2021年6月27日日曜日

ノンちゃんの旦那様

ノンちゃんの最愛の旦那様、絵本作家の田畑精一さんを偲ぶ展示会が開かれているとご案内を頂いた。田畑さんの代表作は「おしいれのぼうけん」「ぴかぴか」「さっちゃんのまほうのて」など。

またしてもコロナ感染者が増え始めているのでいささか恐怖ではあるけれど、力強い我が仲間のコントラバス奏者のHさんとそのお嬢さんのYちゃんが行くというので、二人の陰に隠れるようにしていればウイルスにはとりつかれないだろうという非常に非科学的な 考えで行くことにした。池袋の会場に行く前にベトナムのフォーを食べていこうというからさっそく便乗することにした。なんでも大変評判の行列のできるお店らしい。お店が混んでいないといいけれど・・・

B1にあるお店は混んでいた。私達が食べ終えて店を出ようとすると階段の上まで行列ができていて外に出るのに一苦労。でもフォーはたいそう美味しかった。メニューは牛肉のフォーしかなくトッピングが選べるようになっている。卵やパクチーなど。もちろんパクチーは必須だけれど、随分あとまでマスクの中がパクチー臭くて参った。お腹を拵えてから行かないと途中で無気力になってしまうので、この順番は非常に良い選択だった。

池袋はもはやコロナの警戒の気配もない。人の波。隣の席でフォーを食べていた中国語を話す女性が大声で絶え間なく話しているのが怖い。でもワクチン2回めも終わったことだし、以前よりは多少安全かもしれない。

会場は丸善に隣接した道草というギャラリー。ゆったりとした空間の正面に田畑さんの大きな写真が飾られている。見れば見るほどハンサムで、いつも上等なものを好むノンちゃんの審美眼の正しさに脱帽する。気骨のある性格と京都大学の理学部という頭脳とこのお顔では、ノンちゃんが惚れ抜くのは当然のこと。ノンちゃんは夏はほとんど北軽井沢で過ごしていた。精一さんは都内でお仕事。時々北軽井沢の家に精一さんが見える日は、朝からワクワクと乙女のように待ち受けるノンちゃんは本当に可愛かった。

田畑さんの絵本は知っていたけれど、原画を見るのは二回目。絵本になってしまうと印刷の関係で色目が少し違って見える。けれど原画の色のなんと鮮やかなことか。精密な絵筆のあとを辿っていると、スーッと引き込まれそうになるくらいの奥行きを感じる。本当にうまかったのだと改めて感じさせられた。妥協しない性格がありありと見て取れる。息を呑むほどの美しさ。戦争を体験したことで、二度とあのような悲惨なことにならない世界を子どもたちに示したいとの思いから絵本作家になったという。単にかわいい子供向けの絵本とはすこし違う。私達すごい人とお付き合いしてたのねとHさんが言う。ほんとね、いつもスキー宿で飲んでる姿しか知らなかったものねと私。

雪雀連とはそういうグループなのだ。だれもが自分の自慢話をしない。だから彼らがどんなにすごい人達か数年を経てやっと知ることになったりする。黙々と細かい作業を積み重ねていく人たち、好きだなあ、こういう人たち。

昨夜メンバーの一人から電話があって、田畑さんの絵見てきたよ。彼はあんなにいい男だったんだねと。男性の目から見ても文句なしの美男子。そしてもう一人、先日人形作家の岡本喜八さんとアニメーショウと題して国立映画アーカイブで展示会が開かれた故岡本忠成さんのことに言及、岡本さんもすごくいい男だったんだね、あんないい顔しているのに気がつかなかったよとも言う。少し前に岡本さんのドキュメンタリーをNHKで放送した。それを見て私もそう思った。二人共なんといういいお顔なんだろう。スキー場で呑んだくれたり麻雀やっていたりするのしか知らないので、改めてお二人の仕事の素晴らしさを見せられた。

