2016年8月29日月曜日

ネコさんたちの交代劇

散歩の途中でおなじみのワンニャンさんたちとご挨拶。
よく会う芝犬。
私を見ると急に激しく回り始める。
うれしくてどうしていいかわからなくなるらしい。
飼い主さんは「ほかの人にはこんなことしないのに」とあきれている。
体の周りをまわるからリードを持ち替えないとグルグル巻きにされてしまう。
ひとしきり騒いでバイバイすると、名残惜しそうに後ろを振り返りながら、帰っていく。
ワンちゃんの飼い主さんからはよく「犬を飼っていらっしゃるんですか?」と訊かれる。
私は今まで一度も犬を飼ったことはないけれど、犬の気持ちがよくわかる。
たいていの犬は私が大好き、私も犬が大好き。

その次に会うのは手足の先だけ白い黒トラのブーツ。
このお宅はほかに、サンちゃんというチャトラ、アニーちゃんというミルクティー色の女の子。
サンちゃんという名前はこのお宅に引き取られた3番目の猫だから。
3匹の中でも一番体も大きな立派なオス猫で、通りかかる人から撫でられたり遊んでもらったり、とても人懐こい子だった。
アニーちゃんは情の深い優しい子。
ブーツはシャイで人に馴れないと、ずっと思っていた。
ところが最近サンちゃんは健康がすぐれず引きこもり。
アニーちゃんもボディーガードのサンちゃんがいないと表に出てこない。

ある朝ブーツが一人でポツンと道路わきに座っていた。
ブーちゃん!と呼びかけると、今まで絶対にそばにこなかったブーツが手の届く範囲まで寄ってきた。
初めて撫でることができた。
今まではサンちゃんが渉外部長だったのが、次は自分だと言わんばかりに。
それ以来毎朝ブーツは待っていてくれる。
飼い主さんによれば、この子が一番甘えん坊。
今までそんなに甘えん坊だとは気が付かなかった。
いつも車の屋根とか塀の上から視線を投げてくるだけだったけれど、私が猫好きだと認定はしていたみたいで、サンちゃんが引退したとたん、私にすり寄ってきた。

そしてうちのコチヤ、ほかの3匹の猫が相次いで猫の天国へ逝ったあと、一人ポツンと取り残された。
4匹いたころはいるのかいないのかわからないほどおとなしく、いつもクローゼットの中に潜んでいた。
ほかの猫と遊ぼうともしないから、多少頭の残念な子だと思っていたけれど、一人残されて半年ほどすると、急に甘えん坊になってきた。
その辺に生えている猫じゃらしを摘んでお土産に持って帰ると、初めて遊ぶようになった。
今までは何事にも無関心で、寝てばかり。
それが猫じゃらしに目覚めて、放り投げると自分でとってきて、もう一度遊べと催促するようになった。
あれ?けっこう頭いいんじゃない。

表情も豊かになってきた。
猫の多頭飼いは、猫にとっては少しつらいのかもしれない。
今まで私はいつも4匹の猫を飼ってきたけれど、この先自分がどうなるか自信がないから、このコチヤが最後の1匹と決めている。
今まで日陰でおとなしくしてきた子が、急に幸せそうになってうれしいけれど、今までの猫たちはずいぶん我慢をしていたのかなあと、複雑な気持ち。

兄弟姉妹もおなじ。
私は末っ子でのびのび育ったけれど、中間の兄姉たちはずいぶん我慢することが多かったと思う。
そのおかげで私は思うままの人生を歩んでこられた。

駐車場に巣食っている野良さんにも、交代劇の模様。
三毛猫ミッケはわが家にはもう10年以上かよってきている。
駐車場猫のシロリンもかれこれ5年ほど。
最近2匹とも年をとって、ボス猫シロリンも威勢がなくなってきて、私に撫でられて喜ぶようになったし、ミッケも先日頭を撫でさせた。
2匹ともわが軍門に下ったらしい。
まだ家には入ってこない。
もう少し寒くなったら家猫にしたいけれど、せっかく1匹でわが世の春のコチヤがまたすねるといけないし、難しいところ。
ミッケの住処の物置から黒猫が出てきた。
ミッケはこの冬安泰でいられるだろうか。

今朝ミッケ、シロリンに朝ご飯を持っていったら、黒猫がひっそりと車の陰にかくれていた。
ミッケがしきりと気にして、うなりながらご飯を食べている。
車の下を覗いてみると、すごく汚れて元気のない黒猫。
今まで放浪していたのか、飼い主に捨てられたのか。

心配の種は尽きない。




























2016年8月27日土曜日

二十歳過ぎてるのに?

