2011年5月31日火曜日

なすりあい

ようやく震災後のパニック状態が鎮静してきた。あの騒ぎのさなかにも政治家の陣取り合戦、管おろし、小沢一派のたくらみなど呆れ果てている。まだまだ被災地に避難所暮らしの人もいるというのに、なにをさわいでいるの。今、政権交代なんかしたら、また新しい法案を作り、一から出直し。そんな悠長なことを言っていないで、さっさと政治家一丸となって戦えっつうの。だいたい、まだ政権交代して日も浅いのに、15年もかけて日本を滅茶苦茶にした自民党のあとしまつが、そうそう簡単にできるわけがない。交代して日も浅いころから民主党をこきおろしているマスコミ、なんでもいいから自民党以外の党がしばらく政権を握っていてほしい。自分たちのやったこと、あるいはやらなかったことのツケを民主党に払わせて、まるで自分たちの責任ではないかのようにふるまう自民党。今この時期政権交代を狙うより、一致協力して日本を立て直す手助けをすれば、自民党だって株が上がって、政権交代できる日が来るに違いない。それにしても民主党がだめだからと言って、また自民党に票をいれる人の気がしれない。自民はしばらく野党でお勉強しなおしてから返り咲いてほしい。日本のためというより自分たちの権力争いのために、軽々しく管おろしなどしている場合か。国会議員よ、とっとと働けー。そして原発。ああ、考えるのもいやだけど、注水作業をだれが止めたの、原発の安全性をだれがアピールしたの、放射能の安全値を誰が決めたの、あちこちで罪の擦り付け合いをして、そんなこと言ってる場合じゃないでしょう。原子力委員会も学者も政治家も東電も、一丸となってしっかり働けー。狭い日本にあんなにたくさんの原発作って、狭いうちで猛獣を飼っているようなもの。本当に安全でなければ作る資格はない。断層の上に原発があるなんて、聞くだにおぞましい。すべては利権のためと聞くと、その利権をむさぼった人たちこそ、今福島の現場で働かせるべき。ゴマメの歯ぎしりだけど、下請けに丸投げして後始末をしているらしい東電の幹部たち、あなたたちこそ現場で死に物狂いで働くべきなのよ。世の中は不公平。命がけでも働かなくてはいけない人々、高見の見物をしてろくに働かないで高給をむさぼる人々、たまたま、会社の幹部と姻戚関係にあったりして社長になってしまったり、本当に世の中不公平。それはそんなものと受け入れるとしても、東電は自社の豊潤な資金を全部投げ出してでも、後始末に奔走しているはずが、少しもそんな動きは伝わってこない。いったいどうなってるの?

2011年5月27日金曜日

進化してしまうブログ

私のブログは変幻自在。あっという間に姿を変える。このところ悪戦苦闘の連続。何が悪いのでもなく、この私がなにかをしているのでしょう。いろいろいじる割には大事なパスワードを忘れて今回のnekotamaに入れない事態となった。今日はパソコン名人がはせ参じてくれた。しかし、あまりの惨状にさすがの名人も手をこまねいて、とにかくパスワードがわからなければ手がつけられないので、別の入り口から入れるようにしていただいた。いったい私が何をしたというの?なんでこうなってしまうのか、さっぱりわからない。パソコンのお世話だけでなく、地デジテレビのアンテナまで設置してもらってしまった。地デジアンテナは電気屋さんに見積もりをしてもらったら、3階で屋上のない私のうちには屋根に上る手だてがなければ、つけられないと言われてしまった。そこで相談してみたら、パソコン名人はパソコンだけでなくなんにでも精通しているので、つけてあげますと言ってくださった。でも、そんなことまでしてもらってもいいものなのか、とても申し訳ない気持ちがあった。今ちょうど屋根の防水工事をしていて足場が組まれているので、それなら電気屋さんに頼んでしまおうと、見積もりをしてもらった。ところが今日パソコンのことを診たついでに、なんと、アンテナまでつけてしまったではないか!なんでもできるのね。世の中には私のように、ほとんどひとの役にたたないで、ひとの好意にぶら下がっている人、彼のように人の役に立つことができる人、様々。私にとって彼は非常に頼もしい存在なのだけれど、彼にとっては私はお荷物、重し、足手まといな存在であるに違いない。時々イラついているのがわかるけど、私はもうすっかりリラックス。かわいそうに、せっかくブログを作ってくれて私にグチャグチャにされて、またその尻拭いさせられて、本当にすみません。アンテナまで・・・しかも、うちの階上に入っている店子さんの分まで。いつかこのご恩はと思っていても、鼻でフンといわれそう。まったく、ちゃっかりしているんだから、とかなんとか言われそう。私を放りだしたいと思っているかも。でも放り出す前にこのブログの進化を止めてほしい。勝手に変わってしまうわがままなブログなのですよ。

ハイヒール

コンサートの時にはハイヒールを履く。9センチか10センチ。私は身長が低いので、ステージで大きく見えるように。ドレスを着た時にあまりにも裾丈をつめると上下のバランスが悪くなって、せっかくのデザインが生きない事があるので、そのためにも踵は高くないといけない。背筋が伸びてシャンとする効果もある。だから、年齢の割にはハイヒールを買う事が多い。先日デパート前の広場でハッシュパピーのバーゲンをやっていた。靴フェチなので、とにかく靴を見ると欲しくなる。その時もSサイズのコーナーでいかにも本番に使えそうな黒のハイヒールを見つけた。試着してみるとぴったりなので鏡を見ていると、意地の悪そうな顔をした中年女性、私をじろじろ見て聞こえよがしに「私は踵の高い靴なんか買わないわ」と、何回でも言う。余計なお世話。貴女は履かなくても私は必要なの。なんだって赤の他人のする事に口出しするの。言ってやればよかった。貴女みたいなおでぶさんはこんなの履けないわよね、と。でも、即自分に戻ってくるセリフと気がついて、危うく 踏み止まった。最近反射神経が鈍くなったか、人間が出来てきたのか喧嘩をし
る手前で我慢する事が多くなった。これは感受性が鈍くなったのかもしれない。それとも本当に人間が出来て来たのか、自分ではそう思いたい。

