2018年8月26日日曜日

又々・・・24時間テレビ

今年も24時間テレビ。
武道館のバックオーケストラのステージに登る階段に、手摺が取り付けられていた。
去年までは手すりはなかったから、私は降りるとき恐々だったけれど、これで安心。
番組の年齢も出演者の年齢も上がってきた。
ただ、表に出るタレントや歌手は今人気の人たちだから、皆若い。
手すりなんかいらない。

仕事に行くのは楽しい。
特に今回は身内の不幸でパニックになっているときで、家にいたら暗く沈み込んでいたと思う。
自分では感情を制御できていると思っているけれど、体が正直に反応している。
ものを食べると数時間後にひどい腹痛がおきてしまう。
だからと言って食べないと力が出ない。
しかし、この力が出ないというのは本当はそうでもないようだ。

数年前、郡山のアマチュアオーケストラのエキストラに行った。
郡山のオーケストラはアマチュアの中でも非常に水準が高いらしい。
マーラーの第5番のシンフォニーを演奏することになった。
今までエキストラを頼まなくても十分な団員がいたのに、震災以後移住する人が続出してメンバーが足りないからというのでお手伝いに。
それはお正月明けのことで、私はひどく体調を崩していた。

全く食物が受け付けられない。
出発する前日には胃がからっぽ。
食べることが出来ない状態で郡山駅到着。
駅構内のうどん屋さんに入って食べようとしてもほんの数本のうどんを啜るのがやっと。
でも練習中は元気にできる。
けれど終わってから宴会に誘われるのは丁重にお断りした。
そんな状態でも大丈夫なものなんだと自分でもびっくりした。
だから今日も殆ど食べなくても大丈夫だと思う。
食べて本番中にお腹が痛くなるほど辛いものはない。
特に今日の番組は最後が長丁場。
ミヤゾンさんが元気に会場に入ってくるまでは、時間が伸びるか予定通りか見当もつかない。

会場の武道館へ行くと、毎年おなじみのメンバーが顔を揃えている。
彼らの良いところはさりげなく慰めてくれること。
いや、むしろ慰めようとしないこと。
なんでもないことのようだけれど、こういうことはよほどデリケートな感情がないとできない。
みなさん人生の達人。
いつの間にか元気が湧いてくる。

最近潮の流れが変わって私の周りの人間関係も微妙に変化した。
それは数年前から始まっていたけれど、最後がこのショックだとは考えもしなかった。
しかし、起きたことは嘆いても仕方がない。

今朝、かつての同僚の奥さんと電話で話した。
あの頃は本当に楽しかったねえと奥さんは言う。
私の家にご夫婦で来たときに私が餃子を焼いて上げた。
途中で電話がかかってきて餃子は真っ黒焦げ。
あのとき餃子をごちそうになって・・・と。
そんな私の黒歴史をまだ覚えているなんて!
彼女のご主人も亡くなっているから、今頃はあちらに行った者と「やあやあ、又お会いしましたね」と仲良く話しているかも。

ときに辛いことがあっても自然の流れ。
この先又良いことあるさと考える脳天気な私が、自分でも恐ろしい。
いったいなにをしでかすことやら。
24時間テレビが、今年は自分への応援になることになるとは思ってもいなかった。


















2018年8月24日金曜日

姪たち

熱も下がって明日からは仕事に出かけられると思っていたら、二人の姪が来てくれた。
ふたりとも仕事があるのに都合をつけて、私の偵察にやってきたらしい。
今朝3時頃、メールなら構わないと思って、姪のうちの妹の方にメールをした。
するとすぐに返信がきて驚いた。
着信音がするので目が覚めてしまったらしい。

いつ来るのと訊くと、午後2時ころになりますという。
それではと、近所に住む姉にも来てもらってお茶会をすることにした。
近所にとても美味しい洋菓子やさんが出来て、専ら私はそこで買っている。
ロールケーキがすごく美味しいのでそれを買ってきた。
コーヒーメーカーをセットして待つ。

