2012年6月28日木曜日

金に目がくらむとは・・・

昨日きた詐欺メール。間違いでもいいから1680万円振り込んでくれる人はいないかなあと、つい考えてしまった。それだけあればもう1ランク上のヴァイオリンが買えるかなあ。でもヴァイオリンという楽器の値段ははおそろしく高額だから、そのくらいではストラディバリウスは買えない。それなら弓だったら、かなりいいものが手に入るかも。でも良い弓は皆血眼で探しているから、あってもおそらく手に入らないに違いない。どんなにお金を積んでも出会いがないと手に入らないのは、人の世の出会いと同じこと。お隣に運命の人がいるかもしれないのに、すれ違ってばかりいて気が付かないことだってある。そこはやはり運不運の分かれ道。この詐欺メールを送った人たちは、仕事もなく手を差し伸べてくれる友人もなく、お金だけが頼りだからこんなことをしでかすのかしら。こうやって手に入れた泡銭はそれこそアッと言う間になくなる。額に汗して稼いだなら無茶な使い方はしないけれど、楽して得たお金はなくなればもう一度同じようにして手に入れればいいと思って、せっせと使ってしまう。詐欺師がちまちまと貯蓄に励むのは聞いたことがない。ストレスも大きいでしょうから使わずにはいられないと思う。そうやって行きつく先は鉄格子の中で、親兄弟に泣かれ後悔してももう遅い。今正社員にならないと世間から外されたと思っている人たちがいるらしいけれど、まさしく私たちフリーミュージシャンは派遣業で、全くなんの保証もない。雇う方の気持ち次第では、一回で次の仕事が来ないこともある。使ってみたら使い物にならないけど少し待って腕を上げるまで使ってやろうなんて甘いことは一切ない。その場で役立たずなら、もう仕事はあきらめないと。そのために自宅での練習や、無償でも経験を積んでからでないと仕事にならないと思った方がよい。子供のときから一日何時間もの練習、レッスン代、音大の高額な授業料、高額な楽器を手に入れてやっと社会に出れば、仕事は少ない。それでもやっていけるのは、本当に音楽が好きだから。こんな私からお金を巻き上げようなんて、人非人もいいとこ。お金が大好きなのは人類皆おなじ。でも仕事が大好きにならないとお金は手にはいらない。詐欺師の皆さんもなにかすごく好きなことを仕事になるまでがんばったらいかが?

2012年6月27日水曜日

詐欺メール

夜中に来たらしいメールを開いてみると「1680万円振り込みがありました」????な、なにこれは!某さんからあなたに振り込まれたお金を預かっています。すぐにこちらの郵便局にメールか電話をしてくださいと、そこにURLが載っていた。しばらく考えていたが、なにか間違ったメールが着てしまったと困るので、一応あけてみるか。だが、待てよ。こんな名前も知らない人から間違って振り込みなどあるはずがない。ちょうど郵便局に行く用事があったし、これがなんだか確かめてからにしよう。郵便局の用事が終わって局員にメールを見せると、そんな大事なことメールを出す訳がないとのこと。当たり前だよね。いたずらか詐欺かどちらかに決まっている。放っておいたらまあ、来るわ来るわ・・・全部で20通以上になった。最初はお知らせ風で、次は泣き落とし風、次は脅しにかかってきた。このまま無視して返事をよこさないと、ブラックリストにのるぞ。なんでお金を受け取らないとブラックリストにのるのか今一不明だけど、これでびっくりする人もいるのかしら。このまま放っておくと世の中のためにならないから、警察に電話をした。ほとんど警察には期待していないけど、このメールからたどって行けば元凶がなにかやった時に証拠になるかと。警察の答えは予想通り。なにか事件にならなければ動けないそうだから仕方がない。でも、こんなメールを出すこと自体、もう詐欺に一歩踏み出しているのだから、立派に詐欺事件として成り立つと思う。いまのところ被害がないからメールを削除または無視するようにと言うので、そのようにした。でも、これに引っかかる人もいるからこういうメールを出すのだから、出した時点で罰を与えた方がいい。この先がどうなるのか開けてみれば良かったかなと好奇心が疼く。あけたらひっかかっちゃったりして。しかし、ご苦労なことで。こんなメールを出す暇があったらもっと面白いことをすればいいのに。一攫千金なんて夢のまた夢。一度は上手くいっても、後は鉄格子の中なのに。でもあそこは健康にすこぶる良いそうだから、メタボの人は入っていれば健康になれるかも。国民の税金で罪人を健康にするのも納得いかないけど。

2012年6月26日火曜日

運命は名曲中の名曲

今日も日大オーケストラの指導に出かけた。フィンランディア、カルメン、そして運命。聴衆が泣いて喜ぶプログラムだ。よく知られた曲を敬遠する人がいる。マニアックな隠れた曲が好きと言う人が。でもそれは私には理解できない。大衆が良く知っている曲はやはりどんなことをしても、どこをとっても素晴らしいから。名曲を揃えるといかにも通俗的に過ぎるとかなんとかいう人は、本当に音楽が好きなのではなくて、音楽の知識が好きな人と言える。かつて批評家で(あの)ハイフェッツの演奏を冷たいと言った人がいた。あまりにも機械的であると。良く聴いてごらん。いかに彼の音楽が情熱に満ちているかを。ほんの一瞬の移絃であれほどのパッションを表現できる人がいるだろうか。あまりにもテクニックがすごいので、そのへんを聞き取れないらしい。おかわいそうに。それと同じで名曲は大衆受けするから=通俗的。短絡的な考えですなあ。聴いたらわかるでしょう。さて、今日は運命の練習に入った。冒頭部分の運命が扉をたたくとかなんとかの部分はきっちり長さが決まっていて、これはらくちんなやりかただわいと感心した。指揮者がどうやったら合うのか考え抜いた末にたどり着いた結論らしい。芸術的云々と言うには問題があるかもしれないが、芸術的でばらけるより初めて楽器を持った人がいる中で揃えようと思ったら、これは実に理にかなっている。にぎり寿司を作るのに手では握れない人でも、マスの中にご飯を入れて固め、上からお刺身を載せればまあまあ、お寿司になるようなもの。一楽章はよくまとまってきた。楽しかったのであっという間に時間が過ぎてしまった。運命は名曲中の名曲だと改めて実感した。金太郎あめのようにどの部分を切っても名曲が顔を出す。生涯に弾ける曲数は限られているから、どうせ弾くなら名曲を弾かなければ損。名曲が古い物だけとは限らない。ポリー二がサントリーホールで連続演奏会をした時に、イタリアの現代作曲家の作品をヴァイオリンのアッカルドが弾いたのを聴いたことがある。全曲ピアニシモ、フラジオレット、スル・ポンチチェロの連続だったけれど、本当に素晴らしかった。聴衆が現代曲では珍しく興奮して、拍手がなりやまなかった。この曲は出来たばかりだからまだ人に知られていないが、そのうち世に知られるようになると思う。こんな難解な曲でも、易しい曲でも名曲は名曲。

