2010年4月28日水曜日

せっかく教えてもらったのに。

動画をブログに入れたくて、教わった。それではさっそくと張り切って始めたのに、ああ情けない、その人がいなくなるや、あっという間に頭の中身も、はい、さようならとは。
さっきまで確かにあったはずの、マウスの標的がなくなっている。彼がどおりで頭が良いと思っていたら、帰り際に人の脳みそまで持っていってしまうからなのだ、と、気が付いた。あちらからもこちらからも、かき集めているにちがいない。でなければ、あそこまで知能が発達するわけがない。
すると、私はよそのうちから帰るとき、きっと、お腹の脂肪を集めきてしまうのだろう。お金をかき集めるのは犯罪だから、あとは、グチを集める、短気を集める、ごみは嫌だなあ、病気も嫌だ。
猫だったら、結構良いかも。でも、私の友達は猫好きが多くて、大抵複数で飼っているから、3軒も回ると、10匹くらいはあっという間に集まりそうだ。どうでも良いが、今日からさぶーい天元台に春スキーに、空っぽの脳みそ抱えていってきます。さぞ、軽々と滑れることでしょう。

2010年4月25日日曜日

三浦敬三さん

スキーに行くので宅急便を手配。受付の女性が「スキーをなさるんですか」 いい年して・・と言外ににおわせながら。 だからどうした。あなた、私の滑りを知らないでしょう。見るわけ無いから言うけれど、飛鳥(あすかと読まないで)のようにさっそうと滑り降りる様を、見せてあげたいなあ。帰り際に「お気をつけて」と含み笑いされた。    数年前に廃止された、ザウルスという人工スキー場を覚えている人も多いと思う。何回かすべりに行ったのだが、ある時、コーヒーを飲んでいると、前のテーブルに小柄な銀髪の男性が座った。かなり、ご高齢と見たので、「お元気でいらっしゃいますね」などと話しかけ、ステキなウェアを褒めたりしていた。それは、めったに見られないほど鮮やかなブルーで、さぞお高いだろうと、下種のかんぐり。では、お元気で、お気をつけて。後ほどゲレンデで・・・ところが、その方のすべりを見た途端、冷や汗がタラーリ。とんでもない上手さ。いくら傾斜がきつくないザウスと言っても、リフトを降りると、大抵の人は上からコースを見て、人の込み具合でコースを考えたりする。その方は、一切止まらない。その颯爽とした姿は、さっきカフェで見かけたご老人とは、とても思えない。あまり素晴らしかったので、後でスキーの先生に話したところ、「それはたぶん三浦敬三さんだよ」と言われた。なるほど。長年スキーをやっていて、三浦敬三さんのお顔もわからなかったというのも、うかつでした。三浦さんは1904年生まれ、2006年に亡くなられた。99歳でモンブラン滑降を果たされた。毎日のトレーニングを欠かさず、生涯現役を貫いた、稀に見る幸せな方だと思う。  ほら見なさい。宅急便の受付さん。私だってもしかしたら9・・・無理か。

2010年4月23日金曜日

学食で一人で食べられない?

さっき、テレビを見ていたら、学食で一人で食べている姿を、他人に見られるのが恥ずかしいので、トイレで食べるという学生がいるそうで、仰天。 トイレで食事? なぜ、一人で食べられないかというと、「あいつ、友達もいないのかよ」と思われたくないからだとか。ひえーっ。だ、だからといって、トイレで食べることないでしょう。一人がどうして悪い。  私は、長い旅行などでは、時々、ひとりにならずにはいられない。なぜかというと、大勢でいるのも、それはそれで楽しいが、時々退屈してしまうから。何よりも面白いのは、自分と向かい合うときだから。学生たちは友達といっても、大半がメル友で、数がやたらと多い。700人なんて、冗談でしょう。「今日なに食べた?」「これから、寝る」なんて恋人とだったら、他愛ないやりとりもうれしいが、赤の他人が寝ようが、あくびしようが面白いわけがないじゃない。テレビ番組を教えっこしたりするなんて、見たい番組くらい自分でさがしなさい。長く仕事やっていると、地方に出かけるのも、一人が多い。私の仕事仲間たちは、殆ど単独行動を好む人が多い。自分が好きなように行動する術が、わかっているから。自分が何を、したいかがハッキリしているから。だから、他の人がいたほうが楽しい時や、何人かで共通の目的がある時は、一緒に仲良く行動できる。なんだか、背筋が寒くなってきた。今、なんでこんなに日本の学生は、幼稚なのだろうか。

