2021年11月10日水曜日

冬の雑木林

 認知症検査も受けられたし、この検査ではよほどひどい出来でなければ次の運転技能の講習を受けられるらしいからホッとして北軽井沢の山荘にやってきた。前の日に出発のつもりが悪天候で1日遅れになった。関越道の半ばまでは少しだけ曇っていたけれど、こちらに近づくにつれて青空が広がって清浄な空気が呼吸を楽にしてくれる。猫はといえば相変わらず文句たらたら、トイレは一応済ませてきたから今度は大丈夫と思っていたのに、途中の山道のカーブで車酔いをして嘔吐した。毎回随分気を使ってカーブを運転するのに。

山荘に着くと今までの弱り様はどこへやら、まっしぐらに冷蔵庫の前に行く。いつもそこで餌を食べているので。早く水と餌を用意して!と小うるさい。そしてむしゃむしゃと食べるは食べるは!自宅での食欲とは全く違ってぺろりとたくさんの餌を平らげる。これほどの違いは空気なのか水なのか気圧の違いなのかしら。

最近この猫がひどく泣きわめく。夜中に羊のようにメエメエ泣くのでしょっちゅう目が覚めてしまう。このせいで私の昼夜逆転が始まったと言える。私もそうなんだけれど、年をとると色々不安なことが多くなる。例えば私はこの先たった一人でどうやって人生の最後を迎えるのだろうかとか、私が先に逝ってしまったら野良たちはちゃんと面倒見てもらえるだろうか、とか。優しい人達が私の面倒は見なくても野良の面倒は見てくれるだろうとか。猫だからそんな考えはないとは思うけれど、なんでこんなに絶叫するのか、そのところを動物に詳しい人に訊いてみたい。夜中の絶叫に疲れて昼間は押し入れに入ってぐうぐう寝ている。いい気なものだ。

その猫もここに来ると物珍しげに落ち葉がひらひら舞い散るのを眺めたり、ふかふかとした腐葉土の匂いを嗅いだり、普段の仏頂面からは想像できないほど可愛らしくなる。私もそうだといいけれど。数週間前に来たときに植えていったヴィオラがしっかりと固まって色鮮に咲いていた。ノンちゃんの大好きだった庭の主の大木の周りが華やかに見える。

手入れを極力避けて自然のままにしてあった木もだいぶ朽ちて、大きな枝が危なっかしく手を広げている。先日、ウッドデッキの上に張り出している長い枝の一本に葉がつかないことに気付いた。ということは枯れ枝?とするとまさしく人が座るためのベンチは危険地帯。この枝がドサリと落ちたら大怪我をする。早速工務店に電話をして切ってもらう手はずを整えた。

この枝は相当高いところにあるけれど、下がデッキだから高所作業車は載せられない。だとするとどうやって作業をするのか、とても興味がある。私が滞在しているうちに作業をしてもらいたい。私は建築現場を見るのが大好きで、ショベルカーなどの特殊機器の動きをいつまでも見飽きない。工事現場の守衛さんにいつも危険だからと追い払われるのが残念。

森の中は木々の葉がほとんど全部落ちてしまったので日差しが明るい。夏にはびっしりと葉がついて湿気が多い森なのに、いまやカラリとした空間が広がる。新緑の季節、芽吹きもきれい、でも枯れ木が多くなっても陽射しの陽気さが夏よりも一層森を明るくする。木の葉が全部落ちたおかげで顕に全景が見られるようになった清流が陽気に迸っている。この森は今頃が一番綺麗かもしれない。

先月来たときよりももっと人影は見当たらず、また一人ぼっちかと思ったら、川向こうの家に入って行く人が見えた。静かな森もいいけれど、多少人影があったほうがホッとする。

夕方友人に電話をして遊びにこない?と言ったら、半分気のない返事。年をとった上にコロナのせいで皆無気力になっている。私だって毎回自分ひとりで4時間も運転するのは辛い。けれど、動かなくなったら人はいかにだめになるかということをコロナ禍の中で学んだ。動かさないでいた足腰は恐ろしいほど弱ってしまった。当面の目標は足腰を鍛えることなのだ。









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