2011年5月26日木曜日

コメントも出来ない

まるで鍵を忘れて家に入れなくなった状態におかれている。アドレスとパスワードの組み合わせがどえりゃー事になって、どの組み合わせもダメ、ついにお手上げ。投稿は携帯で出来るから大丈夫だけれど、情けない事に自分のブログにコメントもつけられない。パソコン王子は忙しいらしく、白馬に乗って来てくれるのは当分先の事になりそうで、それまで私は、ああでもない、こうでもないと掻き回して全部ダメにするのは目に見えている。皆さんににせっかくコメントつけてもらっても、こちらからはお応え出来ない。すみません。でも、どうぞ、書き込みお願いします。よそのページで科学ものの動画を見て、その関連動画を物色していたら、宇宙ひも理論ものが見つかった。かつて、ホーキング博士の本を読んで、いきなり目に見えないひもで充満している宇宙像を展開されて、目を白黒させて読んだけれど、今ひとつどころかほとんど解らなくてそれ以来ひも理論には近づかないようにしている。nekotama を初めから読んでくださった方はもうお気づきでしょう。時々以前のと重複する話題が出てくるのを。まだ、ボケていてそうなるのではなく、途中から又は拾い読み
をして下さる方にも、私の興味の傾向をわかっていただきたくて、時々話題を繰り返しています。音楽家にならなければ物理学をやっていたと思うので、相対性理論くらいまでならかすかに理解できる。放送大学の相対性理論の試験では、なんと!最優秀だったのですぞ、オホン。かなりの想像力もあるけれど、ひもは理解の外。今日見つかった動画は良くわかるように作られていて、パソコンが復活の暁にはnekotama で お見せできると思います。30分位の長さなので情けなや途中で居眠りをして、やはり何だか良く分からない。本当に理解できる人は世界で数人ではないかと思うけれど、頭の良い人は意外に多くいて、何百人もいるのかしら。これも確か前にnekotama に書いたと思うけれど、以前弦楽アンサンブルを組んでいて、名前を宇宙ひもになぞらえて「コズミックストリングス」にしようと思ったけれど、「コミックストリングス」と間違えられそうでやめた事がある。聴いて納得されたらショックでしょう。

2011年5月25日水曜日

締め出された

ただ今トラブル発生。自分のブログに入れないのです。機械音痴でまったく困ったものです。なんとかがんばってみますが、やはりパソコンは中々曲者。時々手に負えなくなります。時々どころか、しょっちゅうです。これが投稿出来れば、しばらく携帯から投稿します。さて、出来るかな?

2011年5月24日火曜日

タワークレーン解体

スカイツリーの完成間近で、作業を終えたタワークレーンも解体されることになったそうだ。4基のクレーンを大きい順に解体していく。支柱のつなぎ目のボルトを外すのは鳶職人。張り付いて手作業で一つずつ外していくという。おそろしく高いところで、文字通り命がけではないか!風や揺れなど、想像するだけでトリハダもの。 高所にあるクレーンを降ろす手順を初めて知ったのは、車の中でラジオを聴いていたとき。たしかTBSの久米宏の番組だったと記憶している。どうやってはずすのか?という問に、それまで考えもしなかったので、考えても答えは出なかった。一番大きなクレーンを次の大きさのクレーンで解体。そのクレーンを又次の大きさのクレーンで解体。そのまた次に・・・と解体して、さいごの小さいクレーンをエレヴェーターで降ろす。鮮明におぼえているけれど、えらく感激したものだった。なんで感激したかといわれても、説明できないけれど、いわば「目からウロコ」考えたこともなかったから何十年もたっているのに、その時の新鮮な驚きはわすれられない。鳶職人と言えば思い出すのは、出初式。毎年お正月には実家の庭に鳶さんたち?(もしかしたら消防団)がはしごをもって出初式をみせにきてくれた。うちは消防とも職人さんたちともあまり関係のない職種だったし、どういう経緯できてくれたのかも分からないが、寝たきりの祖母が障子をあけて、それに向かって手を合わせて拝んでいたのを思い出す。もしかしたら、祖母のために来てくれたのかも知れない。私の中で消防と鳶職がごっちゃになっているけれど、その頃は街の消防団の組織は鳶さんたちがになっていたような・・・どうなんだろう。

2011年5月22日日曜日

進化



「ねこがいかん」で見つけたおもしろ動画です。
この子は間もなく、にゃんげんになるでしょう。

混んで混んで

日曜日にはよく秦野や松田にでかける。西湘フィルハーモニーは7月31日の演奏会に向けて、エンジンがブンブン回り始めた。今回は分裂後の初めての公演なので、人数の確保ができるかどうかもおぼつかなかったけれど、今日行ってみたらそれぞれ人数がそろっていた。団員達の熱意と努力の賜物。会場が今回は小ホールなので、ステージに上がれる人数も限られるのが、かえって好都合だったようだ。指揮者の松元氏の熱のこもった指揮に、団員が必死に応えようと努力している。オーケストラはとにかく面白い。秦野方面は自宅からはかなりの距離があって、小田急線へは乗り換えを沢山しないと行けないので、つい、電車より車で行くことになってしまう。行きは大抵スムーズに1時間圏内。ところが帰りときたら、目もあてられないほどの渋滞に巻き込まれる。以前は練習が終わってから、自宅での生徒のレッスンを予定に入れていた。しかし、何時に辿りつけるかわからないほどの渋滞で、度々レッスン時間を変えてもらうことが続くので、やめてしまった。東名高速の日曜日午後の上り線の渋滞は、20キロくらいは当たり前。事故でも起きたら、右へも左へも逃れようがないから、高速を使わず246号線をちんたら来ることになる。山越えもあるから、大体、毎回3時間の道のりになる。不思議なのは渋滞のネックはいつも同じところ。そこを抜けだすと、すっと走り始め、又渋滞。流体の研究などで、信号機の点滅の速さを変えるとか、道幅を広げるとかして、どうにか出来ないものだろうか。休日の交通集中だから、普段はそれほど混まないと思うので、休日だけのメニューがあってもいいのではないですか?