今日は日テレ24時間テレビのマイクテストとリハーサル。
小雨の中、武道館へ。
この番組とは長いお付き合いだから、毎年お声がかかるとうれしい。

今年のメイン司会者予定は先日女性を暴行した容疑で逮捕された、高畑裕太容疑者だった。
(この部分訂正、メイン司会者ではなく単なるコメンテーターだったとか?)
ここ数日、日テレ内部ではてんやわんやの大騒ぎで、さぞスタッフたちは苦労したことと思う。
長丁場だから、セリフや動き、立ち位置、ビデオ画面など、きちんと割り振られていたと思うのが、一人でも交代すればそれらがすべてやり直しとなる。
代役をふられた人は今頃セリフや動きを体に叩き込むのに。大わらわだと思う。
本当にバカなタレントのために、どれほどの人が迷惑をこうむったことか。

そして連日カメラの前に母親の高畑淳子さんが涙顔を見せている。
それは気の毒だとしか言いようがない。
二十歳を過ぎている息子のために、母親がなんでさらし者になるのか理解不能。
しかも母親の言葉がまるでセリフのようだとか、涙をこぼすタイミングがどうの・・・と言う人も。
はい?あなた、そんなことなんの意味があるの?
コメントを求められたほかのタレントや評論家なる人種は、それはある意味商売だから、何か気のきいたことを言わないといけない。
それにしてもいい大人たちが、こんなおバカなタレントの問題をいかにも重大そうにコメントなさるとは、世も末じゃと嘆きたくなる。

母親は子育てを間違えたと言っているらしいけれど、だれだって子育ては初心者の時期があるのだから、どう育つかは二十歳から後は自己責任。
母親のせいにするけれど、学校の影響かもしれないし、友人のせいかもしれない。
とにかく本人がノータリンであることは間違いなく、そんな人が犯した犯罪をこれほど大騒ぎする意味はなにもない。

気になるのは被害者の女性であって、母親がマイクの前で泣いて見せたところで生涯心の傷は癒えない。
どれほどの恐怖を感じたことか。
世間が騒げば騒ぐほど、本人は傷つくと思う。
そのうち、あることないこと被害者を中傷する輩も、必ず出てくると思う。
他人の悲劇を自分たちの興味にすり替えるゲスな言動はやめてもらえないかなあ。

本人は責任をしっかりととって、ほかの人たちはそっとしてあげられないものだろうか。
本人の録画をテレビで見ても、なんのオーラもない普通のおにいさん。
あまり頭がよさそうでもなく、どこといってとりえもなさそう。

もしかしたら、本人もそのことが分かっていて、役者稼業がつらかったのでは?
母親の七光りでこの世界に入って、おかげで仕事も順風満帆、売れっ子になったけれど自分にそれほどの才能があるわけではないとわかっていれば、ちょっと辛いかも。
死ぬほど努力すれば話は違ったと思うけれど、それほど根性がありそうにも見えない。

とにかく母親を泣かすなんて、この大バカ者が!!!





2016年8月23日火曜日

北軽井沢ミュージックホール

去年から始まった北軽井沢でのコンサートは私の仲間たちが集まって、来る9月3日、第2回目を迎えることとなった。
2回も続けばいいと思っていたら、来年はいよいよ本格的に北軽井沢ミュージックホールを使って開催できるような話になってきた。
周りの人たちのパワーがすごくて、おたおたしていると後ろから追突されかねない。
これは来年のはなし。

間違えるといけないのでもう一度。
今年は「ルオムの森」の洋館が会場になります。

そもそも北軽井沢に音楽ホールがあるとは知らなかった。
ノンちゃんの別荘から今回の会場である「ルオムの森」の洋館に行く途中、道路わきに北軽井沢ミュージックホールという看板が立っている。
外見は古びていて見栄えもしないから、カラオケ大会でもするのかと思っていたら、なんと1968年の会館のこけら落としには、私とオーケストラの同期である秋山和慶さんの指揮で、マーラー「交響曲5番」が演奏されたそうなのだ。
かの小澤征爾さんが理事長だったとか。
由緒正しいホールだったのだ。

それで今回の演奏会がすんだら、北軽井沢の別荘に住むノンちゃんとお隣さんと一緒に会場を見に行くことになっている。
あっという間にこんな楽しいことになってしまって、北軽井沢を文化の街にしようという住人の熱意が感じられる。
「雪雀連」の会長の山田氏もお嬢さんが軽井沢にいるので、東京と軽井沢を往ったり来たり、「雪雀連」のメンバーのヴィオリストKさんも追分の半住人。
だんだんステージがあちらに移動していくような気がする。
それもいいかもしれない。
森とキャベツ畑の中でのびのびと音楽活動をするのも。