2010年4月22日木曜日

ものすごく恥ずかしい話し

オーケストラの演奏旅行でよく富山に行きました。と、言うのは、私たちの時代の団長が、富山県人だったから。彼はせっかく、富山の有力者の家に生まれたにもかかわらず、ヴァイオリン弾きになってしまった、はぐれ者。山育ちなので、無骨で力持ち。ある時、沢登りに同行した時のこと。私は背が小さいので、どうしても次の岩に手が届かなく、岩肌にへばりついて立ち往生。それを横に進まないと、1メートルほどの轟々と流れる川を超えられない。考えあぐねているとき、突如、ふわりと体が宙に浮いたと思ったら、ストンと着地。その山育ちが横抱きに抱えて、飛び越えてくれたのです。
さて、これは前置き。     何回も富山に行ったので、たら汁が美味しい冬の時もあったけれど、多分そのときは初夏から、夏にかけてだと思う。宇奈月温泉から、同じセクションのワカメちゃんと、トロッコ電車に乗った時。途中、猿が見つけたという、釣鐘温泉、(鐘釣でしたっけ?)を過ぎ、猫又駅に到着するまで、私は睡魔に襲われた。眼下のすごい景色も夢うつつで、時々チラッと見ては又寝た。大体、猫又の名は花崗岩の巨大な岩があって、猫に追われたネズミも上れず、猫も又引き返した。という由来らしい。その岩は見逃したが、目が覚めて何か言いかけた。「さっき、サルマタ峡通ったでしょう。あの時ね・・・・」ところが、言い終わらないのに、ワカメちゃんがさえぎった。「えっ、なに言ってるの。やめて。」「だから、ほら、さっきサルマタ峡・・・」「やめてー」ハッと気が付いた。寝ぼけていて、あらぬ言葉を大声で叫んでいることに。わー、今でも恥ずかしい。

2010年4月21日水曜日

オーケストラ裏話その1 ゆっくり弾くのは難しい

電車で某オーケストラの若いヴァイオリニストに出会った。 「昨日新世界やったんですよ」「そう」「2楽章で震えちゃいました。僕のまわり皆震えてました。」「恐いからね」    彼は日本のトップクラスのオケマン。それが、なぜ震えるかというと、オーケストラ内の重圧というのは大変なもので、ステージ上のプレーヤーに心電図計をつけてみると、パイロットが離着陸時に感じると同じ位のプレッシャーが、読み取れるそうだ。しかも、それが本番中続くという。「新世界」はいまどきの優秀な若手にとって、技術的には難しくないはず。それが集団の中で、周囲の圧力、管楽器からの視線と、観客の視線にさらされると、押しつぶされそうになる。特にゆっくりな楽章がいけません。弓がいつもはおとなしく弦の上に納まっているのに、なぜか、バウンドしはじめる。そうなると、もうお終い。一人ならなんとかなるのだが、大勢の中でそうなると、どうしようもない。  あるベテランチェリストがコンサートが終了したときに、ため息混じりに言ったのは「ああ、震えちゃったよ。これで後3ヶ月はだめだな」  一度震えると今度は、又震えるのではないかと恐怖にかられる。   以前テレビで能役者のドキュメントを、放送したことがある。 心電計をつけてみると、早い舞の時は比較的平静なのに、遅い舞の時は、心拍数がはねあがった。ビックリしたが、よくわかる。その過度の緊張が、さまざまな悲喜劇を生み出すはなしは、またいつか。

2010年4月20日火曜日

東欧   チェコ、ハンガリー、


ずいぶん前にドイツに行った時、車で走っていると交通標識にプラハの文字が出て、行ってみたいね、と話したことがある。その頃はまだ、ベルリンの壁の崩壊の予想もされていない頃だったから、なかなか行く機会もこないと思っていた。ウィーンの空港などは、自動小銃を持った兵隊が、厳重に警戒していた。ヨーロッパは地続きなのを実感。  その後訪れた憧れのプラハは、美しい都市。古い建物がはんなりと落ち着いた雰囲気。其処ここに音楽を演奏する人がいて、人の気もゆったりとしている。ガラスや琥珀、人形劇に使う操り人形、チェコフィルの、洗練された繊細な弦の響きの秘密が隠されているような、そんな雰囲気。その街で一騒動起こした顛末は「ドボルザーク劇場で赤っ恥」に載せましたが。       ハンガリーでの目的は、ジプシーヴァイオリンと馬。どこへ行ってもヴァイオリン弾きが街角やレストランで、楽しそうに軽々と奏でている。中にはいかにも自己流がいるけれど、そんなことはこちらの勝手な見解で、あちらは音楽学校出が正しいなんておもってもいない。逆に、それがあちらの正統派なのだから、私たちの演奏はなんてつまらない、って思われるのが関の山。中には、明らかに正規の音大出、と思われる人もいる。それが、素晴らしく上手い。 プスタツアーなる、草原で馬の曲乗りを見せるツアーに参加した。ほかの人たちは馬に興味はないので、私とあと母娘の3人だけ。なんと、その方は2頭の競走馬の持ち主。すごいお金持ち。うー、うらやましい。ドイツ人の3人と合流して6人になった。人馬一体とはこのことか。なん頭もの馬を束ねて、背中に立ち疾走する。跪いたり、寝転んだり、意のままに馬を操る。背中にしがみついて、馬場の真ん中で立ち往生している私とは、どこが違うんだ。教えてほしい。馬さんたち。 
 

