盃を持って行く形も決っていて、何をしても優雅だった。

今日の会にお恭さんの従姉妹さんがみえて、お恭さんの亡くなった時のことを語った。

膵臓ガンの手術をして1度は快方に向かったものの、再発転移のためにやせ細ってドアのチェーンを開けることも出来ないほどだった。
それでも助けを求めずジッと我慢していた。
布団を掛けると重いからコタツの中で寝て居たら、そこから出る力も無くなっていて、従姉妹さんが行った時にようやく引き出すことが出来たとか。
従姉妹さんの持って行った煮魚を美味しそうに食べて、でもそれが、最後の食事だった。
救急車で運ばれ、入院した時にはすでに余命は幾ばくも無く、あっという間に亡くなってしまった。
お恭さんらしく、人に頼らず、騒がず、泣き言を言わず、綺麗に散ってしまった。
つい最近まで、年に1,2回は会って飲んで居たのに、ここ2年ほど飲み会に現れなくなった。
お宅が遠いので、それで億劫になってしまったとばかり思っていたのに、誰にも病気のことを言わないので皆知らなかった。

昔の写真を持ってきて見せてくれた人がいた。
若く勇ましい頃のお恭さんはカーリーヘア、そしてその脇に私が張り付いている。
大好きなお姉さんだったお恭さん。
                     
ご冥福を祈ります。































2 件のコメント:

  1. お別れ会に参列できませんでした。
    お恭さまの御冥福を心よりお祈りします。
    寂しい。

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  2. ほんとうに悲しい。
    お恭さんらしい散り際でしたね。

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