2019年6月28日金曜日

困ったなあ

ノンちゃんから私に託された家は、北軽井沢という交通の不便なところにある。
鉄道の駅がないから、軽井沢からバスかタクシーで30分峠を越えてエッチラオッチラ、それもかなりの急坂を登ってくる。
当然車がないと二進も三進もいかない。
買い物するにもレストランに行くのも、コンビニですら歩いてはいけない。
年をとってからこのようなところに住むのは、馬鹿としか言いようがないけれど、美しい雑木林と清冽な水。
なによりも清々しい空気、そして完全な闇夜など、人にとって当然だったものに戻れる。
ノンちゃんとの約束だから10年は住みたい。
そのノンちゃんがこの家を建てたのは今から10年前、なんと御年78才。

ふつうは年をとると生活を縮小していくのに、彼女は拡大していった。
去年彼女は言っていた。
ここで本当に理想の生活が送れたと。
ノンちゃんは車の運転ができなかったから、お隣さんやご主人の運転でここまで来ていた。
本当は私に乗せてもらいたかったらしいけれど、私はわさわさした生活で中々ゆっくり北軽に行かれない。
スケジュールが合わないので、たまにしか乗せてあげることができなかったのが悔やまれる。
人生すべて後悔の連続。
楽天家の私はすぐに忘れるけれど、人にも猫にも、もっとああしてあげれば良かったといつも思う。

渋谷から草津に行くバス路線で行けると知ったのはつい最近のこと。
一度乗ったらとても快適だった。
先日遊びに来た姉が先に帰ったときに、バスで渋谷まで乗っていった。
聞けばたいそう快適だったようだ。

最近風当たりの強い高齢者の運転事故頻発で、いつ法令が改正されるかもしれない。
私は今まで事故らしい事故は起こしたことがない。
時々電信柱がすり寄ってきたり、入れようと思った駐車場の入り口が突然狭くなったりすることはあったものの、対自動車や人という事故の経験はない。
それは私が事故は「起こるもの」として運転しているからだと思う。

自分は事故は起こさないなんて、絶対に考えたことはない。
どんなに用心してもしすぎることはないと思っている。
たとえば子供と手を繋いで歩いている人、当然子供は歩道側にいても、いきなり親の手を振り払って走り出すなんてことも考えられるから、通り過ぎるまでは子供から注意をそらさない。
普段大きな口をきいていても、私の本質は臆病。
ハンドルを握った途端、細心の注意をはらう。
その割に自分だけのダメージに終わることには無頓着。
段差をドカンと乗り越えたり、ポールに頬ずりしたりはよくやることで。

私はこれから北軽井沢で半分以上は生活したいと思っているけれど、車の運転を制限されたらほぼ不可能になってしまう。
荷物は宅配すればいいから、自分の体だけならバスが最適。
しかし、猫がいると車は必要不可欠なのだ。
バスの走行中にニャアニャア鳴かれたら、たまったものではない。
その上楽器という厄介な手のかかるものも一緒となると、両方持って荷物を持っては、ほぼ不可能。
高齢者の運転は確実に制限の方向に向いていると思う。
例えばあと5年で高齢者の運転が禁止されたら・・・どうする?

今乗っているシルフィーは10年もの。
いくらなんでもそろそろ担当の日産マンの忍耐も限界らしく、自動運転のハイブリッドカーを勧められている。
もちろん私も自動ブレーキ装置はありがたく受け入れようと思うけれど、運転の楽しみが半減しないだろうか。
踏んでも加速しないアクセルとか、白線を越えられないとか・・・雪道で白線が消えたらどうするんだろう。
真っ白な山道で車は、果たしてどこまでが車道でどこからが崖なんて判断してくれるのだろうか。

ふん!あんたなんかよりずっと賢いさと言われそうだけれど。


















2019年6月26日水曜日

さくらんぼ

届いたさくらんぼを、毎年送ってくださる方からの物と勘違いしてお礼を言ってしまったのは昨日のこと。
今朝、お礼を言った人からさくらんぼが届いた。
昨日午後の電話でお礼を言って今朝届いたのだから、私が電話で催促したようにとられたのではなく、すでに手配済みだったことがわかってホッとした。
たぶんさくらんぼ農園からの出荷時期がだいたい同じ?