2012年6月25日月曜日

松原湖名曲コンサートのお知らせ

今年夏はなにかご予定はありますか?
まだ決めていない方は松原湖に避暑にいらしてください。
室内楽の好きな演奏家たちが現地に集合してコンサートを開こうと目論んでいます。初対面の方も多く、いったいどんな方たちと一緒に演奏できるのか、本当に楽しみです。が、ちょっぴり不安もあります。私たちにとって音は言語のうちですから、楽器を持てばすぐ会話が出来ます。でも、初対面だと人見知りも少しあったりして。それがまた刺激的で早くお目にかかりたいとうずうずしています。私が受け持つのは1曲目のアイネ クライネ ナハト ムジークのセカンドヴァイオリン。あとはベートーヴェンのトリオ「町の歌」とシューベルトの「鱒」のヴァイオリンパートです。他のヴァイオリンのお二人はその前からいらしていて、8月8日・9日とトワイライトコンサートに出演します。本当は早くから行って参加したかったのですが、すぐそのあとにイギリス旅行を控えているので、猫の面倒がおろそかになってしまいます。猫たちがヒステリー起こすといけないので、今回は10日のリハーサルからの参加になります。その頃からお泊りして最後にコンサートを聴いて帰ると言うのはいかが?すっかり気分を害してお帰りになることのないように一生懸命弾きますから。

2012年6月24日日曜日

西湘フィル第一回定期演奏会

今日は晴れの舞台。練習も十分、皆のやる気は熱気となってステージは暑かった。汗だくの文字通りの熱演となって、大成功!ただその成功を一番喜んでくれるはずの人は、もうここにはいない。複雑な思いでいた時に指揮者の松元氏のあいさつがあった。やはり同じ思いを抱いていたのだ。今からもう20年は前になろうかと言う頃、アマチュアオーケストラであっても、きちんとした指導者のもとで厳しい練習を重ねて、本当に良い音を作り出したいという小田部ひろのさんに声をかけられて、初めて秦野の地を訪れた。しかし、その時には新しいオーケストラを作るよりも現存するオーケストラがなんとなく練習をして、後は上手な人をエキストラに呼んでコンサートを開くと言う状態を改革したいという思いだったらしく、協力者が少数だったのであきらめた様だった。それからずっと同じ思いを抱いてきた彼女は、乳がんの手術をした後、残された時間の少ないことを知って、今度こそ行動を起こした。その頃彼女の病状を知る人は私を含めてほんの2,3人。指揮者の松元氏も知らなかったそうだ。ただ彼女は松元氏に「私にはもう時間がないのです」と言って協力を呼びかけたという。ご葬儀の時に彼は「あれはそういう意味だったのですね」と初めて理解したようだ。そして何回かのコンサートはいずれも成功をおさめたけれど、定期の曲目が決まったすぐ後に彼女は亡くなってしまった。私の携帯電話に最後のメールが残っている。(一緒に演奏したいなー)と。今日の初めての定期演奏会としてのコンサートを聴かせたかった。本当に聴いてもらいたかった。最後の曲は涙がこぼれた。打ち上げであいさつをと言われても通り一遍の事は言えない。彼女のことを言ってしまえば号泣してしまう。なにも考えていなかったとごまかして挨拶はうちきってしまった。人の死はいつでも悲しいけれど、彼女の死は特に無念。美しく若くして逝った人に捧げるコンサートになってしまった。一緒に演奏したかった。今日はメンバーの真摯な演奏と、私の仲間、教え子たちが来て一緒に弾いてくれたのが本当に救いになった。西湘フィルはこれから伸びて行くオーケストラで、内部組織もとても上手く機能しているようだ。滞りなくことが進んでいる。今後も初心を忘れずに伸びて行ってほしい。小田部さんの想いを継いで理想の音を追って行ってほしい。

2012年6月23日土曜日

母の17回忌

母が亡くなってから16年、今はもう悲しい気持ちも遥かに消えているようでいて、時々お墓に行くと少し涙ぐんだりする。母は当時としては高い教育水準で育ったけれど、結婚して6人も子供を産んでしまったので、自分のやりたいことが出来なかった。亡くなる間際に「これでもうおしまいだとしたら、ずいぶんつまらないねえ」と言ったのを聴いて胸を突かれる思いがした。その代り6人の子供たちはちゃんとした教育を受けさせてもらい、それぞれ好きなことをやらせてもらった。母性愛の塊みたいな人で、それは裏返せば支配欲とでもいえるかもしれないが、子供たちを自分の羽の下にヌクヌクと潜らせて守る鳥(酉年でした)のように私たちは育まれた。母の言いつけは我が家では絶対で、孫たちの進学する大学まで指図したので、当時は行き過ぎでないかと思ったけれど、結局なんでも言うことを聞いておけば間違いなく上手くいくので皆母に従った。それだけ頭の切れる人だったから時々「あの人は男に生まれればよかったのに」などと姉妹で話した。どちらかと言うとお人よし過ぎてどんどん財産を減らしていく父親を見ていると、もし母がいなかったらとても貧乏になってしまったことだろう。母が必死で父の浪費を食い止めていたようだ。父は気が優しく人の世話をよく見た。母はうちの子供たちだけでも大変なのに、他人の面倒まで見ることを良くは思っていなくて、それでしょっちゅう喧嘩をしていた。それでも母の葬儀の時には1000人近い人が参列してくれた。これは父に対する礼儀からだったと思う。父はその後10年ほどして亡くなった。今頃あちらで再会しているかどうか。喧嘩はするけれど仲が良いこともあったから、あちらでも喧嘩しいしい一緒にいるかもしれない。今日兄から我が家の家系図を渡された。なんと安土桃山時代までさかのぼって調べ上げたらしい。大変珍しい姓なので歴史家が調べてくれたそうだけど、ほとんどそんなことに無頓着な兄弟姉妹だから皆それを見てふーんと言うばかり。兄はさぞがっかりしたことだろう。だってご先祖が判ったって自分が偉くないのだから、だからなんなんだという気持ちしか沸かないでしょう。しかし伝え聞くところ、奇人変人揃いだったようで、その血は私の中に脈々と流れていると思うと、私ももう少し変な人でいてもよかったなあと・・・・だれ?充分変だと言った人は。

