2021年2月28日日曜日

ちびはつらい!

 見つけてしまったのだ!気持ち悪いものを。

今年の冬はコロナ感染が一際拡大したので外出もままならず、家にこもりっきりになった。私はこの時期毎年恒例の気管支炎になるはずだったのに、無理をしなかったので風邪も引かず食っちゃ寝の毎日、おかげで咳が出ることも殆どなかった。何もしないから体力は有り余っているはずだと思っていたけれど、とにかく眠気が襲ってきてうたた寝の毎日。これではいかんと思っても緊張感のない日々を送っていた。

ハウスダストと乾燥が喉には大敵だから、毎日加湿器をボウボウと炊いていたら、朝起きると窓の内側が水滴でしっとりしている。しっとりくらいならいいけれど、設定を誤るとびっしょり、これでよくカビが生えないものだと思っていた。どこにもカビは見つからない。ふーん、こんなに結露がひどくてもカビって意外と生えないのだと思っていた。だがそれは甘かった。

換気扇を回すのでコンロに近づいた。換気扇のボタンは私には手が届かないから、すりこ木とか包丁とかを持って手を伸ばして押すことになる。それで上を見たらふと目に入ったのが窓枠の上の方。本来茶色のはずがなにか白っぽいホコリが付いている。よくよく見たらカビだった。上の方だからめったにそんなところは見ない。きゃあ~~~~!

お風呂場とか洗濯機などの水回りはいつも注意している。掃除が不得意な私でも今までカビは、はやしたことがない。加湿器はベランダに出る窓のそばに置いてあって、結露するのはいつもその近くの窓だけ。キッチンの窓は加湿器からは離れていて、そこの窓ガラスが結露したことはない。けれど温められて軽くなった湯気が、天井付近から漂ってキッチンの窓付近まで到達したらしい。家の中の空気の流れがそこにカビを生やしたらしい。

気がついたのは昨夜のこと、今朝は起床するなりカビ退治を始めた。ホコリは許せてもカビだけはだめ。カビの性悪さはよく知っている。いつからこうなったのか。知らずにいてカビの菌を吸い込んでいたとしたら、最近の不調がこやつらのせいだと言えるかもしれない。

掃除を始めると、窓枠の上になかなか手が届かない。私の身長は最近ますます地面に近くなって、そろそろ手のひらサイズ。大きさはそうでも重さはたっぷりあるから手の平に載せられる人はいない。しかし、掃除をはじめてびっくりしたのは、去年までだったら踏台に登ることすらできなかったのが、足の筋肉が復活してきて椅子でもテーブルにでも上がれるようになったこと。ノロノロとでも復活の兆しが嬉しい。

うちに出入りのリフォーム会社の社長は180センチ超えだから、打ち合わせのときに話が噛み合わない。「ああ、ここはきれいですね」とか「ここのキズは直しましょう」とか高いところの話をしていてハッと気がついたように「あ、見えないんですね」私の頭のところまでしゃがんで「アハハ、見えない」鬼の首を取ったように笑う。毎回なのでもう飽きたよ。ウドの大木、さんしょは小粒でピリリと辛い、って言葉知ってる?

あと10センチ身長があれば大概の用は足りる。その差が苦労の種で、仕事がはかどらない。その代わりどこに行っても優しい店員さんたちの保護を受けることになる。重たい買い物かごは一人で持ったことがない。たいてい誰かが荷物台まで運んでくれる。体の大きな人が言うには、自分は大きいから丈夫だと思われるけれど、本当はそれほどでもないのよ。体の小さな私がつぶやくのは、私は小さいけれど結構力持ちなんだから、でも楽だから持ってくれる人がいたら持ってもらうに限る、ウヒヒなのだ。

このまま足の調子が復活してくれれば、またどこへでも旅行できる。ちょうどコロナの時期と私の体調不良が重なってタイミングが良かった。最近の2年間の足の故障は動くな!という天の声だったのだ。来年、海外でスキーができるなら、またヨーロッパですなあ。スイス、イタリアと国境超えのツアーなんかできたら思い残すことはない。

