2018年7月31日火曜日

個展

昨日見に行くはずだった高木さんの個展、体調が悪くて行かれなかったので今日、覗きにいった。
日中1番温度の高い2時ころなので、容赦なく照りつける太陽にクラクラ。
それでも昨日よりは体調が良い。

銀座三越と松屋近くの画廊で、木村屋も近くだから手土産はアンパン。
帰宅してから自分の分を買い忘れたことに気がついた。
う~、残念。
キムラヤのアンパン食べたいよ~!

アンパンはさておいて、素敵な作品が並んでいた。
特にマーブリングという手法の作品はとても綺麗。
水に糊を混ぜ、其の上に絵の具を落とし、出てくる模様を紙に写し取るというやり方らしい。
私は絵画にはとんと造詣が深くないから、ふーん、と感心して聞いていた。
自然にできる模様かと思いきや、これほどキリッとした模様になるのは本人のテクニックの為せる技でしょう。
すごいなあ、色の感覚も洗練されていて一枚ほしかったけれど、私は今貧乏なので買えないかもしれない。
楽器を背負っていったので、なにか?と高木さんに訊かれたから「売り歩いているの」と言うと冗談だと思ったみたい。

貧乏なので本当に楽器を売りに行った。
まあ、それは半分冗談半分本当。
以前から持っていてほとんど弾いたことのない楽器。
数十年前に近所の人から頂いた。
その時点でニスが溶けて、それをサンドペーパーかなにかでこすったような悲惨な有様。
弾くとキーキーと金属音。
はて?ヴァイオリンの材料は木ではなかったかしら。

動物がホームレスになってさまよって、怪我や病気になってお腹をすかせて・・・みたいな感じで。
それでもしっかりした造りで、ドイツの製作者の名前が書いてあるから期待して鑑定してもらったら、ドイツの量産品で、それはもう安い安い。
それでは売る程のこともなく、家で飼ってあげよう。
いや、楽器だから時々弾いてあげよう。
お金持ち計画第1弾は大失敗。
わざわざ暑いところありがとうございましたと、社員打ち揃ってエレベーターまで見送られて、尻尾を巻いて帰ってきた。

実は私の今演奏している楽器の写真のコピーを持っていったら「これはうちから出た楽器ですね」と鑑定士に大喜びされた。
こんなところで古巣がわかって、めでたい!
今日は持っていかなかったから「ぜひ持ってきて見せてください」と言われた。
この写真はある図鑑に載っている。
見せてくださいと言われても、綺麗にしてから持っていかないと叱られそうで。

最近亡くなった佐藤弦楽器の佐藤さんから「この楽器は良い楽器ですから大切にしてください」と言われたのに、先日も他の楽器やさんに調整してもらったら「ちょっと綺麗にしてもいいですか?」と訊かれるくらい。
故鳩山寛さんが「まったく女ってやつは自分の顔ばっかりきれいにして」なんて言うのを聞いたことがあって、私は自分の顔も綺麗にしないけどなんてお腹の中でつぶやいたこともあった。

汚くしているのは家も・・・なんて自慢気に言うことではないけれど。
台所のシンクから水漏れしたので、明日交換の工事をする。
シンクやガス台を片付けて収納庫の中身を取り出してと、大童。
思いがけないものが出てくる。
わけのわからないものや、忘れていて使っていないものがゾロゾロ。
一番嬉しかったのはウイーンで買った、モーツァルトのリキュール。
それとレミー・マルタンの瓶。
時々深夜に、ちょっとお酒が飲みたくなることがある。
日本酒でもビールでもウイスキーでもなく、そういうときにはブランデー。
ブランデーの安物は美味しくないから、やはりレミー・マルタン級のものが飲みたい。
でも最近は貧乏で買えない。
そこで隠匿物資からブランデーが見つかったのは非常にラッキーなのだ。
うふふ、これは良いものが見つかった。

お金持ちだったらレミーごときで欣喜雀躍はしない。
貧乏だからこその幸せ。
私は本当に安上がりな人間なのだ。

以前レミー・マルタンどころか、聞いたこともないような超高級なブランデーを頂いたことがあった。
競走馬を何頭か持っているようなお金持ちさんからで、柄に馬の顔のついた銀のスプーンやお皿なども頂いた。
その高級ブランデーはまだ開けていない。
そんなものを飲んだら口が曲がってしまいそうで、人生のここ一番というときに飲みたい。
けれど、そんな時期が巡ってくるかどうかわからない。
待っているうちに終わってしまうかもしれない。
それはそれで平穏無事ということで、中々良い人生だったと振り返ることもできるかもしれない。


















2018年7月30日月曜日

断捨離

銀座の画廊で個展が開かれて、今日はオープニングパーティーがあるというので参加するつもりだった。

 高木紀子 個展   PREGARE Ⅱ

  7月30日~8月4日 
  枝香庵Flat  中央区銀座3-3-12銀座ビルディング7F
            11:30~18:30(最終日は17:00まで)

高木さんはヴィオラ奏者のFUMIKOさんの友人。
エキゾチックな幻想的な作風。
素敵な絵を見るのと、FUMIKOさんが演奏するのでそれを聴くためでもあった。
ピアノのSさんとOさんと約束をして夕方のパーティーの間に合う時間に待ち合わせたのだが、あまりの暑さに多少具合が悪くなってしまった。
体がゆらゆらして気持ちが悪い。

私は暑さに弱く、去年は数回熱中症になった。
今年も暑くなり始めた頃、目がさめるとどうもおかしいということが数回。
こころして水分補給もしているし、欠かさずクーラーを点け適度な運動睡眠も摂っているはずなのに。
それで今日は外出を控えようと思い、予約キャンセル。
明日改めて出かけることにした。

明日午前中、筋トレに行くつもりでいた。
パーソナルトレーナーは元格闘技の選手というのかな、闘士というのかな?とにかく格闘していた人で、頭の天辺の髪の毛をツンツンと逆立てた若者。
筋トレが仕事でもあり趣味でもあるというので、全身筋肉のおにいさん。

いうなれば人間の中でも最も強い種族にあたると思うのに、なんと40度の熱を出して明日の予定キャンセルしてくださいとメールがきた。
若いし体力あるから、熱もはんぱなく出るのかもしれない。
私なんざあ自慢じゃないが、もはや熱も出ない。

明日筋トレをしてから出かけるのは辛いかもしれないと思っていたので、休みになってちょうどよかった。
銀座へいくのにはもう一つ理由があって、使っていない楽器の整理しようという目的。
そのために価格の査定をしてもらう。
楽器を買うときその前に使っていたものを下取りに出して、金額のたりない分上乗せして買う。
そうやって徐々にランクを上げていく。
だから前に使っていたものは残らないけれど、私は子供の頃に近所の人から頂いた物があった。
それはニスが熱かなにかでどろどろに溶けてそれが固まって、無残な様子のヴァイオリンだった。

あまりの外見と音がキンキンと甲高いので、弾く気になれず放置していた。
ずっと我が家の押入れで眠っていたのだった。
しかし、それでは可哀想なので、ある時、行きつけの楽器工房でニスを塗り替えてもらった。
急がないと言ったので結局その工房の楽器ラックに3年以上ぶら下がったままになっていた。
やっと出来上がってきたそれは、やけに赤いニスでピカピカにいかにも安物でございと白状しているような有様。
音は相変わらずキンキンと金属的。
それで又押し入れに放り込まれて、それ以来数十年。
最近やっと外に出してきたけれど、音が落ち着いてきたのにびっくり。
もしかしたらスペアに使えるかもしれない。

数年後には私のヴァイオリン弾きとしての能力は消滅すると思うので、取っておいてもむだ、誰かに弾いてもらいたい。
楽器は音をだしてこそのものなので。
あとはヴィオラが2丁。
これも安物だけれど中々良い音が出る。
サイズが小さめだから、アマチュアオーケストラの人などにはもってこいの物。
どれも使っていないものなのに、いざ手放そうと思うとどうしても未練が残る。
売ってしまってから後悔しないだろうか。
キンキンするヴァイオリンをしばらく弾いてから、今メインに使っている楽器に戻ると、やはりホッとする。
だから取っておいても無駄なのはわかっている。
弓も1本処分するかどうか迷った結果、これは取っておこう。
断捨離は難しい。
特に楽器は家族みたいなものだから。






















2018年7月27日金曜日

下山

北軽井沢の緑を後に、下へ降りてきた。
出かけたのは今週の月曜日。
都内は猛烈な暑さで、熱中症の救急搬送が続いたような日だった。
北軽井沢はいつもの年なら朝晩肌寒いほどなのに、私が到着した日は汗ばむほどの暑さ。
それでも天国のようだった。

今朝山を降りて覚悟して都内に入ったけれど、案外暑くなくて良かった。
曇り空で日差しが弱かったせいでもある。
思ったより湿度も低い。
北軽井沢は木が多いので、けっこう湿度が高い。
昨日の朝森の中の遊歩道を散歩していたら、小さな蛇に出会った。
私は蛇がものすごく苦手。
その蛇は黒っぽくて小さく、草の陰を潜って滑るように去っていったので全身を見なかったせいか普段よりも怖くなかったけれど、危うく叫び声を上げそうになった。
北軽井沢のこの別荘地で蛇を見たのは初めてだったので、気温が高くなったせいかしらとちょっとがっかり。

家主のノンちゃんに別れを告げて車を走らせると、窓から入る風はクーラーより気持ち良い。
地場産野菜をお土産に買う。
大きなキャベツ100円、とうもろこし100円、大きなトマト10個入りの箱が750円、スイカ丸ごと1200円。
スイカは4分の1にカットして近所におすそ分け。
キャベツやトマトも一緒に。
時々調理されて戻ってくる。
産直で見てくれはたいしたことがなくても、すごく新鮮で美味しい。

毎朝森を散歩してこの野菜を食べて、窓から森の木々を眺め、夜は仲間とお酒をのんで、幸せな5日間だった。

車を運転しながらふと気がついた。
いつもなら目がショボショボするのに、全くクリアに景色が見える。
これは毎日遠くを眺めていたせいかしら。
しんとした森のなかで、まるで緑色の深海に潜っているような気分になる。
車を運転していても、まだ穏やかな気分が持続している。
瞑想しなくても効果があるらしい。

