2012年9月30日日曜日

発表会

昨日は音楽教室「ルフォスタ」の年一回のクラシック部門の発表会。会場の都合で午後3時からしか使えないので、生徒数を絞って40組、グループもあったから総勢60人くらいは出演したと思う。その間自分の生徒の演奏を聴いたり伴奏に回ったりと大忙し。クラシックのヴァイオリンの教師は3人、ヴィオラ1人、チェロ2人、以前は私がヴァイオリンとヴィオラの教師も兼ねていたが、最近おなじみFUMIKOさんが教師陣に加わったので、今年は彼女が伴奏に参加してくれるものと思っていたら、あてがはずれて今年も私がヴィオラを弾く羽目になってしまった。その上なんだかんだトラブルがあって、私の生徒のうちの一人のピアノ伴奏まですることになった。ピアノは学校を卒業して以来、練習もしていない。ふりかかった災難に青くなりながら昨日午前中いっぱい練習をして、本番は緊張しながらなんとか終わった。毎年頑張っているメンバーは確実に上手くなっている。今年私の生徒が頑張ってサンサーンス「序奏とロンドカプリチオーソ」を弾いた。彼は会社から帰ると家族が寝静まってから真夜中に気が遠くなるほど練習したと言う。見事な出来栄え。もう一人はラロ「スペイン交響曲」に挑戦した。彼女もひどく癖のある弾き方だったのが努力して直し、音も豊かにリズムもしっかりとしてきた。仕事は国際的で、韓国へ出張が続いて度々レッスンも休まなければならなかった。それでもこのような大曲に挑戦してのけた。2人に共通するのは性格の素直さ。人を受け入れる懐の大きさ。どんな仕事をするにしても一番大切なことかもしれない。負うた子に教えられるとはこのこと。生徒に教えられながら私たちは成長していく。終了したのは20時30分。もし全員参加となると、朝11時から始めてこの時間に終わる。伴奏者はヘトヘト、スタッフもクタクタとなる。演奏した生徒たちはレベルの差があっても、みな一様に満足している。大学生の息子を持つ専業主婦が「私でも脚光をあびられるのですね」と感無量だった。誰だってステージに立てばもう大スター。でも本当はそこに至るまでの努力こそが宝石なのだ。

2012年9月28日金曜日

古典定期はいつも満員

昨日も聴きに来てくださった方々ありがとうございます。夕方から雨の予報にも拘わらず客席はほぼ埋まり、こんなにも沢山の方にサポートされているのだと思うと嬉しくなる。最近「古典」のメンバーもすっかり年を取った。当たり前ともいえるけど、来年は創立60周年。コンサートマスターの角道さんは約半世紀以上在籍。そのほかのメンバーもみな数十年も一緒に演奏している。メンバーの平均年齢はそのために非常に高いので、目が悪くなったり指が曲がったり、枚挙にいとまはないが、とにかくこんなにメンバーが変わらない合奏団は珍しいと言える。ヴィオラは時々世代交代するが、数年前から参加の東さんも初めは「自分はどこのグループでも3年くらいしかもたない」と言っていたけれど、早くも延長記録を伸ばしている。私は皆さんよりもだいぶ後から参加だったけれど、沢山コンチェルトのソロを弾かせてもらった。今回は中でも角道さんに次ぐ古狸(本人には内緒ね)の新谷絵美さんのソロ。感動しました。関節炎で指が痛いと言いながら、豊かな温かみのある音で朗々と歌い上げた。歳を重ねないと出てこないものがある。沢山の経験や喜怒哀楽を経て深みを増した音楽は、若者のスポーツのような演奏では味わえない。こんな地味な演奏会に誰が来るかとおもうけれど、それなりに皆さんの心に沁みていくようなら続けていてよかったと思う。ずっと通ってくださる方も沢山いて、その方たちから次の方に受け継がれて、席を取るのが大変と言う声まで聞こえてくる。この中のメンバーが一人でもやめたら「古典」はおしまいにすると角道さんの半ば脅迫的な言葉で、目がかすんで本番が恐ろしいのに、まだやめられない。年々緊張度が増してくる。楽譜が良く見えない、反射神経が鈍ってきたなどの悪条件が重なって、自分が信用できなくなっているから。

2012年9月26日水曜日

ジュリちゃん

イギリスでペット用のおもちゃや服を作っているお店があった。ヴィオラのFUMIKOさんの愛犬ジュリちゃんへのお土産に、羊のぬいぐるみを買った。ワンちゃんが喜んで遊ぶらしい。今日は小平のケアハウスでの演奏会で一緒だったので、少し遅れてお土産にと手渡したら後でメールが来て、なんと可哀想に飼い主がジュリちゃんから取り上げて自分のものにしたらしい。というのも、FUMIKOさんがビークル犬のぬいぐるみをジュリちゃんに与えたところ、喉を食い破ってしまったという経緯があるから無理もない。でも、私はジュリちゃんにあげたのになあ。

2012年9月24日月曜日

古典音楽協会定期演奏会

私たちの音楽会にぜひいらっしゃってください。今週の木曜日です。毎回沢山のお客様が来てくださいます。本当に感謝しております。ホームページはこちらから。

2012年9月23日日曜日

ピンチヒッター

昨夜夕飯にいつも飲んでいるノンアルコールのビールを切らしていたので、アルコール度数の低いビールを飲むことにした。最近アルコールを飲まなくなっていたから思いがけないほど酔ってしまって、そのままベッドへ入って眠ってしまった。携帯の着信音が耳元で喧しくなるので目が醒めた。ちょうど21時ころ。まったくもう、誰から?人が早寝すると決まって電話がかかってくるのだから。電話の向こうからは切迫した感じの声がする。今週の土曜日は音楽教室「ルフォスタ」の発表会で、今日が伴奏合わせの日。電話の要件は、ピアノ伴奏者のうちの一人が急病で倒れたので他の人を頼めないかと言う。前日に言われて間に合うピアニストなんてそうそういない。ほとんどの曲を初見で弾かなければいけないから、初見がきいて合わせるのも上手い人でないと。そこで先日イギリスに一緒に行った美里さんに電話をした。ところが今日は美里さんの先生を囲むお食事会があるという。そこを何とかと苦し紛れに頼むと、会食を早めに切り上げて来てくれると言う。持つべきものは友。そして本番は今週土曜日。それも生徒のレッスンを都合をつけて変えてくれると言う。本当に後光が差します、美里さん。「あなたの頼みならきかないわけ行かないじゃない」おいおい、泣かせないで。とにかく今日の音合わせは無事終了した。ただ一人だけ、とてもテンポの揺れる人がいて、その人だけはさすがの美里さんもお手上げ。それは私の生徒だから、私がその人の伴奏を弾くはめになってしまった。人前でピアノを弾くのは何十年ぶりか。ピアノは日頃弾いていないからきっと緊張するだろうなあ。困った困った。一週間ピアノを練習しなければ。今回はヴィオラの先生が出演しないので、私がヴィオラを弾く。馴れないヴィオラとピアノ。生徒よりも緊張するのは私かもしれない。

モーツァルトとベートーヴェン、漱石と百閒

久しぶりにモーツァルトのピアノトリオを弾いたら、ベートーヴェンとのあまりの違いにびっくり。最近はベートーヴェン好きの友人に引きずられて苦手なベートーヴェンを連続して弾いていた。やっとベートーヴェンに馴れてきて悪くないと思えるようになってきたのに、モーツァルトを弾いたらベートーヴェンはかすんでしまった。なんという生き生きとした音楽!命が迸る。感情がさく裂する。本物の天才。神様の申し子。それだけに演奏するのは難しい。一瞬の油断が命取りとなる。彼の頭の中で出来あがった音楽は推敲の必要もなく、そのまま五線紙に書き写すだけだったと聞く。無駄がない。一つの訂正もないらしい。そして、漱石の「吾輩は猫である」のもじりである内田百閒の「贋作吾輩は猫である」を読むと、漱石との差は歴然。百閒は好きな作家の上位に位置するが、こうしてみると、やはりモーツァルトとベートーヴェンと同じくらい違う。漱石の「猫」の研ぎ澄まされたユーモアやウイットは百閒先生には荷が重い。百閒の「猫」はそれなりに面白いけれど、大勢出てきてワイワイ騒いでいるだけ。やはり天才と準天才の違い。凡人の私が偉そうに言うのもおこがましいが、この差を埋めるのは不可能に違いない。ベートーヴェンの偉業は音楽史上に燦然と輝いても、もし私が明日をも知れぬ命となった時聴きたいのはモーツァルト。子供の頃、学校から家に戻って最初に聴くのはモーツァルトの「交響曲40番」だった。毎日聴いても何年聴いても飽きない。8年前、自分自身の音楽活動に一区切りをつけるために催したコンサートも、モーツァルトの長大な「ディヴェルティメント17番」を選んだ。「うれしそうに弾いていたね」というのが大半の批評。そう、本当に楽しかったのです。

