2015年8月29日土曜日

ネコの避難所

昨日の夕方、うちの駐車場に放置してあった段ボールに、ネコが入っていた。
昼過ぎには入っていなかったと思う。
夕方の散歩から帰って、道路のゴミを掃いてごみ袋に入れようとしたときに、段ボールになにか黒っぽいものが入っているのを発見した。
覗いて見るとネコが寝て居た。
それもただ事では無いようで、覗き込んでもぴくりともしない。
初めは死んでいるのかと思ったけれど、呼びかけると少し頭を持ち上げてこちらを見た。

ああ、よかった、生きている。
しかし、安心したものの、良く見るとがりがりにやせ細って、鼻と口がどろどろに汚れて、毛並みも悲惨。
急いで家から餌を持ってきて目の前に置いても、口を付けない。
鼻が膿だらけだから、匂いが嗅げないのかもしれない。
それとももう余命が無くて、ここに死に場所を求めたのかも知れない。
とにかく、すぐに動物病院に連絡して、連れて行った。
車に乗せるとかすかに「にゃあ」と鳴いた。
獣医さんの治療を受けている間も、嫌そうにはするけれど逃げ出す気力はない。
とりあえず点滴と、低体温になっているので温めるようにして、一晩預かってもらう事にした。

私の飼っている猫たちは全部元ノラネコ。
どのネコも何故か私の家の前に来て、倒れていた。
どうしてここが避難所になったのかは知らないが、ネコの地域社会の情報網が張り巡らされているらしい。

目の前の道路にボロ雑巾が落ちているのかと思って良く見たら、息も絶え絶えのネコが蹲っているのだったり、歩いている私の目の前に飛び出してきてぱったり倒れたり。
ある日散歩に出かけ、いつもの道をちょっと逸れてみたら、おじさんに捨てられそうになって助けを求めているネコがいたり。

「どうしてこんな事になるのかしらね?」とヒゲの先生に訊ねたら「あそこに行けば助かるって言う情報網があるんだよ」
ヒゲの先生は亡くなって、今はその甥御さんの代になっている病院。
どこの動物病院もすぐに建物が立派になるのに、ここは何十年も古いまま。
決して流行っていないわけではないのに。
1度治療費が値上げされて「私は猫のためにもっと働かなくちゃならない」と嘆いたら、次の時には旧料金に戻っていた。

近くの立派な動物病院は、治療費を告げられて心臓発作を起こしかねないほどの高額。
それでも夜中に緊急の場合、そこしかないから涙を呑んで支払う。
あっという間に病院は増築された。
それがひどいと評判になって、ボランティアの獣医師が集まって、夜間診療所が出来て、行きつけのその獣医さんもそのうちの1人。

それでも24時には閉まってしまうから、その後は例の高額診療所に駆けつける。
動物も家族だから、総出で大きなワンちゃんを連れてくる一家もいる。
私も弱った烏を連れて行って、目玉が飛び出るほどの治療費を払った。
患者名を呼ばれた時が面白かった。
「**烏さ~ん」

今朝動物病院に電話すると、かなり状態は悪いと言う。
すぐに駆けつけた。
ケージの中を一目見て、これはもうダメと分かった。
沢山のネコを見送ったので、手の施しようがないのは明らかに分かる。
昨日は点滴をした後、トイレにも自分で行ったそうなので、ちゃん躾けられた飼猫だったと思われる。
のみ取り首輪もしていた。
それがどうしてこんな状態で私の家の駐車場まで来て、段ボールに入れたのかは謎。
歩く事も出来ないのに。
誰かが捨てていったのかも知れない。
捨てるならもっと早く捨ててくれれば、手の施しようもあったのに。
病院のケージの中で行火を入れてもらって温められていた。
せめてもの最後の幸せになれば良いけれど。

死ぬことは必然だから可哀相とは思わないけれど、飼い主に捨てられたのだったら不憫でしかたがない。

































2015年8月26日水曜日

自然の響き

ルオムの森の洋館でのコンサートは無事終った。
この洋館は木と漆喰で出来ているために、音がとても円やかで良い響きがする。
ガラス窓からは活き活きとした緑の木々が見え、まるで北欧に来たような雰囲気がする。
と言っても、まだ北欧には行ったことがないけれど。
ルオムというのはフィンランド語で、自然に学び自然に従う生き方だそうです。

ここのスタッフ総出で、今回のコンサートに協力してくれた。

都内を10時に車で出発、14時からの練習に臨む。
ピアノの調律を念入りに行った。
古いヤマハのピアノで、ここ5年間調律をしていないという。
それでピアニストがとても心配していたけれど、ピアノそのものはアップライトでもかなりグレードの高い物と思われる。
触ってみるといかにも音の良さそうな硬くて重い木が使われているようで、鳴らし始めている内に見る見る音色が良くなっていく。
ピアノもこの日を待っていたのかもしれない。
3時頃もう一度調律師が来て、調子を見てくれた。

2階では私たちの仲間の、人形作家の保坂純子、織物作家の小形桜子、画家の福間順子の3人展が開催されている。
そこにはお客さんが沢山来ていて、この3人がこの地域ですっかり根を張っていることがうかがえた。

練習が終ると3人展の人達と、私たち演奏者が一緒に食事、小形、福間ご両人の素晴らしい料理をいただいた。
その夜はルオムの森の姉妹キャンプ場のスイートグラスで人形作家の保坂純子さんの作った人形で、人形劇が行われた。
時間前から大騒ぎの子供達。
開場するとキャンプ場から来た観客が、続々と入ってくる。
人形劇が始まると、すっかり劇中に溶け込んでしまった子供達が、興奮して人形に返事をしたり。
主人公のカエルさんが他の動物に話しかける。
「ねえねえ、ネコさん遊ぼうよ」
すると子供達が「やだっ!遊ばない」なんてヤジを入れる。
大人は爆笑。

30分ほどで劇は終わり、宿泊場の、のんちゃん山荘へ帰宅。
その日は少しお喋りして就寝。

次の朝は追分にある、ヴィオリストのKさんの家で練習をさせてもらった。
ネコが5匹いて、私には天国だにゃあ~。
しかし、ネコたちにはとんだ災難で、コントラバスのゴウゴウ、ヴィオラのボーボー、ヴァイオリンのキーキー、それにピアノのキンキン。
きっとそんな風に感じたと思う。
匍匐前進でノソノソ逃げ出す子や、押し入れに隠れる子、其処いら辺を逃げ回る子・・・アハハ、ごめん。
ネコの聴覚は人間の何倍も敏感だから、さぞ、辛かったことかと同情した。
そしてネコの災難は間もなく終り、2時からルオムの森で本番が始まった。

お客さんは都内からも地元からも沢山来て下さって、満員になった。
満員と言っても会場が狭いから、数十人。
今回のプログラムは、非常に珍しいコントラバスとヴィオラのデュオなどがあって、それがすごく受けた。
自己満足だけど、変化があって本当に面白かった。
前半は弦楽器の2重奏で構成、後半はピアノ、ヴァイオリン、コントラバスのソロと全員の演奏。
日頃、沢山のコンサートに行っている人達も、こういう珍しい名曲を聴けて、とても満足した下さったようだ。
終ってからの拍手が温かく盛大だったのが、本当にうれしかった。

終了後、いつもはあまり褒めてはくれない人から「イヤー、今日は良かったよ、久しぶりに感激しました」とお褒めをいただいた。
特にコンバス、ヴィオラの音はこの会場に良く似合う。
外は少し雨模様なのに、自然素材の柱や壁のお陰で、湿度がちょうど良くコントロールされる。
楽器も部屋もお互いに喜んでいるようだ。

終ってからオーナーから来年も・・・との言葉。
嬉しい。

今回、演奏に参加してくれた4人は、本当に良く練習につきあってくれた。
かつて同じ釜の飯を食べた気心知れた仲間だから、私に言いたい放題言われても、嫌な顔一つせず、何回も練習を重ねてくれた。
今回は3人展のお祝いのための演奏だったけれど、全力投球での協力に感謝したい。
どんなに小さいコンサートでも、私たちにとってはどれも一緒。
どんな時にも手を抜くことは出来ない。

コンサート終了後はルオムの森のスタッフ心づくしのお料理をいただいた。
スタッフの中にフィンランドに6年暮していたという若い女性がいて、ここルオムの森に初めて来た時に、まるでフィンランドに来たように思ったという。
そのくらい雰囲気が似ているそうなのだ。
ピアノソロにシベリウスの「ロマンス」を入れたのは大正解だった。

先々月この会場を見に訪れたとき、コンバスのHさんが、ここならシベリウスの曲が合っているよねと言った。
それを受けてピアニストのOさんがすぐに曲を探して、今日に間に合うように練習してくれた。
そのへんの連係プレイの早いこと。
会場にこの曲が鳴り響いた時に、なんてぴったりの選曲なのかしらと、感心した。
素朴な木と漆喰の部屋、木で出来た楽器類、これだけ揃えば、響きは想像して頂けると思う。
部屋自体が楽器と共に鳴ってくれるから、反響板もマイクもいらない。
弦楽器奏者にはとても有り難い会場だった。

























2015年8月24日月曜日

女性の鑑

日テレ24時間テレビ、DAIGO頑張りましたね。
お陰で時間通り家に戻る事が出来た。
これがランナーが遅れて時間内に戻ってこないと、あと30分延長になる。
何回か、そんなこともありましたっけ。
DAIGO君は見かけによらず、骨があるのに感心した。
優男は内心が強いのかもしれない。

優男と言えば、私の知り合いに大変嫋やかな男性がいた。
言葉遣いから動作の隅々まで、エレガント。
皆、彼の事を「女性の鑑」と呼んでいた。
ネコが好きで6匹のネコを飼っていたけれど、ある日の夕方宅配便のお兄さんが荷物を届けにきて、暗闇に光る12コの目玉を見て階段を踏み外したという。

仕事仲間だったので、一緒に一つの譜面台で弾いていたことがあった。
リハーサルの終った楽譜のことで、彼が私に訊いてきた。
「練習が終った譜面は譜面台に載せておく?それとも下に置く?」
私は考えもしていなかったから「そんなこと、どっちだっていいじゃない」ぶっきらぼうに言うと「どっちだって良いじゃないわよ
叱られてしまった。

