2016年8月14日日曜日

父子

今日は年に一度の音大時代の同窓会。
毎年雨が降ろうが槍が降ろうが・・・いまどき槍かい?とつっこみたくなるけれど、とにかく一斉に全国津々浦々から楽器を持って集まってくる人たち。
どんどん参加者が増えて、いまや一組15分の制限時間なので、急いで演奏するはめになる。

しかも毎年どんどん真面目になってしまって、初期のころの愉快なコンサートの面影は今はない。
メンバーはやはり少しずつ交代していて、毎年演奏していた元読売交響楽団のヴィオリストのМさんは、今年は客席で静かに聴いていた。
そのかわり若手が台頭してきて、私たちの年代の二回りくらい下のメンバーが増えてきたのは頼もしい。

今日はピアニストの梯剛之さんが初めての参加。
お父さんが元N響のメンバーで私たちの「古典音楽協会」の仲間でもある。
今日はモーツアルトの「ピアノ四重奏曲」やドビュッシーの「ソナタ」を演奏してくれた。
最近はタッチが軽くなって、透明感のある美しい音を聞かせてくれる。
一時期音色を追及するあまり、痛ましく苦悩する姿を見ていただけに、彼の迷いが吹っ切れてさわやかさをとりもどしたことがうれしい。
それがいいとか悪いとかではなく、また来るであろう苦悩の時期も、年齢とともにうまく乗り切れるようになるのではないかと思う。
演奏が終わってからの飲み会にも参加して、女性たちに取り囲まれてうれしそうに笑っている彼は、あの苦難を乗り越えてきたそんな人とは見えず、ごく普通の男性の姿。

料理やの畳の部屋に椅子と譜面台を持ち込んで、その場で組み合わせたメンバーでアンサンブルをする。
だから、ピアノがなくて残念ね?と言ったら「もうピアノはたくさん、なくてよかった」と意外な返事。
それでも、ほぼ初見でするアンサンブルにも注意深く耳をかたむける様子を見ていると、天性の音楽家で、ここにピアノがあったら弾き続けるのではないかと思う。

彼のお父さんは飲むにつれ愉快になる人で、息子さんの前では厳格な父親、私たちと一緒の時は愉快に笑う顔しか見せない。
今日は息子さんに酔態がばれた、記念すべき日ではなかったか。
以前「あなたのお父さんはね、飲むと本当に愉快になるのよ」とばらしたら、お父さんは口に人差し指を当てて「シー」っといった。
どうやら息子さんに裏の顔をばらされたくないらしいので、武士の情けで、それ以上話すのはやめておいた。

しかし息子さんのほうは、もうとっくに見破っているのではないか。
寄り添って一緒に帰る後姿はほほえましい。
親子、まして同じ音楽家としてお互い尊敬と共感を持つ人同士が同じ屋根の下で暮らしていることを考えると、うらやましくもあり、たいそうな葛藤もあって大変だなあとも考える。
それでも苦悩が多ければ、解決した時の喜びは何倍にもなる。
それが音楽の陰影の濃さにつながって、剛之さんがどんどん深く豊かになる姿を称賛し続けたいと思う。
他人さまの息子さんをお借りして、子育ての感情移入をしているしだい。




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