2011年5月21日土曜日

いしだあゆみ

先日テレビで「徹子の部屋」を見ていた。ゲストはいしだあゆみさん。若い頃は歌手として「ブルーライトよこはま」などのヒット曲をだしていたのが、いつの間にか女優さんになっていた。大変シンプルライフで、食器なども一つか二つみたいな生活らしい。そして生活サイクルが変わって居る。午前2時ころに起きて、3時頃朝?の散歩に出かけるそうだ。それより遅くなると散歩コースの公園は散水器が回ってびしょ濡れになるという理由で。でも、午前3時は真夜中。人気のない公園はさぞ気持ち悪いだろうと思うけれど、人がいてもそれも怖いと思う。とにかくお気を付けて。寝るのが夜?の7時。だから睡眠は充分足りている。しかも電灯は点けず、なにか見たいときは冷蔵庫の明かりなどを利用する。2時に起きてまず、窓拭きから始まって、家の掃除をするという。なるほど、私とは正反対のお人なのだ。キリッと痩せて、無駄なところが一つもない。しかし、仕事のある時はどうするのだろうか。映画の仕事などは待つのが仕事というくらい、時間がかかる。朝2時に起きて夜中までかかるということも無いわけではないと思う。少なくともわたしが現役の頃は、楽屋にコンロと鍋を持ち込んで、自炊までしっちゃった。そのくらい待たされた。もっともあゆみさんは主人公だから、彼女に合わせて時間の調節をすると思うから、私たちの様に放置されたりしないだろうが。自分のサイクルをしっかり守れる人は強い。家には誰も来てくれないと、彼女は笑う。本当につまらないみたい、と。でも、あれだけの歌と演技の出来る人が内面が薄っぺらということはありえないので、余程充実していて一人でいても退屈しないのだと思う。私はいつも友人に囲まれ、我が家は人の出入りが多いけれど、一人になると底の浅い薄っぺらな自分に気付かされる。その差なんだなあ。埋められないのは。

2011年5月20日金曜日

節電

東横線に乗って渋谷に出た。特急をやり過ごすために止まっている各駅停車に乗り込むと、しきりに東急の節電をアピールしている。ただいま停まっているためにクーラーを入れていないの、暑かったら窓を開けろだの、そんな余計なことに使う電力が勿体無い。なんにも言わないでよろしい。だいたい先日カナダから帰ってきた時も、去年中国から帰った時も、まず、日本の乗り物の余分なアナウンスがうるさいのに驚いた。海外ではほとんど、余分なアナウンスはない。まして、子どもじゃあるまいし、もうすぐ電車が来るから気をつけろとか、ドアに挟まれないように注意しろだの、うるさいことこの上ない。だれも聞いちゃいない。走り始めたらクーラーをいれるから、それまで我慢してくださいなどと言われても、入れなきゃ我慢するっきゃないでしょうが。往きはそれほどでもなかったけれど、帰りの電車はクーラーが効きすぎて、クシャミをしている人もいた。それなら、温度を上げてアナウンスを少なくして、スピードを控えめにすればいいでしょう。皆携帯のディスプレイを見ているのだから、蛍光灯を半分にしても差し支えはないと思う。本を読みたい人は気の毒だが、電子書籍にすれば大丈夫。それがいやなら、おやすみなさい。ひどいのはパチンコ屋さん。閉店した店内も煌々と明かりがついているのに驚いた。肝心の自宅となると、階段も車庫にも夜通し蛍光灯がついている。うちのあたりに街灯がないので、少しは治安の良さに貢献しているかも知れないが、このご時世、少し肩身が狭い。電気屋さんに来てもらって省エネタイプの照明にしてもらおうと思っているけれど、タイル貼り、屋根の防水と、立て続けにお金が羽を生やしてカアカアと鳴いて飛んでいってしまったので、もうこれ以上は無理。そろそろどこか外国へ飛んで行きたくなっているので、これ以上お金を遣ってはいられない。それなら夜になっても点灯しなければいいと思われるでしょうが、暗くなるとセンサーが働いて自動で点いてしまう。全部停電してもその後30分は点いている安全対策の優れものだから、先日の地震の時も、外は真っ暗でもうちだけ明るくて、消えるまで気恥ずかしかったくらい。一番いいのは、私が夜更かしをしなければずいぶん節電になりそう。でも、夜は寝てしまうのが勿体無い。結構早起きなのに。

