2017年7月23日日曜日

さようならは言いたくなかったのに

私の人生の中でも最も心に残る人は美智子さん。
強さと優しさと繊細さと大胆さとを併せ持っていた。
自分の主張はどこまでも押し通すけれど、それでいて誰にも嫌な思いはさせない。
誰もが彼女のために働くことは厭わない。
むしろ喜んで進んで彼女のためになろうとする。
稀有な存在だった。

飾らない人柄が私と妙に共鳴して、ほんの数年前にお付き合いが始まったのに、生涯の友となった。
ふたりとも歯に衣着せぬところがあり、それでも私のほうが3歳ほど年上だったから、彼女の方がこちらに気を遣っていたかもしれない。
猫が好き、落語が好きというのも共通点だった。
私は怠け者で彼女は本当に努力の人というところで私は負けていたから、年下の彼女を私はとても尊敬していた。

彼女はイギリスに渡り彼の地で結婚して演奏して、ロンドンから演奏家を引き連れて日本で毎年コンサートを開いていた。
そのバイタリティーにはいつも感心していた。
ロンドンアンサンブルを知ったのは私の友人が美智子さんの同級生だったから。
いつも演奏会の案内を頂いていたのに、毎年都合が悪くて聴きにいくことができなかった。
不思議なことに当日熱が出たり仕事が入ったり、必ずと言っていいほどいけなくなる。
まるで誰かが妨害しているのではないかと思うほどだった。
そんなことが数年続いて、やっと聴いたときに私は仰天した。
なに、この上手さ!
単に上手い人達の集まりというだけではなく、絶妙なアンサンブルの凄さに圧倒された。

ヴァイオリンのタマーシュ・アンドラーシュ。
ハンガリーの名手でロイヤル・フィルの副コンサートマスター。
ヴィオラは彼の奥さんのジェニファ、彼と同じオーケストラのメンバー。
チェロはトーマス・キャロル。
彼の圧倒的な音と素晴らしい音楽性は絶賛され、彼の人懐こい人柄は誰からも好かれた。
フルートのリチャード・スタッグ。
美智子さんの夫である彼は、文学と音楽をケンブリッジで修め、BBCオーケストラの副主席奏者として活躍。
日本の尺八に魅せられて、ロンドンアンサンブルのコンサートでは羽織袴姿で演奏。
これがこのアンサンブルのいわば目玉となった。
物静かで頑固で、典型的なジェントルマンなのに、時々天然を現して美智子さんに叱られていた。
美智子さんは時々私に「あなたとリチャードは同じよね」と言った。
え、どこが?物静かなところが?
「天然だから」ん、もう。
なにいうてんねん。

そんなアンサンブルも美智子さんが亡くなった今、もう二度と聞くことはできない。
その喪失感は、半端なものではない。

美智子さんを偲んで友人たちが集まったお別れの会。
彼女の生前からのたっての希望で、木野雅之さんが演奏した。
木野さんとはロンドンでルームシェアをして一緒に住んでいた・・・と言っても男女の関係ではなく、良き友としての同居だったようだ。
そういうことが普通にできるものを美智子さんは持っていた。
木野さんは若い頃痩せていてその写真も会場に飾ってあったけれど、今はかなり重量がありそう。
彼に言わせれば「美智子さんの料理があまりにも美味しくてこうなってしまった」そうなのだ。
彼女はお料理名人だった。
特に凝った物というのではなく、普通の家庭料理を素敵に美味しく作ることができた。

木野さんの演奏は美智子さんが切望したことにふさわしい見事なものだった。
ヴァイオリンの弓が宙を舞って、無伴奏の難曲を次々に披露。
私はその中では「シャコンヌ」と「名残のバラ」しか知らない。

バッハ
無伴奏パルティ-タ第2番より シャコンヌ
サン・リュバン
幻想曲(ドニゼッティ「ランメルモーアのルチア」の主題による)
エルンスト
練習曲第6番「夏の名残のバラ」
タレルガ(リッチ編曲)
アルハンブラ宮殿の思い出

信じられないほどのテクニックで披露していった。
お口あんぐり!!!
エルンストのエチュードは私も興味があって楽譜を手に入れたことがあった。
でも楽譜を見てすぐに諦めた。
左指が7本くらいないと弾けないような超絶技巧。
左手のピッチカートは音がでない。
尻尾を巻いて逃げ出した。

木野さんは何事もないように平然と弾く。
彼に素晴らしいと賞賛の言葉を言ったら「いや、普通です」とさらりと言ってのけたのが憎い!
普通かよ、あれが?じゃあ、普通でないのはどういう演奏なのっ!
首根っこ掴んで詰め寄りたくなった。
彼の弓は全く重量がないように楽しげに弦の上で踊っていた。
美智子さんがいつも「木野くん」の話をするのがよくわかった。

美智子さんを偲ぶ人たちを見ると、老若男女、年齢、職業を超越して、彼女のパワーに巻き込まれて喜んでいた人たちばかり。
私もそのうちの一人で、彼女の最後の最後まで関われたのは幸せというか・・・最後を見たのが切なすぎるというか・・・
なんにしても私より早く逝かないでほしかった。
美智子さんは今頃天国で愛猫「トゥインクル」と戯れているでしょう。
うちのタマサブロウも仲間に入れてくれるよね。





















2017年7月21日金曜日

ハリー・ポッター5巻読破

最近私も英語の先生も体調が悪く、なかなか前に進まなかったハリー・ポッター5巻。
いよいよ難しくなってきて、先生のルースさんでさえも考え込む場面もある。
一つ一つ丁寧に読むと、作者のローリング女史の頭の良さが悪魔的であることに気付く。
ずっと以前の忘れ果てていたようなことも、決して置き去りにされていない。
ずっと以前の伏線が突如点と線で結ばれて、ああ、そうだったのかとつながる。