お隣さんの織物作家のOさんは若者に人気の雑誌の元編集長。油絵のHさんは教育文化映画などのプロデューサー・・・となれば、地元の文化人との交流はあっという間に広がる。
今回のチラシを、あるギャラリーにおいてもらえることとなった。
去年のコンサートのリハーサルに、高名な詩人のTさんがみえて聴いていたそうだ。
私は畑違いで、お顔も存じ上げないから、気が付かなかった。
わかっていたらただでは帰さなかったものを。
なんだかやくざのセリフみたいだけれど,お話ししたかった。

ルオムの森のオーナー夫妻は次々に企画を実行していく。
パワーがすごくてめまいがしそう。
私が北軽井沢に移住したら、さぞや面白い生活が送れるのではないかと期待している。

北軽井沢というと本物(?)の軽井沢に別荘のある人は、あれは軽井沢ではないと馬鹿にする。
吾妻郡嬬恋、キャベツの産地。
なんでも軽井沢をつければいいわけではないと思っているらしく、私がそのうち住みたいと言ったら鼻を鳴らしてフン!といった人がいるくらいだから。
しかし、軽井沢とは高低差があって、先日滞在したときも、おそらく5,6度気温が低いと感じた。
森があってキャベツ畑が広がっていて、空気が清浄。

   さて9月3日のプログラムが決まりました。

1)ディッタースドルフ: ヴィオラ、コントラバスの
                 デュオコンチェルタンテ
2)中田喜直:      ピアノ連弾「日本の四季より 
3)ロッラ:        ヴァイオリン、ヴィオラの
                 デュオコンチェルタンテ
4)グリーク:      ピアノ独奏「ホルベア組曲」より
5)バッハ:       二つのヴァイオリンの協奏曲
6)パッヘルベル:    カノン
7)ラヴェル:       ボレロ

プログラムを見るとお分かりになるように、2重奏曲(なんとピアノも)が並んでいます。
タイトルは「2人で弾けば怖くない」あるいは、「2人で弾くと怖くなる」
どちらになるかは当日の演奏者のコンディションと気が合うか合わないかによります。
最後の二曲は「雪雀連」オーケストラと称して全員の演奏です。


暇で退屈しておられる方、何もすることがなくてお金の使い道がない方。
連れだってお出かけください。
当日会場でお待ちしております。
くどいようですが、この日の会場はまだ「ルオムの森」です。
畑のなかでわかりにくいので、ムジナに化かされないよう、お気をつけて!
たどり着けたらめっけもの・・・なんていうと誰も来てくれないかな。





























2016年8月21日日曜日

競争 協奏

連日のオリンピック報道を見ていると、むなしくなってきた。
記録に挑戦することは技術や体力の向上につながるから悪いことではないと思うけれど、レスリングの吉田選手のようにプレッシャーに押しつぶされて金メダルを逃して泣いている姿を見ると・・・
なんだかなあ。
かわいそうでもあるし、そんなに欲張らなくてもいいんじゃないかと思う。
周りで期待して押しつぶすことはないのにと、こういうのって変ですかね?
銀も金も同じくらいの価値があると思うのに、金と銀では世間は手のひらをかえすように扱う。
彼女は今後悔しくてしかたのない人生を送るとなると、今までの業績はなんだったのかと本人は思うかもしれない。
なぜそんなに欲が深いのか信じられない。
一回でも十分では?
一回もチャンスがなくても、オリンピックに出ただけで満足する人もいるだろうに。
オリンピックに出られること自体がすごいので、その先はスポーツの祭典として全員で楽しめばいいのにと、能天気人間は考える。

選手たちのむき出しの闘争心を見ると、生き残るためにはこういう気持ちを持たないといけないけれど、見ていてあまり気持ちのいいものではない。
ライオンと人を戦わせて喜んでいたローマ人みたいに、人々は興奮して勝者に喝采する。
私はこういうのはあまり好きではない。

元々人と自分を比べることもなく、自分のできる範囲で好きなことを好きなようにというスタンスだから、自分の中での努力は好きだけれど、人と競うことができない。
スポーツも個人でするのが好き。
以前ゴルフをやっていた時には、一緒に回る人が負けて悔しがる姿を見るのが嫌だった。
私はへたくそで初心者だったのに、アマチュアゴルフにはハンデというありがたいものがあって、下手は下手なりに勝てることもあるのだ。
私が打つと、球はまっすぐに飛ぶ。
飛距離が出ないから、曲がる前にポトリと落ちてしまうので。
だから短いコースで確実に尺取虫のように進めば、時には勝てる。
グリーン周りの小技は得意なほうだったし。
たまに勝つと相手にもうしわけなくて、小さい体をもっと小さくして恐縮。