2010年4月19日月曜日

フリーという商売

10人以上の人が一緒に弾くから、オーケストラのヴァイオリンは楽でしょう?なんて言う人がいる、冗談じゃない。10人一緒だから恐いのです。例とえば、シンクロナイズドスイミング・・・一人でも足の角度違ったら目立つでしょう。自分が間違えたばかりに、前後左右の人たちうを巻き込むこともあるのです。オーケストラは本当に恐ろしい。そればかりが理由ではないけれど、オーケストラを辞めてフリーになって、一番感じたのは、ぜんぜんフリーではないこと。自己責任が伴うだけあって、ますます厳しくなる。よく、夢を見る。コンサートが始まっているのに、まだ、会場の外にいて、入り口がわからない。楽器を忘れた。ステージに上がる直前なのに、なにを弾くのか曲がわからない。等々  何十年も仕事をしてきて、緊張の連続。ようやく、この頃緊張から解き放たれたけれど、どうも、面白くない。かといって、もう一度あの緊張を味わうのはごめんだ。人間、贅沢なものです。でも、まだ仕事が枯渇したわけではないので、いつ又緊張の坩堝に投げ込まれるかわからない。それを、心待ちにしている自分と、嫌だと思っている自分と、どちらが勝つか。

インド、中国、

そろそろヴァイオリンのことでも書かないと、猫魔さんは、ほんとにヴァイオリニストなの?と疑われそうだけど、まだまだ、何から書けば良いか分からないくらい、話題がひしめいているのです。
インドも中国も数年違いで別々に行ったのだけど、あまり良く覚えていないのは、ツアーで行ったから。旅はやっぱり、自分で苦労して行かないと、面白くない。インドへ行ってから人生観が変わったと言う人もいるけれど、私は最初に行った中国(今度3回目の中国旅行の予定)が、一番人生観が変わるきっかけになりました。とにかく広い。端から端まで行くと、もう、人種が何回も変わる。肌の色、髪の毛、文化、顔立ち、宗教、これを一緒に同じ国と言うのは、無理じゃないか?と思った。ウイグル自治区はエキゾチックで、何もかもステキ。  日中友好協会の旅行だったから、偉い人がいつもいて、自由に街が歩けない。途中1日だけ、その人たちが別行動だったときに、それっとばかり市場に行って、悪い物をいっぱい食べ歩いたのが、一番楽しかった。素晴らしいご馳走、快適なホテル、乗り物、だけど、ガイドさんは全く違う物を食べている。日本なら、観光客もガイドさんも普段はそれほど差は無い。  インドも美味しいカレー料理、宮殿のようなホテル、冷房の効いたバス、でも、両足の無い物乞い、物売りの子供が沢山いる。猿と犬と牛と人が、牛の糞だらけの地面に横になっている。   そして、今、この両国が、世界経済の先頭に立っている。あの大地が活力の源か?なりふり構わず突き進むだけのパワーは、もはや今の日本には無いけれど、私はそのことがそんなに残念とは思わない。すべて、移り行くものなのだから。