夜になって窓のシャッターを下ろすと、時々小動物が当たる音がする。
初めてその音を聞いたときには驚いた。
あの音はいったいなに?と訊いたら、主にリスだそうだ。
それ以外にはし~んとしている。
外は真っ暗。
長い夜が始まる。
夜遅くまで明るくて人が動いている都会のようには暮らせない。
1番近くのコンビニも、車でないと行かれない。

夜明けの森は息をのむほど美しい。
すこし明るくなってからしばらくすると、木の間からキラキラと陽が差してくる。
この1番美しい瞬間に散歩をする人に会わないのはどうして?
クマが出るから?
熊よけの鈴を持って散歩するのも億劫なのかもしれない。
せっかくの静かな森にうるさい音を響かせたら、白い目で見られそうだし。











2018年7月26日木曜日

猫屋敷

先日もお世話になった追分のKさんの家を訪問。
今までKさんの家に行ったことのないお隣のOさんとFさんとノンちゃんも一緒に行くことになった。
北軽井沢から山を下ると下界は暑い。
今年は北軽井沢もけっこうな暑さだけれど、それでも軽井沢よりは涼しい。
午前中Kさんの家の猫をちらっと見てから、直ぐ側にある蕎麦屋のきこりで昼食の予定。

私はいつも18号線を走って行くのだけれど、他の人達は北軽には何十年というベテラン。
山道を抜けていくことにした。
道案内をしてもらって、車が行き違うのもやっとの狭い道をくねくねと走る。
山はすっかり夏の顔で、木々の緑が濃い。
新芽や若葉のときと違って、両側からずしりとのしかかってくる。
Kさんの家の近くまで行ってから少し道に迷ったので、思ったより時間が遅くなって到着した。
K家の猫は全部で5匹。
全部拾われて来て、今は幸せな子たち。
さんざん苦労してきた話を聞くと涙がでそうになる。
みんないい子で苦労した過去を見せないのは、Kさんが猛烈に愛情を降り注いでいるからなのだ。
世の中に猫好きは多いけれど、ここまで世話ができる人は少ない。

ひとしきり猫たちを愛でて、目的の蕎麦屋へ。
きこりというお店でエビおろしそばを食べる。
冷たい蕎麦に大きな海老天とズッキーニの天ぷらが載っている。
その上からつゆをかけておろし大根を載せて食べる。
これは私の大好物だけど、量が多い。
連日の食べ過ぎに追い打ちをかけて。

今朝のノンちゃんの家の朝食は、これでもかというほどの野菜たっぷり、それに大きなソーセージ2本、チーズやマーマレード。
それにパンとバター、コーヒー、スイカが出ておしまい。
私より10歳くらい年上のノンちゃんがペロリと平らげる。
やはり並の人ではない。
足が弱っている以外、頭も話もしっかりしている。
好奇心もたっぷりで。

今日の午後は所用があって早めに帰ることに。
往きはずいぶん時間がかかると思ったけれど、帰り道はあっという間。
いつも思うけれど、往復の時間は往路のほうがずっと長く感じる。
今日は往路は迷子になったから多少時間がかかったけれど、それにしてもたぶん10分も違わなかったと思う。
それなのに大変な時間差のように感じる。
期待する気持ちと終わってホッとした気持ちでは、たとえかかった時間が同じでも感じはずいぶん違う。
時間というのは面白い。

午後の訪問客は「ルオムの森」のオーナーAさん。
彼女はとても有能で、キャンプ場の切り盛りから私達のかかえる問題のサポートまで、種々解決してもらえる。
各種の手続きの書類作成や、庭の木の手入れの問題についての解決策・・・例えば庭木が倒れそうとか、枝が電線にさわっているとか、そんなことを解決してくれる人材を探してくれる。
私は感心して側で口を開けて眺めている。

北軽井沢はここの自然が好きで住みついた人が多い。
そういう人たちがルオムの森でスタッフとして働いている。
人材豊富で、それを束ねているオーナーの力量にいつも感心する。
しかも私は出来ますと言う態度ではなく、穏やかで誰の気も悪くさせない才能がある。
これは本当にできる人なのね。

私がルオムの森でやってみたいのは、スイートグラスアドベンチャーでのフィールドアスレチック。
Aさんに私でもできる?と訊いたら、ハーネスをつけるから安全、大丈夫と言う。
スタッフが付いていて、立ち往生するとうまく誘導して下ろしてくれるらしい。
しかし、はしごから落ちてハーネスでぶら下げられて救助が来るまで吊るされた焼豚のようにジタバタする図を考えたら、やめておいたほうが良いかな、やっぱり。
私にも恥という文字はまだ存在するから。
















2018年7月24日火曜日

木々に囲まれて

森の中の生活は信じられないほどの癒やしとなる。
今日の昼食はお隣さんのベランダで。
今朝買ってきた大きなキャベツの上の緑色の葉を使った、アンチョビとキャベツのパスタ。
白ウィンを飲みながらのんびりとくつろいでいてふとOさんがつぶやいた。
こんな生活していていいのかしら。

そう、いいのです。
私達は十分働いてきた。
Oさんは女性向けの雑誌の編集長として立派な成果を上げ、名インタビュアーとしても名をなした。
もうひとりのFさんは、映画制作のプロデューサーとして八面六臂の活躍をしてきた。
ノンちゃんも人形作家として名誉ある賞(ニッセイバックステージ賞)を頂いた。
夜陰に乗じてこのnekotamaもこっそりと彼らの仲間入り。
名もない音楽家だけれど、まだ現役でいられるのは、こういう仲間の支えがあってこそ。

ベランダの前は大きな楓の木が植えてある。
秋に葉が色つくと、見事な紅葉のアーチがベランダを覆う。
昼食が盛りだくさんですっかり眠気がさして、私はソファで木を眺めているうちにいつの間にか眠ってしまった。

目が覚めて、そういえばヴァイオリンを弾いていなかったことに気がついて、ようやく練習を始めた。
お隣さんが練習を聞きたがっていたけれど、練習は聞いても面白くはない。
同じところを何回も弾き直したり、テンポを遅くして音程の修正をしたり、コンサートでお聞かせするようなわけにはいかない。
あとで練習を聞きたかったのにと言われたけれど、聞かれないでよかった。
夕方散歩に出る。
私は何回来ても迷子になってしまう。
それにしても人気はまばら。
まだ夏の休暇に入っていない人が多いのか、それとも海外に行っているのかはわからないけれど、人の気配がしない。

夕食はまたOさんの家に集まって、皆お腹が一杯でと言いながら酒盛りが始まる。
帰宅したら体重計に乗るのが怖い。
今日は焼酎にしようと意見が一致、氷がないというからコンビニへ走る。
一升瓶からコップへ焼酎が注がれ、氷を入れる。
さてかんぱ~い!
ん?この焼酎変わった味。
皆一斉に??状態。
わかったのは一升瓶は日本酒だった。
しかし、少し飲んだらもう日本酒でも焼酎でもどうでも良くなって、会話が弾む。

中年すぎの女性たちの話題は、一般的には夫や子供や孫の話。
でも「雪雀連」の人たちの話は、そこにとどまらず幅広いジャンルの会話になる。
それが一番楽しい。
時々臨時に参加する人がいても、姑の愚痴なんか言い出すとたしなめられる。
このグループはね、そんな話はしないの、と。
それで鼻白んで来なくなる人はそれで良し。
そこで会話に参加できる人は人生の楽しみが2倍になると思って良い。

明日の予定は追分のKさんの家に猫を見に行くツアーが組まれた。
参加人数4人、最少催行人数が一人だから十分条件は満たしている。
さて、5匹の猫たちはニャンと言って迎えてくれるかな。
猫見学のあとは、追分のお蕎麦屋さん「木こり」でお蕎麦を食べる予定。










2018年7月23日月曜日

北軽井沢

今朝10時出発。
最近よく転ぶから健康に問題があるのかもしれなしし、用心にこしたことはないからゆっくりと走る。
私にしては90キロ以下のスピードはかったるいけれど、もう反射神経も鈍っていることだしのんびり行こう。
これもまた良い。
いつものことだと最初は自重していてもそのうちだんだん目が座ってきて(外側から自分を見たことがないからわからないけれど、たぶん)いつの間にかそのへんの車の中で一番早かったりする。
今日はそれもなく、
ずっと同じ90キロペース。
ふうん、私も穏やかになったものだわ。
牙を抜かれた虎、歯のないワニみたいなもの。

暑い都会から来て軽井沢はさぞ涼しいのではと思っていたけれど、午後1時前後で34度、なあんだそれほど涼しいわけじゃあない。
それでも目に映る風景がのどかで緑豊かで、涼を誘う。
軽井沢が34度なら北軽井沢は通常それより10度ほど低いから24度前後、しめしめと喜んでいたけれど、到着してみると26度もあった。
出迎えてくれたノンちゃんが今年は暑いのと言う。
例年の夏は夜は肌寒くて上着が必要なほどなのに。
こんなことを言ってると都内で頑張っている人たちに袋叩きにされそうだけれど。

庭続きに住むお隣さんの家で夕飯をごちそうになる。
下手なレストラン真っ青な美味しい料理がこれでもかと出てくるのが恐ろしい。
滞在中にどれほど太ってしまうことか。
今日のメニューはマグロ、タイのお刺身。
枝豆、いんげんの茹でたもの。
いんげんには自家製の肉味噌をつけて。
酢豚、いちじくと生ハム、ナスの忘れ煮。
なんで忘れ煮というのか訊いたら、忘れてしまうほど長く煮込むのだそうで。
レバーときゅうり、わかめの酢の物。
その他漬物や薬味類、常備菜などがずらりと並ぶ。
1口ずつ食べても、もう満腹
最後に食べごろに熟れたメロン。

白ワインのキリッと冷えたものですっかり気分良くなって、ノンちゃんの家に引き上げた。
庭続きだけれど、庭は凸凹しているので外を回ると街灯もなく真っ暗。
足元も見えないので強力な懐中電灯が必需品。
空には降るような星がと言いたいところだが、今日は少し雲があるようで見えない。
晴れていると満点の星・・とこれまた言いたいとこだが、森の巨木が葉を広げて空を占領している。
その合間からやっと見ることができる。
この別荘地は厳しく管理されていて、やたらに木を切ることはできない。
鬱蒼とした雑木林で、冬はほとんど葉が落ちて雲を眺めることができるけれど、夏は周り中葉っぱしか見えない。
ここ北軽井沢の雑木林は特別美しい。

いつもここを訪れると、まず木々の様子に見とれてしまう。
早春の芽吹きは特別。
でも初夏の若葉も素晴らしい。
夏の鬱蒼とした森は鳥たちのうるさいほどの鳴き声で活気付く。
秋の紅葉はそれは見事。
お隣さんのベランダに覆いかぶさるように楓の大木があって、そこで紅葉を愛でながらランチを頂く。
冬は?来たことないから知らないけれど、冬の音楽祭に出ませんかとお声がかかった。
うーん、冬は雪が相当積もるらしくて車が出せるかなあ。

キャベツ畑と林しかなくて軽井沢のようにおしゃれなお店もない。
けれど、ここに来ると心から休まる。

なにもすることのない幸せを満喫していればいいものを、貧乏性でつい英語の宿題や練習曲を持ち込んでしまう。
ノンちゃんの家は木の壁。
ヴァイオリンとえらく気(木)が合う。
でも北軽井沢の気候は楽器にとって、あまりありがたくない。
木が多いので湿度が高い。
雨が降りやすいなど。
今年の9月のミュージックホールフェスティバルの当日にどうか雨が降りませんように、みなさんも声を揃えてお祈りしてください。
では、声を揃えて~ニャーニャーニャーニャーネコタマニャー・・・・
あはは、ちょっとあなた達、何やってるの?