2012年6月22日金曜日

学生オケ

砧にある日大商学部オーケストラのトレーナー代理。いつものKさんが体調不良につき「ちょっと見てあげて」と言われ出かけた。場所は砧。家からだと多摩堤通りをまっしぐらに、世田谷通りを入るとすぐに大学がある。こんなところに日大があるなんてちっとも知らなかった。昔このあたりに東宝の撮影所があって、毎年夏はゴジラの音楽を録音する仕事があって、楽しみだった。作曲家の伊福部昭さんの指揮で画面を見ながら、音を入れて行くのでいち早く映画が見られるというメリット。その代り音楽の必要なところだけしか見られないので、後は想像を膨らませるしかない。松竹の寅さんシリーズの山本直純さんともずっとお付き合いしていたから、この二つの映画はちゃんと見たことはないけれど、懐かしい思い出がある。それにメンバーが大体決まっていたから、毎年一度だけお目にかかれる人もいて、同窓会のようだねとお互い喜び合った。ある年、ゴジラの仕事が来ないと思ったら、アメリカに身売りしたと言うのでたいそうがっかりした。さて、商学部の門で学生の出迎えを受けて練習場に入ると、思いがけずヴァイオリンだけしかいない。弦全体の面倒を見るのかと思っていたので、拍子抜けした。いつも感心するのは学生たちは実に良く練習すると言うことで、大学に入って初めて楽器を持った人も多いと思うのに、いつの間にか曲をものにしている。今日もところどころ勘違いのところもあったけれど、概ね上手く弾けている。私は若い人が大好きだから、こちらもすっかり楽しませてもらった。曲目はカルメン組曲、フィンランディア、そしてベートーヴェンの運命。ビゼーとシベリウスはとても良く出来あがっているが、さて運命やいかにと言うところで時間切れとなって、冒頭部分のみを合わせ、残りは来週月曜日に持ち越されることになった。運命の冒頭は指揮者泣かせだから、どうやって取りまとめたらいいかなあ。あちらは私から教わっているつもりだが、こちらはこっそり若いパワーを盗んで帰る。これが元気の素となっているのですよ。

2012年6月21日木曜日

ベルリン交響楽団とブーニン

日本女子大学付属中学校は読売ランドの駅から約10分。ずっと登り坂が続くので、息を切らせながらゼイゼイとたどり着く。今日はベルリン交響楽団とピアニストのスタ二スラフ・ブーニンのコンサート兼公開リハーサルということで、そこで教えているFUMIKOさんとその親友のTさんのお二人からお招きいただいた。席は2階の真正面、一番いい席で、もう一人ヴィオラの大先輩N氏もすぐ隣の席で鑑賞した。Nさんとは長いお付き合いで、一時期カルテットを組んでいた。しばらくお目にかからなかったのがまた最近カルテットで遊んでいただいていたのに、私のスケジュール変更がチェリストを怒らせてしまって解散したという悲しい出来事が最近あって、それ以来初めての再会なので、とても嬉しかった。若いころから超ハンサムだったけれど、お歳を召してからは益々穏かで素敵になられた。さて、ベルリン交響楽団の最初のプログラムはメンデルスゾーンの「イタリア」この明るく華やかな曲をワクワク期待していたけれど、学校の演奏会ということでなのか、まあ、見事にばらけた演奏。最近どこのオーケストラでも、もちろん日本のオーケストラでも、ホルンがひっくり返るのを聴くのは稀になっていたが、今日はことごとくひっくり返ると言う珍しい体験をさせてもらった。ほほう!久しぶりだなあ、こんなホルンは。そのうえ絃もうやむやになった個所があって、おいおい、どうする、そこはさすがに途中でなんとか合流。日本のオーケストラは最近水準がぐんと上がっているから、こんなに乱れはしない。ただどうしても本場のものにかなわないのがハーモニーで、どうやったらああいう響きがでるのか。日本のオケも音程は良いし、アインザッツが乱れることは稀だからいい音がするけれど、やはりかなわないのがこの響き。体に染みついた音とでもいうか、底から湧きあがってくるような音にはシャッポを脱ぐ。お目当てのブーニンは、一時熱狂的な人気を誇っていたのが、最近はあまり名前も聞かなくなっていた。「イタリア」に続く曲目はシューマン「ピアノ協奏曲」こちらはオープンリハーサル形式で演奏されたので、ところどころ止りながら・・・それはわかっていたけれど、3楽章は止り続け、いつ果てるとも知れない練習になってしまった。だいたい、1楽章の冒頭から余りの合わなさにビックリ仰天。ピアノがひとくだり終わってオケがジャーンと入ってくるのがワンテンポ遅れ、フルートは伸びに伸びて、オーボエは心細く、ホルンは相変わらずひっくり返る。ファゴットの二人はステージ上でなにやらひそひそ話している。隣のクラリネットに文句言いたげ。この曲の3楽章は合わせるのが難しいので有名だけど、ここまでダメだとブーニンさんがお気の毒になってくる。ブーニンはさすがに素晴らしい。輪郭のはっきりわかる非常に正確で緻密な演奏をしているのに、指揮者が難しいところを合わせようと大振りするので棒が遅れ、そこでひっちゃかめっちゃかになる。こういうところは演奏者に任せて小さく振ればいいのに。何回も何回もやるので、この練習は果たして終わるのだろうかと、心配になってきたけれど、その間にオケの音は見る見る(聴く聴く?)凄味を増してきて、その心地よさは何とも言えない。ああ、この音なのよ、私たちがかなわないのは。延々と続くリハーサルも少しも退屈しなかったのはそのせいだと思う。その代り、まるで自分が練習に参加していたかのように疲れた。今日もよく働いたわい、と言ってビールを飲もう。

2012年6月19日火曜日

生き生きパソコン

今日は私のパソコンの先生であり陰のブレーンであるH氏のパソコンのお手入れの日。私がパソコンを自在に操っていると思っている人も多いが、実は陰でこき使われ泣いている人がいるのです。一年に一度はしっかりお手入れをしてもらって、新たな気持ちでパソコンが動きだすのを見るのはとても気持ちがいい。今日のメンテナンスですこし部品を取り換えて、以前にもましてスピードアップ。反応のいいことったら、せっかちな私には胸のすくような動きをする。とっちらかっている写真や動画を一か所に収納したり、必要ない物を削除したり、本来私がしなければいけないことも、私はそばで丸まって作業を見ているだけ。まるでこりゃあ猫と同じだね。パソコンだけでなく、去年はデジタル放送用のアンテナの取り付けまでしていただいた。驚くほど守備範囲が広いので何を聴いても何を頼んでも、すぐに解決してもらえて「一家に一台Hさん」と書いたお札を作って神棚に飾っておこうかとおもったけれど、あいにく私は無神論者でうちに神棚がないので、その案はそれこそ棚上げになっている。パソコンは世界中の知恵が集まっていて、恐ろしい速さで進化しているらしい。それを日夜勉強して新しいことを身に着ける努力は大変なものだと思う。頭が良いだけでなく日常の煩雑な作業もなんなくこなすから、彼が来る日は私は手ぐすね引いて待っている。私は家事に疎く、何かが汚れていることにも気が付かない。興味のあるものにしか目がいかないから、今日も掃除機の汚れを指摘されて、きれいにしてもらい、ミニルンバの本体の蓋の不具合を直すことや、蛍光灯の取り替えまでもお願いしてしまった。インテリには珍しい身軽さが頼もしい。常にアクセス数が最上位にいるサイトの主のエキスパートなのに、このド素人の私の理解に苦しむような質問にも丁寧に答えてもらえる。もっとも出会った最初の頃はめんどくさげに「電話サポートにお訊ねください」などと冷たくあしらわれたものの、私の必死の食い下がりが功を奏して、それからずっとサポート役を務めて頂いている。まったく猫に小判とはこのことで、私はしずしずと歩けるようにきれいに敷かれた赤いカーペットの上を、めちゃくちゃ歩いているような状態で、しょっちゅうトラブルを起こしては泣きつく。H氏の苦役は私がいるかぎり当分続く。