今、中学生棋士の藤井4段が大騒ぎされているけれど、彼らは網の目のような手順を頭のなかで再現できるそうで、そんな頭の使い方と同じではないかと思う。
子供向けの読み物だと思っていたら、そうは簡単なことではなかった。
巻が進むに連れて成長する子供に合わせるかのように、語彙も豊富に、言い回しも難しく、単語も長くなって、一人では到底読み終わることはできなかった。
しかも、イギリス人でないとわからない言葉や習慣も、辞書だけでは読み切れない原因の一つ。
5巻がようやく終わって次の巻に進む前に小休止。

これからコンサートが続くので、8月9月は休むことにした。
9月の後半で一度コンサートが一区切りとなるので、10月に次の6巻から再開。
このペースで行くと、最後の7巻を読み終わるのは、このあと5年以上かかる。
私が果たして生きていられるかどうか・・・なーんちゃって。
美人薄命って言うし。
その前に脳みそが腐るか口が回らなくなるかも。
そういうことは大して気にしていない。
なにがなんでも読み切ろうとか、そういう高邁な精神の持ち主ではないので。

私はなんでも始めるとまっしぐらに進むのではなくて、あちらに寄りこちらで遊び、傍から見るといかにも不真面目に見えるらしい。
でもそれが私のペースなのだ。
ヴァイオリンもそうだった。
必要に迫られると集中するけれど、そうでないときは読書にふけり、他のことに夢中になって放ったらかし。
先日久しぶりに出会った昔の仕事仲間が言っていた。
「あなたはいざとなるとすごい集中力だったわね」

それは普段力んでいないから。
歯を食いしばって練習して、テストで良い成績をとっていた人たちは大方リタイアしている中で、まだ演奏していられる。
学生時代に級友から言われたのは「あなたは音大に入っているのになんでそんなに本ばかり読んでいるの?」

その読書が音楽に役に立っていると思う。
ハリー・ポッターを1巻から読み始めたとき、本当に簡単な中学生でも読めるような英語だった。
けれど私には、それすら難しかった。
今になるとそれが、易しく思えるのは読解力が進んだのだと思う。
しかし今のレベルからは、これ以上の進歩は無理かもしれない。
本当に難しくなってきているから。
最初のときのことを思い出すと、これからも少しは進歩が見込めるのかどうか、それはわからない。
しかも脳は年々衰える一方なので。

今朝テレビで横綱白鳳を取材していた。
彼はどんなときにも稽古の前に基礎練習を1時間以上するそうで、それが彼を前人未到の記録保持者にしたのだと思う。
私は中学生の時に担当教師が嫌いだという理由で、英語を全く勉強しなかった。
今となっては悔やまれることで、基礎がなってないのだ。
ただ日本語は大好きで文学には親しんだ。
それが英語の読書にも良い影響をもたらしているといいのだが・・・
まだまだ、終わりは見えない。



















2017年7月19日水曜日

コンサート予告


1)北軽井沢ミュージックホールフェスティバル

  8月17日(木)北軽井沢ミュージックホールにて 午後2時開演

    ロッシーニ:ソナタ
    ディッタースドルフ:ヴィオラとコントラバスのソナタ
    ショスタコーヴィッチ:
        2つのヴァイオリンとピアノのための5つの小品
    シベリウス:ピアノのための小品5曲
    バルトーク:ルーマニア民族舞曲

  会場は古い建物で、屋根がトタン。
  雨が降るとパタパタと音がするそうです。
  シャッターを開け放すと湿気や虫が入ってきそうです。
  条件は良くないけれど音は良い、入場料は安い!
  高校生以下は無料!

軽井沢周辺で避暑を楽しんでいる方々、足をお運びくだされば幸いです。

チラシやチケットは素敵に出来上がりましたが、会場が遠いので来てくださる方は限られる。
客寄せパンダを自認している私でも、さすがに集客率は低いと思います。
軽井沢でなくても嬬恋や浅間付近を散歩している方、草津で温泉に浸かっている方々もお出かけください。
大きなキャベツが100円台で買えます。

 2)古典音楽協会定期演奏会
           
  9月21日(木)午後7時開演 東京文化会館小ホール
   
―ドイツの巨匠テレマンとJ.S.バッハー

   テレマン:二つのヴァイオリンの協奏曲 ハ長調
   テレマン:オーボエダモーレ協奏曲 イ長調
   テレマン:組曲 ”ラ・リラ”
   J.S.バッハ:チェンバロ協奏曲ト短調 BWV1058
   J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲 第4番 BWV1049

キャベツは買えませんが上野の森は芸術の宝庫。
早めに着いて美術館を巡ったあと、コンサート会場でぐっすり眠ると
いう手もあります。
心身ともに癒やされるというしだい。

3)ピアノ・ヴァイオリン デュオコンサート

   11月3日(金・祝)午後2時開演 ミューザ川崎市民交流室

   モーツアルト:ピアノとヴァイオリンのソナタ ホ短調
   プロコフィエフ:ピアノとヴァイオリンのソナタ 第2番
   フランク:ピアノとヴァイオリンのソナタ イ長調

名曲をずらりと並べてみました。
予定を今から確保してくだされば、当日あなただけのために弾き
ます・・・と皆さんにそう申し上げます。

最近歳のせいか2つのことを同時にできなくなって、一つコンサートが
終わると次の準備にとりかかる。
ひとつ終わらないと次のことが思い出せない。
モーツァルトを弾き終わって帰ってしまわないように、プロコフィエフ
があることを覚えておかないといけませんね。

