2012年9月20日木曜日

墓参り

昨日モーちゃんを探しに墓地に行ったおかげで、お彼岸であることを思い出した。今朝早く開いているスーパーにお花を買いに行って、先祖のいる近所のお寺へ出かけた。お寺のど真ん中に大きな銀杏の木がある。その真下に私の先祖が集まっていて、私の両親が一番の新参者。なんせ癖のあることで語り草になっていたような変わり者揃いの先祖たちだから、うちの父親などはその中で小さくなっているに違いない。父親は超のつくお人好しで、ご先祖様にいただいたたくさんの資産もあらかた使い切ってしまったので、私たちにはほとんどなにも残っていない。そのかわり私たち兄弟は、遺産を巡る醜い争いも避けられて仲よくやっていられると、まあ、こう思わないと。父が経済観念のある人だったら、今頃私はストラディバリウスを買っていたかもしれない。それで毎日楽器に馬鹿にされて泣いていたことだろう。それが避けられて、まあ、幸せだったと思わないと。などと考えていると突然脇から男の人が現れて「**太郎おじさんにお線香をあげさせてください」と言う。「ありがとうございます。どちらさまでいらっしゃいますか」と聞くと「今、町会長をやっているものです。お父様には大変お世話になりました」父は戦後の物のない時代に人が困っているのが見過ごせなく、自分の会社は部下に丸投げして人のために奔走するような人だったから、家族からの評判は今一。うちには食い詰めた人たちが居候したり、裏庭にテントを張って暮らしていたりで、てんやわんや。犬や猫やウサギ、アヒル、小鳥、鶏など動物もいっぱい。私はにぎやかな少女時代を過ごしてきた。しかし大家族の中では一人一人の子供に対する関心は希薄だから、孤独を愛する心も養われて、それが楽器を弾くことにも役に立っているかもしれない。今自分があるのはこのどうしようもない父親と、愛情過多の母親と、人をおもちゃのようにいじくりまわして可愛がってくれた兄姉たち。その愛情がどっと集中するはけ口としての動物たちの存在。動物ならぐれたりしない。甘やかしてもだめにならないところが偉い。モーちゃんのおかげで墓参りができた。猫の恩返しかも。

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