2019年7月29日月曜日

ヤドカリ

レッスン室の冷房が壊れたので練習はリビングでしようかと考えたけれど、猫が怯えるといけないから部屋を借りることにした。
近所の貸し部屋、実は兄の家。

この家には狭いながらも音楽室がある。
娘がピアノ教師をしているので、家を新築したときに彼女のために作ったもの。
防音も行き届き、楽譜もきちんと整理されている。
何よりも感心するのは、例えば本棚の全集物を収めてあるコーナー。
全集を収めて空きがあると、それに合わせてそのサイズのものを探して収める。
だから僅かな隙間もなく、きっちりと並んでいるという具合に。
壁には兄が作った額縁入りの名作曲家の絵。
バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト、シューベルトがきちんと並んでいる。
傾いていたり、そんなことは一切ない。

ピアノの上にはものが一切置かれていない。
ホコリもなくピカピカに磨かれている。
上等なソファーにだらしなく脱いだものを置いたりもしない。
全てがきちんと整理されて、心地よい空間を生み出している。
けれど、私がそこへ入るやいなや、なんとなくだらしない雰囲気になるのはどうして?

以前ハンガリーのヴァイオリンの名手タマーシュ・アンドラーシュが私のレッスン室に来ていたとき、他のひとの練習が入って空き時間ができたので、どこか個人で練習できるところはないか?と言うから兄のところに連れて行った。
兄はひどく喜んで、お寿司を取ろうか、お茶はどうかなどと大歓迎している。
でもタマーシュは練習したいのだから、困惑している。

とにかくなにもいらないから練習させてあげてと言って、置いてきた。
たぶんその後も兄は彼にまとわりついて迷惑がられたと思う。
その後、タマーシュが言うには「お兄さんの家はとても綺麗だ」
悪かったわね、私のところが汚くて。
その話を兄にしたら「nekotamaのところはまっすぐに物をおかないからいけない」

私の両親は、母が整理整頓の名人、父は自分が楽しい事しかしない。
その母に似たのが兄で、父親そっくりなのが私。
兄は2年前、連れ合いに先立たれ一人暮らし。
家中ピカピカでチリ一つ落ちていない。
台所にきれいに洗われたまな板があったから「料理はするの?」と訊いたら「もちろんやるよ。でも一度S食品のフリーズドライの味噌汁を買ったら、その後定期購買しろとうるさくてね。しかたなく買っているけど、たまに自分で作ると、ああ、美味しいって思うんだよ」
へ~え、私は自分で作るとまずくて、フリーズドライのものが美味しく感じるんだけど。

チェロを練習していた兄を追い出して練習させてもらった。
練習が終わって兄を探すと画室で絵を描いていた。
これもひどく上手い。
どうして同じ兄弟に生まれ、これほどの差が付くのか。
一箇所だけ誰もがそっくりと言うところがある。
顔が似ているって・・・これは許せん。
あんなたぬき顔とこの絶世の・・・~、どこが似ているんじゃ!!!







2019年7月28日日曜日

暖かい

北軽を満喫して帰宅したら、こちらも中々良い。
第一に日差しが暖かい。
あちらでは室内に干しておいたタオルが乾かない。
なんでもジトッとしている。
今朝帰宅してすぐに大量の洗濯。
外に干せるのが嬉しい。
そしてあっという間に最初に洗濯したものが乾いて、第二弾もほぼ乾いている。

やはり私には明るい日差しがよく似合うなんて、独りつぶやく。
猫は今爆睡中。
あちらで元気そうに見えたのは緊張していたからなのかしら。
私はすっかり北軽井沢おばさんになってしまったので、どこにいても良く眠れる。

レッスン室に入ってエアコンを点けたら、風は出るのに涼しくならない。
おっと!これはまずい。
この暑さにエアコン無しではいられない。
ダイキンのホームページで修理の申込みをしようとしたら、フィルターの掃除の仕方とか紹介されていた。
もしかしたらフィルターが汚れているのかも。
覗いてみてゾッとした。

黒い網目のはずが、灰色のホコリでい覆われていた。
そうか、これを掃除すればきっと涼しい風が出るにちがいない。
掃除機を持って椅子の上にグラグラしながら立って、フィルターを外すと子持ちワカメみたいな状態のフィルター。
リビングの方はクリーニングしてもらったけれど、こちらを頼むのを忘れていた。
クリーニングを見ていたら、まあ、出るは出るは、真っ黒な水。
これを顔に吹き付けていたかと思うとおそろしい。

椅子の上に覚束なく立って掃除機を操作。
時々自分のワンピースを吸い込んだりしながら、やっと掃除をして期待しながら電源を入れた。
うーん、たしかにさっきよりは冷たい風が出ているように思えるけれど、冷房と言うにはあまりにもあたたかすぎる。

もう一度ダイキンのホームページに戻って、修理の申込みをした。
しかし、今回北軽井沢から戻ったのもこちらに用事があるからで、空いた日がない。
8月にならないと来てもらえる日がないから、申し込んでおいた。
その前にレッスンが入っていて、この人達どうするのかな。
水着で来てもらわないといけないかも。
扇風機を回して、昔懐かしい日本の夏を楽しんでいただきましょう。
私はうちわを持って扇いであげないと。

これを読んでレッスンをキャンセルする人いるかな?



夜中の山道

森の中で激しい雨音を聴いていた。
午前3時。
帰宅するなら早く出て高速の出口がこまないうちに通過したい。
コチャがトイレを済まさないと出られないと思っていたら、どうやらもう済んでいたようだから出発。

荷物を積み込むために外へ出たら、真の暗闇。
ランタンで照らす範囲の向こうの木立は、真っ暗闇。
でも森の中の暗闇は怖くない。
都会だったらさぞ怖いと思われるのに。

雨が激しく降るので躊躇したけれど、なに、ゆっくり走れば大丈夫と自分に言い聞かせて暗闇に突入。
森の中から白い着物を来た女性がザンバラ髪で手招きしていないかと、半分期待、半分恐れていたけれど、どうやらザンバラ女史はご就寝中。

何時も通い慣れた道がやけに狭く感じる。
少し霧も出ている様で、時々フッと道路の白線が見えなくなる。
それでも思ったほどのこともなく、高速にたどり着いた。

むりやりケージに閉じ込められてコチャは情けない声で鳴いている。
特にアップダウンの激しいカーブの多い山道は苦手のようだ。
高速でも速度が早くなるとわめき出す。
雨が激しいから、私にしてはゆっくりのつもりだけれど、自分が動かないで外の世界が動くということが彼女には許し難いことのようだ。