岡本さんの展示会で作業場の動画を見たら一瞬ノンちゃんが出てきた。いつものゆったりと微笑んでいる彼女とは全く違うプロの表情を見て、思わず涙ぐんでしまった。今日会場で田畑さんの近日発売のエッセイを買ってきた。次に北軽井沢に行くときに持っていって、庭の大木の下で眠っているノンちゃんに読んであげようと思っている。









2021年6月25日金曜日

雪雀連夏のコンサート

8月1日(日)午後2時開演


毎年北軽井沢で行われる北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルに参加し始めてから、何年経つのだろうか。雪雀連の会長の山田さんが軽井沢の家と東京の家と半々くらいに暮らし始め、コロナが流行り始めてからは殆ど軽井沢、私も仕事が減って北軽井沢に行かれる日が増えた。以前はほとんどの時間を自宅で過ごし、北軽井沢には一月のうち数日しか行けないことが多かった。この家を買って本当に良かったのかどうか自問したものだったけれど、今となっては正解だったと思っている。

今年4月からは隔週で行けるようになった。ウッドデッキも庭の奥の清流に向かって降りる階段も出来上がった。これから庭の整備をして、花を植えたいと思っている。森は自然のままにしておけばどんどん樹木が伸びてしまうので、一度人の手を入れたいと思っている。積もりに積もった落ち葉を一度吹き飛ばす、木の下枝を伐採するなど、少し大掛かりな清掃作業が必要になる。

ノンちゃんは本当に自然がなすがままにして森の景色を楽しんでいた。私も今の景色が非常に好きで、ここを受け継いだのだけれど、あまりにも花が少ないのが少しさびしい。もう少し華やかさがほしい。若い頃目のさめるようなオレンジ色のワンピースを着ていたら、他人から言われた。「本当に派手好きなのね」

こういうのを派手好きというの?とにかくきれいな華やかな色がすき。もっとも普段はブルーのものばかり身近に置くけれど。色を決めるのにまずはブルー、そしてグリーン、ピンクとかオレンジとかも。

ロンドンアンサンブルの人たちと箱根に遊びに行ったとき、ケーブルカーの信号を見て「なぜ日本人は信号の緑(グリーン)を青(ブルー)というのか、これは緑だ」としつこくチェリストのトーマスに絡まれたことがあった。彼らは曖昧なことは許さない。日本人はグリーンもブルー系として受け入れてしまう。国民性の違いを面白いと思った。

懐かしいなあ。ピアニストの松村美智子さんが亡くなって、アンサンブルは解散してしまった。毎年小田原公演だけ私がヴィオリストとして参加させてもらっていた。オーケストラの様々な曲を5人で演奏するように美智子さんの夫のリチャードさんが編曲して大わらわで演奏したものだった。人数が少ないからオーケストラの他の楽器の分まで弾かないといけない。難しいのなんのって、頭から湯気が出そうだったけれど、本当に面白かった。ロンドンアンサンブルはリチャードさんという有能な編曲者がいたからいいけれど、雪雀連の私にはそんな才能はない。だからチェリストのいない雪雀連はコントラバスが縦横無尽に活躍する。

チェロがいなくても、Hさんという女流コンバス奏者の草分け的存在がいるのでなんでもござれなのだ。私がオーケストラに入った当時、女性のコンバス奏者は数えるほどしか居なかった。その中でも颯爽と登場したのがイタリア帰りのHさん。彼女は結婚してお嬢さんが生まれ、スキーにアンサンブルにとずっと私達の仲間でいてくれた。チェリストを探すのもいいけれど、コンバスの魅力が十分に聴ける今のままの形態でいいのではと私は思っている。編成はピアノ、ヴァイオリン2本、ヴィオラ、コントラバス。実際海外ではこの編成の団体が活躍している。

今年のプログラムは

第一部  バロック音楽を楽しもう 

バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディなどを聴いてもらうことにした。ヴィヴァルディは2本のヴァイオリンのための協奏曲ニ短調3-11。テレマンのヴィオラ協奏曲は私がヴィオラで演奏させてもらうことにした。以前からこの曲が好きでヴィオラ奏者に弾いてもらおうと用意してあった楽譜を弾いていたら、こんなに素敵な曲を他人にとられてなるものか、自分で弾きたい!となって私がぶんどった次第。これはディレクターである私の役得なのだ。

