2017年7月6日木曜日

九州は大雨

昨日、オーケストラプレーヤーにメールしたら、彼女は今演奏旅行で四国に居るけれど、コンサートが中止になったという返信が来た。
四国も一部では大雨らしい。
今回九州の「今までに経験したことのないような大雨」という状況には、同情するばかり。
特に熊本を中心とする大地震があって、その痛手からやっと立ち直ろうとしている人たちを、又も災害が襲うとは・・・
心から気の毒に思う。

最近の気象状況は異常と言う言葉も追いつけないほどの激しさでやってくる。
テレビのインタビューで「バケツをひっくり返したよりも、もっと激しい雨」と言った人もいて、その状況は想像もできない。
今まで私が遭遇した恐ろしい体験は、車を走らせていたら突然の集中的な土砂降りとなって、あっという間に側溝から水が逆流したこと。
側溝の金属の重たい蓋が水に押し上げられて、そのまま流れるのではないかと思った。
幸い雨は間もなくやんで難をのがれたけれど、あれは恐ろしかった。
瞬時の出来事でも恐ろしいのに、あれが何時間も続いたら想像を絶する恐ろしさだと思う。

私の子供のころには、今住んでいる家の前の川がよく氾濫した。
幅が狭く底が浅いからあっという間にあたりは水浸しとなった。
私が子供のころ住んでいた家は、周りの家よりも一段高い敷地に立っていた。
この川が氾濫すると周り中の家が水没して、我が家だけが水の中にうかんでいるように見えた。
そこへ、ボートに乗った人たちが我が家を目指して続々と漕いでくる。
家の中は避難した人たちのための炊き出しで大わらわになる。
災害用の毛布が配られて、しばらく我が家は避難所になった。
母が陰でこっそりと言っていたけれど、毛布は一人一枚と決められているのに、二枚三枚ともっていく人がいる。
いくら災害に遭って気の毒でも、ああいうことはだめだねえ。
ずるいことはしちゃあいけないよ。
雨水を通す巨大な管を川底に埋める工事がされてから、全く心配はなくなった。
その工事のために私の家の側の桜が切られてしまった。
桜が切られるののを見たくないので、その日は一日中外出していたけれど胸が痛んだ。
しかし、そのお蔭で今に至るまで氾濫することがないから助かっているけれど。
新しい桜も植えられて花を咲かせている。

九州は私の好きな場所。
熊本や大分、福岡などは毎年演奏旅行で行った。
人情が厚く、景色が良く、食べ物がおいしい。
東北なども同じだけれど気候風土が違うので、それぞれの良さが違う。
特に九州は初めて行ったときに、駅のホーム脇に溢れるようにコスモスが咲き乱れていたのに感激した。
その光景が目に焼き付いて、それから九州は私のあこがれの地となった。

毎年何回か仕事で行ったけれど、いつも良い思い出ばかり。
熊本には遠い親戚がいて、時々泊めてもらった。
熊本城は仕事をするホールの傍で、休憩時間によく散歩したものだった。
地震で壊れたときには悲しかった。
長崎、熊本、宮崎に行ったら仕事が終わると必ず次の日を休みにして、レンタカーで阿蘇を走った。
その辺での仕事なら終わればいつも阿蘇に行った。
草千里に行くと、馬に乗った。
大きな農耕馬だから、私の短い足が鐙に届かないほどお腹が太い。
ユラリユラリと揺れて広々とした草原を渡る風を楽しんだ。
大分では日本最古の百日紅の木を探して国東半島まで出かけた。

耶馬渓に行ったときには、牛を運搬するトラックに牛が立ったまま乗っているのを見て、可哀想と言ったら笑われた。
では牛をどうやって座らせるの?と言われた。
本当に大人になっても物知らずで、好奇心に満ちていた自分が可笑しい。

テレビで災害情報を見ていたら熊本県荒尾市の文字が。
荒尾に仕事に行ったとき、熊本空港でレンタカーを借りた。
営業所の女性が「これからどちらへ行かれますか」と訊くから答えようとしたら、どうしても地名が出てこない。
えーと、どこだっけと言ったまま絶句。
とにかく走り出したらやっと地名が出てきた。
その女性がいつまでも心配そうに見送っているのをバックミラーで見て、それは心配するだろうと申し訳なく思った。
ずっと同じ道を走り続けるので、カーナビはうんともすんとも言わない。
一人で退屈なので「なにか言いなさいよ」と話しかけても黙ったまま。

雨は降らないと困るけれど、時には大暴れする。
これも地球が息をしている証拠なのか。
あの九州が今水浸し。
行方不明や命を落とした人たち、家を流された人も多い。
胸が痛む。
























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