ツヤツヤの赤い宝石のようなさくらんぼがいっぱい!
すごくリッチになった気分。
一人暮らしでこんなにたくさんのさくらんぼをどうしよう。
ご近所におすそ分け?
いやいや、一人で全部食べよう。

言っておくけれど、私は決してケチな方ではない。
たくさんあれば人と分け合うことに吝かではない。
でも、これは誰にもあげないで一人でウフウフと言いながら平らげよう。
チョコレートを頂いたときもそうだけれど、すぐに太る体質だからたくさんあるのは非常に危険、でもチョコレートもおすそ分けの例外。
誰にもあげないで、夜中に美味しいブランデーと一緒に食べる至福のときは譲れない。

最近他の人に食べさせるための料理をしなくなったら、とても偏食になってきた。
まず通販のレトルト、フリーズドライなどの食品を買い込んでお湯をわかすだけで済ませている。
一人では食材を買い込むと必ず多すぎて余らせる。
キャベツなんか中まで食べきるのは大変なのだ。
そのうち色が変わって不味そうになって捨ててしまうのは実にもったいない。

北軽井沢でキャベツを買ってきたけれど、近所にくばっても友人にあげても、持て余している。
それでここしばらく作らなかったスムージーを作って野菜を消費しようと、ジューサーを買ってきた。
買いすぎた食材を消費するために余計な調理器具まで買い込むのは、せっかくたくさんの不用品を捨てたことに反する行為。
これは野菜消費のためと自分自身に言い聞かせる。

なにを買っても量が多すぎるので、数日同じものを食べ続けることが多くなった。
3日ほど前、友人が北軽のキャベツを貰いに行くと言ってきた。
キャベツだけではお愛想なしだから、近所のお惣菜屋さんのコロッケとメンチカツ、唐揚げをおまけに付けて上げた。
キャベツとコロッケはゴールデンコンビ。
ここのコロッケは美味しくて、うちに来た人たちが買って帰るほど。

それで同じだけ自分用に買ったら、毎日食べても中々減らない。
唐揚げを食べ続け、コロッケは冷凍して、キャベツはまだ大きな顔で冷蔵庫の野菜室に、デンと居座っている。
この人に出ていってもらうにはどうしたらいいのか考えて、ジューサーを買った次第。
キャベツがあるうちは他の野菜を買うのは無駄なので、これをなんとかして食べ切ろうと思った。
なにもかも多すぎて・・・と言いながら大量のさくらんぼを隠匿するいじましさ。
今日から明日にかけてさくらんぼだけで過ごすつもり。
栄養?偏ったからと言って、どうってことないでしょう。

これから美しくなれるわけじゃなし、頭が良くなるわけでもなし。















又、失敗!

いつもセカセカとしているので、自分の思いもよらぬ失敗をしでかすことが多い。
北軽井沢で働きすぎて足首はパンパンに腫れ上がっていた。
布団の整理などするために一日に何回も階段を上り下り。
重たいものを階段からおろしたり、布団を上から蹴落としたり、いつもの何倍もの働きをした。
おかげで体のアチラコチラが痛い。
上半身は日頃楽器を弾くことで随分鍛えられているようなのだ。
肩や腕が痛むことはめったにない。
下半身が弱い。
毎日散歩はするけれど、やりすぎると足首や膝に来るから適当にやっている。
筋トレに行っているけれど、楽器の練習のように毎日するわけではない。
それで、今回の家の片付けで身体中ミシミシと軋んでいる。

帰宅してから寝てばかり。
今日も昼過ぎにちょっと横になったら、午後の4時まで眠ってしまった。
目が覚めたら黒猫ヤマトさんからメールが入っていて、お届けに上がりましたがお留守なので持ち帰りました、と。
その時間、私家にいたのですがねえ。
たぶん爆睡していて、チャイムの音にも気がつかなかったのかと。

夜、ちゃんと眠ればいいものを、夜中に目がさめるとすっきりしていて、本を読んだりお茶を飲んだり。
夜明けまで楽しく過ごす。
これがいけない。

電話して荷物の再配達を頼んだ。
ヤマトのおにいさんは近くにいたらしく、すぐに配達してくれた。
あ、さくらんぼ!
この季節、毎年同じ人からさくらんぼをいただく。
今年もそんな季節になったかと蓋を開けて一つつまむと、甘酸っぱい瑞々しい味が舌から鼻を拔けて口の中に広がっていく。

いけない、食べるより先にお礼を言わないと。
すぐに電話をかけると「どういたしまして、毎年この季節の行事ですから」
そそくさと相手は電話を終えた。
忙しい人だからなにか用事があるのだろうと、なおも一つつまんでは口に入れ、次々と箱の半分食べてしまった。

届いた箱の宛名を見ると、ん?送り主の名前が違う。
あら、いつもの人でなく、山形でさくらんぼ農園をやっている親戚の名前が見えた。
きゃあ、どうも様子が変だった。
送ってくれた人にではなく、毎年送ってくれる人にお礼を言ってしまった。
毎年の人は、あるいはまだ送る前だったか、それとも今年はもう私に送らないつもりだったのに先にお礼を言われて、今頃、あわてて送る手配をしているかもしれない。
あるいは家族の誰かが手配したと思って確かめている最中か、何時の間にか送られているから私を送り先から削除しているか、ええ?どうなってるの状態なのか。

思い込んでいたからためらわず電話をしてしまったけれど、これが催促のように受け取られたらどうしよう。
食べながらクックと笑ってしまった。
どちらでもいいわ、とにかく美味しい。
それにお礼を言われた人は、私がいかにドジであるかよくご存知で、これしきのことでは驚かない。
もっとひどいことをしても笑って済ませてくれる。