2011年5月18日水曜日

交通事故を目撃

二子玉川から環八の瀬田の交差点を左折しようとしたら、やたらに混んでいる。どうも混んでいると思ったら、交通安全週間で警察官が4人も交差点に陣取っていた。いつもなら皆上手く譲りあってこんなに混雑はしないのに、警官がいるとやたらと止めるので混雑する。警察はなにが交通安全かわかっていないらしい。しかも信号が変わりそうになると、やたらホイッスルを吹くので、もう2,3台行けそうなところを止めてしまっている。信号待ちで観察すると、だらだらして雑談をしているようだ。しかも信号が変わるたびに笛を吹く。皆、免許証を持っているのだから、視力はちゃんとしている。一々笛を吹かれたくはない。そこで思い出したのはこの笛のおかげで追突事故が起きて、現場にいた私たちの仲間が警官に詰め寄った事があったこと。なんの関係もないところで笛を吹いたので、びっくりした運転手が急ブレーキをかけて追突されたらしい。その運転手は知り合いでもなかったのに、見ていた人たちは腹に据えかねたそうだ。そして思い出したそばから事故が起きた。まったく同じ状況で。荻窪方面から瀬田の交差点を右折しようとした車が、笛の音で驚いて急ブレーキをかけてしまった。当然停まるつもりはないとみた後続のトラックは減速せず、激しく前の車に突っ込んでしまった。ガラスが飛び散り、追突された車の運転手はそうとうなダメージを負ったに違いない。警官が交通整理を始める前に脱出しないと、えらい渋滞になると思ったので、丁度青になったところをすり抜けたので、あとの事はわからないけれど、ロクに物の分かっていない警官に指図されたくはない。絶対あの事故は警官のせい。たぶん何人もいたということは、実習生かなにかにやらせたのだと思う。普通なら一人いても迷惑なのに。私も降りていって、この事故はあなたたちのせいよ、と言ってあげたかった。トラックの運転手はショックで呆然としているようだった。あんなに急に停まられたら、たまったものではない。彼の一生をダメにしたかもしれない。なんということか。前の車の人に万一の事があれば、罰金ではすまされない。私が思い出した通りのことが起きて、ものすごく後味が悪い。思い出さなければよかった。

屋根の防水工事

築18年、そろそろガタが出てきた家の屋根の防水工事が始まった。地震の時に崩れ落ちたタイルの張り替えの時に組んだ足場を、そのまま残してもらって費用を節約。この夏の暑さを見込んで、温度を下げるという塗料にしてもらう。なんでも2,3度温度が下がるそうだから、計画停電があるかもしれないこのご時世には有り難い。足場というものはどのように登るのか一度見てみたいとおもっていた。階段状になっているわけではないし、懸垂でもしないと登れないのでは?まず機材を運ぶので、今朝来た工事の人たちが中々登ってくれない。早く見たいのに。5人ほど来ていて何やかや言いながら工事の手順を確かめている。お隣との境が非常に狭い。クーラーの室外機や自転車があって、大きなガスボンベが通れないので、うちの2階の窓から吊り下ろすという。以前、うちのちいさな窓からグランドピアノを運び入れたとき、その手際の良さに感心したことがある。私は工事現場など見るのが好きで、ショベルカーの操縦は特に面白い。働いている人たちを見ていると、いかにもキビキビして格好良い。プロの技は、どんな仕事のジャンルでも素晴らしい。工事はちっとも始まらないので、続きは又後程。

2011年5月17日火曜日

ドンドンダウン オン ウェンズデイ

東北関東大地震の被災地に古着支援をしている古着屋さんがあると聞いて、自分の物を送ったのは4月のこと。もしかして本当は届かないのではないかとチラッと疑ったりもした。もし、これが届かなくてもどこかで役に立つかも知れないから、気持ちを送るつもりでいようと考えて、大きな箱いっぱいの春夏物を詰めた。カバンやバッグ、手提げなども入れた。恥ずかしいことに殆ど猫模様。ちょっと惜しいと思っても、被災者はなにもかも失ったのだと自分に言い聞かせた。そして今日、私が送った古着屋さんが実際に支援している映像がテレビから流れた。私が送ったものがそこにあるかどうかはわからなかったけれど、確実に届いている様子を見て安心した。古着屋さんは東北を本拠地とする「ドンドンダウン オン ウェンズデイ」送られた古着は被災地でフリーマーケットのように広げられ、皆そこから好きな物をもらっていく。余ったものは東南アジアなどに送られる。送られた古着1キロにつき5円が義援金となる。非常に頭の良いやり方だし、無駄がなく、そして古着屋さん自体も少しは儲かる仕組み。何かをしなくてはと身を捩らんばかりの思いも、お陰さまで少し解消できたし、受け取った被災地の人々の顔が本当に嬉しそうなので、お願いして良かった。宅急便のクロネコに持ち込んだ時、受付の人が「ああ、ここに届ければいいのですか、どこに持っていったらいいかわからなかったので出来なかったんですよね」と言っていた。あんまり色落ちしているものとか、生地が傷んでいるものは失礼だからと思い除外したけれど、そんな物でもアジア、アフリカでは役に立つそうなので、この次はそれも入れて送ろうと思っている。ちゃんと仕分けしてくれるので。夏の終わりに秋、冬ものを贈ろうと考えている。コートが何着もある。セーター、ブーツ、スノーシューズなど。今度は新品の温かい下着なども入れたい。女性は災害にあっても、着るものが綺麗になると心がなごむけれど、男性は可哀想。男性が喜ぶ物はなんだろう。

