2017年2月26日日曜日

若い人たち

去年まで教えていた音楽教室の生徒たちがぞろぞろやってきた。
弦楽アンサンブルのメンバーの一人が結婚するので、披露宴で演奏するのだという。
練習をみてほしいという。
うちの狭いレッスン室にひしめき合いながら、チャイコフスキーの弦楽セレナーデのワルツを練習した。

とても熱心な人たちで、いつも感心するのは、常に前向きな姿勢。
アマチュアだからいろいろなレベルの人たちなので、当然よく弾ける人もいれば、はじめのうちはついてくるのがやっとの人もいた。
それでも粘り強い練習の結果は、いつも大変満足のいくものだったから、今回も楽しみにしている。
最初始めた頃、ついてこられないのではと思った人でも、今や、中心的な存在として毎回コンサートに出演している。

このグループの何がいいかというと、上手い人がつけあがらない。
少し技術的には難しいと思う人をバカにしない。
練習をいやがらない。
一緒に進む姿が清々しい。

とにかく性格が明るくて仲が良い。
性格が暗いことを決して悪いとは言わないけれど。
人をバカにしたり貶めたりする人が一人でもいれば、雰囲気はガラリと悪くなる。
不思議にそういう人が一人もいないことが、このグループの最大の長所。

それぞれ意地っ張りもいれば生意気もいるけれど、みんな可愛い私の小鳥さんたち。
ピーピー賑やかでよく笑う。
若い人たちといると、わけなく私も同じ年代に逆戻りする。
かつて若い人たちで構成されているオーケストラに、エキストラで行ったことがある。
平均年齢はたぶん30歳、いやもっと若いかも。
昔、オーケストラで同期だった人のお子さんがいたくらいだから。

その時にコンミスから、nekotamaさんは私たちと全く一緒なんですね、と言われた。
同じようなことに同じように反応する。
私は世代の垣根がないから、どの世代とも違和感なく話せる。
これはほかに取り柄のない私の、最も強い武器かもしれない。
たとえば80歳越えていても、20歳台でも何の垣根もない。
自分自身の年齢を忘れてしまえば、いいのだから。
あ、でも子供は苦手。
自分が子供の時から子供は苦手だった。

縦割り社会で生きてきた人は、年齢が上なら頭を下げ、下なら胸をそらす。
そんなことはなんの意味もないので、私は社会に出たとたん、たくさんの年上の友人に恵まれた。
年齢差もステータスも取り払って一個人としてみれば、友人になれるかなれないかはすぐにわかる。
ただし、好き嫌いは激しいから誰でもいいというわけにはいかない。
年齢差は関係ないというだけのことで。

一番嫌なのはずるい人。
卑怯な人。
これは許せない。
気性が激しいとか、すごく変わっているとかいうのは、むしろ長所として尊重する。

今日来た若者たちは、わがままだったり反抗的だったりしても、ずるい人がひとりもいない。
真っ向から立ち向かってくる。
一緒にいると、血が騒ぐ。
私の長い演奏経験からアドバイスをしても聞く耳持たないときもあるし、頑固に自説を曲げないこともある。
かれらは私ほど演奏経験もないし音大出たわけでもない。
それでも自分の思ったことは、はっきりと主張する。
それは本当にいいことで、ハイハイと返事ばかりよくて、お腹の中で舌を出すようなことはないと思う。
家庭の環境も良かったかもしれない。
よき友人に恵まれたからかもしれない。
単に素直だけではなく、自分の意志をもっているのが素晴らしい。

教師の私にも、彼らは堂々と意見を述べる。
中にはわかってないなと思える言葉もある。
それを覆すときには私は権威がないから、ほかの偉い人の言った言葉で対抗しないと信じてもらえない。
例えば高名な指揮者がこういったのよと言えば、たいてい納得する。
おっちょこちょいのあの先生がこう言ったけれど、それは名演奏家の言葉を借りたのだから本当だろうと。
私ももう少し頑張って偉そうに振舞わないと、いつまでも人の言葉でしか勝負ができないのが残念なところ。
偉そうにするのは本当にいやで、自分を外側から眺めていると、偉そうにふるまってしまったときには嫌悪感を覚える。
若い頃の私はとても生意気だったから、ずい分わかったようなことを言ったけれど、今思い出すと恥ずかしくてきゃあ~!と言いたくなる。
でも生意気は若者の特権。
年を経て自分がそれほどの実力はないのだとわかると、モノが言えなくなってしまう。
若いのに生意気でなくてどうする。
生涯生意気でも構わない。

私は実際偉くはないのだから、やんちゃな猫ボスとして子猫ちゃんたちの頭に君臨しよう。
すぐに玉座から引きずり降ろされるのは目に見える。
でも、この子たちは優しいから「先生には困ったものだわ」と言いながら許してくれるに違いない。

練習後、チェロの男性が、超絶難関の資格試験に見事合格したというので乾杯。
ワインと持ち寄ったつまみで楽しくわいわい騒いで、あっという間に引き上げていった。
演奏の成功を祈る!























2017年2月24日金曜日

眠れないコンサート

いつもコンサートに行くと前半は夢の中。
演奏者が緊張しているので、それを見ているのに耐えられず寝てしまう。
ちょうど30分くらいすると目が覚めて、そのころには演奏は興に乗ってきて、楽しくなる。
一度、世界的な日本人ヴァイオリニストが初っ端に音程を見事に外したのを聴いて、こんなに上手い人でもこんなことがあるのかと思った。
ほかにも日本の一流大学の教授である方は、前半はがちがちに緊張するので、その人のコンサートには後半から聴きにいくことにしていた。

数え上げればきりがない。
一流であればあるほど重圧がすごいらしい。
オイストラフがかつて、これがあのオイストラフ?と思うほど緊張したときいた。
それはベルリンドイツオペラにいた私の友人から、よく聞かされた。
少し時間が経つと、ああ、オイストラフだと思うらしい。

それで昨夜も、スキーで疲れたのもあるし、開演前にピアニストのSさんと待ち合わせて食事をした後だから、きっとよく眠れるに違いないと最初から眠るつもりでいた。

ファウスト&ケラス&メル二コフ  トリオコンサート
                 東京文化会館大ホール

プログラム
   シューマン     「ピアノ三重奏曲3番」
   エリオット・カーター「エピグラム」
   シューベルト    「ピアノ三重奏曲1番」

イサベル・ファウスト(ヴァイオリン)の演奏は初めてきいた。
シューマンのトリオの最初の音を聞いたときに、衝撃を受けた。
全身鳥肌ものの魅力のある音。
そこから音楽にすっと引きこまれ、昨夜は眠るどころではない。
耳をダンボにして(古いからわかるかな?)一音たりとも逃すまいと、聞き入った。
繊細でいて決して神経質ではなく、再弱音でも人を引き付けて離さない恐ろしいパワーを感じる。
とんでもないテクニック。
弓が全く重力を感じさせない。
女性特有の温かみや揺れ動く心のひだを細かく表現して、聴く人の心をつかんで離さない。
もっと早く聴くべきだった。