とかくオッチョコチョイというものは、騒動の種。
それでも悪気が無いから許してもらえるけど。
いや、悪気が無いだけに始末に負えないのかも。

この年になってもこの体たらく。
しかし、美味しいなあ。
もう箱のあらかたが消えて、次の箱に手が伸びる。
























2019年6月24日月曜日

後片付け

ノンちゃんは北軽井沢の家から東京の自宅に帰宅したその夜具合が悪くなり、あっという間に逝ってしまった。
だから私が家を引き継いだときは、そっくりそのまま。
全く昨日まで住んでいた状態。
それを整理して自分の住まいにするには、掃除や不用品の廃棄、形見の品の始末など山のような仕事が待っていた。

先月、家の名義の書き換えが一段落して最後の手続きに入るまでになったとき、一度整理のために泊まりに行った。
私の流儀はまず全部捨てることから始まる。
目についたものはすべて考え無しで捨てる。
これはどうしよう、あとで使えるなんて思ったら失敗する。
可愛いフィギュア、ノンちゃんが世界のあちこち、特に東欧が好きでチェコなどで手に入れた物でも容赦なく捨てる。
お隣さんはノンちゃんのそういうものへのこだわりを長年見ていて、愛着ひとしおだったものを私があっさり捨てたのを見て、びっくり仰天!

私はノンちゃんが好きだっただけであって、その人の持ち物にはとんと関心がない。
それで一悶着あって、お隣さんは私のあまりの捨てっぷりに恐れをなしたようだ。
その後からは、一声かけてから捨てるようになった。
その時も有料のゴミ袋の特大に20個くらい廃棄。

今回も衣類や布団をすべて、すてることに。
のんちゃんの着ていた服はすべて上等で、殆どがオーダーされたものなのだ。
紬や、丈夫な藍染の木綿類などは年月が経っても古くならない。
それはあまりにももったいないので、気に入った人に持っていってもらうことにした。
私は薄くてヒラヒラしたものが好きでノンちゃんとは全く趣味が違う。
残念ながらサイズもノンちゃんのほうがずっと骨格が大きく、私には合わない。

やっと衣類が片付いて、寝具の始末。
北軽井沢の冬は寒い。
押入れ一杯の布団がギュウギュウに詰まっていて、いったいこの可愛らしい家に何人泊めるつもりだったのかしらと訝るほどの量。
特大のゴミ袋はあっという間に20個に及んだ。
ノンちゃんは決して安物は使わなかったので、捨てるには惜しい上等な羽毛の布団などが私の手で惜しげもなく廃棄されてしまった。
私は薄くて軽くて洗濯機でじゃぶじゃぶ洗えるものを揃えるつもりなのだ。

一番の難物は暖炉前のラグ。
ノンちゃんが布を引き裂いて、それを織物に仕立て上げた最高傑作。
布の材質や色などの配置がそれは見事で、こんなふうな手仕事ができる人だから人形制作の世界でも高い評価を受けて、ニッセイのバックステージ賞を受けたことも納得がいく。
全てに手抜きをしない性格が現れているのがこのラグで、一番始めにこれを見た人たちは驚嘆するのが常だった。
これだけは私でも捨てられない。
けれど、暖炉で火を炊いて、灰や風で舞い込んだ落ち葉や昆虫の亡骸などついていて、汚れている。
自宅に持ち帰った私は、浴槽の残り湯に一晩漬けておいた。
今朝見たら、水はものすごく汚れていて、その後洗剤を入れた水にもう一度漬けて、それから洗濯機に入れて長い時間のコースで洗濯。
その後もう一度短いコースで洗濯。
やっとこざっぱりとしてベランダに干されている。

これを持ち帰ってノンちゃんの家に戻す。
ノンちゃんもまた、私の人生を彩ってくれた大切な友人だった。
世代の差を越えてお付き合いしていただいた。
ノンちゃん(などと言える立場ではないけれど)私のような若輩者を対等に扱ってくださって本当にありがとうございました。

経済的に豊かではないのに家を2軒持つということは無謀とも言える。
それはでも、あまり心配はしていない。
なにしろ北軽では、キャベツの特大玉5個くらいで500円、玉ねぎが20個位入ったネットが800円とか、大きなレタス1個買ったら50円。
つつましく暮せばなんとか食べていける。
やはり自転車を買おう。
カゴ付きの自転車なら、大根を3本、トマト一箱くらいは積める。
贅沢さえしなければと言いたいところだけれど、この新鮮な野菜が都会人から見たら、ものすごく贅沢な話なのだ。