少し太りはじめた頃言われた。
「あのね、nekotamaはテレビにも写るから、太ってはだめよ
「テレビ映りが悪くなるでしょ」
太らなくてもテレビ映りは悪いのに。
「美容院は雨の日に行かない方がいいのよ」等々。
言葉はおねえでも芯は強い。
その彼には彼氏がいて、と言うのは聞いたことがある。
私は時々そういう趣味の男性に好かれる。
私がそんなことなーんにも気にしないところが、かれらにとっては楽なのかと思っている。

私たちの業界の良い所は、人と違っていることで苛められないことかな。
人と自分は違っていて当たり前。
かなりおかしな服装で行っても、誰も気にしない。
だから男性が女性の鑑であっても、だれも気にしない。

さて、これから軽井沢方面へ向かって出発します。



















2015年8月23日日曜日

シューマン「ピアノ四重奏曲」

今日24時間テレビの仕事が終ると、明日から軽井沢。
厳密に言うと北軽井沢なので、本物の(?)軽井沢族に言わせると、あそこは群馬県で軽井沢の内には入らないということらしいけれど、随分肝っ玉の小さいこと!
お金持ちはゆったりと「よきにはからえ」と言ってれば人間の株が上がるのに。

明後日がルオムの森の本番で、モーツァルトなどを練習しないといけないのに、いつも本番が迫ると楽譜を見るだけで気分が悪くなる。
そして本番とは関係の無い曲が弾きたくなる。

今朝は、9月に本番があるシューマン「ピアノ4重奏曲」を引っ張り出して弾き始めた。
シューマンは私の好みの上位にランクしている。
特に歌曲はブンダーリッヒの甘い歌声に痺れながら、どれほど聴いたことか。
もちろんフィッシャー・ディスカウもペーター・シュライヤーも。

ピアノ四重奏曲は、その前に書いた5重奏曲よりも、私の印象では歌曲的。
5重奏曲は、よほど力を入れて書いたとみえて、構成も立派で本当に名曲ではあるけれど、どちらが好きかと言われれば、私は4重奏曲が良い。

シューマンが自分のありったけ好きなものを集めて、書いたみたいな気がするので。
特に3楽章はチェロとヴィオラの美しい旋律に、心は天空を舞う。
多少5重奏曲よりも地味なのか、演奏が難しいのかわからないが、比べると四重奏曲は演奏される回数が少ないかもしれない。

5重奏曲は何回も何回も演奏したので手の内に入っているけれど、4重奏曲は3回くらいしか弾いていない。
まだ納得出来ない箇所だらけ。
それも1回はヴィオラを弾かせてもらった。
この曲ならヴィオラを弾かにゃあ損損。
今回はヴァイオリンなので、ヴィオラの一番良い所に来たら、ヴィオラ弾きをステージから蹴落として・・・・あな、おそろしき執念じゃ。
そのヴィオラの一番良い所のヴァイオリンのオブリガートも素敵で、ああ、どちらも弾きたい。
手が4本あったらいいのに。
欲張りなのだ。

午前中弾いていたら良い気分になってきた。

ところで軽井沢の分を練習しないと、本番になって「しまった」と思っても遅いから、これから出かけるまでは弾いておかないと。

さて、DAIGO君は9時までに走りきれるだろうか。
頑張れ!
























2015年8月22日土曜日

裏方さん

私たちが気持ち良く仕事が出来るのは、ステージの裏で働いている大勢の裏方さんのお陰。
今日は日テレ24時間テレビのサウンドチェックと音録り。
武道館のステージにぎっしりとオーケストラが入るので、以前は狭くて、プレーヤーがひしめいていた。
ちょっと外に出たくても気楽に譜面台の間を抜けることが出来なく、身をよじって「すみません、すみません」と謝りながら通った。
帰って来た時も又謝りながら、自分の席までたどり着く。

今年は随分広々としているなあと思った。
それでもプレーヤーの数が減ったわけはないから、なにか大きな舞台装置が片づいたのかと思った。
しかも譜面台に各自補助の譜面灯がついている。
明るくのびのびした環境になって、以前よりずっと疲れない。
たぶん譜面台が変わったからだと思う。

こういうことも裏方さんのお仕事。
毎年プレーヤーがステージを苦労して上り下りしているのを見て、配置を換えてくれたらしい。

演奏がしにくいとプレーヤーから注文が出る。
狭い、ライトがまぶしい、音が聞き取りにくい、譜面が見えにくい等々。
プレーヤーは音を出すのは自分たちで、万一環境のせいで音の間違いをしたらいけないから、当然注文が厳しい。
それでリハーサルの時には、数々の注文が出る。
それを一々聞いて、次の音出しにはちゃんと直してくれている。
しかも自分たちは表に出ないから、上手くいっても褒められるのはプレーヤーだけなのだ。
自分の仕事に誇りをもっていても、時にはやりきれないこともあるに違いない。

随分前の紅白歌合戦。
本番前日の舞台でのリハーサル、その日どうしても舞台装置の転換が間に合わないことがあった。
10人位の大道具さん達が、私たちの乗っている雛壇を20秒くらいで舞台袖まで押して行かなければならない。
ところがその転換がどうしても秒数内に収まらない。
人が20人も乗って居るから、楽器を含めて100~150キロ以上の重さがある。
雛壇そのものの重さもあるから、どの位重いか見当もつかない。

壇の下には小さなキャスターがついているだけ。
それをたったの20秒でしかも安全に転換しないと、次の場面に間に合わない。
何回も練習したけれど、ついに一度も成功せず、本番を迎えた。
押してもらう方の私たちは、気の毒でならない。
出来れば降りてしまいたいけれど、そうもいかない。

そして迎えた本番。
大道具さん達の精気が漲っているのがわかる。
次々と問題をクリア、そして例の転換の場面へ。
その時のすさまじい集中力は、上に乗って居る私たちにも伝わって、見事に時間内に転換が終った。
成功した瞬間、プレーヤーからも賞賛の拍手が湧いた。
してやったりという満足そうな大道具さんの顔。

以前本場ニューヨークのブロードウェイから「ウエストサイドストーリー」がやってきて、オーケストラピットで伴奏をしていたときのこと。
楽譜が大きくて少し譜面台からはみ出している。
それでも私たちはこんなものだと気にもしていなかったのだけれど、ニューヨークの裏方さんは一つ一つ丁寧に譜面台の上に板を置いてくれて、楽譜がはみ出さないようにしてくれた。

常々思っているのは、あるコンサートに関わった人達は、表も裏も全員名前が出るといいのにということ。
映画の最後に、監督から衣装の人や特殊技術の人まで名前が出るでしょう。
あんな風に。
実際にはそこまでは出来ないけれど、私たちがあるのはバックステージの方々の力があることを、知って頂きたい。






















2015年8月21日金曜日

気にしなければいいけれど

数日前に書いたノラネコのこと。
どうにも気になって見つけた場所、近所の学校の校庭を覗くクセがついてしまった。
今朝も寝不足のふらついた足取りで、学校の周りをグルッと回ってみると、もう1人挙動不審な人をみかけた。
フェンスの間から手を入れて、なにか白く見える物を差し込んでいる。
もうその時点で、私の同類であると嗅ぎ取った。

あらまあ、先客が。
やはり動物の好きな人は沢山いて、ノラを哀れんで餌をやっているところだった。
それは私が見た、あのノラ。
ノラネコに餌をやってはいけないという条例を作った、都市もあるようだ。
それではどうやってノラ達は生きていくのか。
誰かが手を差し伸べなければ死んでしまう。

地域のネコとして、可愛がってあげられないものなのか。
雀や烏と違って、そこいらへんに沢山いる虫などを食べるワケではない。
大体、飼い猫を捨てる人がいるからいけないのであって、ネコが悪いわけじゃ無い。
嫌いな人や、糞の害を受ける不愉快さもわかる。
それでもネコが悪いワケではない。

トルコに行った時、道ばたに沢山ネコが座っていて、それをヒゲ面の大男が優しくなでて通る。
見ていると何人もの人達が、通りすがりになでていく。
ネコもいじめられていないから、安心して寝て居る。
カナダではアライグマが、人通りの多い公園の道ばたの水たまりで洗い物をしているのを見て、仰天した。
人もアライグマもお互い気にしない。
リスが悠々と道を横切っていく。
インドでは、牛と犬と猿と、そして人が同じ所で寝て居るのを見た。
犬猫が人を恐れるのは、日本が一番激しいのではないかと思う。

公園で男の子が理由も無く、ネコに石を投げているのを見た。
激怒した私は男の子の首根っこ押さえて「何故石を投げるの?あのネコが君に何か悪いことをしたの?」と言うと、その子はビックリして考えている。
「してない」と言うから「それでは石をぶつけるのはやめなさい」と言って解放したけれど、なんで動物を見ればいじめる人が多いのか、理解に苦しむ。
子供が鳩やネコを追いかけ回しているのを、親がニコニコしてみている図もしょっちゅう見かける。
そう言うとき、親の前で子供を叱ったりする、いやなおばさんをやらなければならない。

日本人は礼儀正しく規律を守り清潔と自負しているけれど、こんなに動物をいじめる国民は、世界でも少ないのではないかしら。
駐車場に通ってくるノラは出来れば保護したいけれど、触らせてもらえない。
今朝ノラが餌を食べ始めた時に、食器の位置を変えようと手を出したら、とられると思ったのか、向こうからも手が出た。
引っかかれると一瞬思ったけれど、ちゃんと爪は引っ込めていた。
賢いね、ノラ。

公園でいつも見かけるノラの黒猫の姿が、ここ2日ばかり見えない。
餌をやる人が来なくなったか、他の人に注意されたか、いつもそんなことをクヨクヨ心配する。

人との付き合いの苦手らしい人が、毎日アパートの脇の空きスペースで、ノラらしい白猫と一緒に座っている。
その人も自宅に居づらいのか、毎日そこにペタンと座っている。
その横にいつも白猫がいて、その猫は一匹の時は警戒心が強いのに、その人といる時にはゆったりくつろいでいる。
その人は口がきけないのかもしれない。
私が話しかけると、少し怖い目で睨むようにこちらを見て、返事もしてくれなかった。
いつもネコと2人、静かに過ごしているけれど、そのうちきっと口やかましい人が出てきて、追い払われるだろうと予想している。
なんの邪魔にもならないのに、必ず五月蠅い人が出て来るから。