そんな性格だから好きなのは協奏のほう。
私がヴァイオリンを始めたのは専門家になるには遅すぎる8歳。
その道を目指す人は大体3歳4歳から始める。
おそくとも6歳。
両親はヴァイオリンを習わせる気はなかったのに、なぜか8歳の時にヴァイオリンを買ってもらって一人で弾いていたら、兄が近所のアマチュアのお兄さんのところへ連れて行ってくれた。
初めからなんとなく弾けるので見処があるとでも思ったのかもしれない。
けれど、そのお兄さんは2年ほど経つと引っ越してしまって、その後2年間は先生なしで勝手に弾いていた。
2年後に兄が先生を見つけてきてくれて、再開。

中学に入ると同学年にヴァイオリンを弾いている人がいて、そそのかされて音大付属高校を受験。まさかの合格。
人に遅れること5年以上のハンデがあるから、もとよりソリストは無理だけれど、オーケストラを受けて、まさかの合格。
まさかまさかと言っているうちにこんにちに至っている。

なぜ私がこの世界でたいそう仕事に恵まれ、そこそこ生活ができたかというと、音を合わせるのが好きということに尽きる。
子供の時から一人で弾くのではなく、同時にヴァイオリンを弾いていた兄にねだっては2重奏をしていた。
音の響きを作るのがとても好きだった。
二つの音が重なると、何倍もの響きになる。
4つなら宇宙的に広がる。
弦楽四重奏に目覚めたのも高校入ってすぐ。
それからは夢中で和音を探し続けてきた。
人と競争しないで、協奏する人生は本当に幸せだった。

吉田選手、泣かないで。
気持ちはわかるけど、人生の幸せは他人に勝つことばかりじゃない。
脳のなかにも素敵な宇宙がある。
その中で揺蕩っていると、勝ち負けなんざあ気にならなくなる。
と、そんなことを言っては死ぬほど練習している人には失礼。
次のオリンピック目指して頑張ろう。

大体スポーツ番組は見ないほうだけど、今朝のサッカー、ドイツ対ブラジルはすごかった。
いやー、両チームとも神業でした。
サッカーだけはどういうわけか私の性に合っているらしく、これだけは興奮する。
それでもどちらに味方するのではなく、技に拍手。




























2016年8月15日月曜日

ロンドンからのお客様

去年のロンドンアンサンブルのコンサートが終わってから、メンバーの中心であるピアニストの美智子さんは病気治療のため日本に残っていた。
病人というにはあまりにも元気だったのでそろそろイギリスに帰る日も近いと思っていたけれど、諸般の事情で帰国が少し延期になったので、ロンドンからご主人のリチャードさんが彼女に会いに来た。
それで今日はお二人お揃いで遊びに来た。

午前中わが家で「古典音楽協会」のメンバーがソロ合わせをしていた。
ソリストの絵美さんが美智子さんの友人なので残って、4人で昼食をともにすることにした。
リチャードは相変わらず飄々としていて、日本の夏の暑さにいささか参っているようだった。
美智子さんはつやつやとして、大胆なタンクトップ姿。
彼女は大変な暑がりや。
私たちがロンドンへ遊びに行った時にも、気温の低い日に背中丸出しのムームー姿で出迎えられてびっくりしたことがある。
私はセーターを羽織っていたのに。

午前中の練習が終わった絵美さんと、タンクトップの美智子さん、短パンに猫柄のTシャツを着たリチャードと4人で昼食を食べた。
猫柄シャツは私を喜ばせようと、美智子さんが彼に着せたらしい。
昨日宴会場でたくさん料理が余ってもったいなかったから、持ち帰って彼らに食べさせようかと思ったけれど、食中毒で倒れられるといけないからあきらめた。
そういうことをしても彼らは平気で生き延びそうな人種だから心配はいらないと思うけれど、舛添さんじゃあるまいし、あまりにもせこいのは私の気性に合わない。
それで、結局チラシ寿司、鳥のから揚げ、茶わん蒸しなど、花見の時のような献立になった。

美智子さんはパクパクと片っ端から平らげてくれるし、リチャードは半分寝ぼけながらもおいしいと言ってくれる。
彼は数日前に来日したから、まだ時差ボケでつらいらしい。
ご飯を食べ終わって日本茶を飲んで、すぐにソファで眠ってしまった。
美智子さん曰く、日本茶は眠れなくなるからと言ってリチャードは飲まない。
それなのに日本茶を飲んですぐ眠ってるわ。

英語と日本語が入り混じって、話題もあちらに飛び、こちらに飛び。
ロンドンアンサンブルの演奏会で来日するときには、コンサートの話が中心となる。
みな演奏前でピリピリしているけれど、今回はのんびり。
イギリス映画の話題で盛り上がる。
ところが、みな俳優の名前が思い出せない。
喉元まで来ているのに、名前が出てこない。
「ほら、あの**であの役を演じた・・・うーんと・・・だれだっけ?」