水源地だから水はきれい、空気は美味しい。
テレビがなくても退屈しない。
あまりにも人間離れした生活だったので、世の中がどうなっているかも知らなかった。
なにやら逃走中の犯人が捕まったとか。
地震があったとか、なにも知らなかった。
ひたすら木々と会話して過ごした。
夜は暖炉に薪をくべて過ごし、炎はずっと見ていても飽きない。

結構疲れて帰ってきたので、帰宅した途端ロングスリーパーに早変わり。
いつもは運動量が足りないからたくさん眠れないのだと納得。
このあと来月は、まだ取り掛かっていないけれど物置の整理。
お風呂が故障しているので修理してもらうのと、床暖房が頼りないので石油ファンヒーターの取り付け、ハウスクリーニングとまだまだ続く。
ゆったりと過ごせる様になるには、まだ時間もお金もかかる。




































2019年6月22日土曜日

浄化作用

北軽井沢の林の中の小さな家で、1週間ほど過ごした。
今回は姉と猫が同行。
植物好きの姉は木々を見て歓声を上げた。

ああ、こんなに素敵なところとは思わなかった。
家を買うというから、とんでもないことをと思ったけれど、これは良いわ、と。

家はひたすら林の中。
他になにもない。
夜は真っ暗で、懐中電灯がなければ自分の足元も見えない。
買い物に行くには車がないと店にたどり着けない。

気温が低いからきれいな花が咲き乱れる時期は少ない。
ただ木がニョキニョキと生い茂っている。
その木も特に珍しいものではないけれど、落葉樹だから冬は葉が落ちて空が見える。
しかし、今の時期には葉が空の全容を見ることを妨げるくらい、伸び伸びと手足を伸ばしている。
だからノンちゃんの家は、この時期日差しを遮られている。
只々緑色の海の中を漂っているような感じがする。

初めてこの家に来たとき、私がこの景色をたいそう喜んで、飽かずに眺めていたのがノンちゃんの気持ちに沿ったようだ。
その後、ノンちゃんは私を後継者として考えてくれた。
私もここに住みたいけれど、それにはなにもかも2倍の費用がかかることを考えて、およそ不可能なこととして半ばあきらめていた。

ある時、ノンちゃんが突然「あの家を買ってください」と言い出した。
熟考の末の決断だったようだ。
去年ノンちゃんがこの家を手放すと決めてから、彼女は急激に元気をなくした。
私は家が私のものになったら、ノンちゃんをゲストとしていつでもお世話する用意があることを告げた。
私は今までさんざんここで時間を過ごしたのだから、来年からは私がノンちゃんをおもてなししますねと言うと、寂しそうに笑っていた。
彼女は自分の最後の時が迫っているのを理解していたのか。
それともここを手放すことがノンちゃんの生命力を奪ったのか。

実は私の姉もニックネームはノンちゃん。
無類の植物好きで、植物のことになると気が狂う。
自宅の庭は木を植えすぎて、ジャングルのよう。

2日目、軽井沢在住のY子さんの案内で白糸の滝や植物園を訪れた。
植物園で姉は無関心な私とは違って、いかにも楽しそうに見ている。
喋りだしたら止まらない。
特に大マムシソウという変な名前の花に気をとられていた。
こんな変な名前で可哀想などと同情している。
それがどうした、と私は無関心。
花の形が蛇が鎌首をもたげたようだからじゃないの?

よく見ると、花の形も鎌首みたいだけれど茎がダンダラの蛇模様なのに気がついた姉は、自分の発見に大いに気をよくしていた。
ああ、だからこんな変な名前なんだわと自分に言い聞かせるようにつぶやいていた。
3日め、姉は北軽井沢から渋谷へとバスで帰っていった。
3日前到着したときの姉は具合が悪く、ほとんど物を食べなかった。
2日め、起床とともに「ああ、お腹空いた」
帰宅するときにはシャキシャキとバス旅行を楽しんで帰ったようだ。

その日の夜、猫は自分のねぐらのクローゼットから晴れて部屋を徘回できるようになった。
家中を点検して私以外の人間がいないことを確かめると、やっと伸び伸び遊ぶようになった。
どこまで意固地で人見知りなのか。
こんな子に育てたつもりはないのに。

それからは猫と二人で静かな夜を過ごした。
お隣さんと温泉に行ったり、ルオムの森のオーナーの明美さんも加わって夕飯をごちそうになったり。
楽しく過ごしていたらあっという間にときは過ぎて、今朝夜明けに出発、帰宅した。

2日め、軽井沢のK子さんと待ち合わせをしたのはエロイーズカフェ。
エロイーズ・カニングハムさんという女性がいた。
戦後、日本人の子供達に音楽教育をするために音楽会を開いていた。
私は中学校の音楽の教師から、その音楽会のチケットをもらった。
曲目はスメタナのわが祖国より「モルダウ」
演奏は東京交響楽団。
それを聞いたとき、私はふと「このオーケストラに入りたい」と思った。
まさかそれが実現することになるとは・・・

