前回来たとき追分の友人に助けてもらって庭の木を切ってもらった。大木のそばにポヨポヨと伸びている細い木はどうせまた生えてくる。ほつれ毛のように見苦しいからバサバサとカット、随分こざっぱりした。切った木を庭の片隅に積んでおいたので、今回片付けようと思っていた。家には剪定ばさみしかないから、それで細かくカットして大きくて丈夫な紙袋に入れて捨てようとハサミ片手に庭に出た。
その前に庭の主の大木の前に家から持ってきたヴィオラの束を植えたい、ハサミを置くところは?庭は落ち葉が降り積もっている。黄色の落ち葉の上なら鉄のハサミは目立つからすぐに置いたところがわかるだろうと。
それが甘かった。どうして、どうして、どうして?・・・・ない。未だに見つからない。
ヴィオラを植え終わって、さてハサミはたしかこの辺に。落ち葉の下に沈んだかとそのあたりをかき分けてみる。ない。
さては地面に潜ったか。来年春になったらハサミの木が生えてくるかもしれない。楽しみだなあ。
昨日鍵のことで相談に行った工務店からの帰り道、浅間山に会いたくなって牧場まで行った。無風で日差しが暖かい、絶好の散歩日和。いつもは売店などある入り口を通り越して頂上まで車で行ってしまうのだが、手前の売店の駐車場から登っていける階段を発見。そこから登ってみた。ちょうどカップルが同時に出発、私が避ける方避ける方とついてくる。うざいから途中で立ち止まってやり過ごそうとすると、すれすれを通って先に行った。ソーシャルディスタンス守って欲しいなあ。
いつも思うけれど、日本人は他人と自分の距離が近すぎる。電車の中で周りが空いているのにも関わらず、ベッタリとくっついてくる男性に恐怖を覚えたことがある。彼は別に痴漢などではなく、人との距離が取れない人。多分家の中でお母ちゃまにベッタリとくっついていたものと思われる。くっつかないでくれというと怒り出した。困ったなあ、こういう人。海外に行くと心地よいのは他人との距離が適正にとられること。どんな人混みを急ぎ足で歩いても、日本のようにわざとのようにぶつかる人はいない。それだけでもストレスが無くなるから海外で町を歩くのは楽しい。
さて、彼らをやり過ごしたのは正解で、私は息切れがひどくなって何回も深呼吸を繰り返さないとならなくなった。標高は1000メートル少し上がったところ、景色に見とれるふりをしながら呼吸を整えては先に進む。呼吸器系は私の弱点で、チベットではひどい高山病にかかった。今考えると非常に危険な症状だったのに、次の日、5000メートル越えのコースに登るという無茶をした。よく生きてかえれたものだ。若かったのね。
やっと上までたどり着くと、そこはいつものピクニックの場所ではなく、その少し下で、いつもの景色とはまた違った浅間山の表情が見られる。ちょっと得した感じ。そこを下っていつもの山頂までのコースに行って、やはりこちらのほうが雄大だと納得。しばらく景色に見とれてきた。この季節にしては暖かく穏やかな日が続く。でも雪の便りはもうすぐそこに迫っている。
おーい、ハサミよ、出てこーい!
でもこれで働かなくて済むともうひとりの自分が言う。朽ちた木の枝を切ってもらうように頼んであるので、その時一緒に片付けてもらおう。ハサミが見当たらないのよ、口実ももう決まっている。
昨日の浅間牧場の2度の登山に疲れたのか、朝食の後森の中を散歩したあとぐっすりと眠ってしまった。しかも3時間も。目が覚めると部屋に燦々と陽が差し込んでいて早くもお昼。猫も私と枕を共用しながら気持ちよさそうに日差しを浴びて眠っている。こんなに昼間寝てしまっては、今夜も猫の夜鳴きに悩まされて眠れない、昼夜逆転の元凶はこの猫かも。でも私はこうして毎日nekotamaに愚にもつかない投稿ができるのだから、そして一日どう使おうと制限なしの生活なので昼夜など関係ないわけで。
IHヒーターでお湯を沸かしていた。ラップをヤカンのそばに落としたので慌てて拾うと、熱いっ!ラップを切るためのノコギリ状の切り口がヒーターに触れて、僅かな時間で温まっていた。なるほど、ヤカンでなくてもアルミホイルでもヒーターで調理ができるのだ。目からウロコ。もし災害時など鍋やヤカンがなくてもヒーターさえ動いていれば調理ができる。大発見だあ。
大抵はその反対、鍋釜やヤカンがあっても通電していないということのほうが多いけどね。さて明日からは友人が山を登ってくるのでやっと人間と話ができる。口が錆びてしまったのでうまく言葉が出てくるかどうか。
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