ほかの話をしているときに、そうだ***だ!などと突然名前を思い出す。
一人が思い出すとみなほっとして「そうだ、そうだ」と唱和する。

たくさん食べてたくさん笑って、楽しそうに帰って行った。
ロンドンからのお土産は私の大好きな紅茶の大きな缶。
めったに紅茶を飲まないのは、日本で飲む紅茶はあまりおいしくないから。
お土産でいただいたものは、本当においしい。
これでしばらくおいしい紅茶が飲める。

シメシメシメシメ・・・・・










2016年8月14日日曜日

父子

今日は年に一度の音大時代の同窓会。
毎年雨が降ろうが槍が降ろうが・・・いまどき槍かい?とつっこみたくなるけれど、とにかく一斉に全国津々浦々から楽器を持って集まってくる人たち。
どんどん参加者が増えて、いまや一組15分の制限時間なので、急いで演奏するはめになる。

しかも毎年どんどん真面目になってしまって、初期のころの愉快なコンサートの面影は今はない。
メンバーはやはり少しずつ交代していて、毎年演奏していた元読売交響楽団のヴィオリストのМさんは、今年は客席で静かに聴いていた。
そのかわり若手が台頭してきて、私たちの年代の二回りくらい下のメンバーが増えてきたのは頼もしい。

今日はピアニストの梯剛之さんが初めての参加。
お父さんが元N響のメンバーで私たちの「古典音楽協会」の仲間でもある。
今日はモーツアルトの「ピアノ四重奏曲」やドビュッシーの「ソナタ」を演奏してくれた。
最近はタッチが軽くなって、透明感のある美しい音を聞かせてくれる。
一時期音色を追及するあまり、痛ましく苦悩する姿を見ていただけに、彼の迷いが吹っ切れてさわやかさをとりもどしたことがうれしい。
それがいいとか悪いとかではなく、また来るであろう苦悩の時期も、年齢とともにうまく乗り切れるようになるのではないかと思う。
演奏が終わってからの飲み会にも参加して、女性たちに取り囲まれてうれしそうに笑っている彼は、あの苦難を乗り越えてきたそんな人とは見えず、ごく普通の男性の姿。

料理やの畳の部屋に椅子と譜面台を持ち込んで、その場で組み合わせたメンバーでアンサンブルをする。
だから、ピアノがなくて残念ね?と言ったら「もうピアノはたくさん、なくてよかった」と意外な返事。
それでも、ほぼ初見でするアンサンブルにも注意深く耳をかたむける様子を見ていると、天性の音楽家で、ここにピアノがあったら弾き続けるのではないかと思う。

彼のお父さんは飲むにつれ愉快になる人で、息子さんの前では厳格な父親、私たちと一緒の時は愉快に笑う顔しか見せない。
今日は息子さんに酔態がばれた、記念すべき日ではなかったか。
以前「あなたのお父さんはね、飲むと本当に愉快になるのよ」とばらしたら、お父さんは口に人差し指を当てて「シー」っといった。
どうやら息子さんに裏の顔をばらされたくないらしいので、武士の情けで、それ以上話すのはやめておいた。

しかし息子さんのほうは、もうとっくに見破っているのではないか。
寄り添って一緒に帰る後姿はほほえましい。
親子、まして同じ音楽家としてお互い尊敬と共感を持つ人同士が同じ屋根の下で暮らしていることを考えると、うらやましくもあり、たいそうな葛藤もあって大変だなあとも考える。
それでも苦悩が多ければ、解決した時の喜びは何倍にもなる。
それが音楽の陰影の濃さにつながって、剛之さんがどんどん深く豊かになる姿を称賛し続けたいと思う。
他人さまの息子さんをお借りして、子育ての感情移入をしているしだい。




2016年8月12日金曜日

三すくみ

説明を追加
このド下手な絵を見てください。
これは今朝車で走っていて疑問に思ったこと。
左側の黒いのが私の車。
T字路で右折しようとしているところ。
私よりも前に到着していた二台の車。

たぶんこちらが優先道路かと思えるけれど、ほとんど路幅はいっしょくらい。

私の車以外はそのまま左折と右折だからお互いなんの支障もなく曲がれたものを、そこへ私が現れたので、固まってしまったらしい。

この絵の下のほうで右折しようとしていた車は、私が左から来たので左方優先のため、前に出られなくなった。私から見ると対向車線の車は左折車なのでそちらが優先。
それで私も前に出られない。一番優先して出られるはずの右側の車も固まってしまって、出てくれない。
おかげで三すくみ状態でだれも動けなくなってしまった。
順位があるのだから、優先レーンの車はさっさと動いてほしいのに、動かない。

なぜかというとこの交差点には信号がなく、おまけに両側になぜか警察官が二人ずつ計4人も立っていた。
こちらに停まれの標識がなかったから、たぶんTの縦軸に当たるほうに標識があるのだと思う。

こんな状態で下手に動いて注意を受けたくないという気持ちが見え見えだったから、ほかが動かないなら私がお先にとばかり、ほかの車に手を挙げて通り抜けてきた。
順位から言えば私が二番手?
ドジなのが右側で動かなかった車なんだけど、もっとドジなのは4人もいる警察官。
こんなことになっているのになぜ交通整理をしないの?