二人が現れてケーキを出したけれど、おなかすいてる?と訊くとすいているそうで、レトルトカレーを温めて上げた。
ごめんね、レトルトでと言いながら出すとモリモリ食べたから、ひょっとして私が作るものより美味しいのだろうかと疑った。

しばらく話しているうちに遺産相続の話になった。
昨日銀行へ話しを訊きにいったらあまりにも機械的な説明で、呆れ返って帰ってきた。
彼らは毎日説明するのでうんざりだろうけれど、普通の人は一生に1度か2度しかないことなので、???だらけ。
どこへ行けばその手続ができるのかなど一切説明せず、手渡した紙に書いてあるというだけ。
しかもテレビ電話。
こういうのが1番腹がたつ。
素人には難しいから、司法書士を頼めとかなんとかの助言もない。
自分の専門の分野をわからない人を見下したような態度。
腹がたったからふん!自分でやるさと席を蹴ってかえってきてしまった。
銀行というのは儲けることしか考えていない。
それは商売というものの当たり前だけれど、数十年の顧客を大事にしないといけないのも商売の鉄則でしょうが。

例えばヴァイオリンを初めて持った人に弓を真っ直ぐに引きなさいと言っても、普通の人は真っ直ぐに引けるものではない。
そんなこと簡単さと思うでしょうが。
やってみるとわかるけど、弓を真っ直ぐに引くにはあらゆる関節を柔軟にして各自適度に動かさないと出来ない。
しかも各自、指の長さや手の大きさなどの条件に左右されるから、人それぞれに合ったやり方でないと。
大手の音楽教室ではグループレッスンなので、出来ようが出来まいがどんどん曲が進んでしまうので、悲惨な状態でこちらに泣きついてくる人もいた。
練習ビデオを買って始めた人が、どうしても出来ないからと言って教室に来ることもある。
私なら噛んで含めるように説明して納得するまで練習に付き合う。
決して馬鹿にしたり、急がせたりしない。
人によっては得意不得意があって、すぐできる人もいるし、何年もかかる人もいるけれど、諦めないでゆっくり説明していると、ある日突然壁が取り払われることもある。
その時、本人と教えている教師は大喜び。

銀行の話に戻る。
そういう顛末を話したら、司法書士を紹介してくれたのは姪。
彼女たちの父親がなくなったときにお世話になったそうで、とても良い人だったというので、そこにお願いすることにした。
これで一つ問題解決。

それからガスや水道などの公共料金の支払いはどうなっているの?と訊かれた。
銀行口座が凍結されると料金が落ちないでしょう、すぐに電話して、とも。
それはまったく気がつかなかった。
すると姪に「お嬢様だからね」と言われてしまった。
ウヌ、姪からそんなこと言われるとは思ってもいなかった。
世間知らずをお嬢様というのならたしかにお嬢様、でも本物のお嬢様はできる人が多い。
知人は親族に華族だか男爵だかいたような正真正銘のお嬢様だけど、すごくデキる人で、最近お父様がなくなってテキパキと事務処理もお別れの会も手配していた。
友人たちの多くはお嬢様コースをたどってきた人たちで、やはり皆仕事バリバリで素晴らしく独立している。

姪のおかげで本当に荷が軽くなって、カレーの後もケーキやゼリーやどんどん出すとパクパク面白いように食べる。
若さと元気さが私を楽しくさせてくれた。
なにをどうして良いか途方にくれていたので大いに助かった。
けれど、本人に能力がない人で身内もいない人が一人遺されて、あの銀行の冷たい対応をされたら、なにをしてよいかさっぱりわからないと思う。
他の銀行に口座を移し替えてやると、深く心に復讐を誓った。
もっとも私の貯蓄額では、天下のM銀行には痛くも痒くもないと思うけれど。
けれど雨粒が岩をも穿つかもしれない。





