2011年5月15日日曜日

偏った美意識

私は美しい物、とりわけ美しい音に敏感に反応するのに、なんだってまあ・・・猫の汚した物を始末しながら考えた。このうちの汚さ。天性、整理整頓ができない。一種の病気と言うのがはやったけれど、これは断じて病気ではない。単なるだらしなさ。というより無関心。決して汚いのが平気ではないけれど、関心が向かない、気がつかない。テレビで占い師が、部屋が汚れていると運気が向いてこないと言っていたけれど、なるほど、そのとおり。幸運は入ってこない。宝くじには当たらない。抽選には漏れる。じゃんけんしても勝たない。某有名女流ヴァイオリニストは自宅が汚くなって限界が来るとサッサと引っ越すとか。客人が鉢植えをお土産に買おうとしたら、あの家に持って行ってもすぐ枯らすから無駄だと、園芸店のご主人がとめたとか。生徒がレッスンに来ると、譜面台までたどり着くのが大変だとか、まことしやかな噂を聞く。私も以前、生徒から慰められた。「前の先生の家は階段にキャベツが置いてありました。この家はまだましです」 家をいつも綺麗に保っている人はどうするのかと思ったら、一人は朝起きたらパジャマのままでも、もう手に雑巾をもってますよ、という。想像もつかない。パジャマを着たまま、ゆっくり朝刊を広げ、コーヒーを飲み、猫とじゃれて軽く一時間。さあて、伸びをして散歩するか、で一時間。メールのチェックやよそのブログみて一時間。ヴァイオリンを1時間か2時間。それで午前が終わる。行きつけのブティックのご主人に言われたことがある。いつも最高のものを手にとりますね、と。美意識は発達していると思う。そのお店に入ってまず目について手にとるのは、どんなにグチャグチャに積まれていても、一番いい物。買おうとすると、思いもかけない高額でたいてい諦めてしまうので、いつもはスーパーのワゴン積みでさがす。だから、私はスーパーレディーなのだ。

2011年5月14日土曜日

あんまり可愛くて



「ねこがいかん」と検索すると出てくるサイトに、この動画が載って以来もう大変。毎日見ています。
あまりの可愛さに身悶えしちゃう。最後にジトーッと餃子を見つめるとヤンヤヤンヤ!大喝采。

ヴァイオリンって

こんなに素敵な楽器なんだと思い知らされたコンサート。フランスの巨匠、ジェラール・プーレさん。
銀座の十字屋ホールで昼間の演奏会。モーツァルトのソナタ2曲とフランクのソナタ。端正な容姿、格調高い音楽。すっかり魅せられてしまった。ヨーロッパでもフランスの奏法は非常に音が軽やかで、流れる雲や香水の香りのような音楽。初めのうちは誰でもそうだけれど、楽器が鳴りきらない。小さいホールだし響きをつかむのに苦労しているのだろうか。それとも、いくら巨匠でもお年には勝てないのか。だが2曲目、豊かに響き始め、圧巻はやはりフランク。その音の色彩の豊かさと言ったら!力みも衒いもない、心底音楽を楽しんでいる。ピアノのソロの時でも、体中で一緒に歌っているのがよくわかる。喜びの洪水に呑み込まれてしまった。終演後カクテルパーティーがあって、ステージを降りたプーレさんは、お弟子さんらしい若者にやさしく話しかけている。ステージの印象よりは小柄で、いかにも人柄が良さそうな感じに又魅了された。一緒に聴いた友人のピアニストと銀座でお茶を飲んで、二人で大感激の興奮を鎮めてから帰宅した。いままで聴いたことの無かった人の演奏で、いつも世界は広いと思う。日本では最近のコンクールの優勝者などのチケットは良く売れる。でも歳を重ね、たゆまず邁進して来た人の演奏は、心に染みいってくる。こちらも聞く耳が出来てくるし、若手のジェットエンジンみたいな音楽より、熟成されたワインのような深みと渋味のある音楽の方がずっと好ましい。中にはボジョレー・ヌーボーを世界一早く飲むことに喜びを見出す人もいるから、人それぞれで構わないけれど・・・

2011年5月13日金曜日

朝帰り

帰って来たのは日付が変わってから。昨日は渋谷の教室でレッスンが終わったのが、9時過ぎ。今まで土曜日のレッスンを見ていたけれど、その枠は友人に替わってもらい木曜日に別の先生の代講をすることになった。その先生が体調を崩し治るまでの間、代わりにレッスンをして体調が戻り次第私は全部辞めるはず。この教室創立以来だから17年もいたことになる。暫くというより今後ものんびりしたくなったのと、やはり私は猫だから枠を抜けて自由にしたいという魂胆もある。それを知って創立以来の生徒が挨拶をしに来てくれた。9時半頃仕事を終えて駆けつけ来たのは、建築士の女性。バリバリ仕事も遊びもこなすキャリアウーマンで、ダイビングやスキーの趣味が共通で、とても気が合うから17年もいっしょにいてくれたのだと思う。教室近くの店で呑みながらしゃべっていたらあっと言う間に時間がすぎ、それで朝帰りとなった次第。忙しい彼女はろくにレッスンにもこられないので、幻の生徒状態だったけれど、いつも私の心の支えになっていた。初めから最後まで本当にありがとうと言いたい。

2011年5月12日木曜日

コメント消滅

「ガン健診」にコメントくださったふみこさま、申し訳ありませんが、コメントが消滅しました。なぜかというと非公開のブログの方に間違えて投稿してしまったので、nekotamaに同じタイトルで同じように作成したつもりでした。でも、読んでみると非公開の方が面白かったので、そっくりコピーして差し替えたらコメントまで消えてしまったのです。そこまで及ぶとは思わなかったのです。せっかくのコメントを消してすみません。これに懲りず又お願いします。非公開の方はつぶやきが入っています。なぜかいろいろいじっているうちに公開になってしまったようです。それをもう一度非公開にするにはどうしたらいいのかわからないので、気付かれないようにそっとしておこうと思っています。おもしろいもので、私はなんでもトントンとリズムにのっている時の方が物事上手く行くので、じっくり考えながら記事を作るわけではありません。推敲もほとんどしません。ヴァイオリンも一番間違えないで弾けるのは、初見の時なんです。いかに刹那的な生き方をしているかが伺われるところです。さすがにヴァイオリンは、じっくりさらえばそれなりの深さが出てきますが、こと文章になると、殆どの場合最初に書いたものが一番いいようです。あれやこれや書き直すと、初めとは似ても似つかないテーマになってしまうし、面白さがなくなってしまう。おしゃべりのつもりで書いています。口は禍の元。いつも失言して他人を怒らせますが、こちらは消せるので有り難い。今までうっかりしゃべってしまったことも消せるといいのになあ。