第二部  様々なジャンルを楽しもう

バロックより近代に向けて進行。日本のうたなども含めてのリラックスタイム。電子チェンバロでヘンデルの調子の良い鍛冶屋、今までもよくプログラムに入れたロッシーニのソナタなど。私の独断と偏見に満ちたプログラムになった。実に素晴らしい曲ばかりなので、遠い北軽井沢まで来てくださろうという奇特なお方の出現を期待しております。毎回来てくださる方もいて、もう感激。

面白いのは今回入場料金はなし。お金を扱うのがコロナ的に良くないという事情なので。それはちと寂しいというので、お賽銭箱オット!投げ銭箱を用意。ご奇特な方がいらしたらチャリンと投げ込んでいただこうと言う了見。なるべくいい音のするワンコインがいいなあ。1円では音もしないから5円以上。もちろん投げ銭無しでもお楽しみいただけます。でも良心が痛むでしょう?え、痛まないって?むしろ遠くまで行って聴いてやるからありがたく思えって?本当にありがとうございます・・・と先にお礼を言われては行かないわけにはいかないでしょう?90歳超えた山田会長も2回めのワクチンが終わり、来てくださるそうだから張り切って練習に入れます。






 


2021年6月16日水曜日

副反応

昨日は腕が腕が重く、肩から肘にかけて1回目のワクチン接種時よりも痛みが大きかった。しかし今朝目が覚めるとその痛みは消えて、代わりにやや熱っぽいかなと思えた。体温を測ると36・4度。平熱。それにしては気分が良くないと思ったら、もしかしたら、熱中症になりかけ? 私は毎年軽度の熱中症にかかって、気分が悪くなる。

それでも起床して朝食を食べる頃には気分が改善されてきた。いつもより元気と思えるくらいになったので安心した。午前10時ころ、野良たちの餌が底をついてきたので買い物にでかけた。野良たちは最近贅沢になってきて、美味しい餌でないと召し上がっていただけない。端女としては冷や汗をかきながらお気に入りの餌を買いに走り回る。家猫はもっと高級な餌をほんの少し口をつけて、半分くらい残す。なぜお気に召さないか訊くと、だっていつも同じだからとふくれっ面をする。困ったものです。

それで雨の中車を運転してスーパーへでかけた。なぜか頭が重い。雷がなったし低気圧が来ているのだ。ああ、ワクチン接種の副作用が出ているのかもしれない。キャッツフードを山ほど買い込んで、人間用はほんの少しだけ。猫の餌と人の餌とどちらがお金を使っているのかしら。こんど計算してみようなどと無駄なことを考えながら車を自宅駐車場に入れた頃、言いようのない倦怠感が襲ってきた。

私の車が帰ると野良たちが飛んでくる。いつもならそこでしばらく遊んだりブラッシングをしたり相手をするのに、今日はそんな気分になれない。おあいそにちょっと頭をなでて荷物を運ぼうと思ったら手に力が入らない。キャッツフードは今まで小分けの袋に入ったカリカリを食べさせていたけれど、あまりにも野良の食欲が旺盛であっという間になくなってしまうから、今日から1.8キロ入りの大きな袋に換えた。それが2つ、3.6キロ、あとはパウチの柔らかい餌を大量に買ってきた。それでも重さは合わせて4キロくらい。以前は缶詰だったのでものすごく重かった。

あとは僅かな人間の餌。それを小分けにして運ぶのに、普段なら2往復で済むところなのに3往復。しかも2階までの階段が上がれない。びっくりした。ほんの30分くらいの間に体調が急激に悪くなったようなので。這うように家に入ってこれはどうしたことかと考えた。これはワクチンのせい?。少し吐き気がするのはお腹が空きすぎて?昼食をとらずにでかけたのでスーパーの中にあるレストランで食べようかと思ったけれど、昨夜電話してきた人から「ワクチンをうったからと言って油断してはいけない、今まで通りの感染対策をしてください」と言われたのを思い出した。外で食べるのは危険度が増すから家まで我慢しよう。