人に遅れること5年、しかも始めて2年で中断、2年後中学生になってから再開したヴァイオリン。
とうていプロになれるような環境ではなかったけれど、大学を卒業する頃にやっと人に追いついて、その後はチャンスに恵まれて今の私がある。
それもカニングハムさんの音楽会がきっかけだったことをエロイーズカフェのマスターに話したら「鳥肌がたちました」と感激された。
今このカフェではコンサートを開いていないらしい。
軽井沢の条例で、カフェとコンサートの両立ができないとか。
おしゃれな街がこんな野暮な条例を作って文化的なことの芽を摘んでどうする。
サロンに置かれたピアノが寂しそう。
エロイーズ・カニングハムさんが使っていたピアノだそうで。

その後私はカニングハムさんと、ここ軽井沢の彼女の別荘に来たことがあった。
どうしてそういうことになったのかは忘れたけれど、こんなに暗い場所があるのかとびっくりしたことだけ覚えている。

エロイーズカフェで朝食を食べた。
フレンチトースト、エッグベネディクト、サラダ、紅茶。
すてきに美味しいから、軽井沢を訪れたときにはぜひお試しあれ。
でも、北軽井沢もずいぶん開けてきましたよ。
これからの伸びしろは北軽にあり。






































2019年6月17日月曜日

猫、恐怖の旅行

明日から涼しい(と思う)北軽井沢で過ごすことにした。
今回は姉と猫と一緒で。
猫は私以外の誰にも姿を見せない幻の猫。
いったい毛色はどうなのか、鳴き声はどんなか、誰も知らない。
でもどこにでもいるふつうのキジ猫。
ムラムラの毛色が無秩序にならんでいて、決して美人とは言えない。

明日はまた恐怖のドライブが待っているとも知らず、喉をゴロゴロ言わせて甘えてくる。
先日北軽井沢に行ったときに、猫のためのケージを組みたてて半ばにして放り投げてきたら、お隣さんが続きを完成させてくれたようだ。

今回の期待は、かの地に私の生徒のご親戚が住んでいるときいたこと。
その方は、はじめのうちは都内と半々で暮らしていたけれど、今やすっかりあちらに住民票も移されたとか。
私も田舎暮らしが合っているかもしれないので、そのうちあちらに拠点が移るかもしれない。
年をとってからの田舎暮らしは非常に問題が多くて、なかなか大変という意見もあるけれど、私は過去十年くらい、ノンちゃんの家で夏を過ごしてきた。
あちらには強力なサポーターズもいるし、一人で色々開拓するのも楽しい。
田舎は大変、常に人目があると聞くけれど、今住んでいるところだって大変なのだ。
私の父が亡くなったときの相続のことまで、近所の人のほうが先に知っていたという恐怖。
あそこは**ちゃんがもらうんだって?と訊かれて、あら、そうなのと答える私。
なんで?

自転車を買おうと思った。
どこへ行くにも距離があって交通機関が不備だから、自転車は必需品と思ったら、田舎で自転車に乗ると変な人と思われるという忠告を受けた。
車を買えないほど貧乏なのかと言われるらしい。
ヘッ!なにそれ。
それは本当で、ここ10年同じ車に乗っている。
新車を買う余裕はない。
コンビニに行くのも田舎では車でが常識らしい。
散歩をしても変人となるらしい。
変人結構、子供の頃からレッテルはられているから、いまさら驚くこたあない。

そもそも変人とは個性豊かな人ということにすれば、すこしも悪くない。
人それぞれ全く違うのに、どうやって変人と区分けをするのか、訊いてみたい。
誰から見ても他人は変な人。
どこから見ても常識人、育ちもよくいつもどんなことも手を抜かないできちんと振る舞う人は多い。
しかし私は、そういう人の本性がチラッと見えたときに恐怖を感じる。
言葉の端々、ちょっとした仕草などに現れる本心は闇。
人前で立派に振る舞う人ほど怖いことがある。

鎧を着て自分を作り上げて、さぞや、重たい人生だろうと同情したくなる。
そこへいくと私なんざあ、軽いものですわ。
言いたいことは口に出す。
やりたいことはなんでもやってしまう。
挙げ句は変人のレッテル。
でも一度レッテルはられてしまえばもうこっちのもの。
これ以上落ちようがない。

猫は全く本性で生きているから、野良猫同士の軋轢も大変なもの。
最初に餌をやった白黒ねこが私になついているのが許せなかったボス猫は、彼女を追いかけ回してついにテリトリーから追い出した。
見ているだけで胸が悪くなるようないじめ方。
雨の降る日、情けない声で近所の家のベランダで鳴いていた白黒を激しく追いかけて、それ以来白黒の姿は見えなくなった。
梅雨寒のこの時期に、空腹でさまよう白黒を想像して涙がこぼれた。

