2021年11月20日土曜日

さようならハイヒール

 職業柄ロングドレスを着る機会が多く、ステージ用の靴は全部9センチのハイヒール。わたしは小柄なのでドレスの裾を踏まないようにと靴で上げ底していた。その靴で歩けたのに数年前、突然歩行困難になった。

前世はムカデだった私は、気に入った靴を見ると我慢できずに買ってしまうから、クローゼットから玄関まで靴で埋まっている。一度真っ黄色な変わったデザインの靴をネットで見つけた。買おうと思ったけれどサイズが無く涙を飲んだ。でもサイズが無くてよかった。あんな変な靴、どんな服と合わせて履こうというのか。

ところが最近変な服を買った。グリーンと黒と白と黄色のワンピース。おや、あの靴があったらぴったりだったのにと未だに未練たらたら。

それやこれやで変な靴がいっぱいで、ほとんど履かない靴がホコリを被っている。ある年の冬に差し掛かった頃、足首が寒いので急に思い立ってブーツを探した。そして見つけたのはグレーのバックスキンのブーツ。これなら足首が寒くない。デザインも色も素材もなにもかも気に入った。試着することに。それはそれは履きにくい。サイドにファスナーが無いのに足首部分は細くできている。わずかに伸縮する足首もデザイン優先だからほっそりとできている。店員さんに手伝ってもらって足がようやく入った頃には息が上がっていた。

でも素敵!その後お呼ばれだったので意気揚々と、それを履いて目的のお宅に到着した。初めての訪問だったので行儀よくブーツを脱ぐつもりが脱げない。どうやっても脱げない。最初に玄関に出てきたのは、先に到着していた友人。ご当主はまだ奥にいて、先客の友人は私がブーツと格闘しているのを見て目を丸くした。手を貸してくれたけれど勢い余って私は玄関の上がり口で転倒、床に尻もちをつきながらなおももがいているところへご当主登場。何をなさっているんですか?びっくりして見ている。そのうちやっとブーツが脱げた。

その時のブーツはあまりの着脱の難しさにその後は2,3回履いたかどうか。もったいない。素敵なデザインなのに、でもまだ捨てられない。

今日はやっと靴を捨てる決心をした。足首を痛めたのでヒールの高さが問題になる。たとえ歩けても足首を捻って捻挫しかねない靴は捨てることにした。たった2度ほど履いた靴も情け容赦なくゴミ袋へ。ヒールが5センチ以下のものだけ残して、それでも捨てられない靴がある。捨てないからと言って履けるわけでなし、この未練がましさは私らしくない。物に執着しないのが私のはずなのに、靴だけはだめなのだ。ヒールを低くするために新しく注文した靴がさっそく部屋を占領し始めた。それでヒール5センチ以上、ここ数年履いていない靴等条件をつけて捨てることにした。

ずっとスニーカーを愛用していた。そのスニーカーがどんどん増えていまや部屋の主になっている。長い間スニーカーを履いていて少し飽きがきた。それでも歩くには最適なんだけど。かなり前のはなし、私のコンサートのお客さんがスニーカーを履いてきたことがあって、少しムッとした。コンサートにスニーカーを履いてくるなんて!と。その頃はコンサートのお客様は大変オシャレだった。私もコンサートに行くときにはおしゃれをしていった。

それでも今や、おしゃれなスニーカーが人々の足元を席巻していて、私も履いていくようになってしまった。随分昔、ニューヨーカーが出勤のときにはスニーカーを履いてでかけ、オフィスで革靴に履き替えるというニュースを見たときに、へー、そんなことをしているのかと感心したことがあったけれど、今や普通のことでしょうか。ハイヒールが履けなくなって普段履くのはいつもウオーキング用の靴。ずっとそんなだったので最近オシャレな靴が履きたくなってきたのに足首が痛くてままならない。

だいぶ前の話だけれど、テレビを見ていたらデヴィ夫人が出てきて、履いているのはなんと20センチのヒールだそうでえらく感心したことがあった。年齢はわからないけれど、それだけの努力をしているということ。足がよほど健康でないと履けないでしょう。彼女は以前リポーターから「整形はしていますか」と訊かれて「していませんよ。でもその他のあらゆることをしています」と答えていたのが印象に残っている。お金があるからあらゆることができるのでしょう。お金のない私はとりあえず靴を捨てることから始める。今朝はほんの5足ほど捨てた。結局は2,3足あれば事足りると思うけれど、おしゃれ心は捨てないようにしたい。クローゼットの奥深く潜んでいる靴を明日も見つけ出してゴミ袋へ。そのうち間違えて自分をゴミ袋へいれたらだれも助けてくれないかも。

早く早く、本人が気が付かないうちに早く捨てちまえ・・・なんて








2021年11月19日金曜日

高齢者免許更新

 今月8日に認知機能検査を受けたばかりなのに、次の高齢者講習で運転技能などの講習が受けられることになった。前回のときには近所の教習所に行ったので、予約にも長い間待たされてジリジリしたけれど、今回は運転免許センターで受けることにしたので、すべてがスムーズにいった。なぜ、最初から運転免許センターで受けられると言わないのかが不思議なんだけど。

