2024年3月28日木曜日

落ち着かない大人

 PCR検査の結果を姉に知らせたらすぐに飛んできた。最初のうちは食物の入ったバスケットが遠慮がちに玄関前においてあったけれど、3日も経つと「足りないものがあったら連絡して」と言ってそれっきり。私は潤沢な食物で何不自由なく暮らしていた。こんなにも冷凍食品があったなんて、これなら震災があっても1ヶ月間は持ちこたえそうだった。それに最近サプリメントで多少カロリーの軽減、体重を極力減らすように努力しているから食べ物が減らない。

姉は小さなケーキを持参していたのでコーヒーを淹れて全快祝い。ずっと甘いものも控えていたので美味しい。今回の検査でわかったのはあれほどコロナコロナと騒いでいたのに、今は検査を受けられる場所もよくわからない。役所の対応はもはやコロナは過去のもの?症状は出なくなったけれど本当に治ったのかどうかを調べないと患者は不安で仕方がない。

今朝たまたまネットで見つけたのが自宅付近の発熱外来だったから良かったけれど、昨日まではそれも良くわからず自宅から電車に乗っていく距離のところばかり。もし陽性のままだったら他人に感染する。

見つけたのは偶々だったけれどラッキーだった。電話をして予約、到着したときにはほんの数人の患者がいるだけだった。すぐに検査は終了して医師の診察を受けると、彼女は少し腹立たしげにあなたの場合は保険診療のケースではないと。なんで同じ検査で保険が効くか効かなくなるのかよくわからないけれど現在発症していないから保険は使えないとか。発症しているのとしていないのとで検査のやり方が違うわけではないらしい。

私はもう症状が治まったこと、それでも大勢の会議とか花見とか旅行とか検査したとしないのとは大違い。PCR検査の陰性の証明があれば気兼ねなく動ける。検査のどこが違うのかはわからないから黙っていたら帰り際にも受付で今度から正しく申告してくださいと言われた。嘘ついたと思われた?なんだかわからないけれど非常に不快な思いをした。それなら最初からきちんと説明してほしい。保険が効かないとしても必要な検査だから受けたいと思っていたので。

自宅に戻って姉に陰性の報告するとえらく喜んでくれてケーキ持参の訪問となったしだい。私の兄弟たちはよく昔のことを覚えている。特に私は彼らのおもちゃだったから今頃になって様々な思い出話しが飛び出してくる。姉に言わせれば私は「夏休みの宿題はね・・・」と始まる。

私は夏休みに入ると先に日記を全部書いてしまったという。へえー、そんなことあったかしら。それで毎日その日のページを開いてそこに書いてあることを次々とやってから「はい、これでおしまい」と言って終わりにしたそうなのだ。そりゃあ能率的だわいと私は思う。10分もあれば済ませられることを済ませてあとは縁側で空に浮かぶ雲を飽かず眺め、レコードで音楽を聴き、ラジオで落語を聞く。毎日何冊もの本を読む。母はそんな私が嫌でまるで子供らしくない子供として持て余していたらしい。時々引っ立てられて近所の同い年くらいの子どもと遊ばせようとさせられるのが本当に嫌だった。話したって面白くない、縄跳び、缶蹴り大嫌い。男子は鼻垂らしてきたないし、なんて。

だから当然体操音痴、跳び箱、縄跳び、鉄棒全部できない。走らせても全力疾走なんてカッコ悪いと思っているから絶対に歯を食いしばって走るなんてことはない。そのつけが全部回ってきて、今は何でもやりすぎている。人間は生涯での運動量が決まっていると私は思っている。子供の頃運動しなかった私は今になってもスキーを諦められない。最後の海外旅行、フランスのヴァルトランスのアルペンスキーの楽しかったこと。スキューバダイビングで死にかけたり、モンゴルの大草原で落馬して大地に叩きつけられたり、大変な思いをしてもなお変ったことがしたいと未だに憧れ続けている。例えば成都からラサまでの青蔵鉄道にもう一度乗りたい・・・とか。高山病で危うかったのに。