2018年7月22日日曜日

転倒猫

つい最近転んだばかりなのに、昨日又転んだ。
心ここにあらずだと転ぶのよとは友人の言葉。
ふ~ん、そうかもしれない。
昨日見た夢は、夜空の星以外一切見えない真っ暗な道をトボトボ歩く自分。
周りに人が2,3人居るのがわかっているけれど、どこにいるのか見えない。
目が覚めたら寂しくてベッドで起き上がって、膝小僧を抱えた。

最近あまり笑わなくなった。
毎日あんなに笑っていたのに。
基本陽気な私でもこういうことはあるのよ。

さて、今回の転倒でわずかに怪我をした。
ころんだ場所が信号機の付近。
ガードレールの足元からほんの僅か道が低くなっていて、でこぼこしていた。
なぜわざわざこういうふうに高低差をつけるのかはわからないけれど、ふだんなら転ぶほどの段差ではないと思うのに、気がついたらこけて左手の平で体重を支えていた。
支えきれずに次に顔から落ちて、顎の左下に内出血。
只今、顎に500円硬貨大の青あざができている。
痛くもなんともないけれど、だんだん範囲が広がってきているところを見ると、内出血がまだおさまっていないのかも。
怪我はそのうち治る。
けれどやたらに転ぶのは少し心配なのでネットで調べてみた。

足腰が弱ってというのが大半の原因ではあるけれど、そうでないなら脳神経内科で診てもらうようにと。
わずかに脳内の血管が細くなって血流が滞っていても、転ぶ原因になるそうなのだ。
物忘れは子供のときからなので天然物だけれど、こういう文章を書いている最中、言葉の言い回しがわからなくなったりすることが増えた。
元々コレステロール値が基準よりわずかに高い。
ずいぶん以前から指摘され続けてきたけれど、薬を飲む気も、食生活を変える気もさらさらない。
なぜならずっと同じ数値で変化がないから、これが私にとって一番良い数値なのだと思う。
それにコレステロール値が高くなる食べ物は皆美味しい。

朝食に作るのはオムレツ。
たっぷりバターを使った大きなオムレツ。
ときには溶けるチーズを乗せる。
健康診断に行ったら、真っ先に注意されそうな。

卵といえば鶏卵だけではなく鮭の卵、たらの卵など、コレステロールの宝庫みたいな食べ物大好き。
コレステロール値高いですよ。薬飲みますか?と医師に訊かれると必ず拒否する。
頑なに薬が悪いとは言わないけれど、まず必ず副作用がある。
とにかく健康診断もここ3、4年まったくうけていない。

去年、私の友人が顔面から転んで大変な傷を負った。
それを見てあんな風に顔から転ぶなんてどうしてかと思ったけれど、まさか自分がそうなるとは・・・・
転んだ友人は三半規管に良いという薬を飲んでいたら、ある日ひどい目眩がしてピアノが弾けなくなった。
どうしても指が動かない。
それで薬を全部捨ててしまった。

私も転ぶからと言って病院で検査を受けたら、病気になってしまいそうな気がして迷っている。
万一病気のせいなら早めに治療したほうが良い。
原因を知りたいなら検査は受けたほうがよいけれど、原因が特定できないで、とりあえず薬出しますからなんて処方されたら飲む気にはならない。

あるいはこの猛暑で、軽い熱中症を起こしているのかもしれない。
暑さにはからっきし弱い。
スキー場で吹雪にさらされても堪えないけれど、暑いのだけはごめんなさい。
ああ、早く冬にならないかなあ。
雪山がもう呼んでいるのよ、まだ秋でもないのに。

猛暑を避けて明日から北軽井沢へ。
「こちらは涼しいわよ、早くいらっしゃい」と家主さんから電話があった。
家主は人形作家のノンちゃん。
先月泊めてもらった追分の家主さんも滞在中。
その前に泊めてもらった軽井沢の家主さんも滞在中。
その上、もう一人軽井沢に引っ越すというヴィオラ奏者が現れて大賑わい。
あちらで立派な弦楽アンサンブルができるではないか!
























2018年7月19日木曜日

焦熱地獄

今年の災害は90年に一度の水害、その後の猛暑。
西日本では家を流され、家族を失い、この猛暑の中で元気を出してと言われても耳に入らない人が沢山いる。
ボランティアの人たちは本当に善意なのだけれど、被災者たちはときには悩まされることもあるらしい。
元気だしてくださいと言われても、誰が元気になれる?
寂しいだろうと話しかけたりするのも迷惑なこともあるらしい。
心底落胆した人に慰めの言葉は虚しく響く。
この暑さでゴミの山は腐敗するだろうし、プライバシーのない避難所で着替えもままならない、お風呂にも不自由するし、今の自分のなにも起こらない状態がどれほど平和なことかと思う。
お金がたくさん欲しいとか、美味しいものを食べたい、きれいな服が着たいなどの欲は、ただひたすら生きたいという気持ちの前にはほんの小さなこと。
家族がいてごく当たり前に生活できることだけでもありがたい。

今朝ピアノ合わせの練習に車で出かけた。
徒歩でいきたいところだけれど、アスファルトの照り返しと蒸し風呂のような空気の中を歩く勇気はない。

玄関を出て駐車場まではほんの僅かの距離、目に刺激を感じる。
かゆいような痛いような。
空気が刺激物を運んでくる。
目一杯クーラーを効かせて走り始めた。

環状8号線。
今日も混んでいる。
走り始めてすぐに1台の救急車。
道を譲って暫く行くと、又救急車。
さっき左に曲がったと思ったら又前方に救急車。
ひっきりなしにサイレンが聞こえる。

甲州街道の陸橋で、間もなく左折する私は左車線へ。
陸橋のてっぺんのあたりの前方の車の様子に違和感があった。
別に普通に渋滞で停まっているだけのようにも見えるけれど、念の為、私はすぐ後ろにつけないで距離を開けて停まった。
すると2台前の車から人が降りてきて、自分の車のテールを調べている。
1台前の車からも人が降りてきた。
どうやら追突事故を起こしたらしい。
すぐに右車線に戻り走り抜けた。
万一これが事故発生から時間が經って警察が来ていたら、ひどい渋滞に巻き込まれるところだった。
この猛暑の中でイライラしながら車の中で茹で上がって、体調を崩していたかもしれない。
陸橋を降りてすぐ、対向車線に又救急車。
さっきの事故では負傷者がいないようだったから、別の事故か急病人。
私が走ってきた方向へ走り去る。
いったい今日は何台の救急車に出会ったことか。

アスファルト道路が揺らいで見える。
自然災害は人の驕りに対する天罰と言う人も居るけれど、災害をなくそうとして試行錯誤の末に逆に災害を引き起こすこともある。
砂防ダムの近くの自宅にいた高校生。
ダムは彼の祖父が自治体に働きかけて実現したもので、彼はそのダムを信じていたから自宅から離れなかったのかもしれない。

でも未曾有の規模の土石流はあっけなくダムを乗り越えてしまった。
彼の母親が早く逃げるようにと電話をしていた最中だった。
慰める言葉がみつからない。
祖父は自分がこのダムの実現を望まなければ、高校生のその孫はもっと早く逃げたのではないかと自分を責めていないだろうか。
母親はその子にもっと早く電話をしていればと悔やんでないだろうか。
それらを思うといたたまれない気持ちになる。
死はだれにでもいつかは訪れる。
一日長く生きたからと言ってそれが幸せとは限らないけれど、若くして亡くなるのは痛ましい。

猛暑が容赦なく襲ってくるので、いつもなら練習を終えるとランチでもとなるのに、今日は食べないほうが良さそうと言って帰ってきた。
昼ごはんを食べたら睡魔に襲われる。
特に今日のような暑さではただでさえ注意力が散漫になるのに、満腹になったらどういうことになるのか恐ろしい。
案の定、帰宅して軽い食事を摂ったら、めったに昼寝をしない私でもぐっすり眠ってしまった。









2018年7月18日水曜日

兄弟格差

近所に住んでいる兄から「そうめん茹でるからおいで」と電話。
兄と私は11歳の年齢差。
私の中学校の入学式にもこの兄が父兄として列席した。
私の担任の英語教師が兄と同級生だった。
入学式の記念写真を見ると、女生徒の中に先生と兄が写っていて、どちらが先生なのかわからない。
せっかく兄がついてきてくれたのに私はその先生が気に入らなくて、英語の勉強は一切しなかった。
今思えば記憶力の頂点の頃に勉強しないで、惜しいことをしたと思っている。
単語だけでも覚えておけば今こんなに苦労しなかったのに。

それはさておき、兄弟の中ではこの兄はサラブレッド。
昔風の考えの両親にとって長男は他の兄弟よりも数段上の存在だったから、教育も躾もきちんとしたと思う。
父がなにかのときに「お前は皇太子なんだから、そんなことをしてはいけない」と兄に言ったのを聞いたという姉がいる。
庶民の分際でそんなこと言ったら、戦前なら不敬罪で猫箱行き、いや豚箱行き。