最初に教習所の名前がずらりと並ぶはがきが来て、ここで受けてくださいと書いてある。取説の読めない私は、ここでも最初のページしか読まなかったので必死に教習所に電話した。どこも2ヶ月くらい先まで予約が一杯で、最初の認知機能検査が終わるのが免許証期限ギリギリ、そこから次の運転技能の講習にたどり着く頃には更新期限が切れている。もちろん情状酌量で少しは待ってもらえるらしいけれど、その間とても不安になる。何件目かで電話がつながった教習所のオペレーターが親切に教えてくれたのが運転免許センターでの受講だった。

おかげで運転免許センターの認知機能検査は高得点でクリア。すぐに次の運転技能の検査の予約も取れた。予約電話の受付は平日8時30分からで、29分にはスタンバイ、30分に変わった瞬間ダイアルした。すぐに予約が取れて12月初旬には晴れて更新できる運びとなった。実技は脱輪しても道を間違えても、よほどのことがなければ落とされることはないと聞く。私のように小柄なものは車が大きいと色々不都合が出る。それで当日背もたれとかクッションとか持ち込んでいいですか?と訊くと構わないそうで、そちらにはそういうものはないの?と訊くとごめんなさいと謝られて恐縮した。

世の中のものは標準的な人に当てはまるようになっている。極端に大きい、小さい人に合わせると、コストも手間もかかるから両サイドのサイズはカットされてしまう。だから私には世の中のすべてのものが大きすぎるのだ。

飛行機に乗るときにはいつもエコノミーだったから、たまにはビジネスクラスに乗ってみようと思った。航空会社のカウンターで、今日はビジネスクラスが割引になるからと勧められたので乗ってみることにした。で、すぐに後悔した。座席は大きすぎて足が足載せに届かない、背もたれも高すぎてヘッドレストに届かない。すごく疲れた。身の丈にあった生活をしようと、その時思った。

今度の講習の車はトヨタのプリウスだというから、どこかでシートに座って見たいと思っている。プリウスに乗っている知人はいないから乗っている人を探そう。前回はスバルのなんとかいう車。あまり良く知らないので名前を忘れてしまったけれど、とても大きくて教習所の教官が気の毒そうにクッションを勧めてくれた。その時は断ったけれど、今回は持参することにした。プリウスってどのくらいのクラスかな?トヨタのショールームで座らせてもらおうかしら。買わない人はお断りっていわれるかな。図々しい、塩まいてなんて追い出されるかも。いやいやトヨタさんはそんな小さいこと言わないでしょう。帰りにお持ち帰りでどうぞなんて1台お土産にもらえるかも。あはは、てなわけないか。

講習の予約が取れた頃、大谷翔平くんのMVPの受賞の発表があって、大喜び。惜しかったなあ、予約電話の最中にこのニュースが報道されたら、オペレーターさんに知らせてあげようと思っていたのに。二人で手を取り合って喜んだのに。電話の向こうだから、しかもコロナ感染のこともあるから手を取り合うわけにはいかないけれど。

知れば知るほどすごい選手なのだ、翔平くんは。例えば宇宙飛行士などの顔に共通するものがある。とても落ち着いている。目がキョロキョロしない。やたらに興奮しない。派手な言葉も態度もない。ごく淡々と話す。生活のすべてが野球につながっている。行動のすべてが野球のため。それでいて独りよがりのところや奇をてらった行動、思い上がりなどが一切見られない。稀有の存在なのだ。









2021年11月16日火曜日

狩猟解禁

 毎朝、北軽井沢の森の中で聞くのは地元の有線放送。なにを言っているのかよく聞き取れないことが多いから、今日も元気でとかなんとか言っているものと思っていた。けれど昨日は風向きのせいかはっきりと聞き取れた。

今日から狩猟解禁日となりますと。森の動物が人間の言葉がわかったらさぞ怯えることだろう。ハンターが入るので気をつけるようにと続く。どう気をつけろっていうの?私はもしかしたら新種の猿と間違えられて撃たれるかも。でもこんな人っ子一人いない森で撃たれても、そのへんに埋められてしまったら誰にもわからない。サスペンス映画の見過ぎ。

あの人最近見ないわねえ。きっとまた中国の山の中かペルーのマチュピチュかどこかに行ってるんじゃない、変わり者だから。などと言われて誰も心配しないに違いない。コロナのせいで日本にいるけれど、数年に一度は空を飛びたくなる癖があるから。

朝から嫌な気分になったし、猫が早朝素敵なナニを出してくれたから、今が潮時、帰宅することにした。本当は朝10時半に予約に行って、地粉やさんという評判のお蕎麦屋さんで蕎麦を食べることにしていたけれど諦めた。

