2015年8月7日金曜日

蜘蛛の巣

今日で暑さはピークだと天気予報で言っていたけれど、あまりアテにはできない。
異常な暑さが続く。
間もなく氷河期に入るとか言う学者さんもいて、早く入ってくれれば私の大好きなスキーが毎日出来るのにと、呑気に考えている。
私の性格のいい加減さが、こういうところに出る。
世界的な猛暑だそうだから日本だけの事ではなくて、地球自体がどうにかなっているのだと思える。
将来どうなることやら、いい加減な頭で心配することも、たまにはある。
昨日ランチを食べて車に戻ったら、その一時間の駐車で車はサウナになっていた。

昨日の朝、車のフロントガラスが汚いから水を出してワイパーを動かしたら、その部分だけ明るくなった。
ほかの場所がひどく汚い。
良くみたら、蜘蛛の巣が至る所に張ってある。
ウインドミラーは立派な蜘蛛の巣。
フロントガラスには蜘蛛の子か卵か知らないけれど、蜘蛛嫌いが見たら悲鳴を上げるレベルの、蜘蛛の痕跡。
なぜこうなったかというと、うちの駐車場の蛍光灯は絶好の蜘蛛の住み処らしく、いつも巣があって、蜘蛛の子が生息している。
時々箒で払っていてもすぐに前と同じ状態になってしまうから、ムダな事をするのはやめて、蜘蛛さん達に安穏と暮して貰っている。

ほら、これを読んでぞっとして、少しは涼しくなったでしょう?
昨日外出したために、車の鉄板で焼かれて命を落とした蜘蛛さんもいたと思う。
気の毒な事をした。
それとも蜘蛛の子を散らすように逃げたかしら。

子供の頃は樹木の多い家で過ごしたので、至る所に蜘蛛の巣が張ってあった。
歩いていて顔が蜘蛛の巣に引っかかった時の嫌な気分ったら。
実体の無いものに絡め取られたような、振り払っても振り払ってもまとわりつくようなあの感触は忘れられない。

とにかくボンヤリしていたから、縁側で寝そべって雲を眺めているか、蜘蛛が巣を張っているのをジッと見つめているような子供だった。
蜘蛛さんが着々と巣を張るのは、まさに芸術的職人技。
虫は嫌いでも巣は美しい。
それに雨滴がついて雨上がりにキラキラ輝く様子は、本当に美しい。
虫をジッと見つめていて昆虫学者になったとか、雲や星を眺めて天文学者になったとか、建設的な結果は得られなかったけれど、きれいな物に吸い込まれるような気持ちが、のちの私を形成する原点になっているのかと思う。

特に音に吸い込まれていく感覚は、親に放置されてボンヤリするしかなかった、ムダとも思える時間が作ってくれたような気がする。
あの時間がなかったら、私はたぶん芸術は志さなかった。
今の子供達は一瞬たりともボンヤリしていられないで、可哀相。
次々に知識を与えられ、自分で考えなくても親がやってくれる。
でなければ、機械がやってくれる。
そうやって1秒たりともムダにしていないように見えて、人生そのものがムダになってしまいそうな気がする。
私もこのボンヤリが祟って、随分実生活では損をしているとは思うけれど、少なくとも猫のように気儘に生きていけるのが嬉しい。














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