あれやこれや、心配の種は尽きない。





















スニーカー

左足のくるぶしが痛いので運動不足になっていたけれど、いつまでも痛いからと言って運動しないわけにはいかない。
人生のフィナーレを楽しく生きるためには、こんな痛みに気をとられてしたいこともしないで生きるのは、我慢出来ない。
それで痛かろうが何だろうがズンズン歩くことにした。

それで関節が悪くなったら、治療に消極的な医師も考えてくれるだろうというのがねらい。
レントゲンをとってみたら、くるぶしの関節の軟骨がすり減っているという。
治療法は痛み止めと湿布のみ。
そんなばかな。
痛み止めは飲みたくない。
それで、これからの人生、どうやって生きろというの。
歩く事も出来なければ、年寄りは家でじっとしていろと言わんばかり。

それで痛かろうがなんだろうが・・・と先程のフレーズが出る。
そして、毎日無理矢理歩いていたら、あら不思議。
日を追う毎に痛みが少なくなってきた。
そうなると歩く楽しさ倍増。

私の前世はムカデだったかもしれない。
靴が大好きで、足が2本しかないのに、うちの玄関は靴だらけ。
クローゼットの中も靴だらけ。
夜な夜な靴のネット通販のカタログを、目をらんらんとさせて覗いている。
今年に入って、くるぶしの痛み用にスニーカーを買う事にした。
スニーカーは運動用のものはごつくて色が派手すぎる。
オシャレで機能的なもので、カジュアル過ぎない物をと探していた。
そして見つけたのはイタリア製の革のスニーカー。
つい浮かれて、同じメーカーの物を3足も買ってしまった。
なんでも気に入ると、色違いや型違いをまとめて買ってしまう。
すごく気に入って玄関に置いたら、来る人毎に「素敵な靴ね」と言ってくれる。
やはり良い物はすぐにわかるらしい。
それもオシャレな人は、すぐに気がつく。

足が痛かったお陰で、素敵な靴に巡り会えた。
ほらね、人生すべて塞翁が馬でしょう。

身の周りの余計な物を捨てて、シンプルに生きようという風潮だけれど、私は無理。
ときめかない物は捨てなさいと言われても、ときめいたから買ったのであって、それを着ようが着まいがこちらの勝手。

物を捨ててスッキリと暮らせる人はそれでいい。
物に囲まれて一日中捜し物して、気がつくと日暮れ時、今日も1日ムダにしたと思っても、それがどうした。
別に悪くないと思うけど?
頭悪いと言いたいのだろうけれど、それがなにか?
それより、自分の考えを人に押しつける人の方が嫌。

本当に頭の良い人なんて、世界に一握りしかいない。
あとはドングリの背比べ。

簡潔に暮すのも乱雑に暮すのも、人それぞれ。
ゴミ屋敷の住人は、周囲からかまわれるのが嬉しいのではないかと、密かに思っている。
あれは本当に近所迷惑。
あれほど他人に迷惑掛けなければ、私だったら余計な口出しはしないと思うけれど、目の前の家があんな風だったら、きっと鬼の形相で怒鳴り込んでいくと思う。
それほど人は身勝手。
物を捨てないのがまるで罪の様に言うのは、やめてほしい。
私はガラクタに囲まれて、すごく幸せに暮しているのだから。






























2015年8月19日水曜日

さんちゃん

毎朝散歩の途中で立ち寄る場所は、小さな公園。
公園と言っても低めの滑り台が1台だけの、ほんとにせまい場所。
そこの前のお宅で飼っている子が、さんちゃん。
立派な茶トラの雄ネコ。
ほかにミルクティー色の雌ネコ、脚の先が白くてブーツを履いているような雄ネコ。
この3匹はとてもおとなしくて、人に馴れて居る。
その家は車道に面していて、3匹はその道に寝そべったり、知り合い、例えば私なんかが通ると愛嬌を振りまきに出て来る。
私が呼ぶと道を挟んだ公園まで出てきて、一緒にあそぶ。

さんちゃんは最近なんだか元気がない。
前は木に駆け上ったり、猫じゃらしを追いかけ回したり、とてもやんちゃな子だったのに。
身体も大きく毛艶もよく穏やかで誰にでも懐いて、近所の人達に愛されている。
少し元気がないのは、この暑さと年をとったせいで、涼しくなれば元気になるかもしれない。

今朝、さんちゃんのママが自転車の前でなにかしていた。
近づいて挨拶をして「ネコさん達は?」と訊くと、自転車の籠に乗っていたカプセルの様な物の蓋を開けた。
そこから首を出したのは、さんちゃん。
「今病院から帰ったところなの」
病院?病気だったのかしら。
さんちゃんママは「怪我をして菌がリンパに入って腫れ上がっているの」と言う。
激しい痛みがあるらしい。
「首のリンパの所にグリグリがあって、薬で抑えているけれど、一生治らないそうで痛み止めを使っている」と。
可哀相に、立派な体格だったさんちゃんがやせ細って、それでも私を見ると遊ぼうとしてカプセルからスルリと飛び降りてきた。
しばらく地面に横になって、ゴロゴロ寝返りをする。
この子は後ろ足が力強くて、両足を持つと、強いキックが出る。
その反動で身体がグイーンと、ロケットの発射みたいに進む。
今日もネコキックを何回かやってくれた。

さんちゃんママは相手がネコなのに、声をひそめて言う。
「もしかしたらガンの一種で、もう治らないかもしれないので、痛み止めを使っているの」
まだ14才、うちのたまさぶろうの5才も年下なのに。
毎日この子に会うのが楽しみだった。
呼ぶとトコトコついてくる。

この家に入ったのはさんちゃんが3番目、他のネコから拒否されながら、そのうち一番のリーダーとなったのは、その大らかな性格のせいらしい。
ミルクティー色の子は、中々馴れない。
私は常連さんだからもうお許しが出て、ナデナデさせてもらえるけれど、普段はとても警戒心が強いらしい。
もう一匹の雄はあまり人付き合いは良くないけれど、時々耳の後ろをなでさせてもらえる。

さんちゃんみたいな立派なネコさんが病魔に冒されて、だんだんやせ細っていくのは、見ていてつらい。
ただの夏ばてかと思っていたのに。
さんちゃんママの心痛の色を見て、うちのたまさぶろうの老衰で枯れ落ちていくような最後を思い出した。
動物を飼っていると、こうした病気や事故などに遭遇したペットが必ず出て来る。
それを見ているのは本当につらい。
人間だっていつかは病気になるけれど、苦痛を訴えることが出来る。
治療も選べて、今どき、かなり高い率で病気は治る。

痛いとも言えずじっと我慢する動物は、不憫。
病気でも何物も恨まず、蹲って声も立てない。
自然に逆らわず、運命を受け入れる。
でも、これが人間を含む動物の、真の姿。
私たち人は、なんでもやりすぎているかもしれない。
























2015年8月18日火曜日

賑やかなリハーサル

今日、美女たちが我が家に集結。
今月25日のルオムの森でのコンサートのリハーサル。
そのメンバーときたら、全員スキーのベテラン揃い。
スキー仲間の「雪雀連」のメンバーだけで、こんなコンサートが出来てしまう。

若い頃は皆勢いが良くて、ゲレンデをかっ飛んでいた。
いつもは志賀高原、海外はカナダやアラスカでも一緒に滑った。
国内外を飛び回り、コンサートを数多くこなし、ファッショナブルで素敵なお嬢様だった人達も、今や黄昏時・・・いや、失礼!円熟の境地に入った。
今でも皆格好良いのは変わりない。
自立した女性であっても家庭を守り音楽を愛して、多少の事ではびくともしない度胸も具えて、幸せそうに生きている。
それぞれ山あり谷ありだったけれど、乗り越えて掴んだ人生は盤石の重み。
ここまで来ると、何が起きても「えーい!矢でも鉄砲でも持ってこい」と開き治ることが出来る・・はず。
私は出来にゃい、ゴロゴロ。

だから、私は楽器を手にすると急に気が小さくなる。
こんな曲選んだけど、指はちゃんと回るだろうか、会場の照明が暗くて楽譜が良く見えなかったらどうしよう、往きの高速道路は渋滞しないだろうか、リハーサルに遅刻したらどうしよう、等々。

血液型はO型。大雑把で親分肌の割には気が小さく、心配性。
当たっているじゃないの。

私の仲間達ときたら、休むことを知らない。
リハーサルといえども火花が散る。
貴女たち、真面目過ぎない?
ノラリクラリやりましょうよ。
それでも、そういう性格でなかったら、ここまで現役でやってこられなかった。
今回のコンサートは本当は3人の友人達の展覧会の添え物として、1人でお気楽に演奏する予定だった。
ところが周りに声を掛けたら、あっという間に集まってくれた。
それで、大まじめに練習をすることになってしまった。
何事もいい加減に出来ない性格の人達が集まったものだから、耳の後ろ掻いて誤魔化すことも出来なくなった。
あ~あ。誤算!涼しい軽井沢でヘラヘラ弾いて、美味しいご飯を食べさせて貰って、ちょっと感謝されてなんて呑気に考えていたのに。
こんな大汗かいて、生真面目に練習するとは。

練習後はお決まりのお喋りとなる。
これだけ集まると、本当ににぎやか。
枯れ木も山の賑わい・・・あら、又失礼なこと言ったかしら?