チェロもピアノも・・もちろんヴァイオリンも常に寄り添って、音程もニュアンスもこれほどお互いに合わせられるものかとの驚き。
私はよく思うけれど、音程の良いピアニストと悪い人がいる。
今回のピアニストのすごさは弦楽器とピアノという風にならずに、3人が常にハーモニーをこわさない、ジャンルを超えて一つの音の響きを出す、そのすごさに圧倒された。
いうなればトリオの音?
楽器は越えられる。

2曲目は2012年、103歳だったアメリカの作曲家のカーターの作品で、次の年彼は亡くなった。

リズムもハーモニーも複雑で、エピグラム(警句)と名付けられた、全12曲の短い曲からなる作品。
複雑でいながら透明感のある独特の世界。
静謐と衝動的な感情とが入り混じって、聞いていて飽きることがない。
しかも演奏が素晴らしく、ここでもかれら3人の見事なアンサンブルを堪能した。

会場にはかなり年配の方が多いのと風邪や花粉症のせいか咳がひどくて、シューベルトの時には吸引機の音かしら、空気を吸い込むような雑音などが入って、演奏者の集中力が乱れたこともあった。
シューベルトは曲者で、のんきそうに見えてとんでもなく難しい。
別に間違えたとか音程が・・とか言うのではなくて、ああ、気持ちが揺らいだなと思った。
それほど聴くほうとしても集中していたわけで。

良い演奏会はよく眠れるという人もいる。
安心していなければ眠れない。
今回は良い演奏会のもう少し上をいっていたようだ。

世界中に名演奏家はごまんといて自身が優れたソリストであっても、ほかの人とのアンサンブルをこれほどできる人たちはそう多くはないと思う。
見事なアンサンブルに感動した。
今回東京文化会館の大ホール。
トリオなどのアンサンブルは、大ホールでというのはあまりない。
たいていは私たちがいつも使っている小ホールのほうで上演されるから、今回は音的にも集客力的にもどうかなと思っていたけれど、会場はほぼ満席に近く、音的には全く問題なかった。
私の席は2階席の付き出た庇の下だったけれど、ピアニシモまでクリアに聞こえた。
弦楽器は楽器の向きによって音の通り方が違う。
チェロも斜め後ろから聴くような場所にもかかわらず、良く響いていた。
たびたびの改修によって、文化会館の音響は大変良くなったようだ。
















 













2017年2月22日水曜日

悪雪身につかず・・ゴーグルにつく

志賀高原から帰ってきました。
さぞスキーを堪能したと思われるかもしれないけれど、滑ったのは二日だけ。
初日は午後からゲレンデに出ると、そこはマイナス9度。
風も強く日差しはない、薄暗い世界。

それでも今シーズン初めてだから、寒さをこらえて鼻水をすする。
厚手の手袋をはめても、指先はじんじんする。
今回「雪雀連」のスキー講習会の日に私は予定が入っていて参加できないので、その前のプライベートレッスンの組に割り込ませてもらうことにした。
いつもたった一人で先生の講習を受けているNさんはかなりの高齢になって、あまり長時間滑ることがないので、彼女が休んでいる間に私がレッスンを受けさせてもらう。
初日は彼女が寒さと視界の悪さを理由に休んだため、私は一人で講習を受けることになった。

夕方になって風も強く厳しい寒さの中で、一番緩やかなゲレンデで基礎練習。
頭の場所、立つ姿勢、スキーの板の立ち位置、手の形、腕の位置等々、それはもう細かく悪いところを指摘される。
こんなに寒くてつらいのに、その上お小言が波のように押し寄せてきて、言われる方もつらいけれど、言う方もなんてご苦労なことかと同情する。
ほんの少しの油断も見逃さず、ガンガン締められて脳内は酸欠。
今年初めてのスキーなんだから、もう少し見逃してほしいものだと思うのに。
その日の雪は湿っていたけれどなんとか我慢できた。
日が暮れるころやっと勘を取り戻す。
時々オーケーが出るようになった。

次の日は、本来のメンバーであるNさんと一緒にレッスンを受けた。

この日の気温は前日より高い。
スキー場で暖かいのは本当に有り難くない。
今まで何十年、毎年志賀高原に来ているけれど、今回のコンディションの悪さは春スキーなみで、湿った雪が強風でゴーグルに貼り付くとそのまま落ちないものだから全く前が見えなくなる。
例えれば春のシーズンも終わりという頃のべたついた雪なのに、やたら降雪量が多くて圧雪しきれない雪がゲレンデの周りに積もっている。
いつにないこの悪雪には少しがっかり。
志賀高原のサラサラとしたパウダースノウはどこへ?

視界が悪いので滑る時にはゴーグルを少し上げて、裸眼で見ないと怖くて前に進めない。
ゴーグルをずらすと雪が目に飛び込んでくる。
これは危ないし、雪目になると病院で治療しないといけないかもしれない。
それでも見えなければ全く滑ることができないので、背に腹は代えられない。
とにかく我慢して滑っていると、Nさんは「私は休んでるわね」とさっさと休憩。
その分先生の圧力が私にかかってくるけれど、ここはレッスン独り占めをラッキーと喜ばないといけない。
ふだんの講習は5~8人くらいでの集団で受けるため、ほかの人が注意されている間じっと待っている。
ほかの人の滑りを見ていると、自分の滑りがどうだったか忘れる。
一人なら集中できる。

寒さよりも視界の悪さに音を上げて、それとリフトが終わるので16時ころ終了。
最後の待ち合わせ場所に行くときに、もうゲレンデの端まできたからと油断したのが運の尽き。
ゴーグルに貼り付いた雪のせいで、雪だまりが見えず突っ込んでしまった。

後から来た先生が私が転んでいるのを見つけてくれたから助かった。
もうゲレンデには人もまばらで、変な角度で足が曲がっているために、自分では起き上がれない。
板を外してもらってようやく立ち上がって、休憩場所に行って迎えの車待ち。
強風で雪が坂の下から上に登って行ったわよと、ずっと休憩所にいたNさんが言う。
Nさんはいつでも長時間の休憩をとるため、食堂の人たちに覚えられて、漬物の差し入をしてもらったり挨拶をされたり、時には先生がどこにいますよという情報をもらったりしているらしい。
今回も「もうすぐ先生降りてきますよ」と言われたそうだ。

雪が悪く風が強い。
最悪の滑り初めとなったけれど、やはり楽しい。

ホテルに戻って階段の上り下りに、さっきひねった膝が痛む。
その夜一晩湿布したら、治ってしまったけれど。

次の日は強風でリフトも止まり、道路も積雪のため下から来られないお客さんもいたようで、ごうごうと除雪車の音がひっきりなしに続いた。
窓ガラスが全部凍り付いて、外が見えない。
リフトが動かなくては諦めるほかない。
午後になってやっとたどり着いたという人たちは、それでもにこにこしている。
白樺林の雪景色は、どんなに苦労しても来て見る価値はある。
枝に粉砂糖を振りかけたように雪がまとわりついて、午後の遅い時間になってようやくチラッと見えた青空に映えている。
天気が回復したようだ。
少し散歩をと思って外に出る。