2011年5月11日水曜日

ガン健診

6年くらい前に乳ガンの手術をして、毎年健診を受けていたけれど、ここ2年ほどサボっていた。最近キャンディーズのスーちゃんが亡くなって、そういえば暫く受けていないことに気が付いた。今日は予約日。医師にマンモグラフィーはイヤと断固として断り、超音波検査だけにしてもらう。前回マンモグラフィーで検査した時はド下手な女医さんで、恐ろしく痛いから「痛い」と行ったら切れて「じゃあ、やめますか」と言われた。やめると言えば良かったと未だに後悔している。喧嘩早い私が何故かその時はぽかんとして、やめると言わなかったのは世界の七不思議。人間想定外のことに出会うとボンヤリしてしまうものだとわかった。それでも未だにあんなに下手な人にはあったことがない。たぶん、その次に胃の内視鏡検査をした人と同じ人ではないかと思っている。それもすごかった。ゴツンゴツンにぶつかりながら、食道をカメラが通って行く。絶対同じ人だと確信する。次の3日間、食道が痛かったなあ。ガンが見つからなくても、それで病気になりそう。今日はベテランらしい検査医師が診てくれたのはいいけれど、若い研修医に一々説明するので、時間がかかった。「この空洞が沢山あるでしょう。これは若い人に多くて母乳のたまる場所なんだよ。」おっ、それが沢山あるということは私は若い?「しばらくするとすが入ってね」なに?すがはいる?なーんだ。要するにフガフガなんだ。暗くて横になって医師ののんびりした声を聴いているうちに、あやうく眠りそうになってしまった。検査結果は全く問題なし。6年経過してまだ油断はできないけれど、しばらくは安心ということになってメデタイ!

2011年5月10日火曜日

あっ、復活した。

ワーイ、治った!昨日このページにに投稿しようとしたら、不思議な現象が起きていた。投稿画面に丸い光の輪がキラキラと回っていて、どうしても入力できない。ちょうどyou tubeを見ると映像が出る前に画面に出てくるあれ。パニックを起こしてあれこれやってみたら、いつもの画面が出てきて、投稿したけれど、それがいつもの画面には表示されず、右上にタイトルが出る。それをクリックすると表示されるというややこしいことになってしまった。*昨日の分は右上の「遠方より友来る」をクリックして御覧ください。*  オロオロいつもの名人に助けを求めると、一体なにをどうしたらそうなるのか理解出来ない、と笑われてしまった。もちろん私がうかつな動きをすると余計紛糾するのは目に見えているから、お任せして眠ってしまった。今こうして復活して本当に嬉しい。去年このブログを立ち上げてから毎日とても楽しかった。日記をつけるように書きこんでいくと、いままで見過ごしていたような細かいことなども、気にするようになった。読んでくださる方もいて、そうなると張り合いが出てくる。昨日書き込めないとわかったときは世の中真っ暗。珍しく寝付きまで悪くなって(と言っても5分くらい布団の中でもじもじしただけ)しまった。それも食べ過ぎとお茶の飲み過ぎが原因かもしれない。とにかく復活して世の中が急に明るくなって、いつもの脳天気の生活が戻ってきた。それにしてもこんなにパソコンに支配されるようになろうとは・・・最近はヴァイオリンと同じ地位を要求されないかとびくびくしている。でもまだまだヴァイオリンにはかないませんよ。パソ君。

2011年5月8日日曜日

あやうい

最近物事を確かめずに行動することが多くなった。今日も仕事先は文京アカデミーだと思って行くと、どうも様子がおかしい。電話で確かめると文京ではなく春日アカデミーだそうで、慌てて後楽園から電車に乗って、護国寺ヘ。いつも時間は余裕をみて動くので、間に合ったようなものの、もし離れた所に行かなければならないと、完璧遅刻する。お昼ごはんを食べて余裕綽々コーヒーまで飲んでと思っていたら、昼はコンビニのおにぎりで飢えをしのぐことになってしまった。長いフリー生活で、時間と場所を間違えないよう細心の注意をはらっていたのに、このごろ何も確かめずに家を出てしまうことが多くなった。そろそろ危ないかな?たいてい携帯メールで仕事の依頼や確認がくるから、それを保護メールにしておいて何かの時に見て確かめるつもりが、いつの間に消してしまう。こんな事はしょっちゅうやっている。かつて、メチャクチャ忙しいスケジュールを、何十年も間違えたことのないこの私が・・・いつも今頃の季節は冬の黒い衣装から夏の白い衣装に衣替えする時期で、それも日によって、まだ黒服だったり白服だったり、一日のうちでも両方必要だったりめまぐるしく変わるときも、一度も間違えなかったこの私が・・・今そんな事言われたらきっと両方忘れるか、反対のものを持っていくかになりそう。うまくしたもので、もうそんなに忙しくはないから、心配することもなさそうだけど。あやうくなってくると心配事も少なくなって、いまになんにも感じ無くなることだろう。歳をとったらボケるに限る。私の母は一向にボケなかったので、いつまでも私のことが心配でならなかった。あるいは私のことが心配でボケられなかったのかも。気の毒に。私はサッサとボケて人の世話になるつもり。それでもまだ新しいことにやたらに興味を持っているうちは、ボケられないかもしれない。早くボンヤリしたいものだと、心から願っているのに。