猫のトイレ事情はよくわからない。最近車中のケージで用をすます癖がついてしまって困っている。ただいま4連敗。出かける前に済んだからと言って決して安心はできない。走り始めると急に大騒ぎしたらそれはもう出したということ。はじめのうちは山の急カーブが嫌だからかと思っていたら、帰宅してケージの中が悲惨な状況なのを見てびっくりした。私は昔から嗅覚障害だから幸い(?)なことに嫌な匂いに気が付かない。反対に匂えばすぐに対処できるのだから猫にとっては不幸のどん底。

でも今日こそはあんなに立派なものがあったのだから大丈夫と、安心しきって出発した。高速道路に入る直前騒ぎ出したけれど、でもあんなに立派な・・安心。固定観念が出来上がっていた。家についたらちゃんとあった。あらま。もうこれは条件反射というしかない。飼い主さんたちはどう対処しているのだろうか。

帰ってきたら北軽井沢より寒い。ノンちゃんの家は北海道出身の建築士の建てた寒冷地仕様の家。床暖房だけで素敵に温かい。掛ふとんは薄い羽毛の布団1枚。窓を開ければそれはこちらより寒いけれど、家の中にいる以上は全く寒さを感じない。床暖房だけでこの暖かさ。さぞや電気代が・・・ブルブル、考えると寒くなる。自宅はなんだか足元も背中も寒い。どこかしら窓を開けてあるので、そこから冷気が入り込む。ノンちゃんの家は換気のために屋根裏部屋の窓は昼間だけ開けてあるけれど、それでもTシャツ一枚で過ごせるほど温かい。

猫が文句を言う。あっちより寒いじゃん。これでは眠れない。押し入れにヒーター入れて!

はいはい、お姫様。では巣穴にヒーターを入れて差し上げましょう。いかがでしょうか?

あくまで猫は女王様、私は端女。

久しぶりにテレビを見たら、予定が空くのを恐怖と感じる人達が多いという。私はフリーで仕事をしていたから、予定が空くのは即仕事が入らないということで、そういう意味で空白は嫌だった。昭和天皇ご崩御の時期に恐ろしい空白が1年以上続いたことがあって、今のコロナの社会状況と似ていた。収入はどん底になってまいったこともあったけれど、仕事をやめてから予定がないというのはむしろ嬉しく感じる。体は休んでいるけれど、頭の中は騒々しく働いている。一人で笑っていたりして、あの人「ちょっと、あれ?」なんて思われているかもしれない。大抵は古今亭志ん生の火焔太鼓などを思い出しているのだけれど。頭の使い方もアインシュタインみたいに建設的ではなく、落語の思い出し笑い。思い出すだけで笑えるのは実に経済的。志ん生の天才のおかげ。








2021年11月13日土曜日

又々大変

 前回北軽井沢に来たとき空を仰いで雲の行方を眺めていたら、目についたのが一本の枯れ枝。ベランダの真上にあってベランダと同じ向きに伸びている。見た目なにかおかしい、と思ったのは今年の夏この枝には葉がつかなかったから。枯れているのかどうかは素人目にはわからない、でも、もしこの枝が枯れていて頭上からドサリと落ちたら、下にいる人はただでは済まない。とにかくプロに確かめてもらわないと、どんな事故が起きないとも限らない。

いつも世話になっている工務店の社長が一目見るなり「あ、枯れてる」どうして分かるのと訊くと、ほら途中の皮が剥けて白くなっているでしょう。ああなるともうだめなんですよ。どうしてこのベランダを作るときに気が付かなかったんだろう。悔やんでも仕方がないけれど、仕事を依頼された方は頼まれたことしかしない。そのときに木の状態も確かめておけばよかった。

足元が悪く普通のはしごや高所作業車は入らないとなると、クレーンで吊り上げて下ろすしかないという。それも足場の関係上屋根の反対側から屋根の上を通って下ろすという。もしクレーンのワイヤーが緩んだら屋根にドシーン!

ノンちゃんの大切な家は可哀想なことになる。工事が見たいと言ったら社長は返事もしない。好奇心丸出しで現場をウロウロされたら危なくてしかたがない。なるべく留守のうちに終わってしまおうという魂胆が透けて見える。前回も木を切る依頼をして「見積もりを」と言ったのに、正式の契約もしていないのに、さっさと私の留守中に切ってしまった。かんがえていたよりずっと安かったから良かったけれど。

あれやこれやで森の木の維持はたいそうお金がかかることを初めて知った。相手は生き物、猫でさんざん苦労しているのにまさか木でもこんなに苦労するとは思っても見なかった。だから私は古い穴の空いたシャツで我慢我慢。何十年も前のものを引っ張り出して着ているのだ。

別荘地はもはや人影がない。車も殆ど停まっていない。その中で真っ黄色の車がミノムシのような木の壁の家の前にいると、目立つのなんのって。どうしてこんなに気持ちの良い季節に皆いなくなるのか考えた。今一番きれいな時、紅葉も山も空気も空も。なんでかえってしまうの?