2010年4月18日日曜日

1Q84BOOK3

このブログに、カラスフリークを載せたのが15日、翌16日に村上春樹の「1Q84BOOK3」が全国一斉に発売された。17日に手に入れて読み始め、今朝、登場人物の「ふかえり」という女性が、カラスと話す場面を読んで、あらまあ。村上さん、もしかして、ふかえりは私と同じカラスと話したのかもよ。  私も今、たいてい家にいて、さなぎを紡いでいる(この言い方正しい?)最中だし。実はこの本の1巻で初めて村上春樹を読みました。それまで、大変人気のある人だとは知っていたけれど、若い人に人気があるのは、たぶん軽い語り口なのかな、と思っていたので。おしゃれでブランド名がでてきたり・・そんな物を想像していて、手が出なかった。初めて読んで驚いたのは、日本人なのに翻訳ものを読んでいるようで、そして、斜め読みが出来ない。いつも、本は猛スピードで読むので、こつも知っている。でも、それが出来ない。どうしても。一つずつ、丁寧に書かれた文章を、敬意を払って読んでいます。ほかの作家でも、それは同じ事と思うのに、何が違うのかよく分からない。一つとして文章に無駄がない。これを読み終わったら、他の著書にも手を出してみよう。気に入った作家のものは全部読む主義だから、又家の中に本の山が出来てしまう。       私は今、まさに次の準備が始まったらしい。私の周りで、回り舞台が舞台転換を始めている。私はいつも自分ではなにもせず、じっと次の場面を待っている。自分の意思で人生が展開するわけではないことを、知っているから。今は本を読み、音楽を聴き(落語も)、絵を見て、次の人生を心待ちにしている。子供の時のように。本を食べて生きていたときのように。

2010年4月16日金曜日

スキューバダイビングをあきらめた日

沖縄でダイビングのライセンスをとってから海に潜っていたが、どうも体質が水に合わないらしく、帰ってくると体調が悪くなる。特にサイパンの時はひどく、再起するのが大変だった。第2次大戦の爪あとが未だに残るサイパン。どこへ行ってもかわいそう過ぎる日本兵たちの話ばかり。本当の被害者は地元の人だとは言え、海の底に沈んだ零戦や、バンザイクリフなど、正視に耐えなかった。そこを、まるで観光のように、ダイバーが潜っている。思わず海の中で沈んだ飛行機に向かって、手をあわせた。それで、なにかにとり憑かれたようになって、帰国してからの具合の悪い事。ダイビングスポットは綺麗な南の海が多いので、かつての戦場だったりする。奄美もそうだった。   ある時、慶良間諸島に行くつもりで、スポーツクラブで手配してもらったところ、沖縄の本部に連れて行かれてしまった。これは間違いではなくて、クラブ側の作為的な詐欺に等しいことだった。怒ってスポーツクラブをやめて、家の近くのダイビングショップに所属を変え、伊豆などに数回行ったけれど、帰ってくるとひどい風邪をひく。ドライスーツを作ってこれならと思っても、今までにないほど重い風邪をひいてしまう。そして去年の暮れから膝を痛め、もう、やめる潮時と思ったがあきらめきれず、昨日までレギュレーターなどの器材をショップにあずけていた。やっと、決心をして、ドライスーツ以外のものは、全部ショップに寄付してしまった。      そして今朝、奥多摩でのラフティングの映像を見た。これなら、ドライスーツも使えるし、スリルも満点だし、それほど冷えそうもないから良いかも・・・・目がキラリ。ようし、今度行ってみよう。   実は、前から興味があったのは、アラスカからの帰りの飛行機の中で見た「激流」という映画。その中で激流を下るシーンのステキだったこと。 奥多摩のはそんな激流ではなさそうだから私でも大丈夫かなあ。一つ不思議なのは海の中で感じる時間のこと。いつも、とても短く感じるが、いざ時計をみると、あら、こんなに時間が経っていると思う。浦島太郎もきっと、時間がたつのを忘れていたんですね。

2010年4月15日木曜日

カラスフリーク

毎朝散歩の途中で挨拶にくるカラスの夫婦。間近かでよく見ると、夫のカラスは立派な胸板。胸のあたりの羽毛は青く光り、眼光も炯炯として、惚れ惚れするほどいい男。妻カラスはいくぶん細身で警戒心が強く、50センチ圏内には近ずいてこない。昨日は立ち止まって話をしていると、犬を連れた御婦人がニコニコして「あら、ずいぶん人懐こいですね」と話しかけてきた。カラスは今害鳥あつかい。なぜかというと、ごみをちらかす、繁殖期に人を襲うことがよくあるから。でも、ごみの問題は人の方に責任があり、繁殖期に子を守るのは当然のこと。もし、まだからすが悪い奴だと思っている人は、この本を読んでいただきたい。

佐々木 洋著「カラスの思惑」

       広美 出版事業部 

東京都の石原知事がからす嫌いだと聞く。たぶんああいう権力をかさにきて、憲法改正しようなんて人は、鳥が賢いなんて認めたくはないに違いない。動物学者のローレンツ博士のコクマルカラスとの友情は本当に美しい。「ソロモンの指輪」その他ローレンツ博士の著書も、絶対お勧めです。

