2012年6月23日土曜日

母の17回忌

母が亡くなってから16年、今はもう悲しい気持ちも遥かに消えているようでいて、時々お墓に行くと少し涙ぐんだりする。母は当時としては高い教育水準で育ったけれど、結婚して6人も子供を産んでしまったので、自分のやりたいことが出来なかった。亡くなる間際に「これでもうおしまいだとしたら、ずいぶんつまらないねえ」と言ったのを聴いて胸を突かれる思いがした。その代り6人の子供たちはちゃんとした教育を受けさせてもらい、それぞれ好きなことをやらせてもらった。母性愛の塊みたいな人で、それは裏返せば支配欲とでもいえるかもしれないが、子供たちを自分の羽の下にヌクヌクと潜らせて守る鳥(酉年でした)のように私たちは育まれた。母の言いつけは我が家では絶対で、孫たちの進学する大学まで指図したので、当時は行き過ぎでないかと思ったけれど、結局なんでも言うことを聞いておけば間違いなく上手くいくので皆母に従った。それだけ頭の切れる人だったから時々「あの人は男に生まれればよかったのに」などと姉妹で話した。どちらかと言うとお人よし過ぎてどんどん財産を減らしていく父親を見ていると、もし母がいなかったらとても貧乏になってしまったことだろう。母が必死で父の浪費を食い止めていたようだ。父は気が優しく人の世話をよく見た。母はうちの子供たちだけでも大変なのに、他人の面倒まで見ることを良くは思っていなくて、それでしょっちゅう喧嘩をしていた。それでも母の葬儀の時には1000人近い人が参列してくれた。これは父に対する礼儀からだったと思う。父はその後10年ほどして亡くなった。今頃あちらで再会しているかどうか。喧嘩はするけれど仲が良いこともあったから、あちらでも喧嘩しいしい一緒にいるかもしれない。今日兄から我が家の家系図を渡された。なんと安土桃山時代までさかのぼって調べ上げたらしい。大変珍しい姓なので歴史家が調べてくれたそうだけど、ほとんどそんなことに無頓着な兄弟姉妹だから皆それを見てふーんと言うばかり。兄はさぞがっかりしたことだろう。だってご先祖が判ったって自分が偉くないのだから、だからなんなんだという気持ちしか沸かないでしょう。しかし伝え聞くところ、奇人変人揃いだったようで、その血は私の中に脈々と流れていると思うと、私ももう少し変な人でいてもよかったなあと・・・・だれ?充分変だと言った人は。

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