2012年9月22日土曜日

おしゃべり撃退装置

毎年ユーモアのある科学研究に贈られるイグノーベル賞。今年も日本人が受賞したそうな。名つけて「スピーチ・ジャマー」妨害を意味する英語のジャムと日本語の邪魔を掛けて命名。開発したのは産業技術総合研究所の栗原一貴さんと科学技術振興機構の塚田浩二さん。話している人の声をマイクで拾い約0・2秒後に指向性のあるマイクで本人に送り返すと、なぜか上手くしゃべれなくなるそうで、スピーカーからの声は30メートル先まで届くと言う。私の楽しみはおしゃべり。聞くのも話すのも大好き。気があった人となら一日中でも喋っていられる。それをもし妨害されたら、いやだなあ。でも中には詰まらないことをくどくど々喋る人もいるから、そういう時に使いたくなるかもしれない。昔仕事仲間によくしゃべるおじさんがいて「シャベリウス」とあだ名がついていた。もちろん「シベリウス」のもじり。でも私はそんなにうるさいと感じたことはなかった。おしゃべりは脳みその体操。自分の中でまとめて発信し、人の言葉を聞いて反応して、又送り返す。かなり高度な脳体操だと思うけど。ところでイグノーベル賞はこのところずっと日本人が受賞している。2011年10月4日2010年11月24日のこのブログを参照してみてください。ちなみに去年は「わさび警報装置」一昨年は「粘菌の研究」その頃11月24日のnekotamaを読み返すと短くまとまっている。最近のこのブログはやたらに長くなってきた。脳みそが壊れて文章もおしゃべりになってきたかな。反省!今日はだからここまで。

日焼け止め

今年はどうしたことか、一向に涼しくならない。私は体の99%が水で出来ているから、毎日大汗をかいている。私のカルテット演奏初体験は高校2年の学内演奏会、演し物はハイドン「ひばり」今のように学校には冷房など完備されていなかったから、夏の暑い日(たぶん夏休みに入る直前の演奏会だったと思う)、汗が腿を伝わってスウーっと流れ落ちたのを鮮明に覚えている。若いころは汗は体の下の方にかいて、それからだんだんに上に上がってくるそうだ。今はもう上の方に汗が集中している。更年期にもなると、顔はほてり汗が流れ落ち、せっかく塗り込めたシミなどはあっという間に露出して、みるも無残な状態になる。それならいっそのこと化粧などやめちまえというので、ほとんど化粧水もつけないでいたら、それが正解だったらしい。時々病院で肌のケアを受けているが、そこでの指導が化粧品を一切つけないことというのだから。大体化粧品売り場に行くと、途方に暮れるほどの化粧品がならんでいて、しかもおしゃれなビンに小さな薄い字で説明書きがあって、私の目にはそれは字であるのか模様であるのかはっきりと映らない。一体これはなに?どんなときに使えばいいの?顔に使うの?などと一度では到底わからない。思いがけなく長居をしていると、たいてい店員が用もないのにやってきて、そこいら辺をかたずけるふりをし始める。万引きおばさんと思うらしい。それで店員のやっていることをじっと見ていると、本当になんの役にも立たないことをやっている。同じ商品を並べ替えたり、列を直すのにいちいちとりだして同じところに戻したり、ははあ、ご苦労さん。いったいなにをしているの?と一度聞いてみたい。私が唯一使うのは日焼け止め。これはもう必需品で、病院でピーリングをしたあとじかに紫外線に当たると大変なことになる。いまだにやっているスポーツがスキーだから、雪焼け防止にも。化粧品売り場に行って日焼け止めひとつ買うのもそういったわけで大変だから、イギリスに行く前に通販で注文したことがある。なるべく肌によさそうなものをと思って注文して届いたものは予想していた物よりも大きかった。忙しかったのでそのままポーチに突っ込んで旅行に出てしまった。使ってみるといやにぬるぬるしている。外出時にはその上から薄くファンデーションをつける。なにか使い心地が腑に落ちない。4日間ほど使ってから不審に思ってよくよく見ると、なんと洗顔用の石鹸だった。そんなわけでイギリスに居る間日焼け止めなしで過ごさなければならなくなった。美容外来より粗忽な性格を矯正する病院に行った方がいいようだ。

2012年9月20日木曜日

墓参り

昨日モーちゃんを探しに墓地に行ったおかげで、お彼岸であることを思い出した。今朝早く開いているスーパーにお花を買いに行って、先祖のいる近所のお寺へ出かけた。お寺のど真ん中に大きな銀杏の木がある。その真下に私の先祖が集まっていて、私の両親が一番の新参者。なんせ癖のあることで語り草になっていたような変わり者揃いの先祖たちだから、うちの父親などはその中で小さくなっているに違いない。父親は超のつくお人好しで、ご先祖様にいただいたたくさんの資産もあらかた使い切ってしまったので、私たちにはほとんどなにも残っていない。そのかわり私たち兄弟は、遺産を巡る醜い争いも避けられて仲よくやっていられると、まあ、こう思わないと。父が経済観念のある人だったら、今頃私はストラディバリウスを買っていたかもしれない。それで毎日楽器に馬鹿にされて泣いていたことだろう。それが避けられて、まあ、幸せだったと思わないと。などと考えていると突然脇から男の人が現れて「**太郎おじさんにお線香をあげさせてください」と言う。「ありがとうございます。どちらさまでいらっしゃいますか」と聞くと「今、町会長をやっているものです。お父様には大変お世話になりました」父は戦後の物のない時代に人が困っているのが見過ごせなく、自分の会社は部下に丸投げして人のために奔走するような人だったから、家族からの評判は今一。うちには食い詰めた人たちが居候したり、裏庭にテントを張って暮らしていたりで、てんやわんや。犬や猫やウサギ、アヒル、小鳥、鶏など動物もいっぱい。私はにぎやかな少女時代を過ごしてきた。しかし大家族の中では一人一人の子供に対する関心は希薄だから、孤独を愛する心も養われて、それが楽器を弾くことにも役に立っているかもしれない。今自分があるのはこのどうしようもない父親と、愛情過多の母親と、人をおもちゃのようにいじくりまわして可愛がってくれた兄姉たち。その愛情がどっと集中するはけ口としての動物たちの存在。動物ならぐれたりしない。甘やかしてもだめにならないところが偉い。モーちゃんのおかげで墓参りができた。猫の恩返しかも。

2012年9月19日水曜日

モーちゃん還る

今日はモヤを捜して一日落ち着かない日だった。午前中外出した後、1時間くらい近所を捜し回った。時間切れとなって又外出。4時ころ帰宅。今日は昨日よりも遠くに行ってしまった可能性があるので、範囲を広げてみた。しかし、いない。お寺や墓地などは野良猫の巣窟だから、そのあたりを重点的に探す。墓参者が多い。ああ、そうか、秋のお彼岸なのだ。すっかり忘れていた。「モーちゃん」を連呼しながら歩き回って、犬に吠えられたり、人から不審そうに見られたりするけれど構っちゃいられない。自宅の周りでも大きな声で呼んでみる。返事はなく、毎日餌をねだりに来るノラが顔を出す。ヴァイオリンの練習が終わって夕飯前にもう一度、今度はさらに範囲を広げ、隣の町内まで歩き回った。いない。家に戻って、押し入れをくまなく捜し、布団やタオルの間を探る。その頃にはもう涙声。みあたらない。何回も階段を昇り降りして、そのたびに階段下のガラクタの間を覗いていたのに、ウンともスンとも返事がない。けれど、ほんのかすかなカサッという音が聞こえた。おや?今の音は!「モーちゃん!」呼びかけると涼しい顔でニャアと現れた。まったくもう。どれほど心配したことか。今日未明の激しい雷雨に驚いて、とんでもない所まで逃げて行ったのかと思った。昨夜も出たり入ったり、側を何回も通っているのだから、ちょっと返事くらいできそうなものなのに。モヤは不思議猫で、姿や気配を消してしまうことがしょっちゅうある。1日か2日くらい絶食して、気が済むまで一人でいるようだ。飛び抜けて頭が良く、性格も明るい。しかも、人の心が読める。落ち込めば必ず優しく付き添ってくれる。愛情深い性格なのだ。時々こうして人騒がせな行動をとるけれど、私の宝物。モーちゃんが見つかったので今日のビール(ノンアルコール)は一段と美味しかった。