2012年6月18日月曜日

痛む手をなだめながら。

昨日の練習でヴィオラを長時間弾いたので左手に負担がかかり、夜になってから湿布とテーピングで痛む個所をサポート。今朝も湿布の上からテーピングをして出かけた。今日はワルシャワフィルの人と演奏するピアニストのための下稽古。ワルシャワの人たちが前日にしか合わせられないので、その前に練習にお付き合いすることになった。私は本番には出ないけれど、本番に出る人たちも交じっているから、遊びで弾くわけにはいかない。シューベルトの「鱒」は曲は素晴らしいが、楽器の編成のバランスが悪いので中々弾くのが難しい。編成はピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。もう一人ヴァイオリンが入ればもっと弾きやすくなるのにと、いつも恨めしく思う。コントラバスが入ることによって、低弦が充実した分、ヴァイオリンはピアノと低弦の狭間でもがき苦しむことになってしまった。しかも続けさまのポジションの跳躍や小難しいパッセージがそこかしこに出てくる。腕に覚えのある人なら、よっしゃーっと言ってこれ見よがしに弾けると思うのだが、腕がどこにあるのかとんと覚えのない私には、ちと負担が重い。それでもこの華やかな曲を弾くのは無上の喜び。シューベルトさんに剣突を食わされても何回も弾きたくなる、名曲とはそういうもの。ジンジンする指は弾き始めると忘れてしまうのに、弾き終わると又痛む。若者に交じってオーケストラなど弾くものではないと反省。しかもヴィオラだったから構えているだけでも大変なのだ。長時間休みなしに弾くのは金輪際やめようと誓った。これで指を壊したら老後の人生どうやって過ごしたものか。今日お付き合いしたピアニストのSさんはもう70歳台の後半なのに、瑞々しい感性と少女のような純真さに満ちている。何よりも音が素晴らしい。指の痛さもしばし忘れてしまうほど楽しい練習となった。Sさんは頸椎を痛めてモルヒネが必要な位症状は重いらしいが、おくびにもださず音楽を紡いでいく。本当に音楽が好きでたまらないという思いに満ちて、こちらまで幸せになる。私もこんな音楽家になりたい。

2012年6月17日日曜日

間もなく西湘フィル第一回定期演奏会

来週日曜日、いよいよ西湘フィルの第一回の定期演奏会が開催される。故小田部ひろのさんの相談を受けて秦野まで行ったのは何年前になるのかしら。初めはヴァイオリンが数人、チェロもヴィオラもいない。管楽器はやたらに音の喧しいトロンボーンがいて、弦楽器はかき消され、こんなことでこの先どうなるのかと思ったけれど、やっと大きなスーパーの催し物に便乗したりして、一回目のお披露目は楽しく終わった。その後は今とは別の名前で第一回の定期公演も成功裡に終わり、さてこれからと言うときに団長の小田部さん初め指揮者やトレーナーは放り出されて、オケは乗っ取られてしまった。呆れて開いた口がふさがらないとはこのこと、しかし、こちらにはよいメンバーが残っていたし、なによりも指揮者が優秀だから着々と練習を重ね、今日は総仕上げの練習になった。ベートーヴェン7番、コッペリア抜粋、魔弾の射手序曲、どうです、とてもよいプログラムでしょう。奇を衒わない正道のコンサート。アマチュアオーケストラには時々マニアックな人がいて、やたら知らない曲をやりたがることがある。けれど、聴衆にとっては迷惑な話。上手くもないのに知らない曲を延々と聞かされてはたまったものではない。帰りに羊羹の一本もお土産に差し上げて、お詫びしなければならない。その点西湘フィルは初々しいオーケストラだし、まだ変なおじさん(おばさん)?はいないし、厳しい練習を積んできたから、心洗われるような演奏になると確信している。今日は指揮者の松元氏も大いに張り切って最後の仕上げに余念がない。しかしこの私は日頃ほとんど弾いていない重たいヴィオラを抱えて、老骨に鞭打ってゼイゼイと息も絶え絶え。いやー疲れた!残念ながらまだメンバーは不足していて、今回もエキストラを沢山お願いした。私の教え子や、かつて一緒のオーケストラで弾いた仲間たちも来てくれて、気持ち良く協力してもらえた。感謝あるのみ。秦野は都心からは遠いけれど、まだ田園風景が広がる美しい町なので、日曜日の昼間、足を延ばしてコンサートを聴くのも悪くはないと思いますよ。 6月24日14時開演  秦野市文化会館大ホールです。どうぞよろしくお願いします。 聴いて気に入ったら楽器経験者は入団をご検討願います。厳しいけれど和気藹々、中々良い団体ですぞ。

2012年6月16日土曜日

新しい美容院

長い間通っていた美容師さんが、どうやら仕事に対する意欲を失くしたらしく、このところひどくカットが雑になってしまった。私の髪の質は細かい縮毛なので、おいそれと新しい人にカットしてもらうわけにはいかない。下手すると全くまとまらなくなる。一度有名な美容師さんにカットしてもらったことがあったけれど、その時は悲惨なことになった。美容師さんにも得手不得手があって、その人は華やかなロングの髪型ならば素敵に仕上げる。友人がいつもとても素敵で、彼女からのご推薦もあって一緒に行ったけれど、帰り道は二人ともやや言葉少なになってしまった。ショートが得意な人ではなかったのだ。ショートカットはその人の技術が試される。しかも髪質が悪いからなお大変。今日はお馴染みFUMIKOさんのご推薦の美容師さん。彼女はおしゃれでいつもキリッとステキなショートヘア。私も前の美容師さんがショートカットの名人だったから、ずっと短い髪型だった。しかしこの2か月程は新しい人が見つからず伸ばしっぱなし。ボサボサ頭で気分悪く過ごしていた。教えてもらった美容院は国立にあると聞いて、遠すぎるとたじろいだけれど、もう限界だった。意を決して今日出かけてみた。予約時間5分前、お店に入って行くと予約してあったのに、なんでしょうか?と言われた。しかも前のお客さんのセットの最中。見たところまだ仕上がりには時間がかかりそうだ。時間にルーズ?そこで減点2点。でもなんてこった、きちんと前のお客さんは時間通りに仕上がった。これで減点は1点消滅。私の番になった。シャンプーはまあまあだけど前の美容師さんがすごくうまかったので、ここで多少減点。カットが始まった。レザーで細かく丁寧にカットしていく。そのゆっくりさときたら私のスピード感とはだいぶ違う。そこでまた減点1。そして仕上がりは本当にきれい。ただ冒険はしてくれないなと言うのが感想。私はタンポポの綿毛のようにと言ったのに、ごく当たり前の常識的なスタイルとなった。確かにカットは上手い。さっきの減点は全部消滅。プラス5点差し上げよう。合わせ鏡をして仕上がりを見せてくれたので、鏡越しにニコッとすると、いかにもうれしそうにニコッと笑った様子が可愛らしかったのでおまけに2点プラス。さて、FUMIKOさんの採点はいかに?