2010年4月14日水曜日

談志

昨日、談志の悪口を書いたら、今朝の新聞を見てびっくり。糖尿病で休んでいたそうで、昨日高座に復帰したという。去年、背中丸めてだらしなく座った姿をテレビで見て、傲慢ないやな感じだと思ったが、病気で具合が悪かったのですね。談志さんごめんなさい。ともあれ、病気が小康状態になってよかった。完治する病ではないから、気をつけて少しでも長く語ってほしい。    なんで、タイミングよく彼のことを思い出したのか。猫魔さんはやっぱり、魔女だったのです。   よくそんな事ありませんか。ある人のことを考えていると、電話がかかってきたりすること。以前、友人に電話したら、受話器の向こうで わっ と驚かれた。「今、あなたのことを考えていたのよ」と言われた。でも、私にもそういうことはよくあるので、あまり驚かない。テレパシーが実際あると思うのは、仲間と演奏しているとき。なんでも無いところで、同じように間違えたりする。今、同じ気持ちで弾いているとか、あ、集中してないなとか、手に取るように相手の気持ちが分かるときがある。一番感じるのは聴いているお客さんの気分。弾きながらあちらからのパワーをしっかり受けとめられる時は、うまくいっているとき。日本の聴衆はお行儀が良いから、なにを感じているか時々わからないこともあるが、アメリカの聴衆はとてもわかりやすかった。始めはザワザワしていても、曲が進むとグッと引き込まれるように、こちらに向かってくる。一体感があって快感でした。最近は演奏するほうも年をとって、長年聴きに来てくださるお客様も同時に年をとり、そうやって、長年お付き合いした方たちとは、阿吽の呼吸を共有できる。これが、生演奏の醍醐味。

2010年4月13日火曜日

落語

知人は、お母さんが志ん生の「火焔太鼓」を聴いていて、あまりにも笑ったので産気ずき、それで彼女がうまれたのだそうだ。私が志ん生で一番好きなのも、火焔太鼓。特に骨董屋のお上さんの悪たれ口が秀逸。 子供の頃から落語が好きで、よく、聴いていた。今輔のおばあさん物や、金馬なんかも面白かったが、なんと言っても志ん生、えー、と言うだけで笑った。 志ん生が亡くなってから、息子の志ん朝がいるから、又志ん生の様な落語家になるに違いないと思って、安心していたら、早々と亡くなってしまった。本当に惜しいこと。志ん朝で好きなのは、「崇徳院」 恋煩いの若旦那のヘロヘロした感じが、たまらなくおかしい。柳家小さんは最初はあまり気にとめていなかったが、亡くなってからじっくり聴いてみたら、その上手さに恐れ入りました。特に好きなのは、「禁酒番屋」 番屋の侍が町人から酒を巻上げて、だんだん酔っていく場面の上手さには、舌を巻く。小さんが「時そば」を演じると、近所の蕎麦やが満員になったそうだ。   最近談志の全集のCDを手に入れたけれど、まだ一枚も聴いていない。食わず嫌いというか、若い頃は颯爽として美しい男だったのに、(日々谷でエレベーターに乗り合わせ、色の白さにほれ込んだり)最近は背中を丸めて、小言の多いご隠居みたいになったのが、気にくわないので、敬遠がち。      高座で鶯色の着物が良く似合って、ステキだったのになあ。今はへんなバンダナみたいな物を頭に巻きつけて・・・・よくなーいっ。   今、小三治の「ま・く・ら」という本を読んでいる。小三治がニューヨークに行った時の失敗などが書いてあり、落語は耳で聞くものと思っていたけれど、あの顔と声を思い出してよむと、これが中々面白い。最近寄席にもトンと行かないから、スナックなどでサロン寄席があるそうなので、いってみたい。音楽も寄席もビールも生が一番。お後がよろしいようで。