2時間ほどしか寝ていないので眠くなるかと思ったら、そんなこともなく無事帰宅した。
早朝の真っ暗な道を走りながら、先日の運転免許更新のときに受けたテストを思い出していた。
それによれば私の評価は夜間視力に問題ありと出たので、最近は夜はなるべく運転しないようにしていた。
けれど、今日の午前3時には視力にはなんの問題もなく良く見える。
毎日森の木をぼんやり見ていたお陰かも知れない。

そのテストを同時に並んで受けていたオッサンが、始まるやいなや「え、なんなのこれ」「どうするの」「光が見えるだけだけど」などとずっと喚いていた。
どうやらテストのやり方を聞いていなかったらしい。
あるいは、聞いていたけれど、理解できなかったのか。
あまりうるさいから思わず自分のテストを中断してしばらくオッサンが喚くのを見ていたら、その間にテストが進行して問題を見逃したことで結果はあまり良くなかった。
他のテストに比べて極端に低い得点だったから、問題ありとされた。

その後夜間にも時々運転するけれど、以前と比べて見えにくいこともあまりなく、今朝も視界は良好だった。
テストはその日のコンディションによるとも思えるので、良い点をとったから安心とも限らないけれど、悪いととても気になる。
今日は土砂降りだったから星が見えなかった。

次は晴れた日の早朝に走ってみよう。
他になにもない山の中なら、きっと満点の星が・・・・
くろぐろと浅間山が聳え、星が宝石を撒き散らしたように見えたら。
想像すると素晴らしいけれど、夜中に山道で独り、車から降りて空を眺めるのはずいぶん勇気がいる。
そのときにはきっと、白い着物のお姉さんが背後に・・・きゃあああああああああああああ











2019年7月27日土曜日

下界へ

毎日20度前後の涼しい北軽井沢は本当に過ごしやすかった。
飼い猫のコチャはまったりとして、自宅にいるよりずっとご機嫌。
表情が明るくなった。
猫のためにも、こちらに移住することを本気で考えようかと思う。

林の中で過ごす時間はゆったりとしている。
人生を振り返って急ぎ足で駆け抜けてきた慌ただしい生活から、そろそろ抜け出してもいいという神様のお許しが出るのを待っている。
しかしながら、私の性格が邪魔しているようだ。

まだヴァイオリンを弾いていたい。
弾くからには生きものに聴いてもらいたい。
生きものも、できれば猫やワニなどではなく人間に。
人間も、できれば赤ちゃんとかでなく、音楽の好きなひとにと、段々要求はエスカレート。

しかも良い会場でたくさんのひとにと、ますます欲の皮が張り始める。
人は何時も一つ上を望む。
望むから向上するのだけれど、実力以上に望むと悲惨な結果を招く。
悲惨な結果は時々体験してきたけれど、そこで落ち込まずにしれっとして前進できる人は生き延びる。
本番は練習時間を反映し、時間は決して裏切らない。
もし失敗したとしたら、それは練習不足なのだ。

最近の練習時間を考えると、どうやら失敗が足音を立てて迫ってきているようだ。
今回は家の片付けで随分時間を浪費した。
ノンちゃんがあんなに突然消えてしまわなければ、きちんと整理されて私に受け継がれたことだと思う。
それに今年はノンちゃんをゲストとしてお呼びするつもりでいた。
この家が建ってから、毎年私は自分の家にいるように過ごさせてもらった。
だから今年からは私がノンちゃんをおもてなしする番のはずだった。

もう少し私が暇になったらひと夏中滞在して、楽しい思いをしてもらう気でいた。
過ぎたことを言っても仕方がないけれど、残念なことだった。

ここへ来て3日目くらいに、緊張しているわけでもないのに、心臓がバクバクしたり軽い頭痛に悩まされた。
私も年だから、此のくらいのことは起こるさと高をくくっていたけれど、ふとチベットに行ったとき高山病にかかったことを思い出した。
そのときにはいきなり4000m級の高さに連れて行かれ、気が付くと手の爪が紫いろになっていた。
鏡を見たら唇が暗い紫いろになっていた。
チアノーゼだ、これは危ない。
北軽井沢は標高1000メートルほど。
もしかしたら、軽い高山病の症状かもしれない。
次の日にはケロリと治っていたから、心配はいらない。

目覚めて窓を開けると、森の木々が空いっぱいに広がって滴るような緑の世界が寝転がったまま見られる。
晴れていればキラキラと、雨が降っていればしっとりと、どんなときにも森は微笑んでくれる。

明日から自宅に戻って色々な用事を済ませて、次にここに来るのは8月半ば。
まだまだ時間が取れないのが多少残念なところなのだ。

涙が枯れない

まだそこここに残るノンちゃんの遺品の整理。
レターセットが古い箱にきれいに収められていた。
必要なものだけ残して処分しようと思って中身の整理をしていた。
切手などが数枚。
一筆箋と、きれいな封筒。
でも一番多かったのは、猫とヴァイオリンの描かれた封筒や絵葉書。
どっと涙が出た。
ふだんノンちゃんが私に手紙を書くときには、ごくふつうの花の描いてあるものとかを使う。
きっと私に大好きな猫やヴァイオリンの便箋で便りをしてくれるつもりだったのではないかと思うと、その優しさに胸が詰まった。

今日はそんなわけで午前中はしんみり。
午後から、ヴィオラ奏者のH氏の指導する室内楽の合宿の見学に行くことにした。
毎年やっているんですよ、と彼は言うから音楽教室や学校関係かと思っていた。
一緒にYさんも行くことになっていた。
昨日も今日も私にお付き合いご苦労さまと思うけれど、ニューヨーク旅行で有能な個人的ツアコンとして私の面倒を見てくれたので、さっそくどのような人たちが集まるのか調査してくれたらしい。
すると私の知っている名前が浮上した。
そのひとがいるならきっとあの人も来るに違いない。
するとあの学校の関係者?
世の中狭い。

練習が始まる時間には皆さん初合わせだから、ゆっくり来てくださいとH氏からのメール。
場所は昭和天皇ご夫妻のロマンスで有名なテニスコートのすぐ裏にある、某邸。
そして、その場所は、去年亡くなった私の連れ合いが仲良くしていただいていた方の家だった。
その方とは初めてお目にかかった。
亡夫を送る会のときに彼女はポーランドへ行く予定で、「送る会」には出られなかった。
そして私は彼女から素晴らしい手紙を頂いた。
丁重なお悔やみと欠席のお詫びだった。

和紙の巻紙に水茎の跡も麗しく、毛筆で書かれた私が生まれてこの方一度も受け取ったことのない様な手紙。
こんな美しい手紙に私のブサイクな文字で返事を出すことはできない。
それでかんたんにプリントして返事をした。
ずっとどんな方かと思っていたけれど、やはり品のある美しいひとだった。