4人でぼんやり立ってこちらを見ているだけ。
なにか他の取り締まりのために立っているのかもしれないけれど、こんな時にサッと出てきてなにかすれば?と、口が滑りそうになる。
一番優先な車に行けと合図すればいいのに。

もう少し前だったら窓を開けて私が「あなたたち、ぼんやりしていないでなんとかしてちょうだい」などとわめいたと思う。
しかしながら、nekotamaもすっかり年をとって、穏やかになったといえば聞こえはいいが、最近優柔不断、頭の回転不足がひどくなり、なにごともどうでも良くなってきた。
なんなら、その場で1時間くらい停まっていてもよかったけれど、それでは練習時間に間に合わない。
面白い展開もありそうもないから、さっさと通り抜けてきた。
その際、優先順位違反で捕まるかもしれないと思ったけれど、年を経て尻尾が何本もあるようなヤマネコを捕まえて祟りがあるといけないとでも思ったに違いない。
警察官の誰一人として動かない。

捕まったら捕まったで、こんこんとお説教する楽しみがあったものの、暑さでぼんやりしているおまわりさんたちは文句を言わない。
考えてみれば気の毒な。
こんな暑い日に炎天下で、交通量もない広くてきれいな道路で、いったいなにを命令されて見張っていたのか。
なにか事件があるとも思えない。
いかにものんびりと時間つぶしをしているような。
上司の命令だからかも。

ところで、この3台の車の優先順位。
絵の中で、右の車が1、左が2、下の車が3でいいのかな?
























2016年8月11日木曜日

今年も「くにたちの会」

毎年8月14日は「くにたちの会」が開かれる。
国立音大のオーケストラの同窓演奏会のようなもの。
先輩の元日本フィルヴィオラ奏者の滝沢さんが音頭をとってはじめられたもので、様々な地域に散らばっている人たちも、この日は飛行機や新幹線で集まってくる。
滝沢さんは残念なことに数年前に一足先に天国へ。
あとを継いで私たちの後輩のK子さんが幹事を引き受けてくれた。

おかげでその後も変わらず、この日には九州などからも演奏に参加する人がいる。
各自自分の好きな曲を好きなように、ソロやデュオ、トリオ、カルテット・・・などを披露する。
創始者の滝沢さんがヴィオラ奏者だったこともあって、ヴィオラの人数が圧倒的に多いのも珍しい。
こんなにもヴィオラの曲がたくさんあるのかと思うほど、みなさんヴィオラ同士のアンサンブルを次々と持ち寄ってくるので、それがこのコンサートの目玉になる。
中には東京都響のトップ奏者だったK氏のように、ヴィオラでなくヴァイオリンを弾く人もいる。
私はブラームスの6重奏でヴィオラをひかせてもらったり、みな好き勝手にやっている。

最初のうちはみな遊び半分だった。
当日楽譜を持って行ってメンバーを募り、そこで初見で練習して本番なんてことをやっていたのだが、そのうちだんだん真剣になってきた。
各自きっちりと練習をするようになって、出演者がだんだん増え始めると、最初のようないい加減なことができなくなった
弾きたがり屋が多くていつまでも演奏会が終わらないので、最近は時間制限ができてしまった。

毎年私はピアノのSさんとソナタを弾いていたけれど、今年は6月のコンサートで弾いたブラームスのピアノトリオをもう一度弾くことにした。
このトリオも、もう何回もひいてはいるけれど、いつ弾いても飽きることはなく、弾くほどに味が出て洗練されてくる。
無駄なところがなくなって、贅肉がとれてくる。
こうして弾きこんでいかないと、レパートリーとはならない。

9月に北軽井沢のコンサートもあるし、もう一つはSさんと別のトリオを弾くので、いま新しい曲を練習する余裕がないというのも理由の一つだけれど、曲が素晴らしいのでまた弾けるのはうれしい。
演奏会が終わるといつものお店で飲み会。
飲み会といってもみな、最初から最後まで楽器を弾いている。
床の間がステージ。
その時には、その辺にいるメンバーをかき集めて、合奏を楽しむ。
中には酔っぱらうと即興演奏を始める元N響、元都響、元読響のメンバーたち。
オケマンはちっとも年をとらない。