2010年4月12日月曜日

桜吹雪の朝

桜並木の下は、花吹雪でピンク色に染まっていた。まるで、雪が降ったようだ。昨日の暖かさがうそのように寒い朝。小雨もちらついて、重たい空気が流れる。でも、こんな日が私は好き。
子供の頃は運動が苦手で、雨の日は体育の授業がなくなるのが、うれしかった。それに、気持ちが落ち着いて、読書にはうってつけ。子供らしいところが少しもなく、母親の苦の種だった。家にいて、本を読み、クラシック音楽を聴き、絵を描きという事が好きで、当然同じ年頃の子と合うわけはない。しかも、体が弱く、寝ていることが多い。学校もあまり行きたがらない。今だったら問題児で、きっと、登校拒否ととられたでしょう。当時は世間もギスギスしていなかったので、助かったような気がする。学校を休んでも、親も先生も大して気にするでもなかった。   ところが、よくしたもので、大人になったら、正反対になった。旅行が好き。スキー、乗馬、スキューバダイビング。相変わらず、体はあまり丈夫ではない。3大疾病もガンもやっているのに、元気で飛び回る。飛び回りすぎて、よく寝込むが。人見知りもしなくなって、誰とでもすぐ胸襟を開ける。子供時代のあの内気さはどこへ?ただ、今でも思うのは、あの頃の自分は今の自分の準備をしていたのだということ。自分の中にジワジワと知識や、パワーをためていたらしい。しかも、ものすごいマイペースで、親にも手を出させない頑固さで。今の親のように、子供に手を貸しすぎると、子供は自分で育たなくなってしまうのではないだろうか。私も教育ママがそばにいて、口出しされていたら、きっと伸び悩んだにちがいない。好き放題させてくれた親は、不精だったのか、偉かったのか、よくわからない。

2010年4月11日日曜日

我等キリギリス、又もやホームコンサート

音楽教室の生徒と講師が集まって、弾いたり食べたりする会。今日は、世田谷のステキなスタジオをお借りして開催。数ヶ月にいっぺん、不定期だけれど、けっこう回数を重ねている。レヴェルは違っても、緊張感は一緒で、それぞれが大真面目なところが良い。やはり、言い訳をしたり、暴走したり、わけが分からなくなったり、弾くのも楽しいが、聴くのも面白い。私は根っからのキリギリスだと思う。蟻のように働くこともあるけれど、働くこと自体が演奏なので、どこまでが遊びで、ここからが仕事という区別はあまり、感じない。結構遊びも仕事も集中してくると、判別しがたい。母からよく「今日は仕事なの、遊びなの?」と言われてムッとしたこともあったが、他人の目からも、その辺の区別がつきにくいのだろう。結局、一番好きなことを仕事に出来た、ということですね。この頃仕事がひまだから、こんなことばかりしている。    とても綺麗な個人宅のスタジオだったので、家に帰ると我が家の汚さが目につく。お掃除をしなくてはと思うのだが、嫌いなことはいつも後回しになる。
蟻さんの要素は私には皆無らしい。

2010年4月9日金曜日

ホームコンサート

コンサートといっても聴き手は自分たちだけ。ピアニストの勉強会を、毎月それぞれの家を回りもちで開く。声をかけられて、参加。学生時代から優等生グループだった3人。ヴァイオリンは私だけ。私は学生時代落ちこぼれで、先生の悩みの種だったから恐れ多いのだが、なぜか、よく誘われる。この3人の内の一人は母親の介護の真っ最中。もう一人はご主人が具合が悪い。それなのに、よくこの年で勉強すること。
私などは昨日小淵沢で遊びほうけていたので、全く楽器にさわっていないのに、ノコノコ出席。でも、どんな形であっても真剣に弾くのを見ていると、だんだん、申し訳なくなって、柄にも無く、本気になってしまう。弾く前にそれぞれ言い訳。どんな理由でさらえなかったか、どこが難しくて指が回らないか、など泣きが入る。聴き手のほうは、ゆっくり部分練習をしろとか、曲が長すぎるとか、もっと弾けとか勝手なことを言い合う。これも同級生だから、言えること。
ショパンのエチュードから始まって、ドビュッシー、シューベルト、ベートーヴェン、こんなに間近で聴けるなんて、贅沢だなあ。今度はバッハの無伴奏をの声に、思わず「じゃあイザイのバラードを弾く」と言ってしまい、ちょっと、後悔している。でも、ピアノ弾きがあの曲を細部まで知っているとは思えないので、そこが、救いかな。