母の自慢の惣領息子はその期待に応えて立派に成長した。
他の子供達はいないと同じ。
4番めの姉は母から「下の子どもたちはいらなかった」と言われたそうな。
ひどいことを言われながらも家族は皆陽気なので、曲がった道に行った者は一人もいない。
いや、一人だけ、このnekotamaがいささか風変わりな人生を送っている。
いらなかった子どもたちだから教育しようとも思わなかった母の代わりに、長姉と長兄が私達の面倒をみた。
音楽好きの長兄の影響を受けた私が曲がった道まっしぐら。
曲がった道はまっしぐらには行かれないからクネクネと。

その母の命日なので兄が昼ごはんを作ってくれるそうなのだ。
近所に住む姉も呼ばれていた。
12時過ぎにおいでというので少し過ぎて行ったら、すでにテーブルセットがしてあって、焼き鳥やナスの煮浸し、かき揚げなどが並んでいた。
ビールで乾杯、命日だから献杯。
しばらく話と杯が進む。
そして兄が麺つゆまで自分で作ったという素麺が出てきた。
昆布だしのきいた美味しいつゆとミョウガとシソの薬味。
茹で加減もいい。

兄は理系だから、何事もおろそかにしない。
漬物も自分で塩の割合、温度湿度に応じたぬか床の水分量など、きちんと計りながら漬けるのでびっくりするほど出来が良い。
次兄も理系だけれど、理論の世界に生きているので多少ぼんやりしている。
長兄はなにをやらせても秀でている。

今日も家に入ると、あまりのキレイさにびっくり。
一切散らかっているものはなく、どこもかしこもピカピカ、本やレコードも整然と整理され、趣味の絵も非常に上手い。
以前、私の家に来ていたハンガリーのヴァイオリンの名手タマーシュ・アンドラーシュが、一人で練習したいのでどこか部屋を貸してくれるところはないかと言ったので、兄の家の音楽室に連れて行った。
兄は大喜びで、コーヒーを淹れようか?お寿司を食べるか?タマーシュはちょっと困り顔で、練習ができたのかどうか。
しばらくして帰ってきたタマーシュは「お兄さんの家はものすごくきれいだ」と言う。
私の家から見たらどんな家もきれいに見えると思うけれど、私がみてもこんな綺麗になっている家は珍しいと思う。
兄嫁が数年前になくなって一人暮らしの兄は、なにもすることがなくてねと言うけれど、私はなにもすることがなくてもこんなに綺麗には出来ない。

あまりにも他の兄姉私と違うので今日出た結論。
この兄は拾われっ子。
子供の頃、私は兄姉や母親にからかわれた。
「あんたはね(嬉しそうにここで誰もがニヤリと笑う)橋の下に捨てられて泣いていて可哀想だから、拾ってあげたんだよ」
「赤いおべべ着て泣いてたんだよ」
橋の下でないときは、近所の了源寺というお寺に場所が変わる。
半分は嘘だと思うのにもう半分はもしかしたらと、メソメソ泣き出す。
それを見て家族が爆笑。
とんでもない一家だった。

他の兄姉とあまりにも出来が違うので、今日出た結論は、実はこの兄が拾われた子で、私達ガサツ集団こそ本物の血筋であると。
そうでなければ話が合わない。
学問好きな母はもっと上を目指していたけれど、父が京都から手紙をよこしたのでつい結婚してしまってと言う。
亡くなる間際に「これで終わってしまうと思うと本当につまらないねえ」と言った。
子供がこんなにいなければ、自分の勉強が出来たのにと後悔の言葉だったかもしれない。
でも一人でも立派に育てたではないですか。
あとの5人はいらなかったらしいけれど。
私達クズもおこぼれだけど愛されて、曲がりなりにもお天道さまに顔向けできるほどにはまっとうに生きている。













2018年7月16日月曜日

北軽井沢ミュージックフェスティヴァル

フェスティヴァルの最終日の9月9日に出演決定。
去年は8月半ば。
長雨が続いて森は湿り気を帯び、当日はようやく薄日がさす状態だったけれども、どうにも始末に負えない悪コンディション。
私の演奏履歴の中の最悪の条件だった。

エアコンのない会場はシャッターを開け放つと外と同じ。
野外コンサートみたいなものだった。
ヴァイオリンなどの弦楽器はカラッとしたヨーロッパ生まれのヨーロッパ育ち。
響きの良い教会やコンサート会場などで演奏すると、小さな楽器が周りに共鳴してあの素敵な音色になる。
それで無駄に力まないで済むのだけれど、湿度の多い会場は弦楽器泣かせ。
去年のフェスティヴァルでは、私の楽器は拗ねてご機嫌斜めだったから苦労した。

ヴァイオリンの弦は羊の腸を金や銀の細い糸で巻いてある。
そして弓のこする部分の毛は馬の尻尾。
髪の毛などもそうだけど、湿度が高いと始末に負えなくなる。
弦は伸びて調弦があわなくなり、弓の毛が伸びると弓の張りがなくなって弾力が落ちる。
こんな気難しい楽器をなだめすかして毎日過ごしているから、多少気難しい人に出会ってもどうということはない。
楽器のほうが正直だから、あっという間に環境に左右されてしまう。
せっかく新しい弦を張り替えたのに、北軽井沢から自宅に戻ったとたんに切れた。
弦は高価で1本切れると本当にがっかりする。
ああ、これで明日からは当分卵かけご飯だけかあ、なんて。

今年はお盆が過ぎたころの初秋が良いと「雪雀連(SJR)」会長がいうので、秋の初めにというタイトルでプログラムを組んでみた。
と言っても秋にちなんだ曲は、最初のヴィヴァルディの四季より「秋」のみ。
ここでこじつけておけば後は何でもありというわけで、次のようなプログラムとなった。
      
       SJRアンサンブルコンサート~秋の初めに~

  第1部 古典音楽の楽しみ
      ヴィヴァルディ:四季より「秋」
      テレマン:2つのヴァイオリンのソナタより1,2楽章
      バッハ:ブランデンブルク協奏曲第6番
  
  第2部 音楽の玉手箱
      ピアノ小品3曲 
      ドビュッシー:アラベスクなど
      ロッシーニ:ヴィオラとコントラバスの2重奏曲他
      最後は楽しい曲を全員で華やかに

2部のほうは秘密の玉手箱。
なにが出るかお楽しみというわけ。

今日は第2回目の練習で、猛暑の中我が家に大きなコントラバスや、チェンバロの代用品のキーボードなどが運び込まれた。
なんと言っても手強いのはバッハ。
ブランデンブルク協奏曲第6番は本来はソロヴィオラ2台の編成、今回はヴィオラは1人しかいないので、ヴァイオリン2台用に書き直した楽譜を使用。
ヴィオラは通奏低音にまわる。
バッハの音楽は緻密に組み合わさっているから、誰かがコケるとバラバラになる。
1度落ちると這い上がるのに苦労する。
念入りに練習。

私達のメンバーはヴァイオリン2人、ヴィオラ1人、コントラバス1人、ピアノ1人。
海外ではウイーンフィルの人たちのグループが、この編成で活動しているらしい。
この編成は正規の四重奏の編成ではないので、コントラバスがチェロの役目をする。
大きなコントラバスでチェロのパートを演奏するのは大変な技術だと思うけれど、我らがコンバス女史は平然ととやってのける頼もしい人なのだ。

私がゲーリー・カーなど知らなかった頃、N響の定期演奏会で生まれて初めて生でコントラバスのソロを聴いたのがマーラーの「巨人」
巨人のお葬式の部分が、コントラバス奏者のソロから始まる。
巨人が死んで悲しみにくれる村人や動物たち、でも人がたくさん集まってきてだんだん楽しくなってきて調子っ外れの音楽や踊りが始まってという面白い描写。
その悲しみの部分がコントラバスで演奏される。
マーラーの天才ぶりが顕著になる部分。
こんなに繊細な美しい音が出る楽器だとは思っていなかったので、えらく感動した。
その同じコンサートで、ホルンのトゥッティーでセクション全員一斉に立ち上がってのスタンドプレー。
これもド派手で肝っ玉を抜かれた。
「巨人」は私の大のお気に入りで、中学校から帰るとまずモーツァルト「シンフォニー40番」それからマーラーの「シンフォニー1番」又は「亡き子を偲ぶ歌」それからその時の気分でメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」かチャイコフスキー「悲愴交響曲」などのレコードを聴きまくっていた。
教科書は学校から一切持ち帰らなかったから、いくらでも時間はあった。
両親は学校の勉強をするようにとは全く言わなかった。

話がそれた。
チェロがいない分、コントラバスは大忙し。
なぜチェロ奏者がいないのかというと、全員スキーの仲間「雪雀連」のメンバーで、その中にチェロ弾きがいないのでこうなった。

私の痛恨のミスはチラシのタイトル。
北軽井沢ニュージックフェスティヴァルとなっているのに刷り上がってから気がついた。
今、二の字にもう一本横線を加える苦労をしている。
なにをやっても必ずヘマ。
これからプログラムを作成しなければいけない。
これがまた大仕事なのだ。
誤字や年代の間違いや、人の名前の取り違えなどでた~いへん。
以前聞いたはなし。
リサイタルがリサイルになっていたそうで、これは悲惨。
コンサートは資源ごみか!








  
         
   















2018年7月15日日曜日

安物はNG

商店街を歩いていたら盛大にころんだ。
なにをしたわけでもない。
靴の踵が滑ったのだ。

いつも安い衣類をきているくせに靴だけはしっかりしたものを選んでいた。
と言うのも、靴が合わなかったり靴底がしっかりしていないと、てきめんに腰、膝にくる。
靴はお金をかけるものと思っていたのに、最近は仕事もしないから当然収入は減る。
お腹も減るから良く食べる。
支出が増大する。
ネットの広告で、見てくれの良いサンダルが安く出ていた。
靴だけは良い物をと思っていたのに、つい広告につられて買ってしまった。
なんと5000円以下!安い!