北軽井沢はとにかく寒い。雪が少ない分骨身にしみるような寒さ、それにからっ風が吹こうものなら歯がガチガチいうほど寒い。まもなくその季節がやってくる。あと数日で氷点下になるらしい。水道が凍ってしまうから、水管から水を抜かないと破裂の恐れがある。11月になると業者から水抜きの注文のはがきがくる。私は12月にもまだ来るつもりだから水抜きは頼んでいないけれど、注文書を見ると水道が破裂しては大変という気持ちになるらしい。あっという間に人も車も消えた。どうしてこんなにいい季節に帰ってしまうのかしらねえ、と言ったら社長は「寒いからでしょ」にべもない。

でも今日も昨日も私はシャツ一枚、ダウンのベストを羽織って外にいる。寒さに強いというよりは気温に鈍感というほうがあたっているかも。風呂上がり、湯冷めして歯をガチガチ言わせながらパソコンのゲームがやめられなくて風邪をひくなんてことも。

今夜もベランダで音がする。カチカチと石を打つような音。なんの音かしら。今朝はベランダになにかの木の実が砕けた跡があった。だれか、リスかハクビシンかそこでかじった残骸?どうやらここのベランダは自宅の駐車場のように動物の餌場になっているらしい。そういえば今朝、庭の下を流れる小川のほうへ猫がおりていこうとしていた。最初はうちの猫が出ていったのかと慌てたけれど、少し毛色が薄い。声をかけたら飛び上がって逃げていった。このへんで飼われている猫なのか、それとも避暑客がおいていったものかはわからないけれど、この森でどんな生活をしているのだろうか。

こうして暇を持て余して夜の音に耳を澄ませていると、童話が書けそうな気がしてくる。主人公は避暑地で置き去りにされた猫。白いメス猫、それを守る茶トラの雄猫。さあ、どんなストーリーになるかお楽しみに。なーんちゃって。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  














2021年11月12日金曜日

消えたハサミ

 前回来たとき追分の友人に助けてもらって庭の木を切ってもらった。大木のそばにポヨポヨと伸びている細い木はどうせまた生えてくる。ほつれ毛のように見苦しいからバサバサとカット、随分こざっぱりした。切った木を庭の片隅に積んでおいたので、今回片付けようと思っていた。家には剪定ばさみしかないから、それで細かくカットして大きくて丈夫な紙袋に入れて捨てようとハサミ片手に庭に出た。

その前に庭の主の大木の前に家から持ってきたヴィオラの束を植えたい、ハサミを置くところは?庭は落ち葉が降り積もっている。黄色の落ち葉の上なら鉄のハサミは目立つからすぐに置いたところがわかるだろうと。

それが甘かった。どうして、どうして、どうして?・・・・ない。未だに見つからない。

ヴィオラを植え終わって、さてハサミはたしかこの辺に。落ち葉の下に沈んだかとそのあたりをかき分けてみる。ない。

さては地面に潜ったか。来年春になったらハサミの木が生えてくるかもしれない。楽しみだなあ。

昨日鍵のことで相談に行った工務店からの帰り道、浅間山に会いたくなって牧場まで行った。無風で日差しが暖かい、絶好の散歩日和。いつもは売店などある入り口を通り越して頂上まで車で行ってしまうのだが、手前の売店の駐車場から登っていける階段を発見。そこから登ってみた。ちょうどカップルが同時に出発、私が避ける方避ける方とついてくる。うざいから途中で立ち止まってやり過ごそうとすると、すれすれを通って先に行った。ソーシャルディスタンス守って欲しいなあ。

いつも思うけれど、日本人は他人と自分の距離が近すぎる。電車の中で周りが空いているのにも関わらず、ベッタリとくっついてくる男性に恐怖を覚えたことがある。彼は別に痴漢などではなく、人との距離が取れない人。多分家の中でお母ちゃまにベッタリとくっついていたものと思われる。くっつかないでくれというと怒り出した。困ったなあ、こういう人。海外に行くと心地よいのは他人との距離が適正にとられること。どんな人混みを急ぎ足で歩いても、日本のようにわざとのようにぶつかる人はいない。それだけでもストレスが無くなるから海外で町を歩くのは楽しい。

さて、彼らをやり過ごしたのは正解で、私は息切れがひどくなって何回も深呼吸を繰り返さないとならなくなった。標高は1000メートル少し上がったところ、景色に見とれるふりをしながら呼吸を整えては先に進む。呼吸器系は私の弱点で、チベットではひどい高山病にかかった。今考えると非常に危険な症状だったのに、次の日、5000メートル越えのコースに登るという無茶をした。よく生きてかえれたものだ。若かったのね。

やっと上までたどり着くと、そこはいつものピクニックの場所ではなく、その少し下で、いつもの景色とはまた違った浅間山の表情が見られる。ちょっと得した感じ。そこを下っていつもの山頂までのコースに行って、やはりこちらのほうが雄大だと納得。しばらく景色に見とれてきた。この季節にしては暖かく穏やかな日が続く。でも雪の便りはもうすぐそこに迫っている。

おーい、ハサミよ、出てこーい!