消えたモーちゃん

モーちゃんことモヤちゃんは私の守り猫。気分が悪かったり落ち込んでいたりすると必ずそばにいて、手を差し伸べてくれる。昨日から姿が見えない。それこそ猫の額ほどの狭い我が家には、それほど隠れるところはない。しかしモーちゃんは雲隠れの天才で、一度などは箪笥の抽斗をあけっぱなしにしておいたら、その裏側に入っていた。そうとは知らずに抽斗を収めてしまい、しばらくしてかすかな鳴き声が箪笥の裏から聞こえてきた。あわてて抽斗を引っ張り出すと、箪笥の裏板と抽斗のわずかな隙間に閉じ込められているのが見つかった。だから今回もあまり気にもしていなかった。気が向いたらそのうち出てくるものと思った。昨日実は気になることがあった。私の家は住居エリアとレッスン室が階段の踊り場を挟んで向い合せになっている。そこを行き来していたとき、物音がしたのでレッスン室のドアを開けて住居を見ると、そちら側のドアが開いていた。ドアのストッパーが壊れたのをそのままにしてあったので、しっかり閉めないとドアが開けっ放しになってしまう。閉め方が悪かったらしく半開き状態になっていた。いつもならしばらくレッスン室にこもるときには住居のほうには鍵をかける。さいきんこの辺でも空き巣が多いから用心のために。でも、我が家はコソ泥が入ったとしても「先客がいたのですね。失礼しました」と泥棒が言って出ていくと思われるほどの散らかりようだし、盗みたくなるようなめぼしい物はなんにもない。だから多少不用心になっていた。ところが、それから杳としてモヤの行方が分からない。未明に猫の鳴き声がして、目が覚めた。まだ真っ暗な中を近所を一回り。いない。夜が明けて一回り。いない。もしかして家にいるかと探しているのに、うんともすんとも返事がない。うちのドアが万一あいていても、建物に入るためのドアが閉まっていれば猫の力では開かないから、外へは出られないはず。でも、だれか人が来たのでびっくりして、その人が開けたドアから出て行った可能性もある。もう、心臓はドキドキ、目は涙目になっている。モヤちゃん早く出てこないとかあさんは病気になってしまうよ。

2012年9月18日火曜日

食べ過ぎ

昨日コンサートの打ち上げで食べ過ぎた。最近アルコールも控えているし、食べる量がぐんと減ったので大分痩せたのに、すっかり元の木阿弥。これで又弾みがついて馬鹿食いしないようにと思いながら、目の前に次々出される料理には打ち勝てず、食べ終わってから後悔しても、もう遅い。脂っこいものを食べすぎたうえ、ジントニックの甘さに騙されつい飲みすぎて少々気分が悪くなった。なんとか冷静さを保って家に帰ると酔いは醒めて、やっと気分が良くなった。一度やってみたいのが「昨日はどうやって家に帰ったのか覚えていない」ということ。私は飲んでいても必ずここでストップという瞬間があって、いままで酔いつぶれたことはない。そこを超えればきっと忘我の世界に行けるとは思うけれど、恐ろしくてそんなことはできない。とてもおとなしげな人が「昨日の事は全然覚えてないわ」などと平気でおっしゃる。ふーん、勇気ある人!どんなときにも我を忘れることが無いと言うのは、考えてみるといささかつまらない。大体ガクタイ(音楽家)でこういう性格は大成しない。自己破滅型の人が往々にして芸術の世界で良い仕事をして、破滅して死んでいく。生きているうちは厄介者の扱いだったのが、死ぬと急に賞賛され、全然売れなかった仕事が評価されて、生き残った家族がぼろもうけをするという仕組み。虎は死して皮を残す。私は皮どころか髭一本残らないに違いない。残るのは楽器のみ。そのうち関東も大地震に襲われるそうだから、自分の命は失っても、楽器だけは生き延びさせてあげたい。なんといっても世界の文化財なんだから。ヴァイオリンも300年近く生きてきて、ここ日本で壊されてしまったら、さぞ無念に思うにちがいない。私の楽器はそれほどの名品でもないけれど、それでもこれから何代にもわたって弾き継がれていってほしい。今の所有者は私であっても私だけのものではない。だから次世代は日本ではなく地震のない国の人の手に渡ってほしい。と、まあ・・・食べ過ぎからどうしてこんな話になったのかしら、はて?

2012年9月17日月曜日

街の歌

今年3回目のベートーヴェンピアノ三重奏曲「街の歌」代々木上原のムジカーザ、こじんまりとしたホールは小さなコンサートにぴったり。今年は街の歌を3回弾いた。初めは桜の咲く頃、ボランティアでケアハウスのお年寄の前で弾いて、たいそう喜んでいただいた。そして夏に松原湖のコンサートで、ピアニストもチェリストも初顔合わせの違うメンバーでの演奏。相手が若かったのでテンポも速く生きがよかった。そして今日は長年一緒に弾いている同級生のSさんと、チェリストのこれもSさんと。Sさんお二人の顔合わせは初めて。相手が違うとこれほど感じが変わるかと思うくらい、それぞれの演奏家の特徴が浮き彫りにされる。今日はSさんのお弟子さんで音大卒業後プロとして活躍している若きピアニストたちのジョイントコンサートだったから、皆さん大曲を引っ提げての緊張した雰囲気での演奏だった。非常にレベルが高く、会場が響きすぎるのを上手くコントロールして、ステキなコンサートになった。そのトリを務めさせていただいたのだが、やはり何回弾いてもベートーヴェンは緊張する。この曲はベートーヴェンの中でも、明るく愛らしくて私はとても好きな曲なのだが、相変わらずむずかしい。さすがに3回も弾くと馴れそうなものだが、いつ弾いても緊張には変わりない。今日はピアニストもチェリストも私とは長年一緒に演奏している人たちだから、むずかしさに変わりなくても相手への信頼度が違うので、本当に楽しんで弾いた。アンサンブルは長年一緒に続けて行くことが肝心だと思う。いくら名手がそろっても、練習が足りていないとすぐばれる。以前テレビでメンデルスゾーンの8重奏曲を見ていた。その頃の一番旬の人たちだったにも拘わらず、あきらかにやっつけ仕事。いかにも上手そうに弾いてはいるのだが、ちっとも感動しなかったのを鮮明に覚えている。名人級が揃っていても人の耳はごまかされない。愚直に不器用に続けて行くことが一番肝心なことではないか。

2012年9月16日日曜日

旧友からの電話

今朝かかってきた電話はもう20年以上会っていなかった人から。優秀なピアニストで音大の先生を長く勤めていたけれど、最近はやっと少し自分の時間が持てるようになったので、又ご一緒にどうですかとのお誘い。皆働き盛りの時には子育てや親の介護が重なって、特に女性は中々演奏までは手が回らない。それでもじっと我慢をしながら勉強を絶やさなかった人たちは、今ここで花が開く。その間子育てや親の介護と言う隠れ蓑に甘んじて怠けていた人は、もう再起は不能となる。そういう忍耐派の中の一人である彼女とは、ずいぶん色々な曲を共演した。ローラ・ボべスコの前でブラームスのソナタを演奏したのが最後だったかしら。彼女は離婚して女の子を一人で育てていたけれど、縁があって再婚して幸せな家庭を築いている。その前夫との離婚の原因がおかしい。最初のご主人は某有名国立大学出身。それだけが取り柄のつまらない男だったそうで、その上に鬼姑がいて彼女をいびったそうだ。子供が出来た時に、彼の出身校以外の血が流れる子供は嫌だと言ったそうだ。彼女もそのお父様も一流国立大学出身なのに。その言葉で絶望した彼女は、子供が生まれるとすぐに家を出て実家に戻り、子育てしながら大学で教え演奏もするという大変な毎日。その頃によく一緒に演奏をした。なぜかコンサートの前日に子供が熱をだすのよと、よく言っていた。彼女の緊張が子供にも伝わってしまうのだろう。しばらくして再婚した後は、年賀状のやり取りだけとなった。再婚相手にも子供がいて、子育てが大変だったと思う。そして今朝、弾んだ声で、小さなコンサートですが又一緒にできないかしらと言ってきた。いつまでも覚えてくださってありがとう。私は心からお礼を言った。ピアニストの友人がたくさんいて、様々な曲が弾けるのは本当に楽しい。そのかわり、次々と追いまくられて忙しくなるのは仕方のないことで、これは嬉しい悲鳴。怠け者の私に神様がくださった試練と考えて、老骨に鞭打っていかねば。ヒーヒー!