2012年6月15日金曜日

さぼるとあとが大変

この2,3日ぐうたらを決め込んでいたら、昨日はそのしわ寄せでけっこう大変な日になってしまった。朝から2人レッスン、そして昼からはトリオのレッスン、そのあとは渋谷の音楽教室に行くというせわしない一日となった。昼過ぎにトリオを合わせに来た人は初めは様子がわからなく勝手に弾いていたのが、3回ほど合わせているうちにだんだん曲の構造がわかってきたらしく、私やチェリストにガミガミ言われながらも頑張って、最後にはニコニコして「すごく面白くなってきました」と言って嬉しそうに帰って行った。ピアニストは日頃一人で弾いているから、他人がそこへ入ってくると戸惑うのかもしれない。今日来た人はすぐにコツがわかって呑み込みが早い。合わせ物は人それぞれのセンスが物を言う。これはある程度訓練で出来るようになるけれど、最終的にはセンスの問題。どんなに上手くても全体のバランスが見えない人は本当に困る。一度頼まれてトリオのコンサートに出演した時のピアニストは、大変指も良く回り音の間違えもせず、しかし、どうしても私は壁に向かって弾いているような思いをしたことがある。呼吸が無い。歌を歌うときには息を吸ってから歌うでしょう。ピアノは指が落ちれば音が出るから、歌の時のようなブレスをしなくても弾けてしまう。弦楽器は歌に近いから、それにボウイングという右手の上げ下げがあるから、ブレスをしないと弾けない。ブレスをしたいと言ってたのんでも一緒にしてくれないので、溺れ死にしそうになった。2度と一緒に弾きたくないと思ったら、あちらもそうだったらしく、その後お呼びがかからない。たいていのピアニストとは一度共演すると、その後長いお付き合いになるのに。ま、相性が悪かったのでしょう。以前松本でのコンサートの事を書いたことがあって、お読みくださった方もあると思うけれど、アンサンブルの名人が集まるとこれほど楽しいかという素晴らしい体験をした。いまだにそのコンサートを懐かしんで、時々その時のメンバーと会っている。夜は渋谷の教室に出かけて帰りは10時半帰宅。今日は最近にしては珍しくよく働いたわい、自分で褒めてやらねば。このところきっぱりやめていた夜飲みをほんのちょっぴり、つまみもほんの少しだけ許して労をねぎらった。これでやっと2キロ近く成功したダイエットが元に戻らないといいけれど。

2012年6月13日水曜日

そろそろお手上げ

ハリー・ポッターを原書で読み続けているが、5巻にさしかかるとさらに難しくなってきて、もはや私の英語力ではいかんともしがたい。作者のローリングさんは非常に頭のいいひとで、一年に一卷だけ出版するようにして、子供の成長に合わせるように、内容も語彙も難しくするように書いているらしい。途中まではそれほど難しいとも思わなかったけれど、5巻はのっけからわからないことだらけ。日常で使う慣用句や諺のもじりなどがふんだんに出てくるせいなのだが。だから先生のルースさんも時々レッスン中にイギリスのお母様にメールを送っては、意味を確かめながら教えてもらっている。発音も「母はこう発音するけど、私は違う発音します」などと世代によって変わってくる発音もあるらしい。単語が卷を追うごとに長く難しくなってきているので、発音するのも次第に大変になってきている。私は珍しくRの発音が得意で、そのかわりLの発音までRになってしまうのが困りもの。今日もRとLが続いた単語で何回も発音を直され、最後までOKが出なかった。「うーん、ベター」そこそこできれば良しとしようと思ったら、練習してくるように宿題にされてしまった。レッスンが終わってルース先生が笑って言うには「イギリスに行っても使えない言葉ばかりね。悪い言葉と魔法の言葉が沢山でてくるから」私もこんなに役に立たないレッスンをしても、しょうがないのではないかと思っている。今日のレッスンの章は特に喧嘩やののしる言葉ばかり、これをイギリスで使ったら大変なことになるに違いない。ところがそういう言葉ほどすぐ覚えられる。「役立たずのコソ泥め!」なんて言うのは向こうで喧嘩をしたらきっと恐ろしい効果があると思う。ろくすっぽ日常会話ができないのに、悪い言葉は山ほど覚えた。ローリングさんは悪口雑言には性的な描写の物が多いので、ハリー・ポッターではそのような言葉を使わないようにしているらしい。でもルースさんは「ものすごく汚い言葉で、私は口にも出せない」と言ったことがある。こちらは意味が分かってないから、平気で発音してしまうけれど。もうこれ以上難しくなったら限界。悪口ばかり覚えてどうするの。

2012年6月11日月曜日

ぐうたら

今日は曇天、なんともドヨンとした気候で、こんな時にはさぼるに限る。よく一日一日を大切に生きるという人がいるけれど、私の場合はぜんぜんそんなことはない。なまけたければ怠ける。練習はしたいだけ、したくなった時に。運動は最小限。寝るのも最小限。だから起きてなにか有意義なことをするかというと、そうでもない。いたずらに寝たくないだけ。頭が上げていられなくなってコックリコックリ始まっても頑固に起きている。そのかわり、ベッドに入って電気を消した瞬間、もう眠っている。4匹の猫が全員私のベッドで押すな押すなの大盛況。枕のポジションを争って喧嘩したり。目が醒めて見ると彼らはベッドの隅っこに避難して怒っているし、私は引っ掻き傷をこしらえているので、たぶん寝相が悪く猫を圧迫したに違いない。私が目を醒ますとこれで安全とばかりに、また布団にもぐったり上に乗ったりしてくる。こんなドンヨリした日には何にもしないでうつらうつらしているのが一番。子供の時にちゃんとした家庭で育った子は、勉強の習慣が身についている。朝はお掃除をして散歩をして朝食をきちんと摂ってそれから練習をして、昼食の後はスイミング、読書や英語の勉強、または練習して、夕飯の支度。お風呂に入って夕飯食べて体操をして寝る、そんなパターンだと思う。でも私の育った環境は教育的ではなかった。それで私は朝、猫踊りをしてからパソコンで遊ぶ。飽きたら練習、昼食、気が向けばまた練習、気が向けば散歩、気が向けば・・・気が向かなければ一日どっぷりなんにもしないでいられる特技を持つ。気が向かないと息をするのもめんどくさい。椅子を向い合せに並べて、一つには座った背もたれにドタンとよりかかり、もう一つには足と猫を載せる。背もたれの上にはヘッドレストのように猫が一匹。テーブルにも一匹、これで幸せの構図が出来上がる。そうやって一日中うつらうつら、ネコを撫でたりコーヒー飲んだり・・・あああ・・・極楽じゃよ。

