2019年7月27日土曜日

涙が枯れない

まだそこここに残るノンちゃんの遺品の整理。
レターセットが古い箱にきれいに収められていた。
必要なものだけ残して処分しようと思って中身の整理をしていた。
切手などが数枚。
一筆箋と、きれいな封筒。
でも一番多かったのは、猫とヴァイオリンの描かれた封筒や絵葉書。
どっと涙が出た。
ふだんノンちゃんが私に手紙を書くときには、ごくふつうの花の描いてあるものとかを使う。
きっと私に大好きな猫やヴァイオリンの便箋で便りをしてくれるつもりだったのではないかと思うと、その優しさに胸が詰まった。

今日はそんなわけで午前中はしんみり。
午後から、ヴィオラ奏者のH氏の指導する室内楽の合宿の見学に行くことにした。
毎年やっているんですよ、と彼は言うから音楽教室や学校関係かと思っていた。
一緒にYさんも行くことになっていた。
昨日も今日も私にお付き合いご苦労さまと思うけれど、ニューヨーク旅行で有能な個人的ツアコンとして私の面倒を見てくれたので、さっそくどのような人たちが集まるのか調査してくれたらしい。
すると私の知っている名前が浮上した。
そのひとがいるならきっとあの人も来るに違いない。
するとあの学校の関係者?
世の中狭い。

練習が始まる時間には皆さん初合わせだから、ゆっくり来てくださいとH氏からのメール。
場所は昭和天皇ご夫妻のロマンスで有名なテニスコートのすぐ裏にある、某邸。
そして、その場所は、去年亡くなった私の連れ合いが仲良くしていただいていた方の家だった。
その方とは初めてお目にかかった。
亡夫を送る会のときに彼女はポーランドへ行く予定で、「送る会」には出られなかった。
そして私は彼女から素晴らしい手紙を頂いた。
丁重なお悔やみと欠席のお詫びだった。

和紙の巻紙に水茎の跡も麗しく、毛筆で書かれた私が生まれてこの方一度も受け取ったことのない様な手紙。
こんな美しい手紙に私のブサイクな文字で返事を出すことはできない。
それでかんたんにプリントして返事をした。
ずっとどんな方かと思っていたけれど、やはり品のある美しいひとだった。

大きなお宅はがっしりとした造りで、いくつもの部屋に別れて数組のアンサンブルがそれぞれの練習をしていた。
メインの部屋ではシューベルトの「オクテット」
時々かすかに上で練習している「死と乙女」が混じったり。
トランペットの音がするけれど、うるさいほどではない・・といったふうに、よほど頑丈にできているのか、この家では同時に音が出せる。
普通の家なら全部ごちゃごちゃになって不可能なことが、わけなくできる。

ここで夏の合宿をして、秋に大賀ホールでコンサートをするらしい。
H氏以外はアマチュアで、普段ヴィオラを弾くH氏はヴァイオリンを演奏する。
年をとったらヴィオラが重くなったとおっしゃっていたけれど。
皆さん実に楽しそうに弾いているのが、羨ましい。

しばらく聴いてからおいとますることにした。
玄関でH氏の奥様と立ち話をしていたら、急遽ヴァイオリンが足りないのでと招集がかかった。
楽器をお借りして、モーツァルトの弦楽四重奏曲「狩」の練習に加わることになった。
もうこの曲は何年も弾いていないし、楽譜用のメガネもない。
買い物するときに値段を見るだけ用の100円ショップメガネで、しょぼしょぼと音符を拾う。
それでも生来のアンサンブル好きの血が騒ぐ。
ああ、楽しい。

数人の旧知の間柄の方たちがいらして亡夫の思い出を語ったときには思わず目頭が熱くなったけれど、こうして他のひとと楽器を通して会話するときは、心が弾む。
悲喜交々の涙。
泣けるうちは感受性が枯れていない証拠、生きている証。
それにしても、様々な糸でつながっていた人たちとこうして出会えて、人生は素晴らしい。


















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