2017年2月17日金曜日

原始人から電子人へ

ある朝パソコンを開いたら、待ち受け画面がなんと!大ナマケモノの画像になっていた。

自分で入れたわけではない。
はて、犯人はだれだ。
たぶんWindowsさん。
今まではきれいな山や海などの画像だった。
時々変わるけれど、その都度気に入ったかどうか尋ねてくる。
気に入ったと答えると、同じような傾向の画像が送られてくる。

しかし今回なぜいきなりナマケモノになったのかは、なぞ。
ぴったりともいえるけれど、私をよく知る人でないとわからないと思う。
私は動物好きだし、ナマケモノも好きだけど、だからと言って朝パソコンを開くたびに大きな画面いっぱい、ナマケモノがこちらをぼんやり見ているのを見ると、まるで自分の顔を見るようで、ありがたくはない。
けれど、嫌いなわけではないから不愉快ではない。
でも、よりによってナマケモノとはねえ。
ぴったりと言えばぴったりなのが複雑なところ。

電脳世界はすごい。
個人の傾向をつかんで、あれこれやってくれる。
私はこの世界に詳しいわけではないし自分では何もできないけれど、陰にブレーンがいるので、世間一般に行われていることに後れを取っているわけではない。
最近はほとんどの場合、電子マネーを使う。
それでお財布の中に現金が入っていなくても、だいたいのことは支払いができる。
スーパーやデパート、コンビニでは現金いらず。
お釣りの小銭がたまって煩わしいこともなくなった。

ある時百円硬貨と一円硬貨を間違えたことがあって、店員さんに薄笑いを浮かべられていたく傷ついたことがあった。
早く言ってくれれば良いのに、黙っていたらわからないでしょう。
視力弱いので、時々間違える。
先日は一円と五百円硬貨と間違えて、さすがに大きさが違うのにこれは単に視力の問題ではなく、脳味噌の問題かと危ぶんだ。
そんなことだから、私には電子マネーはありがたい。
面倒見のよい人が、私でもできるようにと面倒な手続きをやってくれて、今の便利な状態になった。
今までの原始生活が電子生活にと変身。
便利この上ない。

ところがその便利さはまだ社会全体が整備されていないので、落とし穴がある。
最近友人の家に行ったとき、カードを使って電車に乗った。
残高が少ないけれど、改札を出るときにチャージすればいいさ。
私のカードは無記名で、なぜかと言えばうっかりものだから、落として他人に使われる可能性が大きい。
銀行口座から引き落とされても、たぶん長い間気が付かない。
だから現金でしかチャージできない。

目的の駅に到着。
さて、チャージをと思ったら財布に現金が1000円と小銭が少々、スカスカな中身に慌ててしまった。
その日はピアノ合わせをして、終わったら昼食を一緒に食べようという約束。
これでチャージしたら、もう昼ご飯にはありつけない。
バス代の往復と帰りの電車賃もいることだから、1000円も残らない。
家を出るときに財布の中身を見る習慣が無くなってしまったのが、とんだ落とし穴になってしまった。
それでどこかで現金を引き出そうと思ったら、キャッシュカードも持っていなくてATMにも寄れない。
財布に現金が少しでもあったので改札を出ることはできたけれど、これで一文無しだったら改札を飛び越えて遁走しないといけなかった。

その日は友人に立て替えてもらって昼ご飯にありついた。
それで今は少し反省して、家を出るときに現金の有無をチェック。
全部が一枚のカードで済む日は、いつくるのかしら。
カードがなくても指紋とか人相で済む日も近いかもしれない。
その場合悪いことはできなくなる。
器械が警察に直結していたら、指名手配犯もすぐにばれる。
どこで何を買ったかが、証明されてしまうとなると・・・ちょっと怖い。
便利さと裏腹の監視社会になって、誰がどこで何をしたかがばれる。
ばれて困るようなことはないけれど、歯車になったようでいやだなあ。

原始人も電子人になって、やっと現代人の仲間入り。
なにごとも上手く出来なくなる日も近い年になって、これはとても便利な世の中になった。
なんだか自分に合わせて社会の発展があるようで、と言うのはとんだ手前味噌?
最近同年代の者同士で話すと、私たちは本当にいい時代を生きてきたわねと言う。
自分の成長と社会の成長が同じように経過したのは、幸運としか言いようがない。
その分親たちの世代が苦労して、子供たちの世代が大変なことになる。
申し訳ないけれどたまたまそういう時代だったのであって、これをもたらしてくれた方々への感謝の念は決して忘れずにいるのですよ。


















0 件のコメント:

コメントを投稿