熱は下がったけど

今日は1番苦手な相続の手続きに銀行へ。
あまりの煩雑さにせっかく下がった熱がぶり返しそう。

まず、相続人は私だけではなく、故人の兄弟、兄弟が亡くなった場合はその子どもたち、要するに甥や姪も相続権があるという。
それは良いのだが、故人の両親の戸籍謄本、その親にまで遡ってのことで、そういうものを取得するのは一体どうしたら良いのかもわからない。
銀行員は淡々と説明する。
今までたくさんの人に説明してきたから、機械的にしないとやりきれないかもしれないけれど、それにしても冷たい。
書類見りゃわかるだろ、バーカ!と言われているようで。

最後にお渡しした書類を見れば書いてありますからと言うけれど、故人の母親の出生地にまで遡らないといけないみたい。
そんなこと誰が知っているのかしら。
あまりにも面倒なので「預金額も少ないからこんな面倒ならもういらないわ。放棄していいんでしょう?」と言ったら、今まで冷静だった人がいきなり慌てだしたので笑った。
「いえいえ、他にも口座がありますから決して少ないとはいえませんから」と言うけれど、世の中の金持ちの遺産から比べたら雀の涙。
司法書士などの手数料を調べたら結構な値段じゃないですか!
これを私と、故人の残っている兄弟、甥、姪で分けて、手数料払ったら、頼むだけ損みたいな気になってきた。

私はお金は好きだけど面倒なことは嫌いだから、面倒なことをするならいらないとおもってしまう。
それでも司法書士を探して採算が合えば頼もうかと思う。
それならば自分でやってみようかと、ふと考えた。
例えば義理の母は東北の浪江の出身。
ずっとご無沙汰していたから彼の地に足を運んでみようか。
震災で大変なことになって、まだ親戚はそこにいるのだろうか。

和歌山に義理の兄がいる。
和歌山を訪問するのも悪くない。
京都に義理の妹。
仙台に甥と姪。
ゆっくり時間をかけていいなら、旅行しながら書類をゲット。
最近の忙しさに紛れて、大好きな旅行もここしばらくしていなかった。

義母の書類を獲得するには、彼女の出生地と誕生日などがわからないといけないと思うけれど、誰か親戚で覚えている人がいるのだろうか。
私の居住区の役所でもらえるのだろうか。
あまりの銀行員の冷たさにめげて、それを獲得する術を聞かなかった。
お渡しした物に書いてありますからと機械的に言われそうなので。















2018年8月22日水曜日

ついにダウン

家の後片付けや亡くなった家人の事務処理をやっていたら、ついに熱を出して寝込んだ。
もともと事務的な能力の欠如が甚だしい。

オーケストラを辞めて間もなく、フリーの仕事が入ってきて見知らぬ人たちと一緒に仕事をするようになった。
初めて会ったヴァイオリンの男性。
最初から気難しげに見えたから、なるべく話しかけないようにしていた。
途中の休憩でお弁当を食べながら、私は顔見知りの女性と話をしていた。
ちょうどギャラの領収書を書いた後で「私はねえ、事務能力がなくて、必ず住所の欄に名前書いちゃうのよね」と言ったら、傍らでお弁当を食べていた男性が「ブホッ」とかなんとか変な声を出した。
「可笑しいこと言わないでよ、むせちゃうよ」
え、私なにか可笑しいこと言ったかなあ?