大きなお宅はがっしりとした造りで、いくつもの部屋に別れて数組のアンサンブルがそれぞれの練習をしていた。
メインの部屋ではシューベルトの「オクテット」
時々かすかに上で練習している「死と乙女」が混じったり。
トランペットの音がするけれど、うるさいほどではない・・といったふうに、よほど頑丈にできているのか、この家では同時に音が出せる。
普通の家なら全部ごちゃごちゃになって不可能なことが、わけなくできる。

ここで夏の合宿をして、秋に大賀ホールでコンサートをするらしい。
H氏以外はアマチュアで、普段ヴィオラを弾くH氏はヴァイオリンを演奏する。
年をとったらヴィオラが重くなったとおっしゃっていたけれど。
皆さん実に楽しそうに弾いているのが、羨ましい。

しばらく聴いてからおいとますることにした。
玄関でH氏の奥様と立ち話をしていたら、急遽ヴァイオリンが足りないのでと招集がかかった。
楽器をお借りして、モーツァルトの弦楽四重奏曲「狩」の練習に加わることになった。
もうこの曲は何年も弾いていないし、楽譜用のメガネもない。
買い物するときに値段を見るだけ用の100円ショップメガネで、しょぼしょぼと音符を拾う。
それでも生来のアンサンブル好きの血が騒ぐ。
ああ、楽しい。

数人の旧知の間柄の方たちがいらして亡夫の思い出を語ったときには思わず目頭が熱くなったけれど、こうして他のひとと楽器を通して会話するときは、心が弾む。
悲喜交々の涙。
泣けるうちは感受性が枯れていない証拠、生きている証。
それにしても、様々な糸でつながっていた人たちとこうして出会えて、人生は素晴らしい。


















2019年7月26日金曜日

カーテン

今日はもう一度カーテン売り場へ行った。
Yさんに厳しく言いつけられたとおり、カーテンの寸法を測った。
昨日100円ショップで買ったメジャーにストッパーが付いていなかったので、測りにくいことこの上ない。
何回も手を滑らせメジャーがスルリと戻ってしまう。

寝室に大きな作り付けのクローゼットがあって、ノンちゃん手作りのカーテンが下がっている。
古びているからあまりきれいに見えないけれど、良く見るとピンクベージュに白い大きな輪っか模様、下の部分は淡いブルーで、できたときはさぞきれいだったのでは、と思った。
ノンちゃんは手仕事でこんな大きな物まで作ってしまう。
その仕事の丁寧なことには驚く。
暖炉の前に敷いてあったラグも細く布を裂いて編み込んでいったもの。
渾身の作品なのだ。

暖炉に火を焚くのであまりにも汚れていて、それを家に持ち帰って洗濯すること5回。
まず、バスタブで下洗い。
はじめは水のみで。
もう一度水洗い。
その後2回洗剤で簡単に押し洗い。
やっと洗濯機で最後の仕上げ。
10年の汚れは簡単には落ちなかった。

今元の暖炉の前でスッキリとして収まっている。

今朝Yさんと待ち合わせて朝食を一緒に摂ることにした。
場所はエロイーズカフェ。
私達のお気に入りのフレンチトーストなどが非常に美味しい。
到着したのは8時30分なのにすでに行列ができていた。
1時間待ちだそうだ。
ここのホールに、今回の北軽井沢ミュージックフェスティヴァルのチラシを置かせてもらうえるように了解済み。
ここでコンサートができないか尋ねると、軽井沢の役場の意向でできないらしい。
なんとも不思議な話。
せっかくピアノが置いてあって客席もできていて、こんな素敵な場所でコンサートをしてみようかと盛り上がっていたのに。
どんなひとがどんな理由で音楽環境をつぶすのか、お訊きした

おいしく朝食をいただいて、佐久平へ。
その前に軽井沢のアウトレットを覗いたら、たち吉の素敵な食器が信じられないほどのやすさで買えた。
ロイヤルコペンハーゲンだって手の届く範囲まで値下げされている。

返す返すも昨日、慌てて買い込むのではなかったと後悔する。

そしてカーテンを注文するために佐久へ。
昨日見つけたのはたくさんの動物が描かれたポップな色の物だったけれど、見ているうちに飽きが来るかもしれないと思い始めて、結局ボタニカルな模様のふつうのものに変更。
やっと落ち着いた。
家に帰ってノンちゃんの作品を見ると、やはり素敵なんだなあ。

カーテンが決まっての帰り道、そば粉のガレットのお店に立ち寄った。
たぶん用水路のような幅の広い川岸に立つ家は、ここのご主人の手作りだそうだ。
一面の緑と川を渡るそよ風と、美味しいガレット。
ヨーロッパの田舎にいるような気持ちになる。
ちょっと日本をはなれた感じのひとときだったけれど、朝からもう食べ過ぎで夜になってもお腹がすかない。
少し自粛しないと。











2019年7月24日水曜日

ひとりぼっち

庭続きのお隣さんは歯医者の予約があって自宅に戻り、私が北軽井沢に来たときにはいなかった。
窓には鎧戸が降りていて車もない。
ご近所の永住している家も人気がない。
今年は都内もあまり暑くなかったから、まだこちらに来ない家族が多いようだ。
家の前に停まっている車も殆ど見当たらない。
梅雨が長引いているのに、わざわざこんな湿気の多いところに来ることもないと思うのかもしれない。

それでいつもよりずっと人影がない。
私は1昨日朝到着。
車をバックで入れていると、あれ?猫だ。
こんなところで飼い主にはぐれたのか、捨てられたのか。
そうすると私が飼うしかないか。
ヘッドライトの先に見えたのは親子と思える茶色い小動物。
あれ、猫ではないかも。
たぬき?ハクビシン?
この森では飼い猫は生き延びられない。
その後猫もどきは明け方のモヤの中に消えていった。

今年の住人の到着は例年よりも遅いようだ。
丸一日、友人以外のひとに遭遇していない。
夜になると全て闇の中。
家の玄関の常備灯の届く範囲の向こうは、真の闇。
潔いと思えるほどの真っ暗。
聞こえるのは雨の音、家電のブーンという唸り声。
森の木に守られて、母の胎内にいるような安堵感。

はじめは怖かった。
まだノンちゃんが元気だった頃、彼女は下の寝室で、私は屋根裏で寝ていた。
彼女が下にいるのがわかっていても、小動物がシャッターに当たってバーンと大きな音がすると、びっくりして飛び起きた。
しばらくドキドキして眠れなくなったけれど、今は一人でいてもさほど気にならない。
自宅にいるときのほうが、むしろ孤独感が大きい。