*こちらにも気が向いたらどうぞ。

  8月14日(月)時間未定 国立さくらホール
  9月17日(日)時間未定 ムジカーザ

 











   

    



2017年7月18日火曜日

楽しく老いる

オーケストラの大先輩Sさんは小田原在住。
千葉大学で薬の勉強をして家業の薬局を継いだのに、なぜか楽隊になってしまった。
さんざん楽隊生活を楽しんだ後に経理士だか税理士だかの(私には区別がつかない)の資格を取って、また方向転換。
という経歴から見る限り相当な頭脳の持ち主で、日本の音楽界の夜明けを支えてきた。

打楽器奏者だった。
打楽器というと太鼓や鐘を鳴らして楽しそうなんて思うのは、分かっていない人。
たった一発のドラやシンバルで、演奏の成功を支える立役者なのだ。
トライアングルがひとつの音をならせばいいのに、緊張のあまり手が震えて風鈴のようにチリンチリンと鳴ってしまう現場に居合わせたことがあって、それからは打楽器の大変さがようやく理解できた。
特にラヴェル「ボレロ」の初っ端。
何千人もの聴衆の前でたった一人、ピアニッシモで始まるスネア。
あんな怖いことをさせられたら、私なら数ヶ月前から眠れなくなる。
チャイコフスキーの「悲愴交響曲」のドラ。
あのドラのタイミングで次に出る金管楽器の演奏が決まるほど重要な役割がある。

目立つし、かといってのべつ幕なしに叩いているわけではないから、小節を数えていないといけない。
たった一発のシンバルのために九州まで行った打楽器奏者が不覚にもステージで寝てしまい、目が覚めたら自分の出番が終わっていたなんて逸話が語り継がれている。
果たしてギャラは払われたのだろうか、心配してしまう。

その打楽器奏者だったSさんは優れた頭脳の持ち主だから、古い話をとても良く覚えている。
以前から私達だけでその話を聞くのはもったいないと思っていた。
フルトベングラー、カザルス、ヤンソンス、スメタチェック等々。

今日はカザルスが来たときの話をきいた。
彼はスペインのフランコ政権に反対の立場をとっていて、フランコ政権がある限り演奏はしないと宣言をしていた。
けれど日本で、彼の愛弟子である平井丈一郎氏のドボルザークの協奏曲の演奏があったときに、指揮をするため来日した。
チェロの演奏ではないからかまわないという理屈だったらしい。
カザルスといえば大巨匠。
どんな大きな男が入ってくるのかと思ったら、とても小柄でびっくりして嬉しくなったとSさんは話す。
練習が始まると曲の冒頭のホルンのソロがきれいなビブラートをかけたのを聴いて、非常に喜んだそうなのだ。
そこから延々とお話が始まって、なかなか練習が始まらなかったとか。
音楽は常に歌がなければいけないと語った。

巨匠たちの演奏や人柄に直接触れたことは、楽隊にとってその後の人生がどれほど豊かになるか計り知れない。
今日はその他に、楽団員同士の喧嘩の話。
頭が禿げ上がり口ひげを生やした名物トロンボーン奏者は、気が短いので有名だった。
彼は海軍軍楽隊上がり。
豪快に吹き鳴らすバストロンボーンも、日本人離れしたはっきりとした目鼻立ちも、オーケストラの名物男となる資格十分だった。
その彼と喧嘩したのはクラリネット奏者のKさん。
彼はハンサムで穏やかで、紳士として知られていた。
その二人がステージ上で大喧嘩をしたというから、どんな事情があったのかはわからないけれど、本当に珍しいことだった。
そこへ指揮者のMさんが仲裁しようと口を挟んだら、火に油を注いだようになっておおさわぎになったそうなのだ。

へえ、あのKさんが?あんなにジェントルマンなのに?
でも私は知っている。
Kさんが車のハンドルを握ると、ウサギさんがオオカミさんになることを。
よほど腹に据えかねることがあって、彼は車のハンドルを握った状態になったらしい。
ふたりともすでに天国へ行ってしまった。
向こうで仲直りはできたのだろうか。

今日小田原駅前のビアホールで、一杯のジョッキで出来上がった元飲ん兵衛たち。
昔はこんな飲み方ではなかった。
随分年を取ってしまったなあ。

それにしても面白かったよねえ我々の人生は・・・しみじみというSさん。
私たちは彼の話が聞きたくて、時々こうして会いに行く。
彼の話しは抱腹絶倒もので、最初から最後まで笑っている。
年齢差から来る差別は一切ないし、こんなによく笑う年寄りは珍しい。
楽隊と乞食は一日やったらやめられない。
社会的地位も名誉もない、実入りも少ないのに、こんな幸せな人種っているかしら?















2017年7月15日土曜日

美しく老いる

知人のお父様、Y氏の訃報を聞いた。
ここ数年間、その方のサロンでコンサートを開くときに演奏することが多かった。
ロンドンアンサンブルも毎年12月、コンサートを開いていた。
音楽好きなYさんはいかにも嬉しそうにニコニコとして、演奏の最後までおつきあいしてくださった。
かなりのご高齢なので、椅子に座っているのもつらそうなのに、誰かが話しかけると嬉しそうに会話をなさる。
弁護士さんで、法曹界でも高く評価されるお仕事をなさっていたらしい。
その世界に疎いので私にはわからないけれど、お宅での優しい笑顔とは別の大変頭の切れる優秀な鋭さを持っていたと思う。