カビ退治のついでにカーテンも洗って、今日は家がきれい。これがいつまで続くことやら。









2021年2月22日月曜日

音始め

姫路に来るのは半世紀ぶり?美しい姫路城が見たいけれど、まずは会場入り。大ホールのステージに立ったとき、目に飛び込んできたのは美しい天井。キラキラと照明が宇宙の星々のように輝いている。会場の両サイドとステージのバックはこのステージのためだけに焼いたというレンガが曲線を描いている。床板は固く足裏の感触はしっかりとしている。ステージに入っていくと、すでに先客がリハーサルをしていた。

ピアノは梯剛之さん、音の美しさはなんと形容しようか。指が鍵盤上を滑るように動いていく。ショパン、ノクターン8番。この曲は貴婦人のノクターンと呼ばれて、ノクターンの中でもいちばん人気なのだ。もちろん私も。このステージは特にピアノに向いていると思う。柔らかい中に音の粒がクリアに聞こえ、床板の硬さが良い影響を与えているものと思われる。

過酷な2日間が始まった。皆いざとなると練習をいとわない。あまりに集中するので設計者から休まないで大丈夫ですか?と心配する声も上がった。他の人はわからないけれど、私はほとんど1年ぶりのステージ。勘を取り戻さねばならない。会場の音響がつかめない。私の弾いた音はどこかへか細く消えていく。こんなはずでは・・・。焦りが生じる。確かに楽器のコンディションは良くないけれど、でもこんなに聞こえないのはおかしい。

全員でのリハーサルが始まったとたん、皆に焦りが見えてきた。1曲終わるとステージと観客席から 落胆に似たため息が漏れた。お互いの音が聞こえない。慌てるスタッフと私達。

椅子の位置やピアノとの距離、立ち位置、演奏者の向きなどを模索する。もう一度、でもお互いに音が聞こえない。初めての音を会場が拒否しているような。私は楽器の調整がうまくいっていないのと、自分自身の筋肉の衰えや練習不足などを今更ながら痛感した。数曲練習が終わり、数時間が経ったとき、不意に会場が応え始めた。これが不思議なことだった。会場の一角から自分の音が戻ってきた。誰かが言った。「会場もこうやって成長していくんだね」

何回合わせてもピアノ協奏曲は不安だった。梯剛之さんは本当に楽譜に忠実で、曲を捏造したりすることはないから非常に合わせやすい。けれどショパンのこの曲は動きが複雑で耳をダンボにしていないと合わせられない。指揮者がいない上に弦楽四重奏で伴奏するのだから。そしてこの日は全員、細部に至るまで完全に合わせられるようになった。多少ルバートしても誰もがきちんと呼吸が合わせられる。私がこのメンバーを選んだのはそのためだった。楽器を弾くのが上手い人は世の中にごまんといるけれど、ソリストに呼吸を合わせるのは本当に難しいから。

耳を「ダンボ」にしてという言葉をご存知の人は私と同世代かも。

あまりにも長い練習に皆ヘトヘトになった。少し時間オーバーして会場を出たのは20時少し前。飲食店が閉まるギリギリの時間になってしまった。ただでさえ地方都市の店じまいは早いのに緊急事態宣言の出ている今、もしかしたらコンビニのお弁当で我慢するしかないかも。本来ならにぎやかな商店街も店じまいが早く、やっとお蕎麦が食べられた。入る際に8時までですからねと念を押されながら。

私は初めてのホテルだと枕が合わなかったりしてよく眠れないけれど、その日はあまりにも疲れていたのですぐに爆睡した。次の朝、姫路城まで散歩した。美しい!

当日9時半からゲネプロ。かなり会場に慣れてきたので少し安心した。前日は大ホールで、その朝は中ホールでのリハーサル。茶系統のシックな色合いの中ホールは、壁に囲まれる安心感があって、少し狭いぶんだけお互いによく聞こえる。ここでやや安心した。どんどん会場に馴染んでくる。

午後1時半から客席は関係者のみの寂しいコンサートが始まった。ほとんど人がいないので風邪をひきそう。今回プログラムについて考えたのは、7人でできる限りの様々な組み合わせを試してみたいと言うことだった。弦楽四重奏とコントラバス、ホルン、ピアノでは限られてしまうけれど。

中ホール幕開けは、モーツァルト:ディヴェルティメントK.136  これはまあ定番といったところ。次はミヒャエル・ハイドン:ホルン協奏曲の一楽章、ディッタースドルフ:ヴィオラとコントラバスのデュオソナタ、コントラバスソロでマラン・マレ「人の声」、最後にシューベルト「マス」の4楽章。