小淵沢

このところ雨や寒い日が続いていた。だが、仕事仲間のようこさんと小淵沢に行こうと約束していた今日は(もう0時過ぎたので昨日)、見事に晴れ渡り無風。中央道を甲府に近ずき坂を下ると、青空の下、一面の桃の花。行く手にはまだ頂に雪を残している、八ヶ岳。いつきても、感激する景色だが、今日みたいに美しいのは、初めて。これを桃源郷というのかしら、と言いながら走る。自宅から3時間。全く疲れない。まず、八ヶ岳ロングライディングに寄る。オーナーの高鳥さんがいつものように、飄々と迎えてくれる。しばらく、馬さんたちと交流してから、車で近辺を走り回ることになった。これは、ある諜報機関からの密令。「小淵沢のお勧めスポットをさがせ。」   最近小淵沢にお店を出したゆきちゃんの協力も得て、3人でお昼を食べたり、お土産を買ったり・・・ ゆきちゃんは去年の秋ごろお店を出したばかりなのに、もう、すっかり住人となって、あちらでもこちらでも、楽しそうに交流している。又、ここの土地柄は、新しい人をすんなり受け入れる広い度量があるという。澄み切った大気と芸術家の多さが、独特の雰囲気だし、馬が多いのも、馬好きにはたまらない。あそこも、ここもと言いながら、ついに長野県側の原村まで行って、すっかり楽しみまくって、帰ってきました。前からここに住みたいという願いはいつになるかわからないけれど、いつも、たいていの願いはかなうので、そのうち、八ヶ岳付近で大きな顔して、昼寝しているトラデブ野良猫を見かけたら、私だと思ってください。

2010年4月7日水曜日

免許証更新 腹の立つこと

半年ほど前、時間で変わる一方通行を逆走して、つかまった。スーパーマーケットにダイレクトに入れる道を探しながら行ったので、あ、ここ、と思ったときにはもうハンドルを切っていた。確かめる暇も無く。いわゆる、進入禁止の赤い標識ではなかったので、見落とした。ほんの数メートル。時間で一通変えないで、固定してくれればいいのに。そのへんは、道がいっぱいあるのに。そこだけ、そうなっている。なぜ?        その前から後ろをつけてくる白いカブに気が付いていたけれど、まさかねえ。つかまえるとは。なぜ、入ろうとしたときに注意しないのか。犯罪防止がお役目じゃないの。裏金作りの資金かせぎ?。評判悪い神奈川県警さん。ちゃんとしたことに罰金を使うならいいけど、自分たちの飲食に使うのはゆるせない。
そして、もっと気持ち悪いことに、切符を切られてから買い物をして、その間ずーっと待っていたらしい事。スーパーを出て、すぐに郵便局に行って、罰金払って出てきたら、同じ警官が郵便局の外でこちらを見ていた。なんのため?気持ちわるーい。今日は免許の更新で、違反をした人たちの講習会。本当に罰金は正しくつかいましょうね。神奈川県警さん。何度も言いたい。あなたたちのお金ではないのよ。

2010年4月6日火曜日

雪雀連(せつじゃんれん)

お花見のメンバーはスキー仲間の雪雀連の連中。スキーは口実で、麻雀主流の時もあったけれど、最近はまじめにスキーにいそしんでいる。会長は山田さん、その傘下に集まる人たちの多彩なこと。ピアノ調律士、人形作家、絵本作家、化学者、劇場関係者、ピアニスト、ヴァイオリニスト、映画制作者、アニメ映画会社のオーナー、等。自由気儘な人たちなのに、いったん集まると、和気藹々、決して仕事や家庭のグチはこぼさない。それぞれ波乱万丈な人生だと思うのに、激しさは内に秘めて、穏やかに、にこやかに、みごとな大人たち。毎年の遊びのスケジュールは山田会長から送られてくる。お正月の天元台、指導者をお迎えして、レヴェルアップのための講習会。この毎年お迎えする先生が、稀代の変わり者。要するに雪雀会ぴったり。志賀高原で年2回行われる。
春スキーは今年は天元台、場所はその年の雪の条件で、変わることもある。そして、以前は5月の連休に八幡平、夏は軽井沢でサマーキャンプ。夏の終わりにニュージーランド。秋は紅葉狩り、暮れに忘年会コンサート、初すべりが志賀高原、これに山田会長はすべて参加。私たちはそんなに行ったら破産してしまうのに。おん年70歳を軽く飛び越えて80歳にもあと数年というのに、ゲレンデでも軽々とすべる。脱力しているから、そんなに早そうに見えないのに、いざ、後ろに付くと、これが、えらい速さ。怪物です。スキーから帰ると反省会と称して、一席もうけるのが恒例。あきれた人たちです。

