2019年6月28日金曜日

困ったなあ

ノンちゃんから私に託された家は、北軽井沢という交通の不便なところにある。
鉄道の駅がないから、軽井沢からバスかタクシーで30分峠を越えてエッチラオッチラ、それもかなりの急坂を登ってくる。
当然車がないと二進も三進もいかない。
買い物するにもレストランに行くのも、コンビニですら歩いてはいけない。
年をとってからこのようなところに住むのは、馬鹿としか言いようがないけれど、美しい雑木林と清冽な水。
なによりも清々しい空気、そして完全な闇夜など、人にとって当然だったものに戻れる。
ノンちゃんとの約束だから10年は住みたい。
そのノンちゃんがこの家を建てたのは今から10年前、なんと御年78才。

ふつうは年をとると生活を縮小していくのに、彼女は拡大していった。
去年彼女は言っていた。
ここで本当に理想の生活が送れたと。
ノンちゃんは車の運転ができなかったから、お隣さんやご主人の運転でここまで来ていた。
本当は私に乗せてもらいたかったらしいけれど、私はわさわさした生活で中々ゆっくり北軽に行かれない。
スケジュールが合わないので、たまにしか乗せてあげることができなかったのが悔やまれる。
人生すべて後悔の連続。
楽天家の私はすぐに忘れるけれど、人にも猫にも、もっとああしてあげれば良かったといつも思う。

渋谷から草津に行くバス路線で行けると知ったのはつい最近のこと。
一度乗ったらとても快適だった。
先日遊びに来た姉が先に帰ったときに、バスで渋谷まで乗っていった。
聞けばたいそう快適だったようだ。

最近風当たりの強い高齢者の運転事故頻発で、いつ法令が改正されるかもしれない。
私は今まで事故らしい事故は起こしたことがない。
時々電信柱がすり寄ってきたり、入れようと思った駐車場の入り口が突然狭くなったりすることはあったものの、対自動車や人という事故の経験はない。
それは私が事故は「起こるもの」として運転しているからだと思う。

自分は事故は起こさないなんて、絶対に考えたことはない。
どんなに用心してもしすぎることはないと思っている。
たとえば子供と手を繋いで歩いている人、当然子供は歩道側にいても、いきなり親の手を振り払って走り出すなんてことも考えられるから、通り過ぎるまでは子供から注意をそらさない。
普段大きな口をきいていても、私の本質は臆病。
ハンドルを握った途端、細心の注意をはらう。
その割に自分だけのダメージに終わることには無頓着。
段差をドカンと乗り越えたり、ポールに頬ずりしたりはよくやることで。

私はこれから北軽井沢で半分以上は生活したいと思っているけれど、車の運転を制限されたらほぼ不可能になってしまう。
荷物は宅配すればいいから、自分の体だけならバスが最適。
しかし、猫がいると車は必要不可欠なのだ。
バスの走行中にニャアニャア鳴かれたら、たまったものではない。
その上楽器という厄介な手のかかるものも一緒となると、両方持って荷物を持っては、ほぼ不可能。
高齢者の運転は確実に制限の方向に向いていると思う。
例えばあと5年で高齢者の運転が禁止されたら・・・どうする?

今乗っているシルフィーは10年もの。
いくらなんでもそろそろ担当の日産マンの忍耐も限界らしく、自動運転のハイブリッドカーを勧められている。
もちろん私も自動ブレーキ装置はありがたく受け入れようと思うけれど、運転の楽しみが半減しないだろうか。
踏んでも加速しないアクセルとか、白線を越えられないとか・・・雪道で白線が消えたらどうするんだろう。
真っ白な山道で車は、果たしてどこまでが車道でどこからが崖なんて判断してくれるのだろうか。

ふん!あんたなんかよりずっと賢いさと言われそうだけれど。


















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