残り物かき集めて、スペイン風のオムレツを作る。
ジャガイモを茹で、タマネギと豚肉を炒めて卵を流し込む。
そこでちょっと秘策が。
山芋が残っていたので、すり下ろして卵にまぜてみた。
牛乳や片栗粉の替りにつなぎになってくれる。
ふわふわして美味しいオムレツになった。

それにアイスヴァイン、骨付き豚肉の身を剥がした後、残った骨は茹でてスープにすると美味しいダシが出る。
明日はそのスープで野菜を煮てみよう。

サラダが3種類。
おむすびと焼きたてチーズパン。
茄子の煮浸し。
ノンアルコールのビールを飲みながら、豪華なランチになった。

お茶の後はメールアドレスのやりとりで、一斉にスマフォが出て来る。
山の賑わいの枯れ木たちは・・・失礼!熟女達がスマフォを手にラインをしている光景は、今どきの若者達のよう。
少しも難しげでなく、スイスイ使いこなす。
出来ないのは私だけ?おやおや。































2015年8月17日月曜日

展示会のガラス

天才数学者アラン・チューリング伝を読んでいる。
字が小さい、ページ数が400ページ越えで、それが2巻まであるという長編。
2巻目は予約してあるけれど、まだ手元にない。
目の悪い私にはとても読み切れまい、又積ん読の仲間入りかと思っていたら、実に面白い。
筆者(アンドル-・ホッジス)の力もあるかもしれないけれど、チューリング自身がそれほど人間として面白かったのかと思う。

チューリングは第2次世界大戦中、ナチスドイツの暗号を解いてイギリスを戦勝国に導いた。
彼は天才数学者として暗号解きのスタッフのリーダーになる。
そのために、ある器械を作り上げた。
それが今のコンピュータの基礎となるものだった。
暗号は苦労の末解けたものの、解いたことをナチスに悟られると作戦を変えられる恐れがあるため、それをひた隠しにする。
すべての作戦を知っているけれど、全部の戦いに勝ってしまうと暗号を解いた事がばれてしまう。
敵だけでなく味方も欺かなくてはいけない。
それで、その内のいくつかはわざと攻撃を受けて、まだ暗号が解けていないと思わせなければならない。
当然味方が戦死する。暗号解きのスタッフの身内も。
その間のチューリングの苦悩。

その上彼はホモセクシャルで、当時はそれは罪に値したために罰を受け、薬での治療を強いられる。
天才的な頭脳の持ち主であっても、生き方は不器用で、他人との付き合いはうまくいかない。
その後、彼は自殺してしまう。

ニュートンやダーウィンにも比すべき英国の天才の名は、国家によって隠蔽されてしまった。
しかし、2011年、オバマ米国大統領によってその名前が明らかにされ、功績を賞賛されている。
そんな時代でなかったら、その後も生きて数々の業績を打ち立てたかも知れない。
科学の進歩にどれほど貢献したことか。

こんなエピソードが。
 アランがパブリックスクールの寮の監督生だったとき、下級生にビクター・ビュッテルと言う少年がいた。その少年の父親のアルフレッド・ビュッテルは照明の研究をして1927年「K光線照明システム」で特許をとる。
絵画やポスターに均一に照明を当てるのは難しいらしい。前面のガラスを湾曲させて、上につけた照明の光が反射して、均一に広がるように工夫する。問題はガラスの湾曲度を出す公式をどうやって見つけるか。
アランはその公式を直ちに導き出し、更にガラスの厚さによっては2次反射を起こす問題を指摘。
これに依ってガラスの湾曲度を変える必要があることを証明した。
数式が物理で実際に使えることはアランにとって大変喜ばしい事だった。

展示会などで何気なく見ている額縁のガラスにも、アランの数式が含まれていようとは想像もしなかった。

そういえば私は、画家さんから譲って貰った絵を、部屋に飾るために苦労したことを思いだした。
それは4号大の人の顔の絵。
どこに飾っても、ガラスに天井の蛍光灯が反射して、上手く見えない。
とうとうかなり壁の下の方に、直接蛍光灯の光が反射しないように掛けるしかなかった。
幸い私は小さいから、私の視線のすぐ下になるけれど、大柄な人ならかえって見にくいかもしれない。

ほんの些細なことでも難しいことがあるのだと思った。
科学を志す人、そうでない一般の人もすでにこんな知識はもっているかもしれないけれど、私の様な畑違いの仕事をやってきた者にとっては、なにもかも目新しく思え、感動する。

よく学校の勉強を馬鹿にする人がいる。
数学なんかやっても、実社会では何の役にも立たないとか。
役に「立たない」と「立てられない」は大きな違い。
「立てられない」人はほっとけばいい。「立てられる」人は人生がどれほど豊になることか。

すごく憧れるけれど、私も「立てられない」くち。
普段はマニュアルも読めないほどの、器械音痴。
まあネコだからと、いつも逃げ道は用意してあるのが、こす狡い。



















2015年8月16日日曜日

ノラネコ

夕方散歩に出たら一匹のネコを見てしまった。
黄昏時のボンヤリした光の中でも、そのネコが弱っているのが見てとれた。
近所の中学の校庭のフェンスの中。
チッチと舌をならすとこちらを向いた。
薄明かりの中で目が白く濁って見えた。
あれ、もしかして目が悪くて動きがとれないのでは?
学校は今お休みだし、広い校庭を突っ切って行く勇気は無かった。
それに学内に勝手に入ってはいけないのではないか。
表に回ってみても、事務所らしき所に明かりはついていない。
学校は無人だと、とても恐ろしい。
その中学校はとても敷地が広く、途中で見とがめられて騒ぎになるのも嫌だし。
グズグズと決断出来ずにいた。

次の早朝、昨日見かけた場所を覗くと、勿論いつまでも同じ所に居るわけはない。
見当たらないので、校外に出たと思われた。
それで行き過ぎようとしたら、いた!
サッカーのゴールらしい器具が校庭の片隅に折りたたまれている所に歩いて行って、こちらに背中を向けてじっと広い校庭を眺めている。
その日は大気が不安定で、午後から雷の予想。
でも私は朝から出かけなければいけない。
保護しようにも時間がない。
無事を祈って、出かけた。

そして今朝、同じ場所を見たけれど見当たらない。
今度こそ見つけて保護しようと思って、校舎の外側をぐるりと回った。
何回も金網越しに覗き込み、立ち止まってじっと奥を覗き込む。
人に見られたら不審者だね。
もし今日事件が発生したら、私の容貌、風体、憶測年齢などがテレビで放送されるかもしれない。

目撃者(49才男性)の談話
「その人は小柄で、帽子を目深に被っていたから顔はよく見えませんでした。たぶん口元のシワから見て、90才は越えていると思いますよ。帽子の陰からギョロッと見られた時には震え上がりました。相当凶暴な様子で。ええ、無事で良かったです。捕まったらなにされたか」なんて。
アナウンサー
「ご無事で良かったですねえ。あの辺は山姥がいるので有名ですから。たしか猫田魔さん(年齢推定100才)とかいう」

学校の周りをグルッと回って一番最後に、いた。
毛並みはボソボソ、痩せこけてだるそうにコンクリートの階段に寝そべっていた。
呼んでも来るわけないから、これは餌で釣るしかない。
急いで家に帰ったけれど、そこで10分のロス。
餌を用意して自転車を飛ばして、それで10分。
計20分くらい経ってしまった。
息せき切って駆けつけたけれど、すでにネコの姿は消えていた。
私がやたらと話しかけたのがいけなかったか。

それともみすぼらしいけれど、近所の飼い猫なのか。
夕闇で見た目の白さは錯覚で、ちゃんと目は黒々としていた。
私が1人で想像して、勝手に可哀相なノラネコに仕立て上げていたのかもしれない。
校庭に閉じ込められてファンスから出られないのではと心配したが、門は目の粗い金属の門扉。ネコなら悠々と出入り出来る。
広い校庭でゆっくり孤独を楽しんでいたら、へんなおばさんがうろうろして、うるさいったらありゃしない、とネコが言ったかどうか。

この時点で会えなかったから、もう心配するのはやめて、これが運だったと諦めよう。
実は目が悪いのではと思った時、先日死んだ我が家の守りネコ、モヤのことを思い出してしまったので、つい夢中になってしまった。
モヤの目は小さい頃の眼病が元で白濁して、片目は殆ど視力が無かったようなのだ。
ふと、モヤと同じだと思い、保護しなければと夢中になった。

ネコは家に閉じ込めて幸せに暮らせる者もいるけれど、生まれながらにノラだったら、下手すると幽閉されたと思うかも知れない。
やたらに手出しをしてはいけないと、亡くなった獣医のヒゲ先生から言われた。

きっと又明日も探しに行くと思うけれど、ノラを保護する前に私が通報され捕獲されてしまうかも。















2015年8月15日土曜日

くにたちの会

毎年8月14日は「くにたちの会」
国立音大出身の弦楽器のある世代が集まって、コンサートを行う。
私たちの4年ほど先輩のヴィオラ奏者の滝沢達也さんが中心となって始め、その世代の少し上、少し下の世代が集合する。
滝沢さんは残念なことに数年前に亡くなって、最近は若い人が後を受け継いでくれている。

中心人物が日フィルのヴィオラ奏者だったから、ヴィオリストと日フィルが多いけれど、他にN響、東京都響、東フィル、読響、東響など、オーケストラ団員もしくは元団員が毎年集まってくる。
来年は大阪フィルからも参加が予定されている。
曲はブラームス「弦楽六重奏曲1番」
最近は皆年をとって、「元」団員の数の方が多くなってきた。
最高齢83才の三宅さん、毎年参加、今年も素敵な音を聴かせてくれた。
特にヴィオラ、チェロは人の声に近く、心を癒やしてくれる。

曲目は皆自分が弾きたい曲を持ち寄ってだから、様々なソロやアンサンブル、時によってはいきなりその場で組み合わせて演奏することも。
私はピアニストのSさんとフォーレ「ソナタ」
出演者が多く、他の人の演奏を聴いている内にくたびれて、いつも集中しない。
リサイタル前の肝試しに弾く人もいる。
現役バリバリのプロはもとより、しばらく演奏から離れていた人や、他の仕事に就いてしまって楽器を弾くのは久しぶりと言う人も。
子育てが終って、又演奏に専念出来るようになったと言う人などもいて、演奏レベルは色々。
他の音大だったら「あんなに弾けなくて良く出るわねえ」なんて悪口言われそうでも、くにたちなら絶対そんなことを言う人はいない。
それがそもそも国立音大が生ぬるいと言われる所以なのだが、それがこの音大の優しさ、包容力のある人達を育んで来た。
悪く言うと「くにたちボケ」良く言えば・・・うーん。

他の音大出身者によく言われる。
大学では皆ライバルだったから、友達なんていなかった。
私の友達はくにたちの人が多いのよ、と。
私も他の大学に行ったら潰れていたと思う。
楽しんだ分、あんまり上手くはならなかったけど。
それでもプロとして活躍している人は、他の大学に比べて少ないわけではない。
とても協調性があるのが、仕事場で役に立っているようだ。