つい10日ほど前にも、そちらのサロンで友人が演奏するのでお付き合いで2,3曲デュオをさせてもらった。
いつもは演奏が終わってしばらくすると奥に引っ込んでしまうのに、私が帰る頃にはまだ座っていらっしゃったから、ご挨拶をした。
本当にきれいな優しい笑顔でニコニコしている。
それが最後の対面とはしらず私は呑気に、今日もお元気そうだなあと考えていた。

つい数日前、Yさんがなくなったとの一報があって、お別れの会にかけつけた。
はじめはその日は人と会う予定がはいっていたから、行かれるのはかなり遅れてということになっていた。
ところが当日になって、会う予定だった人から病気になってしまったので予定を変更してほしいと連絡があったので、時間通りの参加ができることになった。

出かけるときに考えた。
いつもあんなに喜んで演奏を聴いてくださったから、お別れに演奏してもかまわないのでは・・・
サプライズで聴いていただこう。
短い曲を数曲用意して楽器を持って家を出た。

はじめのお話では4,5人のごく少人数でとのことだったのに、どんどん参加者が増えて最後には28人でお見送りすることになった。
上野池之端のお寿司屋さんが握ってくれるお寿司とお酒を頂いて盛り上がったところで、この同じマンションに住むオペラ歌手が、壁を揺るがすほどの声量で「千の風になって」を歌った。
しばらく雑談してお寿司もほぼ食べ終わった頃に、楽器のケースを開けて御前演奏をすることにした。
Yさんお嬢さんのY子さんにピアノを弾いてもらって、ヘンデル「ラルゴ」
その後はフォーレ「ベルシューズ」バッハの無伴奏から短い曲を2つ、タイス「瞑想曲」
ほんの10分たらずの演奏だったけれど、思いがあちらに届いたかしら。
特にY子さんと一緒の演奏は喜んでいただけたと思う。

この親子、いつも丁々発止と言い合いをしながら、本当に仲が良かったから。

最後までお元気で天寿を全うされ苦しみもなく逝ったので、お別れの悲しさはあるものの、ご本人の幸せな最後を安らかな気持ちで見送ることができた。
このように年を取りたいと思う、お手本のような人生だったと。

仕事と家庭に恵まれ、同年齢の友人知人は年齢的にほとんど先に逝ってしまったけれど、次世代のお付き合いが増えて、介護施設のスタッフからも本当に大事にされたらしい。
Y子さんの中学時代の同級生と話したら、その頃からこちらの家に泊めていただいて、おじさまには本当に優しくして頂いたのでと涙ぐんでいた。
なくなったときには、介護施設の若いスタッフたちが大泣きに泣いたという。
人生を全うした人だけに待っている、幸せな老後。
私もこうありたいとは思うけれど、この性悪な性格では死んだら皆喜んでお祭り騒ぎになりそうで・・それもまた良しとするか。














2017年7月12日水曜日

樫本大進  アレッシオ・バックス

東京オペラシティコンサートホール

モーツァルト ソナタト長調
ブラームス  ソナタ第1番ト長調「雨の歌」
シマノフスキ 神話Op.30
グリーグ   ソナタ第3番ハ短調

樫本大進を初めて生で聴いたのは、スマトラ沖地震チャリティーコンサートのときだった。
各オーケストラからの選抜メンバーと小澤征爾、飯守泰次郎などの錚々たる指揮者陣とソリストたちの中に、まだ若かった彼がいた。
私はすでにオーケストラに所属していないフリーの野良猫だったけれど、なんとなくいつもそういう場面でのお呼びがあって、なぜかステージにいるというめぐり合わせでオーケストラの演奏に参加していた。

会場は日比谷の東京フォーラム。
会場の入り口がわからないでウロウロしていたら「nekotamaさんですよね、お久しぶりです」
丸顔の男性がニコニコしている。
じっと顔を見ているうちにだんだんかつての面影が見えてきた。
N響の木管楽器奏者のNさんだった。
一緒に入り口を探して無事会場入り。
やれやれ。
会場に着くと懐かしい顔ぶれがそこかしこで挨拶を交わしている。

そのときに樫本少年(?)が弾いたのが「タイスの瞑想曲」だったと記憶しているが、最近脳が怪しいので曲目はさておいて・・・
それまで録音などで聴いてはいたけれど実際に聴くと、ゆったりとスケールの大きいバランスのとれた演奏。
すでに大家の風格があった。
ほとほと感心した。
日本人は弦楽器の演奏に向いているのかもしれない。
有名な国際コンクールで上位入賞、優勝する人が多い。
彼もその一人だけれど、なにか持っている風が違うといった感じだった。
とらわれない、奇をてらわない、気負わない、心にどっしりとした根が生えている。

今日は東京オペラシティー、コンサートホールの3階正面からの鑑賞。
最初のモーツアルトは、蕩けるような音から始まった。
ピアノとの掛け合いが、まるでオペラの二重唱を聴いているようで、得も言われず美しい。
「フィガロ」の伯爵夫人とスザンナの二重唱を思わせるような、ソプラノの声の響きのように聞こえる。
これは参った!
おいおい、これはオペラだぜ!
ブラームスは雨の歌だから、この季節にピッタリ?
シマノフスキーの「神話」はキラキラした表現やミュート、ハーモニックスなどで多様な色彩的なおもしろさがあって、これも弾いてみたい曲になった。
私がこの曲を今回初めて聴いたのは、勉強不足といえる。
まだまだ知らない曲が多い。

終曲はグリーグ「ソナタ3番」
ダイナミックで少しエキゾチックで、北欧の空気が伝わるような。
アンコールはグルック「精霊の踊り」
あまりにも美しい音で、最後の余韻が消えるまで会場は静まりかえっていた。