子供の時の私がほんとうなのか、大人になってからの私が子供に戻ったのかよくわからないけれど、差し引きゼロにしてから死ぬつもりでいるから、どうぞ皆さんよろしく。






















めでたく陰性。

 私の性格は陽性だからコロナもなかなか離れないかと思ったら今朝の検査で陰性判明!まずはホッとしたところです。

子供の時から様々な病気とお友達なのに決して命にはかかわらない。並べて書いたらゾッとするような病歴なのにいつものんびりと「これで本が読める」とかなんとか言いながら陽気な入院生活。医師も驚く治癒力を誇っていたのに、流石による年波には抵抗できずと思っていたけれど、終わってみれば症状はほとんどなくてひたすら眠って疲労を回復していただけの話となった。

最初の眠り期では食欲もなくひたすら夢の中。これは一番幸せだった。体重が落ちたせいか膝の痛みが消えたのがラッキー。起きられるようになったときにはミツバチのようにスムージーに蜂蜜などの流動食、それが約一週間持続したにもかかわらず空腹感がない。そして確実に体重が2キロほど減って体中が軽くなり、胃腸の具合も良くなり、今までいかに食べ過ぎていたかを思い知らされた。

今ならスキーにも行けそうな膝のコンディションで、もう少し早めにこうなってほしかったと思った。今年はスキー歴60年、はじめて滑りにいかなかったシーズンとなってしまった。去年まではなんとしても這ってでもゲレンデに立つという課題を自分に課していた。今年は「古典」が新体制になった初めてのコンサートでもあり、大事を取っての我慢。幸い古典の再出発は成功裏に終わり、これで持続できる目処がついた。新しい事務所と会計さんの努力の賜物であり、メンバーも張り切っているので老兵は去りゆくのみ、私は安心して引退できる

スキーの先生と話をしていたら、なにか来年もできそうな気がしてきた。何よりも膝さえ痛くなければ初心者むきゲレンデだったら十分に行けそうなので、頑張ってみようと思った。それには膝の痛みを出さないこと。ここ数年筋トレに励んできた。もしかしたらそれが元凶だったのかもしれない。私の性格上なんでもやりすぎる。痛い膝を無理に動かして筋肉をつけようとしていたのかも。nekotamaさんはたぶんやり過ぎ。俺だってそんなには筋トレやらないもん、とか先生は言う。毎日のあの努力は何だったのかしら。そういえば整形外科のリハビリを見ているとイライラした。

なぜかというと皆さんベッドに寝たまま療法士のなすがまま、手足を動かしてもらっている。私だけガツガツと歩いたり階段を登り降りしたり。スクワット一日30回とかやって寝る前に手足ブルブルゴキブリ体操、太腿の筋トレなどなど、暇さえあればやっていた。それでも筋力はさほどつかず、逆に目が覚めたときにすぐに歩けなかったりしたものだった。今は椅子に座って貧乏ゆすりを時々するだけ。それでも体重の管理をすれば痛みもなく歩けることが判明した。ようし、来年こそはスキーヤーとして不死鳥のように蘇ろう。

ここに来て生活の見直しができてラッキーだった。胃腸の不調もスッキリと治った。猫たち(実はノラが家族の一員となった)とのんびり楽しく暮らそう。食べ過ぎの弊害がこれほどのものだとは思わなかった。不足を心配するより過剰をセーブすることの大切さを学んでもいまだ悟りが開けない。今日も早速全快祝いにケーキを食べる。これさえなければねえ。










2024年3月22日金曜日

治癒

今朝目が覚めたとき、昨日までの体調とは明らかに違うことに気がついた。「あ、治った」そう感じた。 体の中から力が湧いてくる。背筋がシャンと伸ばせる。

昨日はまだコロナが私の鼻腔の中にわずかに残っていると感じていたから、何処ぞの病院で治療を受けねばと病院を探していた。19日の午前中、眼瞼下垂手術のために抗体検査を受けて陽性の診断がくだされた。けれど病院側はコロナ患者が自分の病院にとどまることを恐れて現場での検査結果を直接本人に言わない。これは上手く考えたもので、もし結果が陽性ならばその場で患者は入院を希望すると思う。患者を受け入れたくないので本人が帰宅してから電話で結果を報告するという姑息な手段が取られているのだ。