2011年5月7日土曜日

楽しかった日の次の日は・・・

本当は今日はリカンベント自転車を見に行って、できたら乗って楽しく過ごす予定だったのに、雨のため中止。
何ヶ月か前、テレビで桂三枝が乗っているのを見て興味を持った。自転車が大好きで、それもマウンテンバイクなんかではなくママチャリで、遠くまで行くのも苦にならない。寝そべって乗る形のリカンベントはとても面白く感じた。乗り始めにコツがいりそうだけど、乗ってしまえばすごくリラックス出来ると思う。ただ、近くには狭い道路が多くて、余程慣れないと危険そうだけど、多摩川のサイクリングロードなんかで、寝そべって悠々と遊ぶのは悪くない。このnekotamaにそのことを投稿したら、早速調査した人がいて、毎月第一土曜日に講習会があるのを突き止めてくださった。今日はコンサートの翌日という最もリラックス出来る日でもあった。どんなに小規模のコンサートであっても緊張は全く同じだから、昨日も開演前はお腹が痛くなってしまった。一番リラックス出来る日に、面白い自転車を乗りに行くなんて最高じゃない。昨日の疲れでグッスリ寝りこんで、携帯のアラームで目を覚ました。ふと見ると一緒に行くはずの人からの「雨です。中止しましょう」無情なメール。ああ、ガッカリ。曇天で猫も遊んでくれない。人も相手にしてくれない。自転車にも乗れない。ヴァイオリン弾くのも億劫だ。しばらくパソコンのゲームで遊んでいると、お尻に根が生えそうだから、仕方なく腰を上げてカラスに会いに行く。カラスの新居はマンションの屋上と突き止めたから見上げるといたいた。一羽が私を見つけるとカアカア泣いて連れ合いに知らせる。二羽揃って飛んできた。今日私の相手をしてくれたのはカラスさんだけだった、がっかりした一日でした。(涙)

チャリティーコンサート

浦和のフランス料理のレストランKiyotoでの東日本震災復興支援のコンサートを開いていただきました。ヴィオラのFUMIKOさんとのデュエット、南雲賢氏の写真展会場での開催。会場は中庭のある素敵なレストラン。南雲さんの植物の写真に囲まれ、安らかな空気がながれている。初めてお目にかかる南雲さんは、ブログを拝見したときは非常に鋭い方かと思っていたけれど、やさしそうな温かい方だった。ただジッと見据える目にカメラマンを感じる。色とりどりの植物の写真が壁一面に貼ってある。そこから葉のさざめきや、花の香りが漂ってきそうな空間になっていて、入った時からモーツァルトが響いてきそうな雰囲気。皆さんそんな中でとても良く聞いてくださって、こちらも本当に楽しくなっていつまでも弾いていたくなる。のってしまって、時間の経つのも忘れるくらいだった。途中でオートハープを弾きながら歌う「ちえみさん」の澄んだ歌声も聞かせてもらって、気がつくと大分時間オーバーだったけれど、皆さん余韻を楽しんでお話をしたり、もう一度写真を見たりしている。大きな会場で弾くのは気分がいいけれど、私はどちらかというと、お客さんに話しかけるように弾くのが好き。若い頃は目の前に人が居るとたいそう緊張したので、サロンコンサートは苦手な方だった。ある時ヴァイオリンの大御所、外山滋氏とサロンで共演させていただいたとき、私があがってしまうというと外山氏は「来てくれる人はみんな味方なんだから」とおっしゃった。なるほど、誰もいやなら来ないと思うから、それからは「味方、味方」と念じているうちに本当に最近は味方というより、仲間になってしまった。音楽に引きずり込もうという魂胆はだいたい成功するようになってきた。これを年の功というのか。楽しそうに聞いてくださるとこちらも2倍楽しくなる。コンサートが終わって、壁の写真の中からいち早く猫の映っているものを見つけて、ちゃっかり頂戴してきた。私はやはり「花より団子」ならぬ「花より猫」です。もちろん団子も大好物。

2011年5月6日金曜日

同窓会

昼間明日のコンサートの練習をした後、新宿ヘ。同窓会というか、東京交響楽団時代の仲間が7人集まった。年齢も楽器もバラバラだけど、特に東京交響楽団が放送局の後ろ盾が無くなって、一度解散、当時の団長が自殺する悲劇のあとに、団員の自主運営でやっていこうという時期に一緒だった仲間たち。ひどく貧乏で忙しいばかりだった。ちょうど今の日本のように落ち込んで、一番大変な時期に力を合わせて再建した仲間だから結束が堅く、皆本当に仲が良かった。お金はなかったけれど、いつも愉快に演奏旅行も飲むのも一緒だった。働いても働いても給料は出ず、一体どうやって生活していたのか。それでも毎日が愉快で輝いていた。なにかにつけて集まり家族ぐるみの付き合いをしていた。最近も一年に一度はこうして集まって飲んでいる。演奏旅行は車を何台も連ねて日本全国を走り回っていた。早く目的地に行くために夜中に走り現地に着くとホールの駐車場で野宿なども平気でしていた。本当に若かったのだと思う。今とてもそんなことは出来ないので時々こうして飲んで、他愛なく文学や歴史の話などしている。でも決まって最後には音楽の話に落ち着くのが、雀百まで・・・だなあと思う。すでにそれぞれ違った道に進んでいるけれど、一緒に苦楽を共にした仲間というのは、いつまでも共感するものがある。

2011年5月4日水曜日

宣伝!