コンサートが終るとお決まりの国立駅付近の「天政」で宴会。
ここからが面白い。
楽譜がドンドン出てきて、組み合わせも色々、その場でアンサンブルが始まる。
ピアニストを気の毒に思うのは、生真面目にいつも1人で弾いているのに、我々弦楽器奏者はいつでも楽器で遊べること。
2人揃えばすぐにアンサンブルが出来る。

私は学食の奥を占領する管楽器グループに入り浸って、毎日アンサンブルをして遊んでいた。
飽きると一緒に落語を聞きにいったりして、面白い学生生活を堪能した。
その延長が「くにたちの会」
来年も8月14日、駅近くのさくらホール。
お暇な方は是非ご参加下さい。

私は相棒のSさんが超まじめなので、本気で練習しないと怒られる。
それで私の最大限の真面目をかき集めて練習した。
あちらの隅、こちらの陰に隠れている真面目君は中々出てこない。
いつでも巫山戯る準備だけは出来ている。
それでもフォーレは一筋縄でいかないから、いつものおふざけはやめて真面目になりましたよ、ええ、そうですとも。
実は本当に気が小さくて、とても緊張し易いので。























2015年8月12日水曜日

パラドックス

知れば知るほど知らないことが増えるというのが、最近の実感。

音大附属高校から音大へ、そのままオーケストラへ。
殆ど一般教養を身につけないで社会人となってしまった。
音大を卒業する頃、まさか自分の技術が世の中に通用するとは考えていなかったので、もう一つ普通の大学に行くことに決めて、色々探していた。
母にそのことを話したら、激怒された。
「一つの事もちゃんと出来ないで、あちこちやってもしょうがないでしょう!」
6人もの子供に十分な教育を受けさせ、やっと最後の子が大学を卒業してやれやれ、これでやっと楽が出来ると思った矢先、もう一つ大学とは。
親の心子知らずとはこのこと。

しかも私の専攻は専門職になるしかないので、その上一般の学科を受けても無意味であると考えたと思う。
これが音楽で海外留学とでも言うなら、無理してでも行かせてくれたかも知れない。
ところが、教育大とか、早稲田とかとか言い出したから、なにをかいわんや。
これは兄嫁の影響。
次兄のお嫁さんは物理学の修士号を取った後、他大学で国文学、更に別の大学で心理学、という勉強大好きな人。
私にも色々情報を教えてくるから、私もおっちょこちょいにも、それに乗ってしまった。
それでも私がどうしてもと言えば、母はいつも協力してくれたと思うけれど、あまりにその時の怒り方が激しかったので、2度と言い出す勇気は無くなった。
幸い、音大在学中から進路は決っていたので、他の大学の夢は捨てて無事にオーケストラに入れた。

ところがその後、放送大学という通信制の大学が創設された。

その頃、私は少し健康を害していた。
仕事が忙し過ぎるので、ストレスと免疫力の低下から、様々な問題が出てくるようになった。
それでヨガの体操を始め、その関係から瞑想の訓練を受け、やっと自分自身に戻ったような気がした。
そして、ずっと以前からの一般教養を身につけたいという考えが、頭をもたげてきた。
そして知ったのが放送大学。
さっそく入学した。
このことはもう何回も書いているけれど・・・

通信制だから、ビデオやラジオ放送で授業が受けられる。
好きな時間に勉強が出来る。
一部はスクーリングを受けないと単位がもらえないこともあったけれど、なんとかなるだろう。
ただし、仕事優先。
仕事が入ったら学校は後回し。
それで試験もスクーリングもうけられず、度々単位を落としたことも。

物理学の実験授業で、毎回受講申し込みをしているのに現れない私は、先生の疑問の対象だったらしい。
「また、先生が貴女のことを言ってましたよ」と他の受講生から聞くこともあった。
先生は「この**さんはどうして来ないのでしょうね、一体どんな方なんでしょうね」と不思議がっていたそうで、私が初めて受講出来たとき、私の周りをグルグルまわっては「やっと来てくれましたね」とたいそう嬉しそうだった。

それですぐ名前も覚えてもらって、とても親切に教えてもらえたのは怪我の功名だった。

しかし、入学当初は読み慣れない教科書、知らないことだらけで先に進むことも出来ない。
初めてのテストを受けたとき、あまりにも回答が出来なくて涙がこぼれた。
白紙に近い解答用紙を目の前にして、書けないから時間が余って、それでも30分経たないと外へは出られない。
見事に単位を落とした。 
大学で数学を専攻した人が、私の教科書を見て驚いていた。
「なんでこんなに難しい事を」
私は一般の教養の知識がないから、こんなものだと思っていたけれど。
放送大学は入学するのは簡単、卒業はたいへん。

家にいて勉強しようとしても、電話や雑用で集中出来ない。
それで漸く一念発起して、時間が空くと学芸大学にある教室に通い、勉強した。
諏訪にある大学まで宇宙時間に関する集中講義を受けに行ったら、大歓迎を受けたことも。
一つ自慢させて貰っていいかな。
相対性理論と力学で、満点を取ったことを。
それまで新聞の科学欄など、全く読めなかったにしては、上出来でしょう?

宇宙像の変遷の単位は、テスト4回目にやっと受かった。
3回続けて落ちて4回目、もうダメかと諦めてリラックスして受けたら合格!
必死で勉強した成果がやっと現れたのか、又はリラックス効果だったのか、その辺がはっきりしない。

仕事優先だから、仕事が試験日にぶつかったら仕事をとる。
それで他の人の倍くらい、時間と授業料をムダにしたと思う。
最初から卒業は10年目と決めていたけれど、最後の1単位の不足が期限ギリギリの10年目。
これで落ちたらもう一回やり直さないといけない。
それで、絶対安全圏である(はず)の音楽で試験を受けることにした。
バッハのマタイ受難曲を受講。

放送大学は普通の学生とは違う、毛色の変わった人も受けにくる。
それが専門家だったりすることもあって、講師も油断できない。
私はどうも胡散臭かったようだ。
講師が訝しげに質問してくる。
楽譜を熱心に見てもいないのに、質問すると即座に正解する。
これはあやしい。
近くの席にいた男性が、他の人に言っている。
「ヴァイオリンを弾く人は首に痕がつくんだよね」
シッ、余計な事を。

問題なく単位ゲット。
卒業式は仕事と重なって欠席した。

この大学で学んだことは常識程度の事かも知れないが、私にはなにもかも新鮮で、本当に行って良かったと思う。
今まで自分がどれほど常識がなかったか、いやというほど思い知らされた。
それまで新聞で絶対に読まなかった科学欄なども、読めるようになった。
井の中の蛙で非常に生意気だった私が、すっかり謙虚になったことが最高の収穫。
読書量が多かったので雑学の知識は豊富だったけれど、基礎的な知識が欠けている。

初めて天文学の教科書を開いたとき、最初から単語がわからない。
日本語で書いてあるのに外国語の、しかも全然知らない国の言葉の様だったのを、鮮烈に思い出す。
あの時の衝撃は、大人のはずの自分が全くの子供だったことを思い知らされた瞬間だった。

それ以後は知れば知るほど、知らないことが多くなっていく。
音楽のことだって、まだ何にも分かっちゃ居ない。
永久に続くパラドックスの林に、迷い込んでしまったようだ。




















































2015年8月11日火曜日

足が痛くても口は達者

私はたいそう早歩きのほうで、若者の多い澁谷の人混みは苦手。
若者がダラダラ歩くのを見ると、蹴飛ばしてやりたくなる。
澁谷のNHKの仕事に行く時に、女性チェリストに会った。
同じ仕事だと言うので並んで歩いていたけれど、彼女がすごく足が速い。
あの大きな楽器を小脇に抱え、スタスタと歩いて行くので遅れまいとこちらもせっせと歩く。
途中で息切れして、ついて行けないから先に行って貰おうと立ち止まると「あのー、お急ぎですか?」と訊かれた。
「別に急いではないけど、もしお急ぎならお先にどうぞ」と言った。
すると彼女も「nekotamaさんがとても早く歩くので私も一生懸命歩いたのです。これ以上早く歩けないので先に行って貰おうと思って」
2人で立ち止まって大爆笑。

その私も一緒に歩くと小走りになるくらい、足の速い人がいる。
いつもならついて来ようが来まいがとっとと歩かれるのに、今日は珍しく「早すぎますか」と訊いてくれた。
おや、珍しいこと、どうした風の吹き回し。
きっと、昨日のnekotamaを読んでくれたのでしょう。

足首の痛みは時々良くなったり悪くなったり。
それでも容赦なく歩く事に決めた。
この後の生活が足の痛みなどで制限されては、たまったものではない。
いつかは足首の人工関節も出来る事を期待して、どのくらい我慢出来るか試してみようじゃないの。

森下洋子さんというバレリーナがいる。
彼女はバレリーナの平均年齢をはるかに超える年齢。
バレエは美しくゆったりと踊っているように見えて、激しい運動量であることは知っている。
なぜかというと、生涯1度だけバレエ教室にいったことがあるから。

ある年の「雪雀連」の忘年会コンサートで、チャイコフスキーの白鳥の湖から「四羽の白鳥」を踊ろうということになった。
身長のバランスから、小柄な4人の(元)美女が揃い、その中に私も組み込まれた。
どうせやるならちゃんと習おうというので、谷桃子バレエ団に習いに行くことになった。
メンバーの中に谷先生の教室の知り合いがいたので、そういうことになった。
お年を召してはいたけれど、往年のプリマは気品があって美しく、杖をついて私たちの練習に立ち会って下さった。
まず、立つ姿勢は上から糸でつり上げたようにと言われる。
そうすると腹筋がしまって、きれいに立てる。
なるほど。
そこまでは良かった。

練習は谷先生のお弟子さんが担当してくれて、いざ練習が始まると最初の4小節でもう息切れ、8小節でバタバタと床にへたり込む。
「四羽の白鳥」は運動が細かく早いので、プロのバレリーナでも相当きつそうに見える。
オケピットでバレエの舞台を見ていると、この曲が終るとステージの上の4人が肩で息をしているのを良くみかけた。
その頃は他人事だから、ふーん、大変なんだなんて思っただけだった。
いざ自分が踊ってみると、それはもう、大変どころの騒ぎではない。
「ちょっと休憩」なんて言って勝手に座り込む。
ふだん訓練していないのだから仕方がないとしても「雪雀連」の中には元バレーボールの日本代表選手だった人も居て、年の割には皆激しい運動をしていたからもう少し楽だと思っていた。
私もその頃にはアイスホッケーのクラブに入っていて、スティックを振り回して氷の上を走っていたのだから、踊る方がよほど楽だと思っていたけれど、とんでもない誤算。
私は結局その忘年会には仕事の都合で出られなかった。

後で聞いたら四羽の白鳥は大変評判が悪く、それを見たためにしばらく食事が喉を通らなくなったり、悪夢に悩まされた人が続出したという。
出られなくて良かった!