私は自覚症状が軽かったので花粉症くらいにしか思っていなかった。帰宅したら留守電に医師からの報告、すぐに折り返したら陽性を告げられた。一体その治療はどうしたものかとぼんやり考えてもわからない。その病院にいればすぐに診察が申し込めたのにと恨めしい。

とにかく次の日に「古典」の会合があって準備をしなければいけないので、どうしたものか。合奏団のメンバーに相談をしていろいろ考えた結果、やはり中止となった。そのままベッドに倒れ込んでぐっすりと眠る。寝ても寝ても起きていられないほどの眠気に襲われた。たまに目が覚めても水分の補給のみ。食欲はまったくないものの食べないといけないと思ってきゅうりをかじってまた寝る。今朝、珍しくココアが飲みたいと思った。甘いココアは喉に優しく落ちてゆく。そしてふと思った。「治った」

昨日検査や治療を受けようと医療機関に電話してみた。ネットでPCR検査をしてくれるところを探して治療の相談をするともはやコロナでは儲からないと思ったのかけんもほろろの対応。明らかに院長らしき女性が拒絶の気配濃厚で来るなという。何をしたいのか、うちでは治療をしていないからと。それでも医者ですか?

それではと高齢者医療保険の役所に電話してみた。すると身近な区役所に相談しろと。そして最後に救急医療センターへとたらい回し。そこで自宅住所を言って近隣で治療が受けられるか、せめて自分がそのような状態なのか知りたいと思った。すると自宅付近のクリニックでコロナの治療をしてくれる病院を探してくれた。

その中の一つが我が家から徒歩5分、先月初めて診察をしてもらった病院だった。その時初めて会った医師は初対面だったけれど、なんという良い人だろうという印象だった。髪はボサボサ飾り気のない風采の男性医師、しっかりと話しを聞いてくれた上、私が足を引きずっているのを目ざとく見つけて事情を聞くなど、鋭い観察眼があった。何よりもその先生自身がとても幸せそうな表情なのだ。こんな医者は初めて見た。

その病院を教えてくれた役所の人に思わず「ああ、良かった」と私はお礼をいった。すぐに電話で相談するとテキパキとした看護婦が対応してくれて私の杞憂はすべて吹き飛んだ。私の症状からみて軽症だしもう治りかけている、だから今から5日間過ごせばもう大丈夫と言われてすべての心配は吹き飛んだ。最後にちょっと怖い声で「でもやたらにウロウロしてはいけませんよ」釘を刺された。

それで今日はまだその待機期間だから表には出られない。具合の悪いときにはいくらでも眠れたのにもう眠るのも飽きた。食料は差し入れが多かったからまだ十分に備蓄がある。いい気になって食べると体重が増えてしまうから未だにダイエット中。なにもすることがない。狭い家の中を檻の中の熊のように歩いたりして動物園の檻の中の猛獣たちに同情の念を抱いた。

しかし年齢が高くなってから良い医者に会えたのが私の強運の賜。本当にこの先生にホームドクターになってもらおう。聞けばコロナ患者を受け入れるのを躊躇う病院がほとんどだったのにこの病院では受け入れてくれたそうなのだ。

今日は本当に気分が良く久しぶりにコーヒーが飲みたいと思ったけれど見当たらない。もうジタバタして禁断症状と戦っている。いつもなら夕方ふらりと近所のカフェに出かけるのに出られない。自由自在に出入りを繰り返している我が家の野良猫が羨ましい。








2024年3月20日水曜日

矢でも鉄砲でも・・持ってこないで

コンサートのあとのホッとした気分とこれで終わってしまったという喪失感がないまぜになって起き上がる気力もなく毎日眠り続けて気がつくともう一週間が過ぎた。咳が出るけれど殆ど眠っていたので喉の痛みもない。どうやったらこんなに眠れるのかと思うほどの深い眠りに落ちては浮かび上がりまた落ちてゆく。

その間時々夢を見る。ギリシャ神話に出てくるような不思議な人物と動物。今まで絵でも見たこともない想像上の遥か上を行く情景。私の脳みその中にこんな者たちが住みついていようとは。一瞬で高く舞い上がって消えてしまったけれど、脳裏に焼き付いている。これは私の体験からくるものではなく、もともとヒトの遺伝子かなにかに組み込まれていたものなのか、それとも覚えていないだけで幼少の頃本の挿絵で見たものなのか。

