2024年3月15日金曜日

古典音楽協会新たな旅立ち

第165回古典音楽協会は新しい体制になってこの日を迎えた。

メンバーはヴァイオリンが3人、ヴィオラに一人の新メンバー、年齢もかなり若返った。中でもnekotamaは最年長になり今年最後のご奉仕となる。今回のコンサートで隣に座ってくれたのは私の元生徒。5歳の時からうちに来て、キャッキャと楽しげにヴァイオリンで遊んでいた子。楽しさが嵩じてついにプロになってしまった。いつでもニコニコ穏やかで背丈もスラっと伸び華やかさもあって、メンバーともすぐに打ち解けた。こんな幸せなことはない。

コンサート当日は天気予報がとんでもなく嫌な情報を流していた。夜になると関東地方に暴風雨が吹き荒れるとか。お客さまの中にも事前に断りを入れてくる人もいるくらいだった。もし酷い天気だったら行かれないかもと。しかし心配するほどのこともなく、群馬県の友人もお祝いに駆けつけてくれた。

まずカール・シュターミッツの「オーケストラカルテット」のびのびと快活なこの曲を以前から私は温めていた。新しいメンバーになったら第一曲はこの曲と。コンサートマスターは本当に素晴らしいテンポを出してくれて一同心地よく演奏することができた。なんて素敵な心地よさ。空を飛んでいるようだわ。

次はヴィヴァルディの「調和の霊感」から二曲、オーボエとヴァイオリンの協奏曲、短くて明るい曲、そして次は、これは今回の目玉と思うテレマンのソロ幻想曲。短いけれど無限の広がりを感じるこの曲を山中光さんは静かに心に染み入るように演奏してくださった。短いというだけでこの曲をバカにする人もいたけれど、とんでもない、短いし音が単純であってもこのように美しく弾ける人にはこんなに名曲になるという見本。

そして後半の目玉はチェンバロのソロ。「古典」ではいつも協奏曲でしか聞かれないチェンバロを客席で聴くとよく聞き取れないという意見が多かったので、思い切ってソロ楽器として演奏してもらうことにした。チェンバロは楽器自体も美しい。装飾が施され蓋の裏にも絵が描かれている。曲は「調子の良い鍛冶屋」の名前で知られている楽章の入っている「組曲第5番」

私の学齢前、兄弟たちが学校に行ってしまうと広い家はガランとしてとても寂しくなる。縁側に手回しの蓄音機がおいてあって、皮表紙のレコードアルバムがあった。その中から毎日お気に入りの曲を聞いたものだった。特に調子の良い鍛冶屋は何回も何回も聴いたものだった。こんな不思議な音のする楽器ってどんなものだろうか。しかし私にとってはチェンバロよりもハイフェッツのヴァイオリンのほうがより魅力的だったようでヴァイオリン弾きになってしまったけれど。

今までの「古典」の演奏会ではチェンバロはステージ奥に置かれよく見えなかったと思うけれど、今回はステージの真ん中で粛然とその優雅な姿を見せている。演奏が始まるとやはりこの曲を弾いてもらってよかったと思った。おなじみの鍛冶屋さんのメロディーが始まると楽屋にも「ああ、この曲」という声がした。皆さん他の楽器のことはよく知らないけれど、この曲は学校の教科書にも乗っているのではないかと思うくらい親しまれている。装飾音のたくさんついたジャラジャラという音が心の奥をくすぐられているようで心地よい。私は大満足。家の縁側で聞くよりもずっと素敵だわ。

最後はチェンバロをステージの片側に寄せて「ブランデンブルク協奏曲第3番」を演奏。椅子が片付けられているため、最後の曲は全員立って弾くことになった。やはり立って弾くのはとても弾きやすい。今回の演奏会は皆の熱気が強く今まで演奏した中での最高の喜びになった。

とまあ、演奏会は良かったものの、終わってみたら酷い気分の悪さ、ロビーでお客様と立ち話をしていても、果たして自分は家に帰れるだろうかといった状態だった。楽器2つとたくさん頂いた花束などを車に積んで家路をたどりようやく家に転がり込んでベッドに倒れ込んで、ほぼ3日間ものも食べずに眠り込んだ。ときたま目を覚ますと珍しく猫たちもおとなしい。飼い主の異変を気ずいているような。しかし良くもこんなに眠れるものかと感心するくらい全く起き上がれない。人生の疲れがどっと出たらしい。

今日三日目、ようやく起き上がってこれを作成中。初めてなにか食べようという気が起きてきたので、フレンチトーストを食べようかと準備して卵とミルクが食パンに染み入るのを待っている。軽井沢には素敵に美味しいフレンチトーストが食べられるカフェがある。なんだか遠い昔だったような気がするくらい今回のコンサートの準備に没頭していたようだ。素晴らしい仲間が増えて演奏はバリバリに向上したし、これで私も思い残すことなく引退できる。

今後の「古典」を皆さんよろしく見守って頂きたいと思います。





0 件のコメント:

コメントを投稿