なぜか普段買わないインスタントラーメンを買ってきたので、それを作って食べるとベッドに転がり込んでそのまま寝込んでしまった。目が覚めると遅い午後になっていて気分は改善されていた。本当に脱力感で力が入らなかった手足に感覚が戻ってきた。その後気分は急速に良くなった。今はもう大丈夫。単なる疲労なのかワクチンのせいなのかはっきりしないけれど、こんな感じの症状は初めてだったから、多分これが副反応というものだと思う。中にはひどく悪い症状になる人もいるらしいから、この程度で過ぎてよかった。

小さなウイルスに人が翻弄されている。個人の生活はもとより国家の経済まで圧迫、社会の構造を変えるきっかけになるほどの力を持っているコロナ肺炎。今後も次々に新型のウイルスに人類は翻弄され続けるのだろう。ワクチン接種後2週間位は効果が出ないそうだからまだじっと我慢。







ふざけた人生

 コロナのワクチンを打つ前に問診票に記入する。例えば今まで薬でアレルギーがあったとか、注射で具合が悪くなったことがあったとか、問題があったときには申告しないといけない。それは医師の側からすれば後で問題が起きないようにという配慮なのだけれど、私が少しためらったのが20年ほど前、狂犬病の予防注射で発熱したことを言うべきかどうかだった。よりによって狂犬病?日本で狂犬病は絶滅しているのに?このばあさん、なに冗談言ってるの?みたいな反応をされないかと思ったから申告しないでもいいかと思ったけれど、一応言っておいたほうがいいだろうと思ったので書き込んでおいた。でも見事に無視された。

それはそうだ、狂犬病なんて!でも世界で本当に安心なのは日本だけかもしれないのですよ。

1回目のワクチン接種時のときはためらったので白紙にしておいたら訊かれたから、チベットに行く前に受けましたと申告した。けれど医師も看護師も格別興味は示さなかった。これも嘘だ~い!と思ったのかもしれない。このようにいつもちょっと変な生活を送っているのでいちいち説明しなければならないのが煩わしい。狂犬病の予防注射を受けるには特別な病院へ行かないといけない。私の場合は新横浜の伝染病予防の専門科がある病院へ行った。世界の僻地に赴任する人たちはこういうところで予防注射を受けるのだろう。

日本人は特に清潔で、今までは大した伝染病も流行らなかったからのんきに構えている。けれど今度のコロナ禍のように今後も何が起こるかわからないのだから、そういった専門医を知っておいたほうがいいかもしれない。そこでは高山病の予防薬と治療薬も出してくれたけれど、中国人のガイドさんの「大丈夫、大丈夫」の連呼に騙されて飲まなかったら見事に高山病でひっくり返った。一晩中酸素ボンベで酸素吸入をして次の朝5000メートル級の山越えをするというからホテルの医師に相談したら、血中酸素量の検査をして「大丈夫」とお墨付きが出た。その時の数値が76%。帰ってから調べたら、平常値は99%~96%だからとんでもなく危ない数値だったことがわかった。もう少しで命を落とすところだった。

呼吸はかすかになり数メートル歩くこともやっと。本当に苦しかったけれど、現地の人の大丈夫に騙されて無事に還って来た。なんでも心配しないほうがいいのだとその時思った。心配しながら歩くのと、大丈夫と思って歩くのでは気分が違う。万一命を落としたらそのまま感覚がなくなるわけで苦しさも消える。ラインホルト・メスナーという人がいる。1986年、人類初の無酸素で8000メートル級の全山登頂を成し遂げた。写真を見るとちょっと原始的な感じの男。こういう男が私好み。おっと脇道にそれた。