大ホールでは、ショパン:ノクターン8番、モーツァルト:ホルン5重奏曲、ヴィオラソロでエルガー「愛の挨拶」チェロソロでサンサーンス「白鳥」と日本人作品、モーツァルト:ホルン協奏曲より「ロンド」最後にショパン:ピアノ協奏曲第1番の1楽章。

中ホールの最初で私はメガネを忘れたことに気がついた。なければほとんど楽譜は見えない。そのまま弾いてしまおうかと思ったけれど、万一のためにメガネを取りに戻った。わりあいいい感じでの演奏が終わってやれやれ。でもまたもしでかした!次は大ホールで持っていく楽譜を取り違えていたので、またもしずしずと舞台袖に退去、同じような間違いを2度もするとは!!演奏者はよりすぐりだから申し分ない出来栄えだったのに、そこに一人おっちょこちょいが混じっていたのが玉に瑕だった。しかも首謀者なのに。

コンサートでのハプニングは往々にしてあるけれど、同じ人間が二度やるのは珍しい。

今回はコロナ感染の緊急事態宣言が解除されていない中での仕事だったので、安全対策には細心の注意を払った。練習の段階でも空気清浄機をフル回転、休憩ごとに窓を開ける。飲食はお弁当と使い捨ての紙コップを使用、使った食器はすぐにゴミ袋に入れて捨てる。アルコールを部屋の数カ所において手を消毒してもらった。ずっとマスクは使用しっぱなし。それで練習時の感染はゼロ。

姫路に向けて出発の日は、自宅から車で新幹線の駅に向かった。駅前のコインパーキングに車を停める。エレベーターのすぐ目の前に。そこから新幹線乗り場までの動線は予め数日前にシミュレーションしておいて、最短距離を移動した。平日の駅は人気がない。新幹線のチケットを買うときには、最も空いている車両の一番うしろの座席を指定した。しかしそんなことをするまでもなく、客室にはほとんど人がいない。往きに乗った車両にはほぼ5人いるかいないか。帰りの新幹線は私を入れても2人だけ、こうなると不気味だけれど、ひっきりなしに警察官が巡回してくるのでやや安心。気の毒なのはワゴン車を引いて売りに来る車内販売の人、人気のない車両を行ったり来たり、無駄なことはしないで座ってくつろいでいれば?と言いたくなる。

会場は楽屋口のドアが開け放たれていた。通路は寒い。客席には数人の関係者のみ。新しい会場ができたのに華やかさとは程遠く、最小限の会話が行き交うのみ。数年後にはここのロビーも客席も楽屋も人がいっぱいになって談笑できる日が来ることを願っている。ここを設計したのは若き女性建築士。せっかくの作品をこんな状況で披露することになろうとは思わなかったに違いない。彼女の今後の活躍を心から願っている。















2021年2月17日水曜日

弾ける!

姫路市に新しいホールができた。まだ杮落とし前だけれど、そこの中ホールと大ホールで、音響の効果を試すためのコンサートを企画・演奏してほしいとの依頼があった。

日本音楽コンクール、ロン・ティボー国際コンクールなどの上位受賞者、オーケストラのトップ奏者などの腕っこきの演奏者が集まった。その中に下手くそなヴァイオリンを弾く私が混じっているのが不思議。不思議と言っても今回は私が依頼したわけだけれど、いつも皆さん快く一緒に演奏してくれる仲間たちなのだ。

今回集まってもらったのは、弦楽四重奏とコントラバス、ピアノとホルン。管楽器を入れてほしいとの依頼で最初はクラリネットの友人に声をかけたけれど、姫路には悲しい思い出があるというのでホルンに変更。自分自身の体験と重ね合わせると無理に依頼するのも気が引ける。本当は一度足を踏み入れれば悲しみも消えると思うけれど。

一番の苦労はこれだけのメンバーを揃えたのに演奏時間が少ないということ。私自身は長い曲を彈くのを好むけれど、今回のコンサートの趣旨を考えるといろいろな楽器の組み合わせで音響の効果を見られるように、短い曲を数曲ずつ用意した。演奏時間は一曲5~10分というところ。一番長いのはショパンのピアノ協奏曲の1楽章の20分、せっかく名手が彈くのだから少しだけ長めに、あとはシューベルトの「ます」の4楽章など。

