このブログに度々登場するY子さん。
彼女のお父様の3回忌「七夕コンサート」が帝国ホテルで行われた。
私は、弁護士だった故人の晩年になってからお付き合いが始まったと思っていたけれど、私が若い頃に奥様とお二人で度々私のオーケストラのコンサートを聞いてくださっていたという顛末は、少し前にこのnekotamaに投稿した。
実はこのことも含めて、他にも大変ご縁があったことも判明。
人の運命の糸はどこでつながっているかわからないから、人間関係は大事にしないといけない・・・とは、私の母の教え。
人にいばってはいけない。
いつ誰にお世話になるかわからないからね、と良く言い聞かされた。
多分母の人生経験からくる実感だったのだと思う。
それでも図に乗っていばることも屡々あったけれど、概ね穏やかに過ごしてきた。
帝国ホテルに集まったのは、ほとんど顔見知りの人たち。
皆さん申し分ない教養の持ち主。
そして、今日の「七夕コンサート」の演物は演歌。
ふだんクラシック音楽にも造詣の深い人達に、紅白歌合戦形式で演歌を聞かせてしまうという趣向だったけれど、受け入れてもらえたかな?
故人を偲んでの会にしては派手な衣装の司会者。
施主にあたるY子さんは、明るい色のワンピース。
私も本当はピンクのドレスで出かけようと思っていたけれど、昨夜試着してみたら、お腹がポッコン。
非常にタイトなスタイルのドレスなので、何回か着ようとしては諦める。
そのうちお腹の周りにフリルか何か付けて、お腹が出ていても目立たないスタイルに改造しようと思っている。
今日の闇営業の芸人達・・・ならぬ、東京交響楽団のホルニストとピアニスト。
チャーリー・犬和田率いるメンバーの演奏は、ホルンがいかに難しい楽器であるかを知っていると、お楽しみ効果は倍増する。
いかにも易々と演奏しているようにみえても、こんなに長い時間見事に演歌を吹くのは本当に大変なのだ。
今どきのホルン奏者はあまり出さなくなったけれど、かつての日本の楽団でホルンのソロが出てくるとハラハラしたものだった。
必ず、プルンと音がひっくり返るのが当たり前だった。
それはなぜかというと、ホルンの管は長く、その長い管がぐるぐる曲げられてそこを息が通っていく。
例えばトランペットと同じ音域の音を出すときも、トランペットは管が短いから直接音が出せるのに、ホルンは巡り巡ってから音が出る。
その難しさは吹いたことがないので良くわからない。
とにかく楽器の中でもホルンは難物とされている。
そのホルンで、長い時間美しい音を保ちながら演奏するのは、とてもむずかしいということは想像がつく。
そして伴奏のピアニストも素晴らしく上手い。
こういうパロディーのようなことをするときには、演奏が上手くないと白けてしまうけれど、素敵な演奏だった。
その後、Y子さんのチェロの先生のSさんが、コレッリとサンサーンスを演奏。
パロディーで笑いながら沸いていた会場がシーンとなり、偲ぶ会にふさわしい締めくくりとなった。
笑って送るのもしんみり送るのも、形が違うだけで、故人を懐かしむ気持ちに変わりはない。
美味しいお料理と美しいホルンの音、楽しい会話。
きっと故人のYさんも大喜びだったと思う。
いつもにこにこして大好きな音楽をきいていた方だった。
老いていくならこうありたいと思うお手本のような方だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