車の屋根の雪下ろしをしている隣のロッジの人に、リフトどうしたかしらと訊くと、やっと動いたみたいですよ、でも、もう時間がねと言って笑っている。
雪景色はいくら見ても飽きない。
私たちの泊まっているホテルは数年前に一度廃業。
がっかりしていたら、オーナーが変わって再開した。
建物は古くぜいたくな設備もなく、取り立てて愛想が良いわけでもなく、でもここへ来るとただいまと言いたくなる。

夜中に窓から空を見上げると大きな星が輝いていた。
朝になると上天気。
山の頂上までくっきりと見える・・・けれど、私は一足お先に山を下りた。
バスの窓からは周囲の山がくっきりと見える。
白樺林が朝日にキラキラと輝く。
この上天気もつかの間のことらしい。
早くも次の低気圧がまたどっさりと雪を運んでくるという予報。
今年はどこもかしこも雪だらけ。

人は自然のまえでは素直になる。
雪に困っても、雪に文句は言わない。
雪が積もると、どんな場所でも一種の神聖さを身にまとう。
田んぼの中から鳥居が頭少し出している。
そのまわり全部、神様の居場所のようになる。

今シーズンはおそらくもうスキーには行かれない。
珍しくシーズン一回のペース。
また夏に来ようと思う。
おかしいことに、夏に来ると道がわからない。
去年蛍を見に志賀高原を訪れたときに、方角がわからなくて笑った。
やはり雪がないと私たちにはぴったり来ない。




































2017年2月18日土曜日

ひきこもり

昨日は春一番が吹いた。
去年、仕事を放り出して自分の気の向くままに生活しようと始めた、引きこもり生活。
穏やかな日々を送っているけれど、退屈というのは免れない。
時々無性に仕事が恋しくなる。
突然死覚悟で働いていた強烈な時代を思い出すと、あれも自分であり、今のんびりしているのも自分であると、どちらが自分の本性かわからなくなる。
どちらも面白い。
引きこもるようになったからと言っても、友人たちとは頻繁に会うから寂しくはない。

最近は数十年前の若い頃ハマっていた、瞑想をするのもわるくないと思っている。
瞑想を始めると静かで豊かな世界に入っていけるけれど、やりすぎると普通の生活が辛くなる。
講習を受けていた時にインストラクターからは、あまりのめりこまないようにしてくださいとの注意があった。
「変な人と思われますから」という言葉に納得がいく。
これはたぶんインストラクター自身の経験から出た言葉だと思う。
家族や友人たちから、ちょっと変わりものという扱いを受けたのかもしれない。

私は若い頃、激しい仕事のストレスを感じていたことから、なんとか緊張を和らげたいとヨガを始めたのがきっかけになった。
体の根本から整えようと思ったことでもあった。
ヨガの先生が瞑想をやっていると言うから、なんにでも首を突っ込みたくなる私の好奇心は我慢の限界を超えた。
早速講習を受けた。
私の場合は演奏の経験が幸いして、貴重な体験をすることができた。
本来それは集中するのではなくて集中を超えたところの領域なのだけれど、普通の生活を送っている人たちはそこまでたどり着くのはなかなか難しいらしい。
受講生の中にも一種の催眠術ではないかと言い出す人もいたけれど、それは大いに間違いで、心を空っぽにすればいい。
子供のころからぼんやりさんだったから、空っぽになるのはお手の物。

私はすでに変わり者の称号をほしいがままだから、人からなんと思われようとあまり気にしない。(時々は気になるけど)
その後の人生では、この体験に本当に助けられた。
激しく緊張する本番でも、瞑想時のあの静けさを思い出して、いつでもそこに戻れると思うと、気持ちが落ち着く。
ただし、一度本番前に瞑想状態に入ってしまったら、ぼんやりしてしまったことがあるから、要注意。
講習を受けた人の質問で「これは宗教なんでしょうか?」というのがあった。
教師は「いいえ、宗教でなくてテクニックです」と答えた。
神秘論がまかり通るこういう世界で、このように冷静な雰囲気が気に入ってしばらく継続していたけれど、今はすっかり怠けている。

こんなに暇な時期にやらないでいつやるの?と思うけれど、暇だからなにもしない。
する必要もないくらい心は平和。
北軽井沢の森の中で木々を眺めていると瞑想時に近い状態になるし、元々子供の時から常時ぼんやりしていたから、そこに戻ればいいわけで。
強烈に必要としていたあの頃、辛うじて立っていたような自分を支えてくれたのが、瞑想だった。

最近、女優さんが宗教関係とからんで芸能界からの引退騒ぎを起こしているけれど、あの頃の自分に置き換えると気持ちがよくわかる。
たぶん彼女はきれいな容姿に恵まれて女優になったけれど、自分にあるべき支えがないことに気が付いているのだと思う。
売れすぎて自分を失いそうなくらい次々に仕事をこなす毎日。
本当の元気ではないのにいかにも元気そうに振舞って、見ていて痛々しいなと思っていた。
そこで宗教に救いを求めたのかとも。
他人のことはわからない。

私は人より遅れてヴァイオリンをはじめ、もののはずみで音大に入学、入れるはずのないオーケストラにも入ってしまい、実力以上の仕事に恵まれてしまう。
オーケストラをやめてフリーになると、雲の上のような人たちとも共演できるチャンスがたびたびあって、あちらは世界的な方たち、こちらは雪の上を恐る恐る歩く猫。
これは恐ろしいことで、常時足元がいつ崩れるかという恐怖があった。
連日必要以上に緊張していたと思う。
そんな状態を、自分は自分のままでいいのだということを感じさせてくれた瞑想に感謝している。
最近やっと、自分の思うような音楽を作る入口に立ったと思えるようになった。
入口ですよ、まだドアノブに手が触れるか触れないかくらいの。
技術や体力は衰えていくのに、やっと気持ちが追い付くのは残酷なことだけど。

譜読みが早い、指は良く回るからなんとかしのいできたけれど、これは本当ではないといつも思っていた。
今ゆっくりと楽譜を根本から読み直すために、以前使っていた楽譜を使わず、新しい楽譜を読み直し。
何回も弾いた曲でも頭をまっさらにして、初めて見るように楽譜を読み始める。
すると・・・技術的にはたいして難しくないはずが、納得がいくまでに至らない。
1ページに何時間かけても満足できない。
閑だからのんびりやりますが、そうこう言っているうちに命が尽きてしまうかも。

学生時代、先生に言われた言葉。
「譜読みが終わってからが本当の勉強なのよ」
初見がきいて、難しい曲でもヘラヘラとその場で弾けてしまうようなところがあって、それを見透かされていた。
今その言葉がやっと身につまされて理解できる。
先生はいまごろ天国で「やっとわかったのね、お嬢ちゃん」と言って笑っているかもしれない。
ちなみにこの方は男性でしたけれど。

さて、引きこもりはここ数日間おあずけで、明日から寒い雪山に行ってまいります。
この猫はこたつで丸くならない珍種ですのにゃ。
























2017年2月17日金曜日

原始人から電子人へ

ある朝パソコンを開いたら、待ち受け画面がなんと!大ナマケモノの画像になっていた。

自分で入れたわけではない。
はて、犯人はだれだ。
たぶんWindowsさん。
今まではきれいな山や海などの画像だった。
時々変わるけれど、その都度気に入ったかどうか尋ねてくる。
気に入ったと答えると、同じような傾向の画像が送られてくる。