続きの仕事だったから、それ以来かの男性とも和気あいあいと仕事した。
不器用が幸い?して親近感を持ってもらえた。
あんまり名誉なことではないけれど。

それでここ数日は地獄。
どんな書類を用意するのか、一体だれがこんな事務的なことをやってくれるのか。
兄に泣きついた。
だれか専門家を頼みたいけど紹介してもらえない?
すると兄は「そんなことくらい自分でやるんだよ。区役所に行って受付で訊けば親切に教えてくれるよ」
ドキドキしながら区役所の列に並ぶ。
いったいこの列で良いのかどうかもわからない。

役所の人は親切に教えてくれるけど、いまだかつてこんなことは未体験だから言葉の意味がわからない。
本当に馬鹿だと思われたにちがいない。
それでもしつこく、これでいいの?と訊きながらやってみれば、なあんだ、結構簡単じゃない。
もし世の中に私に勝るおバカさんがいたら、得意げに教えてやろうと思っていたのに、どうやらそんな人はめったにいないらしい。
皆サクサクと手続きを済ましていく。

やっと郵便局関係、保険関係などの手続きを終えて、それはもうくたびれた。
いったいこのネット時代に、こんなに個々の手続きをする意味がわからない。
個人ナンバーを取り入れたのはなんのため?
ナンバーを入れて死亡届を入力すれば、すべての手続が終わりそうなものなのに。

区役所や銀行、郵便局などは近くにあるから良いけれど、保険事務所は電車に乗っていかないと行けない。
私よりも高齢で足が不自由な人は、どうやってこんな煩雑なことを処理するのだろう。
暑い中自転車で走り回って出来たのは、手続きのほんの一部。
今日は昨日の続きをするつもりでいた。

今朝目が覚めたら世の中が歪んで見えた。
昨日の夜から体に痛みが出て、ゴミの片づけのせいだと思っていた。
でも気分が悪い。
熱があるのかしら?
体温計を取り出して計ろうとしたら電池切れ。
肝心なときに役に立たないものに溢れた家なのだ。

その時友人から電話。
私の家にチューナーを忘れてないかと言うからあるよと言ったら、取りに来るという。
あれがないと明日困るのでと。

私は実は体温計が壊れたので計れないけど、少々熱っぽいことを伝えた。
すると彼女は2時間ほど後にやってきた。
まず体温計、トマトジュース、ポカリスエット、インスタント味噌汁などなど、たくさんの差し入れがダンボールにいっぱい。
これで又1週間は生き延びられるくらいの量。
体温計をもらって早速計ると、いつもの平熱よりも2度高い。

たぶんチューナーは口実。
私を助けに来てくれたのだ。
おばさんたちはいざというとき何が必要かを心得ている。
さっさと冷蔵庫に持ってきたものを入れて、ちょっと喋って帰っていった。
ありがたいなあ、友人は!




















2018年8月17日金曜日

北軽井沢でロッシーニはいかが!

私が乗っていた車のカーステレオには、いつもロッシーニの「セヴィラの理髪師」のCDが入っていた。
仕事が終わって疲れ果てて車の運転をして帰るときに景気づけにそれをかけると、気がつくと矢のように走っている。
ワクワクして疲れも吹き飛んだ。

今日は北軽井沢のミュージックホールフェスティヴァルのリハーサル。
メンバーは「雪雀連」のスキーの仲間でヴァイオリン2人、ヴィオラ、コントラバス、ピアノ。
傍から見ると自分たちの好きなことをしているのだから、楽しみでやっているように見えるらしい。
もちろん楽しいけれど、コンサートの実現に費やす膨大なエネルギーを維持できるかどうかで、ときには引退の文字が頭にちらりと浮かぶこともある。

まずは、日時、会場が決まればコンサートが実現する。
これがひと仕事。
希望の日がとれれば良いけれど、これが中々都合よくいかない。
土日、休日は競争が激しくて、抽選になることも。
私のように宝くじも当たらない人は、希望日をかすめてその翌日とかになってしまう。
今回はフェスティヴァルに便乗だから、その心配はないけれど。
会場の音響の良し悪しで、これほど出来栄えが違うかと思うほどの影響がある。
それからプログラムを決め、メンバーを決める。
メンバーが先でプログラムが後という決め方もある。
私達はメンバー先行型。