2012年6月10日日曜日

梅雨はつらい。

立川市民会館。毎年この時期同級生のNさんを中心にコンサートが開かれる。音大でのNさんの教え子や、他の門下からも参加して今日も大変盛大な会になった。そこで私はNさんの教え子で、音大を卒業してから今は三島で後進の指導にあたっているМさんと、私たちの大先輩にあたるSさんのお二人と共演させていただいた。ブラームスの「ソナタ2番」ベートーヴェン「スプリングソナタ」の二曲。どちらも私は舌なめずりしたくなるほど好きな曲だから、弾かせてもらえてラッキーだった。ところが昨日の夜、何かの拍子に左手をついたとたんズキリと痛みが走った。体をかがめて猫の餌をやるときなどに、左手をテーブルについたりするとひどく傷む。試しに弾く格好をするとまあまあ大丈夫そうだけど、やはり痛い。思い切って練習をやめて寝てしまった。今朝そんなことは忘れていたので楽器を出していつもと同じように弾き始めると、かなり痛い。どうしたものか。テーピングか湿布をと思ったけれど、そんなことですぐ効くわけはないから、それに本番で弾かないわけにはいかないから、とにかく出かけた。会場にはNさんの出番に間に合うように到着。Nさんは先日ひどく具合が悪く、今回ショパンの難曲「チェロソナタ」のピアノパートを弾くかどうか危ぶまれるほどの体調だったけれど、さすがに本番に向かって快復して、今日は堂々の熱演。みんな大変心配していただけに、本当にうれしかった。私は楽屋で楽器を出して弾くと、ひどく左手が痛い。ビブラートがかからない。でも弾けば治るかもしれない。調子は今一つだったけれどなんとか弾きおおせてあまり輝かしくないブラームスは終わった。1時間後に「スプリングソナタ」このころになると左手の痛みはずいぶん楽になった。本当は痛いのにステージに立つと忘れると言う、まことに都合の良い体質なので、これもなんとか弾いた。こちらの相棒は先輩のSさん。演奏経験の豊富な彼女と弾くとなんと弾きやすいことか。構成がしっかりしている。どのように弾きたいのか明確に表現できる。彼女は来月津田ホールでワルシャワ・フィルのトップ奏者たちと室内楽のコンサートをする。そのプレコンサートとしてワルシャワの人の代役で弾かせて貰ったのが今回の「スプリングソナタ」本当に楽しかった。冒頭の部分、ヴァイオリンがテーマを歌い上げる。ピアノは下で分散和音を弾いているのだが、その絶妙なうまさ。手の痛みはそこですっかり吹き飛んで幸せな気分にかわる。終わってからも手は痛い。触ると熱を持っているようだ。梅雨時、いろいろなところが痛むようになる。この季節は楽器にも人にもつらい。

2012年6月9日土曜日

梅雨入り

今年は爽やかな初夏の気候が少なくて、しかも急激な気温の変化の繰り返しが多かった。昨日は夏日、今日は4月の気温といったようにめまぐるしく変化する。その上、激しい雷、竜巻と言った天変地異に近い天候も多発した。さすが、辰年。龍が空を駆け巡っているようだ。そして大地震が起こる予想と富士山の噴火説まで飛び交っている。おおこわ。でも、人間の力ではいかんともしがたい。おびえていても仕方がないから、それらが起きてから考えよう。もしかしたら、起きた時に即死すればなんの心配もないから、それが一番苦労しないですむかもしれない。でも、できるだけ生きていたいものだと考えている。だらだらとはっきりしない天気模様が続いていたけれど、今日梅雨入り宣言が出された。弦楽器奏者にとって、最も嫌な季節となった。比較的若い楽器だとそこまでは影響されないと思うが、300歳くらいの古い楽器は非常に気難しい。私の楽器も280年くらい古いものだから、その日の気候でおそろしくコンディションが違う。日によっては本当に素晴らしい音がなんの苦労もなく出る。他の日には「なんやね、こらあ、人をおちょくっとるのか」と言いたくなるほど鼻詰まりになる。それをエアコンで騙し騙し、いかにもいいお天気のように感じさせているうちにやっと機嫌を直す。そうなればしめたものだけど、ドアが開いたり人が入ってきたりするだけで、湿気は容赦なく入り込んでくる。一度鳴り始めてしまっても、今度は調弦が狂う。弦はガット絃とナイロン弦が主で、ガット弦は音はいいが湿度に反応しすぎるために、非常に狂いやすい。私はガット弦が好きだから今まではずっとガットで通してきた。けれど、こんな季節には絶え間なく調弦をしていなければならない。以前仕事に行った先の会場が高いところに窓があって、そこから外気が吹き込んでくる造りだったことがある。そこに入った途端私は 即、ナイロン弦にすべて張り替えてしまった。外気の入るところで、しかもその日は雨だったから、そのままガット弦を使っていたら、5分おきに調弦をしていなければならない。それでもガット絃の音色は捨てがたい。今日は明日の本番でどちらを使うか悩んでいた。しばらくガット弦とナイロン弦を交換しては弾き比べ・・・でも、梅雨入り宣言を聞いたのでしばらくはナイロンに決まり。それで私のケースには2種類の絃と、万一必要な時に張り替えても本番ですぐ使えるように、使って伸ばした状態のガット絃が1セット常備されている。日頃の私を知っている人は、よもや私がこんなに用心深いとは夢にも思わないに違いない。それも長年仕事をしてきて苦労した賜物ですぞ。いや実は古い絃は、単に捨てるのを忘れていただけかも。

2012年6月8日金曜日

髪の毛ボサボサ

弓の毛の話が昨日なら、今日は自分の髪の毛のはなし。ずっとカットしてくれていた美容師のKさん。奥さんが無類の動物好きで、そのお蔭で老後のために貯蓄したものがすっからかんになってしまった顛末は、以前投稿した。私も途中抜けたけれど、ここ数年またその人にカットしてもらうようになっていた。ところが、去年くらいから時々おや?と思うようなことがあって、今美容院を変えようかどうか迷っている。昔、原宿で大きな美容院を経営していたKさんは、いわゆるカリスマ美容師だった。場所柄から多くの音楽家、芸能人、有名女優、モデルなどの髪を手掛け、彼がカットに入ると全く口をきかず、恐ろしいほどの集中力で見事なカットの腕をみせてくれた。そして髪が伸びてもカットの見事さは変わらず、きれいに伸びて行ったものだった。ところが最近はセットをしてもらって終わるから、その日はきれいに出来上がっているが、翌日自分で洗って下手くそなブロウをすると、あちこちの毛の長さがひどく不均衡で、全くまとまらない。左と右の毛の長さがたいてい違っている。仕事中にやたらにおしゃべりをするなど、ん?変だなと思うことが多くなった。以前のほれぼれするような見事な鋏捌きは影をひそめ、やたらに漉き鋏を使うようになった。年齢と仕事に対する意欲の問題か。美容師も常に勉強していなければ腕は鈍るものでしょう。私たちが練習しなければ、大体数日でガタンと弾けなくなって、取り戻すのに何日もかかるのと一緒だと思う。どうやら彼にはその気力も失ったようだ。とすると、私は新しい美容師を捜さなければいけなくなる。自分にぴったりの美容師を捜すのは至難の業で、今までどれくらい苦労したことか。腕がいいと紹介されて行っても、自分とあわなければ一回で行かなくなる。今日は月一の恒例「弾く会」の集まりだったのに、髪がボサボサで悲しい。髪型が変わったわねと言われて、そうじゃないのよと説明しなければならない。不本意にも伸びてしまっただけ。例会はいつものように爆笑と美味しいごはんで終わって、それはよかったけれど、10日に立川市民会館でベートーヴェンとブラームスのソナタを弾くのに、いったいどうしたらいいのかしら。ドレスもちゃんと出来上がってないし、エーン、おしゃれは演奏以上の楽しみなのに。