うつらうつらとしていたら1週間が過ぎ、申し込んでいた眼瞼下垂の手術を受ける日が近づいた。北里研究所病院の形成外科で明日からの予定だった。長年長時間、楽譜を読んでいると目のコンディションは非常に能率に影響する。最近なんだか世の中が鬱陶しく見えると思っていたらどうもまぶたが下がってきているらしい。鏡を見ると昔はバンビのようだった大きな目が約半分の大きさになっていた。北里研究所病院で指摘されて初めて気がついた。これ上げると楽ですよ、クリンと金属製の器具で瞼を持ち上げられると、あった!もとの目玉が半分。そして世の中急に明るくなった。

見えにくいと頭も重くなる。集中力も下がる。とりわけ最近は脳みそにも曇りがかかっているからダブル効果のパンチ。練習時間も短くなってきた。それならやってみようかな。新しもの好きな私はちょうどコンサートが終わることだからとスキマ時間に手術を受けることにした。昨日は手術前の最終段階、最後の抗原検査だった。そしてコロナ感染が発覚した。

1週間近くひたすら眠いだけでよく聞くコロナの症状もなく頭も痛くない。流石に眠ってばかりだから食欲もない。いつもこういうときに助けてくれる友人がすぐに駆けつけてくれて、高カロリーの栄養補助の缶詰を届けてくれた。やれやれありがたい。これを飲んでは眠り眠っては飲む。しかし人がこんなに長時間眠れるとは知らなかった。こんなに食べずにいてもお腹もすかないというのは生まれて初めての体験だった。

手術は即中止。本当は今頃「古典」の仲間が我が家に集まって大いに盛り上がる予定だったけれど、それも中止。そして今一人寂しくパソコンに向かっているという悲しい状況。明日は病院に入院して猫も何もかもほったらかして眠りたいだけ眠るつもりだった。

最近の世界的な気候変動の激しさ、異常気象に振り回されていることなどが我が身にも影響しているとしか思われない。今まではほとんどいいことばかり、安穏と人生を歩んできたのにどうもそうもいかなくなってきたようだ。身近な人に対する不信感や憤りなどは私の人生にはなかった。しかし、そんな呑気な状況ではなくなってきているようだ。

嬉しいことと悔しさ悲しみの間の落差が大きくなったような気がする。これは年寄りにはちときつい。激動の人生を送ってきてやれやれホッと一息、これからはのんびりと北軽井沢でイングリッシュガーデン作りに励もうとしていたのに。こうなったら矢でも鉄砲でもと言いたいところだけれど、矢はもうたくさん。コロナさんも早くお引き取りいただきたい。

今朝目が覚めると気分が明らかに良くなっている。なにかひとくち食べたいとは思っていても寝てばかりいるのだからうっかりすると消化不良になる。気をつけないといけない。朝はサプリメントのグリーンスムージーにチアシードという不思議な種子を食べる。グリーンスムージーは大さじ一杯でレタス2個分の繊維質がとれるらしい。チアシードは南米産の植物の種を水で溶くと30分ほどでヌルヌルしたゼリー状のものに変わり、それを食塩、レモン汁等と混ぜて飲むと体内ではできないオメガ脂肪酸に変わるとか。

そして昼食時何が食べたいかと言ったら「きゅうり」無性にきゅうりが食べたい。野菜室にきゅうりは6本、3本を塩麹の液体につけてほんの5分、食べ始めたら止まらない。こんなにも水分が欲しかったのかと思うくらい水分を欲していたことに気がついた。ぺろりと平らげあとの3本を漬ける。しばらくしてその3本も平らげてしまった。今日の昼食はきゅうり6本でした。

徐々に気分は良くなっておそらく体内のコロナは絶命しているのではと思うのでPCR検査を受けに行ってこようと思う。しかしながら相手はあの「コロナ」だから迂闊に出歩けない。クリニックをネット検索してやってくれる病院がみつかった。はやく陰性になってくれないと散歩にも行けない。