でもこれで働かなくて済むともうひとりの自分が言う。朽ちた木の枝を切ってもらうように頼んであるので、その時一緒に片付けてもらおう。ハサミが見当たらないのよ、口実ももう決まっている。

昨日の浅間牧場の2度の登山に疲れたのか、朝食の後森の中を散歩したあとぐっすりと眠ってしまった。しかも3時間も。目が覚めると部屋に燦々と陽が差し込んでいて早くもお昼。猫も私と枕を共用しながら気持ちよさそうに日差しを浴びて眠っている。こんなに昼間寝てしまっては、今夜も猫の夜鳴きに悩まされて眠れない、昼夜逆転の元凶はこの猫かも。でも私はこうして毎日nekotamaに愚にもつかない投稿ができるのだから、そして一日どう使おうと制限なしの生活なので昼夜など関係ないわけで。

IHヒーターでお湯を沸かしていた。ラップをヤカンのそばに落としたので慌てて拾うと、熱いっ!ラップを切るためのノコギリ状の切り口がヒーターに触れて、僅かな時間で温まっていた。なるほど、ヤカンでなくてもアルミホイルでもヒーターで調理ができるのだ。目からウロコ。もし災害時など鍋やヤカンがなくてもヒーターさえ動いていれば調理ができる。大発見だあ。

大抵はその反対、鍋釜やヤカンがあっても通電していないということのほうが多いけどね。さて明日からは友人が山を登ってくるのでやっと人間と話ができる。口が錆びてしまったのでうまく言葉が出てくるかどうか。









野良は元気かな?

今朝の朝食は昨日見つけた卵屋さんの卵でオムレツ。車を走らせていたら鶏牧場の看板が目に飛び込んできた。ほう、さっきはヤギ牧場というのがあったけれど。ヤギはちょっと苦手。ここの鶏たちは広い土地に放し飼いにされている。囲いの外から餌を投げ与えられるように餌が置かれているので一袋買って手近の鳥さんに投げてみたら・・・鳥だから足音はしないけれど、ドドドドド・・・みたいに何百羽?の鳥が出てきてびっくりした。私の目の前でひしめき合いながらこちらを見ているのには圧倒された。店の人は、奥にもっといるんですよと小屋を指差した。

今朝オムレツにさっそく使ってみた。割ると白身がこんもりと盛り上がって新鮮そのもの、チャボというのかしら、茶色い小型の鶏さんたちの 栄養を美味しく頂いた。後で卵かけご飯にしてみよう。キャベツは美味しい、卵もすごい、肉屋さんは何軒も良い店がある、プリンの美味しい有名店もある、気持ちの良い温泉旅館やホテルもある、浅間山がすぐ目の前に見える、こんなに素敵な場所がどうしてこんなに過疎なのかと以前からずっと思っていた。私がノンちゃんの家に居候を始めた13年前から今まではほとんど変化がなかった。

ところが最近、村がどんどん様変わりしている。コロナ禍のせいで人々が都会にいなくても、仕事はリモートでもできることに気がついて自然回帰が始まっている。このあたりの素晴らしさにようやく気がついたらしい。カフェがあちこちにでき始めた。森の木が切り倒されて新しい家が建てられている。リゾート開発業者はそのうちにバス路線を増やすのではないかと思う。そうなってしまうと私はつまらない。

開発を望んでいる地元の人には悪いけれど、私はこの手つかずの自然が好き。林の木々はボサボサで山間の道はわかりにくい。お蕎麦を食べに行くのに道に迷ったりする。志賀高原、草津に近いので気が向けば雄大な自然と向き合うことができる。何よりもこの静けさが素晴らしい。

若者は群れるのが好き。私もかつてはそうだった。群れるのが好きなら鶏牧場の囲いの中に入れてもらえば満足できるでしょう。突かれても鶏ならそう痛くはない。

今はもうこの別荘地に人影はない。こんなにいい季節なのに。地元の水抜き業者は雪になる前に早く水栓を空にしたい。管が破裂すると大事になるから。でも私は冬もここに来たいからまだ水抜きの依頼をしていない。

雪の季節、こんな寂しいところは本当に人っ子一人いないに違いない。今でさえ人の姿はないのだから。もしかしたら雪女が出てきてさらわれるかも。雪女の友達を持つのも悪くはない。先日この家の中に動物が入り込んでいた。どうやって入ったのかは謎だけど、それも楽しい。さっき、動物が餌を食べている音がした。庭の方から聞こえるからそーっと立ち上がって覗きに行ったら、なーんだ、窓際の餌場でうちの猫がカリカリ食べている音だった。いつの間にかこの家に入り込んだのかしら、この猫は。いやいや、あなたがつれてきたのでしょうが。

そろそろ野良たちのことが心配になってきた。ちゃんと餌食べてるかな、いじめられていないだろうか。寒さに震えていないだろうか。

しかし彼らはしたたかに今まで生きてきたのだから大丈夫と自分に言い聞かせる。いつでも心配の種は尽きない。私のほうが里心が出てきたかな。そういえば人と話すのはお店に買い物に行ったときだけ、人間は群れる動物なのだと改めて思う。