ホルン奏者は陽気な若手で今回が初共演。オーケストラの新規採用は一度の募集で50名以上の熾烈な争いになる。チェロの募集で70倍だったときいたこともある。中でも管楽器は席数がすくないから、どれほどの倍率になるか想像もつかない。だからこのホルン奏者はものすごい難関を突破した人。若いのに偉い!でも若くないとできない仕事でもある。

まだコロナが今ほど蔓延していなかった頃の話では、大ホールは2000人満席にしますとのことだった。しかしそれはもう敢え無く夢と消え、関係者のみの寂しいコンサートになってしまった。コロナで人生変わってしまった人がたくさんいるから、まだコンサート自体が中止にならずに良かった。それでも真っ更なホールで最初に音を出すのが自分たちと言うのは嬉しいじゃありませんか。

楽器の調子がイマイチなので調整するために世田谷の絃楽器工房へいった。数日前から音がひっくり返る。すっと弓を滑らせるとキュルン!一日中それと戦って弓の毛につける松脂の量を変えたり、弓の持ち方を変えて弦に乗せる重力を加減したり、様々やっても改善されないから電話をかけた。たぶん湿度との関係でしょうと言われた。乾燥し過ぎかもしれませんなど。次の日はひっくり返らなくなったけれど、調整を予約しておいた。

弦を張り替えたのはひと月前、今頃丁度良いコンディションのはずはず。張替えのときに弦をねじるようなことがあったかもしれない。弦自体の問題ではなさそう。魂柱か駒の位置がずれたか。古い楽器は気難しい。

弦楽器工房までの通りを歩いていると、たくさんの人が行列している。なんの店かと思ったら肉饅頭やさん。行きがけだったから帰りによってみようと思って先を急いだ。結局駒と魂柱の位置を調整して鳴りは改善された。0コンマ1ミリ単位の移動でこれほど鳴り方が違うとおもうとヴァイオリンの構造の凄さに驚く。がらりと音が変わるのだ。

帰り道肉まんやさんの前にはさっきの半分ほど人が並んでいたからしめしめ、私も並ぼうと最後尾に行くと、とんでもない、道のカーブに合わせて曲がった先に行列が伸びていた。正面からだとカーブの先は見えない。並んでいる人に「美味しいですか?」と訊くと「美味しいって有名なので」と。なんだ食べたことはないのか。今日は日曜日だから混んでいるのね。結局並ばず次は平日に来ようと密かに決心した。サンマは目黒だけれど、弦楽器の調整は世田谷の平日に限る。

練習はずいぶん早くから始まった。今年の正月もまだあけないころに一度集まったけれど、皆さんぼんやりしている。もちろんこの私が一番の重症者。音が出ない、楽譜を目で追えないなど。心配そうなもうひとりのヴァイオリン奏者。しかし長年の経験から、本番までにはみんなキリッとすることを知っている私は、のんきに構えている。コロナの感染が心配だから、練習と次の練習の間を2週間ほど空ける。次の練習に誰かが出られなければ次の手が打てるように。人を探すのは時間がかかる。どんなになれている曲でも本番で弾くのは常に練習をしなければならない。頼んだからと言ってすぐにホイホイとまとまるわけではないから。

次の2週間目にもう一度練習をとった。それからもう1度、次の練習を入れるというように慎重にことを進めた。3度めの練習の時の雰囲気は暗くて、皆むっつりと黙っている。思い通りにことが進まない。そして今日は最終練習日、今までと見違えるような出演者たち。覚悟ができたといったところ。明後日からホールで練習、翌日に本番とやっとここまでこぎつけた。一昨日は疲れ果てて眠り続けた。

メンバーを決める、各自に連絡して出演を依頼、承諾を得る、曲を決める、各自の要望をまとめる、その間ひっきりなしに主催者と連絡を取り合って細部に亘る打ち合わせ。今回短いけれど多くの曲を入れたので、時間を調整したりプログラムの解説を書いたり、曲順を決めたり、それはもう大変だったけれど、それだけにやりがいがあって楽しかった。

いつもは超大雑把な私が急に心配性になる。楽譜を忘れる人がいないかどうか、万一のことを考えて皆の楽譜をコピーしてスペアを作っておく。車を新幹線の駅のコインパーキングに駐めて帰りが深夜になるのに備える。駅のパーキングがどうなっているか下見に行くなど、ものすごく慎重になる。普段もこれくらい慎重に事を運べばもう少しマシな人生だったかも・・なんて思うけれど、他のことにはとんと無頓着なので、それで神経質にならずに済んでいるのかもしれない。