最初に届いたのはグレーのサンダル。
履いてみると、とても心地よい。
とにかく軽い。
まるで履いていないみたい。
しかも宣伝の謳い文句にあるとおり、柔らかくて足が痛くならない。
これは良い!
いつも靴だけは高価なものを買っていたのがバカみたい。
ずいぶん無駄使いしていたんだ。

さて、見かけは安っぽいけれど、なあに、世の中は高齢化社会。
この靴の材質が見抜けるほど皆さん目が良いわけではない。
しめしめ・・・
けっこう歩いても、どこも当たらず痛くならない。
でも帰宅したら少し膝に違和感があって、それでも我慢出来ないほどではないし、愛用していた。
具合が良いからもう一足、今度は色違いのベージュ。
膝の違和感もその時だけで、もうなんともない。

今日は美容院で髪の毛を明るくしてもらった。
白髪が増えて、黒っぽいカラーだと髪が伸びたときに頭頂部が白くなって、カッパみたいになる。
みっともないからいっそのこと、灰白色に移行しようと思った。
徐々に髪の毛の色を薄くしていく作戦の今日はその第2弾。
前回は濃茶色から赤茶色に。
今回はもう少し薄めの赤茶に黄色をかけた。
次回はグレーを混ぜてと着々と白髪作戦。

髪の毛が明るくなると、華やかな色が着られる。
今回はまだ赤っぽいけれどそのうちに灰色になったら、目も覚めるようなブルーやピンクも着られる。
今日入れてもらった色が気に入っての帰り道、るんるんして歩いていたら急に天地が逆さまになって、気がつくと商店街の舗道に腹ばいになっていた。
私は転ぶときは酔っ払いとか子供と一緒で、無駄に手をついたりはしない。
見事に両手両足を伸ばして腹ばいになった。
怪我はしない。
楽器を持っているときは一瞬で楽器をかばうらしく、必ず楽器は無事に持ち上げているけれど、楽器がないときは全く無防備。
対面から来た男性がびっくりして「大丈夫ですか?」と何回も訊いたくらい。

転び方が派手なので周りの人はびっくりするけれど、本人のダメージは殆ど無い。
腹ばいで考えた。一体何が原因だったのかと。
段差のない舗装された道。
記憶を辿ると、その瞬間に確か右の踵が滑ったのだ。
そうか、靴底がやわだったからなのだ。
それに思い至ったので、一瞬にしてこの靴は捨てようと思った。
たとえ痛くならなくても軽くて履きやすくても、底がダメな靴はダメ。

今日は大丈夫だったけれど、いつ何時大怪我につながらないとも限らない。
靴は命。
私は絶対に怪我をしたくない。
5000円以下で買えて履き心地が良くて、でも靴底が滑ったらもうアウト。
最近買ったばかりの2足のサンダルは捨てることにした。
こういうのを安物買いの銭失いというんだわ。
赤い髪の色が気に入って、浮き浮きだったのもいけない。
浮足立つってこういう事かも。

赤い靴を履いて踊り狂う話はあるけれど、赤い髪で匍匐前進する話は聞いたことがない。
ところが今朝、ネット通販でまた見つけた。
赤い靴!
小さいサイズなので売れ残っていたらしく、これも5000円ほど。
Gパンを履いたときに靴が赤いとかわいい。
前から赤い靴を探していた。
これでまたお金を捨てそうな予感がするけれど、合わなければ返品すればいいので取り寄せることに。
明朝届くから楽しみ。

赤い靴履いてコケたら絶対言われるね。
「そんな赤い靴履いて、年を考えなさい、年を!」
年は考えるものではなくてとるものなのに。































缶詰生活

キッチンのシンク下の水漏れのおかげで、保存食の消費が始まった。
キッチンがリフォーム出来たら新しい保存食を補給しようと思うので、それまでに缶詰類を食べてしまおうと工夫をこらす。
今日は出てくるは出てくるは、いつからここに居るのと訊きたいくらいの大量のトマトの水煮缶。
シチュウやパスタに便利でトマト味にするとなんでも水準以上に美味しくなるから重宝している。
トマトは万能調味料なのだ。

テレビを見ていたらお坊さんの料理で、トマトのスープというのを見た。
作り方は簡単で、湯剥きしたトマトをミキサーにかけてトマトジュースにする。
それを布巾で濾すと下に透明なトマトのエキスが落ちる。
冷蔵庫で冷やして調味料を一切入れずに飲む。
酸味と甘味が絶妙なバランスだそうだから、近々やってみようかと思う。
水煮のトマトではおそらくダメだと思う。

今日は玉ネギとベーコン、ひき肉を炒めて水煮トマトを加えゆっくり煮込んでトマトソースを作った。
本当は生のトマトのほうが美味しいけれど、水煮でも十分。
これを冷凍しておけば、バリエーションが利く。
昼食は水煮のイワシの缶詰、猫と一緒にウニャウニャ言って食べた。
ご飯にイワシを載せて醤油を一垂らし。
胡麻や陳皮などの乾燥粉末をかけて、う~む、日本人に生まれて良かった。
うちの猫は老齢だから、普段は食が細い。
野良の朝ごはんをピンはねしてうちの猫がほんの少しだけ食べる。
残りは若い野良たちが争って食べる。
夕方おやつのチャオチュールをおねだりするから1本だけ食べさせる。
夜はカリカリをほんのひとつまみお皿に載せておくと、朝半分くらいに減っている。

その食の細い猫が丸々したイワシの半分くらい食べてしまった。
缶詰は新鮮なうちに真空状態で保存するから、栄養状態も良いらしい。
鮭缶やカニ缶なども残っていて、この際全部胃袋に入れてしまおう。
デミグラスソースとか珍しいのはクッキーの缶詰や、お赤飯用の小豆の煮たものなど。
小豆なんか買って、お赤飯を作ろうとでも思ったのかしら。
nekotamaのことだから目についたので、気まぐれに買ったものと思われる。
災害の後で誰がお赤飯炊こうなんて思うものですか。
非常食にしては非常識。

なま物でなければ魚は缶詰がいける。
私が下手に煮るより、100円台で買えるサバやサンマの味噌煮のほうが余程新鮮で美味しい。
猫も喜ぶ。
鮭缶はマッシュしたジャガイモと混ぜてコロッケ作ってみよう。
月曜日には来客が4人。
缶詰攻めの地獄が待っているとも知らずに、嬉々として来るに違いない。
猫用缶詰混ぜたらわかるだろうか?
いやいや、いくらなんでもそんなことは・・・やってみたい。














2018年7月13日金曜日

水浸し

西日本の水害のニュースが連日流れ、被災者の方々はこの暑さの中、さぞや難儀であろうとお気の毒でならない。
いつかは自分の身にも起こることとして、覚悟はしておかないといけない。
あまりにも安穏と過ごしてきた日々を顧みると、私だけ平安でいられるはずはないとも。
人生はちゃんと帳尻が合うようになっているのだと思う。
命さえ助かれば、長い人生のうちの数年くらいは不自由を耐え忍ぶこともできるかなと思うけれど、若い日とは違う。
今ことが起きたら私はなんにも出来ない。

重いものは運べない。
なにかに追われて逃げても早くは走れない。
足が悪く2階に登れず、命を落とした88歳の女性。
どれほど恐ろしく苦しかったかと思うと涙が出る。
けれど他人事ではない。

今朝ふとキッチンの床を見て違和感を覚えた。
キッチンマット用に敷いてあるビニールのシートが、妙にブヨブヨして見える。
キッチン下の収納扉を開けてオリーブオイルを取り出すと、瓶の入った紙のケースが濡れている。
ん?、もしかして。
きゃあ!なにこれ。
下に敷いてある紙がベトベト。
中は缶詰や油などの保存品が詰まっているけれど、それらを入れてあったダンボールの下敷きが水を吸っていた。

ビニールシートをめくってみると、見るだにおぞましい。
水が溜まって裏側はぶよぶよ。
まだ発見したのが早かったせいか黴てはいないけれど、気がつくのが1日でも遅れたら裏側は黴だらけになったと思う。
なにが原因かと調べたら水の流れるパイプの上の方から、じわりと水滴が。
ほんの僅かだけれど、少しずつ流れおちたようだ。

中の物を全部放り出すと不要なものでいっぱい。
災害時のために保存してあった缶詰、レトルトカレー、カップラーメン、ガスボンベ、ボンベ用のコンロ。
これらは必要なときが来るまではと保存しておいたけれど、すべて廃棄することにした。
この際、新しい保存食に入れ替えるチャンスでもある。
大きなゴミ袋がたちまちいっぱいになって、こんなに狭いところにこんなに沢山のものが入っていたことに驚いた。

鰹節削りや摺り鉢など、最近とんと使わなくなった物も発見。
以前は自分で鰹節を削り、胡麻や山芋を摺り、忙しい日々にちゃんと料理をしていた自分を褒めてあげたい。
良くやったよね、nekotamaちゃんは良い子だった。
過去形なのが残念。

工務店に連絡して早速来てもらった。
本当は部屋全体をリフォームしたいところだけれど経済的に厳しいので、まずシステムキッチンを替えようと思ったら、全部変える必要はありませんと工務店社長。
上は掃除すればいいし、漏水だけなら緊急用の処理で一時止まりますという。
でもいつ何時こわれるかわからないから、一時的でなくシンクごと取り替えれば安心だとも。
とにかく汚くしていたのでこれがチャンス!
きれいなブルーのキッチンに生まれ変わるかも。
予算によっては黄色になるかも。
どちらにしても20年の汚れとおさらばできる。
ついでにエアコンの掃除もやってもらうことになった。
以前からプロにやってもらいたかったけれど、あまりにも散らかっているので来て貰う前に部屋を自分で片付けないと見っともない。
それで中々来てもらう決心がつかない。
やっと恥を捨てて、来てもらうことになった。
恥を捨ててって(笑)恥じる気持ちがあれば、とっくに自分でやっていたよね。










2018年7月10日火曜日

女子会

猛暑の中、私の家の最寄り駅に集まった女子5人。私をいれて6人。
3ヶ月に1度集まることになっている。
いろいろな場所から集まるから、私の家はちょうど中間点。
暑いから今度も幹事の権限で私は楽させてもらった。

いつものタヴェルナ。
むかし芥川也寸志さんがよくおっしゃっていた。
食べるところなのにタヴェルナと言うんだよ、と。
芥川さんはその手の冗談がお好きで、カニをレコード盤の上に載せて回転させると、カニが縦に歩く・・・とか。
メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトはよくメンコンと略して言われるけど、ベートーヴェンのコンチェルトはベトコンと言うとか。
芥川龍之介の息子さんとはおよそ思えないような冗談を言う。
良く考えればそれほど面白くもない冗談なのに、御本人は真面目に面白がっている。
とてもハンサムなお顔とミスマッチなので、そこが面白かった。