最初の練習日を決めるのも大変。
忙しい人達は、中々スケジュールが合わない。
最初の練習日が決まれば後は練習後協議して、次の日を決めればいいから楽になる。
スケジュールが合わず、さんざん連絡しあってやっと皆さんの都合の良い日が合うと心底ホッとする。

それからコンサートの企画。
プログラムは演奏者の楽器とプログラム全体の構成を多方面から見て、バランス良くまとめたい。
プログラムが決まると楽譜の手配、曲の順番なども考える。
楽譜が揃い、演奏者の組み合わせが決まり、練習日が決まり、やっと練習に入る。
練習所の確保も必要。
音を出すから、防音室でないと近所迷惑。

そしてチラシの作成。
これが大変な仕事。
印刷するのは印刷やさんだけれど、そのための原稿を作るのは自分。
チラシができると、それを置いてもらえるお店や音楽教室などを探す。
メンバーが近所の美術館や喫茶店、楽器やさんなどに持ち込んでお願いすることも。
手紙でお知らせしたり、仕事場でチラシを配ったり、口コミのほうも重要。
主催者側とも連絡事項はいろいろあって、最初の方はそれらで目が回る。
マネージャーがついていたとしても、かなりの仕事は自分でやらないといけない。
今回は弱小団体につきマネージャーはスキー仲間が手伝ってくれる。

いよいよ練習に入る。
今この時点。
今日の練習には、最近元気のない私の代わりに、コンバシスト?・・ベーシスト?要するにコントラバス奏者がお昼ご飯持参で来てくれた。
大きなおにぎり、野菜料理、サラダなどが運び込まれて賑やかにランチを挟んでの練習。

9月9日(日)午後2時から北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァル最終日に、演奏させてもらうことになった。

プログラムは

ヴィヴァルディ:四季より「秋」
テレマン:ヴァイオリンのデュオ
バッハ:ブランデンブルク協奏曲第6番

ドビュッシー:アラベスク1番2番、
グリンカ・バラキレフ:ひばり
ロッシーニ:ヴィオラとコントラバスのデュオ他
ラヴェル:ボレロ

前半は古典で格調高く。
後半はさまざまな楽しい曲を。
その中にロッシーニが入っている。
彼の作品は楽しすぎる。
今回は我がスキーの仲間「雪雀連」のヴィオラ奏者とコントラバス奏者の楽器の組み合わせも珍しい。
元々、この曲はコントラバスとチェロのために書かれたもので、メンバーの中にチェロがいないためにヴィオラに書き直して演奏する。

ロッシーニは美食家で名高い。
肖像画を見るとものすごく太っている。
糖尿病、高脂血症、高血圧など、肥満からくる様々な病気にかかっていそうな気がする。
美味しいワインや料理をたらふく食べて、頭の中は生き生きとした音楽が鳴り響いているなら、病気なんかなんのその、素敵な人生だったと思う。

もし北軽井沢まで避暑かたがた聴きにきてくださる方がいらしたら、ロッシーニいち押しですよ。
ヴィオラとコントラバスの組み合わせは、本当に素敵。
ほら聴きたくなってきたでしょう。
ロッシーニをカーステレオで聴きながら運転するときには、スピード違反にご注意を。

友人たちが、私が食事をしていないのではないかと心配してくれている。
昨日、大量のサラダ、おにぎりなどを持ってきてくれた人がいて、食べきれなかった分を近所に住む姉と今日の昼食にいただくことにした。
その姉も昨日パンやお弁当を届けてくれて、昼にもなにか持ってくる気満々だったらしく、私の家に大量の食料があると言ったら少しがっかりしたようだ。
いつの間にか桃やブルーベリーなどの果物も、家中に居座っている。
しかも今朝忘れ物を届けてあげた友人から、シュウマイやハンバーグなどを頂いた。