夜明けを待つ

この季節は夜が長い。睡眠時間の短い私にはつらい。都会と違って森の中は真っ暗だから、夜は表が歩けない。ほんの僅かの街頭が照らす部分以外は真の闇。自分の足元も見えない。

テレビもないこの森の中でどうやって過ごしているかといえば、こうしてパソコンと向き合っているか、食べているか、寝ているかしかない。今回はハリー・ポッターの原書読みの最後の追い込みのために 来ている。第7巻の22章まで読んだ。あとまだ15章くらい残っている。これを完読したからと言って私の英語がうまくなるわけでもないのに、始めてしまったからには完読しないと気がすまないという厄介な性格のためやめられない。これで面白くない本だったら最初から読み通す気はないけれど、作者のローリングさんの罠にハマってしまった。大人こどもを問わずお読みになることをおすすめする。単なる子供の本ではない。

今最初の巻で始まった様々な筋書きの謎だった部分がピシャリとハマってゆく面白さに取り憑かれている。ああ、あのときの意味はこうだったのかと。そのすべてを作者は頭の中にきちんと保存しておいたのだ。最初のうちは小学生くらいの子供向きに語彙も少なくフレーズも短い。しかし今や曲がりくねった路地の先に突然否定形が出てきて意味が逆さまになり、そのまた奥に目に見えない路地が隠されて・・・私にはお手上げの難しさ。パズルのように、しかも深い哲学が隠されていたり。

私は言葉に関しては国粋主義、日本語大好き。英語には興味なかったから学校でも最小限テストのための勉強しかしなかった。こんなことならちゃんと勉強をしておけば、というよりこの本が当時出版されていたらなあと思う。私には難しいけれど、今どきの高校生なら軽く読みこなせると思う。

それで夜が更けてようやく寝ようかというときに猫が騒ぐ。今夜は表に動物がいてウッドデッキでお食事。さっき庭の落ち葉をかき集めていたら、中からどんぐりが出ること出ること、これで春までリスなどの保存食となる。さっき来ていたのは誰だかわからないけれど、美味しそうにバリバリと食べる音がしばらく続いた。どんぐりが大量に降った日の夜は大勢の動物の声がした。「うまいねえ、これ」

今日はお一人様かな。夜の森には様々な音がする。今日来た動物は少し大きい感じがした。でも熊さんではあんめえ。おっと、落語の口調になってしまった。見たくてウズウズしたけれど、シャッターを開けたら熊がいたら大変だからやめておいた。人間だったらもっと怖い。

シャッターは夕方5時過ぎには閉めてしまう。外は真っ暗、少し怖い。5時に閉めて翌朝6時までは外は暗い。だから今の季節は13時間も家のなかで早く夜が明けないかと待ちかねている。

今朝やっと表が明るくなって6時ころシャッターを開けた。木の葉がすっかり落ちた落葉樹がほのかに明るい朝の光を背景にシルエットになって浮かび上がる。まだ太陽は眠そうにゆるゆると明るくなっていく。少し目を離して振り向いて窓の外を眺めると、わあ!山火事?

木立の一部分が真っ赤に燃えている。あっけにとられてよく見ると、そこだけ雲があって、その雲が登ってきた太陽の光を受けて真っ赤に染まっていた。しばらく呆然と眺めていた。

いつまで見ていても飽きないから、私の朝は空と雲を見るのに2時間ほど費やされる。

春夏には木が生い茂って湿度が高く、それなりには美しいけれど、ここの一番いい季節は今頃なのだ。それなのに森の住人たちはさっさと家を閉めて都会に戻ってしまう。木枯らしが身を切るように吹きはじめ空気が一層澄んで浅間山が冠雪する頃、名残惜しいけれど山を降りる。

ここでの一人暮らしも3年、はじめのうちはまだ仕事も忙しかったけれど、今はかなり時間の余裕ができた。それでも野暮用が多く帰宅しないといけない。やっと最近1週間以上逗留できるようになった。年寄りの割にはチャカチャカと動き回ることが多く、馴染みのお店も増えてきた。今日は合鍵の相談にここを建てた工務店まででかけた。

以前の持ち主のノンちゃんはきちんと書類なども保存してあって、でも、そのことを私に伝える前に急逝してしまった。先日合鍵の1本が見当たらなくなった。受け継いだ鍵は3本。ドイツ製の複製が大変難しいという立派な鍵。そうなのだ、ノンちゃんはなんでも良いものを好む。私は簡単なものを好むから、複製するのにドイツに注文しなくてはいけないなどというのはとんでもない災難のようなもの。あるいはドアごと取り替えるか、他の鍵を別につけるか・・・など手段はあるらしいけれど、ひとまず施工した会社へ相談に行った。15キロ離れた山の奥の集落の一角に会社があった。

初めて会う社長はまだ若く礼儀正しい。一通り最善策を考えてセーフティーカードの番号をドイツの会社に送ってもらうことにした。帰り際、何気なく社長がこんなものをもらってと見せてくれたのが木彫りのフクロウ。今私は表札になるものを探している。未だに表札はノンちゃんの名前のままなので、可愛い動物の木彫りとか陶板の表札がほしいと思っていたのに、大きさもピッタリ。ほってくれる人を紹介してほしいと頼んだら、これ差し上げますよ。