2012年9月13日木曜日

あんまり可愛いので。

「ねこがいかん!」(neko.ijk.com)から失敬してきました。

2012年9月12日水曜日

腰痛

イギリスでワーゲンのゴルフを借りていたけれど、運転席のシートが上手くフィットしなくて腰痛になってしまった。このところ腰の具合がいいので、すぐ治るものとたかをくくっていたが、帰国してからも良くはならなかった。こういうこともあろうかと、帰ってすぐにいつもの整体師のところへ行った。中国気功の先生は中国で外科医をしていただけあって、体の仕組みや関節の動きなどを熟知しているから、いつも非常に心地よい治療を受けることが出来る。そこへ行けば一度で治るものと信じていた。でも、治らなかった。次の週に行くと、まだ治らないと聞いて先生の様子が変わった。いつもは穏やかでソフト押しかたなので、治療が始まるとすぐグッスリと眠ってしまう。ところがその時は全身の力を込めて押してくる。ただ、絶対に痛いようには押さないのだが、もう少しで痛くなる寸前で止める。見事な力の入れ方で恐ろしいほどの集中力で治療してくれた。終わった時にはいつものように穏やかに「今日は強く押したから、だるくなると思います。ゆっくり休んでください」と言われた。今朝目が醒めると全身がだるい。いつものようにはすぐにベッドから離れられない。ノロノロと起きてシャワーを浴びても目が醒めない。ああ、来たかと思って、今日が休みの日なのをありがたいと思った。朝食を食べてから昼過ぎまでウダウダしていたら、その頃から急に元気になってきた。ヴァイオリンの音もいつもより冴えているようだ。思わず日頃の練習不足を取り戻そうと頑張ってしまった。そのあげく、急に掃除がしたくなった。家事の中で何が嫌かって、掃除が一番苦手。それなのに、急に台所のシンクを洗いはじめたら、もう止まらない。床も掃除機をかけた後、雑巾がけ。信じられない!この私が掃除を楽しむなんて。やりつけないからすぐにへたばったけれど、珍しいことがあったので間もなく天変地異がおきませんように。

2012年9月11日火曜日

ものの値段

暑い暑いとメール送ったら、去年、一昨年の方が暑かったと言うデータがありますと、軽く一蹴された。ただ暑いと言うことに対してすぐに調べてから返事が来るのでグウの音も出ない。ぐう!猫たちは毛皮をそこいらじゅうに脱ぎ捨てている。時々間違えてほかの猫の毛皮を着てしまって、頭はたまさぶろう、胴体の毛皮はもーちゃんだったりして・・・なんてことは嘘だけど。こんなシュールな妄想をするほど暑い。調べると言えば「たまトラ」というのは隠れた調査機関みたいなサイトだけれど、私に必要な情報が満載されている。パソコンはこの頃大変安くなって、良い機種が出ているらしい。投稿者がそれを人に勧めたら、量販店で同じような機種と見えるのものを買って、こちらの方が安かったという人がいたらしい。調べてみると、実は使っている部品の質が違うというような記事があった。細かい所までは素人ではわからない。専門家がみれば部品の良しあしもわかるというもの。でも、それも、1ヶ月くらいすればすぐに変わってしまうという恐ろしいスピードで世の中は動いているようだ。調べても調べても新しい物が出てきて、対応も大変ではないか。でも、調査が好きな人は楽しみに新しいものを待っているのだと思う。そんな人から見れば、300年も前の楽器で化石のような音楽を奏でている私たちはシーラカンスのように思えるに違いない。ところで、ヴァイオリンも初心者が訳も分からずに楽器屋さんに飛び込みで買ってきてしまうことが多い。「半額でいいというので」とか「見た目がきれいだった」とか「信用できる人から譲ってもらいました」とか。あとでほかの複数の楽器屋さんに鑑定してもらうと3分の1の値段を言われてがっかりする人をよく見かける。半額で良いと言うのは、最初の値段が高過ぎるから。楽器の世界は怖い。くれぐれも気を付けてと口を酸っぱくして頼むのに、自分でわかっているつもりでいる人は言うことをきかない。それこそ使っている部品が違う。なんといっても作った人の技術が違う。なんでこんなに違うのかと思えるくらい違うので、値段も数万円から数十億円までの開きがある。私には楽器の値段の差などとうていわからない。だから生徒が楽器を買うときには、複数の楽器屋さんに見てもらうようにアドバイスをしている。楽器屋さんはどこでも同じように値段をつけるから、平均して妥当な値段がわかる。知り合いの楽器屋さんにたのむと、みなさん快く見てくださるのがありがたい。物の値段はやはり専門家にお願いするのが一番。納得してから買ってほしい。それでも楽器は音が気に入って買ったなら、値段については騙されたと言うことはできない。以前、そのことで裁判になったことがあった。値段はもちろん数千万円の世界。でも、騙されたと言って提訴した方の負け。それを買う時点で納得して買ったのだから。

2012年9月10日月曜日

ようやく落ち着いたたまさぶろう

10日余りの私の留守がたまさぶろうには堪えたらしい。帰ってきてからべったりと貼り付かれて参った。座ればひざに、ベッドでは体を密着させて、涎だらけの口が顔に迫ってくる。いやはや、参った。歳を取って寂しいのかやたらに甘えん坊になったのはここ2、3年くらい前から。彼も近所の団地で拾われてからほぼ20年近くなる。人間なら100歳に迫るほどの年齢。耳が遠くなったか、吠え声がけたたましい。腎臓の機能が約4分の3ほどダメになっていると言う。そのために尿の量が異常に多い。腰も少し弱ってベッドから飛び降りる時によろける。ベッドに上がってくるときは下でにゃあと鳴いて、引っ張り上げてくれるのを待っている。しかし、これは甘えているだけ。それが証拠には夜中に野生に帰った瞬間、テーブルから冷蔵庫へ、冷蔵庫から食器棚へとモモンガのように飛び移る。眼光すさまじく、野太い唸り声をあげる。これを見ているから、ベッドの下で引っ張り上げてと言って可愛い声で鳴くのには騙されない。あまりにもうるさいので引きずり上げると、見事な脱力体となって体がベッドの角度と同じになって上がってくる。この脱力が私にできれば、もっとヴァイオリンも良い音がするだろうに。とにかく1週間ほどは振り払っても蹴飛ばしても(本当は可哀想で蹴れないけど)にゃあにゃあ啼いて広くもない部屋中付きまとわれて、気が変になりそうだった。ようやく私の時差ボケが治ったころ、彼のストーカー行為も下火になった。それにしても暑い。もう9月の半ばに差しかかろうと言うのに。私の汗かきの肌にたまさぶろうの毛が貼り付いて、それはそれは気持ちが悪い。その上、あとの2匹の猫が喘息気味で、夜中にいびきがうるさい。地獄ですな。外には新たに野良猫2匹。こちらも朝晩えさよこせコール。猫に彩られて私の人生は苦労が絶えない。ま、自分で買って出た苦労と言えば言えなくもない。

2012年9月8日土曜日

すばらしいアニメーション

岡本忠成さんは20年前に亡くなったアニメーションの監督。わが「雪雀連」のメンバーでもあった。その作品はいまだに大勢の人を魅了してやまない。今日は大手町の日経ホールでの遺作映写会があったので出かけた。初めの作品は「あれはだれ?」毛糸の線だけを使って動物を表現。気の遠くなるような作業を重ねたに違いないこの作品は芸術祭優秀賞ほか複数の賞を受賞している。子供も大人も楽しめるのに、大人にしか本当に理解できないと言ったのは評論家のおかだえみこさん。途中登場してのおはなし。次は「おこんじょうるり」キツネのおこんが、いたこのおばあさんに受けた恩を、病気を治す不思議な力を持った浄瑠璃を語って恩返しする。しかし、結末は号泣するくらい可哀想。何回見ても哀れで哀れで泣いてしまう。今日も又泣いた。圧巻は宮澤賢治の作品をもとにした「注文の多い料理店」制作途中で岡本さんが亡くなったために、川本喜八郎がスタッフに加わり、5年の歳月をかけて制作されたという。冒頭の部分からすぐに意識の深層に入って行くような深みを感じる。色も人物も動物もすべてがまるで実際に存在するような、アニメの枠を超えた表現が素晴らしい。それは製作者の集中力がそのまま感じられる作品であるから。最後に「虹に向かって」深い谷川に隔てられた恋人同士が、橋を架けるために必死で働く姿を描いている。これらの作品のすべてが大変名誉ある賞をそれぞれ複数受けているのもうなずける。こんなに素晴らしいアニメがいまから20年以上前に完成されていたとは。会場には岡本さんの奥様さと子夫人。作品に登場する人形を作ったのんちゃんなど「雪雀会」でいつもお馴染みの方たちが顔をそろえていた。見終わってこれほど感銘を受けるアニメーションはほかにしらない。それは作る方も見る方にも、アニメは子供やオタクの物だと言う考えが根強いからではないか。本当に鑑賞に耐える大人のアニメがこれからも出てくることを願っている。これらの作品はDVDがあるけれど、やはり劇場で見るのが一番。次回もお知らせしますので、是非会場に足をお運びください。