とにかく弾けることの喜びが大きい。チェリストがボソリと言った。「もう楽器売り払って悠々自適にすごそうとおもっていたけど、やっぱり弾けるのはうれしいね」









2021年2月11日木曜日

何でもやりすぎ

 やらなければならないことは後回し。ひたすら楽しいことだけやっていたいから、いざ必要に迫られる時にはほとんどのことが手遅れになる。

最近はprime videoで[エレメンタリーホームズ&ワトソン in NY]を見ているのだが、毎日3時間位これに費やされる時間をもう少し有益なことに使いたい。けれど、有益なことは時として面倒くさいからもちろんあとまわしになる。ハリー・ポッターの原書講読はすでに大詰めで、最終巻までようやくたどり着いたからさっさと終わらせたいのに、コンサートの準備にかまけて休講中。コンサートの準備にしても毎日グズグズで中々練習も企画もきまらない。

ここ数日、足の痛みがぶり返し、せっかくの好天気にも散歩がままならない。なぜかというと、順調に回復してきた足に有頂天になってガサガサとあるき回ったせいで。ゴキブリだね、まったく。数日前、いつもなら隣町まで片道だけ歩いてあとは電車やバス利用、それで運動量としては丁度良いものを往復歩いた上にその日もう一回その半分くらい歩いたためと思われる。快調に歩けたからすっかりいい気になってしまった。天気もよし、気温も快適。そんなことで自分が花粉症であったことも忘れた。

まあ、忘れるくらいの軽度の花粉症だから、一回くらいかかってもそれほど重症にはならない。以前はとても重大な症状が出て、熱や咳に悩まされた。けれどよる年波のせいか、あまり激しく反応しなくなったみたいなのだ。それと以前のように仕事がなくなって外に出ることもあまりないのと、少しだけ平熱が上がって免疫力がついたかもしれない。仕事が忙しかった頃は35.5℃を上回ることはめったにない低体温症だった。今は平熱36~36.2℃くらい。一番高くて36.4℃,一番低くても35.9℃くらい。いかにストレスが少なくなったがわかる。ストレスの多い生活は体に悪いということがよく分かる。なんで自分の体温に詳しいかといえば、コロナ感染が始まった去年の1月から、体温を測るのが日課になったから。

ストレスが体に悪いと言っても、私はストレスがないと生きていけない。退屈で退屈であ~あ、あくびが・・・落語「あくび指南」を聞くと、あー退屈だろうなあと一緒にあくびが出る。それで刺激といえば近所のゴミ捨て場。修羅場を好む性格だから時々ご近所相手に大立ち回り、ゴミ捨て場の管理を巡って数十人の隣人を相手に噛みつきにいく。本当にどうしようもない人たちで、勝手に道路にゴミ捨て場を作ってあとは知らん顔。放置された不法投棄のゴミを役所に片付けてもらいもしない。うちのゴミ捨て場でもないのに私が後始末。もうやってられない。しかしよくあんな状態が気にならないと感心する。めちゃくちゃな汚れ放題のゴミ捨て場を見ると、一部の人に公道を勝手に使わせていいものかと、役所にも腹が立つ。環境衛生事務所では私は要注意人物になっているかも。こうして次の日からゴミ置き場はスッキリ!やればできるじゃない。私は晴れ晴れ。またしばらくすると気が緩んだご近所は私に噛みつかれる。

前述のホームズとワトソンはなぜかロンドンのベーカー街が舞台ではなく、ホームズは薬物中毒のリハビリ中でニューヨークにいる。ワトソンはなぜか女性で元外科医、兄のマイクロフトがレストランの経営者で、ホームズの永遠の女性アイリーン・アドラーがモリアティーと同一人物というびっくりするような設定となっている。ホームズとワトソンはニューヨーク市警の犯罪捜査の顧問、二人で様々な事件を解決する。面白いのは、はじめのうちはホームズが主役なのに次第にワトソンが独立して事件を請負ったり、最後には二人で解決となるものの、女性であるワトソンの存在感が増していくこと。アメリカでの女性の位置が男性と対等なのが羨ましい。女性が発言しても決して蔑ろにされない。