そのタヴェルナに行くのも何回目になるのか。
幹事が私なので自宅付近を会場にするなど好き放題。
イタリアンの堅苦しくないレストランは、味も雰囲気もすごく良い。
特にスタッフが皆ハンサムで親切で、声が良い。
声はとても大事で、声の良い男性はセクシーなのだ。
エアフランスに乗ったとき、スチュワードがサービスに回ってきた。
料理は肉にするか魚にするか訊く。
女性に対して耳元で「マダム」と声をかける。
その深々と響く声で耳をくすぐられると、思わずゾクリとする。

次からはいつもエアフランスにしようとその時思ったけれど、その後乗る機会がなくて「マダム」と言う言葉には残念ながらその後お目(耳)にかかっていない。

えーと、なんの話でしたっけ?
そうそう女子会は今回は欠席者なし。
時々どうしても体調が悪いとか急な用事でとか中々全員揃わないけれど、今回は全員嬉しそうに時間ぴったりに現れた。
一時期、皆体調を崩して問題多い時期があった。
中心人物のKさんは身を隠してしまって音沙汰ない。
だれに訊いても理由がわからない。
結局仕事を変わってほしいと連絡があって、病気だったということが判明。
それでも頑固に病名は明かさない。
完治してから笑い話のように闘病生活を話した。

生真面目なSさんはある時急にコンサートを中止。
その後、私達の仲間内でも事情が良くわからず、風の便りに病状が漏れ聞こえてくる。
かなりの時間が過ぎて復帰したけれど、真面目すぎる性格なので元気そうに振る舞っているのが痛々しい。
無理に元気にしなくてもいいのにと思っていたら、最近本当に元気を取り戻したようなのがめでたい!

私なら入院しようものなら皆に声を掛ける。
入院するから遊びに来て!
以前約1ヶ月半の入院生活をしたことがある。
その時、私の入っていたのは6人部屋。
明け方、トイレに行くお年寄りがスリッパを引きずって歩くので目が覚めてしまう。
それで一人部屋にしてほしいと言ったら、隣に6人部屋が空いているからそちらを一人で使って良いと言われて引っ越した。

一人になった私は、部屋中のベッドサイドに盛大に花を飾って素敵な病室で過ごした。
しかも看護婦さんのたまり場になってしまった。
ちょっと手が空くと看護婦さんが集まってくるので、陽気な入院生活を送った。
友人知人もひっきりなしに来てくれた。
枕元には、ステンマルクの見事な滑降の大きな写真を飾って。
重篤な病状だったのに、病気は1ヶ月で完璧に快癒。
早く退院したいのに主治医がうんと言わない。
なぜなら、私を釈放した途端に動き回るに違いないから。
安静にするのが大切な病気だったので、大事をとって半月退院を伸ばされてしまった。

今日は全員本当に元気そうで、健啖家の私達の食べっぷりは「タべルナ」と言いたくなるほどだったのではないかと。
各自大きな病気を乗り越えて、今は皆が元気。
まず体が元気が一番。
楽しいときはあっという間に過ぎて、次回の約束は10月。















2018年7月9日月曜日

禍福はあざなえる縄のごとし

昨夜の楽しい余韻で今朝は少し寝過ごした。
体のメンテナンスに整体を受けていたら携帯の着信音。
施術の途中で集中している整体師は耳が少し遠くて、着信音は聞こえないらしい。
終了後記録を見ると、昨日のパーティーの主催者Y子さんからだった。

昨日のお礼を言い合って、さて、話題が変わると・・・家政婦のNさんの訃報を聞いた。
Y子さんの家に行くと、Nさんは控えめに歓迎の挨拶をしてくれる。
いつも出しゃばらず品の良い対応。
私はずいぶんお世話になった。
本当に行き届いた気配りで、度々問題を起こす私をフォロー。

冬、Y子さんのお宅でのサロンコンサートで、乾燥し過ぎを防ぐため加湿器を持参した。
そして加湿機を忘れて帰ってきた。
次のときに加湿機を受け取ったら、ものすごくきれいになって新品同様。
Nさんが精魂込めて磨き上げていた。
網の目のようになった所の中まできれい。
いったいどうやったらこんなにきれいになるのかしらと感心した。
これぞ家事のプロフェッショナル。
暑い夏の日、熱中症でフラフラになって行ったら、水分の補給の世話。
本番前にお腹が空くのではと、あるときには軽いパンやお菓子の用意。

先日帽子を忘れて帰った。
するとY子さんの指示で、Nさんから帽子が送られてきた。
Nさんの自宅電話が書いてあったので電話でお礼を言うと、ひどく恐縮している。
郵便局でレターパックを出すときに電話番号を書いてくださいと言われて、慌てて自宅の電話を書いてしまい、出過ぎたことでと謝られた。
いつもお世話になっているのだから、たまには私にお礼を言わせてほしい。

昨日帝国ホテルでY子さんがちょっと屈託ありげにしていた。
Nさんが来ないという。
Nさんは前日ホテルの写真の展示を手伝ったそうで、時間や場所を間違えるはずはないとのこと。
私にNさんからなにか連絡はないかと。
電話はつながらないし、絶対に連絡無しで休む人ではないから事故にでも遭ったのではと、顔色がすぐれない。
けれど盛大に会場は盛り上がって、Nさんのことはひとまずおいた。
会は大成功で皆さんお料理も音楽も堪能してお帰りになった。
けれど、やはりNさんは最後まで現れなかった。
今朝真っ先に思ったのはNさんはどうしたのかしら?だった。
後で電話して訊いてみよう。

結局連絡を受けた警察がNさんの自宅で発見した。
Y子さんのお父様が亡くなったとき、Nさんが辞めずにずっと働いてくれることになったけれど、お父様が亡くなってちょうど1年目。
きっとお父様が「娘の面倒だけでなく、僕の面倒も見に来てよ」とおっしゃって連れて行ってしまったのねとY子さんと話した。
Y子さんのショックはお父様に続いてなので倍増。

家事をするだけではなく心の支えとなっていたNさんをなくして、Y子さんは本当に寂しい思いをしていることと思う。
Y子さんがご両親の大きな愛に育まれていた様子は、ホテルの控室に飾った写真から十分に見て取れる。
ご両親が亡くなってからはNさんと暮らしていくはずだった。
「私ひとりぼっちになってしまいました」とY子さん。
たとえ私達がY子さんをサポートしてもNさんには及ばない。
NさんもY子さんのことを心配していると思うけれど、Y子さんは稀に見る有能な人だから、しっかりと生きていけるとは思うものの。
なんだか身内を失ったような気持ちで、次にあのお宅に伺ってもNさんに会えないんだなあと寂しい。
なんだかんだ言ってもちゃんと帳尻が合うようになっている。
昨日は晴天、今日は雨、しばらく薄曇り・・・全体で一つの宇宙。
















2018年7月8日日曜日

思い出の会は華やかに

今日は帝国ホテル。
南青山在住のY子さんのお父様は高名な弁護士で、多くの人から敬愛されていた。
去年そのお父様がお星様になってしまい、それでも本当に幸せな人生の幕引きだったので、お見送りも賑やかに帝国ホテルでの音楽会パーティーになった。
そして今年も思い出の音楽会が帝国ホテルで行われた。

今日は私は客席にまわった。
たまには客席で聴きたいわと言ってごちそうだけ食べて、笑って歌って。
谷康一とニュー・ブルー・ストリングスが演奏。
  谷 康一 ギター
  中井典雄 ドラム
  村上功治 ギター
  山崎綱三 ベース

谷さんはY子サンの軽井沢のゴルフ仲間。
ヴァイオリンの林美智子さんと谷さんの二人のお嬢さんも加わって、更に山田陽子さんというフラの踊り手も加わって盛大な思い出の会になった。

お食事タイムが始まってから45分すると音楽開始。
賑やかで陽気で素敵な谷さんのお話と歌、途中で林さんのヴァイオリンが加わり、フラで最高潮。
林さんはファッションモデルも真っ青な着こなしの名人。
ある時テレビ局で、タレントさんより目立たないようにと注意されたそうな。
今日は白と薄いベージュ、グレーのグラデーションの細身のドレスがとても素敵だった。
フラというのはどちらかというと陽気な印象だけれど、山田陽子さんのフラは上品で内面から輝いて見える。
神秘的でオーラが出ていた。

その間も飲んだり食べたりして、ライブハウスのように寛いで音楽を楽しんだ。
私は今日は無責任で飲食して最高に楽しかったけれど、もとより自分で今日は楽器を持っていかないと言ったけれど、たまには客席で楽しませてよとは言ったけれど、谷さんの歌はとても素敵でお話も面白い構成が素晴らしいんだけれど。
やはり聴くよりも弾くほうが楽しいんだわ。

結局、谷さんに今度は私も弾かせてとお願いした。
楽譜書いておきますよというお返事。

お開きになっても各テーブルで名残を惜しむ人たちがいたので、元日航の機長だった人としばらくお話をした。
「音楽も飛行機を飛ばすのも空間の芸術なんです」と、元機長さん。
「飛行機のクルーはその都度メンバーが変わって、知らない同士1週間くらい同じメンバー全員で行動するので、最初の意思の疎通がうまくいかないと後が大変。
見ていると、演奏も最初のうちはお互い手探りしていますよね。
そのうちお互いにわかり合ってきて上手くいくようになる。
時々最後までギクシャクすることもある」というような話を聞いた。

飛行機の操縦は私の長年の夢だった。
唯一叶わなかった夢。
その夢を叶えられて羨ましいと言ったら、機長氏は「自分は演奏が出来ないから同じことだ」と慰めてくれた。
そうかなあ、飛行機の操縦のほうがよほど素敵なのに。
最近ホンダの小さい飛行機が売り出された。
宝くじを買って当たったら買おう。
買ってどうする?