それ以来、ボスのシマトラ猫は我が家の餌場から放逐された。
私の怒りはものすごく、シマトラ退治用の箒が用意されている。
シマトラも可哀想だけれど、なにも罪のない白黒をいじめた罰はうけないといけない。
かれらは常に餌場の保険はかけてあるから、私がやらなくてもどこかしらで食べていける。
近所に猫好きは多い。
でもうちの餌は量もたっぷり、美味しいものが常にあったから、彼らにとっては最上のレストランだったはず。

シマトラ以外の猫はまだ食べさせているけれど、留守中は餌を置かないことにした。
少し前に留守中の野良の世話を近所の人にお願いしたらやたらにばらまいたらしく、すっかりカラスや他の野良たちが荒らすようになった。
餌をちゃんと片付けないで放置したため、近くのゴミ捨て場まで大荒れになってしまい懲りたので、今回は可哀想でも餌は他でみつけてもらうことにした。
帰ってきたらまた世話をするけれど、しばらくは他で食べてちょうだい。
しっかり生きるんだよ、野良さんたち。























2019年6月8日土曜日

愚痴を言ったら

グチグチ言ったら気分が晴れて(全くもって単純なのだ私は)弓の毛を張り替えにでかけた。
弓といえば福田さん。
先代のお父さまからのお付き合いだから、もう半世紀以上通っているかもしれない。
一度だけ、他の楽器屋さんに毛替えをやらせてくださいと頼まれてやってもらったことがあった。
ほぼ使い物にならず、やはり福田さんに張り替えてもらった。

使い物にならない楽器屋さんは、ぜひ福田さんの技術を見せてくださいと言うから、張り替えたあと見せてあげた。
しきりに唸って、感心していた。
「この毛箱の角のところの毛がこうカーブしているでしょう。この技術ができる人はすくないのですよ」と解説された。
それなら自分もその技術を盗めばいいのに、唸っていてもうまくはならないでしょうが。
毛箱というのは弓の持ち手のところにある箱。
ここに毛の張力を調整するネジの部分が収まっている。
大抵は象嵌で美しく飾られている。

毛替えをしたときは一目散に家に戻る。
張り具合を確かめたくて大急ぎ。
よしよし、今日も満足。
弓の張力は季節、天候などによって、微妙に張り方が違う。
たぶんそのへんは張る方の人も、苦労するのだと思う。
ヴァイオリンほど湿度の影響を受けやすい楽器はないと思う。
鳴り方が変わったなと思うと、雨模様になってきたり。
レッスン室は人がいなくてもほぼ空調入れっぱなし。
それでも気密室ではないから、天候の影響は断ち切れない。

一つ前の投稿で愚痴ったけれど、音がでない、音が悪いと最近の悩みだった。
けれど、今日毛替えをしたらすごく良くなった。
自分の腕のせいにして暗くなっていたけれど、毛が劣化していたことも大きな原因だったようで、毛替えをする気力も無くなっていた私が最悪な状況だったのだ。
これから少しずつ良くなっていく自分を信じていこう。
失ったものは取り戻すことはできない。
それなのにそのことに囚われている自分が情けない。

動物学者のコンラート・ローレンツ博士が言っている。
最愛のペットを失ったときにはすぐに次のペットを飼いなさい。
猫や犬ならそうできるけど、人間ではままならない。

今朝、駐車場の野良猫を保護しようとして家の玄関に入れたら大騒ぎになった。
いつもくる野良は全部で5匹。
キジトラ2匹、白黒2匹、白黒シマトラ1匹。
この最後のシマトラが唯一、オス猫。
最初ははっきりとした白黒模様が一番猫だった。
シマトラはそっと遠くから皆が食事しているのを眺め、終わった頃遠慮がちに残り物を食べていった。
ところがだんだん私が危険でないことがわかると、態度が変化していった。
そして一番猫だった白黒が私になついてすり寄っているのが気に入らなかったらしい。
白黒を目の敵にし始めて、餌場に寄り付かせないようにし始めた。
可哀想な白黒は、数日餌にありつけないこともあり、段々痩せていった。
それで、この白黒を保護しようと私は余計な行動に出た。

白黒は餌を食べているときはとても無防備になるから、隙をついて捕獲、玄関に入れてドアを閉めた。
猫は最初は餌につられて気が付かなかったようだけれど、ドアが閉まっていて閉じ込められたと知ったらパニックを起こした。
大きな声で泣き叫びはじめ、3階の住人が何事かと階段を駆け下りてくる音がした。
彼女も無類の猫好きなのだ。
ドアの枠に爪を立てる猫、すごい勢いでバタバタと降りてくる足音に怯えるので、諦めてドアを開けて逃した。
この次は建物に私一人のときに実行しよう。

シマトラは最近私に叱られるので、徐々に一番猫の座を譲り渡す様子も見られる。
頭の良い子なのだ。
しかし、単なるポーズかもしれないから、他の場所で白黒をいじめているような気がする。
時々近所で、ぎゃあー!という悲鳴が聞こえることがあるので。
猫も人間も、他人(他にゃん)よりも上に出ようという性格の者がいる。
これはどうしてなのか、そういう願望のない私には理解できない。
私は個体は他の個体の上でも下でもないと思っている。
それぞれの存在があるだけ。
今朝来たのはシマトラともう一匹のみ、白黒は現れなかった。
余計なお世話を焼いて怯えさせてしまったようだ。