しかし今回なぜいきなりナマケモノになったのかは、なぞ。
ぴったりともいえるけれど、私をよく知る人でないとわからないと思う。
私は動物好きだし、ナマケモノも好きだけど、だからと言って朝パソコンを開くたびに大きな画面いっぱい、ナマケモノがこちらをぼんやり見ているのを見ると、まるで自分の顔を見るようで、ありがたくはない。
けれど、嫌いなわけではないから不愉快ではない。
でも、よりによってナマケモノとはねえ。
ぴったりと言えばぴったりなのが複雑なところ。

電脳世界はすごい。
個人の傾向をつかんで、あれこれやってくれる。
私はこの世界に詳しいわけではないし自分では何もできないけれど、陰にブレーンがいるので、世間一般に行われていることに後れを取っているわけではない。
最近はほとんどの場合、電子マネーを使う。
それでお財布の中に現金が入っていなくても、だいたいのことは支払いができる。
スーパーやデパート、コンビニでは現金いらず。
お釣りの小銭がたまって煩わしいこともなくなった。

ある時百円硬貨と一円硬貨を間違えたことがあって、店員さんに薄笑いを浮かべられていたく傷ついたことがあった。
早く言ってくれれば良いのに、黙っていたらわからないでしょう。
視力弱いので、時々間違える。
先日は一円と五百円硬貨と間違えて、さすがに大きさが違うのにこれは単に視力の問題ではなく、脳味噌の問題かと危ぶんだ。
そんなことだから、私には電子マネーはありがたい。
面倒見のよい人が、私でもできるようにと面倒な手続きをやってくれて、今の便利な状態になった。
今までの原始生活が電子生活にと変身。
便利この上ない。

ところがその便利さはまだ社会全体が整備されていないので、落とし穴がある。
最近友人の家に行ったとき、カードを使って電車に乗った。
残高が少ないけれど、改札を出るときにチャージすればいいさ。
私のカードは無記名で、なぜかと言えばうっかりものだから、落として他人に使われる可能性が大きい。
銀行口座から引き落とされても、たぶん長い間気が付かない。
だから現金でしかチャージできない。

目的の駅に到着。
さて、チャージをと思ったら財布に現金が1000円と小銭が少々、スカスカな中身に慌ててしまった。
その日はピアノ合わせをして、終わったら昼食を一緒に食べようという約束。
これでチャージしたら、もう昼ご飯にはありつけない。
バス代の往復と帰りの電車賃もいることだから、1000円も残らない。
家を出るときに財布の中身を見る習慣が無くなってしまったのが、とんだ落とし穴になってしまった。
それでどこかで現金を引き出そうと思ったら、キャッシュカードも持っていなくてATMにも寄れない。
財布に現金が少しでもあったので改札を出ることはできたけれど、これで一文無しだったら改札を飛び越えて遁走しないといけなかった。

その日は友人に立て替えてもらって昼ご飯にありついた。
それで今は少し反省して、家を出るときに現金の有無をチェック。
全部が一枚のカードで済む日は、いつくるのかしら。
カードがなくても指紋とか人相で済む日も近いかもしれない。
その場合悪いことはできなくなる。
器械が警察に直結していたら、指名手配犯もすぐにばれる。
どこで何を買ったかが、証明されてしまうとなると・・・ちょっと怖い。
便利さと裏腹の監視社会になって、誰がどこで何をしたかがばれる。
ばれて困るようなことはないけれど、歯車になったようでいやだなあ。

原始人も電子人になって、やっと現代人の仲間入り。
なにごとも上手く出来なくなる日も近い年になって、これはとても便利な世の中になった。
なんだか自分に合わせて社会の発展があるようで、と言うのはとんだ手前味噌?
最近同年代の者同士で話すと、私たちは本当にいい時代を生きてきたわねと言う。
自分の成長と社会の成長が同じように経過したのは、幸運としか言いようがない。
その分親たちの世代が苦労して、子供たちの世代が大変なことになる。
申し訳ないけれどたまたまそういう時代だったのであって、これをもたらしてくれた方々への感謝の念は決して忘れずにいるのですよ。


















2017年2月14日火曜日

雪山が呼ぶ

今年は新年早々大風邪をひいて寝込んだから、運勢は良くないだろうと思っていたら、占い師の友人にずばりと言われた。
あなたの今年の運勢は良くないわよ。 
が~ん!
占いというものは信じるか信じないかは別にして、一度知らされてしまうと気になるもので、これはなにかの警告と受け取って大事をとるのが一番だと思う。
年齢が高くなれば、なにかしら体の故障は出るのが当たり前。
怖がっていたら毎日が楽しくない。

私の兄姉たちもいろいろ健康上の問題が出てきている。
ほとんどなにも問題ないのは、私一人かもしれない。
けれど、この先なにが起こるかわからないから、用心に越したことはない。
子供のころは虚弱体質で、かなりメソメソしていた。
今の私からは想像がつかないかもしれないけれど、人見知りが激しかった。
今は人見知りしない代わりに好き嫌いが激しい。
これも一種の人見知り?
小学校はひと月のうちの1週間は休む。
たまに1か月休む。
たいした理由もなしに、行きたくないといえば母は行かなくていいと言う。
家で本を読んだりレコードを聞いたり、雲を眺めて過ごした。

古い家の廊下で、猫と一緒に日向ぼっこ。
気が向けば学校へ行く。
別にいじめもなければ嫌なこともない.
先生もやさしいのに、退屈なのでという理由だった。
6人もいる中で、一人くらい変わった子供がいても親は気にもとめないから、ずいぶん助かった。
社会ものんびりした、よき時代だった。
今なら登校拒否児に認定されて、学校から苦情が来る。

特に運動が苦手で体育の時間や運動会が大嫌い。
歯を食いしばって頑張る子供たちを見ると、なんで?と思っていた。
そんなにむきにならなくてもいいのに。
今考えても全く可愛げのない子供時代だった。

その私が唯一いまだにやめない運動が、スキー。
なんせ竹のストック、革のブーツの時代からだから、いやいやお古い。
夜行列車の網棚の下に、スキー板をぶら下げて座席か通路で寝ていった。
早朝ゲレンデに着いても部屋には入れてもらえないから、宿の寒い廊下で荷物を解く。
風呂場の脱衣所で着替えて、朝一のリフトに乗る。
若かったとはいえ、よくあんなことが出来たものだわ。
防寒着だってロクなものはないから、寒いし雨にも濡れる。
今のように優れものはなかった。

スキーだけは毎年、なにがあっても必ず一回は出かける。
出かけても、頑張って一日中滑ることはしない。
上手くなるのはとっくに諦めた。
それでも、雪山に行くと身内から力が湧いてくる。
生きている喜びがふつふつと感じられる。