数少ない面白いと思えるTV番組が「ぽつんと一軒家」
とんでもない山奥にたった一人住む高齢女性などが幸せそうにしているのを見てふしぎに思っていた。
どうしてあんな孤独に耐えられるのかと。
でも今はよくわかる。
風の音、鳥の声、せせらぎの音、これ以上のご馳走はない。
決して自分と向き合うなどというような思索的な性格ではないけれど、時々こうやって1人でいるのも良い。

今日は食器類や寝具の買い出しに佐久平まで行った。
ある一角に大型のホームセンターや家具店が集中していて、ここに来ればなんでも揃いそうなので、まずはじめにホームセンターに入ってフライパンなどを買う。
次は家具屋で枕など。
つぎに入った店は食器などもおしゃれで、昨日買ってしまった物よりずっと良い。
ここでポップなケトルとスープ皿、グラタン皿、コーヒーメーカーなどを買う。
梱包に手間取りますので店の中をご覧になってお待ち下さいと、売り子さん。
これは陰謀だった。
見ていると次々に可愛いものが目につく。
結局コーヒーメーカーやトースターと同色系のワンピースを買ってしまった。
此の色、グレイッシュグリーンは今年の流行色のようなのだ。
先日ボルボのこの色の車を見かけたけれど、とても素敵だった。
でも此の色、ずーっと前から私の色だった。
去年、ついに家のドアをこの色に替えてしまったくらい。

同行してくれた友人のKさんはしっかり者。
彼女のお陰で散財は最小限に食い止められた。

夜、軽井沢在住のYさんと明日の遊びの予定を話し合っていたら、今日買いそこねたカーテンの話になった。
可愛い柄が見つかったのに寸法を測っていかなかったので買いそこねたと。
すると彼女は明日もう一度そこに行って買いましょうと言う。

カーテンの寸法お忘れなくと何回も念を押されて電話が切れた。
今日もう一つ買えなかったのはベッドカバー。
そのこともYさんのお陰で解決した。
彼女の家でカーテンの模様替えをしたときに古い方をクリーニングしたら、元が上等なのでそれは素敵なベッドカバーになったという。
それがまだ余っているのでお使いくださいと。
渡りに船とはこのこと。

言ってみるものだわね。
それで大体北軽井沢の住居が家らしくなる。
持つべきものはともだち。

帰宅したら、今朝は誰もいなかった森の中は、車が軒並み停まっていて子供の声や犬を連れて散歩する人たちが見られた。
やっとこの森も、楽しそうな家族で賑わう夏休みになったのだ。
いいなあ、家族連れで。
やっと孤独に馴れたのに子どもたちの笑い声を聞くと、ちょっぴりと寂しさがもどってきてしまった。



2019年7月22日月曜日

霧の中で

もう少し早く来るつもりだったのに暑さを逃れて北軽井沢に来たのは今朝。
雑木林はたっぷり雨を含んで、持ってきた紙袋はすぐによれよれになるほどの湿気。
この森は本当にきれいなのに、湿気が楽器に良くないので減点。
いろいろな手続きや掃除や修理や、中々前に進まない。
私がせっかちなのか、世の中の時計がゆったりしているのか。

日曜日に義兄の法事があって、私は不信心者だからパスさせてもらおうと思っていたら、年老いた兄と姉が電車で行くというので気の毒になり、出席することにした。
私は兄と姉の専属ドライバー。
それに義兄の二人の子どもたちが一生懸命にやっているので、あまり寂しいといけないと思った。
それが日曜日。
予定としてはその前の金曜日から北軽井沢に行くつもりだった。
今まで中々長期間の滞在ができなかったので、このへんで後片付けを一気に終わらせたいと思っていた。
珍しく1週間を超える滞在をもくろんでいたけれど、今回も5日間になってしまった。

法事が終わったその後、早めに就寝、目が覚めたのが午前二時、そのままでかけてしまうはずだった。
しかし、先日の自動車免許の講習で、夜間視力に問題ありと出たのでためらってしまった。
薄明るくなってからのほうが良いかもしれない。
それと猫がトイレを済ませてからのほうが良い。

荷物は最初に出かける予定だった2日前にすでに車に積み込んである。
猫のトイレ待ちをしていたら午前4時にやっと用事が済んだようだ。
それっとばかりケージに詰め込む。
猫は出かけるのはこれで3度め。
相変わらず嫌がったけれど、初回のときのようにパニックにはならない。
ちょっと馴れた風で、一応騒いで見せるけれど声は甘えている。

猫も北軽井沢がお気に入りのようだ。
空気がおや?と思うほど変わる。
木の精気がひとを元気にするようだ。

午前4時半出発。
7時半到着。
いつもより1時間も早い。
ただ、山道で霧が出てきたので気を使うこと半端ない。
大迫さん!フレーズお借りしました。

なんだかんだしていると追分に住む友人がお手伝いしますとの申し出。
ありがたい!
それではうちに来てお昼食べようよと言うことになったけれど、いまだに続く断捨離で食器もない。
有り合わせの丼でフリーズドライの麻婆茄子丼などを食べてごまかす。
でもこのフリーズドライは私が作るよりよほど美味しい。

コーヒーを飲み終わるやいなや、働き者の彼女はシャカリキで働き始めた。
すごい馬力。
お祖父様の代からの建築家の血が騒ぐようだ。
途中で「もうやだ」とお手上げの私。
その間も彼女は目まぐるしく動き回って、すっかり整頓して帰っていった。
グズグズしていないのは彼女を待っている5匹の猫の餌やりの時間が心配だから。
あっという間に大きな四駆の車は走り去った。
うちの猫は相変わらず人間嫌いでお愛想なし。
これで喉をゴロゴロ言わせるくらいの世慣れた猫でないと、皆からかわいがってもらえないぞ。
夕方雨が上がって薄明かりの森を見たら、霧が立ち込めて幻想的な風景が広がっていた。
しばらく見とれてしまった。

霧のなかで運転はつらい。
山道をこれからも走らなければならないとなると、やはり自動運転装置付きの四駆車にしようかと思う。
お向かいのご夫婦が買い換えると言うので、検討することにした。
最近どこの自動車会社も、買いやすいように支払いプランを立ててくれるらしい。
事故を起こせば今までの人生元も子もなくなる。
のんきに霧を眺めていられるのも今まで無事故だったお陰。














2019年7月20日土曜日

あー、びっくりした

雨上がりの道をレジ袋に一杯の買い物をぶら下げてトボトボ歩いていた。
最近歩くのが遅くなったのはくるぶしが腫れているから。
途中で荷物が重くてもう歩けない。
最近我が家のそばの川が一部分きれいになって、一見遊歩道風に整備された。
両側が桜並木だから全部出来上がれば、お花見の人たちが川岸のベンチなんかに座って楽しんだり、散歩したりできると思ったけれど、この工事のためにそこに植えられていた菖蒲の株を引き抜いてしまった。
菖蒲の株を十本ほど植えたのは、市の土木関係の課ではないかと思うけれど、
工事が始まると菖蒲は泥まみれとなって掘られた土の中に埋もれてしまった。
あまりのことにあぜ~ん!