それで話しは森下さんに戻る。
彼女は普通のバレリーナ年齢をはるかに越えてなお、プリマとして踊っている。
数年前にプロコフィエフ「ロミオとジュリエット」を見に行った。
いつもは仕事としてオケピットで見ているのに、その時は客席で姉と一緒に観客の1人として見た。
森下さんのジュリエットは本当に10代の少女のようで、休憩になったとき姉が「森下さんはいつ出て来るの?」と訊いたくらい。
「ジュリエットがそうよ、さっきから出てるでしょう」と言ったらビックリ仰天していた。
彼女の年齢まで踊れるというのは驚異で、たぶん満身創痍、体中が痛いにちがいない。
リハーサルの時、彼女がステージで動かなくなり、じっと痛みを堪えている姿を何度も見た。
それでも彼女は何かに突き動かされるように、踊り続ける。
本番での素晴らしさは、そんなことを一切感じさせない。
あれから数年、私もバレエの仕事はここ最近していないし見に行ってもいないので、まだ彼女が踊っているかどうかはわからない。

と、ここで強引に私の話に戻る。
足が多少痛かろうが、手はまだ動く。
バレリーナでなくヴァイオリン奏者で良かった。
手が痛くなったらヴァイオリンをやめるだろうか?
案外、頑張ってしまう方かもしれない。
口が痛くなったらお喋りでなくなるかしら。
いや、それは絶対無理。
痛くても痒くても、死ぬ直前までしゃべっていると思う。
そもそも、このブログが私のお喋りなんだから。
























甘やかしてはイカン

かなり人間が古びてきているので、身体のあちこちに故障が起こる。
今現在は右太ももの痛み。
その前は左足首の痛み。
その前は左膝の痛み。
と、よくもまあ、これだけ連続するものだと呆れた。
考えれば、一箇所痛いところがあるとそこを庇って身体のバランスが崩れ、他の部分に転移していくのだから仕方がない。

右膝が痛かった頃はヒアルロン酸の注射で凌いだ。
膝に注射をするのはとても痛いけれど、あっと言う間に終るからさほどのことはない。
5回セットで1週間毎に注射すると、5回目くらいには痛みは消える。
しばらく安泰ということになる。

膝の調子が良くなって張り切って歩いたら、今度はくるぶしが痛みはじめた。
少し無理をしてしまったかなと思ったけれど、病院のレントゲン撮影で、足首の軟骨がすり減っていることが判明した。
ここも膝と同じように注射で治せるかと思ったけれど、足首の治療法は湿布と痛み止めしかないそうで、結局レントゲンを撮っただけで手の施し様がない。

しばらく歩くのも控え、湿布をしていじけていたけれど、考えたらこれから死ぬまでの歳月を足が痛くて歩けない状態で送りたくはない。
痛さになれるのも一つの手だから、痛くてもおかまいなしに歩く事にした。
早足でとっとと歩く。
腫れてくる。
お構いなくとっとと歩く。
腫れる。
なお、とっとと歩く。
おや、腫れが少なく・・・なったかな?
なおも歩く。
腫れが無くなってきた。
しかも痛みも少なくなってきた。

そして今足首は軽く痛みが残っているものの、殆ど治ってしまった。
そのかわり、そこを庇うからか、太ももが痛い。
構わず歩いていたら、少し痛みがおさまってきた。
要するに、痛いからといって動かさないでいるのは最悪。

私のやる気喚起法は、道具から揃えること。
馬に乗るときは一式全部鞍まで揃え、ダイビングの時にはドライスーツまで作り、筋トレの時にはトレーニングウエアからシューズまで、どうかと思う程派手な物を揃えた。
それで今履いているウオーキングシューズがへたってきているので、新しい靴をと探しているけれど、まだ良い靴が見付からない。
だからまだやる気が起きない、というのは口実。
この連日の暑さではねえ。
それでも朝夕2回、散歩を欠かさないようにしている。

三浦雄一郎氏がエベレスト史上最高齢で登った記録を作ったとき、なんてまあ無謀なと思っていた。
年取ったらおとなしくしていればいいものを。
あ、怒っちゃいけませんよ、猫の言う事なのだから。
それでも訓練の日々の記録を見て、人間何歳になっても進歩があるのだと、ほとほと感心した。

年をとると、自分を甘やかす。
年なんだから無理しちゃいけない、と。
最近は、私もヴァイオリンの練習は程々にしている。
前日あまり弾きすぎると疲労で、次の日音が出ない・・・と思っていた。
しかし、八ヶ岳音楽祭で飯守泰次郎氏の精力的な練習に付き合って思ったことは、なんだ、やれば出来るんだ。
朝から夜まで、食事の時間を除いて一日中弾いて弾いて、これでは本番に使い物にならなくなると思っていったら、何のこと無くクリアできた。
しかも達成感があって充実した3日間だった。

少し無理だとおもっても動いた方がいいのだ。
と、思ってもにゃあ、猫は常に安楽を好むのですよ。
















2015年8月10日月曜日

ドキドキ

8月25日のコンサート

北軽井沢の少し分かりにくい場所にある、ルオムの森。
こんな所では偶々そこに居合わせた人達が聴いてくれるくらいで、他にお客さんはいないと思っていた。
展覧会の添え物として、ちょっと軽い気持ちで弾くつもりだったのに、どうやらお客さんが集まりそうな雰囲気になってきた。
本当に軽い気楽な気持ちで始めたら、とんでもないことになりそうな。

今日ヴィオラのKさんがモーツァルトのデュオを合わせに来て「Yちゃんも聴きに来るって」と言うではないか。
Yちゃんは某オーケストラの優秀なメンバー。
えっ、誰が教えたの?と言ったら、だってIさんと仲良しでしょう、だから。
Iさんは今度ヴァイオリンとヴィオラを持ち替えで弾いてもらう予定の、スキーの名人。
しまった、もう後には退けない。
メンバーは全員「雪雀連」のスキーの仲間。
だから、それ以上世間には広まらないと思っていた。
身内だけでヘラヘラして、遊ぼうと思っていたのに。
刺身のツマが急に刺身に昇格したみたいな気持ち。

その他にも現地に電話したら、あの人もこの人もと、かなりの人数が聴きにきてくれるらしい。
なんて物好きな・・・あ、失礼。
ありがとうございます。
それで、なんだか急に緊張し始めた。

その前に国立のさくらホールで、フォーレを弾かなければいけない。
これもかなりやっかいな曲なので、まだ思い通りにはいかない。
それが終ったら次の練習に入ろうと思っていたのに、早々と取掛からないと間に合わないかも。

プログラムを考える時には、そのコンサート全体の背骨をイメージする。
今回は弦楽器のデュオを中心にしたけれど、やはりピアノがないと締まらない。
それでピアニストのOさんにお願いしたら、彼女は大喜びで引き受けてくれた。
初めは簡単な短い曲をと思っていた。
でも顔ぶれを見ると、それだけではこのメンバーは勿体ない。
段々本格的になってきて、チラシにはミニコンサートと書いてあるものの、立派なコンサートプログラムになってしまった。
しかも、遠い所からも来てくれる人達がいるのだから、気楽では済まされなくなった。
ただ、ピアノはアップライトしかなく、コンディションが心配。
ピアニストはどんなピアノに当たるか分からないので、本当に気の毒だと思う。

楽しみ半分、ドキドキ半分。
もうやるっきゃないのだから、火事場の馬鹿力で乗り切る(れるかなあ)つもり。
人のひそやかな楽しみをのぞきにくるとは。
いやだいやだと言いながらお客さんが居ないとやる気なくす。
これは心底出たがりやなのかも。

とかなんとか、言いながらここで宣伝。

        8月25日(火)14時開演
         ルオムの森洋館2階
           入場無料

  トレッリ      2つのヴァイオリンの協奏曲
  モーツァルト    ヴァイオリン、ヴィオラの2重奏曲
 ディッタ-スドルフ  ヴィオラ、コントラバスのソナタ
  シベリウス     ロマンス     ピアノソロ
  ドヴォルザーク   ユーモレスク   ヴァイオリンソロ
  サンサーンス    象        コントラバスソロ
  シューベルト    鱒より第4楽章  ピアノ5重奏曲

めったに聴く事のできないコントラバスソロや、ヴィオラとコントラバスのユニークな組み合わせなど、非常に面白いプログラムであると、自画自賛しております。
一つお断りしておきますが、当日チェロ不在のため、鱒はヴィオラでチェロパートを弾いてもらう事になりました。
中々見ものだと思いますよ。

なんだかんだ言って、結局お客さんが多ければ多いほど張り切ってしまうので、どうぞ貸し切りバスを仕立ててお揃いでお越し下さいませ。

「古典音楽協会」の記念すべき定期演奏会で、サントリーホルが満員になったことがあった。
ステージに出て行った瞬間、2000人のお客さんが入っている壮観さに、胸が高鳴った思い出がある。
本当に嬉しかった。
だって、こんなに沢山の味方がいるのだと思ったから。
私の室内楽リサイタルの時には、東京オペラシティーのリサイタルホールが満員となった。
嬉しくて小躍りして出て行った。
みんながこちらを見てニコニコしている。
こちらもニコニコして初っぱな、ミスってしまったけど。
本当に楽しいコンサートだったと皆に言われたけれど、本当の事言えば、聴いている人よりも弾いている私の方がもっと楽しかった。
すみませんね、料金いただいて自分が楽しんで。
でも、今回は無料ですよ。

コンサートの宣伝ばかりではいけません。
   メインは 人形、織物、油絵の三人展
     こちらは8月20日から31日まで無休 
     10:00~16:30 ルオムの森洋館2階
          入場無料

   人形作家の保坂純子さんの動物たちの人形劇
     8月24日(月)Sweet Grass
                     28日(金)キャンプ場イベントハウス
                    31日(金)ルオムの森洋館2階
          いずれも開演19時30分