航空券の謎

まだイギリス旅行の続きでしつこいのですが,3月にこの計画が浮上して航空券を予約した。超早割だから料金は一番安いと思っていた。そして予約して安心していたらどうやら料金を振り込むのをわすれていたらしい。それが判明したのは8月の初め。その日私は松原湖のコンサートのために出発しようとするところだった。そういえばイギリス行きの航空券がまだ届いていないなとふと思った。まだ少し日にちがあるからギリギリまで届かないだろうとたかをくくっていたけれど少し遅いなと思って、念のため航空会社に電話を入れると予約されていないと言う。たしかに3月にお申し込は頂きましたが、お振込みが無いのでキャンセル扱いにしましたと言う。冷や汗が流れた。同行者の美里さんがあれほど楽しみにしているのに、ここで万一航空券が取れなくて行かれなかったら一生恨まれる。泣きたい思いで何とかならないかと頼むと、まだ残席はあるので予約をし直すことが出来ると言う。それでも代金を3日以内に振り込まないと又キャンセル扱いになると言う。時間は4時過ぎているから金融機関はしまっている。しかも金曜日で連休の時だったから、もしEバンクに振り込んだとしても4日以上日がたってしまう。それ以上経っても払う意志があると言うことを電話で伝えれば猶予はしてもらえるそうなので、電話しまくってようやく1時間遅れで家を出た。ところが、それからが謎なのですが、料金が早割の時よりも安くなっていて、一人3710円もお得になる。一体これはどうしたの?多分満席にならないので料金を安くして売り出したのだろう。そうなると、もう少し待ってギリギリになってから買えば、もっと安くなったかもしれない。ずいぶん航空料金はいい加減なものだなあ。絶対あいているとわかれば、当日だってかまわない。もしかしたら半額くらいになりそうな。私たちはものすごく強運のコンビかもしれない。航空券は安くなる、それも私がミスをしたおかげで、プロムスのチケットは手に入る、それも売り切れのはずが料金が更に安くなって、お天気には恵まれ、なにもかも上手くいった。そのツケがいつかドーンと来ないことを祈っている。

2012年9月6日木曜日

肌荒れ

美容外科に行って、すっかり日焼けしてしまった肌のメンテナンス。担当のA先生と看護婦さんが同時に口を開いた。「旅行は行ったんですか?」イギリスに行く前にさんざん言いふらしていたので皆さん旅行の事はご存じ。肌の肌理を調べる機械ではそれほど荒れてはいなかったが、先生の目は肌荒れを見逃さない。実はロンドンに到着したその夜にすでに肌荒れが始まっていた。私の唇はよほどの熱が出た時でないとかさつかない。人間に水気が多いらしく、いつも肌の表面が水分でおおわれている。なめくじの親戚でもあるまいしと思うけど、塩をかけられたら体は半分くらいになってしまうと思う。それなのに、いきなり唇がカサカサになったので驚いた。上唇にひび割れができた。ワセリンを刷り込んでマスクをして寝たら、翌日は改善されていたけれど、旅行中はそうやって肌荒れを防いでいた。それでも晴天の日が多くて、しかも帽子をかぶると日本人だとわかって狙われやすいからかぶらないようにと言われた。ロンドンを離れてからはお目付け役がいないので帽子をかぶっていたけれど、ロンドンでは家主さんの言うことをきかないと放り出されると困るから、おとなしくハイハイと言うことを聞いていた。その結果がシミやそばかすになったら、スリに狙われてもかぶっておくべきだった。すこし日焼けして肌がかゆい。でも絶対に肌を強くこすってはいけない。そのためには化粧水もつけないという徹底したすっぴん主義の治療を受けているので、かゆくてもかけないのがもどかしい。それにしてもイギリス人が肌を日にさらすことを厭わないのには驚く。ぎらぎらした陽射しの中を、露出の多い服装で帽子もかぶらす傘も差さない。紫外線の害は気にもとめていないらしい。むしろ年間の日照時間の少なさを、ここで取り戻さないと病気になってしまうらしい。そういえば以前、友人のつれあいがドイツ人で、毎年夏休みに日本へ来ていた。日本の暑い夏が大好きだと言って、暑いさなか外出していた。その友人はあまりにも激しくヴァイオリンの音を追及しすぎて体を壊し、若くしてあの世に旅立ってしまった。彼の嘆きは見るに堪えないくらいで、それ以来彼は日本に来なくなった。今はどこの国で夏をむかえたのだろうか。

2012年9月4日火曜日

新しい体重計

なかなか健康の自己管理が出来ないので新しく体重計を買った。今度のは体重に加えて体脂肪量、内臓脂肪量、骨量、筋肉量、基礎代謝量なども出るようになっている。それで5000円ちょっとの値段。安い。イギリスに行く前に少しだけダイエットをしていて、たぶん旅行の間に食べ過ぎて体重が増えてしまうと思ったけれど、意外にも全くかわりなし。美智子さんの家での食事が良かったからバランスが保たれたらしい。それに良く動いたせいもある。この体重計によれば、すべて平均値内に納まっていて、しかも体の年齢は10歳若いと出た。おほん!とすると体年齢は25歳・・・てなわけないか。いままでの食生活と運動量をもう少し改善すれば更に数値が良くなるものと期待している。数に一喜一憂することもないけれど、自分の体を管理しようとすると、どうしても目で見える数値などに頼りがち。その結果ちょっとした病気のサインなども見逃してしまうのではという心配もある。私はとても元気なのに、結構三大疾病もやっているし、ガンの手術もしている。いわば病気の宝庫。いつも大事に至らないのは、子供の頃から病気がちだったために病気のサインを敏感に感じ取ることができるから。ガンになった時も何とも言えない違和感を感じた。気分が悪いとかどこかが痛いとかいうのではなくて、なにか悪い物が血の中を流れている、そう感じて検査を受けた結果、ごくごく初期のガンが見つかって事なきをえた。薬も抗がん剤も放射線治療もいっさいなし。健康診断の数値だけ見ればなにもかも標準値だったから、ガンは見つからなかったと思う。かならず年に一度健康診断を受けるようにはしているが、これはほんの目安に過ぎない。人間いつどんなときにも病気が待ち伏せしていると思っている。すこしだけ病弱だったお蔭で、病気といつもお友達。入院生活を楽しんだりできる。これも一種の健康法と言える。

2012年9月3日月曜日

時差ボケ

昨日は一日中眠っていた。寝ても寝ても又すぐに眠れる。普段睡眠は少ない方だけど時々ものすごく眠ってバランスをとっている。やはり昼夜逆転の生活はこたえたらしい。もう若くはない。以前なら外国から帰った翌日にはもう仕事をしていた。ちょうど目が醒めた時に美里さんから電話があった。張りのある声で生き生きと楽しそうに話す。やはり年齢が違うなあ。イギリスでも普段よりよほど長い時間寝たのに、それでも疲れが取れなかったようだ。美智子さんから「無事帰った?」と電話が来た。周りの皆さんが心配するようになってきたのは、そういう年になったのかと思う。自分ではぜんぜん年を取ったようには感じていないのに。おそるおそるヴァイオリンを手にした。どんなことになっているか心配だった。楽器は10日間も放っておかれたので涙声になっていた。腕は筋肉が落ちてしまったのか弓が貼りつかないけれど、まあまあ動きは悪くない。ヴィブラートもかかる。体を動かしていたから運動機能は落ちていないようだ。これから元に戻るのにはそう時間もかからないと思うので徐々にリハビリをしよう。海外にいていつも思うのは、日本の便利で安全なこと。よく日本人旅行者がスリやひったくりの被害にあうけれど、それも無理はない。日本ではハンドバッグをそこらに置いたり荷物から離れたりしても、取られることはまれだから。最近は私のうちのまわりにも外国人がふえたけれど、ロンドンは人種の坩堝。外国人だから犯罪を起こすと言うわけではないが、やはり移民してきて職がなければつい人様の物に手が出ることもある。それは犯罪であっても同情の余地はある。となると、言ってしまえば取られる方が間抜けと言うことになる。間抜けにならないように警戒して歩かないと外国は怖い。ロンドンできれいな格好をしているのは日本人だけだと美智子さんは言う。私は服装に構わないほうで普段着で行ったから、ヨーカ堂で買ったTシャツや商店街で買った安いパンツ姿なのに、それでもうーんとうなられた。日本人はきれい好きでおしゃれ。ブランド品も日常持っている。これは時差ボケならぬ安全ボケかもしれない。

2012年9月2日日曜日

イギリス旅行記11最後の晩餐

9番のバスには乗ったものの地下鉄駅にいけるかどうか。バスの中で路線図を見る美里さんにイギリス人の女性たちが話しかけてどっと笑っている。何かと思ったら「その路線図はどこで手に入れたのか」「日本で」「便利だからオークションにかけたい」そんなことだったらしい。途中で同じバスの黒人女性がいろいろ教えてくれて、駅にたどり着いた。ホテルリッツが目の前にある。夜も更けたしお腹もすいたのでリッツの前のイタリアンレストランで軽く食事をすることになった。軽くと思ってマッシュルームのスープを頼んだら巨大なボウルで出てきた。美智子さんの家の最寄駅で地下鉄を降りたのはもう夜中。バスに乗って美智子さんが言うクイーンズパークという停留所で降りようと思ったら、いつまでも行きつかない。そのうち見たこともない街に行ってしまった。これは違うと思ったのでバスを降りて引き返すことにした。夜中に外国の見知らぬ街で迷子になったとは。電話をすると違う名前を教えられた。美智子さんが間違えていたのだ。ようやく帰宅。すでに美智子さんのうちの食事はすんでいた。私たちを待っていたらしいがあまりに遅いので済ませてしまったと言う。最後の晩餐だったのにと言われて平身低頭する。こんな遅くなっては迷惑だと思ったのが裏目に出た。最後の夜は話も尽きない。かなり遅くなって就寝。今回は美智子さんの家での生活があったおかげで、健康に支障もなく安全に過ごすことが出来た。彼女の手料理がなかったら体調を崩していたに違いない。古い家なので水回りに多少不便はあったけれど、馴れてしまえば使いこなせていける。たとえばトイレやシャワーは前に使った人がいると、次に水やお湯が溜まるまで待たないといけないとか。それでも馴れてくると自分で工夫してうまくやって行けるようになる。ロンドンは危険な街で、特に日本人は狙われると言うので美智子・リチャード夫妻は大分心配していたらしい。それにラウンドアバウトという馴れない交通システムもあって、車が戻るまではひやひやしていたにちがいない。しかも私は英語が不得意ときているからなおさらのこと。しかしまりさんというおそろしく有能な女性と、天性の社交家の美里さんがいてくれたお蔭で、私はいつものようにゆったりと旅行させて頂いた。みなさんに感謝!