2010年4月5日月曜日

誕生日とお花見

大しておめでたくもなくなったが、渋谷の音楽教室に出勤したとたん、「先生お誕生日おめでとうございます」と、校長先生から祝福のお言葉。自分でも忘れていたので、うれしいやら、びっくりやら。
ステキなピンクの桜のケーキが用意してあって、その場にいた生徒さんや、事務の方たちと美味しく頂く。たまたま、今日から入門の女性が目を丸くして、なんて、行き届いたところなの、と感心してくれる。そう、この教室は始めた時の理想は、大人のためのオアシスとなるような教室をつくりたい、ということでした。ほぼ、そのとおりに運営されてきたので、なんと、ここで教えて早や16年。時々はちょっともめることもあったけれど、私の人生の終着駅になるかなと思っている。そして、今日(24時過ぎたので昨日)は我が家恒例の大花見大会。毎年この時期、開花時期と天気が気になる。今年は花曇で寒いけれど、辛うじて雨も降らず、花はドンぴしゃりの満開。20名ほど集まって、スキーの話、音楽の話、はては歌う人が出てきて盛り上がる。毎年続けるのは、正直言ってつらいこともあった。仕事が忙しく、買い物も、用意する暇もなく、終わってから後片付けをしていると、午前2時を過ぎてしまい、次の日の早い仕事の時は、泣きたくなることもあったけれど、毎年楽しみに来てくれる人がいるというのは、どれだけ幸せなことか。うれしそうに帰る姿を見ると、又来年も会いたいと心から思う。明日はピアノの友人と音合わせ。たぶん、スカスカの音になるでしょう。

2010年4月2日金曜日

ドボルザーク劇場で赤っ恥

プラハでレーピンを聴いた時のこと。会場に着くと、なぜか、仲間と離れてしまった。自分の席を捜すと、その番号には老夫婦がちゃっかりと座っているではないか。あちらの方たちは、奥の席の人が遅れてきても、ちゃんと一々立ち上がって、通してくれる。それで、私がその奥の席に行こうとした時も、一斉に立ち上がってくれた。そして、老夫婦と会話。「そこは私の席です。ほら、番号があっているでしょう?」 隣の人も加勢してくれて、「ここはあなたの席だ」と言ってくれた。ご夫婦は立ち上がり、又皆立ち上がって、彼らを通した。やれやれ、席に落ち着いて見ると、なぜだか、私の連れたちが向かいのテラス席にいる。あら、なぜ、私一人が離れた席なの?     しばらくすると、さっきのご夫婦が会場の人を連れて戻ってきた。又、一斉に他の人を立ち上がらせ、私の席まで来ると、「あなたの席は向こうです」といって、テラス席を指差す。なるほど、チケットにはその旨印刷してあった。その人と私が退場するとき、又一斉に人々は立ち上がり、又本来の席の所有者が入っていく時に、又立ち上がり、さて、何回立ったでしょうか?  やっと、自分の席に収まって向かいを見ると、さっきの老夫婦もこちらを見ている。手を振ると笑いながら手を振り返してくれた。どうしたの?と皆に聞かれ、顛末を話すと、思いっきり笑われた。

2010年4月1日木曜日

ワディム レーピン リサイタル

サントリーホール、強い風が吹き荒れる、4月1日。ヤナーチェックのソナタから開始。始めのうちは響きが中々つかめず、聴くほうも、集中できない。しかし、豊かな音にぐんぐんと引き込まれてゆく。
これが、デルジェスの音なのか。なんと形容するのだろうか。官能に直接入り込む?とでも?ゾクリとする。ブラームスはあまり深刻でなく、スマートなブラームス。圧巻はR.シュトラウスのソナタ。
私がここ数年で一番良く勉強した曲なので、期待も大きかった。第1楽章で思いがけない音はずし。だけど、それがなんなのだ。息もつかせない終楽章。お見事。 
彼の演奏を聴くのは10年ぶり?プラハのドヴォルザーク劇場 これも天才の誉れたかい、ピアニストのキーシンとの共演だった。二人ともまだ青年で、若々しい力漲る好演でした。それから、年月が経って、今や、貫禄がついた堂々たるヴァイオリニストとして、私たちの前に現れた。共演者はゴランというリトアニアのピアニスト。これが又素晴らしい腕前。シュトラウスの終楽章のあの難所を難なくクリア。本当にまいった、まいりました。あの人が弾いているのがヴァイオリンなら、私はなんと言う楽器を弾いているのだろう?って時々思います。   終演後余韻を楽しみながら、桜の下を散歩。同じ合奏団の仲間で、亡くなったコントラバスの富永さん。この桜の時期、彼と一緒に食事をして、サントリーホールの裏のキハチでお茶を飲んだっけ。そんな思い出話しをしながら、仲間たちとそぞろ歩き。 大事な友人を失って悲しかった思いが、桜を一層きれいに見せているようです。