いやいや、くださった方に悪いでしょうというと、なに、めったに来ませんから。結局頂いてしまったけれど、社長が事務員の方をちらっと見たのが気になる。もしかしたら彼女は奥さんで、奥さんのお父さんが彫ったのかもとか妄想を膨らませた。私が帰ったあとで大喧嘩になっていないだろうか。

あなたって人は女と見ればやたらにものを上げて、キーッ、悔しい。

いや、女と言ってもあれは婆さんだぞ。金髪になんかしているけど、よく見てみろ。マスクしているからわからないけど百歳近いかも。

おおいやだ、年はとりたくないものだわ。マスクは一生つけていよう。







2021年11月10日水曜日

冬の雑木林

 認知症検査も受けられたし、この検査ではよほどひどい出来でなければ次の運転技能の講習を受けられるらしいからホッとして北軽井沢の山荘にやってきた。前の日に出発のつもりが悪天候で1日遅れになった。関越道の半ばまでは少しだけ曇っていたけれど、こちらに近づくにつれて青空が広がって清浄な空気が呼吸を楽にしてくれる。猫はといえば相変わらず文句たらたら、トイレは一応済ませてきたから今度は大丈夫と思っていたのに、途中の山道のカーブで車酔いをして嘔吐した。毎回随分気を使ってカーブを運転するのに。

山荘に着くと今までの弱り様はどこへやら、まっしぐらに冷蔵庫の前に行く。いつもそこで餌を食べているので。早く水と餌を用意して!と小うるさい。そしてむしゃむしゃと食べるは食べるは!自宅での食欲とは全く違ってぺろりとたくさんの餌を平らげる。これほどの違いは空気なのか水なのか気圧の違いなのかしら。

最近この猫がひどく泣きわめく。夜中に羊のようにメエメエ泣くのでしょっちゅう目が覚めてしまう。このせいで私の昼夜逆転が始まったと言える。私もそうなんだけれど、年をとると色々不安なことが多くなる。例えば私はこの先たった一人でどうやって人生の最後を迎えるのだろうかとか、私が先に逝ってしまったら野良たちはちゃんと面倒見てもらえるだろうか、とか。優しい人達が私の面倒は見なくても野良の面倒は見てくれるだろうとか。猫だからそんな考えはないとは思うけれど、なんでこんなに絶叫するのか、そのところを動物に詳しい人に訊いてみたい。夜中の絶叫に疲れて昼間は押し入れに入ってぐうぐう寝ている。いい気なものだ。

その猫もここに来ると物珍しげに落ち葉がひらひら舞い散るのを眺めたり、ふかふかとした腐葉土の匂いを嗅いだり、普段の仏頂面からは想像できないほど可愛らしくなる。私もそうだといいけれど。数週間前に来たときに植えていったヴィオラがしっかりと固まって色鮮に咲いていた。ノンちゃんの大好きだった庭の主の大木の周りが華やかに見える。

手入れを極力避けて自然のままにしてあった木もだいぶ朽ちて、大きな枝が危なっかしく手を広げている。先日、ウッドデッキの上に張り出している長い枝の一本に葉がつかないことに気付いた。ということは枯れ枝?とするとまさしく人が座るためのベンチは危険地帯。この枝がドサリと落ちたら大怪我をする。早速工務店に電話をして切ってもらう手はずを整えた。

この枝は相当高いところにあるけれど、下がデッキだから高所作業車は載せられない。だとするとどうやって作業をするのか、とても興味がある。私が滞在しているうちに作業をしてもらいたい。私は建築現場を見るのが大好きで、ショベルカーなどの特殊機器の動きをいつまでも見飽きない。工事現場の守衛さんにいつも危険だからと追い払われるのが残念。

森の中は木々の葉がほとんど全部落ちてしまったので日差しが明るい。夏にはびっしりと葉がついて湿気が多い森なのに、いまやカラリとした空間が広がる。新緑の季節、芽吹きもきれい、でも枯れ木が多くなっても陽射しの陽気さが夏よりも一層森を明るくする。木の葉が全部落ちたおかげで顕に全景が見られるようになった清流が陽気に迸っている。この森は今頃が一番綺麗かもしれない。

先月来たときよりももっと人影は見当たらず、また一人ぼっちかと思ったら、川向こうの家に入って行く人が見えた。静かな森もいいけれど、多少人影があったほうがホッとする。

夕方友人に電話をして遊びにこない?と言ったら、半分気のない返事。年をとった上にコロナのせいで皆無気力になっている。私だって毎回自分ひとりで4時間も運転するのは辛い。けれど、動かなくなったら人はいかにだめになるかということをコロナ禍の中で学んだ。動かさないでいた足腰は恐ろしいほど弱ってしまった。当面の目標は足腰を鍛えることなのだ。