イギリス旅行記10ロイヤルアルバートホール

ロイヤルアルバートホールに行くには9番のバスに乗る。ところがほかの番号のバスはたくさん来るのに9番は見つからない。地図を逆さまにしたり横にしたりして眺めてもわからない。ほかのバスはどんどん来るのに。日本人の女性が声をかけてきた。一緒に探してくれたけど見つからないのでタクシーに乗ることにした。タクシーにのってすぐ、横を見ると9番のバスがいるではないか。まったくどこにかくれていたものやら。タクシーを降りるとホールの前は人でいっぱい。当日売りの立見席を買うひとや、当日戻ってきた指定券を狙う人などでごった返している。うろうろしていると向こうから男の人が手に二枚チケットを持ってやってきた。売ってもよいと言う。躍り上がりたいほどラッキーだと思ったけれど、待てよ!これ本物?財布からお金を出していたけれど、まだ手渡さない。そのうち男の人は美里さんの手からお金を取ろうとする。美里さんは離さない。チケットは私が握って離さない。苦笑して男性はこちらに来いと手招きする。私は指定券の列に並んでいる人が手に持っている券と比べると、どうやら本物らしい。立見席の入り口は空いていて、そこから入れと男性が言う。そこで初めてお金を支払った。余った券を売りたかったらしく、本当の値段より少し安くしてくれた。いわゆるダフ屋らしいその人はほかの人で大分儲けたのだろうか。とても親切だった。おかげで素晴らしいことに夢のプロムスの席が手に入った。演しものはイギリスの作曲家ハウエルズとエルガー。ハウエルズは息子を亡くした傷心から作曲したと言う「Hymnus Paradisi」ラテン語で意味不明だけれどたぶん天国に関係ある宗教曲。大勢のコーラスはロンドンフィル合唱団、ソプラノは ミア・レイソン テノールはアンドリュー・ケネディー 指揮 マーティン・ブレビアス オーケストラはBBC交響楽団。リチャードもこのオーケストラでフルートを吹いていたと思う。2曲目はエルガーの交響曲1番。プロムスは夏の気軽なコンサートではあるけれど、出演者は一流で、次のひはベルリンフィルが出演するそうだ。みな盛装したりせず、気軽にジーパンなどでも来られる。コーラスもソリストも、もちろんオーケストラも素晴らしく、まさか聴けると思わなかったので感激は頂点に。ホールは円形の日本の武道館みたいな造りなのに、音響は素晴らしい。立ち見の人たちはそれぞれ思い思いの格好で座ったり寝そべったりして聴いている。感激のコンサートが終了して表に出て、今度こそ9番のバスに乗った。

イギリス旅行記9

いつもは誰かしらお目付け役がいるけれど、初めて美里さんと二人で外出。駅まではリチャードが送ってくれた。ぜひロイヤルアルバートホールで夏のプロムナードコンサート「プロムス」を聞いてくるようにと言われる。訊いてこいと言われても早くからチケットは売り切れるし、当日は立見席しかないとなると腰を痛めている身にとってはつらい。美智子さんがヴィトンのお店に行って彼女のバッグの修理を頼んで欲しいと言う。バッグを預かって地下鉄にのった。目的地のボンドストリートの手前にウエストミンスター駅があって、途中下車。壮麗な寺院を眺めテムズ河を渡りロンドンアイに行ってみる。乗ろうと思ったらチケット売り場も乗降口も人であふれかえっている。諦めて近くのイタリアレストランで昼食。そして地下鉄でボンドストリートへ。ヴィトンのお店はピカピカで、ブランドものが好きな人にはさぞ垂涎ものの品が置いてあるのだと思うけど、あいにくとんと興味のない私には猫に小判。ずいぶん以前になるけれど、友人と銀座のヴィトンで待ち合わせをしたことがある。その時店内をぶらついていたらキーホルダーが目に留まった。ちょうど探していたので買ってみたら、やはりブランドと言うのはこういうものかと思わせるような質の良さに感心したことがある。私はすぐに使うから包装紙や紙袋は一切いらないと断ったら、一緒にいた友人がぜひもらってほしいと言うので頼んで持ってきてもらったことがある。それほどの価値があるらしい。ここロンドンのヴィトンもピカピカのフロアに大きな男の人が入り口で客を出迎えている。私などはつまみ出されるかと思ったら、同行の美里さんがいかにもお金持ち風なので、入ることを許されたようだ。修理の依頼は店の2階の一番奥の事務室のようなところにあって、品の良い女性が対応してくれる。私は英語は得意ではないので流暢な英語を話す美里さんの一人舞台。彼女は通常帝国ホテルで買い物や食事をするような人だから、こんな場面でも物おじしない。私はブランドに興味も縁もないから同じく物おじしない。目的を果たしてお土産を買いにボンドストリートからリージェントストリートと探し回るけれど、少し雨模様で中々いいお店も見つからず、少し意気消沈してきた。お茶を飲みながら相談。プロムスどうする?行ってもチケットはないでしょうね。でも、ロイヤルアルバートホールは見ておきましょうか。

イギリス旅行記8ロンドン

テムズ河岸でイギリス式のお茶を楽しむために美智子さんと美里さん、それに私の3人で出かけた。まりさんは私たちにとりつかれ、ガイド役をさせられてすっかりお疲れの様子。うちで寝ているそうだ。まずテムズ河の上流の支流、運転は相変わらず私がハンドルを握って離さない。対向車が来てもすれ違えないほど狭い山道を登って目的地の公園に着く。ナショナルトラストに指定されているクリヴデン。そこには優雅な離宮があって、どなたかのお妃様のお城だそうだ。こんな寂しい山の中でどんな暮らしをしていたのだろうか。華やかな庭園はあるものの、毎日パーティーでも開いていないと退屈でやりきれないだろう。それとも夏の間だけの避暑地だったのかしら。そんなことを考えながら、庭からテムズ河岸に降りて行った。燦々と降り注ぐ陽射しの中で、美智子さんが作ってくれたお弁当を食べながらとりとめもない話をしているうちに眠くなる。芝生に横になってふんふんと話を聞いているうちに、いつともなく眠ってしまった。目が醒めると少し陽が傾き始めている。テムズ河に沿って下り始める。途中上流から流れてきた支流同士が合流して一本の大きなテムズ河になる場所を眺めた。水流が合流するところは渦を巻いていて、鳴門海峡みたい。お魚がよく釣れるらしく釣り人もいる。目的のお茶は丘陵地帯が見渡せるホテルでとることになった。予約していなかったので、スコーンだけしか出せないと言う。でも、それで十分。毎度食べ過ぎているので、ここで正式のハイティーとなると荷が重い。英語の先生のルースさんに教わってきたクロップドクリームをたっぷり添えたスコーンとお茶を楽しんだ。美智子さんはアールグレイ、美里さんはダージリン、私はアッサム。暮れゆく丘陵を眺めているとさすがに肌寒くなってきた。庭に黒白まだらの猫がいる。急にたまさぶろうの事を思い出した。日が落ちる頃家に帰った。