二人のコンサート

三軒茶屋のサロン・テッセラは3年ほど前コンサートを開かせてもらったけれど、小さいながらすべての条件の整っている理想的なホールだった。
オーナーの理想がすべて生かされているけれど、いかんせん客席が少なくて知人たちからブーイングを受けた。
お知らせする人数が限られてしまって、名簿の半分くらいはカットしなければならなかったので、後でおおいに叱られた。
呼んでちょうだいよ、友達じゃない!と言われても、当日やはり席が足りなくなって帰っていただいた人もいた。

今日のコンサートは「二人のコンサート」

ソプラノの鎌田滋子さん ピアノの伯田昭子さんのお二人は長年一緒にコンサートを続けているらしい。
私が今回初めて知ったのは、私達のいつもの仲間の芝治子さんが伯田さんと連弾するので。
私達が時々やっている研究会の例会は、自分たちのコンサートの前に度胸試しで弾かせてもらいアドバイスを受けたり励まされたり、そんなふうに役に立っている。
伯田さんはいつものメンバーではないけれど、今日の本番のために芝さんと先日の研究会に参加した。
やる気のある人は常に大歓迎。

そして今日は彼女たちの本番。
まずソプラノの鎌田さん。
きれいな金髪、エメラルドグリーンの素敵な衣装、見るからにソプラノ歌手。
大ぶりのネックレスと対のブレスレット、イヤリングもキラキラ輝いている。
そう、まずおしゃれでないといけない。
お客様は衣装を楽しみにしているのだから。
私は不精でステージ衣装も通販で買うようなことをしているから、今日はいたく反省した。
耳も目も楽しませないといけません。
今後は馴染みのステージドレスの店「メイミ」に足を運ぶとしよう。

今年はフランスのグノー生誕200年、ドビュッシー没100年だそうで、それにちなんでフランス音楽のプログラム。
ピアノ独奏    ドビュッシー:子供の領分
ピアノ連弾    プーランク:ソナタ
ピアノ2台    ラヴェル:ラ・ヴァルス

ソプラノは    グノー歌曲 ヴェニス、亡き人、芝生は緑
         ドビュッシー歌曲 星の夜、月の光、ファントッシュ
         プーランク歌曲集 かりそめの婚約全6曲

フランス歌曲と言えば、かつてジェラール・スゼーという名歌手がいた。
私は大好きで日本公演を聴きにいった。
1度はフランス歌曲、もう1度はシューベルト:冬の旅。
フランス歌曲はとても素晴らしかったけれど、冬の旅の方はドイツの名歌手・フィッシャー・ディスカウを聴き慣れていたので、フランス風の発音に違和感があって馴染めなかった思い出がある。

鎌田さんは衣装も声もキラキラ。
特にプーランクが良かった。
フランス語はわからないけれど、響きで幸せになれる。

伯田さんと芝さんの2台のピアノは圧巻で、ラ・ヴァルスは二人の呼吸がよくもこんなに合うものと感心した。
よほど合わせたに違いない。
ふたりとも上手い!

終演後、会場の一角でワインやお茶を頂いて、出演者たちとお話をした。
鎌田さんはステージ衣装を着替えて、今度はゴールドのスパンコールのついた白いワンピースに薄いシャンパンゴールドのボレロ、それもステージ衣装のように華やかだった。
歌手は思い切りアクセサリーがつけられる。
ピアノもイヤリングとネックレスがつけられる。
でもヴァイオリンはまず指輪だめ、ネックレスだめ、せめてイヤリングと思っても大きいものはじゃまになる。
ヴァイオリン弾きが機能優先の衣装になってしまうのには理由がある。
肩や胸にスパンコールはだめ、チリチリ鳴ってしまうから。
腕を激しく動かすから、袖が動きやすいデザインでないといけない。
それでヴァイオリン弾きは思い切ったおしゃれが出来ない。

楽器によって性格が分類されるのは知られている。
ソプラノ歌手は華やかでアクセサリー満載。
ピアニストは生真面目だから、きちんとしたドレス。
ヴァイオリンは神経質な割にズボラだから、どうでもいいような・・・いえいえ、そうでない人もいますけど、分類すればのことで。
今日は素敵な衣装を見てnekotamaもおしゃれ心を刺激されたというお話。
今後のコンサートで私が金髪を振り立てて、熱演のあまり袖をビリっとやぶいたりするかも。
前々回の「古典音楽協会」の定期演奏会でソロを弾いていて、イヤリングを落とした話はしましたっけ?
次回の衣装は残念ながらもう決まっていて、ネイビーブルーの長袖。
聞いただけで野暮ったいでしょう?















2018年7月5日木曜日

OSK夏のおどり

私が35歳はとっくに過ぎているのはあまり知られてないようだけれど(笑)東海道新幹線が開通したのが私が大学生のとき。
音大のヴァイオリン科の2年後輩の新入生になつかれた。
彼女は関西の福知山線沿線に実家がある人で、入学してすぐに仲良くなった。
彼女が夏休みに自分の家に遊びに来ないかというので、図々しく滞在することになった。

初めて乗る新幹線。
新大阪駅でその人に会えなかったらどうしようとか、考えもしなかった。
前日電報を打っておいたので、必ず来るはずと疑わない。
今のように携帯もなかったので会えなければ一人で遊ぶつもりで。
新大阪駅で満面の笑顔で迎えてくれたので、本当に嬉しかった。
初めての大阪は人が溢れていた。
在来線に乗り換えるためにホームに並んだ。
彼女いわく「一番前に並んでいても座れると思ってはいけない。頑張ってね」
「え?どうして」
訊くまでもなく開いた扉から降りてくる人を押しのけて、私の周りの人達はさっさと電車に乗り込む。
降りる人が済むのを待っていた私は呆然として取り残された。
友人は笑って「ほらね」

そうこうして彼女の家にたどり着くと、シャキシャキのお母さん、大人しげなお父さん、後輩が一番貫禄があって、親戚筋の若い男性が車で方々連れて行ってくれた。
六甲の夜景が綺麗だったことを思い出す。
さんざんお世話になって、いくらなんでもそうそう長居は出来ないと思って数日後「そろそろ御暇します」と言ったら「あなた、まだ宝塚を見てないでしょ?あれを見るまでは絶対帰さない」とお母さん。
実はわたしはあの手の綺羅びやかなショウはあまり好きではなく、興味のひと欠片もなかったので内心困った。
でも1宿1飯どころか1週間ほども滞在して、ここで無碍に断るのは失礼。
期待しないで出かけた。

その頃男役では那智わたるというスターがいた。
その当時は会場はまださほど立派ではなかった。
ふ~ん、こんなものかと思っていたら、開演したとたん目もくらむような華やかな世界が広がった。
那智わたるさんは実に素敵で、あっという間に夢の世界へ誘われた。
終わってからぼーっとしていたら、お母さんが笑った。
私が乗り気でなかったのはわかっていたらしい。
「ほらね、きれいだったでしょう?」

数年前、私の古いお付き合いの歯医者さんが「冥土の土産に宝塚を見にいったけど、いやーきれいだったよ。でもお客さん女性ばっかり。恥ずかしかったけど、行ってよかった」と言って、それから間もなくお土産を持っていってしまった。

今日は宝塚ではなく、OSK日本歌劇団のレビュー、夏のおどりを見に行った。
階上の住人がチケットを2枚持ってきて、今日自分たちが行かれなくなったので良かったらどうぞと言うのでありがたく頂戴した。
近所に住む私の姉と行くことにした。
姉もこの類のものは初めてだと言うので嬉しそう。
2時間も前に家を出て、新橋演舞場の近くでお茶して。

会場はほとんど女性客、男性はと言えば奥さんに連れてこられたらしいおとなしそうなおじいさんばかり。
幕が開くと「きれい!お雛様みたい」と姉。
平安時代と中国と盆踊りと、ごちゃまぜの踊りと歌。
来るんじゃなかったと実は後悔して眠りについた。
会場は舞台効果のため真っ暗になる、私は眠るーとこういうわけで。
目が覚めたのは休憩時。
なんと35分も休憩があるのだ。
その間、食堂でご飯を食べる人や、座席でも飲食するひとたち。
ちょっと驚き。

2部は急に洋風になって、タンゴやバラードや寸劇など盛りだくさん。
このあたりから急に面白くなってきた。
流石に訓練されたダンサーたちの動きは素晴らしい。
いつも思うのはダンスの暗記はどうやってやるのだろうと言うこと。

私の初舞台は一人だけお客さんにお尻を向けてお辞儀をしてしまったという華々しい経歴で始まった。
ダンスやマスゲームはいつも惨憺たる結果となった。
だいたい人と同じように動けない。
歩いているうちに方向を見失う。
右だっけ左だっけ。
私が率いるチームは右往左往。あはは・・・

で、話は戻る。
見事なラインダンスや一糸乱れぬ動きはさすが、大変厳しい訓練の賜物なのだろう。
私は一糸乱れぬというときには非常に緊張する。
うっかり一糸纏わぬと言い間違えるのではないかと。

衣装は女子の好きなピンクやスパンコールでキラキラ。
最後に看板スターが巨大な羽根飾りを背中に付けて、階段を降りてきた。
この羽飾りのせいで、孔雀さんたちが一糸纏わぬ姿になったのではと心配した。
2部は本当に楽しく美しく、たいそう楽しかった。
男役の人たちが歌うときだけは少し声に無理があって気の毒。













チラシを作る

チラシと言ってもお寿司ではなくコンサートのチラシ。
今まで誰かに頼んだり、パソコンでプリントした原稿を継ぎ接ぎして簡単な物を作ってごまかしていたけれど、やはりちゃんと印刷したものがほしい。
9月の初めに北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルに参加。
会場や宣伝はサポーターズがやってくれるけれど、チラシは自分で作らないといけない。
去年は北軽井沢の人が作ってくれたけれど、そのための原稿作りや校正などはやはり私自身がしないといけない。
結局手間は大して変わらない。
ならば、印刷まで自分でやってみようと思い立った。

年賀状を作るときにお世話になったラクスル。
幸いマイページが残っているからそこから作成開始。
昨日の午後からウンウン言って作成。
何回も失敗を繰り返したら、マウスでカーソルを引く手が硬直してきた。
背中が痛くなる。
目がしょぼしょぼする。
首が凝る。

幸い今は差し迫ったコンサートの予定がないから、そういうことに集中できる。
これでコンサートが続くときには、頭の中は演奏することだけで満席。
パソコンをいじる余裕もなくなる。
たとえ時間が余っていても音楽脳になってしまったときには、こんな作業は出来ない。
説明書を読んでも目が上滑りする。
9月とは言え、初めの方なのでもう2ヶ月しかない。
早く出さないとあっという間に当日になる。
ラクスルのサポーターとチャットしながらなんとか作り上げて、さて、印刷に回すときに最終チェックの画面を見たら、紙の縁にどうしても余白が出てしまう。
その余白は印刷されてしまうのでカットするには又別の編集が必要になる。

それを始めているうちに自体はどんどん悪い方に向かった。
結局最初に完成したものはグチャグチャになって消滅した。
それで昨夜は諦めて寝てしまった。
今朝起きると首が凝っているし頭が重い。
今朝5時起きで再び作成。
今度こそうまくいってさて、入稿の最終チェック。
あんなに気をつけたのにまだ縁に余白が。

サポートは朝9時から。
もう一刻も早く面倒から逃れたい。
もう一度作る元気はない。
とすると、印刷が出来上がってきたらこの余白をカッターで切るしかない。
それでも300枚の切断作業はちと辛い。
そこで閃いた。
こういうデザインだと思い込めば良い。
人にも変わった素敵なデザインでしょ?と言えばいい。

なに、チラシなんぞはコンサートの概要がわかれば良いのであって、これを見てどうこう言う人には特別料金割引のかわりに大震災支援の寄付をして頂けばいい。
完成画面を見ると3方に同じくらいの余白が出ている。
それはそれで中々良いではないか。
たぶん几帳面な人はこれを見て眉をひそめると思うけれど、面白がる人も中にはいるし、私を知っている人ならため息をついて「ああ、あの人のすることだから」と納得してくれる(はず)
もう原稿送っちゃったし、後は野となれ山となれ。
さて次はプログラム作り。
これも又面倒な!