樫本氏の演奏は随分よく聴いているけれど、今日の音は格別だった。
調弦を何回もしていたのは梅雨時のせいだったか、日本の今時の気候は弦楽器には大敵だけれど、前回聴いたサントリーホールの時よりもコンディションは良かったような気がする。
会場が良かったかもしれないし、私の座席の位置も良かったかもしれない。
ピアノもヴァイオリンも非常に透明感があって素晴らしかった。








2017年7月7日金曜日

気難し屋

もうかれこれ2、3か月楽器が鳴らない。
そういう時にはまず自分が悪いのではと思ってしまう。
最近少し体調が悪かったので、1キロ以上やせた。
そのせいで腕の重みがなくなって、筋肉が衰えたのが原因かもと思っていた。
その次には弦が古くて鳴らないのかも。
その次には弓の毛がすり減っているから鳴らないのかも。
梅雨に入って湿気のせいでも鳴らない。

弦と弓の毛を新しくした。
部屋の湿度は常に一定にして、夜間も空調を切らない。
楽器の汚れも極力落とし、駒が垂直に立っているかチェック。
どうやっても鼻の詰まった音がする。

一昨年、渋谷の佐藤弦楽器で調整してもらって、目の覚めるような音で鳴っていたのに。
その直後、佐藤さんは亡くなってしまった。
今までいろいろな楽器屋さんにお世話になっても今一つピンと来なかったのが、佐藤さんの調整は完ぺきだった。
そのことがあるから、今後の調整をどこでやってもらうかは難しい問題だった。
下手な調整をされて、楽器が死んでしまうのではと思ったこともあった。
つい先日佐藤さんが夢に出てきた。
これは早くどうにかしろと言うことだと思った。

とにかくこのままでは限界。
弾く意欲もなくなってしまう。

今日は若手のTさんに診てもらうことにした。
彼のお父さんと私の兄が同じ会社だったので、以前から知っていた。
私の元生徒がここで良い楽器を見つけたので、非常に良心的で腕も良いというのはわかっていた。
ただ楽器屋さんは慎重に選ばないといけない。
自分の意向を反映してくれる人と、職人気質で頑固にやり方を変えない人がいる。
本人に断りもなく勝手にコーティングするような独断専行の人もいる。
これは私が実際の体験。
コーティングしたら楽器の音が変わって鳴らなくなってしまった。
私の生徒は有名な楽器屋さんに行っているけれど、何年経っても糸巻きの軋みがなおらない。
糸巻きが軋むような調整だったら私なら激怒するけれど、穏やかな生徒は毎回言いくるめられてしまうようなのだ。

今朝Tさんに楽器を診てもらった。
ほんの少し駒が本来の位置からずれているのと、魂柱が少し傾いている。
それもわざわざ傾くようにほんの僅か削ってある。
Tさんが言うには「あの」佐藤さんがやったことだからなんらかの意図があるに違いないとのこと。
魂柱というのは楽器の表板と裏板を共鳴させるために箱の中に立っている。
駒のすぐそばにあって、その位置によって音色も音量も変わるという重要な役目を担っている。
駒のずれは0コンマ何ミリという世界。
私は楽器を弾くだけで、調整はとても怖くてできない。
弦を換えるのは仕方がないけれど、その時にどうしてもずれることは避けられない。
駒の傾きは時々自分で直しても、それが正しい位置かどうかはわからない。
自分でやって、下手すれば倒して駒を割ることもある。
弦楽器はこれほど微妙な調整を必要とするので、手間とお金がかかる。

今月弓2本の毛を換えて弦をワンセットそっくり換えて調整をして・・・かかった費用を考えると、現在無職の私はきゃあと言いたくなる。
それでも費用が掛かると時々どこからともなく仕事が入る。
これが私の七不思議。
使うと入る。
使わないと入らない。
現役時代からのジンクスなのだ。

私の楽器は1725年生まれで約300歳。
古い楽器は気難しくて私はいつもバカにされている。
気難しいというのは人でも楽器でも悪いことではない。
気難しさが魅力でもあるわけで。
けれど、遣い手の自分が負けるから、新しくてビャンビャンなる楽器に替えた方が楽かもしれない。
これうちの楽器に内緒ね。
へそ曲げられたら目も当てられないから。
なんたって、本当に気難しいんだから。

目の前で調整してもらうと、みるみる音が変った。
音だから「みるみる」はおかしいけれど。
たぶん1週間もすればガンガン鳴り出すのではと期待している。
果たして結果はいかに。












2017年7月6日木曜日

九州は大雨

昨日、オーケストラプレーヤーにメールしたら、彼女は今演奏旅行で四国に居るけれど、コンサートが中止になったという返信が来た。
四国も一部では大雨らしい。
今回九州の「今までに経験したことのないような大雨」という状況には、同情するばかり。
特に熊本を中心とする大地震があって、その痛手からやっと立ち直ろうとしている人たちを、又も災害が襲うとは・・・
心から気の毒に思う。

最近の気象状況は異常と言う言葉も追いつけないほどの激しさでやってくる。
テレビのインタビューで「バケツをひっくり返したよりも、もっと激しい雨」と言った人もいて、その状況は想像もできない。
今まで私が遭遇した恐ろしい体験は、車を走らせていたら突然の集中的な土砂降りとなって、あっという間に側溝から水が逆流したこと。
側溝の金属の重たい蓋が水に押し上げられて、そのまま流れるのではないかと思った。
幸い雨は間もなくやんで難をのがれたけれど、あれは恐ろしかった。
瞬時の出来事でも恐ろしいのに、あれが何時間も続いたら想像を絶する恐ろしさだと思う。