     お問い合わせ ルオムの森
      〒377-1412
               群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢1984-43
                                  ℡0279-84-1733
           http://luomu-mori.com/


























2015年8月9日日曜日

競争意識

私は生まれが大所帯育ちの猫族だから、非常に独立独歩。
人と競争しようという意識はまるでない。
スポーツ中継を見ていても、日本が勝とうが負けようが、少しの興味もわかないし、歯を食いしばって走って居るのを見ても、あまり感動はしない。
時にはオリンピックで日本と外国が競り合って、日本が勝つと、ヤッター!と思う事もあるけれど、基本的には勝負事はあまり興味がない。
そして自分も人と自分を比べることはまず無い。

ところが、人からターゲットにされることがあまりしばしば起きるので、不思議に思う。
ある男性の噂をしていたところ、私よりずっと知的な人だと思っていた女性から「貴女には負けないわ」と言われて仰天したことがあった。
だいたい私は、その男性のいやに権威主義なところが趣味ではなかったし、一度も好きだったこともないのに。
なぜか、彼女にライバル視されていたことが、その時判明した。
彼とは、お付き合いしたことはない。
ただ1度だけ我が家に遊びに来たけれど、その他大勢と一緒。
なんだかキツネにつままれていた。

そしてある時、友人達が集まってワイワイやっていたときのこと。
ある女性が突然私に言うには「私はオーケストラでは、お給料が特別だったの」と得意げに言い始めた。
「あら、そうなの」
「そうなの、**万円だったの、他の人には言うなと言われていたけど」
あのー、私も同じ額だったのですけど。

かつて、オーケストラの契約更新の時に、団長と1人1人面談の上でお給料の話し合いをする。
それでお互い納得すれば、更新するというシステムだった。
その時の団長はやり手で「貴女は特別にお給料がいいから、他の人に言ってはいけないよ」みたいなことを言って、単純な人は喜んで更新するけれど、私たち同期の桜はみなそれを見抜いていた。
部屋から出て来ると「ねえ、いくらだった?なんだ私といっしょじゃない」と笑い会う。
「特別だって言われなかった?ああ、やっぱり」とか情報は筒抜け。
けれど、先程の女性はあまり親しい人もいなかったので、そういう話しは聞いてなかったとみえる。

その女性は何故か私に付きまとって、私のすることなすことマネをし始めた。
自動車免許を取ればすぐにとりに行く。
車を買えばすぐに買う。
とにかくウンザリするほど私のマネをするから、あるときついに切れて、その人が買ってきた、私が持っている毛皮の襟巻きとそっくりな物を放り投げて縁を切った・・・つもりだった。
もうウンザリ!
しばらく疎遠になっていたのに、なにやかやと電話してくる。
アンサンブルのお誘いを受ける。

私も好きな事だからつい一緒にアンサンブルを始めると、そのうち、
私を仲間はずれにして他の人達と陰でコソコソする。
私はもうこれで縁が切れたと思ってヤレヤレと思っていると、無視されるのは好きでは無いらしく、又すり寄ってくる。
なぜそうなのかと思っていたら、どうやら私は彼女のライバルらしい。
あちらが勝手にそう思っているだけで、こちらは誰のこともライバルと思ったことがないので、つい最近まで気がつかなかった。

そして先程の「私は特別」発言で、ほんとうに、うんざり。
ちっとも特別ではないのに、長年に亘って、この年になってなお、まだ競争心を持たれていることに、寒気を覚えた。
もう何十年も前の話なのにですよ。

そう言えば私がリサイタルもどきをした時も、間髪を入れずリサイタルをした。
しかもこちらはご招待しているのに、聴きにこない。
彼女のコンサートにはお知らせがあれば聴きにいくけれど、仲間の中に私の分だけチケットの取り置きがない。
当日売りを買ってはいると「来てくれるならご招待したのに」と必ず言う。
それが毎回毎回のこと。
知らされたら都合がつく限り、私は聴きにいくことにしている。
それが分かっているのに。

本当に申し訳ないけれど、もうごめんなさい。
私は貴女のことをライバルだなんて、一度たりとも思ったことはないのだから。
その人の方が容姿も良い、都内某所に立派なお家を持っている、ご主人は有名企業の人だったし、立派な息子さんがいる。
どこをとっても私よりも勝っていると思えるのに。

そういう私の態度にイライラするらしい人がまだいる。
知性のある人は上手く爪をかくすけれど、私はそのことに関して疑り深くなっているから、見逃さない。

なんでも物事、勝ち負けで競うほうがおかしいと、私は思っている。
本当に本当に、私は猫なのだ。にゃあ~、ほらね。
私は好きなときに好きなようにして、他人のことには無関心。
大家族で育ったから、人は皆立場が違うということが身にしみてわかっているのだから。
もう、ほっといてちょ~うだ~い。




























2015年8月8日土曜日

又又又・・・大公トリオ

これで弾くの何回目かなあ。
ベートーヴェンの「大公トリオ」
ベートーヴェンが公共の場で演奏したのは、これが最後の曲となった。
耳が聞こえなくなりはじめて他の人の音が聞こえず、ひどく乱暴な演奏となったために評判がわるかったそうで、それで引退となったのだろう。

耳が聞こえない不安感はいかほどのものだったかと、心底同情する。
それなのに、ちゃんと耳の聞こえる演奏者が相手の音を聞こうともしないという場合もあって、アンサンブルをするときはそういう人に悩まされる。

カルテットを弾いていて、ファーストヴァイオリンが間違えて1小節早く入ってしまったことがあった。
しかも本人はそのことに、気がついていないらしい。
1小節目と2小節目は同じ和音の繰り返しだから、間違えて入った様には聞こえないのが幸いだった。
その時私は第2ヴァイオリンを弾いていて、あっと思ってすぐに第1につけた。
チェロもすぐに気がついたのに、ヴィオラ奏者だけが悠々と我が道を行く。
和音が小節によって変わるので、音を聴いていればすぐにわかりそうなものなのに。
かなり先に行ってからやっと気がついたヴィオラさんは、ようやく本来の路線に戻ってくれたから事なきを得た。
その間数十小節。
どれほど周りを聞いていなかったのか、ということ。
全く意に介さないで、弾けるのも豪傑と言えるけれど。
ヴィオラ弾きはこういう性格だから、私はけっこう好きなのだ。

アンサンブルの練習では、まず相手の音を聴くことから始める。
だから初めての時には、自分の事がおろそかになってしまう。
聞き耳を立てて、相手のクセや演奏スタイルを感じ取る。
長年一緒に弾いている仲間たちは、その点安心して自分の事に専念できる。
誰がどうやっても、お互いにすぐに寄り添うことが出来る。
全く初めての人で、かなりユニークな演奏スタイルの人と弾く時には、馴れるまでは聴くことに専念する。

初めの内は、随分弾けないヴァイオリン弾きだなあと思われそう。
ようやく相手の観察が終ると、こちらもしゃしゃり出て行く。
その間の駆け引きが面白い。
色々な人がいて、様々な考え方があることが面白い。
気の合った仲間と弾くのもいいけれど、スッタモンダしながら新しい出会いを楽しんで、曲を作り上げるのも中々おつなもので。

自分も聞くけれど相手にも聞くことを要求するので、あんまり口やかましいものだから相手を萎縮させるのもしばしば。
立場が同じだといいけれど、かなり後輩だったりすると、なるべく優しく言ったつもりでも、相手はすくみ上がってしまう。
そのへんが時々やり過ぎて失敗する。
特に私は理詰めで畳みかけるので、ぐうの音もでなくなった相手に逃げられることも。

そんなことで今回の「大公トリオ」もピアニストが私よりもかなり若いから、言いすぎないようにと口にチャック。
チャックの隙間から文句がこぼれる。
口やかましい姑のような存在かもしれない。
それでも練習を重ねる毎に上手くなって、音色も曲想も変わってきた。
艱難辛苦汝を玉にす。
猫から文句を言われても、あまり有り難く聴く気はないかもしれないけれど。

と、偉そうに言って。
今日はこの後英語のレッスン。
何回教えられても発音を間違える私に、先生は呆れていると思う。
「ほら、なに聞いてるの。同じ事を何回も間違えて」とは言わないけれど。(私だったらそう言う)
ルース先生は私とちがって、すごく優しいのだ。
















2015年8月7日金曜日

蜘蛛の巣

今日で暑さはピークだと天気予報で言っていたけれど、あまりアテにはできない。
異常な暑さが続く。
間もなく氷河期に入るとか言う学者さんもいて、早く入ってくれれば私の大好きなスキーが毎日出来るのにと、呑気に考えている。
私の性格のいい加減さが、こういうところに出る。
世界的な猛暑だそうだから日本だけの事ではなくて、地球自体がどうにかなっているのだと思える。
将来どうなることやら、いい加減な頭で心配することも、たまにはある。
昨日ランチを食べて車に戻ったら、その一時間の駐車で車はサウナになっていた。

昨日の朝、車のフロントガラスが汚いから水を出してワイパーを動かしたら、その部分だけ明るくなった。
ほかの場所がひどく汚い。
良くみたら、蜘蛛の巣が至る所に張ってある。
ウインドミラーは立派な蜘蛛の巣。
フロントガラスには蜘蛛の子か卵か知らないけれど、蜘蛛嫌いが見たら悲鳴を上げるレベルの、蜘蛛の痕跡。
なぜこうなったかというと、うちの駐車場の蛍光灯は絶好の蜘蛛の住み処らしく、いつも巣があって、蜘蛛の子が生息している。
時々箒で払っていてもすぐに前と同じ状態になってしまうから、ムダな事をするのはやめて、蜘蛛さん達に安穏と暮して貰っている。

ほら、これを読んでぞっとして、少しは涼しくなったでしょう?
昨日外出したために、車の鉄板で焼かれて命を落とした蜘蛛さんもいたと思う。
気の毒な事をした。
それとも蜘蛛の子を散らすように逃げたかしら。

子供の頃は樹木の多い家で過ごしたので、至る所に蜘蛛の巣が張ってあった。
歩いていて顔が蜘蛛の巣に引っかかった時の嫌な気分ったら。
実体の無いものに絡め取られたような、振り払っても振り払ってもまとわりつくようなあの感触は忘れられない。