運動の中では、特にバランスをとるのものが面白い。
スケートも面白いけれど、あれはたいそう脚力がいる。
自力でスピードをつけないといけないから、以前はよく滑りに行ったけれど、最近はとんとご無沙汰。
アイスホッケーまでやったけれど、団体競技は苦手なので、すぐにやめた。
その点スキーはレースにでも出ない限り、体重の移動とバランスだけで、たいていの斜面はいける。
スピードを出すのは好きなので、早いことも魅力。
立派な体重という武器があるから、落ちていけばいい。
マイペースでいける。
馬に乗るのもカヌーなどもバランス。

今年の元日に風邪をひいて、2日からのスキーを諦めた。
無理してスキー場に出かけていたら、高熱が出たから大変なことになったと思う。
部屋で一人、皆が楽しく滑っているのを指をくわえてみていなければならなかった。

1月に仲間たちのスキー計画があったけれど、演奏の予定があったので断念。
2月になって都合がよくなったので、次の日曜日から出かけることになった。
奇人変人のスキーの先生のスクールに入って、毎年基礎からやり直す。
ヴァイオリンでいえば、右手のボウイングのレッスンのようなもの。
ケガをしないことが、一番の目的。
どんなにスキーが好きでも、ヴァイオリンに差し障ってはいけないから慎重になる。
先生も私たちがケガをしないことが一番の目的だから、そのための研究は怠らない。
以前参加していた某スクールでは、教習中のケガが多くて驚いたことがあった。

ケガをさせるような講習はあってはならないと思うのに、そこではたくさんのけが人が出る。
競い合っているうちに、無理をしてしまうらしい。
かつてのスキー仲間が少なくともそこで、4人ケガをしている。
そんなに激しくがんばっても、技術的には大差ない。

変わらないのであれば、そこに安全という付加価値がある、奇人先生の方が良い。
口うるさいのと、食事中までスキーの話しかしないところがたまらないけれど、面倒見はいいからグループ内の評価は高い。
なにが悔しいって、私が日ごろ生徒たちのレッスンの時に言うことを、奇人先生から言われること。
どんな技術も究極は一緒なので納得はするけれど、時々ニャー、フウ―っと唸りたくなる。

それにしても野良猫のフウちゃんはどこへ行ったか、姿を見せないのが残念(涙)
一時期姿を消したミッケが、今や、のうのうとフウちゃんのベッドで寝ている。

















2017年2月11日土曜日

気は確か?

昨日は雪でも落ちてきそうな寒さ。
荻窪の、とある豪邸に集まった美女5人。
恒例の弾き合い。

この家は、先ごろ広すぎる部屋を減築してもなお余りあるほどのスペースで、家具調度品も素晴らしく美しい。
そこに愛犬と二人で住む人は、改築の疲れで去年は調子が悪そうだったけれど、すっかり落ち着いているように見えた。
ブリーダーで繁殖用に使われていて、年を取ってお役御免となった犬を引き取って飼い始めた。
去年連れてこられた時には、毛並みも悪くていかにも苦労した感じだったのが、今や貴婦人のように美しいワンちゃんになった。
濃い目のミルクティーみたいな色で、可愛がられている様子がありありと感じられる。
良かったねと皆に撫でられて、嬉しそうにしている。
人も犬も顔色良く、幸せそうで良かった。

3人はピアニスト。
2人は弦楽器奏者(ヴァイオリン・ヴィオラ)
本当はもう一人、ソプラノ歌手がメンバーなので、全員集まれば6人。
昨日は一人お休み。

今年初めての研究会で、バッハ、ラヴェル、シューマンなど、相変わらず盛りだくさんのプログラム。
私はといえば、まだプロコフィエフしか弾けるものがない。

この3人のピアニストたちが曲者揃い。
学生時代から優等生で鳴らした3人だから、良き友でもあるけれど良きライバル同士。
本当に恐れ入るのは、私たちは同級生で同い年で私はギブアップ間近なのに、衰えを知らない猛者ばかり。
家主のOさんは去年はなかなか時間も体力もきつかったようだけれど、すっかり回復したのは音で分かった。
音に張りがある。
表情が生き生きしている。
ヴィオラのFさんとシューマンを演奏。

私は相変わらず相棒のSさんと。
彼女は超真面目人間で、昨日も私とのソナタの他にもう一人のNさんの弾くラフマニノフのピアノ協奏曲のピアノ伴奏もして、その上ラヴェルまで。
ほんとにピアニストって連中は、疲れを知らない。
しーんじられなーい!!!

そしてNさんは果敢にラフマニノフに挑戦!
スケールの大きな華やかな演奏スタイルは、学生時代からの彼女の持ち味。
美人で頭が良くてピアノが上手ければ、怖いものなし。
6月の本番に向けて練習する姿は、すさまじい集中力を見せつける。
気は確か?と言いたくなる。

3人ともいまだに進化し続けているのが恐ろしい。
この人たちは化石になってもきっと、ピアノを弾き続けるにちがいない。
幸いサンサーンスに「化石」という曲もあることだし。
うーんと、あれはシロフォンのソロでしたっけ?
記憶が定かではない。

終わると近所の中華料理店へ。
狭い店内は15人ほどでいっぱいになってしまう。
そこで一人奮闘するご主人の腕はぴかいち。
他では味わえないほどの腕前なので、もう少し広いお店ならとは思うけれど、一人で集中して料理している様を見るとほかの人の立ち入るスキはない。
開店と同時に店内はお客さんでいっぱいになる。
近所の人が料理を持ち帰る。
昨日食べたメニューは
お豆腐の炒め物
青菜の炒め物、
酢豚
春雨のピリ辛ひき肉炒め
餃子 
カキのピリ辛炒め
店内で聞こえてきた、ここの春巻きは癖になるとの声を聞いて
春巻き

もう少し食べたかもしれないけれど、記憶にございません。
「年だからねえ、記憶にないよ」という石原元都知事の言いぐさを真似して。
それにしても東京の中枢を牛耳っていた往年の政治家が、あんな卑怯な言葉を吐くとは。



















2017年2月8日水曜日

あなおそろしや

久しぶりに電車に乗った。
朝のラッシュ時間は過ぎていて、ぎゅうぎゅう詰めとは言えないくらいの混み方。
人と人の間はほとんど隙間がない程度。
私は楽器を背負っていたから、バッグは手にぶら下げていた。
その方が肩にバッグをかけるよりは、体積が減ると思ったので。
ショルダーにするとバッグが体からはみ出る。
人の体の足下のほうは隙間がある。
その隙間にぶら下げていた。
これが悪かった。

数駅先から乗ってきた女性がドアの前に立っていた。
私はそのドアより少し中に入ったところで、その女性の斜め後ろに立っていた。
つり革に空きはなかったけれど、座席の端のポールを捕まえられたから、ぐらつきはしない。
それでも停車する前に電車がガタンと揺れた。
その拍子に私がぶら下げていたバッグが、前に立っている女性の足に軽く触れた。
それは本当にぶつかったというわけではない。
ところが後ろ向きに立っていたその人が、振り返って思い切り嫌な顔をした。

ふだんの私はお調子者だから、そんなときにはへらへらと、あら、ごめんなさいねなどと軽く言えるのだけれど、その人の目を見て驚いた。
親の仇とばかりに睨みつけられて、私は口から言葉が出ない。
目は丸いものだと思っていた今までの長い生涯の認識を、改めないといけなくなった。
ほう~、目って本当に三角になるんだ。
ポカーンとして見ていて、謝るのを忘れた。

