2018年7月5日木曜日

OSK夏のおどり

私が35歳はとっくに過ぎているのはあまり知られてないようだけれど(笑)東海道新幹線が開通したのが私が大学生のとき。
音大のヴァイオリン科の2年後輩の新入生になつかれた。
彼女は関西の福知山線沿線に実家がある人で、入学してすぐに仲良くなった。
彼女が夏休みに自分の家に遊びに来ないかというので、図々しく滞在することになった。

初めて乗る新幹線。
新大阪駅でその人に会えなかったらどうしようとか、考えもしなかった。
前日電報を打っておいたので、必ず来るはずと疑わない。
今のように携帯もなかったので会えなければ一人で遊ぶつもりで。
新大阪駅で満面の笑顔で迎えてくれたので、本当に嬉しかった。
初めての大阪は人が溢れていた。
在来線に乗り換えるためにホームに並んだ。
彼女いわく「一番前に並んでいても座れると思ってはいけない。頑張ってね」
「え?どうして」
訊くまでもなく開いた扉から降りてくる人を押しのけて、私の周りの人達はさっさと電車に乗り込む。
降りる人が済むのを待っていた私は呆然として取り残された。
友人は笑って「ほらね」

そうこうして彼女の家にたどり着くと、シャキシャキのお母さん、大人しげなお父さん、後輩が一番貫禄があって、親戚筋の若い男性が車で方々連れて行ってくれた。
六甲の夜景が綺麗だったことを思い出す。
さんざんお世話になって、いくらなんでもそうそう長居は出来ないと思って数日後「そろそろ御暇します」と言ったら「あなた、まだ宝塚を見てないでしょ?あれを見るまでは絶対帰さない」とお母さん。
実はわたしはあの手の綺羅びやかなショウはあまり好きではなく、興味のひと欠片もなかったので内心困った。
でも1宿1飯どころか1週間ほども滞在して、ここで無碍に断るのは失礼。
期待しないで出かけた。

その頃男役では那智わたるというスターがいた。
その当時は会場はまださほど立派ではなかった。
ふ~ん、こんなものかと思っていたら、開演したとたん目もくらむような華やかな世界が広がった。
那智わたるさんは実に素敵で、あっという間に夢の世界へ誘われた。
終わってからぼーっとしていたら、お母さんが笑った。
私が乗り気でなかったのはわかっていたらしい。
「ほらね、きれいだったでしょう?」

数年前、私の古いお付き合いの歯医者さんが「冥土の土産に宝塚を見にいったけど、いやーきれいだったよ。でもお客さん女性ばっかり。恥ずかしかったけど、行ってよかった」と言って、それから間もなくお土産を持っていってしまった。

今日は宝塚ではなく、OSK日本歌劇団のレビュー、夏のおどりを見に行った。
階上の住人がチケットを2枚持ってきて、今日自分たちが行かれなくなったので良かったらどうぞと言うのでありがたく頂戴した。
近所に住む私の姉と行くことにした。
姉もこの類のものは初めてだと言うので嬉しそう。
2時間も前に家を出て、新橋演舞場の近くでお茶して。

会場はほとんど女性客、男性はと言えば奥さんに連れてこられたらしいおとなしそうなおじいさんばかり。
幕が開くと「きれい!お雛様みたい」と姉。
平安時代と中国と盆踊りと、ごちゃまぜの踊りと歌。
来るんじゃなかったと実は後悔して眠りについた。
会場は舞台効果のため真っ暗になる、私は眠るーとこういうわけで。
目が覚めたのは休憩時。
なんと35分も休憩があるのだ。
その間、食堂でご飯を食べる人や、座席でも飲食するひとたち。
ちょっと驚き。

2部は急に洋風になって、タンゴやバラードや寸劇など盛りだくさん。
このあたりから急に面白くなってきた。
流石に訓練されたダンサーたちの動きは素晴らしい。
いつも思うのはダンスの暗記はどうやってやるのだろうと言うこと。

私の初舞台は一人だけお客さんにお尻を向けてお辞儀をしてしまったという華々しい経歴で始まった。
ダンスやマスゲームはいつも惨憺たる結果となった。
だいたい人と同じように動けない。
歩いているうちに方向を見失う。
右だっけ左だっけ。
私が率いるチームは右往左往。あはは・・・

で、話は戻る。
見事なラインダンスや一糸乱れぬ動きはさすが、大変厳しい訓練の賜物なのだろう。
私は一糸乱れぬというときには非常に緊張する。
うっかり一糸纏わぬと言い間違えるのではないかと。

衣装は女子の好きなピンクやスパンコールでキラキラ。
最後に看板スターが巨大な羽根飾りを背中に付けて、階段を降りてきた。
この羽飾りのせいで、孔雀さんたちが一糸纏わぬ姿になったのではと心配した。
2部は本当に楽しく美しく、たいそう楽しかった。
男役の人たちが歌うときだけは少し声に無理があって気の毒。













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