中国人運転手の車の運転もすごかった。カーブで前が見えないのに突っ込んでいく。曲がった途端に対向車がすれすれに避けていくことが何度もあった。最近You Tubeの中国の動画でよく見る信じられない運転、あれは事実なのだと経験者は語る。中国人のお得意のセリフは大丈夫。そう、なんでも大丈夫なのよ。死んじまったらちょっと運悪かったねといえばいい。こういうのも私好みなのだ。とにかく面白かった。また行きたいけれどコロナが・・・

モンゴルで馬から落ちて紫色に腫れ上がった顔で帰国したことがあった。その顔でその数日日後、ニュージーランドから帰ってきたスキー仲間を空港に出迎えに行った。同じ仲間で成田空港に迎えに来た人が私とわからずウロウロしていたこともあった。こちらはその人のヤッケ姿しか知らず背広姿を見たことがなく、似ているけど違う人という認識で見過ごした。相手も私の顔にあんな大きな痣はないからと見逃して、結局お互いに気がつくまでたいそう時間がかかった。私の周りをウロウロしてチラ見してくる変な人がいるなと思っていた。飛行機から降りてきた連中が大笑い。やっといつもの仲間だとわかった。

ずっとふざけながら暮らしてきたので高齢になっても性格は治らない。ネットで最近見つけた言葉がある。宗教で来世の天国を願うなら現世を天国のように楽しく暮せばいい。なんだ私の考えと一緒じゃない。でも実際は常に天国のように暮らしてきたわけではない。そのためにつらい仕事もやってきたし、本気で勉強しないと仕事はもらえない。ちゃらんぽらんでいられるには本気の部分はまさしく本気。その落差が又面白い。確かに私はよく他人に言われるように幸運だった。言わせてもらえるなら幸運は運が8割、あとの2割は自分で作るものなのですよ。そこらに転がっているわけではない。恐れない、妬まない、ずるいことをしない。それが幸運のもと。特にずるいのはだめ。

さて、昨日受けた予防接種で腕の筋肉が痛くなったけれど、重大な副反応はまだ出ていない。今朝は平熱、腕のいたみもすでにやわらいでいる。やはり歳を取ると副反応も出なくなるらしい。狂犬病で熱を出した頃が懐かしい。






2021年6月15日火曜日

コロナワクチン接種2回めと夏のコンサート

今朝ワクチン接種2回め終了。 なんでも始まれば終わりがあるものだと感無量。しかしながら私達高齢者よりもこのワクチンが必要なのは働き盛りの青年~中高年。申し訳ない。まだ副反応は出ない。

接種はなぜ働き盛りを優先しないのかと訊いたら、それは政治家は票がほしいからだと物知りさんの答えが返ってきた。要するに若者が選挙に投票しに行くよりも中高年の投票率のほうが高いので、票の集まる高齢者のご機嫌取りだそうだ。票のためには死なれちゃ困るってわけ。

今頃になって企業ぐるみや家族ぐるみのワクチン接種が始まった。最初からサークルで接種すればいいのにと私は思っていた。せっかく家族の一人が・・・例えばおじいちゃんがワクチンを受けても息子が感染してきたら家族が危険にさらされる。だから地域ぐるみとか学校全体でというのが望ましいのは、予約のとりにくさ(鶏肉差この変換すてき!)から言っても理にかなっていると思いませんか。個人個人でパソコンやスマホ未経験者が予約するのは至難の業なのに、あえてそれをやらせる。しかもお役所にもパソコン使えない人が居るらしいから、その人達のためにもまとまった単位で専門家が予約できるようにすればいい。

そんなことすら考えつかないというのは情けない。私の地域のネット予約は初日始まって2,3分でパンクしたらしい。たまたま私は復活した瞬間に手続きをしたのであっという間に取れたけれど、今日2回めのワクチン接種に行ったら、病院には他人の名前で入っていた。しかし私に送られてきた接種券はちゃんと私宛だから、どうなっちゃってるの?このために役所の職員がどれほど苦労したことか。いやはやご苦労さまです。