腹が立つ。

両岸には小さな石の四角い腰掛けが数箇所置いてあるから、どっこいしょ。
くるぶしは軽く捻挫していたのに、無理したせいで腫れ上がってしまった。
足首用のサポーターを注文して待つこと17日。
やっと届いたので足首に巻いて歩くと大変具合がよろしい。痛みが軽くなる。



しばらく休んで又歩き始めた。

向こうから自転車が来たので乗っているひとを見たら、あら、目が4つ?
びっくりねえ!!きれいな人なのに気の毒なと思った。

私は最近お月さまが2つに見える。
村上春樹の世界に生きています。
そんなことも忘れて見た通りのことを受け入れてしまうのはもはや末期的。
おかしくて一人で笑っていたけれど、傍から見た人は不気味に思ったかも。
四つ目さんを見たときには、この画像のビッグキャットの様な顔したかも。

どうしてこのような画像を貼ると文字のレイアウトが上手くできなくなるの?
お見苦しくてすみませんが、画像の可愛さに免じておゆるしを。

後記
ここの文章、何のこっちゃと思われたでしょう。
最初は画像の指定する場所から文章が始められるようになっていて、それは中央揃え。
だから長い文章と短い文章とでははじめの位置が変わってくる。
そのため、文のはじまりが凸凹になってしまいました。
今はちゃんと始まりが揃っているでしょう?
こうすればいいですよと言ってくれるのは、私のパソコンの師匠。
できの悪い弟子に涙の日々を送っているのではないかと思っています。










2019年7月16日火曜日

リハーサルと言うのは世を忍ぶ仮の姿

その実態は食事会。
今年の北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルの出演者は、元のオーケストラ仲間二人が助っ人として参加してくれることとなった。
足代も宿泊費も出ないようなブラック企業によくぞ参加してくださいました。
なにせ入場料金が安い。
たったの1000円。
出血大サービスですよ。

スキー仲間と夏に楽しもうという企画で参加していたので、外からの参加者は想定していなかった。
半分遊び、それでも演奏するときは超真面目。
それが、なにやら外部からも人が集まり始めることになるのは、メンバー全員が招き猫だからかもしれない。
中には狼とかトラとかもいるかも知れないけれど、概ね猫。
皆が友情に熱い友達が多という、それだけの理由ではあるのだけれど、私自身も招き猫。
私の招き猫ぶりは、他人からの指摘を受けてはじめて気がついた。

いつもステージドレスを買いに行くお店で、nekotamaさんは招き猫なんですよ、と言われたことがあった。
その言葉が終わらないうちに「ほらね、お客さんが」
なるほど、数人の女性が入ってきて、狭いお店は一気に混雑した。
その後も注意するようになったら、毎回、そんなことになる。
他の店でも同じ。
すいているからと思って入ったら、あとからどんどん席が埋まってくる。
コンサートのお客さんも、予想外に入ることが多い。

昨日は最寄りの商店街で買い物の荷物が重たく、足を休めようとバーガーショップに入った。
いつもたいそう混み合った商店街で、しかも土曜日。
いつもに増して人通りが多いのに、その店だけ閑散としていた。
普段からあまり客入りは良くない。
不味い店ではないけれど、大衆的なこの商店街の中では少し値段が高いと言うほどではないが、年金生活者で2000万円も貯金がない層には隣のドトールのほうが安上がりで、そちらはえらく混み合っている。
もちろん私も普段はドトール層。

ゆっくりできるからと思って空いたテーブルに落ち着いた。
ところが入ってすぐ、あれよあれよと思う間に人が入ってきて、あっという間に店は大繁盛となった。
あらあら、又招き猫になったらしい。
それであまり長居がしずらくなった。

現役バリバリの生きのいいおねえさんたちの参加で、一段と演奏が華やかに。
半分壊れかけていた私もこうなると張り切ってしまう。
だから私は若者と一緒にいるのが好きなのだ。
大抵の人は同年齢の方が話が合うと思っている。
でもそれはあまり決めつけないほうが良い。
私はどんな年齢の人とも対応してみたい。
ただ、子供は苦手。
自分が子供の時から子供が苦手という筋金入り。
それはさておき、音楽に年齢の垣根はない。

nekotama練習場に集まったのは、全部で7人。
さっそくモーツァルトから賑やかに始まった。
バリバリ音が出る人たちと弾くと、今までのスランプが嘘のように楽しく弾ける。

今回のコンサートのメンバーの席次は、あみだくじで決めた。
だれがトップになっても大丈夫な人たちだから、席を固定しないほうがいい。
遊び心も満足できるし、誰もが自分の場所を自分の運で決められるように。
モーツァルト:ディヴェルティメントは私がコンミス。
モーツァルト:ピアノ協奏曲はゆかりちゃんがコンミス・・・というように。
その他デュオ、トリオなどもそれぞれの持場を替えて、誰もがトップを弾いたり末席で弾いたり。

一般的に合奏団のメンバーの席は固定される。
そうすると、自分の場所によってなんとなく性格が決まってくる。
積極性がなくなったり音楽を主体的に作ろうとしなくなったり。
人についていくだけではいきいきした音楽が出来上がらない。
今回のように少ない人数の合奏で一人一人がソリストがつとまるなら、と、考えたので、あみだくじで持ち場を決めた。
それにしても良く音の出る人たちで、テンポ感も小気味良く弾く。
私はあまりにもサボっていたので、もう再起不能かと思っていたけれど、こういう人たちとだったら、うーん、もう少しできるかな?
ほら、又欲が出てきた。

練習はぶっ続けで4時間、ついにお腹が空いて朦朧としてきた。
持ち寄った食べ物でランチをしておしゃべりして、青春が戻ってきたような。
練習は隠れ蓑。
食べるのが目的だから、大騒ぎして食べ続ける。
練習も楽しくランチも楽しいとなると私達の人生はお花畑と言いたいところだけれど、これでもかなりしんどいこともあるのですよ。
緊張や自信喪失やなんやかやで、枯野原歩いている気分のときだって。



