2012年9月1日土曜日

イギリス旅行記7さようならコツウォルズ

マウント・プレゼント・ファームをチェックアウト。美智子さんがさっさとこのホテルを4泊も予約してしまったので、こんな何もない土地で5日間なにをしたらいいのかと戸惑っていたが、なにか生涯で一番贅沢をしたような気がする。こんなにぼんやり出来る日はもう来ないだろう。そのうちどこに居ても自分の頭がぼんやりしてくるまでは。毎朝「ねえ、今日どうする?」と聞き合いながら、それでもあっという間の5日間だった。ロンドンに帰る前にオックスフォードに立ち寄ることにした。広大な地域には古い石造りの建物が並び、全体が美術館のようだ。図書館はハリー・ポッターの撮影に使われたそうなので中を見たかったのだが、入場券が高いし、本の展示室にはツアーとしてしか入れないと言う。時間が決まっていて45分かかるそうだからあきらめた。受付の人が本は臭いと言って慰めてくれた。一番初めの礼拝堂のようなところだけは安い料金で入れてもらえる。入ってみると意外とこじんまりとしている。映画ではとても広いように感じたのは、カメラアングルのせいかもしれない。今日もまりさんはコーヒーショップで読書。若いのに二人のおばさんに付きまとわれてさぞお疲れなのでしょう。まりさんが美智子さんにこの期間泊めてほしいと言ったら美智子さんは「ちょうどいいわ」と言ったそうだ。それがこのガイド役だったのだ。「その意味が今わかりました」と静かな口調で辛辣に言うまりさん。あはは、すみませんねえ、こちらは渡りに船だった。そこからは一気にロンドンの美智子さんの家へ帰りつくとリチャードが出迎えてくれた。彼はとても心配していたのだろう。美智子さんの手料理は野菜もいっぱい。とても料理上手で美味しい。正直ほっとして、いつものようにバタンキューと寝てしまった。

イギリス旅行記6

今日も快晴。夜はすこし雨が降ったらしい。外に出ると又虹が見えた。ジリジリと肌を焼くような強い日差しなのに、こちらの人たちは誰も帽子をかぶったり傘をさしたりしない。日照期間が少ないので、当たれるだけ太陽にあたっておこうと思うらしい。私は必ず帽子をかぶる。帽子をかぶるのは日本人だけで、それでスリにねらわれるらしい。きょうの目的地は文豪シェークスピアの生まれ故郷。私はけっこう文学少女だったのに、シェークスピアは読んだことがない。これを機会に日本に戻ったらかじってみよう。最初はシェークスピアの奥さんのアン・ハザウエイの家へ行く。駐車場に入って行くと戻ってきた人がまだ時間の残っている自分の駐車券をくれた。入庫時間をみれば10分ほどで帰ってきている。なんだか見るものが無さそうな。本当に見るものがない。かわいらしい家にこじんまりとした庭。ごく普通の民家。それにお土産屋さんが付いているだけ。さっさと次の人に駐車券をあげて、シェークスピア誕生の地、ストラットフォード・アポン・エイボンに向かう。そこは今までで一番の大観光地だった。この期間はイギリスの3連休だったので、大そうな人出だった。生家は古い小さな建物で、近くには劇場とエイボン川がある。殆ど興味が無いので、劇場も家の横にある記念館もパス。途中でヴァイオリンを弾いている人がいる。私がじっとみていたら、ヴァイオリンを弾くのかと尋ねてきて楽器を渡された。ちょっと弾いてみて笑いあってバイバイ。川のほとりで朝食のスコーンにハムやジャムを挟んできたものを食べる。イギリスにはストラッドフォードと言う地名がいっぱいあるので、特にここをアポン・エイボンと言うのはエイボン川のあるシェークスピアの生誕地だからだそうだ。途中スーパーで野菜サラダを買ってきた。この辺の人たちは野菜を食べる習慣がないのだろうか。どこへいっても野菜不足になりがちなので、皆体調が悪くなってきた。特に若いまりさんは額に大きなニキビが出来て仕舞った。3人共久しぶりの生野菜をバリバリ食べた。なんだか体がすっきりしたような気がしないでもない。川岸には次々と犬を連れた人が通る。どの犬もしつけが行き届いているのに、意外にも人間の子供は期待外れに騒がしい。もっともこの期間イギリス人だけではないからかもしれない。そのあとウォーリック城へ。中世の色を濃く残していて、現在も伯爵一家が住んでいるそうだが、私は博物館や古い城が怖くて苦手。入場料も高いしやめようとは思ったけれど、城門まで来てしまったしついに入ってしまった。中は人人人。恐ろしい武器や甲冑が並んでいる。息が出来なくなりそうでほうほうの態で逃げ出した。その間まりさんは一人カフェで読書。賢い。

イギリス旅行記5

目を醒ますと雨、それでも朝食をすます頃には小降りになってきた。今日はブロードウエーセンターにウールの買い物に行くことにした。外に出ると雨が上がって空に虹がかかっている。日本で見る虹は狭い空に半分くらいもうしわけなさそうにかかっている。ここでは虹が大きく空いっぱいに見える。本当に空が広い。なにも建造物や山がないから当たり前なのだが。どこまでもフィールドが広がって地球の丸さが実感できる。パッチワークのようにそれぞれ色の違う畑が丘から谷へと広がり、見事な景色となっている。若いころからヨーロッパの田舎道を車で走るのが夢だった。それが実現できるなんて!もうこの年では無理だと思っていたのに。オーケストラに入りたい夢も、モンゴルの大草原を馬に乗って疾走する夢もかなった。考えればなんて幸せなのか。今日は又私の運転で始まった。ウインカーとワイパーが自分の車と逆についているので、時々間違えるのも少なくなってきた。ここでは街の間がとても狭いので目的地にはすぐ着いてしまう。ここは羊毛が有名だそうで、ずいぶん期待して出かけてきたけれど、デザインもお値段も色合いもいまいちで、食指が動かない。結局自分用にウールのセーターを買ったら、イタリア製だった。バーゲンも終わって丁度品揃えも薄い時期だったらしく、全く購買意欲はわかない。途中で疲れてコーヒーを飲んでいたら、向かい側のお店に猫のぬいぐるみのようなティーポットカバーを見つけ、美智子さんへのお土産にすることにした。この辺は人家も多いから犬が沢山いる。それもどれもが立派な大きな犬ばかり。しかも穏やかでゆったりとしているのは良い環境で優しい飼い主に育てられているからだろう。夕食はスワンというパブでとることにした。ほかにもパブはあるのに、このお店だけは時間待ちの客が列をなしている。初めてイギリス名物「フィッシュ&チップス」を食べた。魚の揚げころもがパリッとしていてとても美味しい。ほかで見たものはパン粉がついていて油ぎっていたけれど、このお店のものは油の切れもいいし、ポテトもカリッとしながら中はふっくらしている。帰り道は又美里さんがぐるっと遠回りして帰った。彼女の趣味らしい。しかし本人はすこしめげている。こんな美しい道をさっさと帰るのは愚の骨頂。いくらでも遠回りして帰りたくなる。

イギリス旅行記4

早朝目が醒めたので外へ出てみた。もしかしたら昨日の黒犬がいるのではないかと思って探したが見当たらないので少しがっかりする。このあたりには動物は少ないと昨日女主人のヘレンが言っていた。本当に鳥の鳴き声もあまりしない。それは美しい輝くような朝だった。陽射しは強いが外気は冷たい。薄いダウンジャケットが役に立つ。庭にリンゴの木があって小さな実をつけていた。赤く熟しているものを取って食べてみようかと思ったが、これからこの辺の鳥やリスたちの餌になってくれると思うのでやめることにした。きっと朝食はたっぷりとあると思うので。ヘレンに会うと「いいお天気ね」と嬉しそうに言う。女性でもがっちりした体格に気取らない笑顔が好感がもてる。きっとたくましく子育てをして孫の面倒をみて、自然体で生きてきた人なのだろう。朝食はヨーグルト、ジュース、果物、ソーセージ、ハム、卵、パンはライ麦入り?そして彼女の焼いたスコーン。コーヒー、ミルク、紅茶もいくらでもお替わりできる。しっかりと頂いて今日一日に備える。今日はイングリッシュガーデンを見に行くことにした。山道や草原の中の細い道からは広々としたフィールドが見える。小麦が黄色く色付き、穀物を刈り取ったトラクターのわだちの跡が線状に残っている。ところどころ青く草が生え、それは見事な大きなパッチワークを広げているようだ。美里さんは北海道育ち。故郷の景色と似ていると言って感慨深げ。目的地のヒドコードガーデンに到着するころに少し雨模様となってきた。このガーデンはいくつもの庭園に分かれていて、それぞれに特色があるけれど、概ね自然のままのように見せている。いかにも作り上げたように見えるドイツなどの庭よりは、自然のままのように手を入れているのだろう。夏の終りなので花は少なかったけれど、他の庭に移るたびに趣が違うのが楽しい。昼食を食べようとブロードウエーセンターと言うところへ行き、美智子さんお勧めの中華料理レストランを探す。見つかったと思ったら時間外だったらしくしまっている。それでは昼食抜き。あまりにも沢山朝食を食べたのでお腹が空かない。次はコツウォルズのヴェニスと言われる川沿いの美しい街へ。川岸にはちみつ色の家が並んでいる美しい小さな町だが、観光化が激しくてすこしがっかり。でも寒くて産業も少ないこの辺では、観光で生きて行かないといけないのは仕方がない。結局夕食を早めにとることにしてスノウヒルズのパブに行くことにした。到着したのが開店15分前だったので、雨の中店の前で立って待つはめになった。目の前は教会とお墓、ナショナルトラストに指定されている地域で、こんな雨の寒い日にも時々車から人が降りて眺めて行く。すっかり体が冷えてしまったので、お店に入るなり温かい紅茶とブランデーを注文した。料理はエビのカクテル。すっかり温まりアルコールも入っているので、帰り道の運転は美里さんにしてもらうことに。行きはずいぶん簡単に来たのに帰りは山道をいつまでもクネクネ走る。ナビの助けを借りてようやくまだ薄明るいうちに帰り着いた。