このくにたちの会が終わると、毎年おなじみ、日テレ24時間テレビの仕事、それが終わると夏が終わる。

9月3日に北軽井沢のコンサート、半ば過ぎにハイドンのトリオ、末に古典音楽協会の定期演奏会。
その間、私がすでに辞めたはずの音楽教室の弦楽アンサンブルが越後湯沢で合宿をするので、そのお付き合い。
これは私の元の生徒たちが始めたアンサンブルなので、私のチルドレンたちが来いと言って姦しい。
行くと厳しい練習と楽しい飲み会が、深夜まで続く。
学生に戻った気分。
どうやら彼らは私を教師としてよりも、遊び仲間と認定しているようだ。

そろそろ来年か再来年あたりのコンサートのプログラムを考えないといけない。
私的にはプロコフィエフ、バルトークあたりが弾きたいけれど、わが相棒は意外と保守的で、ベートーヴェンがお好み。
ストラビンスキーにもなかなか面白い曲があるけど・・・
以前、サンサーンスのソナタは?と言ったら「あんなつまらない曲」と一蹴されてしまった。
つまるかつまらないかは、やってみなけりゃわからない。
モーツアルト、プロコフィエフなどの組み合わせだったら楽しいかも。
ベートーヴェン好きなピアニストのために「クロイツェルソナタ」を入れてもいいかも。
うわー、恐ろしい!
これって、独り言ですからね。聞こえなかったふりしてくださいな。































2016年8月7日日曜日

花火

毎年板橋の友人から花火見物のお誘いをいただく。
今年もいそいそと出かけた。
その友人の住むマンションは板橋と対岸の戸田の花火が重なって見える絶好のロケーションなので、5階の大きな窓からそれを眺めてお酒を飲む。

今日は8人の、飲兵衛たちが集まった。
家主さんは化学者だから、料理をきちんとレシピ通りに作るのはお手の物。
食材の計量などは少しも苦にならないそうなのだ。
私のように手秤目秤でいい加減に作らないので、とても味のよい料理が並ぶ。
夕方になってもムッとする暑さが残っていて、外から冷房の効いた室内に入り、まずは乾杯。
冷えたビールがキュイーン、グググと喉を通っていく。
つまみは、ママカリのピリ辛漬け、タコとわかめの酢の物、ローストビーフ、ポテトサラダなど。
最後にたらこを炊き込んだご飯をいただいた。
初めて食べたけど、これはおいしい。

ようやくあたりが暗くなって花火が始まった。
打ち上げ場所からはかなりの距離があるので、少し小さく見えるけれど、それでもたいそうな迫力。
窓を開けると、ドーンという音も聞こえて、夏の夜の一番の楽しみが花火だった子供のころを思い出す。
私の生まれ育ったところは多摩川に近かったので、家族でよく見に行ったものだった。
河川敷に陣取ってみる花火は、頭上いっぱいに広がって音も激しく大きく、子供にとっては美しいとともに少し恐怖でもあった。
ナイアガラの滝も夢のように美しかった。

今日はマンションの室内から見るので、前方の家の陰になって、ナイアガラは見えない。
遠くから見ていると、家並の陰の下のほうが明るくなっているので、今ナイアガラなのねと推測する。
現場に行けばとてもきれいなのはわかっているけれど、この暑さの中で人ごみにもまれるほどの元気はない。
どんなことも何の障害もなく行動できた若いころは本当に素敵な時代だったのだと、今の自分の体力や気力の衰えを思い知らされる。

今日の気温は一体何度だったのか、涼しい北軽井沢から戻ったばかりの私には非常にこたえる。
電車に乗ると浴衣を着たお嬢さんたちが大勢いて、華やかに楽し気に会話をしている。
母の縫ってくれた浴衣を着て花火を見たのはいつのことだったか。

以前二子玉川の花火見物に誘われたことがあった。
河川敷にあるドライビングスクールの社長さんの好意で、敷地内で花火を見せてもらえるという。
うちは丸子橋寄りだけれど、二子玉川までは多摩川の堤防をまっすぐに行けばいいのだから、自転車で行けると思った。
そうたいした距離ではない。
さっそうと自転車を漕ぎだしたけれど、これが大変な誤算で、徒歩の見物客のために自転車は多摩堤の上は通行禁止。
それを無視してこっそり走っているとおまわりさんに見つかって、堤防から降ろされる。
しかたなく回り道をするはめに。
おかげでたいそう遠回りとなって、到着した時には全身汗まみれ、着替えは持ってでたけれど、拭いても拭いても汗がしたたり落ちる。
一緒に見物する仲間におまわりさんがいたので文句を言ってみたけれど、それは仕方のないことだと一蹴された。

自転車を停めるところもなくて、大変な人出の中を苦労して帰った。
もうこりごりと思ったので、その後花火大会会場に出向くことはなくなった。
家の中で涼しくビールを飲みながら・・・これが最高!