2019年7月14日日曜日

寒いじゃないの

せっかく北軽井沢に家を用意したら、今年はなんと冷夏。
去年の暑さは異常だった。
これからの温暖化に対応できるようにと、暑さに弱い私は寒冷地を選んだのに。

ノンちゃんの大事にしていたフィギュアや衣類、寝具などはもったいないけれどすべて処分した。
まだ食器や物置の中に入っているバーベキュー用品なども、そのうち処分しないといけない。
人が10年かけて溜め込んだものの多さには驚く。
知らず知らずに溜まってしまう。
整理整頓苦手な私は、ほとほと疲れた。

しばらく自宅の方に帰っていたら、やっと疲れが癒されてきた。
北軽井沢の家は二階なので、一日に何回も上り下りする。
それが重い荷物や布団などを持ってのことなので、足首や膝などが腫れてしまった。
今まで痛みが出たことのない左肩まで痛くなって、腕を上に上げられなくなったので鍼灸師に相談すると、なるべく早く来るようにと言われた。
グズグズして行かなかったけれど、ヴァイオリンを弾くとだんだん良くなってきた。
楽器を演奏することがどれほど体に良いかという証かもしれない。

筋トレのトレーナーに「nekotamaさん、体動かさないとだめですよ」と時々言われる。
この先もう何かが始まるという年齢ではない。
なるべく静かにしていたほうが良いのかとも思う。
それでも動いている方が断然体の具合が良い。
痛い足を騙し騙し、ゆっくり歩く。
去年までは人混みでも周りの人よりも早く歩いていた。
若い人たちがだらだら歩くと腹が立つ。
まったくだらしない歩き方なんだからと思いながら、ドサドサと歩いたものだった。
けれど、今年になったら急に歩くのが遅くなってしまった。
足首が腫れて、無理をすると右足がしびれてくるからゆっくりと歩く。

ノンちゃんの家は風呂の給湯器が壊れていたので、その修理と、ついでに石油ファンヒーターを入れてもらうことにした。
本来、床暖房が設置してあるのに、電源をオンにしてから温まるまでえらい時間がかかる。
今年の3月ころだったか、そちらに行くから床暖房の電源入れてくださいと2日くらい前に頼んでおいたのに、結局ちっとも温まらなくて暖炉を焚きっぱなし。
暖炉の薪の熱は柔らかくて気持ちが良いけれど、薪をくべるのに忙しすぎる。
それでもあちらに行くとあまりすることもなく、退屈しのぎにはなるけれど。
今年のこの梅雨寒に、すぐに温まるファンヒーターに替えることにした。

私がいないときにハウスクリーニングをしてもらったら、すごくきれいになったという報告が来た。
本来は元の持ち主が荷物を処分してクリーニングや修理などして家を引き渡すのだけれど、今回はノンちゃんがあまりにもあっけなく亡くなってしまった。
それで私が右往左往している。
彼女がいたら几帳面に物を仕分けしてくれるのだけれど、私は超絶不精人間。
一気にすてて物を減らしてしまった。
捨てると気持ちが良い。
体が軽くなった気がする。

一時期断捨離が流行って、その頃は私はせっかく買ったものをすてるなんて、と思ったけれど、自分がやってみるとすっきりする。
もっとも今回はノンちゃんが持っていたものであって、私とは趣味が全く違うので簡単に捨てられたのかもしれない。
自分が好きで買ったものは、うーん、やはり捨てるのは勇気がいるかも。

暑い都会をはなれて、雑木林の中にある小さな家で涼しく過ごす予定が、8月には様々な用事やコンサートのためにほとんど自宅にいることになった。
しかも今年は寒い夏とか。
北軽井沢に住むと決めたことが、本当に良かったと思えるときはあるのかしら。
周りの人たちは多少心配してくれているようだ。
それでも先日私より七才年上の姉を連れて行ったら、植物好きの姉が殊の外喜んだので少し勇気をもらった。

なによりも秋の紅葉の美しさ、今から楽しみなのよ。
9月のコンサートのあとは12月まで暇なので、秋の雑木林のなかでゆっくり木々の変化を楽しもうと、今からワクワクしている。
車も四駆の自動運転装置付きに替えて、又高齢者が・・と言われないように。


















2019年7月8日月曜日

ブートキャンプと言うけれど

もう辞めたはずなのになにかとご縁のつながっている音楽教室「ルフォスタ」
渋谷の宮益坂上信号近く、青山通りに面した黄色いビルの中にある。
もう何年になるのか、初代のオーナーだった小田部ひろのさんが起ち上げた。
いつも仕事で神経をすり減らしているおじさんたちのオアシスを作りたいという理念に賛同して、ほんの数人の講師が集まってスタートした。

それはそれは面白かった。
小田部さんは顔を合わせるといつも「どうやったら楽しくできるでしょうね」と相談を持ちかけてきた。
ああしよう、こうしようと、知恵を出し合ってことを進めてきた。
ときには意見が合わず、しょっちゅう喧嘩をしたけれど、喧嘩ができるほどの仲の友人はあとにもさきにも彼女しかいなかった。
残念なことに若くして亡くなった彼女を見送ったあと、私も風船がしぼむようになってしばらくして教室を辞めてしまった。

そのときに教えていた生徒たちが未だに私を引っ張り出そうと画策してくれる。
そろそろおとなしく家にいようかと思うけれど、誘われるとホイホイ出かけるところがおっちょこちょい。
毎年アンサンブルの合宿を発表会の前に計画、地獄の特訓が始まる。
発表会の前の数回の指導と合わせて年2、3回は彼らと楽しく過ごしている。

日曜日、雨の中集まったメンバーとは本当に長いお付き合いなのだ。
アマチュアのこういう団体ができると、必ず支配的な人が現れて牛耳り始めるのが世の常。
それがこのグループにはいない。
いつも話し合いで穏やかに解決していく。
もちろんリーダー的存在はいるけれど決して高圧的ではなく、何事も相談し合って、練習が終われば仲良く酒盛り。
音楽に関しては、全員が努力を惜しまないので、私も彼らとなんとか成果をあげたいと張り切ってしまう。
その結果、時々鬼のようになるらしい。

昨日もビールで乾杯しながら、nekotamaズ・ブートキャンプとの名前を頂戴した。
そんなに厳しくはないぞと心の中でつぶやく。
ここのメンバーは教室に入ってきたときはかなり教えるのに手こずった。
とてもアンサンブルどころではなく、自分の音すら聞いているのかどうか。
練習が始まってみると、一体何を目的として集まっているのか理解不能。
全く基礎ができていないので、一から、例えばイスの座り方とか、練習に鉛筆を持ってくるようにとか、様々な常識を教え込む。
人の言葉を聴いていない。
練習中おしゃべりを始める。
途中で練習を止めても気が付かないで弾いているなど、問題噴出の連続だった。
練習後のビールが目的で集まっているとしか考えられなかったけれど、そのうちにどんどんやる気を見せ始めてからの彼らの進歩は目覚ましかった。
やればできるじゃん!とnekotamaはつぶやく。
トップクラスの頭脳集団なので、理解し始めれば話は早い。

