2018年7月18日水曜日

兄弟格差

近所に住んでいる兄から「そうめん茹でるからおいで」と電話。
兄と私は11歳の年齢差。
私の中学校の入学式にもこの兄が父兄として列席した。
私の担任の英語教師が兄と同級生だった。
入学式の記念写真を見ると、女生徒の中に先生と兄が写っていて、どちらが先生なのかわからない。
せっかく兄がついてきてくれたのに私はその先生が気に入らなくて、英語の勉強は一切しなかった。
今思えば記憶力の頂点の頃に勉強しないで、惜しいことをしたと思っている。
単語だけでも覚えておけば今こんなに苦労しなかったのに。

それはさておき、兄弟の中ではこの兄はサラブレッド。
昔風の考えの両親にとって長男は他の兄弟よりも数段上の存在だったから、教育も躾もきちんとしたと思う。
父がなにかのときに「お前は皇太子なんだから、そんなことをしてはいけない」と兄に言ったのを聞いたという姉がいる。
庶民の分際でそんなこと言ったら、戦前なら不敬罪で猫箱行き、いや豚箱行き。

母の自慢の惣領息子はその期待に応えて立派に成長した。
他の子供達はいないと同じ。
4番めの姉は母から「下の子どもたちはいらなかった」と言われたそうな。
ひどいことを言われながらも家族は皆陽気なので、曲がった道に行った者は一人もいない。
いや、一人だけ、このnekotamaがいささか風変わりな人生を送っている。
いらなかった子どもたちだから教育しようとも思わなかった母の代わりに、長姉と長兄が私達の面倒をみた。
音楽好きの長兄の影響を受けた私が曲がった道まっしぐら。
曲がった道はまっしぐらには行かれないからクネクネと。

その母の命日なので兄が昼ごはんを作ってくれるそうなのだ。
近所に住む姉も呼ばれていた。
12時過ぎにおいでというので少し過ぎて行ったら、すでにテーブルセットがしてあって、焼き鳥やナスの煮浸し、かき揚げなどが並んでいた。
ビールで乾杯、命日だから献杯。
しばらく話と杯が進む。
そして兄が麺つゆまで自分で作ったという素麺が出てきた。
昆布だしのきいた美味しいつゆとミョウガとシソの薬味。
茹で加減もいい。

兄は理系だから、何事もおろそかにしない。
漬物も自分で塩の割合、温度湿度に応じたぬか床の水分量など、きちんと計りながら漬けるのでびっくりするほど出来が良い。
次兄も理系だけれど、理論の世界に生きているので多少ぼんやりしている。
長兄はなにをやらせても秀でている。

今日も家に入ると、あまりのキレイさにびっくり。
一切散らかっているものはなく、どこもかしこもピカピカ、本やレコードも整然と整理され、趣味の絵も非常に上手い。
以前、私の家に来ていたハンガリーのヴァイオリンの名手タマーシュ・アンドラーシュが、一人で練習したいのでどこか部屋を貸してくれるところはないかと言ったので、兄の家の音楽室に連れて行った。
兄は大喜びで、コーヒーを淹れようか?お寿司を食べるか?タマーシュはちょっと困り顔で、練習ができたのかどうか。
しばらくして帰ってきたタマーシュは「お兄さんの家はものすごくきれいだ」と言う。
私の家から見たらどんな家もきれいに見えると思うけれど、私がみてもこんな綺麗になっている家は珍しいと思う。
兄嫁が数年前になくなって一人暮らしの兄は、なにもすることがなくてねと言うけれど、私はなにもすることがなくてもこんなに綺麗には出来ない。

あまりにも他の兄姉私と違うので今日出た結論。
この兄は拾われっ子。
子供の頃、私は兄姉や母親にからかわれた。
「あんたはね(嬉しそうにここで誰もがニヤリと笑う)橋の下に捨てられて泣いていて可哀想だから、拾ってあげたんだよ」
「赤いおべべ着て泣いてたんだよ」
橋の下でないときは、近所の了源寺というお寺に場所が変わる。
半分は嘘だと思うのにもう半分はもしかしたらと、メソメソ泣き出す。
それを見て家族が爆笑。
とんでもない一家だった。

他の兄姉とあまりにも出来が違うので、今日出た結論は、実はこの兄が拾われた子で、私達ガサツ集団こそ本物の血筋であると。
そうでなければ話が合わない。
学問好きな母はもっと上を目指していたけれど、父が京都から手紙をよこしたのでつい結婚してしまってと言う。
亡くなる間際に「これで終わってしまうと思うと本当につまらないねえ」と言った。
子供がこんなにいなければ、自分の勉強が出来たのにと後悔の言葉だったかもしれない。
でも一人でも立派に育てたではないですか。
あとの5人はいらなかったらしいけれど。
私達クズもおこぼれだけど愛されて、曲がりなりにもお天道さまに顔向けできるほどにはまっとうに生きている。













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