私の子供のころには、今住んでいる家の前の川がよく氾濫した。
幅が狭く底が浅いからあっという間にあたりは水浸しとなった。
私が子供のころ住んでいた家は、周りの家よりも一段高い敷地に立っていた。
この川が氾濫すると周り中の家が水没して、我が家だけが水の中にうかんでいるように見えた。
そこへ、ボートに乗った人たちが我が家を目指して続々と漕いでくる。
家の中は避難した人たちのための炊き出しで大わらわになる。
災害用の毛布が配られて、しばらく我が家は避難所になった。
母が陰でこっそりと言っていたけれど、毛布は一人一枚と決められているのに、二枚三枚ともっていく人がいる。
いくら災害に遭って気の毒でも、ああいうことはだめだねえ。
ずるいことはしちゃあいけないよ。
雨水を通す巨大な管を川底に埋める工事がされてから、全く心配はなくなった。
その工事のために私の家の側の桜が切られてしまった。
桜が切られるののを見たくないので、その日は一日中外出していたけれど胸が痛んだ。
しかし、そのお蔭で今に至るまで氾濫することがないから助かっているけれど。
新しい桜も植えられて花を咲かせている。

九州は私の好きな場所。
熊本や大分、福岡などは毎年演奏旅行で行った。
人情が厚く、景色が良く、食べ物がおいしい。
東北なども同じだけれど気候風土が違うので、それぞれの良さが違う。
特に九州は初めて行ったときに、駅のホーム脇に溢れるようにコスモスが咲き乱れていたのに感激した。
その光景が目に焼き付いて、それから九州は私のあこがれの地となった。

毎年何回か仕事で行ったけれど、いつも良い思い出ばかり。
熊本には遠い親戚がいて、時々泊めてもらった。
熊本城は仕事をするホールの傍で、休憩時間によく散歩したものだった。
地震で壊れたときには悲しかった。
長崎、熊本、宮崎に行ったら仕事が終わると必ず次の日を休みにして、レンタカーで阿蘇を走った。
その辺での仕事なら終わればいつも阿蘇に行った。
草千里に行くと、馬に乗った。
大きな農耕馬だから、私の短い足が鐙に届かないほどお腹が太い。
ユラリユラリと揺れて広々とした草原を渡る風を楽しんだ。
大分では日本最古の百日紅の木を探して国東半島まで出かけた。

耶馬渓に行ったときには、牛を運搬するトラックに牛が立ったまま乗っているのを見て、可哀想と言ったら笑われた。
では牛をどうやって座らせるの?と言われた。
本当に大人になっても物知らずで、好奇心に満ちていた自分が可笑しい。

テレビで災害情報を見ていたら熊本県荒尾市の文字が。
荒尾に仕事に行ったとき、熊本空港でレンタカーを借りた。
営業所の女性が「これからどちらへ行かれますか」と訊くから答えようとしたら、どうしても地名が出てこない。
えーと、どこだっけと言ったまま絶句。
とにかく走り出したらやっと地名が出てきた。
その女性がいつまでも心配そうに見送っているのをバックミラーで見て、それは心配するだろうと申し訳なく思った。
ずっと同じ道を走り続けるので、カーナビはうんともすんとも言わない。
一人で退屈なので「なにか言いなさいよ」と話しかけても黙ったまま。

雨は降らないと困るけれど、時には大暴れする。
これも地球が息をしている証拠なのか。
あの九州が今水浸し。
行方不明や命を落とした人たち、家を流された人も多い。
胸が痛む。
























2017年7月4日火曜日

ハンブルク交響楽団

武蔵野市民文化会館大ホール
長い間改装のために休んでいた武蔵野市民文化会館がオープンして、このところせっせとコンサートに通っている。
駐車場に車を入れると係の人が「いつもの所でいいですね?」
あら、覚えられてしまった。

今日はシュテファン・ザンテルリンク指揮 ハンブルク交響楽団

ブラームス作曲 交響曲第1番・第4番

内装が変わり椅子の背もたれが高くなって、眠るにはちょうどいいのだけれど、このところ演奏がよくて寝ている暇はない。

今日のプログラムはブラームスの1番・4番だから、当然1番が始まるものと思っていた。
冒頭でヴァイオリンの弓がさかさま。
あれ!弓の先で弾くの?
すると優しい音が鳴り始めた。
うそ、これ4番じゃない。

始まる前にお隣のSさんに、皆なんで4番を練習してるのかしらね、と話しかけたばかり。
オーケストラプレーヤーはいつでもどこでも音を出したがる。
始まる直前まで気になる部分を舞台袖でチェック。
1番が始まる前に4番ばかり聞こえるので変だとは思っていた。
意表を突かれてしばらく立ち直れない。
プログラムを読まない方が悪い?

新しくなったステージの音響に期待があったので、楽しみにしていたのが少しがっかり。
ティンパニが湿った音がする。
ヴァイオリンはキーキーする、チェロは遠くで鳴っているようでよく聞こえない。
そのくせ音の分離が良いというか、隅々まで細かい動きが聴いてとれる。
ファーストヴァイオリンのちょっとしたミス、ファゴットの最後の音がこけた、オーボエの音階変じゃなかった?おっと!
地獄耳の猫はぜーんぶ拾ってしまう。
ふだんオーケストラを聴いていても、そんな些細なことは気にならないのに、鮮明に聞こえるのでやたら気になる。

CD音のような金属製の音で、今どきの人の耳はこういう音の方が心地よいのかしらと、時代に取り残された気がする。
4番はそんなわけで不消化に終わった。
ステージの反響版の材質が悪いのかしらとかなんとか、お隣さんと悪口を言い合う。
ズシリとした音がこないわねえ、