2021年11月8日月曜日

認知機能検査

 行ってきましたよ。免許証の更新に必要な認知機能検査を受けてきましたよ。

全く面倒くさいけれど、これを受けないと免許証がもらえない。高齢者になると色々七面倒臭いことが多い。私はまだ免許がないと生きていけないので、返納などとんでもない。必死で検査を受けてこの先何回も更新しないといけない。今の世の中、車自体に安全対策が施されているからかなり事故も減ったことだろうと思うのに、未だに暴走自動車の事故があとを絶たない。自分に余程の自信があるならともかく、高齢になったら安全な車に乗らないといけない。そういうことにお金を惜しんではいけない。

先日判決が下った池袋の暴走事故など、お金がある人がタクシーを使わないで多分安全装置のないクルマに乗って走り回る。走る凶器とはまさにこのこと。彼は今までなんでも自分の言い分が通ってしまう環境にあったに違いない。奥さんの言うことも子どもたちの意見にも従わず、車が悪いと宣う。これでは事故の被害者のご遺族は、歯ぎしりしても慟哭してもやりきれない思いはなくならない。

他人のことを言っても、自分だって事故を起こさないという保証はないのだから、最大限の努力はしますよ。歳を取ると毎日の体のコンディションの差に驚く。例えば視力。昨日は良かったけれど、今日は霞んで見えないなんて言うのはザラにある。今年の春ころだったか、足が攣って大変だった時期があった。運転の最中に起こったので直ちに車を路肩によせ、治った時点で自宅に引き返した。目の前に関越道の入り口があって、時間をかけてここまで来て引き返すのは甚だ無念だったけれど、この先こんな状態で高速道路を走るわけにはいかない。その日は自宅で休息して、次の日、足攣りに即効性のある薬持参で再出発した。

私は非常に用心深い。大胆なことをする割には臆病者で慎重でもある。だから今までは事故はなかったけれど、この先認知機能に問題が出てタガが外れたら恐ろしい。その前に自分で気が付けばいいけれど、徐々に蝕まれていったらどこで線引きができるのかわからない。この検査は私にとってはとてもありがたい。

検査申込みのハガキが届き、近所の自動車教習所に電話をしたら、すでに数カ月先まで空きがないと言われて目の前が真っ暗になった。数日後に再申し込みができるので電話をするようにと言われたけれど、その時点でも予約がいっぱいと言われて諦めた。こんなことでは期限切れになってしまう。

他の教習所に電話をすると、教習所でなく運転免許センターに電話をしてみたら?と教えてくれた。そちらに行ったほうが早いですよ、と。ハガキに書かれたものでない電話番号も教えてくれた。その教習所でも3月半ばまで空きがないという。

次の日、運転免許センター受付時間ぴったりにかけたら、即つながった。やれやれありがたい。そうしたら次の日にはもう受けられるというではないか!電話のオペレーターの親切なことといったら、びっくり。駅からバスに乗る道筋や、現場に着いてから会場までのエスカレーターの乗り方まで教えられ、最初にかけた教習場の横柄な応対とは雲泥の差だった。次の日はこちらが空いていないので4日後の今日、試験場に行った。妙に空いているので気がついたけれど、コロナのために外国人がいない。海外渡航者もいないからその分手続きも簡単で時間がかからない。オペレーターの親切さは時間つぶし?いえいえ、本当に親切な人だったのだ。

試験場に行くと部屋の前に椅子が並んでいる。先客が10人ほど座っていたけれど高齢者講習にしては若い人もいる。はて、若くみえるのか、本当に若い人が別の講習を受けにきているのか。私のように歳不相応に若作りというのもいるけれど、前回の高齢者教習のときに教習所で一緒に受けたときは爺さんばかりだった。女性は私一人だったから、あちらも「へえ、こんな婆さんでもまだ運転しているのか」と思ったのだろう。

今回はかなり広い部屋で、静かに作業をしている人たちが見える。しかも途中で入っていったり出てきたり・・はてな、これは?

呼ばれたので部屋に入っていくとタブレットを与えられた。なるほど静かなわけで、試験の受け方の注意事項も質問もイヤホーンで出るのだから。時間の制限はあるけれど、自分のペースで進められるから、非常に具合がいい。私は試験対策バッチリ、しかも前回の高齢者講習と全く同じ問題「これでできなかったら本当のバカ」なんてのんきにゲーム感覚で楽しんできた。

しかし、帰りの電車で考えた。私は拙速が欠点。答案の見直しもしなかった。いつでも最後のツメが甘い。名前の欄に住所書くのは日常茶飯事、取説もいい加減に読むから製品が完成しない。ビスが余ってはてな?なんて。結局認知機能の再検査なんて言うことになったらどうしよう。このように非常に心配性なんです。

運転免許センターの電話番号を教えてくれた教習所の受付さんは、仮おさえで教習場で一番近い日の予約を受けてくれて、もし、運転免許センターでもっと早い日が取れたらキャンセルしてもいいですよと言ってくれた。そのとおりになったのでキャンセルの電話をすると「良かったですねえ」と一緒に喜んでくれた。世の中親切なひとばかり。