弓の毛

長い間同じ工房で弓の毛の張替を頼んでいた。そこは弓専門の技術では他の追随を許さないと言われた一代目「弓のFさん」で通っていた。その人が体を壊して、今は息子さんが後を継いでいる。お父さんは気さくな方で、毛替えが終わるとよく話し込んでしまった。引退間近には人懐かしいのか、わざわざ車で最寄でない遠い駅まで送ってもらったりした。2人の息子さんが両方ともお父さんの仕事を継いで立派に独り立ちしている。あるとき忙しいので向ヶ丘遊園のそのお宅に行くのが面倒になって、つい出入りの楽器屋さんに毛替えをたのんでしまった。値段も格段に安い。貧乏音楽家にはありがたいし、そこの講師の知人も張り替えていると言う。そして出来上がってきたものは、見るも無残なぼこぼこ波打った毛。使ってみたけれど、とうてい使い物にならない。もう一度張り替えを頼むと、さすがに緊張して見た目はきれいに張って戻ってきた。うん、これならいいかもしれない。しかし使ってみると、前よりマシだがどうにも違和感がある。そのお店には教室もあって名の知れた先生も多い。その方たちもそこで張り替えるのだから、私の感覚がおかしいのかと思ったけれど、それでも我慢できなくなって、ついにいつもの工房に出向いた。忙しいのなんの言ってはいられない。こんな状態では楽器も可哀そう。出来上がりは前の状態と見た目大して変わりはない。しかもお値段は高い。しかし、ああ、これだよね。これでなくっちゃ。弓の性能が一ランク上がった。いったいどこが違うのかわからなかったけれど、くだんの出入りの楽器屋さんが来てその話になった。ぜひ見たいと言うから見せたら非常に感激して、毛の付け根のところがかすかに丸みを帯びていること、緩めた時に見事に均斉がとれていること、これはすごい技術ですと言う。自分のところの職人をけなされているのに、良い技術の前には謙虚に頭を下げるところがえらい。おそらくこんな張り方ができるのは世界にもあまりいないと、最大限の賞賛をして帰って行った。私も長い間ほとんどその工房で頼んでいたので、これほど技術に差があるとは思いもよらなかった。いい腕は大事にしなくては。

2012年6月7日木曜日

ドレスをなおす。

お気に入りのステージドレス専門店「メイミィ」で新しく買ったバイオレットのドレスは、我ながらこんな色が似あうのかと思うくらい、色映りはとてもいい。けれど残念なことにモデル体型には程遠いから、あちらを詰めこちらを伸ばししないといけない。今回は胸の切り替えのところを調節してもらって、丈をつめた。その時に出る端切れをいつも貰ってくる。二の腕の付け根がたるみ切って振袖状態。普通にしていれば、まあ、少し太めだなあと思われるくらいだが、ヴァイオリンを弾くときは右腕が客席にもろ露わになる。弓を動かすたびにその振袖もプルプルと一緒に動くから、演奏を聴くよりそちらを見られているのではないかと心配になる。聴衆というけれど決して聴いているだけではないから、上から下までじろじろ見られていると思って間違いない。特に私の演奏は世界の巨匠には程遠いから、聴くより眠るか見る人のほうが多いに違いない。「あの方大分太ったわね。昔は細かったのに」とか「あら今顔しかめたわ。間違えたのかしら」等々。それで毎回新しいドレスを買った時には、二の腕の振袖を隠すために涙ぐましい努力をさせられる。本番間近かになって、忙しくて練習も足りてないのに、振袖対策で夜中まで針を持って、ああでもないこうでもない、見えにくくなった目が針孔に糸を通しにくくして、ああ、もうやだ!外国人はあまり気にもしないで二の腕から胸も半分くらい見せるのに、日本人は羞恥心があって中々踏み切れない。私はどちらかと言うと胸のあいているデザインが好きで、背中も思いっきり出すほうだけれど、そうすると周りとつり合いが取れなくなる。一度ある弦楽アンサンブルにエキストラで行った時、演奏後のレセプションで聴衆の一人から「一人だけ衣装の雰囲気が違いますね」と言われた。よくよく見回すと成程、他の人たちは私以外全員、現役のオーケストラのメンバーで、いかにも地味な衣装だった。私だけ胸が大きく開いた派手な衣装だったので目立ってしまったらしい。あるときこの同じ衣装でステージ袖で出番を待っていたら、背の高い男性ピアニストが私の横にはりついて離れない。なぜかと思ったら上からのぞいていたのには驚いた。そのピアニストは全く女性には興味がない人だったので、こんなもの覗いてどうすると言ってあげようかと思った。その後そのドレスは襟を糸で縫い縮めてしっかりと禁欲的になって、あのピアニストともその後会っていない。今回も胸が半分くらい見えるデザインなので端切れでふさぐ。しかし、面倒なこと。せっかくセクシーなデザインのドレスを買っても、いつもこんな苦労をしなければならないとは。

2012年6月4日月曜日

ほらね、風邪が治った。

昨日まで喉が痛いのだるいの言っていたのに、今日は朝10時半から夕方まで、合わせもの。午前はリヒャルト・シュトラウスを、昼食後はベートーヴェンのトリオとプロコフィエフのソナタを合わせて日が暮れた。こうすればほとんどの風邪は治ってしまう。都合の良い体質だから。いつも思うのは、ヴァイオリンが私の健康のためにどれほど役立っているかと言うこと。たぶん全身運動になっているので健康でいられるのと、仲間と一緒に演奏ができることが生きがいとなっているのだろう。お互い憎まれ口をたたきながら、なにかと気を遣ってくれているのはよくわかっている。一人具合が悪かった人がいて、皆でとても心配していた。でも、見守りはするが、本人が望まない限り余計な手出しはしない。その辺は長年のあうんの呼吸でやっている。幸いその人も最悪の事態は免れて、ほっとしている。すこしの間休んでいたのが復帰するので、皆とても喜んでいる。ピアニストと言う人種は一人であの大きな楽器と向き合い、一人でも完成された曲を弾くことが出来るから、しっかりと自分の世界が出来上がってしまって他人の侵入を許さない人も中にはいる。弦楽器はどうしてもピアノと一緒、またはほかの楽器との共演でないと曲が完成されないことの方が多い。だから絶えず他人との接触がある。それで初めて会うピアニストと合わせる時は、かなりその砦に入り込むのが大変なことがある。幸いなことに、キャリアを積んだわが友人たちは懐が深い。お互い弾きたい放題、言いたい放題言いながら、次第に歩み寄っていつのまにか一つの曲が完成されていく過程がこの上なく楽しい。これじゃあ、どうしても合わせられないと最初は思っても、どういたしまして、最後にはそれぞれが勝手に動いてもちゃんとサポートできるくらいに弾き込んでいく。これだからいつまでも風邪なんかひいてはいられないでしょう。今日は沢山練習したので整体に行って念入りにほぐしてもらった。さて、寝る前に猫踊りでもするか。これで今夜は熟睡!と言ってもほとんど毎日熟睡しているけどね。