私が子供の頃から猫はいつも身近にいた。
数匹いるところへ新しい猫が入ってくると大騒ぎになる。
元々いる猫の中でも新入りをいじめるもの、無視するもの、平気で受け入れるものがいて、私はその都度ハラハラして世話を焼いた。
けれど姉が「猫は猫同士だから手を出さないようにしたら?」と言った。
それでしばらく傍観していると、いつの間にか新入りは自分の居場所を見つけてなじんでくる。
それ以来、黙って見ていることにした。

それこそ殺してしまうのではと思うほどいじめるのに決して怪我もさせない、猫社会の掟はちゃんと規律ができている。
吾が子でさえ理性の枠を超えて死なせてしまうのは人間だけ。
動物一の知恵者は人だと思っている人間の傲慢さが、母性では猫にも劣ると気が付かせない。

猫に気を取られて気が紛れる。
私は段々元気になってきたのでご心配なく。
ただ落ち込んだときにはおもいきり落ち込むと良い。
変に元気そうに振る舞う必要はない。
やたら前向きに行動しなくても良い。
あくまでも自分の心に忠実に泣いたり笑ったりすれば良い。
素直に何事も受け入れて悪あがきしない。
私の長~い人生の中で得た教訓ですのにゃ。
猫のようにね。





































2019年6月6日木曜日

睡眠の異変

ここ数年というより数十年間、私は眠らない人だった。
私の父が超ショートスリーパーで健康長寿だったから、別に気にもしていなかった。
毎日、3~5時間、5時間眠ると少し寝すぎの感じだった。
2時間眠れれば次の日の活動に支障はない。

先日、去年なくなった連れ合いの納骨を済ませ家に帰ると、それっきり眠ってしまった。
時々目がさめるものの、横になっていればすぐに睡眠に落ちていった。
それが午後4時ころ、そして次の日の朝、ようやくベッドから起き上がったのは午前7時少し前。
時計が狂っているのかと思った。
それとも夕方の7時?
それにしては周囲の様子は朝。

一体どうしたのかと訝って起床したものの、食事をすれば眠くなる。
昼寝までして、これでは夜は眠れないと思ったら、とんでもない。
横になるとあっという間に眠ってしまう。
結局次の日もうつらうつらと過ごし、時々仕事をしてはまた眠る。
座ってテレビを見ていても、いつの間にか椅子に座ったまま眠ってしまう。
本を読めばいつの間にか頭を垂れて、眼鏡が外れて・・・
夜もしっかりと眠れた。

それが3、4日続いて、体はだるく、足がしびれて歩けないほど。
思えば10ヶ月前から始まった恐ろしい日々。
山のような書類と次々に届く役所や金融機関からのお知らせ。
金融機関に行っても、相手の言うことの半分もわからない。
普通の人だったらわかるのかしら。
もがき苦しんで、ようやく正しい道筋を見つけたのが、ほんの2ヶ月ほど前。
周りに気を使うことが多くて、いつもマイペースではいられない。
私の最も不得意な分野での悪戦苦闘がようやく終わったのだ。
期限ギリギリでなんとかすべてクリアした。
最後の印鑑証明が1日期限過ぎていたけれど、それは大目に見てくれた。

いい勉強になりましたとも。
こんな訳のわからないことを世の中の人達はどうやって片付けているのかしら。
だれに聞いても本当に大変だったという。
中には自分はそれほど苦労しなかったという人もいるけれど、そういう人はそもそも家族が少ない。
気を使うべき親戚もいない。
相続人は自分のみ。
だったら本当に楽なのだ。
どこに本籍があるかわからない親類。
謄本に記載されている見知らぬ名前もないだろうし。
依頼しても中々届かない戸籍謄本や印鑑証明書。
眠れない日々が続いた。

役所に問い合わせると、長々と説明を受けて頭を下げて書類を何枚取得したことか。
問合わせる役所の所在地探しもひと苦労。
本籍地がわからない兄弟もいたので。
最後は司法書士さんの「これだけはご自分で」という言葉を断固拒否して、お願いした。

この10ヶ月の時間の無駄は計り知れない。
体は急激に老化したみたいで、精神は不安定。
あんなに幸せだった日常が、辛くて悲しくてやりきれない。
ヴァイオリンの練習時間が激減して、すっかり下手くそになってしまった。
音がでない、音程取れない。

長時間の睡眠の後にやっと平常な生活に戻ったら、わずかに音が変化してきた。
かすかな光が差し込んできたけれど、私の年齢でこのブランクは痛い。
取り戻すのには時間がかかる。