とにかくボンヤリしていたから、縁側で寝そべって雲を眺めているか、蜘蛛が巣を張っているのをジッと見つめているような子供だった。
蜘蛛さんが着々と巣を張るのは、まさに芸術的職人技。
虫は嫌いでも巣は美しい。
それに雨滴がついて雨上がりにキラキラ輝く様子は、本当に美しい。
虫をジッと見つめていて昆虫学者になったとか、雲や星を眺めて天文学者になったとか、建設的な結果は得られなかったけれど、きれいな物に吸い込まれるような気持ちが、のちの私を形成する原点になっているのかと思う。

特に音に吸い込まれていく感覚は、親に放置されてボンヤリするしかなかった、ムダとも思える時間が作ってくれたような気がする。
あの時間がなかったら、私はたぶん芸術は志さなかった。
今の子供達は一瞬たりともボンヤリしていられないで、可哀相。
次々に知識を与えられ、自分で考えなくても親がやってくれる。
でなければ、機械がやってくれる。
そうやって1秒たりともムダにしていないように見えて、人生そのものがムダになってしまいそうな気がする。
私もこのボンヤリが祟って、随分実生活では損をしているとは思うけれど、少なくとも猫のように気儘に生きていけるのが嬉しい。














2015年8月5日水曜日

今年も24時間テレビ

日テレの24時間テレビの仕事は、この放送が始まった初めの頃からのお付き合い。
途中、私も色々忙しく、出たり出なかったりしていたけれど、最近は又、古巣に舞い戻って毎年のように出演させて貰っている。
だから1年に1度だけ、同じ顔ぶれが揃うので、七夕様の織り姫、彦星のようだと言いあう。
織り姫も彦星も大分古くなったけれど、毎年の楽しみの一つ。

ガクタイはあまり年をとらない。
白髪や腰痛がでても、中身はやはりアホなまま。
この場合のアホは知能が足りないという意味ではなく、頭は皆平均以上に良いのだけれど、人間の成熟度が低い。
良く言えば、万年青年。
悪く言うと進歩がない。

唯我独尊、我が道を行く。
そうでないと、楽器を弾くなどと言うこんな七面倒くさいことをこの年まで、やってはいられない。

他の職業ならとっくに偉くなって、部下に仕事をやらせていられるのに、この仕事は自分で演奏しなければ、ギャラがもらえない。
実に進歩のない職種と言える。

22日23日の本番に向けての、リハーサルと録音が行われた。
久しぶりに録音スタジオに入って、次々と録音していくうちに勘が少しずつ戻ってくる。

スタジオプレーヤー達の初見力と応用力にはびっくりさせられる。
一回リハーサル、すぐに本番なんてことも多い。
一回のリハーサルで、音の間違いを見つけたり、難しい箇所をチョコチョコッと練習して本番に臨む緊張感に、中々私はなじめなかった。
私はステージの仕事が好きで、マイクに向かって弾くのはとても緊張する。
ほんの一寸したミスもマイクは拾ってしまう。
誰かがミスすれば、もう一度取り直し。
ミスをした人は自分のせいだから、大変恐縮する。

ある時テレビの仕事で、フルートを吹いていた人がどうしても上手く行かない箇所があって、本番前の休憩に入ると死にものぐるいでその箇所を練習していたのを見た事があった。
何回も何回も、自分のために時間をむだにさせてはいけないという思いで、必死になっている。
まわりの仲間達は「おい、あいつ死んじゃうぞ」と言うくらいに。
本番はどうにかクリア。
いつも陽気でバカばかり言っていても、心底真面目な人達なのだ。

ステージの演奏は、特にクラシックの場合だったら、練習を重ねて万全の態勢で本番に臨む。
スタジオの仕事はそうはいかない。
とにかくその場で弾けなければならないし、急に曲の調を替えさせられたりする。
それをスタジオプレーヤーたちは平然とやってのける。
その間の脳みそは、ものすごい勢いで回転する。
スタジオに行ったら否応なしに、それをしなければならないので疲れる。
よくアマチュアでちょっと上手に楽器を演奏する人が、自分はプロ並みみたいに勘違いしている人も多いけれど、現場に行ってお金を稼いでみると、途方もなく大変なことが良くわかる。
出来るものならやってごらんと言いたくなる。
1度で尻尾巻いて逃げだすから。

私も苦手ながら、スタジオに入ればもう逃げられない。
音を間違えないように、繰り返しを間違えないように、音程を正しく、ハラハラしながら仕事をする。
毎日これを職業にしている人達がいて、まあ、馴れてしまえばさほどの事はないのかもしれないけれど、時々行って仕事させてもらう私の様な立場だと、本当に緊張する。
学生時代からスタジオの仕事をしていたけれど、人には向き不向きがあって、私はどうしても緊張し過ぎてしまう。
それは毎日やっている人達も、本番は同じ気分だとは思うけれど、これを毎日続けていけるのはすごい!
とは言え、私も随分沢山稼がせていただいたけれど。
24時間テレビは幸いなことに、メンバーが親しいひとばかりで、さほど緊張もせず楽しい事の方が多い。

今年はDAIGO君がマラソンランナーだときく。
一見優男風だからちょっと心配してしまうけれど、結婚間近の恋人がいるそうだ。
そういう時、人はすごいパワーがでるからやってのけそうな。


























2015年8月2日日曜日

誰の恩返し?

鶴を助けると布を織ってくれる。
お地蔵さんに蓑傘を被せると、米俵が届く。
キツネを助けると、若い女性になってお嫁さんになってくれる。

さて、私は誰を助けたのだろうか。
助けられることはあっても助けることはないのに、我が家のドアノブには、今日もじゃが芋とジャムがぶら下がっていた。

姉がよく来て、私が留守の時には色々な物を置いて行ってくれるから、又そうだと思って御礼の電話をしたら「私じゃないわ」と言う。
それでは一階上の奥さんかと思って、寝込みを襲って聞いてきたけれど「あら、良かったですね。いいえ、私じゃありません」

良かったではない。
困っただわ。
もう1人の姉もたまに来て物を置いていくけれど、置き方が全く違うからすぐ彼女ではないと分かった。
一体だれが・・・

随分前のこと、やはりドアノブに大きな紙袋がかかっていて、中を覗くと版画が2枚入っていた。
齋藤清という版画家の、とてもきれいな猫の版画。
複製だとは思うけれど、木目調で色も私好み。
こんなことをする人はあの人に違いないと思って訊いてみたら、その人は全く知らないという。
それでは、この人?
友人知人の殆どに片っ端から聞いたけど、誰も自分ではないと言う。

まさかと思う人にも訊いてみた。
誰も知らないと言う。
悪いことではないから、届けた本人が否定するということは、考えられない。
ついにお手上げで、未だに犯人、ではない、奇特な人は分からない。

メモの一枚、メールの1本ももらえれば御礼が言えるのに。

ふーむ、もしかしたら、今まで世話をしたノラ猫たちが担いで持ってきたかも。
「にゃーんて重いんだ。よいしょ、こらしょ」なんて。

齋藤清美術館のサイトは「こちら

このページの上から2段目の猫と、もう一枚2匹の猫の絵が届きました。
その後も遇う人毎に訊いてもだれも知らないと言う。

ジャガイモとジャムの届け主もわからない。


















2015年8月1日土曜日

同級生のコンサート

チェロの藤沢俊樹さんが、長年ドイツで活躍していたヴァイオリニストの同級生とコンサートをするというので、聞きにいった。
限定70名の会場だから早くしないと席がなくなると言われたので、慌てて予約をしたら「いつも押し売りしてすみません」とメールが来た。
こちらもいつも楽しみにしているので、できる限り出かけていく。

今日の会場は成城学園駅から徒歩15分!距離にして1キロ。
この暑いのに。
しかも午後2時から!
一番暑い時間帯なのに。

写真を見ると、アーチ型の天井の高い、素敵なホール。
さぞや良い音がするだろうと思ったけれど、徒歩15分・・・
車で行こうかと思ったけれど、近くのコインパーキングからも少し距離がありそうなので、覚悟を決めて歩く事にした。

くるぶしが痛くて、最近は少し歩きすぎると腫れてくる。
それで良いスニーカーが欲しいと思って通販で買った物が、今朝タイミング良く届いた。
これに合わせたワケではないけれど、試着するとなかなか具合が良い。
くるぶしを保護固定するために、くるぶしの少し上まで届く長さで、紐で編み上げるようになっている。
綿の5本指のソックスを穿いて、しっかりと紐を結んだ。
足元はこれで万全。

電車のタイミングも良く、成城学園前駅にはすんなりと到着した。
さて、歩き出す前にオシャレなカフェでコーヒーを飲んで、一休み。

ジリジリと照りつける日差しの中を、やっとのことでたどり着いたら、靴を脱いで下さいですと。
キリキリと締め上げてきた紐を、ゴソゴソとほどき、おいおい、帰りが面倒だぞと独り言。
しかも中は5本指の綿ソックス。
少しオシャレしていたのに、足元がダサすぎる。
人生何処で何が起きるか予測がつかない。
これからは服も脱ぐ事を考えて、下着もラクダのシャツはやめよう。

   ヴァイオリン  初鹿野司
   ピアノ     初鹿野久枝
   チェロ     藤沢俊樹
   第2チェロ   和田達也

エックレス        「ヴァイオリンソナタ・ト長調」
ブルッフ         「コール・二ドライ」
ヘンデル         「2台のチェロのためのソナタ」
ヘンデル=ハルヴォルセン 「パッサカリア」
メンデルスゾーン     「ピアノ3重奏曲 ニ短調」

靴は脱がされたけれど、会場はとても素敵な教会の様なアーチの天井。
雰囲気のある音響の良い、中々こんな贅沢なサロンは見当たらない。
初鹿野さんは非常に豊かな音で、メンデルスゾーンの最終楽章は圧巻だった。
気心知れた同級生がこうして時を経て集い、年月の垣根を跳び越えてアンサンブルを楽しんでいる様子が、羨ましく思えた。
お互いベテラン同士、長いあいだ離れていても、あうんの呼吸がとれる。

帰りは玄関で靴紐と格闘して、5本指ソックスを隠すようにして履くのは難しかった。

それでも靴のお陰で、いつになくスタスタと歩けたのが今日の収穫だった。
つまらん収穫でごめん!