2012年6月3日日曜日

貧乏性

珍しく3日間なんの予定もない日がぽっかりとできた。人と会う約束も仕事もレッスンもなにもなくて、それでもいつもと変わらず練習をして本を読んでいたけれど、気が緩んだのか、喉が痛くなって風邪気味となってしまった。せっかくの貴重なオフタイムを風邪ひきでは全く冴えない。忙しく仕事をしていた頃もそうだった。ようやく休みが取れると言う前日にたいてい熱を出し、せっかくあれこれ、例えば映画を見よう、美容院に行こう、などと楽しみにしていたことが全部おじゃんになる。本人は元々あまり丈夫ではない。子供の頃から病気はお友達で、小学校は1か月のうち1週間は休んでいた。もっともこれは親が甘く、少しでも冴えない顔をしていると母親の方から休ませたからでもあった。家の軒下には私のためにげんのしょうこが干し草になってつるしたあった。これは漢方薬だとおもうけれど、なんの症状に効くのか飲まされる本人にはわからなかった。たぶん、胃腸薬?苦いのでいやがると、お砂糖を入れて飲まされた。そして家で天井を眺めてゴロゴロ寝ていた。たぶん非常に体が弱かったのだろう。本人は意識していなかったけれど、親は心配していたらしい。一切無理はさせなかったから。それが成人してオーケストラに入ってしまったから、猛烈な忙しさになって「休んでいいのは自分が死んだ時だけだ」などと恐ろしいことを言う当時のインスペクター、後の団長がいて、気管支炎で喉がつまりそうでも休むことはなかった。その代りほんの少しの休みの日には死んだようになって、高熱を出して寝込んでいた。その悪しき習慣からか、いまだに休みの日は具合が悪い。一度赤い靴を履いてしまった少女?は生涯踊りつ続けなければならないのか。もう少女ではないから、休んでもいいじゃない。どうしても働いていたい貧乏性(本当に貧乏なんだけど)はずっと治らないものなのか。損だなあ。世の中には仕事をやめるとのんびりと家に居られるひともいる。私だってそうしようと思っていたのに、やはり休めない。ああ、損した。休みたいのに休めない。グフフ、本当はね、休みたくないのさ。陰の声がそういう。本当はどちらがいいのかしら。自分でもわかりません。

2012年6月2日土曜日

ようやく1キロ減量

自分のブログでたしかめたところ、ダイエットを始めたのが2月の末らしい。もう6月だから3か月くらい経っている。そして昨日体重を測ったら、やっと1キロ減っていた。今回は体力を落とさずに減らすことが目標なので、徐々にやらなければならない。もっと過激にすれば1週間に1日断食する日を作ればいい。こうすると1ヶ月で1キロは痩せられる。そうやってあるとき7キロもの減量をしたことがある。それから3キロリバウンドしてずっと維持していたのが、この頃またさらに1キロ増えたのでダイエットに入った。まず間食をしない。朝ご飯は変わらずしっかりと。昼からいままでの約半分。夜はもっと少なく。どんなにお腹が空いても夜食を食べない。幸い睡眠の達人だから、ねむくなればお腹が空いていても眠れる。グーグーお腹がなっていても横になって電気を消せば、ストンと寝てしまう。むしろたくさん食べて苦しい時は、いやな夢をみたりする。たった1キロとあなどるなかれ。すでに体が軽くなって動きが楽になってきている。それと朝のダンスタイム。CDに合わせて滅茶苦茶なダンスをする。柔軟体操やマシーンによる筋トレなどは苦手。楽しくない。黙々と毎日励んでいる人をみるが、何が面白くてあんな単調なことが続けられるのだろうか。それより楽しい音楽にのって体を動かしていると、心まで生き生きしてくる。ただ、いつものことだけど、私はなんでもやりすぎる。一時コアリズムというのに凝ってDVDを見ながら毎日のように踊っていたら、おそろしく疲れて具合が悪くなってしまってことがある。ダンベル体操もやりすぎで筋肉が隆々となってしまったこともある。何事もほどほどに・・・ができない。そこで考えたのが今回のダンス。かわいらしい曲が沢山入っているものを選んで、自分なりの全身運動。たいていは速い曲と遅い曲が入り混じっているから、数分毎に速くそして遅くという具合に動きが変わる。これがいい。当分この路線で、次に効果が表れるのは何か月後かしら。

2012年6月1日金曜日

国際免許

国際免許は今まで神奈川県の運転免許試験場までわざわざとりに行っていた。試験場は横浜市二俣川の姉の家の近くだから行ってもよかったのだが、ネットで調べたら、なーんだ近くの警察署でとれるんじゃないの。今度で3回目だから2回はわざわざ遠くまでとりに行ったわけで、なにか損した気分。運転免許試験場は一度スピード違反で免停となり、講習を受けさせられ罰金を大枚払わされた苦い経験から、なるべく行きたくないと思っていたので助かった。まず写真を撮るために安全協会に行って撮影と手数料の印紙を購入。撮影が終わってさて、さっきの印紙は?ない。ない。ここにもない。バッグの隅々まで探す。小物入れの中身を全部出しても入っていない。たしかにもらったはず。もう一度さがす。さらにもう一度。受付の人たちを巻き込んで大騒ぎ。すると、財布の小銭入れの隅に申し訳なさそうな顔をして、ひっそりと貼りついている薄いものが・・・ありましたー。思わず大きな声で叫んでしまった。「最近まいにちこうなのよ」と言うと受付の人は苦笑い。こんな頓珍漢が外国で運転なんかできるのだろうかと思っているに違いない。今年の初秋にイギリスに行くことになった。往復の航空券だけはスーパー早割で求めてあるけれど、あとはまだ何の手配もしていない。ロンドンに着いたら一日だけ泊って、翌日列車でマンチェスターに行って湖水地方を回って、帰り道にコツウォルズに何泊かしてロンドンに戻り、帰国というのが大体の計画だけど、車がないと中々回り辛いようだ。海外での運転はドイツ、オーストリア、イタリアで経験している。日本で走るよりずっと走りやすいというのが私の感想。左ハンドルも右側通行も苦にならない。ましてイギリスは日本と同じ左側通行。一緒に行くOさんも、なんでもへいちゃらな人だから、大そうおかしな珍道中になると思うけれど、無事に帰ってこられるでしょう。英語は私はハリー・ポッター語しかできない。ハリー・ポッターに出てくるダイアゴンアレイに似ている通りがあるそうで、英語の先生のルースさんがぜひ行ってらっしゃいと言っている。探し当てられるかどうか。さてどんなたびになるか大いに楽しみにしている。その前にいっぱい演奏しなくてはいけないのに、気分はもう旅の空。あぶないなあ、これは。