そして今、これまでに感じたことがなかった深い悲しみに襲われている。
種々の事務手続きに追われて感じる間もなかったけれど、家族を失うということはこれほど無残なものかと今にして思う。
私のように一人でいるのが寂しくなかった者でも、今は底知れない寂寥感に苛まれている。
これをどう乗り越えるか。
猫と二人で生きていくけれど、万一私か猫のどちらかが消えたらと思うと、心配の種は尽きない。
昼夜問わず、急に心の底が拔けてしまうような悲しさ。
こんなにだらしないとは自分でも思っていなかった。
今までなにがあっても負けなかったのに、年老いて孤独で悲しい。
悲しい、悲しい、悲しい・・・くどい!
そのうちまたヘラヘラと笑っていられる日が来るのだから我慢!
どれほど周囲にひとがいようと、寂しさは癒やされない。
モーツァルトの音楽の根底にある壮絶な悲しみが、身をもって理解できることになったらしい。
やっと、この歳になってね。
私のように臆面もなくこういうことが言える人はいいけれど、じっと心にしまい込む人だったら、どれほど苦しいことか。

お墓は樹木葬で小高い丘の上。
風が吹き渡り、うぐいすがまだ鳴いていた。
見学に行ったときは満開の桜に囲まれた理想的な墓地だった。
友人の見学に従いていったら、私のほうが先に決めてしまった。
その後友人が隣のスペースゲット、仲良く2軒で並んで入ることにした。

うちのお墓、まだあと二人入れますよ。
ご希望の方はご一緒にいかがですか?
毎晩一緒に飲めるではありませんか。
ちなみにペットも可だそうですが、埋葬料金は人間と一緒。























2019年6月5日水曜日

nekotama家を乗っ取られる

今年の北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルには弦楽器の助っ人が2人。
かつて、オーケストラで一緒に弾いたゆかりちゃんと、私が辞めてから入団したメゲちゃん。
二人共現役バリバリだから生きが良い。

今日は初めて全員集合となり、我が家の狭いレッスン室に人がひしめき合って、満員御礼状態。
練習は和気藹々ながら厳しく進められて、はじめての音合わせはお互いに本番までには弾けるようになりたいという希望的な言葉で締めくくられた。

今日の練習開始時間は午前11時。
はじめの打ち合わせでは午後1時からの予定だったけれど、私が急遽他のコンサートの練習に出なければならなくなり、自宅を午後2時に出ることになったため、午前中から始めてもらった。
約2時間半の練習終了後、楽しいランチタイム。
私が用意したのはコンビニのおにぎりと近所のコロッケ屋さんの鳥唐揚げ。
ここのコロッケはわざわざ遠くから買いに来る人もいるくらい、美味しい。
店のおじさんに、お昼に食べるから12時には揚げておいてと頼んだのに、取りに行くのを忘れて大幅遅刻。
それでもホカホカの柔らかい鶏唐揚げはおいしいと大好評。

他の人達もなにかしら持参してきたので、食べ物が次々と出てくるのに、ゆかりちゃんは目を丸くして驚いている。
えー、こんなに食べ物が?とかなんとか。
そうよ、これが本来の目的なのよ、練習は口実なのよ。
余ったら持って帰って!
お皿は洗ったりしてはだめよ!
レッスン室で洗うと、流しに食べ物のカスが残ったりするから。
残していくものは冷蔵庫にね!
ゴミは捨てて!
自分だけ出かけるので腹を立てながら口やかましく注意事項を叫んでも、は~い!という気のない返事。
君たち、ここが飲食店だと思っていないかい?

しかし、私は大急ぎでおにぎりを頬張って立川市民ホールへと車を走らせた。
皆私が大家だということを忘れたかのように、知らん顔で楽しそうに食べたりおしゃべりをしたり。
あ~ん、私も遊びたいよー、食べたいよーと訴えても、だれも取り合ってくれない。
お仕事お仕事・・とにかく行かねば。

いってきま~すと声をあげても、はーい!
なによ、ここは私の家なのに、なんでみんな楽しそうにあそんでるのよ。

数年前まで毎年来日していたロンドンアンサンブルも、ここで良く練習したっけ。
その時も私が留守になるときには彼らに鍵を預けて、私は出かけることもあった。
今日も鍵を預けてでかけた。

立川市民会館での練習をなんとか弾きおわり、家路を急ぐ。
帰ってみるとレッスン室はきれいに片付いて、私が夕飯に食べられるくらいの食料はちゃんと残っていて、ゴミはまとめられ、さすがに手際よい熟女集団はお見事。
安心してこんなことができるのも、お互いツーカーだから。
この片付き様なら、時々家を明け渡すのも悪くない。
ついでに掃除機と雑巾を置いておいたら、もっときれいになっているかも。

私の悪巧みはだんだんエスカレートして、例えば空っぽの財布を置いておくとどうなるか、実験の価値ありとみたけれど・・・