なぜそんなに私を太らせたいの?
太らせて頭からガリガリ食ってしまおうという魂胆かな。
でも脂身多いよ。
大きなスイカが冷蔵庫に眠っているし、食べ物を捨てるのは忍びないから全部私のお腹に収めると、このままいけば立派なメタボ。

そういえば最近メタボという言葉をあまり聞かなくなった。
日本人の肥満なんてかわいいもの。
私のコレステロール値は数十年間変わらず240。
医師から薬を飲めと言われても断り続けて、病気にもならない。
血管年齢は実年齢の平均値より14歳若い。
ロッシーニみたいに好きなだけ美味しいものを食べて寿命が多少短んでも、長生きばかりが幸せとは限らない。























2018年8月2日木曜日

掃除に目覚める

私の姪が「今日はレッスンあったの?」と訊くから「どうして?」と言ったら「掃除機の音が聞こえたから」
失礼ね!私だって誰も来なくても掃除機くらいかけるわよ。

キッチンの工事が終わってきれいな黄色いシンクが備え付けられた。
けれど、サイズがやけに小さい。
説明は受けていた。
元のスペースのサイズに合うものがなくて、もう一つ上のサイズだと前面が飛び出してしまう上に、横のサイズも少し大きいから、冷蔵庫との間にある間仕切りが邪魔で入らない。
その仕切りの板を移動させなくてはいけない。
大事になる。

それで早く工事ができるようにと小さいので良いと言ったのだが・・・
毎日使うものだから、不便を我慢して大きい方を入れて貰えばよかったと、まあ、いつものことですが。
シンクの交換のときについでに、きったな~い食器戸棚も廃棄してもらったので、食器戸棚がない。
仕方がないからシンク下の収納場所にお皿などを置いてあるけれど、あんまり良い気分のものではない。
理屈では汚くないと思っているのに、食器は食器戸棚に入っていないと落ち着かない。

昨日まで、居住スペースの方から運び込んだ調理器具や食器などが置いてあったレッスン室。
それらを持ってきたので生活感満載。
夜になってようやく移動完了。
気分としては生活スペースにあったものは、ホコリ、ダニなどが付着しているようで、気持ちが悪い。
付着している(ようで)ではなく(している)しかも大量に。

それで今日は朝からレッスン室の掃除機掛け。
ええ、今日は生徒さんも来ないし、私はでかけますよ。
でも、ね、ほら、掃除機はレッスンがなくてもかけるんです。

今回のことで、急にいらないものを捨てることに急ピッチ。
拍車がかかった。
ハイヨー!シルバー!!!
これ分かる人は同世代。

まず、ほとんど使わないものは惜しげもなくゴミ袋へ。
必要だけどベトベトして気持ち悪く、洗いたくもない物もゴミ袋へ。
そうしたら、ほとんどいらないものばかり。
新しい食器戸棚を買う予定だったけれど、サイズを一つ下にしても大丈夫そう。
小さくなったシンクは使いにくいけれど、しかたがない。
もう、あまり食べるなということね。
次に取り替えることがあれば、間仕切り取り払って大きいのを入れよう。

今まで影に隠れて目立たなかったワゴンなどの汚れもはっきりと目について、浴槽で洗い流す。
長年の蓄積は恐ろしいもので、クレンザーつけてゴシゴシやっても中々落ちない。
最後に人間もシャワーを浴びて完了。
こちらは毎日お風呂入っているし、ゴシゴシすると脂分がなくなってしわしわになるから、ほどほどに。
ワゴンは、お日様の照るベランダに運ぶ。

部屋がきゅうに広くなった。
なんだか狭いなあと思っていたけれど、いままで物がありすぎていたのだ。
掃除は終わってみれば趣味にしていいほど気持ちが良い。
でも、喉元すぎれば元の木阿弥

















2018年8月1日水曜日

猫初めて隣の部屋に行く

うちの猫は箱入り娘。
動物病院へ行ったのは飼い始めてすぐに不妊手術をしたときと、後は1,2回だけかもしれない。
それからもう20年近くの歳月が流れ、全部で4匹いたうち3匹の猫が一昨年次々と天国へいって、残されたのが今残っている1匹。
コチャといいます。