近所に住む友人と姉から差し入れが届く。気配りのきいた食料が入っていて感謝ではあるがなにせ一人で食べるのでは多すぎる。今日も自分で作っておいた煮物を食べきれず小分けにして冷凍したばかり。「コロナ」のお陰で優雅な休養生活ができて美味しいものが食べられてなにか筋書き通りの休養生活になった気がする。重症ではなかったので症状は眠いだけ、食べられなかったのは睡眠に食欲が勝てなかったから。たべないでいたら体重が減って膝の痛みがなくなった。良かった良かった。






2024年3月16日土曜日

眠りから覚めて

 遥かに以前のことのように思える古典のコンサート、まだ1週間にもならないほどの経過だけれど様々な評判が聞こえてきた。

まだ今日も胃袋にはなにも入っていないけれどレッスンに訪れる生徒が部屋に入ってくるなり皆一様にニコニコと笑っている。ああ、聴きに来てくれたのね、ありがとう!「本当に良かったです、ヴァイオリンの音が素敵だった」皆山中さんの音が大いに気に入っているようだ。その中のいつもは物静かな男性も満面の笑顔。どうやらお世辞抜きで本当に良かったようだ。

良かったでしょう?本当に素敵な音よね。私も自分のことのように嬉しい。テレマンの幻想曲の評判が良くて静けさの中にりんとした筋の通った演奏が「鳥肌モノ」「禅のよう」「居合抜き」などなぜか日本の武道のような捉えられ方をされているのが印象深かった。なるほど、山中さんは日頃から物静かで大きな声を出しているのを見たことがない。弓の先から下まで神経の研ぎ澄まされた奏法は日本刀の扱いにも似ているかもしれない。ふーむ、古武道とヨーロッパの古典とコラボできるか・・・なんて

いろいろな意見の中でも面白かったのは、ブランデンブルク協奏曲をチェロ以外の楽器が立って演奏したので、その身長差が見ものだったという意見。今回は特に年齢の若い女性が入ってかなり身長が高い。スラリと伸びた手足、小顔でその先に行くと私と同年代のメンバーは小柄、その先はもう少し大きく私に至ると立っているのか座っているのかわからないくらい小さくて、その曲線が面白かったと。

まあ、同じ犬でも犬種によって大きさがあれほど違うのだから人間もそのくらい違っても不思議はない。

その曲線は戦後の時代背景よというと、なるほどと相手が答える。私と同年代は戦後の最悪の食糧事情、親の体力も限界だった頃の生まれ。すぐに戦後から日本人の背は伸び始める。私ももう少しあとに産まれればあと10センチは大きくなれたかも。しかいこの小さな体でヴィオラまでひけるんだぞ、どうだ偉いだろう!いや、どう見てもあなたがヴィオラを弾いているというよりもヴィオラがあなたを支えていると言うほうがあたっている。なにお、このべらぼうめ!

べらぼうというのはもともとはへらぼうと言うのだそうですよ。私が最近買った古今亭志ん朝師匠のCDでも言ってますよ。昔の大工さんはヘラの上で糊の代わりにご飯粒を潰して使っていたそうで、飯を潰すで轂を潰す、それで役立たずの職人のことを穀つぶし、へらぼうめというところをそれでは喧嘩にならないからべらぼうになったという。この説明を志ん朝師匠が説明するとどうしてこんなにも面白いのか。声を出して笑ってしまう。志ん朝さんは落語会のモーツアルト=天才ですなあ。

そうそう、単純なテレマンの楽曲が見事な曲になるか、ただの短いつまらない曲になるかはあなた次第・・ということなのですよ、ね。

さてまた寝るか。それではまた明日。














2024年3月15日金曜日

古典音楽協会新たな旅立ち

第165回古典音楽協会は新しい体制になってこの日を迎えた。

メンバーはヴァイオリンが3人、ヴィオラに一人の新メンバー、年齢もかなり若返った。中でもnekotamaは最年長になり今年最後のご奉仕となる。今回のコンサートで隣に座ってくれたのは私の元生徒。5歳の時からうちに来て、キャッキャと楽しげにヴァイオリンで遊んでいた子。楽しさが嵩じてついにプロになってしまった。いつでもニコニコ穏やかで背丈もスラっと伸び華やかさもあって、メンバーともすぐに打ち解けた。こんな幸せなことはない。