が、しかし~
そのあとが圧巻だった。
休憩の後の音は、さっきとは全く違って、会場自体がオーケストラとともに響きだした。

今日は台風が来るので開場間際に雨が降り始めた。
外からくるお客さんたちが、髪の毛や衣服にたっぷりと湿り気を含んで入場する。
いくら空調を効かせていても、たくさんの人たちが来るので一瞬湿度が高くなる。
当然楽器は湿気って鳴らなくなる。
それが時間とともに乾燥して来て、ようやく楽器も会場も鳴り始める。

第1番は冒頭のティンパニから最初とは全く違う音がした。
ゆったりとしたテンポ、理性的でありながら深い情感に誘い込まれる名演だった。
コンサートマスターがソロを弾いたときは、たぶん相当な緊張だったと思う。
なんだか自分の現役時代に戻ったような気分で、それぞれの演奏者のことを考えてしまう。
3~4楽章の間のトロンボーンのコラールは、期待していたけれどちょっと不発。
どこが悪いというのではなくても、本人たちが満足はしていないだろうと見て取れた。

私がオーケストラを弾いていたころ、よく仲間たちと話すことは、その日の本番の出来によって「自分は乞食以下」と落ち込む日もあれば「今日は自分は王様だ」と思える日もあると。
今日のコラールは乞食ではないけれど、不本意だったのではないかと勝手に想像した。
1,2,3楽章をステージの上で音を出さずにじっと待っていて、いきなりあのコラールを吹くのは、どれほど恐怖かと思うとブラームスも罪なことをするものだと思う。

アンコールの「フィガロの結婚序曲」
音の分離の良い会場が幸いして、弦楽器の細かい音が良く聞こえる。
並々ならない演奏者の技術を見せつけられた。
それにしてもモーツァルトはどんな作曲家も楽々と超えてしまう。

終演後、外に出るとかなりの雨。
濡れた路面に光が反射して運転しにくい。
その分渋滞がなくてよかったけれど。



















2017年7月3日月曜日

病気を推奨?

背中の痛みが2週間も続くと、のんきな私でも少し心配になる。
痛みには強い方で多少のことは我慢するけれど、場所が背中の左側なので、内臓疾患を疑った。
近所の病院で心臓の検査だけ受けたけれど、万一のことも考えて市立の総合病院へ行ってみた。
受付に行くと早くも後悔。
沢山の高齢者の列と、大きな声で呼びかける受付の人たち。
朝9時前というのに大混乱。

それでもこの市立病院はいつも親切で仕事が早い。
少しでもボーっと立っている人を見つけると、混雑の中でもちゃんと声を掛けてあげる。
日本の良い病院の上位にランクされているだけのことはある。

よく見ると、混雑は定期的に増えたリ減ったり。
そうか、バスの到着時間で度合いが変わるのか・・・と又BUS(ブス)の話。
数年間健康診断を受けていなかったから、それと併せて背中を診てもらおうと思って状態を説明すると、内科に直接行くようにと看護師に指示された。
しかも今までそんなことはなかったのに、かかりつけの医者の紹介状が必要で、それがないと別料金がかかると言われた。
健康診断の流れで背中の痛みも診てもらえないのかと訊くと、それはダメなのだそうで、一体何のための健康診断なのか。
紹介状ってなんのこと?
他の病院で紹介状を書いてもらうにも料金がかかる。
それがなければ、こちらで支払うなんて、ぼったくりのような気がする。
いつもこの病院に直接来ていたけれど、今まではそんなことはなかった。
診察以外のことで料金がかかるのは、解せない。
誰かちゃんと説明してくれないかしら。
患者からなんとかしておカネを取ろうという見え透いた話で納得いかないけれど、来てしまったから出直すのも面倒なので了承した。
もう2年ほど来院していなかったからのペナルティーと見た。

本当なら健康で病院に来ない人は表彰されるべきものなのに、そうするとお金が落ちないから、病気しがちか趣味で頻繁に来院するのを推奨しているように思える。
病人を大事にするのは当たり前だとしても、病気になった方が貢献度が高いのかと僻んだ。

結局、膵臓疾患などでも背中の痛みは出るけれど、姿勢によって変わるのは筋肉痛か整形外科の分野と言われる。
整形外科に回りますか?と訊かれたから断った。
我が家の徒歩5分のところに、整形外科に定評のある総合病院がある。
毎日散歩する公園のすぐ脇。
市立病院はガンの緩和ケアや終末治療で有名で、病院自体が優しさに溢れている。
公園のそばの病院は戦場の様で、ベッドの間も狭く、入院食もおそまつ。
ある時患者のお見舞いに行ったら、ちょうど夕食時。
お盆の上にゴロンとハンバーグ、薄い味噌汁、山盛りのどんぶり飯が乗っていた。
それを見て私は、いくら近所でもこの病院にだけは入院したくないと思った。

内臓でなければそのうち治ると思う。
憂鬱だけど我慢できないほどの痛みではない。
徐々にだけれど、痛みは減ってきている。
もう少し我慢して、どうしても治らなければ精密検査してもらうことにして終わった。
病院へ行くと病気になりそうだから、なるべく行かないようにしようと思う。



























2017年7月1日土曜日

テノール

この話、私の面白い体験なので、ここに何回も書いたし、人にも度々話したから又か!と思う人もいるかもしれないけれど、もう一度。

昨日の投稿でコンサートが終わって急いで帰るのは・・・で連想した。

ドレスデン歌劇場が来日して横浜でも「魔笛」が聴けるというので、楽しみにして出かけた。
まだみなとみらい線ができない頃というか、まだ東西ドイツを分断する壁があったころのおはなし。