コンサートをするのは楽しい。
練習はどんなにきつくても大丈夫。
忍耐力と持続力はあるし、集中力もある。
けれど小器用に手先を動かしてきれいに仕上げる能力はゼロ!!!
裁縫もイラストも、とにかく細かい作業能力は皆無。

今年の北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルの話があったとき、去年あまりにもこういうことが大変だったのでもうやらないでおこうと思った。
そうしたら「なんでもお手伝いするからやってください」と言う人がいたので重い腰を上げた。
ところがチラシ作成の原稿を送ったら、こういう事は出来ないと言われてしまった。
ここが一番たいへんなところなのに。
それで私が再び馴れない作業をする羽目になった。
今から他の人に頼む時間がない。
今回のスキルを生かして、次回のコンサートのチラシもできるかもしれない。
ちょっと自信がついたので、暇な時に余白を消すことを練習しておこう。
今年は9月すぎるとまだコンサートの予定はない。
暇なときに練習。









2018年7月3日火曜日

樫本大進&キリル・ゲルシュタイン

変換が菓子本耐震となって笑った。
いったいどういう意味じゃ、こりゃあ。
いつもつるんでいる3人のピアニストたちと、オペラシティコンサートホールに出かけた。
コンサートの前に軽く食事。
食べ過ぎると眠くなるから、エビとアボカドのおいしいパスタも半分でやめておいた。
暑い、暑すぎる。
せっかくレストランの外にテーブルがあるのに、外で食べられない。
5月頃の夕方なら、さぞ気持ちが良かろうと思えるのに。

開演前にステージでは盛大にピアノを調律している。
なんだかものすごい勢いでガツンガツンと・・・でもよく聞いていると強くても音が歪んだり固くなったりしていない。
たぶん、今日のピアニストのスタイルに合わせているのかと。

プログラムは

ベートーヴェン:ソナタ2番
      ブラームス:ソナタ3番
             ここで休憩
   モーツァルト:ソナタK.378
R.シュトラウス:ソナタop.18

ベートーヴェンが始まると、楽章ごとに激しく調弦をする樫本。
ブラームスも、モーツァルトでも。
さては始まる前に弦が切れるとか、最近弦をとりかえるとかしたのではないかしら。
それとも日本のこの猛烈な気温と湿度に弦がびっくりしている?

オペラシティコンサートホールは素晴らしいコンサート会場だから空調は完璧だと思うので、なにが弦に影響しているのかはわからないけれど、彼があんなに神経質に調弦するのは初めて見た。

ヴァイオリンの神経質さときたら、演奏家は下僕のようにご機嫌を伺う。
ああ、今日はご機嫌麗しくていらっしゃる。
おや、今日はいかがなさいましたか、なにかお気に障りましたでしょうか?
最近のコンサート会場は空調が良いからそれほど気にならないけれど、日本のこの季節は弦楽器泣かせなのだ。

前半は調弦に気を取られたけれど、後半は弦も少し落ち着いて、大好きなモーツァルトとR・シュトラウス。
これは素晴らしかった。
今日隣で聴いていたピアノのOさん。
彼女に私は時々遊んでもらっているのだけれど、R・シュトラウスは数年前に合わせてもらって喧々諤々、ああでもないこうでもないと言いながら楽しんだ思い出がある。
つい先だってはモーツァルトの別の曲も合わせたばかり。
この組み合わせでは猫に鰹節。
惚れ惚れと名手の演奏に聞き入った。
この人達が弾くといかにも易しそうに聞こえるけれど、本当はすごく手の混んだ曲で、そうと気が付くには楽器を演奏してみないとわからない。
こんな素敵な曲ばかり聴いていると現実に戻るのが大変そうだけど、終演後ロビーに出たら人の波で、余韻を楽しむどころではない。
車をどこに置いてきたかわからなくなって、駐車場に行く道もわからない。
何回もここには来ているのにね。

今日のピアニストのゲルシュタイン氏の演奏を初めて聴いたけれど、非常に個性の強い明確な演奏で、丁々発止とヴァイオリンと渡り合うのが小気味よい。
樫本も負けじと切り返す。
その胸のすくようなアンサンブルを堪能してきた。
特に後半はヴァイオリンの弦も落ち着いてきたらしく、素晴らしい演奏に場内が沸き返った。

パスタを半分残して本当に良かった。
全部平らげていたら、ほとんど寝ていたかも。
これからサッカーのワールドカップ、決勝トーナメント、日本対ベルギー見ようかどうしようか。
明日は北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルの練習が午前中からあるので、眠らないと、、、ああ、でもどうしようか。








2018年7月1日日曜日

運命というもの

今しみじみと感じるのは運命というもの。
今回軽井沢でカニングハムさんの別荘と、それにゆかりのあるコンサートスペースを見つけた。
カニングハムさんは私がオーケストラに入りたいと思ったきっかけのコンサートの主催者。
彼女が生きていてお話が出来たら、貴女は私の恩人、運命を決めた人ですと言いたい。
それはもうかなわないけれど、そこに導かれて行った事自体が不思議なことだった。

私は人生は自分が切り開くものであって、決して他力本願のものではないとずっと思っていたけれど、最近その考えが変わった。
その人それぞれに人生は決まった流れがあると思うようになってきた。
私の親は私がヴァイオリンを弾くことを勧めなかったし、むしろ反対されてきた。
もうヴァイオリンはやめなさいと何回言われたことか。
自分でも他の人より遅すぎる時期に始めたことで、ハンディは半端でなく、学生時代はそこそこの成績。
それなのに周りの協力体制がすごくて、次々にチャンスを与えられてがむしゃらに勉強したおかげで、この歳に至るまで演奏が継続出来ている。
これは私一人だったら到底できなかったことで、今でも励まされ慰められ弾かされているのが現実。
もし周りの人達がいなかったら、私のヴァイオリンは良い趣味として嫁入り道具の1つになっていたかもしれない。

もし中学校の同級生にヴァイオリンをやっている人がいなかったら、音大付属高校を受験することも思いつかなかった。
Tさんという同級生は田園調布にある中学校の近くに住んでいた。
学校の登下校のとき彼女の家の側を通ると、時々ヴァイオリンの音が聞こえた。
私がヴァイオリンを習っていると聞きつけて、一緒に受験しようと誘ってきた。
中学校はエスカレータ式に上まで行けるので、のんびりと受験知らずで行けるはずだった。
学校側は音大付属高校受験には好意的で、受験に失敗したら戻っておいでというスタンスで、安心して受験できた。
二人で高校を受けて二人で大学卒業し、その後もいまだにお付き合いがある。
彼女は群馬県に嫁いで、今はその地でヴァイオリンを教えている。

音大ではオーケストラの指導教授に大変可愛がられ、私が音大に残るかオーケストラを受けるか、大学側とオーケストラ側で水面下の交渉があったと、あとで聞かされた。
ところが最後の卒業試験で私がミスをして専攻科に残れず、結局オーケストラ側に引き渡され入団テストを受けた。
負け惜しみでなく、これは幸運だったと思う。
あのまま大学で人に教えていたらとんでもないことをやっていたに違いない。
未熟な音楽家のまま偉そうになってしまったかもしれない。
もちろん今でも未熟ですけど。

母は私が音大に行くのは賛成ではないけれど、自分の子供が一生懸命やることを邪魔することはなかった。
だからといって母が亡くなるまで音楽家業を認めはしなかった。
オーケストラの演奏会にも一度も来たことはない。
初台のリサイタルホールでの私のコンサートのときに、聴いてくれた叔母が「お母さんが生きていたら喜んだでしょうに」と言ったけれど、そんなことはなかったと思う。
「これで気が済んだでしょう?もうやめなさい」と言うに決まっている。
母が私のヴァイオリンに積極的に関わっていたら、私は反発してやめていた可能性もあるから、もしかしたら母の掌で転がされていたのかもしれない。
それも1つの可能性としてありうることで。

それでも母以外の人たちは、いつでも私に勉強の機会を与え続けてくれた。
決して飛び抜けて上手いとは言えない私に、国の内外を問わず素晴らしい演奏家と弾く機会を次々と作ってくれた友人たち。
様々な形での援助や励ましを受けることで、私はなんとか弾き続けている。
今回も積極的に軽井沢のコンサートのチャンスを後押ししてくれるY子さんと、私達の気のいい仲間たち、北軽井沢ミュージックホールのサポーターズがチャンスを広げてくれている。
Y子さんは近くの美術館にも当たって、いくつかの候補が出来た。
美術館側と具体的に話し合った結果、これらの美術館でも来年のコンサートが実現するかもしれないので、乞うご期待!

すべての人と事が今の自分の中にジグソーパズルのように当てはめられてこんにちがある。
私が幸運の分流に乗れたのは、周りの人達のおかげと、感謝あるのみ。
さ~てと・・・ゲームばかりやっていないで、そろそろ夏に向けて準備をしないと。
暑すぎてナメクジのように溶けていますので。