4匹いたときにはむっつりとして無愛想な子だった。
抱っこされるのも嫌がって、前足を突っ張ってすぐに逃げてしまう。
どちらかというと可愛げのない。
顎が妙に突出していて、目がギョロリ、顔つきも良くない。
それが他の猫がいなくなって数ヶ月すると、だんだん甘えん坊になってきた。
なにかというとすぐに押入れに隠れていたのが、最近は自分の椅子を与えられて猫っ可愛がりされて、我が世の春!
今までに比べ顔つきもどんどん可愛くなって、多少顎が出ているのもご愛嬌。
しっかりと目をあわせて、話をするようになった。

人も動物も与えられた環境によって、これほど表情が変わるものかと驚いた。
最近は抱っこされるのが好きになって、何かと言うと甘えた声を出して膝に乗ってくるようになった。

10日ほど前、台所の水漏れ発生。
シンク下から漏れた水は量が少ないので中々気づかれず、しばらくして足ふきマットの変色に気がついたときには、けっこう床に染み込んで大変なことになっていた。
シンクごと替えることにしたのは、以前のものが排水管が排水口と微妙にずれていて、それが長年のうちに歪んでストレスの掛かるところが劣化。
構造上の問題だったらしい。

部品が届くまで多少時間がかかって、やっと今日工事。
収納扉の中身を取り出す。
こんな小さな扉の中に沢山のガラクタが収まっていた。
それを同じ階の階段を挟んだ反対側の部屋に移動。
大変な作業だった。
隣の部屋はレッスン室でいわば仕事場。
生活用品は極力入れないようにしていたけれど、最近はだんだん、ごちゃまぜになって、生活感が出てきてしまった。
これはいけない、でも今回は仕方がないから鍋釜包丁などが運び込まれた。

今朝9時ぴったり作業開始。
最近お願いしているリフォーム業者は時間に正確。
9時と言ったら9時に階段を登ってくる足音がする。
暑い外で秒読み?

その前に超内気な猫の移動をしておかないといけないから、30分前に物置からケージを引っ張り出して用意。
10分ほど前にご飯を食べてのほほんとしている彼女をすばやく捕まえ、開けておいたケージに入れる。
ん?なに?なんて言う間に隣の部屋に。
レッスン室には猫は立入禁止なので、生まれてからこの方入ったことのない部屋に連れて行かれたのが恐怖だったようだ。

キュウリくらいの尻尾がトウモロコシくらいに膨れ上がり、この尻尾でピアノのホコリが取れるなあなんて考えた。
その後1時間ほどは鳴きに鳴く。
それでも私が側にいるのと、自宅の建物からは出ていないのがわかるらしく、喚いた風でもない。
しばらくしてケージから出すと、おとなしく膝に乗る。
体が緊張で硬い。
猫独特の体の柔らかさが失われて、肩がこりそうな。
彼女専用椅子も運んであったので、それに乗せるとやっと泣き止んだ。

肥満猫で普通の高さの椅子だと中々登れず苦労する。
それで普通よりもかなり低めの、座椅子より少し高めの椅子を買ってあげた。
それを知らないで座った人は、お尻がドシンと落ちてびっくりしていた。
ドアが開けてあったのに決して部屋の奥に入ろうとしない。
中を見ようともしない。
見たら連れて行かれるとでも思ったのか、それとも好奇心が薄くて興味なかっただけなのかはわからない。

前に飼っていた玉三郎は好奇心が強く、他の部屋に来ると大騒ぎして探検する。
それに比べると、多少頭が悪いのか、性格がおとなしいのか、コチャは徘徊しない。
恐怖だったかもしれないけれど、連日の暑さに参っている猫の脳みそに多少の刺激になったのでは?