オペラを堪能してプログラムを胸に抱きかかえて、桜木町の駅まで歩き始めた。
横浜県民ホールは海のそばで、コンサートの後はいつも歩いた。
横浜県民ホールの脇にバスが何台も停まっていて、そこに早く出番の終わった人たちが乗り込んでいる。
コーラスの人たちなどは衣装も簡単で、カーテンコールが終われば早めに帰り支度ができる。
手を振ると向うからも手を振ってくれる。
県民ホールのすぐ傍にシルクセンターがある。
シルクセンターを通り過ぎ信号待ちをしていると、血相を変えた外国人がこちらめがけて走ってきた。
私の胸に抱えたオペラのプログラムを目ざとく見つけたらしい。

「シルクセンター・・シルクセンター」と言うから「シルクセンターはそこの信号わたって」とかなんとかまずい英語で教えて、ああ、そうか、この人オペラの出演者でバスに乗り遅れそうなんだと解釈。
早めに終わったからバスの出発までにそのへんをぶらついて、さて帰ろうとしたら方角がわからない。
バスが出てしまったら亡命したと疑われてしまう。
亡命でなくても迷子になったら、言葉のわからない日本でどうしようと急いでいるらしい。
「そうか、バス(に乗るの)ね?」思わず日本語で。
すると「ノーノ―、テノール、テノール」
はあ?テノールって?
ぽかんとしながらシルクセンターめがけて走っていく男性を見送った。

しばらく考えて、彼は私の言った「バス」と言う言葉に反応したのだと思い当たって、大笑いした。
私が、あなたはバス歌手なのね?と言ったとらしいと彼は思った(らしい)
自分はテノール歌手であると言ったのだ。
もちろん彼にとっては笑い事ではなく、そんなことを言っているひまはないのに、なんでこんなことを訊くのかと思ったことだろう。

後でベルリンドイツオペラの打楽器奏者に「バスってドイツ語で何というの?」と訊いたら、「ブス」と答えた。
なるほど、BUSはドイツ語読みでブス。
答えた人は、私の顔を見ていたから思わず口に出てしまったということも考えられる。
真意はその後確かめてはいないけれど。












ハーゲン弦楽四重奏団

ザルツブルグ出身のハーゲン弦楽四重奏団は、元々は4人兄弟で結成された。
そのうちの一人がソロ活動に専念するために抜けて、今はライナー・シュミットが第二ヴァイオリンを受け持っている。

プログラムは

ハイドン「日の出」
ベートーヴェン「セリオーソ」
シューベルト「ロザムンデ」 と、大変なサービス精神。

これだけ揃えると、たいてい題名につられて入場者が増える。
こんなに定食みたいなプログラムでなく、1曲くらいは小難しい曲を入れてもよかったのにと思うけれど、基本中の基本のハイドンの素晴らしさに圧倒されて、せっかくの転寝タイムがなくなった。
このプログラムは演奏する側からいえば、大変難しいのではと思う。
長さの関係からか「ロザムンデ」を最後にもってきたので、真ん中の「セリオーソ」の迫力の方が勝ってしまった。
それでも夜のコンサートでこれから眠るのだから、穏やかにシューベルトが最後でもいいかなと聞きほれた。
4本の楽器は何れもストラディバリウス作品の「パガニーニ」だそうで、日本財団からの貸し出し。
ああ、うらやましい、私にも誰か貸してくれないかな。

ハイドンの日の出の冒頭から、完璧な和音。
ヨーロッパの響きは彼らの生まれ育った土地の中に息付いているので、日本人の感覚ではなかなか出せない。
音程は合っているのだけれど、根底にズシリと来る和音にならない・・と思っていた。
ところが最近、ある地方のコンサートで弾いている日本の若者の弦楽四重奏団の音を聞いて、びっくりした。
この人たちの音はヨーロッパ人の音に近い。
日本人はハモってはいても質感が違うというか、単に音程の良しあしでないヨーロッパ特有の音に欠けていると常々思っていた。
日本人の若者は、すでにその感覚を身に着け始めている。
留学経験とか教師の人種とかもあって、最近の若者は同じような響きが出せる。

最初の曲で眠れなかったので、今日は起きて聴くことにした。
いつもはシューベルトで目が覚めているのは稀なのに。
「セリオーソ」は迫力があって、特に面白かった。

会場は武蔵野市民文化会館小ホール

この会場では度々コンサートを聴いた。
以前は古い内装だったけれど、修復した後初めて行ったら椅子が良くなって、客席数を少し減らし床の傾斜を少し急にしたという。
そのため、後ろの席でも舞台がよく見えるようになった。

三鷹駅や吉祥寺駅から遠くて、たいていの人はバスを利用する。
プログラムが終わると拍手もそこそこに帰る人が目立つのは、そのせいらしい。
バスに早く乗りたい、混んだバスには乗りたくないから真っ先にバス停に並ぼうとか。
気持ちはわかるけど、もう少し余韻を楽しんで散歩しながら帰るのもいいのではないかと思う。
武蔵野市は緑が多く町がきれいだから、家族、友人同士やカップルならゆっくりと感想を言い合いながら歩くのも乙なもの。
弦楽四重奏ほど完璧なアンサンブルはない。
この響きを聴いてすぐに町の喧騒に入っていくのでは寂しい。

私は横浜の県民ホールでのコンサートが終わると、たいてい桜木町までバスに乗らず歩いて帰った。
今は東急線の駅がそばにできたけれど、以前は桜木町がJRと東急の最寄り駅だった。
横浜は特に好きな街だから、途中でアイスクリームを食べたリ、潮風を感じながらぶらぶら歩いて、コンサートの音をなるべく長く耳に保つ。
オペラならアリアを口ずさんだり。
終演後の楽しみも音楽のうち。