 南雲賢写真展2011(小石川植物園の四季)      http://www.kiyoto2007.com/pdf/nagumo.pdf) 
     
 4月14日~5月15日   
 於  ラ・キュイジース・フランセーズ・Kiyoto               http://www.kiyoto2007.com/

まだブログを覗いただけで実物は拝見していませんが、とても素敵な写真だと思います。ぜひ御覧くださいませ。

その会場で東日本震災復興支援企画として、ヴィオラの太田史子さんとデュオコンサートを開くことになりました。ぜひ聴きにいらっしゃってください。

      5月6日(金)午後2時開場   演奏は3時からです
              会費1000円 すべて日本赤十字に寄付します。

         場所は埼玉県さいたま市浦和区常盤2-7-14  1F 
         お問い合わせ 048-720-8616                お待ちしております。

2011年5月3日火曜日

姉の入院

今朝甥から電話があって、自分の母親の具合が悪いから、病院に連れていってくれないかと云う。どんな様子かと聞いたら、ひどい吐き気と右脇腹の痛みだという。私も以前このブログに載せたけれど、右脇腹が痛かった事がある。検査の結果は腎臓に水泡がある以外、とりたてて悪いところはないという診断だった。姉も同じところが痛むという。しかも吐き気がひどく、午前2時に痛みで目がさめてから、吐き続けていたようだ。なぜ、救急車を呼ばなかったのと聞いたら、どの程度悪ければ呼んでいいのかわからなかったから、と答えた。今、救急車をタクシーがわりに使う人が多いと聞いてあきれるが、そんなにひどくても呼ばないのも困ったものだ。甥は仕事があるのでと出かけてしまったので、区役所内にある休日診療所に連れて行った。そこには子どもを連れた沢山の母親が来ていた。仕事をしている人たちは休日でないと子どもを病院に連れていけないのだろう。子ども手当なんか出す前に、仕事をしていても連れていけるようなシステムを作るべきだと思う。どうしてつまらない人気取りより先に子どもを安心して育てられる環境を作らないのか不思議な気がする。姉は結局そこの診療所では検査しきれず、設備の整った休日診療医院を紹介してもらって、検査、点滴などでようやく症状が少し軽くはなったが、念のために入院となった。姉と私は7歳年がはなれている。もし私がこの年になって具合が悪くなっても、兄弟姉妹皆年取って、面倒をみてもらえないのかなあ。末っ子でいつも得したと思っていたけれど、歳をとると損した気になる。このように末っ子というのは生涯ワガママなのだ。

2011年5月2日月曜日

憎悪の連鎖

ビンラディン殺害のニュース。オバマ大統領の演説で、かれらアルカイダは市民や子どもを無差別に攻撃したと言っていたけれど、それではアメリカはどうなのか聞きたい。だいたいアメリカは世界は自分の為にある国民だから、自分たちのやる事は正義のため、他の国からやられたことは、悪魔の仕業となる。9・11事件も誰が巨大なアメリカ相手にあんな手の込んだ事をするものか。普通の事では考えられない。それなりの事をアメリカも他の国に対してやってきたことだと思う。ビンラディンが死んでアメリカ国民が喜んでいる姿がテレビで放送されていた。他の国の人を裁判もなしに殺害出来る権利があるのだろうか。首謀者であることがほぼ間違いないとしても、西部劇の時代のリンチみたいに勝手に殺せるわけ?日本人は大空襲、原爆落とされても戦後は恨みを忘れ、アメリカと仲良くしてきた。ある意味ずるいともいえるが、それが賢いかもしれない。憎悪の連鎖をどこかで断ち切らなければ、平和は来ない。事なかれ主義も日和見主義もしぶとく生き残るための方便。それにしても今回の東北大地震の被災者は、いつもありがとうを言っている。こんな優しい国民って他にいるかしら?今、喧嘩をしている国々は、彼らを見習うべきでしょう。でも、日本の外務省は北朝鮮からの義援金をリストに載せていないそうで、そんな肝っ玉の小さい事をしているから、こんな優しい国民も世界からあまり好かれていないのだわ。感謝は感謝、戦うべきは戦って男らしく生きる日本男児はどこへ行ったの?

2011年5月1日日曜日

カラスに再会

ずっと会えなかったカラス夫妻。いつもの散歩道から姿を消してどのくらい経つのかしら。今年は雀も少なくて、例年なら今頃は「雀のなる木」みたいに、鈴成りならぬスズ(メ)成り状態でピーチクパーチクさわいでいる一本の木があったのに、それすら聞こえなくなってしまった。カラスなどは繁殖期を迎えると攻撃的になって、通行人が怯えるから駆逐されてしまうことが多い。巣などもたたき落とされたりする。そのせいかしら、今年の鳥の少なさに愕然とする。鳥インフルエンザが心配で鳥を悪者扱いにして追いやったとしても、今度は鳥がいないせいで虫が増えて、別の禍が降りかかってくることも考えられる。その辺の家で除草剤を使用という立て札を見た。手で抜けば5分くらいで済んでしまいそうな道端の草。そこに除草剤撒いて、散歩の犬や子ども達が触ったらどうするの。桜は毎年お役所が消毒。虫を食べる小鳥のエサはなくなる。カモが子育ての頃、川沿いの草むらを除草する。人間以外の動物は皆、邪魔なのか。カナダで見た、水たまりで洗い物をするアライグマ。日本なら噛み付くといけないと言って、すぐ捕獲されてしまうに違いない。中世、猫は魔女の手先と考えられ受難、その後、ヨーロッパ中にペストが流行っている。あくまでも自然を自分のものとして勝手に改造するヨーロッパ流の考えをやめて、自然も鳥も虫も友とした、アジア流の考えに戻ったほうがいいようだ。多くを望まず、すべての人と動物が自然に共存することが理想。
カラス夫妻は、今までと少し離れた住宅街に引っ越しているのを発見した。縄張り争いに敗れたか、巣作り場所がそちらの方なのかは話してくれなかったけれど、私を見つけるとサアーッと羽を広げて一直線に飛んできてくれた。気のせいか一回り小さくなって、羽毛が乱れている。カラスにも住みにくい世の中になったものです。