しばらく横顔を眺めていた。
艶やかなストレートヘア、きれいなオレンジ色のストール、上質のカシミヤのコート、それからショルダーバッグ、レッグウオーマー、スエードのハイヒール3点を同色で揃え、バッグも靴もたぶん一流ブランドものと思われる。
色合いもバランスも、それはそれは品が良くてお見事。
特にグレーのバッグと靴は素敵!
しかし顔を見ると、眉根に深い縦皺、目が三角。

もう一度ガタンと電車が揺れて、又バッグがかすかに触れたとき、呪われているかと思うくらい凄い目で睨まれた。
今度は癪に障ったから「そんなに周りに触れるのがいやなら、マイカーかタクシーでお出かけになったらいかが?」と言ってみようかと思った。
なんなら徒歩かジョギングででも。
だって、この混みようだったら、揺れで隣に触らないのは至難の業でしょう。
私がしばらくじっと見つめていたら、慌てて目をそらす。
自分の中で抱え込むタイプと見た。

そのあと、今度はもっと揺れたとき、彼女の後ろにいた男性がバランスを失って、彼女の眼の前のドアガラスに手をついた。
彼女の顔の横すれすれに。
その時の恐ろしい顔たるや、まったく正気とも思えない。
後ろをぐいと振り向いて、その男性をにらみつけた。
男性は全く彼女に触れてはいないのに。
男性はスマホに夢中で、その顔には気が付かない。
気がついていたら、一日中嫌な気分になりそう。
彼女の眉間の皺はますます深くなって、ちょっと気の毒になった。

ひどいストレスを抱えているのかもしれない。
センスの良い全体のスタイルから思うに、普通以上の仕事と収入に恵まれていると思えるのに、この形相では、そのうち壊れてしまいそう。
電車が日本のビジネスの中枢部に向かう乗換駅に着いたときに、彼女は降りて行った。
ああ、やっぱりね。
一流企業かお役所にお勤めで、育ちも頭も良い。
けれど、まったく幸せではない人のように思える。
ちょっと可哀想。

自分を愛せない。
他人も嫌い。
まだ若いのに、この先どうやって生きていくのかしら。
他人事ながら心配になってきた。

今朝目が覚めた時に真っ先に彼女のことを思い出した。
あの人はなんであんなに過敏なのか。
幼少時の虐待、学生時代のいじめ、上司のモラハラ、結婚相手のDV、ひどい失恋?
様々な原因があるけれど、境界線をもうすぐ超えてしまうのではないかと心配になる。
余計なお世話だけれど、あまりにも不幸そうで気の毒でならない。
だれかに相談してみたら?
なんなら私が聞いてあげるよと、声をかけたくなった。
いやいや、このおばさんでは役には立たない。
今まで一度として、人の悩みの深淵に降りたことのない人だから。

だからベートーヴェンが弾けない。
音楽に深みがない。
ブラームスを弾いても、春のそよ風のようになってしまう。
音楽家としてはちょっと困りもの。


















2017年2月7日火曜日

ミッケ復活

去年、新しい野良猫の出現で元気をなくした、三毛猫ミッケ。
食欲も落ちて、その後すっかり姿を見せなくなったので、もう生きてはいないものだとあきらめていた。
そして先週週末から、今までこの辺を徘徊していたノラボスのシロリン、物置に棲みついたアメショーのフウ、いつもお腹がすいているチヤ虎のチヤイロン、その3匹が急に掻き消えた。

今朝目が覚めると、かすかに猫の鳴き声がする。
うちの猫かと思ったけれど、どうやら表の方で聞こえるし、聞き覚えもある。
もしやと思って2階のベランダから見下ろすと、お隣との境目のブロック塀の上から見上げるのは、紛れもない三毛猫ミッケ。
目撃情報があったから生存しているらしいとは思っていたけれど、相変わらず毛並みも艶やかなきれいな雌猫。
少しも年を取ったようには見えない。
猫はいい。
しわやシミが毛皮で隠されるから、おばあさんになっても老けない。

飛ぶように階段を駆け下りて、お食事を差し上げた。
まさに人間は猫の下僕。
よくまあ生きていてくださった。
あいかわらずお美しい。

それにしても小汚いオス猫共はいったいどこへ行ってしまったのか。
きっと雌猫を求めて、放浪しているに違いない
嫌な考えが頭に浮かぶ。
もしや一網打尽にひっとらえられて、動物センターに送られたのでは?
いやいや、フウちゃんのようにノラ生活初心者ならいざ知らず、あのボス猫シロリンがそう易々と捕まるわけはない。

きっとメスをゲットして子孫を残したら、又何食わぬ顔で戻るにちがいない。
早く帰っておいで。

ミッケは主のいなくなった物置でまったり。
私が中を覗いたら、泡食って飛び出してきた。
フウちゃんがいない間だけでも、暖かい物置でどうぞごゆっくり。
でも、nekotama食堂に来なくなってから、どこで暮らしていたのか。
全くやつれていないから、きっと大事に扱われていたにちがいない。

猫は人が一喜一憂しているのも知らずに、まったくいい気なものだわ。




















消えたノラたち

昨日も一匹もノラは来なかった。
今日は早朝からノラの住処を覗いても、誰もいない。
ハア~!ため息。
心配・・・・

暖かくなってきたので出歩き始めたのはわかるけれど、毎日欠かさず通ってきたシロリンやチヤイロン、フウちゃんも全く姿を消した。
それこそ忽然と。
毎朝我が家の駐車場で大騒ぎしていたのに。
三毛猫のミッケが去年突然来なくなった。
それでミッケは死んだと思っていたら、ある時目撃情報があって、我が家の駐車場にいたらしい。
ミッケは生きているとしたらどこで暮らしているのかしら。
私の家以外でも少なくとも3軒の猫好きがある。
そこでおいしいものをもらっているのかどうか。

そのほかにひどく猫嫌いの家もある。
我が家の猫も2匹たて続けに毒を盛られた。
初めは道路に飛び出して車にはねられたのかと思った。
体を調べてみると外傷が全くない。
轢かれた形跡がない。
口から泡が出ていた。
獣医さんに尋ねたら、毒殺だという。
この辺は怖いよ、うちの犬なんてぶっ殺してやると言われたもの・・・とは獣医さんの話。
ほかのお宅でも被害に遭った。

あ~あ、そんな変なことを思い出してしまった。
なにもこんな小さな動物がいたっていじめなくてもいいのに、とは、猫好きの勝手な思い。
嫌いな人は本当に嫌いなので目障りなのはわかるけれど、なにも殺さなくてもねえ。
花壇を荒らされたとか、庭にフンをされたとか言うけれど、ちょっと穴を掘って埋めればいいじゃないなんて言おうものなら、烈火のごとく怒られる。

私は子供のころから動物だらけの家で育った。
アヒル、鶏、犬、猫、カナリア、十姉妹、金魚、病膏肓でネズミまで飼った。
開けっ放しのだだっ広い古い家屋だったから、よその猫が箪笥の引き出しや押し入れでご出産なんてこともしばしば。
家猫か野良猫か区別がつかない。
池があって、アヒルはそこの主。
近所の家の大きなジャーマンシェパードがやってきて、それをうちのペルシャ猫ミックスが追い払い、庭に出ればアヒルに縄張りを侵害するなと追いかけられ、鶏がイタチにとられたといっては泣き、常に動物まみれ。
そのうえ、6人の兄弟。
祖母、両親、姉たちの連れ合いや子供たち等々。
近所の知的障害のある子はうちが好きで、朝目が覚めるとパジャマのまま我が家に来てしまう。
それをおばあちゃんが引き取りに来るというのが、毎日のことだった。
人と動物、沢山の植物のある雑木林があった家。

そんな野生児のような育ちだったから、動物を嫌う気持ちはよくわからない。
公園に散歩に行くと沢山の犬たちに出会う。
目が合うとお互いに、にこっり。
犬だって笑うんですから。

いつになったらノラたちは戻ってくるのかしら。
それともこのまま?