1回目2回目と別に取るようになっていたけれど、最初から2回分予約すればいいのになぜ分けるのか理解に苦しむ。そのために私の2回めが別人の名前になっていたのだ。ぐちぐち言うのはもう、うんざりだけれど、やはり行き着くのは企画力の貧しさ。普通に考えたら一番かんたんな方法が一番間違えなくことは迅速に済む。なぜ単純な方法を取らないのか。

でも本当にホッとしました。これで自宅の駐車場で野良に餌やりするときにマスクを付けなくても後ろめたくなくなった。立ち話もワクチン済みだからと言えば少し長めにできるというもの。Tシャツにワクチン2回済と書いて着ようかしら。というのも、今朝病院に行くときにマスクを付けないで出てしまったので。途中で気がついてバッグから取り出してつけたけれど、おっさんがこちらを睨んでいたのでつけていないことに気がついた。バッグには必ずマスクを入れておくことにしていたので助かった。

夏のコンサートは例年通り北軽井沢で8月1日(日曜日)に行われることとなった。北軽井沢にはミュージックホールがあって、そこでのフェスティヴァルが恒例だった。私達スキーの仲間の「雪雀連」には数人のミュージシャンがいる。ノンちゃんが北軽井沢に家を建てて私がそこに遊びに行くようになってから、毎年の行事として定着したけれど、去年はせっかくの企画もコロナのせいで流れてしまって残念な思いをした。今年は規模を縮小して去年エントリーしたグループだけが申し込めることになった。

このミュージックホールというのは、桐朋学園のオーケストラの合宿所として使われていた。シャッターを開ければすぐに中庭になる野外コンサートのホールに屋根がついただけのような広いステージ。中庭をぐるりと取り囲んで練習室があり、こけら落としには秋山和慶さん指揮でマーラーの5番が演奏されたという。使われなくなって朽ち果てそうなこの建物を地元の有志が保存に協力して、このフェスティバルが始まった。音響はいい。ピアノはグランドが2台。けれどなんと言ってもシャッターを開けるといきなり外。これはすごい!

もちろんエアコンはなし。ある年にはセミの大合唱、あるときには突然の雷雨、雨上がりに日がさすとすごい湿気。私の楽器は膠が剥がれて散々なことになった。激しい雨のときにはトタン屋根に雨があたってすごい音が聞こえる。しかし、こういうキャベツ畑の中にも文化的な遺産を残そうという地元の人たちの意気に感じて、協力することにした。なんと言ってもノンちゃんの家で皆、さんざん遊ばせてもらったのだから。

一昨年はフィンランドと日本の国交樹立100年というのでチェリストの舘野氏の主催するコンサートに参加した。その時の曲などを中心にしてフィンランドに似ているという北軽井沢の地にシベリウスの曲を響かせようと思ったけれど、コロナで中止。今年はバロック音楽で決めてみようかと思う。ヨーロッパ音楽の基礎を築き上げたバッハ、ヘンデルなどだれでも知っているポピュラーな曲を楽しんで貰う予定。例えばヴィヴァルディの2台のヴァイオリンの協奏曲やパッヘルベルのカノンなど。ただしメンバーは5人。メンバーはまだ少なめに抑えないといけないけれど、全員高齢者なので本番にはワクチン済となると思う。「雪雀連」は「安全地帯」

ワクチンの2回めが終わるまではなにかと落ち着かなかったけれど、やっとコンサートに向き合えるようになった。おかげで少し生きるのぞみが湧いてきた。私達は演奏していないと呼吸困難になるのですよ。











2021年6月4日金曜日

木との対話

なるべく人のいない所に いたいので、夜明けの光を感じるとすぐ車を走らせる。まっしぐらに北軽井沢の森に向かう。高速をおりると街中を通らずゴルフ場の間の道を抜けて山を登って我が家に到着する。必要なものはすべて車に積み込んであるから、あとは猫と二人ひっそりと暮らす。時々職人さんが来て庭の工事をする以外は人にお目にかかることはない。

新しいベランダができて見違えるように広く感じる。たった数十センチ広くしただけで、部屋から外を見るとゆったりした気分になる。いままでドデンとキッチンに居座っていた邪魔な食器棚を撤去して低めの食器棚を置くと、それだけで日差しと風通しが良くなる。こんなにも違うものかとびっくりした。