去年の合宿で、私は連れ合いの臨終の知らせを受けて途中で帰宅してしまった。
そのことをずっと申し訳ないと思っていたので、今年はとことん付き合いますよと言ったら「怖い」と言われてしまった。
それがブートキャンプと言われる練習になったようだ。
時々生徒に言われる。
「こんなに諦めない先生には会ったことはない」と。
何回も同じことを言うのは、自分もいや。
教わる方もうんざりだとおもうけれど、どうしてもうまくなってほしいからつい口を酸っぱくする。

今回発表する曲は、モーツァルト:ディヴェルティメント K.136
あまりにも有名なこの曲を、私は今年の北軽井沢のコンサートの冒頭に置いた。
私は去年の家のゴタゴタで、ヴァイオリンを弾くことが一時期できなくなっていた。
そのツケが回ってきて、他の曲には影響があまりなかったけれどこの曲が弾けない。
どうしても思うようにならないので、モーツァルトの難しさを思い知らされた。

今回の練習が始まったとき、あ~あ、とため息が出そうだった。
しょぼい!モーツァルトの輝きが全く感じられない。
しかし、ほとんどろくに休憩もしないでの特訓の成果は目覚ましかった。
最後に録音してみたら、なんと感激!
うまくなったねえ、あなた達。
全員の頭をナデナデしたくなったよ、私は。
























2019年7月7日日曜日

七夕コンサート

このブログに度々登場するY子さん。
彼女のお父様の3回忌「七夕コンサート」が帝国ホテルで行われた。
私は、弁護士だった故人の晩年になってからお付き合いが始まったと思っていたけれど、私が若い頃に奥様とお二人で度々私のオーケストラのコンサートを聞いてくださっていたという顛末は、少し前にこのnekotamaに投稿した。
実はこのことも含めて、他にも大変ご縁があったことも判明。
人の運命の糸はどこでつながっているかわからないから、人間関係は大事にしないといけない・・・とは、私の母の教え。

人にいばってはいけない。
いつ誰にお世話になるかわからないからね、と良く言い聞かされた。
多分母の人生経験からくる実感だったのだと思う。
それでも図に乗っていばることも屡々あったけれど、概ね穏やかに過ごしてきた。

帝国ホテルに集まったのは、ほとんど顔見知りの人たち。
皆さん申し分ない教養の持ち主。
そして、今日の「七夕コンサート」の演物は演歌。
ふだんクラシック音楽にも造詣の深い人達に、紅白歌合戦形式で演歌を聞かせてしまうという趣向だったけれど、受け入れてもらえたかな?

故人を偲んでの会にしては派手な衣装の司会者。
施主にあたるY子さんは、明るい色のワンピース。
私も本当はピンクのドレスで出かけようと思っていたけれど、昨夜試着してみたら、お腹がポッコン。
非常にタイトなスタイルのドレスなので、何回か着ようとしては諦める。
そのうちお腹の周りにフリルか何か付けて、お腹が出ていても目立たないスタイルに改造しようと思っている。

今日の闇営業の芸人達・・・ならぬ、東京交響楽団のホルニストとピアニスト。
チャーリー・犬和田率いるメンバーの演奏は、ホルンがいかに難しい楽器であるかを知っていると、お楽しみ効果は倍増する。
いかにも易々と演奏しているようにみえても、こんなに長い時間見事に演歌を吹くのは本当に大変なのだ。

今どきのホルン奏者はあまり出さなくなったけれど、かつての日本の楽団でホルンのソロが出てくるとハラハラしたものだった。
必ず、プルンと音がひっくり返るのが当たり前だった。
それはなぜかというと、ホルンの管は長く、その長い管がぐるぐる曲げられてそこを息が通っていく。
例えばトランペットと同じ音域の音を出すときも、トランペットは管が短いから直接音が出せるのに、ホルンは巡り巡ってから音が出る。
その難しさは吹いたことがないので良くわからない。
とにかく楽器の中でもホルンは難物とされている。

そのホルンで、長い時間美しい音を保ちながら演奏するのは、とてもむずかしいということは想像がつく。
そして伴奏のピアニストも素晴らしく上手い。
こういうパロディーのようなことをするときには、演奏が上手くないと白けてしまうけれど、素敵な演奏だった。

その後、Y子さんのチェロの先生のSさんが、コレッリとサンサーンスを演奏。
パロディーで笑いながら沸いていた会場がシーンとなり、偲ぶ会にふさわしい締めくくりとなった。
笑って送るのもしんみり送るのも、形が違うだけで、故人を懐かしむ気持ちに変わりはない。

美味しいお料理と美しいホルンの音、楽しい会話。
きっと故人のYさんも大喜びだったと思う。
いつもにこにこして大好きな音楽をきいていた方だった。
老いていくならこうありたいと思うお手本のような方だった。

























2019年7月5日金曜日

樫本大進 見事すぎて!

ベルリン・バロック・ゾリステンと樫本大進、ジョナサン・ケリー
 
アルビノーニ:オーボエ協奏曲 Op.9-2
ヴィヴァルディ:弦楽のための協奏曲 RV156
マルチェッロ:オーボエ協奏曲ニ短調
ヴィヴァルディ:オーボエとヴァイオリンのための協奏曲 RV548
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲「四季」Op.8 Nos.1-4
     
台風による大雨が心配される中、ミューザ川崎は曇り、時々小雨
湿度が高く、弦楽器にはつらい季節。
ヨーロッパからの演奏者たちは苦労していると思う。

そんな心配なんのその、いきなり素晴らしいハーモニーを聞かせたのはさすが。
オーボエの音の美しさに涙があふれる。
弦楽器奏者たちのアンサンブルのレベルの高さに圧倒された。

いつも思うのは、彼らは生まれたときから体内にハーモニーの遺伝子があって、最初からどうハモらせればいいのかわかっているのではないかと思う。
音程やバランスがどうのこうのと言って練習しなくても、はじめから「それ」を出せるような。
前半のプログラムはゆったりとヒーリング効果満点。

後半、樫本登場でガラッと雰囲気が変わった。
彼の演奏を初めて聴いたのは、彼が非常に若い頃だった。
えー、私も今より多少若かった。
そんなことはどうでもいいけど、日本人離れしたスケールの大きさ、若いけれどすでに大家の風格があった。
どれほど伸びるのかと思っていたら、オーケストラの最高峰であるベルリン・フィルのコンマスになってしまった。
彼はずっとソリストでいくのかと思っていたけれど、この選択に驚いた。