もう恩知らずなんて怒らないから、みんな帰っておいで。
早く帰っておいで。























2017年2月4日土曜日

恩知らず

ここ数日暖かいので、ノラたちはお出かけ。
毎朝お腹を空かせて、私が行くとにゃあにゃあ大騒ぎで出迎えたのに、最近は毎日同じようなご飯が気に食わないらしく鼻で嗅いでフンてなもの。
寒いうちは心細そうに、にゃあと鳴いて甘えてきたのに、どこかに新しい食堂ができたらしい。
ノラご一同様は少しも寄り付かない。
たまに夜食がほしくなると、ちょっと口をつける程度の食べ方。
生意気にもほどがある。

物置にベッドとアンカを置いて毎日寒くないように、水分は少し温めた白湯をと一生懸命尽くしたのに、ほかにおいしいご飯があればサッサと移動、寒くなければもうベッドはいらない?
ほんとに猫ってヤツらの自己中はあきれたものだわ。

今日は特に、ほかの餌場の人がいるらしい土曜日。
明日は日曜日だから、週末限定のレストランが営業すると思う。
明日はエサを置かないでいてみよう。
時々週末でもお腹を空かせて来るときもあるから、営業がなければ可哀想だけれど、なに、構うものですか。
時には空腹になってみれば、私のありがたみがわかるというもの。

ぷんぷん!

半年ほど前からうちの物置に住み着いたノラのアメリカンショートヘア。
ふうふう怒るからフウちゃんと呼んでいた。
寒い時には物置にこもって、私が降りていくとのっそりと物置から出てきた。
初めのころはひどくお腹を空かせていて、ガツガツと食べたけれど、最近はちょっと鼻で嗅いでは考えている。
考えるくらいならお腹はすいていない。
だいたい猫のちっぽけな脳味噌で、エサ以外のことを考えるわけがない。

物置が安住の住処とはいえない。
この辺のノラのボス猫シロリンにベッドを横取りされたり、別の猫にマーキングされたり、これでなかなか苦労も多いらしいから、家に入れてあげたいと思っていた。
私の力ではどうにもならない。
手を出せば引っ掻かれる。
捕獲機があるらしいので、獣医さんにたのんでみようかと思っていたけれど、下手に家に入れるのも逆に可哀想な気がして、踏ん切りがつかなかったのでぐずぐずしていた。

そのうちにこの辺のノラ社会に段々溶け込んできて、今は皆さんとうまくやっている様だから、このまま自由にさせておこうかとも。
家に入れたら最後、外には出られなくなる。
それが猫にとってどういうものなのかは、想像がつかない。
去年亡くなった玉三郎はずっと表に出たがっていたけれど、出さないようにしていた。
一度出れば自由の味を知ってしまう。
外は面白いはず。
猫にとっても人間にとっても。

私は最近引きこもりだけれど、いつでも自分の意志で出られるのだから、閉塞感はない。
猫は自分で重たいドアを開けられない。
すきを見て逃げたら、今度は帰れなくなる。
それも心配で、ノラを家に入れるのは、よほど弱っているネコか、おとなしい雌猫でないと、途中からは無理かとも思う。

以前お向いさんのおじいちゃんが、うちの猫が庭にフンをすると苦情を言ってきたことがある。
うちの玄関は住居のドアと、階段を降りたところのドアと二重になっているので、人間が出さない限り、猫の力では到底開けられない。
もちろん自動ドアではないし。
猫はどうやって出てきたの?と訊いたら、自分で開けて出てきたよというので、それは無理。
うちの猫ではないと思うわよというと、いや、絶対自分でドアを開けたと言い張るので、途方に暮れたことがあった。
お嫁さんに訊いたら「うちのおじいちゃんは困ったわねえ、しょっちゅう変なこと言うのよ、ごめんなさいね」と笑っていた。
おじいちゃんにどんなふうに開けたの?と訊いたら、人が開けるように手で空ける動作をしたのがおかしい。
そのおじいちゃんも、もうなくなって、懐かしい思い出となった。


























2017年2月3日金曜日

花粉飛翔?

明日は立春。
野良猫たちも辛い冬を乗り越えて、のびのびと体を伸ばせる季節が、すぐそこまでやってきた。

ところが私が一番苦手なのが、この季節。
毎年熱を出したり寝込んだり。
体調がガクッと落ちる。
私は春の生まれだから、自分の誕生日に気分が良かったためしがない。
お花見のころは絶不調。
毎年恒例のお花見が我が家で開かれるけれど、時には高熱を出してベッドとお客様の間を行ったり来たりした年もあった。

今朝、ノラのベッドを覗きに行ったら、お出かけだった。
エサと水を置いて家に入ってしばらくすると、突然のくしゃみ連続。
鼻水も出る。
あれっ、風邪をひいたかな?
鼻をかんでいて、突然、自分が花粉症だということを思い出した。
ああ、また嫌な季節がやってくる。

かと言って、花粉症対策はしない。
対症療法とか注射とかあるらしいけれど、ほとんどの場合マスクと帽子で乗り切れる。
薬を飲んでいた時期もあった。
仕事をしていたころは、録音中にくしゃみがでるといけないから、薬を飲む。
毎日眠い。
ただでさえ眠い季節にこれはたまらない。

今はなんの心配もなく、薬もいらない。
あまり家から出ないのと、マスクで十分防げるから。

この季節は北軽井沢は本当にきれいだと聞いているから、やたらと恋しい。
行ってみようか、でもとても気温が低いから、道路の凍結がひどいらしい。
軽井沢の友人が、雪が降っていなくても湿度が高いから道が凍ると脅された。
軽井沢から登っていくルートが、非常にカーブの多い山道。
夏でも雨や霧の濃い日は、少し緊張する。
この季節はまだ、いつなんどき雪が降らないともかぎらない。
あちらに移住してしまえば、馴れるとは思うけれど。
北軽の別荘の持ち主のノンちゃんを誘ってみようかな。
持ち主を誘うというのも、主客転倒みたいな話だけれど。