そして待ちに待った庭の下に流れる川まで降りられる階段が出来上がった。丸太を並べて手すりを附けただけの素朴な階段は雑木林にぴったり。作業する工務店さんは出入りの電気屋さんが紹介してくれたので、一生懸命に仕事をしてくれる。庭の奥は急な傾斜なので今までは川まで降りることができなかった。夏はいつも水の音だけ聞いていた。冬になって落葉樹が葉を落とすと、やっと姿が見える。階段ができたのでその川辺まで降りてみると、天然のクレソンが群生している。それでこの清流で山葵やクレソン、水芭蕉などが栽培できないかと訊いてみると、工務店さんは「天然のクレソンは毒があるのでおすすめしない」と。又「わさびや水芭蕉は水の流れが早すぎて育たないでしょう。もし栽培したいなら淀みを作ってあげることです」と言う。そのあたりにゴロゴロしている溶岩を一つドボンと川に投げ込めばかんたんによどみができそうだと思ったけれど、溶岩の塊は重くて容易には動かせない。さて、どうしたものか。

家だけでなく庭に手をつけるとなると際限なく夢が広がっていく。殺風景な保護林は水源を守るために規制があってやたら木を切ってはいけない。反対にやたらな木を植えてもいけないのだと思う。自然保護の最低限な線を超えてはいけない。植物の知識のない私には予想もつかない自然のルールというものがあるに違いない。手始めに雑木だけの庭に少しだけ花をさかせる木がほしい。紫陽花、躑躅などは?と訊くと「紫陽花は腐葉土が多いこの地面には根がつかないかもしれない。躑躅ならいいでしょうと。

私が子供の頃育った家は、四季それぞれの花が咲く庭があった。祖父が風流人だった。庭の真ん中に大きな牡丹の株、それを取り巻くように松の木や池があってその周りには千両、万両という丈の低い花木が植えられていた。ユスラウメや梅の古木、イチイの垣根、ゆずの木など。離れに続く廊下脇には3本の棕櫚の木。広い裏庭はぶどう棚、花が綺麗だったリンゴの木の実は食べる前に大きくならず落ちてしまった。びわの木が数本、竹やぶでは竹の子がとれた。薄暗い厠のそばにはお決まりの南天の木、欅の巨木は今、姉の家の庭に切り株を残している。

子供の頃に育った環境は年をとっても染み付いている。しかし北軽井沢の気象条件とはあまりにも違う。はじめてこの家を訪れたとき、子供時代の家の裏庭を思い出したけれど、色とりどりだったその庭とはあまりにも色彩が違う。春から秋の初めまでは緑一色、それはそれは美しい。けれど自分で手がいれられるとなると、少しは花が欲しい。花のことはおいおい考えるとして、気になったのはノンちゃんがこの上なく愛した巨木が2本。年齢はわからないけれど、大きく広げた枝の中に葉がついていない枝が数本ある。この枝たちはもう枯れてしまっているのだろう。万一枯れ枝が折れて下の道に落ちたら大事故になる危険性がある。それも工務店さんに依頼して切ってもらうことにした。

その作業は私がいない間に終わっていたので見ていないけれど、かなり危ない作業だったようだ。特に庭の主である大木の枝の一本は、いつも私が車を止めている真上にあった。その枝にほんの少し刃を入れた途端、ドサリと落ちたらしい。当たれば命にかかわる程の太い枝。本当に危険だったのだ。台風が来る前には切ってね、なんてのんきに言っていたけれど、今切っていなかったら大事になっていたかもしれない。私の真っ黄色なパパゲーノが潰れていたかもしれない。それよりも真下を人が通って大怪我!なんてことにならないで本当に良かった。

森の中に住む以上、木との付き合いは大切。今まで動物のことばかり考えていたけれど、これからは木の言葉に耳を傾けようと思っている。花はほどほどに、木のお邪魔をしないように控えめに数本もあればいい。