2016年8月4日木曜日

北軽井沢は海の中

今朝まで北軽井沢の森の中の小さな家に滞在していた。
そこは人形作家のノンちゃんの夢の家。
森のなかに屋根も壁も全部木の皮で葺いた、まるで絵本から抜け出したような家が建っている。
それもそのはず、ノンちゃんのご主人は絵本作家の田畑精一さん。
著書の「おしいれのぼうけん」は200万部突破、文化功労章を受賞されたとか。

家の中に入るとノンちゃん手作りの織物やクッションや、紅茶のポットカバーや、一つ一つ丹精込めて作られたものに囲まれる。
食器も外国を旅した時に必ず手にいれてくるので、世界各地のお皿やカップやグラスなどがそろえてある。
かなり高齢になったノンちゃんは足が弱くなって、つい最近まで参加していたスキーツアーには来られなくなった。
それでも生き生きとした瞳の輝きは、まだまだ心の若さを失っていない証拠。

今年も9月に北軽井沢の「ルオムの森」での三人の会に、たくさんの人形を出品する。
そこに私たち「雪雀連」の音楽仲間が便乗して、面白いコンサートを企んだしだい。
今年も面白い企画です。
コンサートだけ聴きたい方は、ワンドリンク付きで1000円という格安のお値段!!!

そのあとの飲み放題の宴会に参加となるとぐんとお高くはなりますが、そちらはおいしいお酒とおいしいおつまみがたらふく食べられます。
しかも洒脱な会話も楽しめます。

7月31日、梅雨の明けた関東地方。
これからぐんぐん気温が上がろうという日に都内脱出。
追分に別荘のあるKさんと、関越道の三芳サービスエリアで待ち合わせた。
待ち合わせ時間は10時半。
私の家からは関越道に入るのに1時間半。
それプラス30分と読んで2時間前に家を出たら、渋滞なしの環八で、あっという間に待ち合わせ場所に着いてしまった。
まだ1時間以上の余裕。
さてどうしようか、コーヒーでも飲んでまったりしていようと思ったら、私を呼ぶ声がして、Kさんはすでに5匹の猫と到着していた。
ネコさんたちを炎天下の車に置いておくことはできないので、すぐに出発。

お昼ころ現地の産直マーケットで買い物、お昼御飯用に焼き肉弁当を買って追分到着。
Kさんの別荘に一晩泊めてもらうことにした。
そこは猫の館。
5匹の猫がケージから出されると、慣れたもので、それぞれの定位置に落ち着いた。
その間Kさんは八面六臂の活躍。
あっという間にお掃除やら猫の立ち入り禁止区域の設定、私の荷物の置き場、食事の用意など、目まぐるしく働いている。
買ってきた焼き肉弁当はとても量が多いので半分夕飯に取っておこうねと話しながら食べていたら、いつの間にか二人ともぺろりと全部平らげてしまった。

空気がおいしい、緑が目にやさしい、音が静か、おなかがいっぱい・・・いつの間にか私は深い眠りに落ちた。
昼寝というものは普段めったにしないのに、いつの間にかすやすやと寝ていたらしい。
目が覚めたらKさんが笑っている。
猫たちが私の手をなめたり、顔に鼻面をつけたりしていたらしい。
たっぷり昼寝をしたのに、夜もぐっすり。
こんなに安眠したのは最近記憶にない。

次の日は追分を後に、浅間方面へ山を登る。
そして森の中の木の皮でできた家に到着。
窓からはどちらを向いても、森。
とくに暖炉わきのソファーに寝そべって見る森は、格別に美しい。
この別荘地は管理が厳しく、木をやたらに切ってはいけない。
森の生態系を壊してはいけないので、動物の飼育にも厳重な取り決めが設けられている。
夕方散歩にでかけると、遠雷が聞こえる。
普段は雷はさほど怖いとは思わないけれど、樹齢何百年の大木が茂る森ではこわい。
去年も森の中で雷でなぎ倒された巨木を見た。
巨大な木が縦に裂けて地面に転がっているのを見たとき、自然への畏怖の念を抱いた。
時々ヴァイオリンを出してキーキーと奏で、時々散歩に出かけ、ご飯をごちそうになり、後の時間はひたすら森を眺めていた。

いくら見ていても飽きがこない。
まるで緑色の深海で漂っているような気分になる。
何十分も何時間もひたすら木を見ていた。
海の底にいるように時間がゆっくり過ぎる。
私はクラゲになって、緑色の海を漂った。

今朝北軽は21度。
午後わが家へ到着したら、30度。
10度近い開きはちときつい。