コンサート当日は天気予報がとんでもなく嫌な情報を流していた。夜になると関東地方に暴風雨が吹き荒れるとか。お客さまの中にも事前に断りを入れてくる人もいるくらいだった。もし酷い天気だったら行かれないかもと。しかし心配するほどのこともなく、群馬県の友人もお祝いに駆けつけてくれた。

まずカール・シュターミッツの「オーケストラカルテット」のびのびと快活なこの曲を以前から私は温めていた。新しいメンバーになったら第一曲はこの曲と。コンサートマスターは本当に素晴らしいテンポを出してくれて一同心地よく演奏することができた。なんて素敵な心地よさ。空を飛んでいるようだわ。

次はヴィヴァルディの「調和の霊感」から二曲、オーボエとヴァイオリンの協奏曲、短くて明るい曲、そして次は、これは今回の目玉と思うテレマンのソロ幻想曲。短いけれど無限の広がりを感じるこの曲を山中光さんは静かに心に染み入るように演奏してくださった。短いというだけでこの曲をバカにする人もいたけれど、とんでもない、短いし音が単純であってもこのように美しく弾ける人にはこんなに名曲になるという見本。

そして後半の目玉はチェンバロのソロ。「古典」ではいつも協奏曲でしか聞かれないチェンバロを客席で聴くとよく聞き取れないという意見が多かったので、思い切ってソロ楽器として演奏してもらうことにした。チェンバロは楽器自体も美しい。装飾が施され蓋の裏にも絵が描かれている。曲は「調子の良い鍛冶屋」の名前で知られている楽章の入っている「組曲第5番」

私の学齢前、兄弟たちが学校に行ってしまうと広い家はガランとしてとても寂しくなる。縁側に手回しの蓄音機がおいてあって、皮表紙のレコードアルバムがあった。その中から毎日お気に入りの曲を聞いたものだった。特に調子の良い鍛冶屋は何回も何回も聴いたものだった。こんな不思議な音のする楽器ってどんなものだろうか。しかし私にとってはチェンバロよりもハイフェッツのヴァイオリンのほうがより魅力的だったようでヴァイオリン弾きになってしまったけれど。

今までの「古典」の演奏会ではチェンバロはステージ奥に置かれよく見えなかったと思うけれど、今回はステージの真ん中で粛然とその優雅な姿を見せている。演奏が始まるとやはりこの曲を弾いてもらってよかったと思った。おなじみの鍛冶屋さんのメロディーが始まると楽屋にも「ああ、この曲」という声がした。皆さん他の楽器のことはよく知らないけれど、この曲は学校の教科書にも乗っているのではないかと思うくらい親しまれている。装飾音のたくさんついたジャラジャラという音が心の奥をくすぐられているようで心地よい。私は大満足。家の縁側で聞くよりもずっと素敵だわ。

最後はチェンバロをステージの片側に寄せて「ブランデンブルク協奏曲第3番」を演奏。椅子が片付けられているため、最後の曲は全員立って弾くことになった。やはり立って弾くのはとても弾きやすい。今回の演奏会は皆の熱気が強く今まで演奏した中での最高の喜びになった。

とまあ、演奏会は良かったものの、終わってみたら酷い気分の悪さ、ロビーでお客様と立ち話をしていても、果たして自分は家に帰れるだろうかといった状態だった。楽器2つとたくさん頂いた花束などを車に積んで家路をたどりようやく家に転がり込んでベッドに倒れ込んで、ほぼ3日間ものも食べずに眠り込んだ。ときたま目を覚ますと珍しく猫たちもおとなしい。飼い主の異変を気ずいているような。しかし良くもこんなに眠れるものかと感心するくらい全く起き上がれない。人生の疲れがどっと出たらしい。

今日三日目、ようやく起き上がってこれを作成中。初めてなにか食べようという気が起きてきたので、フレンチトーストを食べようかと準備して卵とミルクが食パンに染み入るのを待っている。軽井沢には素敵に美味しいフレンチトーストが食べられるカフェがある。なんだか遠い昔だったような気がするくらい今回のコンサートの準備に没頭していたようだ。素晴らしい仲間が増えて演奏はバリバリに向上したし、これで私も思い残すことなく引退できる。

今後の「古典」を皆さんよろしく見守って頂きたいと思います。