本当にアンサンブルが好きなのかと思った。
一人で世界中を駆け巡る生活でも彼なら素晴らしい成果を上げると思うのに、好き好んでオーケストラのコンマスという重圧に立ち向かう勇気。
彼のドキュメントをテレビでやっていたけれど、誇り高いベルリン・フィルのメンバーが彼を受け入れてくれるかどうか・・・辛い選択だったと思う。
たぶん彼ほどの実力があってもオーケストラは別世界。
1年間口をきいてくれないメンバーもいたという。
しかし、彼の独自の開拓精神で伝統あるベルリン・フィルの改革を成し遂げたあと、そのメンバーからも挨拶をされたという。
受け入れられるまでの苦労は並大抵ではなかったようだ。

ヴィヴァルディの「四季」は日本人が大好きだから、よくプログラムに載せられるけれど、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲は他にもたくさんの名曲がある。
いずれも弦楽器の特徴をこれ以上ないほど上手く表現しているので「四季」以外の曲も聴いていただきたい。

さて演奏のはじめはオットット!
あれ、音程が・・・
さすがの大進クンも湿気にやられた?
以前彼のリサイタルで、最初の曲、ベートーヴェンのソナタ8番で派手に音程外したのを聴いたことがある。
彼ほどの実力者でも、はじめの曲は緊張するらしい。

「春」は緊張が解けず、「夏」もまだまだ、「秋」は後半から乗ってきた。
「冬」は圧巻!
拍手が鳴り止まなかった。
ほんとに上手いんだなあ。

私も過去にイ・ムジチのヴァイオリン奏者と、この「四季」を弾いたことがあったけれど、最後のほうではテンポについていけなくて苦労した。
その頃私はまだ若く、指はおそろしく早く回ったにもかかわらず。
その時のテンポよりも早い。
ヴァイオリンは機関銃の一種かも。

ところでヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲には「四季」の他にとても良い曲がたくさんあると言ったのは、コホン・・・
実は9月27日に「古典音楽協会」の定期演奏会で、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲「Amoroso」を不肖この私が弾きますので、足を運んでいただければ嬉しいです。
会場は東京文化会館小ホール、19時開演です。
怪演とならないよう、努力いたします。






















2019年7月1日月曜日

芸人さんお気の毒

吉本興業の芸人が、闇営業(なんてひどい言葉)でいわゆる闇社会の人の誕生日パーティーに行ってクビになったという。
そもそも吉本がきちんと抱えている芸人に給料を払っていればこんなことにはならない。
売れない人は仕事の他にアルバイトをしないと生活できないなら、もっと自由に仕事を取らせてあげる。
そうでなければ人として最低限の生活ができるだけの給料をはらう。
それもしないらしいから、他の仕事に行ったからとクビにする権利はあるのだろうか。
食べずに餓死しろとでも?
家族を養えず、家で妻子にどれだけ肩身の狭い思いをしているのか考えると涙が出そうになる。
依頼主が闇社会の人だとは知らなかったのですか?
現場でそのことを訊かなかったのですか?
お嬢さんのレポーターの質問に、鼻から紅茶を吹き出しそうになった。

私達もオーケストラがどん底だったとき、スタジオの仕事をやって生活していた。
これを「しょくない」と言った。
子供が生まれたばかりのお父さんはミルク代を稼がないと、奥さんに逃げられてしまうようなそんな状況で、仕事がきたらどんな仕事かなどとは確かめないで行く。
たとえ現場に行って相手がその種の人だと悟っても、受けた仕事はやらないといけない。
そもそも、放送局内にだってヤクザやその親戚はゴロゴロいる。
えらそうに闇社会などと言っている人の身内にだっている場合もあるでしょうに。

今のその手の人達はカモフラージュされた企業にいることが多い。
仕事に行って「あなた堅気の方ですか?」なんて訊く人いる?

随分以前のことだけれど、我が家に仕事に来たペンキ屋さんはYAっちゃんだった。
ある日表ですごい声で怒鳴り合いが始まった。
びっくりして飛び出すと、私道を隔てたお隣のご主人と顔を突き合わせて怒鳴っている。
どうやらペンキ塗りの道具が私道にはみ出ていたのを、お隣さんがベンツで轢いたらしい。
二人の男の間に割って入った私は「喧嘩するなら多摩川の河原かなんかに行ってやってください」
どうやらお隣さんはその手の社会の親分だったらしい。
「待ってろよ、今組の若いもん連れてくるからな」
突然現れたおばさんを持て余したらしく、捨て台詞を残して行ってしまった。
私はペンキ屋に「今日はもう帰ってください」と言って帰した。

その後四つ辻の真ん中に仁王立ちしている親分を見つけたので、私はペンキ屋が帰ったことを言おうと近寄っていった。
玄関を出るときに気がついたのは、なんで今日はこんなに車が沢山停まっているのかしら?
親分のそばまで行くと、その車のドアが一斉に開いて中から人が大勢出てきた。
あら、なに?この人達。
「ペンキ屋さんは帰りましたから、お引取りください」

親分と車から出てきた人たちが帰ったので、はた!と気がついた。
今の人達、いわゆる「組の若いもん」だったのだ。
へえー、ほんとにこんな世界があるのだ。
その後警察が出て一件落着。
ペンキ屋は次の日から、のんきに我が家の壁を塗っていた。
親分にはそのことがあってから挨拶をされるようになった。
ある雪の降る日、楽しそうに空を見上げて雪を眺めている親分に遭遇した。
聞けば新潟の人らしい。
どこをどうしてこんな稼業になったのか、元はいい人みたいなのに。

母に報告すると「ああ、あの子ねえ(ペンキ屋)おとなしいいい子だったけどねえ」
母にとってはだれもがあの子、どんな稼業でもいい子か悪い子にしか区別できないみたいだった。

吉本興業自体はちゃんとした会社かもしれないけれど、興行と闇社会はむかしから深い関係にある。
歌手も地方興行ではかならずお世話になると決まっていたから、いまだにこの世界とは切り離せないのでは?
故人だけれどある超一流歌手なんて、その手の親分との深いつながりは誰でも知っている。
けれど、彼女は国民的歌手として、誰からもそのことは追求されなかった。
末端にいる貧しい芸人たちに責任を取らせるのは本当に可哀想。
やっとありついた仕事がその手の人達の集まりでも、彼らに責任があるのだろうか。
まして知らないで行ったことでそんなに非難されることなの?
偉そうにインタビューしているレポーターのおねえさん。
あなたがその立場だったら訊きますか?「あなたは闇の人?」なんて。
むしろ事務所がちゃんと仕事を回してあげればいいのに・・・というのは甘すぎるのかなあ。