女性が主役の日本のドラマでは、主人公は気負いすぎた感じに描かれることが多い、しかしアメリカ社会では本当に対等に話せるのだと。むしろ仕事上での性差はありえないことなのかもしれない。アメリカで実際に暮らしたことがないから上辺だけの考察だけれど、性差別、人種差別は本当は根強くあるとは思うけれど、少なくとも女性であることはアメリカでは不利にはならないのかも。

私は本当に幸運なことに、性差別の少ない環境で仕事をしてこられた。楽器は音でわかるから弾いたふりをするということもできない。弾けば一耳瞭然なので間違えればすぐに周りが気付く。だから男性女性に関わらず、仕事の内容はだれにでも伝わる。そんな環境なので自分さえきちんとしていれば女性だからといって不利にはならない。うまいか下手かそれだけ。下手は自分の責任だから。

日本ではなかなかこのような職場はないと思う。一般の企業では、お茶くみ、コピー取りに頭脳明晰な女性がこき使われたり、無能な男性上司がセクハラしたり威張っていたりするのが今でもよくあり、宴会でお酒を御酌するのが当たり前だそうだから。会社勤めの生徒からその話を聞いて本当にムカついた。私だったら「自分で注げば?」って言うけれど。

話は戻る。ワトソンはいくつかの恋愛を経て女性としても又市警察顧問としても成熟していく。一方ホームズはワトソンに寄り添いたいのに持ち前の自己中が災いしてときに突き放される。その時のホームズの表情がいかにも頼りなく、結局どうなるのかはまだわからないけれど、最後はこの二人ハッピーエンド?それとも決して恋愛関係にはならないのか、そのへんも楽しみ。答え教えないでね。

ときにはグロテスク、でもテンポ感が良くて画面が綺麗。数時間も見ていても飽きることはない。ワトスン役は東洋系。知性的な表情や優しさがすてき。ホームズは神経質で自己中でときに頼りなさそう。ワトソンが時々彼から離れていくときに見せる寂しそうな表情が可愛い。ハンサムではあるけれど、顔はフクロウやミミズクのような鳥を連想させる。

話はご近所のゴミ捨て場に戻る。近所の人に噛み付いたあと区役所に電話してぐちをこぼしたら迅速に対応してくれたらしく、昨日からゴミ捨て場はピッカピカ、やればできるんじゃない。ただ役所から言われるまで何もしないという無責任な住人たちだから、この状態がいつまで保つかは疑問だけど。調べたらゴミのトラブルは相当多いらしく、その手のサイトが多数ヒットした。これから私のゴミ戦争はますますヒートアップするかも。ネットのゴミサイトを参考にできるかもしれない。










徳永兼一郎 最期のコンサート


ああ、またみつけてしまった。この映像は以前見て涙が止まらなかった。徳永兼一郎さんは誰に聞いても本当にいい人だという答えが帰ってくる。純粋で優しいお人柄が皆に愛されていた。私の知り合いのN響のもとメンバーは「大徳さん大好き」といつも言っていた。

ダイトクさんというのはヴァイオリンの徳永次男さんのお兄さんという意味だと思うけれど、德が大きいという意味にも思える。NHKの駐車場で次男さんとばったり出くわしたことがあった。私は仕事を終えて帰るところだった。「こんなに遅くからお仕事?」というと「これからラジオの放送があるから聞いてよ」と言う。車のラジオを点けて聞きながら帰宅した。いろいろなオーケストラの話題の中でもお兄さんのダイトクさんの話が一番多かった。彼がいかに無邪気で面白いかということを次男さんは楽しそうに喋っていた。
本番の最中に弓を飛ばしてしまって、ステージの床を這って取りに行く姿がおかしくてと笑いながら話す。男兄弟の関係はときには複雑になることが多いけれど、彼らは本当に仲が良かったと思う。

それともうひとり弦楽器製作者の佐藤さん、渋谷の彼の楽器工房に時々弦を買いに行くことがあった。彼が難病で命が危ないということは知っていたけれど、まさか私の楽器を調整してすぐに亡くなってしまうとは思っても見なかった。彼の最後の言葉は「この楽器はとてもいい楽器ですよ。大切にしてください」
その佐藤さんが、大徳さんが最後に弾いた楽器を作っていたということをこの動画で知った。