今まで雪道の運転は一切やったことがない。
一度講習を受けたいと思いながら忙しく過ごしてきたので、まだ実現しない。
今なら時間はたっぷりあるから行ってみようかと思っているけれど、もうやる気がなくなって面倒くさい。
私は急発進、急ブレーキなどの急の付く運転はしないから、このままの運転の仕方でいいとは思うけれど、いざ滑ってしまったら対処の仕方がわからない。
運転を始めた頃、九州の山の砂利道でタイヤが滑ってあわや!という時があった。
その時は無意識にハンドルを逆に切ったので、それが良かったらしい。
同乗者たちから大変褒められた。
自分ではなんの自覚もなくやったことだから、原始人の勘だったかもしれないので、もう一度同じことはできないと思う。
なぜ逆ハンドルがいいのかも理屈としてわかっていない。
その逆ハンドルというのが、何に対して逆なのかもわかっていない。

しばらく花粉を避けて我慢の毎日。
北軽井沢では、杉の木はあまり見かけない。
ほとんどが雑木林で気温も低いから、スギ花粉に悩まされることもないと思っている。
いつか、あの雑木林で清浄な空気を吸って、ゆったりと暮らすことを夢見ている。































2017年2月1日水曜日

カラオケ初体験

電話がかかってきた。
以前仕事でよく一緒になったコーラスのY子さん。
今日は何をしていらっしゃいますか?と言うから、別になんにもというと、これからカラオケにいきませんか?
彼女は私の家の近くに高校時代からの親友が住んでいて、時々会っているようだ。
その親友のNさんは、ご自身とご主人の親御さんの介護が大変で、すごく疲れているらしい。
それで、気晴らしにカラオケに行って歌えば気もはれるのではと思って誘ったという。
nekotamaさんもどうですか、ヴァイオリンのMさんも来ますから、というので、でかけることにした。
ヴァイオリンのMさんはお嬢さんと一緒に来るという。
お嬢さんは今年音大を卒業するので、もうお父さんと一緒に仕事を始めたという。
私はMさんとも数年間同じ仕事で全国を回っていたことがあり、かなり若い世代だと思っていたけれど、もうお嬢さんが仕事をする年になったのかと感無量。

最寄り駅で待ち合わせて、カラオケやに行った。

カラオケができ始めのころ、私たちは沢山の仕事を抱えて都内や地方都市を飛び回っていた。
仕事が終わるとディレクターや舞台監督、音楽事務所の人などと一緒に飲みに出かけることもしばしばあった。
その頃はカラオケには行ったことはない。
せっかく仕事が終わってからうるさい所に行きたくはなかったから、さそわれても頑として行かなかった。
営業としてそういうお付き合いをすればもっと仕事につながるとは思ったけれど、私はそこまでして仕事をしようという思いはなかった。
おそろしく忙しい頃だったので、次の日のことを考えると体力的にも無理。
本当はそこで発散してしまえば良いかも知れなかったけれど、嫌いなものは嫌い。
はっきりとお断りしていた。

それで人生初のカラオケがこの日になったというわけ。

駅前でY子さんとNさんと待ち合わせ。
久しぶりの再会に3人ともはしゃいでカラオケやさんへ。
Mさんは仕事場から車でお嬢さんと駆けつけるというので、姦しくおしゃべりをしながら待っていた。
Nさんの介護の大変さに同情したり、Y子さんの息子さんの結婚話に喜んだり。

カラオケやさんは某大学のすぐそばにあって、新しくきれいだったけれど、なぜか私たちはキッズルームに通された。
部屋の中に小さな滑り台やボールなどが置いてあって、お母さんたちが小さい子供を連れてカラオケをするときの部屋らしい。
他が空いていないのでと言われて、なるほど、こういうところでお母さんたちは子供を見ながらカラオケもできるし、簡単な食事もできる。
良い時代だなあと思った。
この中なら安全で、昼間なら酔っ払いなども来ない。
ファミレスなどで子供が騒ぐとほかの客から白い目で見られるけれど、ここなら子供がいくら騒いでも大丈夫。
一歩廊下に出ると、ワンワンと各部屋からの騒音が漏れているけれど、室内にいると自分たちの出す音が大きくて気にならない。

そのうちにMさん親子も到着した。
早速歌い始める。
私は歌は普段歌わないし、まして最近の歌は聞くこともないから、まったくの傍観者を決め込んでいたけれど、Y子さんが気を使って愛の賛歌を見つけてくれた。
歌詞がモニターに出るのと、これならメロディーもよくわかるので、一曲歌ったら、音程が良いとほめられた。
声は良くないしうまくないから、私が歌っている間どうやって誉めようかと考えたにちがいない。
まあ音程は商売ですから。

Y子さんはさすがに専門家だから上手い。
でも・・・Mさんは腰を抜かしそうなくらい、上手い!
だいたいヴァイオリン弾きで歌の上手い人はあまりいない。
声が出にくいのだ。
声も節回しも、とんでもなく上手いので、歌手になっても売れるよと皆で絶賛した。
そして、この親にしてこの子あり。
お嬢さんも透き通るようなきれいな声で、今どきの難しい歌を次々に歌った。

訊けばお母さんはもっと上手いとのこと。
元アナウンサーだそうで、納得。

私は愛の賛歌だけでギブアップ。
後は聞き役に徹して楽しんだ。
今日の目的だったNさんを慰めるのはできたのかどうか。
彼女にこにこしていたけれど、介護があるので早めに帰った。

終わってから親子は車で帰り、私とY子さんは私の家で少しお話をした。
私が仕事をやめて数年経って仕事の状況も変わり、かつてのグループがほかのグループに変わったという。
ちょうど私は良い時にやめたらしい。
最後の仕事の時には、泣いた人もいたらしい。
なにごとも終わる日は来るけれど、やはり今日でお終いとなったら、それは悲しいと思う。
一つの時代が終わって、新しい世代に交代するのは当たり前のこと。
それでも、全員が終わるという場面には居合わせたくない。

Y子さんからの情報は、今の私には貴重なもの。
かつての仕事仲間の今の情報が得られる。
彼女とは同じ旅の仕事で、本当に仲良くしてもらった。
3人のコーラスグループはそれぞれが自立したキャリアウーマンたちで、自分の手でしっかりと道を切り開くことのできる女性たち。
彼女たちとは公私ともに、とても良いお付き合いだった。
旅の仕事では、本番の前日に出発して、現地のおいしいものを食べたり、きれいな景色を見たり、ただ忙しく仕事をするだけではなく、人生を楽しむすべを知っている人たち。
その女性だけのグループにヴァイオリンの男性が一人入ってきて、人生相談を持ち掛けてきた。
最近奥さんが冷淡、どうしたらいい?

朝起きたら奥さんに「今日もきれいだよ」と言ってごらん。
nekotamaさんで練習しなさいと、コーラスさんたちの助言。
次の朝彼は「nekotamaちゃん、今日もきれいだね」
目撃者が後ろにいて目をまん丸くしていたそうだ。
それはアレンジャーで指揮をしていたT先生。
それをはたから見ていたY子さんは、昨日その話をしてケラケラわらった。
T先生に聞かれては、業界中に噂が広まっているに違いない。
あはは、だれも信用も心配もしそうにないけれど。

そんな懐かしい話をしばらくして、彼女は帰っていった。