2017年2月8日水曜日

あなおそろしや

久しぶりに電車に乗った。
朝のラッシュ時間は過ぎていて、ぎゅうぎゅう詰めとは言えないくらいの混み方。
人と人の間はほとんど隙間がない程度。
私は楽器を背負っていたから、バッグは手にぶら下げていた。
その方が肩にバッグをかけるよりは、体積が減ると思ったので。
ショルダーにするとバッグが体からはみ出る。
人の体の足下のほうは隙間がある。
その隙間にぶら下げていた。
これが悪かった。

数駅先から乗ってきた女性がドアの前に立っていた。
私はそのドアより少し中に入ったところで、その女性の斜め後ろに立っていた。
つり革に空きはなかったけれど、座席の端のポールを捕まえられたから、ぐらつきはしない。
それでも停車する前に電車がガタンと揺れた。
その拍子に私がぶら下げていたバッグが、前に立っている女性の足に軽く触れた。
それは本当にぶつかったというわけではない。
ところが後ろ向きに立っていたその人が、振り返って思い切り嫌な顔をした。

ふだんの私はお調子者だから、そんなときにはへらへらと、あら、ごめんなさいねなどと軽く言えるのだけれど、その人の目を見て驚いた。
親の仇とばかりに睨みつけられて、私は口から言葉が出ない。
目は丸いものだと思っていた今までの長い生涯の認識を、改めないといけなくなった。
ほう~、目って本当に三角になるんだ。
ポカーンとして見ていて、謝るのを忘れた。

しばらく横顔を眺めていた。
艶やかなストレートヘア、きれいなオレンジ色のストール、上質のカシミヤのコート、それからショルダーバッグ、レッグウオーマー、スエードのハイヒール3点を同色で揃え、バッグも靴もたぶん一流ブランドものと思われる。
色合いもバランスも、それはそれは品が良くてお見事。
特にグレーのバッグと靴は素敵!
しかし顔を見ると、眉根に深い縦皺、目が三角。

もう一度ガタンと電車が揺れて、又バッグがかすかに触れたとき、呪われているかと思うくらい凄い目で睨まれた。
今度は癪に障ったから「そんなに周りに触れるのがいやなら、マイカーかタクシーでお出かけになったらいかが?」と言ってみようかと思った。
なんなら徒歩かジョギングででも。
だって、この混みようだったら、揺れで隣に触らないのは至難の業でしょう。
私がしばらくじっと見つめていたら、慌てて目をそらす。
自分の中で抱え込むタイプと見た。

そのあと、今度はもっと揺れたとき、彼女の後ろにいた男性がバランスを失って、彼女の眼の前のドアガラスに手をついた。
彼女の顔の横すれすれに。
その時の恐ろしい顔たるや、まったく正気とも思えない。
後ろをぐいと振り向いて、その男性をにらみつけた。
男性は全く彼女に触れてはいないのに。
男性はスマホに夢中で、その顔には気が付かない。
気がついていたら、一日中嫌な気分になりそう。
彼女の眉間の皺はますます深くなって、ちょっと気の毒になった。

ひどいストレスを抱えているのかもしれない。
センスの良い全体のスタイルから思うに、普通以上の仕事と収入に恵まれていると思えるのに、この形相では、そのうち壊れてしまいそう。
電車が日本のビジネスの中枢部に向かう乗換駅に着いたときに、彼女は降りて行った。
ああ、やっぱりね。
一流企業かお役所にお勤めで、育ちも頭も良い。
けれど、まったく幸せではない人のように思える。
ちょっと可哀想。

自分を愛せない。
他人も嫌い。
まだ若いのに、この先どうやって生きていくのかしら。
他人事ながら心配になってきた。

今朝目が覚めた時に真っ先に彼女のことを思い出した。
あの人はなんであんなに過敏なのか。
幼少時の虐待、学生時代のいじめ、上司のモラハラ、結婚相手のDV、ひどい失恋?
様々な原因があるけれど、境界線をもうすぐ超えてしまうのではないかと心配になる。
余計なお世話だけれど、あまりにも不幸そうで気の毒でならない。
だれかに相談してみたら?
なんなら私が聞いてあげるよと、声をかけたくなった。
いやいや、このおばさんでは役には立たない。
今まで一度として、人の悩みの深淵に降りたことのない人だから。

だからベートーヴェンが弾けない。
音楽に深みがない。
ブラームスを弾いても、春のそよ風のようになってしまう。
音楽家としてはちょっと困りもの。


















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