イギリス旅行記3コツウォルズへ

レンタカーで配車されたのはワーゲンのゴルフ。ラッキー!ディーゼル車。燃費がかからない。走らせてみると車体が少し重い。日本の車はヘラヘラと軽く走るけれど、高速での安定がいまいち。ゴルフの高速での走りに期待しよう。ワイパーとウインカーが私の車と逆なので間違えやすいが、そのほかは問題なし。イギリスでは予約してあってもお目当ての車が用意されていないなどといい加減なところがあるらしい。でも今回はラッキーなことに望みどおりの車が手に入った。これで例のラウンドアバウトがうまくこなせればすべて解決。しかし、馴れないとこれが中々難しい。どうしても目的の方向に行けなくて、いつまでもグルグル回ってしまったなどという話も聞く。イギリスは日本と同じ左側走行だから、走り自体に不安はない。不安げに見送る美智子さん。これから5日間の田舎暮らしが始まるのは美里さん、まりさんと私。恐る恐る車を動かす。ヨーロッパで事故ったら大変だから慎重に進む。高速の入り口まではリチャードがバイクで先導してくれた。その先導の仕方が怖い。バイクを運転しながらひっきりなしにこちらを見る。ついてきているか、ちゃんと走っているかどうか心配なのだろう。でもこちらはそんな運転をしてひっくり返られでもして彼を私が轢いてしまったら・・・美智子さんの鬼の形相が目に浮かぶ。おお、こわ。やっとM40という高速の入り口付近でバイクとわかれ、高速に乗った。イギリスは監視カメラの国だそうで、速度制限もカメラや測定器で厳しくチェックされる。もし違反すると高額の罰金を支払わされる。相手が機械だから情け容赦はないらしい。慎重に速度を守って進む。途中寄るのはウインストン・チャーチルの居住していたブレナム宮殿。巨大な敷地の中に宮殿とローズガーデンや湖がある。その規模たるや、どれだけイギリスの貴族がお金持ちかがわかる。その芝生で美智子さんが持たせてくれたお弁当を頂く。少し雨模様。でも傘をさすほどでもない。こんな大きなお城で暮らすのはさぞ大変なことだろう。お掃除だって・・・と貧乏な私は考える。いったいどれだけの人手がいるかしら。何十人もの人が働いていたのだろうか。4時頃、暗くならないうちに目的地に到着しようと出発。イギリスの今頃は夜9時までは明るい。かろうじて明るいうちに宿の「マウンテン・プレゼント・ファーム」に到着して女主人と大きな黒犬の歓迎を受けた。人懐こい犬で、背中をを掻くとゴロンとお腹を出してひっくり返った。警戒心ゼロ。夕食は近くのパブに。ちょうどステーキのサービスデイだと言うのでステーキを頼んだ。しかし、出てきたのは300グラムほどの巨大な硬い肉。全員戦ってももうだめと言うまで噛んで噛んで噛みまくっても噛み切れない。これ以上食べたらお腹を壊すと思ったので、半分残してしまった。パブの看板猫は白黒、これもちょっと耳を掻いたらお腹を出してゴロンとする。コツウォルズでは警戒心はなくなるらしい。蜂蜜色のうちが点在するここでは、動物も見かけない。これから5日間、この静かな田舎でどうやって過ごそうかと、途方に暮れる3人だった。

イギリス旅行記2

朝5時、寝室のドアを開けて通りに出ると、冷たい清々しい空気が待っていた。今日はロンドン市の中心街で買い物をすることになった。美智子さんの元ピアノのお弟子さんのまりさんという御嬢さんが私たちを案内してくれることになった。彼女はイギリスで育ち、日本で高校、大学を出たのちまたイギリスの大学院で法律を学んだという才媛。だから言葉はネイティブ並み。ロンドン市内にも詳しい。日本でのお勤めであるプロジェクトが終わり、ご褒美の休暇でイギリスに来ていると言う。美智子さんの家の最寄駅はロンドオリンピックの会場の傍にある。その駅まではバスでもいけるが今回もリチャードが車で送ってくれた。ピカデリーサーカスでナショナルギャラリーに入ると、これでもかと名画が並んでいて、しかも無料なのには驚いた。日本でこんな名画が展示されていたら人の頭でろくに絵も見えないと思うのに、人も少なくゆったりと好きな絵が見られるのが嬉しい。こんなところからカルチャーショックがもう始まった。ヨーロッパは本当に文化を大切にする。日本は今経済力が弱り世界ランクからどんどん下がっているのは、経済だけに重さを置いたせいではないか。自国の文化をしっかり守って行けば、たとえ貧しくなっても尊敬される国でいられるのに・・・などと意見を言いながら回っていると、うれしいことに私の好きなターナーの絵が沢山あった。疲れたのでお茶を飲んでから、ボンドストリート、リージェントストリートなど回るが、私にはとんと縁のない高級なお店など興味がないので、チョコレートを買っておしまい。美智子さんが持たせてくれたおにぎりは地下鉄の中で食べる。普段電車の中で物を食べる人を白い目で見ていたけれど、旅の恥はかき捨てになってしまった。夕食は美智子さんの美味しいお料理。話も弾んで楽しい一夜となった。明日からはいよいよ長年の夢だったヨーロッパの田舎を車で回ることになる。今回は中でも人気の蜂蜜色の街コツウォルズが目的。本当は湖水地方や「ジェーン・エア」「嵐が丘」で有名なヒースの生える荒地なども見たかったのだが、リチャードのこんな時期にそんなところに行くのはクレイジーという意見で実現しなかった。二日間で3時間の睡眠と言うハードさだったので、あっという間に眠るのが自分でもわかるほどの速さで眠りに落ちた。

イギリス旅行記1

8月21日、同行の美里さんと成田へ。チェックイン、荷物を預け、出国審査を終えるとようやく機内へ。これから12時間の飛行が始まる。最近ヨーロッパを避けていたのは、あまりにも飛行時間が長いので辛いと言う気持ちがあったので。しかし去年カナダに行った時約11時間の飛行があまり苦にならなかったので、それではと言うことで重い腰を上げた。しかし、飛んでも飛んでも・・・やはり遠い。最近は国際線もサービスが低下しているから、ビデオもつまらない。映画もつまらない物ばかり。大きいスクリーンもない。今回は本を持ってこなかったので読み物もない。寝るっきゃない。でも、やはり興奮しているのか眠くはならない。とりとめもないおしゃべりも12時間は続かない。空港に着くと日本時間は夜中なのにさんさんと日が照っていた。出迎えのリチャードとはインフォメーションの傍のドラッグストア「ブーツ」で待ち合わせ。入国審査と荷物の受け取りに手間取って少し待たせてしまったようで、心配していたらしい。「み**?」心もとないような声が耳元で聞こえた。みるとリチャードがちょっと首をかしげて顔を覗き込んでいた。再会を喜び合い駐車料金を支払って出口に進むと「おお、料金カードを機械から取り出すのを忘れた」と言う。去年私の友人が来た時、彼は自分の車をどこに置いたかわからなくなって探し回ったと言う話を聞いていたから、今回はずいぶんすぐに車にたどり着いたと思ったけれど、やはり天然**は変わっていなかった。見かけはいかにも育ちの良いイギリス紳士なのに、そんなところがギャップがあって面白い。駐車場係りの好意でゲートを開けてもらって事なきを得た。初めは空港でレンタカーを借りるつもりでいたけれど、今回の家主の美智子さんが心配するので迎えに来てもらったが、やはりそれは正解だったようだ。イギリスの交差点はラウンドアバウトという仕組みになっていて、これはあとで述べるけれど馴れないと大変。あとでゆっくり考えれば非常に合理的で簡単なことなのだが、初めてだと一瞬の判断が出来ない。複雑に進行方向を変える時には道を知っていないと立ち往生しかねない。ようやく今回お世話になる美智子さんの家にたどり着いた。出迎えに出た彼女がハワイなどで着るようなムームー姿なのには驚いた。日本に比べてかなり気温は低い。それでもこのに三日は30度を超えたと言う。それでこんな恰好なのよと言うけれど、夕方になれば長袖でないと涼しいのに、彼女は夜中まで暑いと言ってそのまま。彼女の家はロンドン郊外の住宅地にあって、木々に囲まれ、庭には梨の木が実をつけている。リスがとりにくるそうだ。庭の先は広いフィールドで、夜中にリチャードが散歩していて職務質問にあったとか。泥棒や痴漢の心配もあるらしく、戸締りは厳重にしている。美智子さんはお料理上手で、美味しい夕飯をたらふく頂いて、イギリス旅行の注意をこんこんとされて、やっと眠りにつく。