佐藤さんがした私の楽器の最後の調整は見事だった。後にも先にもあんないい音がしたことはない。今でもあの音を思い出す。
ある時渋谷でビールを飲んでいたら彼がへべれけで通りかかった。私の友人と二次会に出かけるときの嬉しそうな笑顔。それが動画で悲しみの涙を流している姿と重なってしまった。涙がとまらない。

音楽は人、つくづく思う。最後の演奏のすべて解き放たれたような純粋さ。命の極みにあってもあれ程の高貴な音楽ができる人は稀だと思う。





2021年2月8日月曜日

女性の話は長い

長くったっていいじゃないか。有益な内容ならばいつでも耳を貸しましょう。

いつだったか忘れるくらい昔、私は帝国ホテルの結婚式の仕事をしていたことがある。参列者の入場、新郎新婦の入場、乾杯してその後の歓談中などの場面での演奏するのが 仕事だった。私もまだ若かったから宴会に華を添えることができたけれど、ある年齢からパッタリと仕事が途絶えた。「下手でもいいから学校出たてのきれいな女性を集めて」と言われたから「そこに私も入っていいの?」と訊いたらしばらく顔を見つめられて「うーん、1人くらい、ま、いいか」と言われて笑った。その後もしぶとく生きながらえてこっそり若手に紛れていたけれど、流石にもう限界。葬式が似つかわしくなった。そのうち葬式の主役になる日も近い。

さて今回の森元首相の失言はあまりといえばあまりの無神経さ。けれど私は実際に彼の失言を聞いていた。友人の息子さんの結婚式で、彼の現在の職場の上司の前で「今の仕事なんかやめて早くお父さんの跡を継ぎなさい」

この発言を聞いて激怒したのが現在の職場の上司。結婚式が終わって息子さんが出社したら「君、明日からもう会社に来なくてもいいよ」といわれたらしい。これなんかはなにをか言わんや。結婚式は誰が参列しているかわからない。思いがけない繋がりだったり、親戚がいたり。まして新郎の会社の関係者が来ていないはずはない。全く思考力がないらしい。森さんを見ると進化途上の原始的な動物を連想する。ただ、私もなにかふざけて場を盛り上げようとするあまり、よく人を怒らせるから同類かもしれない。

話が長いのは女性だけではない。帝国ホテルで結婚式を挙げられる人はまずお金持ち、企業のトップとか医者とか。だから参列者も企業関係者、政治がらみ、家同士のつながりなどが大半を占める。そこで聞かれる挨拶は結婚する人の関係者だけでなく、全く見たこともないお祖父様の友達だったりすることもある。ある結婚式で、私が死ぬほど退屈だったのは主賓の挨拶。

地味な感じの新郎新婦だったけれど、友人は少ないらしく、ほとんど父親の仕事つながりの参列者が多かった。雰囲気は暗くて結婚式の華やかさや新郎新婦の幸せ感には程遠い。主賓の挨拶は新郎の祖父の関係者。新郎の名前は一切出てこない、それもそうだ、一回もあったことがないから初対面というわけで。乾杯の前で参列者はお腹が空いているだろうし、喉も乾いている。もしかしたらこの宴会のために朝食抜いた人もいると思う。

その状況なのにその人は延々と話を続けた。しかも内容は新郎祖父の話ばかり。主役の二人はひたすら暗い顔で座っている。だれも知らない人の話なんてだれも聞きたくないだろうに、なくなった祖父の話を聞かされて、しかも冒頭の祝辞は「**家と**家、ご両家並びにご親族の皆様」と始まった。新郎新婦の名前無し。なんだなんだ、戦略結婚?クッソ面白くもない話が70分、死ぬかと思った。これ本当の話です。

私達は乾杯の瞬間に音を出さなければならないから、注意深く待機している。その疲労感たるや。大抵の結婚式はリミット3時間位で終わる。しかしそのときは4時間以上、3時間と見越して次の仕事を入れてなくて本当に良かった。

その後、新郎新婦はどうしているだろうと時々思い出す。家どうしの結婚だから二人が結婚したくてしたのではないかもしれない。あるいは他に好きな人がいたのに無理やり別れさせられたとか?2人の表情の暗さからはマイナーな面ばかり思い浮かぶ。それでも結婚してみたら案外うまく行っているかもしれない。いつも陽気な私はそう思っている。